遠い日の記憶』の作文集

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遠い日の記憶』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど

7/18/2024, 3:57:48 AM

学校できみを見かけたときに思った。
ずっと、この人を探していたような気がする。
昔、この人に会ったことがあるのかもしれない。
でも、それは何歳の頃だったっけ。
そのとき、どんな話をしたっけ。
あなたの名前を、知っていたっけ。
遠い日の記憶を全て思い出すのは、難しい。
時が経つにつれ、薄れていくから。

7/18/2024, 3:57:43 AM

2. 遠い日の記憶

まだ18年しか生きていないのでこのお題は難しい。それに、何かフックがないと思い出せない。昨日はツーマンライブに行った。そこから広げてみようと思う。

そのツーマンの片方は、2年前の梅雨、自分が初めてライブ会場に足を運ぶ目的になったアーティストだ。

幸運にも小雨程度で済んだその日の会場はZepp羽田で、とにかく大きかった。眼鏡越しで見ても米粒のように小さい演者。広くて天井も高い会場に音が反響していて、ライブってこんな感じなんだなと思った。そして、3年間スマホで聴いていた演奏を生で聴けた喜びに浸っていた。


やはり、これは遠い日の記憶とまではいかないか。では、音楽に触れたいと思うようになったのはいつだろうか。

4歳の頃ピアノを習い始めたのは自分から言い出したからなのか思い出せない。少なくとも、小4で辞めたときは親の意思で辞めたけれども。

その小4の頃入った合唱団は自分の希望によるものだった。だから意欲が湧いたのはその前だと思う。きっと小学校の行事だろうな。小学校では隔年で音楽会が開かれていた。2年生のとき合唱団の演奏を聴いたのがきっかけな気がしてきた。

それから、集団で演奏することを楽しんでいた。団員は150人程いてその上二部合唱だったから、1つのパートに70人位はいた。だから、いつものようにみんなに頼れないソロパートは酷く緊張していたのだろう、本番の記憶が一つもない。

中学に上がって吹奏楽部に入った。それまでずっと水槽学部だと思っていた。とにかく低音パートをやりたかったのでチューバに入った。部員は80人いたが、合唱とは一転して同じパートには3-5人しかいなかった。でも、少人数で一つのことをやるのが楽しかった。何よりベースという役割がやりがいに溢れていた。

高校では少人数(過疎)オーケストラの部に所属して、チューバを続けつつ、それだけでは暇な曲が多いのでフレンチホルンを始めることになった。そこでは、チューバはもちろん一人だし、ホルンも1st 2nd...と一人ずつ分かれていた。今までのようなパート仲間はいなくて辛かった反面、自分しかいないから上手くいけば分かりやすく評価してもらえることもある。正直趣味に評価とかいらないけど。

こうして振り返ると、幼い頃の自分は「みんな」でやることを楽しんでいたし、「みんな」を当てにしすぎていたと思う。けれど、それも分解すれば沢山の個人に過ぎない。責任感というものをもっと早くから持っていれば、今頃文系コースではなく、音楽コースにいたかもしれない。

それでも、結局こういう呑気なところは自己を構成している大きな一要素なので、音楽コースは難しいと思った。とにかく、この先も呑気に音楽を続けていくので、やめることはないだろう。やめるときがあれば、真剣になってしまったときだ。



(最後まで読んでくれて、或いは途中まで読んでくれてありがとう。人の目に入ることを想定していない長さでダラダラと書いてしまった。最初の話絶対いらないし。今後しばらくはいかに短くするかに気をつかいたい。)

7/18/2024, 3:57:06 AM

夏休み
学校プールに
通い詰め

母らの協力
遠い日の記憶

夏花

7/18/2024, 3:53:03 AM

『遠い日の記憶』

「あの頃はさ〜……」と語りだす、先輩の遠い日の記憶。

やりがいを感じたのは、入社してからいつまでですか。

7/18/2024, 3:51:46 AM

お題『遠い日の記憶』

 学校に友達はひとりもいなかったけど、プールの時間はなぜだか楽しかった。冷たい水のなかに体を沈めて泳ぐのが気持ちいいし、うちの小学校には段位制度があってそれを一つずつこなしていくのがなんだか楽しかったのを覚えている。
 運動神経は悪かったが、水泳を習わされていたからカナヅチではない。だから、体育の成績がいつもビリの私でも水泳だけは「クロールができる」、「平泳ぎができる」というだけで段位が上がっていったのが自信につながったのを覚えている。
 今や小学校の頃なんて遠い昔の話だ。今じゃあの頃よりも夏がずっと暑くて、きっと外じゃ授業が受けられないんだろうなと思う。
 最近、海外旅行へ行ってホテルのプールで泳いでめちゃくちゃ気持ちが良かったのを受けて、ふと昔のことを思い出しただけの話である。

7/18/2024, 3:51:36 AM

届けたいの
ここではないどこかへ
あの遥かな青へ
時をかけて翔んでゆけ
どこかも分からずそこへゆきたいと
届けたいの
あの憧れの青へ



遠くの空へ (4/12お題)

7/18/2024, 3:44:05 AM

この喫茶店に日曜日の朝に来て3回目のことだった。
3回とも同じソファ席に通されると、水の入ったグラスが2つ置かれた。
「私1人だけですけど?」ときくと、「先日お見えになった時も最初の時も、お客様はメニューを逆さまにして、どなたかにお見せになっていらっしゃるようでしたので、大切なお連れ様かと。」と女主人は言った。よく見ているものだ。

「ごめんなさいね。変でしょ?生前の主人と、こうして日曜の朝にコーヒーを一緒に飲んでいて。つい、どれにする?ってききたくなってしまって。」
「そうでしたか。」
「あの人とはお見合でね。それが…フフ」
私は遠い日を思い出し笑ってしまった。
「あの人、出されたアイスコーヒーに、ガムシロップじゃなくて角砂糖を5個も入れちゃってね」
「え?角砂糖?5個も?溶けなかったでしょう?」「そうなのストローで突き刺して崩そうとして。そしたらコーヒーがあちらこちらにはねてしまってテーブルがコーヒーだらけ。私、可笑しくって大笑いしてしまったの。そしたらあの人私をみて、そんなにケラケラと明るく笑う人なら家庭も明るくなるだろうって言ってね、お見合いが進められることになったのよ。あ、ごめんなさい、他人の昔話につきあわせちゃって。」
彼女は気にするなというように「ではモーニングとコーヒーでよろしいですか?」と私にきいた。
「お願いします。」私が言うと、彼女はカウンターの中へ戻っていった。

しばらくして私のモーニングセットとともに、アイスコーヒーが1つテーブルに置かれた。
私が彼女を見上げると、「お連れ様にもぜひ。恐れ入りますが、よろしければガムシロップをお使いいただけますよう、お伝え願えますか?」そう言って優しい笑顔を残し、他の客の元へと向かっていった。




お題「遠い日の記憶」

7/18/2024, 3:43:44 AM

遠い日の記憶





あなたは私なのに、私は私を忘れた。

どんなに心折れても、私という糸が切れたわけではない。

ブチッと切れた糸を修復するのは、正直困難な作業。

細かく編み込んでいるから…神経質になる。

それでも生きている。生きているよ。

呼吸をしているから。

空を見上げているよ。

7/18/2024, 3:42:34 AM

創作「遠い日の記憶」

自分だけが覚えていて、周りの人が覚えていない。
あるいは周りの人だけが覚えていて、自分だけが覚えていない。

そういった記憶は、果たして「本当の記憶」と言えるのだろうか。

あれはまだ、僕が小学生の頃だった。僕には夏にだけ現れるお友だちがいた。華奢な体に顎の辺りで切り揃えられた黒髪。同い年ぐらいで、背丈も同じ。いつも花の模様のワンピースを着ていて、笑うと消えてしまいそうな儚い印象を抱かせる少女。

名前はもう覚えていない。だが両親が言うには、夏になると僕は、ことあるごとにその少女の名前を口にしていたらしい。

「○○ちゃんと遊んでくる!」

そう言って山や海へ駆けて行ったそうだ。そして、どのような子なのか気になった両親がいくら会わせて欲しいと頼んでも、僕は決してその少女を家には連れて来ることはなかったようだ。

連休のある日、実家のタンスの中から見覚えの無い写真が一枚出てきた。日付は僕が小学生だった頃の夏休みだ。そこには、例のお友だちと僕が玄関前に一緒に並んで微笑んでいる姿が映っていた。

この写真は何だと、両親に尋ねると小学校の夏休みの終わりに一緒に撮ったよと、さも当たり前かのように言うのだった。

そして写真の裏には、母親の字で少女の名前と僕の名前が書き込んであった。

「○○ちゃん……」

何年ぶりかに呼んだ名前は、不思議と僕の口に馴染んでいた。だが、この写真を撮った記憶はいくら思い出そうとしても、切れ端すら出て来なかった。

夏にだけ現れるお友だち。彼女が本当に存在したのかどうか、僕も両親もよく覚えていない。もしかすると、僕も両親もこの一枚の写真によって記憶を改変されているのかもしれない。

(終)

7/18/2024, 3:41:37 AM

げにげに のポッドキャストを聞いて 遠い日の記憶を呼び起こされた。私のカンカン缶缶 実家の引き出し 手紙のやり取り 美しい紙 文字自分の苦手な部分

7/18/2024, 3:36:50 AM

『遠い日の記憶』

まだ、微かに残っている、記憶。
もう数十年も昔のことだけれど、
映像として、記憶している、
あの頃の話。

微笑みながら、私の頭を撫でる母。
喜びながら、私の脇を掴んで、持ち上げる父。
時間をかけて作られた、祖母のあたたかい料理。
眼鏡の奥で微笑む、祖父の瞳。
お姉ちゃん、と見上げる弟のまるい顔。

もう、詳しいことは、覚えていないけれど
昔の記憶が、此処に訪れるたびに、蘇る。
もう、あの人たちとは、会えない。
数十年も昔のことだけれど、
映像として、記憶している、
命の灯火が、消えた瞬間。

そして私だけが、生き残った。
生き残ってしまった。
それだけが、遠い日の記憶。
もう、ほとんど残っていない
微かな記憶。

7/18/2024, 3:22:24 AM

幼い頃の、遠い記憶
流行りのゲームを持っていた私は、家に友達を呼んで遊んでいた時代があった
とある大乱闘や、名作RPG
携帯ゲームではモンスターを集めて楽しんでいた

友達は呼ばなくなっちゃったけど、それらのゲームは未だ輝きを失わず君臨している
だからなのか、そのゲームを見ると懐旧の思いに駆られるのだ

7/18/2024, 3:18:28 AM

【遠い日の記憶】

僕は「怪物」だ。
正確には「不老不死の呪いを掛けられたニンゲン」だった者。

20代前半で身体の成長は止まり、数百年経った今でもニンゲンだった頃のように若々しいまま。

子供の頃はアニメや漫画に出てくる不老不死系の強キャラに憧れて自分もなりたいと強く願っていたが、実際になってみると「寿命」というものが恋しくなった。
限られた時間の中で足掻く人生ほど輝いているものはないのだと理解させられた。

出会いがあれば、いつか必ず別れが来る。
ニンゲンだった頃の知り合いは勿論、怪物になった後に知り合った者たちも皆して僕を置いて居なくなった。
僕はいつだって「見送る側」なのだ。
どんなに死にたくても死ねない。
一生孤独に耐え続けなければいけない。
僕が憧れていたキャラたちもこんな気持ちだったのだろうか。

「不老不死」という名の呪いの解呪方法はまだ見つかっていない。
そりゃそうだ、未だに前例を見つけられていないのだから。
僕以外の元ニンゲンの不老不死の怪物と会えればまた違うのだろうけど、数百年経ってもまだ1人も見つけられてないんだから居ない気がする。

「あんなことしなければ良かった」

僕はあの日のことをずっと後悔している。
僕が願わなければこんな思いをすることは無かった。
今日も「怪物」は馬鹿なニンゲンだった頃の、遠い日の記憶を夢見る。

7/18/2024, 3:09:39 AM

少しでも涼を求め外に出る

漆黒の空に浮かぶ月と星

もっと沢山の星が瞬いていたはずと

何時のものか誰のものか

何処のものかわからない

星の海の映像が思い浮かぶ

そもそも今見える星の光も

遠い遠い過去の記憶

悠久の刻を超えて

星が視せてくれた記憶かもしれない





「遠い日の記憶」

7/18/2024, 3:06:57 AM

【遠い日の記憶】

クローバーでいっぱいの細道を抜けると沢山の立派な紅葉の木に、柿色の葉が満開に広がる校庭。
気づけば心地よく風を切って走っていた。
肌に触れる風は涼しげでありながら、心の中はとても温かだった。
脚が前へ前へと先陣を切る。
不意にハッとして、人目を気にした。
でもあたりには誰もいない誰も見ていない。そう思った。いや、そう思うことにした。と言った方がいいのだろうか。
とても軽く、早く、走れる。
自分の体じゃ無いみたいだ。
体が動く動く。とても、とても。
息も乱れず、楽しく走る。
自然と顔に満開の笑顔が出来上がる。
咲き誇る暖色の紅葉が目に優しく、なんだか私を歓迎してくれているようで、居心地が良い。
走る先には、太陽がいた。紅葉の木から日差しがちらちら覗いている、木漏れ日だ。
真っ直ぐ行けば花壇にぶつかる。でも止まりたくない。—止まるわけないっしょ!!
心地よく走り続け、花壇をひょいっと一っ飛びで飛び越え、日に包み込まれた—
目が覚めた。
珍しく何年振りかにいい夢を見た。
悪夢をみない日なんて、ごく稀で。
いい夢なんて奇跡に値するもので。
リアルな感覚だった。気持ちが良かった。人生で一番心地良い瞬間だったと言えるだろう。

7/18/2024, 3:06:08 AM

会社の休憩時間、何気なくトゥイッターを見ていたら友人の投稿に「いいね」がいつもより多めについていた。
へぇ、と思いながら内容を確認すると、小さな生命たちが保護田さんに纏わりついていた。

(あ、ほごたさん…)
保護田さんは横に伸びる形で横たわっていて、蠢く生命たちはその腹にうずくまる形で並んでいる。
友人の投稿文は『子猫、産まれました!』と書かれていた。


『わぁぁぁ!やったじゃん!』
私は咄嗟に歓喜の声をあげ、同時にいいねを押していた。保護田さん…がんばったのね。
安堵の中、友人にLINEをする。
すると、早くも『今度の週末見に来なよ!』というお誘いが来た。


週末になり、私は友人宅にお邪魔した。
保護田さんは私が唯一、触れる猫だ。
手洗った?触った後も、手を洗ってね。
友人は、気を遣ってそう言ってくれる。


部屋の中に通されると隅に置かれた囲いの中に、保護田さんはいた。トゥイッターに投稿された時の写真と同じ態勢だった。保護田さんは私を見ると、「にゃ」と一声鳴いた。

「保護田さぁん!頑張ったねぇ〜」

私は体に触れずに声だけを掛ける。
母体の周りには小さな保護田さん似のJr.保護田さんがミィ、ミィとしきりに鳴いて存在をアピールしていた。

保護田さんは、薄い虎柄の茶トラ猫だ。
猫のことはよくわからないが、友人曰く、茶トラとは本来オスが生まれる傾向にあるとかで、メスの茶トラは珍しいのだとか。なんとか。


ーー触っても、いいのかぃ?
友人を横に、保護田さんにも語りかけるように言うと、友人からは「いいよぉ」という返事と、保護田さんも気にしない風な顔をしたので、私は、「じゃ、失敬」と一声かけながら、そっと保護田さんの背に触れた。
いくら慣れているからといっても、今は少しだけ過敏になっているかもしれないし、、、と思いつつ、撫でながら背から徐々に喉の位置に持っていく。


保護田さんは、私の手を快く迎え入れてくれた。自らに、頭をスリスリして挨拶してくれる。
(くうぅっ…!)
可愛い奴め…!昔はあんなに小さかった保護田さんも、今や立派なお母さん猫かぁぁ。


保護田さんは名前の通り、保護猫である。
だが、保護田さんとはまた別にちゃんとした名前があるのだが、私が勝手にそう呼んでいるのだ。


***
『…吾輩は、猫である。』
そう言って友人が私の前で両手を突き出した。
…は?
私は怪訝そうに聞き返す。
友人は、ニヤリと笑うと両手で覆った掌の中を私に見せた。

…はっ?!!!え????

『名前はまだ、ない。』

いやいや、何だこれ!ちっさッッ!え、え、え、?
どゆこと?どこで…

『拾った!』

いやいやいや、拾ったって…!
そんなにあっけらんかんと言うなよッッ!!
『飼うっ!』

え、え、え、あんたが????!

***

…と言うことで、今現在に至る。。。


しっかし、時が経つのは本当に早いものだ。
あの時の友人の即決力は、実際に大したものだったのだ。
ずぼらな性格の友人だが、まさかこんな才能があったとはまさに正直、驚き桃の木樹木希林だった。


ーー何?褒めてんの?
嬉しそうに友人は笑った。
うーん、別に褒めてやらないことはないけど…。と私が言うと、「そっかぁ、嬉しいなぁ」と何処までもポジティブシンキングな奴だった。そんな性格が感染った(うつった)のかもしれない。
保護田さんも人懐っこく、たいていのことでは驚かない猫になっていた。おおらかさと毛並みの上品さから、周りのオスネコからの目線もきっと美人に写っていたに違いない。友人曰く、野良猫が庭に、遊びと言う名のナンパしによく来ていたようだ。


『で、肝心のお相手は?』

私は保護田さんの久しぶりの毛並みに癒されながら聞くと、友人は首を傾げた。

うーん、どうだったかなぁ…。
友人は私を見ることなく、語尾を濁らせた。
「…ちょっと?ねぇ、私の目を見て言いなよ。この菩薩ような目を…!」私は友人に詰め寄ったが、うーん…とか、はーん…とか唸って、私の菩薩のような目にも目配せしながら、ずっと返事をはぐらかしていた。


…結局、旦那になる猫は未だ、謎のままだ。

でもその証拠なのか、保護田さんの毛色からでは産まれないであろう黒毛色が1匹、、、今私の左腕に巻きついている。そう、今日の朝、私の左腕に巻きついて離れようとしなかった黒トラJr.である。
この子もまた、唯一私が触れる猫である。


如何してこの黒トラが私の家に来たのか、
如何して私が唯一触れる猫なのか、、、
それは話はまた別の機会に。。




お題: 遠い日の記憶

7/18/2024, 2:53:44 AM

戻れないのは
できないことへの恐怖だと思っていた

逃げたいのは
落ちることへの恐怖だと思っていた

でもはたと気づく
それほどの恐怖が潜んでいたか?と

戻れない場所へは
大した恐怖を抱いていない
むしろ好奇心が満たされる場所でもある

逃げたいことへも
大した恐怖は抱いてなかった
正直、屁の河童だ

では何が恐い?

…地獄へ引き戻されることが最も恐い

恫喝され
まだ生きていることを非難され
死ななければいけない人間だと思い込まされ
この世のすべての責任は自分にあり
己は死刑囚だと…

誰にされるでもない
すべて自分からされる
目が覚めてから寝るまで
耳を塞ごうが頭の中で響く
「違う!」と叫んでいた声までもが
最後は裏切り己を壊す

正義感や責任感が強いほど
深く己を傷つける

私にとって最も死に近く
死と隣り合わせだった地獄の1年
あの地獄がまた来ることが
私は本当に恐ろしい

7/18/2024, 2:46:36 AM

遠い日の記憶が蘇る。


弟と2人手を繋いで家に帰っていた時の記憶。その日もいつも通りの帰り道だと思ってた。弟とと一緒に近所の公園に行って俺の友達と弟の友達と皆でサッカーして雑談して5時のアナウンスが鳴ったから帰ろっかってなって...
弟と2人、帰り道に今日の夜ご飯何だろうねって話して、ハンバーグがいいとか唐揚げがいいとかキャッキャしながら帰っていた時。
目の前の交差点でおばあちゃんが横断歩道を渡ってる時、赤信号にも関わらずスピードを落とさずこちらに向かってくるトラックが見えた。ここからおばあちゃんの所までは30mはある。叫んでも多分聞こえない。かと言って走っても恐らく間に合わない。どうするべきか、そんな事をぐるぐる考えていると...弟が走り出していた。危ない...早く行かなきゃいけないのに、そう思う様に足が動かない。やっとの思いで走り出し、追いついた。そう思った時には遅かった。
俺が追いつくよりもトラックが弟達に到達する方が早かった。
弟はおばあちゃんを突き飛ばしてトラックに轢かれた。
目の前で血飛沫が舞った。
弟の四肢はあらぬ方向に曲がり、辺りは血の匂いで満ちている。胃液が込み上げて咄嗟に口を抑える。おばあちゃんは目立った傷は無いものの、恐らく打撲、酷くて骨が折れているだろう。
俺は震える手でスマホを取り出し、119番にかけた。身体が勝手に動いていた。頭は真っ白だった。理解が追いつかなかった。ハッと気がづくと目の前には救急隊員がいた。既に救急車は到着していて弟の身内かと聞かれた。俺は首を縦に振って救急車に乗り込んだ。
病院にて治療に当たった医者の帰りを待つ間に俺は両親に連絡した。弟が跳ねられた、と。両親は飛んで病院に来て俺を抱きしめた。どこも怪我してないか、って。怪我なんかしてないよ、だって俺...
そんな思考を掻き消すように医者の声が響いた。手は尽くしたがついさっき亡くなったそうだ。両親は崩れ落ちた。俺は静かに泣いていた。まだ頭が混乱していた。
俺があの時止めていれば、いやまずまず俺が先に走り出していれば弟は轢かれずに済んだ。なんであいつが死んで俺が生きてる?なんで?なんで?なんで!俺が......



今日はあいつの命日。俺はあいつの墓の前に立ち涼しい風に吹かれ、そんな事を思い出していた。遠い日の記憶。

7/18/2024, 2:43:08 AM

遠い日の記憶

たまに ふと、あの日が蘇る
あの日が蘇る
私の世界は窓からの景色で終わっていた。
いつもと変わらぬあの景色
傍から見ればその景色も綺麗と思えただろう。
だが、今はその景色でさえも心を締め付ける。
あの日を境に私は変わってしまったのだ。
別に戻りたいわけでもなく、むしろ消してしまいたい

遠い日の記憶

         『さようなら』

   過去の自分に告げる日は訪れるのだろうか
                        ❧

7/18/2024, 2:39:16 AM

『遠い日の記憶』

街の喧騒、コンクリートが敷き詰められ、背の高いビルディングが立ち並ぶ。人、パトカーのサイレン、ヒト、車、そして人。少しだけ息がしづらい。

私の記憶は、酷く静かなものだ。
それはまるで、広い平野の畦道で遠くに聳える山を眺むような、葉の擦れる音が空に舞うような、白い軌跡を残す飛行機の音が何処からか聞こえてくるような、そんな感じだ。
記憶の中の時間は緩やかで、今よりも少し周りが綺麗に見えていた。
色で例えるならなんだろう...青いかもしれない。青春の青さとは少し違った青。なんとなく白や緑な感じもする。毎日風を感じていた。嗚呼、"爽やか"なのかもしれない。
あの時は、私の瞳まで青く染まっていたような気がする。
...戻りたい、戻らせてちょうだい。そう願ってしまう。

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