乱雑無章

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2. 遠い日の記憶

まだ18年しか生きていないのでこのお題は難しい。それに、何かフックがないと思い出せない。昨日はツーマンライブに行った。そこから広げてみようと思う。

そのツーマンの片方は、2年前の梅雨、自分が初めてライブ会場に足を運ぶ目的になったアーティストだ。

幸運にも小雨程度で済んだその日の会場はZepp羽田で、とにかく大きかった。眼鏡越しで見ても米粒のように小さい演者。広くて天井も高い会場に音が反響していて、ライブってこんな感じなんだなと思った。そして、3年間スマホで聴いていた演奏を生で聴けた喜びに浸っていた。


やはり、これは遠い日の記憶とまではいかないか。では、音楽に触れたいと思うようになったのはいつだろうか。

4歳の頃ピアノを習い始めたのは自分から言い出したからなのか思い出せない。少なくとも、小4で辞めたときは親の意思で辞めたけれども。

その小4の頃入った合唱団は自分の希望によるものだった。だから意欲が湧いたのはその前だと思う。きっと小学校の行事だろうな。小学校では隔年で音楽会が開かれていた。2年生のとき合唱団の演奏を聴いたのがきっかけな気がしてきた。

それから、集団で演奏することを楽しんでいた。団員は150人程いてその上二部合唱だったから、1つのパートに70人位はいた。だから、いつものようにみんなに頼れないソロパートは酷く緊張していたのだろう、本番の記憶が一つもない。

中学に上がって吹奏楽部に入った。それまでずっと水槽学部だと思っていた。とにかく低音パートをやりたかったのでチューバに入った。部員は80人いたが、合唱とは一転して同じパートには3-5人しかいなかった。でも、少人数で一つのことをやるのが楽しかった。何よりベースという役割がやりがいに溢れていた。

高校では少人数(過疎)オーケストラの部に所属して、チューバを続けつつ、それだけでは暇な曲が多いのでフレンチホルンを始めることになった。そこでは、チューバはもちろん一人だし、ホルンも1st 2nd...と一人ずつ分かれていた。今までのようなパート仲間はいなくて辛かった反面、自分しかいないから上手くいけば分かりやすく評価してもらえることもある。正直趣味に評価とかいらないけど。

こうして振り返ると、幼い頃の自分は「みんな」でやることを楽しんでいたし、「みんな」を当てにしすぎていたと思う。けれど、それも分解すれば沢山の個人に過ぎない。責任感というものをもっと早くから持っていれば、今頃文系コースではなく、音楽コースにいたかもしれない。

それでも、結局こういう呑気なところは自己を構成している大きな一要素なので、音楽コースは難しいと思った。とにかく、この先も呑気に音楽を続けていくので、やめることはないだろう。やめるときがあれば、真剣になってしまったときだ。



(最後まで読んでくれて、或いは途中まで読んでくれてありがとう。人の目に入ることを想定していない長さでダラダラと書いてしまった。最初の話絶対いらないし。今後しばらくはいかに短くするかに気をつかいたい。)

7/18/2024, 3:57:43 AM