30. 宝物
何をしたところで、どんな言葉で答えたところで、完全に応えることなどできない。救えない。できると言えばただの傲慢だ。分かっていた。
「姿や形あるものは必ず終わりを迎える。だからお前は気兼ねなく生きろ。任せたからな、」
だから勘違いしてはならない。前のように軽口叩きながら、飯は美味そうに食って、行きたいところへ行けば良い。分かっているのに。
俺はあの日に固執してしまう。
29. キャンドル
『火災保険入ってなかったな』
万が一を考えては見たものの、ライターへ伸びる手には関係がなかった。生まれたばかりの不規則な輝きがしどろな部屋に乱反射して、みな等しく赤橙色に染められている。一般的なものより柔らかい蝋は既に強烈なアロマを放ち始めていた。木軸が立てる音に耳を傾けているうちに呼吸の律動が大きく広がり、身体だけが深く沈んでいく。閉め切った窓は冷たく乾いた外気の侵入を許さない。しかし立ち上がろうと思っても今更、意識は甘い空中に発とうとしている。1時間だけ。達成する気のない目標を掲げて意識を手放した。
28. はなればなれ
今日―もう昨日だけど―聞いた話、あと14日しか授業がないらしい。学校の授業は好きだから三学期に授業がないのはつまらない。特に世界史、古典、現代文、政治経済は楽しいのに。何より周りの人たちと会えないのが残念。ちゃんと友達という訳ではない人でも、クラスメイトや同じコースの人とか同じ授業を取っている人とかにはどこか仲間意識を感じていたし、居心地が良かった。先生とかと話すこともなくなるのだって寂しくないこともない。弁当の日は60分と長い昼休みを食っ喋って過ごすのも好きな時間だった。委員会も本当に楽しかったな。入学当初は土曜日もあることを嘆いていたものの、今思えば皆で過ごせる日が増えて良かったと思う。まだまだここに居たい、もはや一回入学し直したい。
14日と書いていて気づいてしまったが期末テストが着実に迫っている……
27. 秋風
服の中 身に染みて清冽 紅鏡から来た風
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秋風のお題を見たら、中学生のとき書いたものを思い出した。
赤い陽から服の内側我が身に染みる高西風
10月17日に書いたらしい。当時は気に入っていたが今見返すと酷い。というのも、高西風は住んでいる地域では吹かないのだ。西という方角の都合良さと知らない言葉を使って格好つけたいという気持ちから無理やり使った。それが中学生という生き物だ。
こいつをメモから引っ張り出してくるときに気づいたことがある。
(自分は)精神的なストレスが掛からないとアウトプットしない。
過去のメモを遡ると、恥ずかしい文面が色々並んでいた。今日引いたものは運良くマシなものだったが、黒歴史すぎるものもあった。とにかく、当時は詩に満たない何かを時々書いていた。誰に見せるでもなく、スマホのメモアプリに。見方次第では狂っている。
しかし、高校の入学式の数日前を最後にそういうものは書かなくなっていた。止めようと思っていたのではなくて、気づいたらそれきりだった。
高校生活が、体力面はさておき精神的に辛すぎないものだったのならば素晴らしいことだと思う。それでも、せっかく拙いなりに色々書いていたのが途切れていたのでは勿体ない。
と言うわけで、
赤い陽から服の内側我が身に染みる高西風
こいつをリメイクしてみたのが冒頭のやつ。↓(さっきから呼び方に困っているが、俳句でも詩でもないこれは何なんだ?)
服の中 身に染みて清冽 紅鏡から来た風
これも来年には黒歴史なんだろうけど、久しぶりだから書いていて楽しかった。赤い陽は紅鏡にした。赤の意味を残してやったのは、元の方は赤い車の中で書き起こしていたから。
その車は赤のAudiで、今年買い替えてしまって今はもう乗れない。その車が好きだった。2歳のときに買ったらしいが、当時の記憶はない。最初の記憶は3歳の頃祖父母のもとに半年ほど預けられていたときに見た姿だ。クリスマスの時期に父が欲しかったDVDを渡しに来てくれた。父が帰りを見送ったときの車は赤く、まだ新しくてピカピカしていた。その後もあの車で色々な場所に行った。15年経って今の車に変わっても、赤い車のことは気に入っている。
そういうこともあって、赤には少し特別感があるので残した。紅の字に変えたのも、あの車の色味からしてしっくりくるから問題ない。
長くなってしまって何を書いていたのか分からなくなってきたのでそろそろ終わり。来年も書き直そうかな。
25. スリル
指揮台と舞台の縁の間を通るとき、毎回落ちるんじゃないかと思う