乱雑無章

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9/11/2024, 4:42:15 PM

15. カレンダー

カレンダーというと、紙を毎月やら毎日やら捲るタイプよりもスマホアプリのほうが馴染み深い。

しかし母は紙のカレンダーのが勝手が良いようだ。時代というよりは結局人によるのだろうか、或いはフリック入力をしないため入力が面倒に感じるのか。

分からないが、一つの物を一年間使い続けるのは少し憧れる部分がある。自分は物を大切にできないことが多い。大抵の場合は失くしたり、破れたり、途中で投げ出したりしてしまう。

カレンダーのアプリですら途中で諦めてしまうこともよくあったが、幸いにも性に合うアプリに出会ってからは一年ちょっとの間続いている。

カレンダー以外のアプリでは今でもインストールとアンインストールをよく繰り返してしまう。他にも、今までの記録をアカウントごと消去することが癖になってしまっている。

そういう者からすれば、ボタン一つでやり直せるアプリとは違う紙のカレンダーは一種の憧れであり、持ち主の堅実さの表れとして受け取れる。

9/3/2024, 8:24:53 AM

14. 心の灯火

自分用。まあこのアプリ使うときはすべて自分のために書いてるから今更か。

妹など家族
まず妹がいなければ何も始まらない。親よりも話題が近くてノリも共有している。自分の何倍も料理が上手い。
親にも感謝している。時々母が作ってくれた料理を食べることがあるがやはり心に染みる。父がいなければ食べるものも買えない。仕事のこと以外にも歴史とかスポーツとか色々面白い話をしてくれる。

学校の友達
夏休み明けの友達ってもう神々しい。生きててありがとうって感じ。結局雑談が一番楽しい。

学校授業
何だかんだ授業は楽しい。夏休みは授業もなくてつまらなかった。

オプチャ友達
リアルでは言いづらいことも言える。自分という属性から少し離れて発言できる。

部活の後輩たち
早く部活復帰したい!またご飯行きたい!一緒に演奏したい!!!

音楽
たまたま流れてきたが好きな曲だったりするからジャンルとかはわからないが音楽なしでは生きていけない。スマホに感謝。ネット・サブスクに感謝。
今まさに流しているのはフンテク編曲版の展覧会の絵。3年前に見つけてからちょくちょく聴いてる。
他に最近異常に聴いているのは君の窓辺から/theトラウツ、ペンギンステップ/ひらうみ。
継続的に聴いているのは小林私、歴史は踊る、レトロリロン、才能。
時々無性に聞きたくなるのは交響曲第2番/シベリウス、グッド・バイ・マイ・ラブ/アン・ルイス、命ばっかり/ぬゆり、シェイクスパイ/アルカラ。

ECCの友達
何だかんだ長いこと一緒。何とも言えない距離感だが長すぎてお互い落ち着いてる。

小さかった頃の自分
お前のおかげで今生きてる。お前の気持ちを裏切らないようにね。

これだけ灯火書けば心の中眩しいくらいだろ。

8/29/2024, 3:49:24 PM

14. 言葉はいらない、ただ・・・

言葉はいるだろう、なかったら何も言えないどころか何もわからないのにと思った。それから言葉って何?と気になって調べた。定義は難しそうだったが、面白いことがわかった。正しいかどうかは別として話半分で聞いてほしい。

「ことば」の語源は「言」「端」らしい。
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もともと言(こと)が現在の「ことば」と同じ意味を持っていて、古語の「ことば」は口先だけの表現、言語のはしくれ、という意味合いで使われていた。
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つまり、「言葉はいらない」と言うとき、割と古風な意味合いで「言葉」を使っていそうだ。

となれば、「言葉がいらない」場面は多そうだ。口先で言うよりも心から思えとか、行動で示せとか。
何となく謝罪、クレーム対応、恋愛の3つが浮かんだ。
はじめの2つはどちらも相手から責め立てられている点で似ている。
ただ最後のは責められているとは……そういう場面でもあるかもしれない。しかし余裕のある状況でも言えそうな台詞だ。

3つの共通点を挙げるなら、まだ相手に満足していないということか。やはり人は不満があると声ががデカくなってしまいそうだ。

8/26/2024, 3:09:18 PM

13. 私の日記帳

何かしらの取り組みを継続するのが苦手だ。日記もそうだし、勿論このアプリも。

しかし、このお題のおかげで思い出した。今日は日記を書かなくてはならない。特別なことがあったときだけ書けばいいルールで辛うじて付け続けている日記のアプリがあった。

今日は指定校推薦の校内選考合格日だ。

8/17/2024, 5:01:53 PM

12. いつまでも捨てられないもの

捨てる捨てないの基準は難しい。

過去一年間使わなかったものは捨てると決めたとする。それでもやはり捨てたくないものがゴミの山に見えていたものからちょくちょく顔を出す。

ここで例外を与えるとルールを作った意味がなくなる。しかしここで捨てたらこれを見て想起する人や風景ごと捨ててしまう気がする。思い出すことがなくなってしまうのが怖い。

これを見る機会は二、三年の周期程しかないのだから捨てても同じだという声が聞こえる。すると今度はたったそれだけでも定期的に思い出してきたのは事実だと言う反論が聞こえる。

書いていて気づいたが、まるで人生の一部を失うみたいな気持ちになってしまうのだろう。今までのことを(悪い記憶は除いても)なるだけ覚えておきたいという傲慢が根底にある。

もう一人は訴える。覚えていて何になるのかと。今実際何かになっているのか。その確かめようがないから困ってしまう。それは自分を形作ることに参加しているような気もするが、無くなったとして自分が崩壊するとも感じられない。

単に「これからこちらを失いますよ」とわざわざ注目するから惜しく思えるだけなのかもしれない。知らない内に捨てられていたとして、気付ける自信はないが気付いたら寂しくなる都合の良さは不相変なのだ。

物を手放すときが来るとしたら、恐怖や傲慢、都合が良いだけの自分自身の問題とケリをつけたときになりそうだ。皆さんはどう乗り越えているのだろう。気になるが、結局自分で辿り着かないと納得できない性分だ。全く面倒臭いな。

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