『脳裏』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
世界が、真っ白になった。
先程まで繋がっていた頭と体が別々の所にあるのを、転がっている目玉から見ていた。
呆気ないものだ。
今の僕は……一種の幽体離脱的な感じなのだろうか。
化け物によって赤く散った自分の姿を、達観したような気で見守る。
――こんな冷静でいられるのは、君がらしくなく取り乱してるからだよ。
転がった僕の頭を抱えて、泣き叫んでいる少年。
いつもはもっと冷静沈着で、毒舌で、リアリストの癖にさ。
僕を殺した化け物は僕だけで満足する訳はなく、彼にも咆哮を浴びせる。
――危ないっ!!!
彼はそれを素早く避けると、先程まででは考えられないほどの殺意を込めて化け物に攻撃した。
その瞳には底知れない憎悪と怒りが宿っていた。
――余計な心配かあ……
まあひとまず、彼が無事でよかった。
この調子なら僕がいなくてもなんとか生き残ることができるだろう。
――さてと、僕も成仏しないとね。
どうやって成仏するんだろう。
この世に未練なんてないから、するなら早くしたいものだ。
――このままここに留まってたら、君のことが心配で憑いちゃいそうだし(笑)。
脳裏に今までの記憶が通っていく。
思えば、僕の人生は結構恵まれていたんだなあ。
沢山の人を救って、感謝されて。
家族や友達や仲間がすぐそこにいて。
傷つけることだってあったけど、それでも。
うん。総合的にみたらめっちゃいい生涯だね。
「お前の意思は必ず引き継ぐ。約束だ、司」
――頼んだよ、五日君。
覚悟の決まった五日君に安堵する。
バイバイ、世界。
また、会えたら会おうね。
『走馬灯の終わり』
「脳裏」
いつになれば
全てが終わるだろう
いつになれば
私は変わるだろう
こんなにも
辛い思いをするならば
手放してしまいたいと
何度も思う
僕は私は
なぜここに居るのだろう
目を閉じ
耳を塞いで
それでも見える風景は
脳裏
君の記憶の中で深いものはなんだろうか。
私はあの人との記憶である。毎晩目を瞑る度に貴方が浮かぶのだ。もう現れてはくれない貴方が浮かぶのだ。どうして。
はやく思い出になってくれ給へ。
テーマ 脳裏
真っ先に
脳裏に浮かんだのは
きみが全力で笑った顔だった
いつも一生懸命で
いつも明るくて
いつもみんなを元気にしてくれる
そんなきみが
ぼくはやっぱり大好きで
周りのために頑張ってるキミは
本当にすごいと思う
でもそんなきみが
最初に泣いたあの日。
「私は世界一幸せです」と
言った時の声が震えていたのを
今でも鮮明に思い出す
その時改めて
ぼくはこの人を
これからも一生推していこうと
決めたんだ
月が煌々と輝いている。
青白い光が懐かしい。
蹴飛ばした石が転がって、足はその後をそっとなぞって歩いていた。
夜はいい。
賑やかで、あちらこちらに生命が溢れるこの星でも、この時間帯だけは、静かで大人しくて、穏やかだ。
心から落ち着く時間だ。
この星の動物の脳裏は、まあまあの過ごし心地だ。
特にこの動物の脳は、ずっしりと重くて豊かだ。
この星のこの動物の脳裏なら、背景や思い出や景色を焼き付けて、保存することさえ出来た。
住み心地は抜群だ。
私たちは、もともとは月の衛星に住んでいた生き物だった。
しかし、この星はもう無くなった。
遠い、向こうの空から、燃え上がったどこかの星のかけらが、衝突したからだ。
かなりでかい星のかけらだった。
この星のかけらによって、私たちの星は瞬く間に砕き去るのは間違いないだろう。
そして、そのカケラが、月に大きなクレーターを残すだろうことは、私たちの中で、もはや疑いようのないことだった。
私たちには、別の棲家が必要だった。
他の星で生きていく術が必要だった。
そこで、私たちは最寄りの星に目をつけた。
地球。
幸い、私たちの最寄りの星は、宇宙のどこにも増して、生きるのには豊かな星だった。
しかし、私たちは強くなかった。
身体は大きくなく、鉤爪も牙も、武器になるようなものは何も持ち合わせていなかった。
私たちは、結果的に、共感性のみに長けた進化を遂げた種族だった。
太陽の光には、そこまで強くなかったし、他の生物との生存競争には勝てない。
そこで私たちは考えた。
そんな星で、どこへどうやって住みつけば、私たちは生き残れるのか。
ところで、この星には非常に脳が発達した生物がいた。
二本足で、大きな頭を抱えてヨチヨチと歩く、生物だ。
この生物には、隙があった。
彼らには、私たちと同じような共感性が発達しており、想像力が発達しており、私たちが忍び込み、住み込む間隙があった。
私たちは、ヒトの脳裏に棲むことにした。
大成功だった。
この星でどうしてだか、無類の強さを誇り、大量に生きているこの生物たちの脳裏は、私たちにとって、最高の器だった。
彼らは多かれ少なかれ、想像力と共感力を持ち合わせており、その思考は非常に面白く、楽しく、美味しかった。
しかも賢い器は、時にはこちらを認知した。
運が良ければ、彼らとも友人になれたりもした。
そういった賢いヒトの中に住む私たちを、ヒトは、イマジナリーフレンド、と呼んだりした。
私たちが、器にしたヒトに危機を知らせることを、器たちは、虫の知らせと呼んだりした。
私たちが印象深くて記憶した内容を保存し、時たま思い出すことを、器たちは、脳裏に焼き付いた、脳裏に浮かんだ、と呼んだりした。
ヒトとの共存は、楽しい日々だ。
私たちは、ヒトの脳裏に棲みつくようになったのだ。
しかし、時には故郷が懐かしくなることがある。
私たちの本能には、月の向こうの懐かしい昔の棲家が、しっかりと刻まれている。
たとえ、新世代の地球生まれだったとしても。
私たちは脳裏を棲家とし、脳裏で楽しく生きている。
そんな私たちには、あの月の向こうの景色が、脳裏に焼き付いている。
月が煌々と輝いている。
器のヒトの視界越しに見る月は、一層輝いて見える。
脳裏に焼き付いた月の向こうが、私たちの心に浮かぶ。
この星の夜は美しい。
足は依然として前に進んでいた。
視界は、私の気持ちに応えるように、月夜を眩しそうに眺めている。
器の脳裏で幸せを、今までの苦労と、今の楽しさを噛み締める。
月光は冴え冴えと、私たちを見守っていた。
脳裏
脳裏に焼きつく
いくら洗っても取れない
デジタルタトゥーが取れない
顔の見えない人間が自分のアカウントに彫っているのに
痛いのは私の方だ
貴方がそれで満足して上がって
私がそれでくるしんで堕ちたら
差が2つも生まれるじゃないかと
脳裏に浮かんでまた病んだ
【脳裏】
ふとしたとき、脳裏によぎるのは誰の声だったろうか。
お腹が空いたとき、眠たいとき、きれいなものを見たとき、疲れたとき、楽しいとき、失敗したとき。
色々な瞬間の中で誰の声を聞いただろうか。
家族、友人、先生、好きな人、嫌いな人。
どんな人であろうと、その声が聞こえたら自分の選択が正しいか考えるかもしれない。
そこで立ち止まることができたら、もう声は聞こえなくなっているかもしれない。
たった一瞬しか現れないくせに、それだけで思考を奪ってしまうのだから、ほんとうに大したひとだ。
長いです。1,500字超。
──────────────────
【脳裏】
もう、無理だと思った。
剣士の相棒は満身創痍で、私の魔力は枯渇寸前。
どうにか結界を張ったけど、周囲を魔狼の群れに囲まれて身動きが取れなくなってしまった。
「ごめん。あまり長くは持たないと思う」
私が謝罪すると相棒が首を横に振った。
「ううん。私が深追いしすぎたのよ……」
息を殺すようにしていたら、突然、狼たちの視線が警戒するように一方向に向けられた。
なんだ?
唸り声が聞こえた。
巨大な黒いモノが魔狼に喰らいついた。
猫だった。
見上げるほど大きな黒猫が魔狼を蹴散らし、蹂躙していく。
魔獣の仲間割れ?
魔狼の獲物を横取りしようとしているのか。
数体の狼が倒され、残りも逃げて行った。
狼がいなくなって、黒猫だけが残った。
相棒が怯えたように後退る。
私はただ茫然とその黒猫を見上げた。
猫は鮮やかな青い目をしていた。
その目が私たちを見て、すぐに逸らされた。
どういうこと?
せっかく手に入れた獲物に興味がない……?
猫が立ち去ろうとする。
私はほとんど無意識に結界を解除した。
「ちょっと、何を……!?」
相棒が抗議の声を上げた。
私はそれを無視して猫に近付いた。
艷やかな黒と鮮やかな青。
全く同じ色の持ち主の顔が脳裏に浮かんだ。
「ハル。ねぇ、ハルだよね?」
私が声を掛けると、猫は嫌そうな顔をした。
「何言ってるの、そんなわけ……」
相棒が呆れたように言う。
「ハルって。あの落ちこぼれでしょ?」
ハルはパーティも組まずにひとりで活動している冒険者。
いつまでもランクが低いままで、冒険者ギルドのマスターに目を掛けられていなければ、路頭に迷いそうな青年だった。
黒猫は魔法で空中に水球を浮かべると、それに頭を突っ込んだ。
水が濁る。ああ、口をすすいだのか。
魔狼の血が気持ち悪かったようだ。
汚れた水を捨て、黒猫はぶるっと震えた。
青い目が私を見る。
やはりその青はハルの目と同じ色だ。
巨大な猫の体が揺らいだ。
煙のようなものが黒猫を覆う。
「なんでわかったんですか」
煙の中から男性の声がした。
猫がいた場所には、黒髪に青い目をした青年が立っていた。
ハルがため息をついた。
「二人だけで魔狼の巣に近付くなんて」
「……ありがとう、助かった」
回復薬を分けてもらった。
渡されたのは普段私が使っているものよりも効果が高い高級品だった。
この人、落ちこぼれなんかじゃない。
「僕が魔獣に化けるなんてこと、言いふらさないでくださいよ?」
私は「もちろん」と頷いた。
「命の恩人の頼みは守るよ」
「信じますからね」
相棒は魔狼から受けた怪我が原因で僅かに後遺症が残り、引退を決めた。
ひとりになった私はソロではまともに稼げず、すぐには次の仲間が見つからなかった。
数日後、ギルドマスターに呼び出された。
「お前、ハルに気に入られたらしいな?」
「え?」
「怯えた顔をしないのが良いってさ」
ああ。確かにあの黒猫を見たら、普通は怖がるだろうな……
「ハルがお前と組みたがっている」
「組む? 私とパーティを?」
「そうだ」
私は魔法士から従魔術士になった。
従魔の名前はハル。
鮮やかな青い目をした黒猫である。
「ハルはどうして落ちこぼれのふりしてたの」
「人間の姿だと弱いんですよ、僕」
「……そもそも、人間なんだよね?」
「それ、実は自分でもあまり自信なくて」
その後、私はハルのせいで、あれこれと面倒ごとに巻き込まれた。
でも猫の姿のハルが「にゃあん」と鳴いて擦り寄ってくると、つい何でも許してしまう。
体の大きさを変えられるなんて狡い。
柔らかな毛並みに逆らえない。
「君、僕の人間の顔も嫌いじゃないでしょ」
私の顔は真っ赤になった。
猫の魔獣と知人の目の色が同じだと気付くなんて、要はそれだけ見ていたということだ。
「これからもよろしくお願いしますよ、相棒。末永く、ね」
ハルが笑う。
もしかしたら私はとんでもないものに捕まったのかもしれなかった。
私の人生の中で
1番記憶に残っているのは
やっぱり
この左の手首を叩き切ったことだろうか…
それまでは恋人に裏切られた瞬間が
1番記憶に残っていたけど
時間が経った今では
もう小さな出来事でしかない。
だけど
あの時はしんどくて
絶望の中を生きていた。
今思えばあんなこと
よくできたなと思う。
絶望の中を生きていた私は
存在自体が不要だと
恋人に否定された。
生きることが罪に思えたあのとき
私は自分の手首目がけて
包丁を振り下ろした。
空中で当たった腕が
反動で弾き飛ばされる。
手首には紅い一筋の線。
包丁で叩いても叩いても
なかなか血は出なくて
“あぁ、左腕も包丁に向かわせればいいんだ”
そう思って包丁を振り下ろすのと同時に
左腕も吸い寄せられるように
包丁とぶつかり合った瞬間
左手首からは
噴水のように紅い血が噴き出した。
“もう生きなくていいんだ”
“もう何も考えなくていい”
あの時はそんな感情だった。
左手首からは
温かい水に触れているような感覚が伝わってくる。
痛いという感覚はなくて
なんだか熱いような…
手首には力が入らなくて
ダラリとぶら下がっているだけ。
後に知ったけれど
動脈はもちろん
神経も手首の腱も全て切れていたらしい。
手が動かないわけだ。
でも今は
しっかり指も動かせている。
多少しびれは残っているけれど…。
私はこの手首の傷を見るたびに
あの日のことを思い出す。
あの瞬間が
フラッシュバックすることもある。
文字通り
脳裏に焼きついて
一生忘れないと思う。
でも不思議と
後悔はしていない。
あの出来事を経験したから
今の自分があるんだろう。
過去は所詮過去にしか過ぎなくて
今は心穏やかに
幸せに過ごしている。
これからはこの幸せで
過去を上書きできるように
今を生きていく。
#脳裏
月を見た時、思い浮かぶのはムーンストーンの指輪をつけた
月に恋をしている彼だ。
うっとりと恋焦がれる瞳で月を見つめ、口説き、
夜の時間を楽しそうに過ごす。
そんな彼の隣を温かな飲み物を用意して過ごす旅の時間が好きだった。
今の彼は猫のように気まぐれに無邪気に見えて、以前と変わらず月を口説く。
そんな彼を見て、脳裏に浮かぶ以前の落ち着きを纏った人。
彼との旅を終えて100年と少しした再会の時は変わりように驚いたが、核心は変わらずにいる姿にほんのり安堵する。
「外は冷えるよ。ブランケットとホットココアを持ってきたから、彼女を心配させないためにも暖まってくれ。」
言う通りにしてもらうために言い回しを考えて、用意したものを手渡す。その後は彼等の逢瀬を邪魔しないよう、食堂に戻り様子を見るだけ。
この世界では忌み嫌われる月。
されど彼は愛を囁き、僕は他の世界と等しく美しいと思う。
月がこの世界を滅ぼす時、魔法使いとしてここにいる僕は何ができるだろう…なんて考えながらあまりもので作ったウイスキー入りココアを飲む。
“ Eanul nemul ”
イーヌル ネムル
彼等への祝福を込めて魔法を唱える
どうか美しい光が 幸せへと向かえますように
『脳裏』
あの出来事は最悪だった。
友達だと思っていた相手に急に押し倒されて
抵抗も虚しく終わってしまったあの日。
相手からの好意がこれほど
悪い方向に向かうことがあるのかと初めて知った。
それと同時に相手を好きになることは
相手に迷惑をかけることと思うようになってしまった。
好きな人がいてもその好意が
相手を傷つけてしまうんじゃないか。
人を好きになんてなれないし、
なってはいけないとも考えるようになった。
あの日の出来事がどうしても脳裏によぎってしまう。
友人という皮を被った何かの血走った目を。
興奮して手首を強く握られたあの感覚を...
相手にそういうことをしてしまったりされる可能性が
少しでもあるのなら...
私は1人でいい。
語り部シルヴァ
脳裏
君が私の手を引いて階段を登る。
階段の先にとても幸せな何かがあるらしい。
「 」
君が何を言っているのかが聞き取れない。
でも、とても楽しそう。
私も楽しい。
「 」
何を話しているのかは分からない。
階段の先はもうすぐだ。
ゆめだ
違う。
いやだ。
目覚めたくない。
この先に私は行きたい。
君と一緒に階段を登り切りたい。
君はいつの間にか消えて。
階段は存在せず、
いつもの風景だけがそこにあった。
脳裏に焼き付いて離れない
脳は思い出す度に経験しているらしい
良いことを沢山思い出して
脳に経験させてあげてね
良い事を脳裏に焼き付けるんだよ
よく脳裏に浮かぶと言うけどどういう事なのか。忘れられないということなのか?忘れたつもりでも突然浮かぶ思い出や人々のことか?アイデアやキラキラしたひらめきが突然脳裏に浮かぶなら良いことではあるが、過去を遡ると思いついたらすぐ行動に移す自分の行いが良かれと自分のアイデアに酔っていた事が数え切れないが今冷静に思い返せばどれもズレていたような、独りよがりの恥ずかしい痛い事だらけのように思われる。
脳裏
チラリと掠めた考えを
正しく扱えれば
良いのだけれど
脳裏に居座る君の笑顔
マフラーを巻いてくれた優しい君
寒いはずなのに顔だけは暖かい
また会えるのは
誕生日の日
いつもいつも、頭の片隅にある懸念。
リアルでもネットでも、誰かと何かを話している時、脳裏をよぎる可能性。
「この人はこんな事を言っているが内心では私をバカにしているんじゃないだろうか?」
「今の私の言葉はこの人の機嫌を損ねたんじゃないだろうか?」
「今これを言っていいタイミングなのだろうか?」
数え上げればキリがない。
いつもこんな、不安が頭の片隅にある。
多分、子供の頃の記憶のせいだ。
思い出したくもない記憶。
人との接し方が分からない。
距離のとり方が分からない。
人の言葉を素直に受け取れない。
ごめんね。私はこんな、臆病な人間です。
END
「脳裏」
死んでしまいたいと思った時脳裏を過ぎるのは彼のことだった。
世界でただ一人、私のことを想ってくれる、あの人。
心に微塵の曇りもない、綺麗な人。まっさらな瞳が私に向いている、あの瞬間がたまらなく好きだった。健康的な肌色に触れ、その温もりに顔を埋めたあの時間がどうしようもなく愛しく思えた。
もう全部なかったことにしてしまいたくて、ベランダに立つとき、夜風が染みて酷く痛い。真下の奈落で楽になった人たちが踊っている気がして、私も早くそうなりたくて、サンダルを脱いだ。どうして、飛び降りようとするとき人はこう決まって靴を脱ぐんだろう、なんてこの期に及んで野暮なことを考える。ある意味覚悟を示すためなんだろうと、そんな気がした。もう、私はこの地を、この世界を歩かないのだという。そんな決意。決意とか、そんな高尚なものにはできっこないか、と独り笑う。どうしようもなく笑えて、震える。もう、ここにいる意味なんてなかった。
さらに一歩、踏み出そうとしたとき、あの人のことを思い出した。綺麗な瞳の、その深さに酔った、あの日々のことを思い起こす。まだ、手放したくない、強くそう思った。
まだ好きなんだ。あの人のことが。
希死念慮を打ち消してしまえるほどの愛に、私は溺れてしまってるんだ。そう分かった。
アスファルトの床に崩れ落ちる。
まだ死ねない、泣きながら、あの人を想った。
*
翌日、あの人のマンションを訪ねた。彼は快く出迎えてくれた。コーヒー淹れてくるよ、彼がそう言って綺麗に笑い、私に背を向けたとき、立ち上がってナイフで背中を刺した。彼は驚愕の表情をこちらに向け、よろめいた。ナイフを抜いてもう一度、突き刺す。何度も、何度も、突き刺す。
彼は倒れた。浅い息をして、それでもまだ今の状況を把握しきれていないのか、呟く。
「どう……して」
どうしてって……
「心残りだからよ」
言葉が口を衝く。
貴方さえいなければ、死ねるんだから。この世界に未練はなくなるんだから。もう、嫌なの。やめたいの。だから、お願い。あんたも死んで。
真っ黒に染まった背中を煌めく銀色で、何度も、何度も、この世界が無価値なものになるまで、滅多刺しにした。
【脳裏】
それは心に焼き付いて離れてはくれない。前世の記憶。私が現在(いま)の私になる前の私。男と女、人は元々1つの球体だったと学校の授業で聞いた。前世から現世に転生した際、私達は、私の半身、片割れは切り離され今も何処かで生きている。残念ながら私はまだ出逢えていない。それは何年も何年も探しても見つけられない場合もあるそうだ。できれば自分が死ぬまでには出逢いたい。
夏に家雪さんが「エアコンが寒い」といっていて、それを聞いた俺は、廊下側の自分の席と家雪さんのを交換してあげた。
冬には家雪さんが「窓側が寒い」といったから、俺はまた廊下側の自分の席と家雪さんのを交換してあげた。
いや、冬といっても十一月だ。
モスバーガーならまだ月見フォカッチャが売られている。ギリギリ秋だ。
家雪さんは十一月でこれなら真冬はどうしてるんだという格好で学校に来ている。相当に着込んでいる。言語文化のおじいちゃん先生に、授業中はコートを脱ぎなさいと言われている。
東京の最高気温は十七度だ。
俺たちの代から制服があたらしくなって、衣替えは各自自由なタイミングでいいと言われている。
先生たちは、正しい合服の状態がどの状態かわからないと言っている。
俺たちは現役生の勘で適当にベストを着て込み、袖を長くして、ジャケットを羽織っている。
俺は長袖のシャツと一応冬のスラックスだ。
寒くないの? と言われたら寒い。
夏服じゃないの? とおじいちゃん先生にいわれたけど、夏服ではない。夏は半袖で、生地のうすいほうのスラックスを履いていた。
でもあんまり夏と変わらないよね? といわれたら、たしかに見た目的にはそう。
「十一月でこれなら八月どうしてたの?」
といわれたけど、普通に法律が俺に服を着せていただけだった。
松倉先生〜数ヶ月前の記憶もないんすか、服着てましたよ俺、やばいっすよ! と大きな声を出したら、うしろの席の家雪さんに、頭をはたかれた。
家雪さんは、言語文化のときは俺のうしろの席になっている。
言語文化は普通科のある棟で授業を受けるから。教室とは席がちがう。
首を傾げつつ振り向いたら、そう、そのまま、と家雪さんいわれる。
家雪さんは黒板の字をノートに写していた。
俺は身長が一九〇ある。
俺が動くとホワイトボードが見えないらしい。悪いねという気持ちで俺はその場に縮こまる。縮こまって、家雪さんのノートを覗き込んだ。
きれいな字を書くね、とおもって家雪さんのノートを見ていた。
また家雪さんの手がひらめいて、俺の頭を叩いた。見ないでとか言われた。あっそう。ふーん。
俺は前に向きなおると自分の分の板書をはじめた。
一学期は、羅生門とかやってたときは比較的真面目にやってたけど、最近は板書なんてしていない。俺は国語が好きじゃない。家雪さんは好きそう。そんな感じがする。
うしろで、家雪さんが首を伸ばしたり、体を傾けたりする気配がした。
俺も家雪さんをまねて、首を伸ばしたり、体を傾けたりした。家雪さんが右から覗き込もうとしたら、右に体を倒し、家雪さんが左に行こうとしたら、左に揺れた。
家雪さんは、ちょっと冷たいと思うね。
彼女は俺に冷たいと思いませんか? 俺は、二度も彼女に席交換しませんかって話しかけたのに。
いっつも俺が話しかけている。家雪さんはクールだ。
仲良くなれてるって思ってるの俺だけとか普通にある。うん。ある。あー本当にそうかも。だって、俺は言語文化のときくらいじゃないと、家雪さんのこと近くで見れない。家雪さんは窓際にいるし、そのとき俺は廊下側に、あるいは、彼女が廊下側で俺は窓際にいる。離れているんだもの。
あー。なんでそんなことしちゃったかなー。
頭をかきむしる俺を、うしろから家雪さんが、ねえ、ちょっと、ねえ、なんていっているが、全部聞き流す。
右に、左に、ふたりで花のように揺れていたら、先生に仲がいいのかなって微笑まれた。
ちげぇし!
俺がイライラして怒鳴ったら、家雪さんがそれ以上の声で仲良くないわよと言った。
俺は傷ついて真面目に板書するのをやめた。
授業がおわってすぐ、俺は家雪さんを振り向いて、席交換しよっかといった。
椅子にまたがって彼女の机に頬杖をつくと、立ち上がりかけていた家雪さんも立つのをやめて椅子に座った。
きれいな指がくすみピンクのフォルダを撫でていた。
「いいよ。替えよっか。ちょうどよかった。大体、世良くん、背高すぎるんだよ。十センチくらいわたしにちょうだいよ」
「無理だろー」
俺は目を合わせないように慎重に、家雪さんのうしろの壁に張られている美化強化月間の張り紙を見つめた。あれうちのクラスは張られてないんだけど、イケセン、はしょった?
「で、席替えるなら、松倉先生にいわないとね」
と、家雪さんがいった。
家雪さんは楽しそうに、またおまえら替えるのか、って言われそうじゃない? とくふくふ笑っている。替えすぎたって言われるかもねーといった。
「多分OKしてくれるよ。きっと。多田が前から、席交換したいっていってたし」
俺は、家雪さんの笑い声をさえぎるつもりはなかったけど、声がつんのめって、家雪さんにかぶせるような形になった。
家雪さんはきょとんとしていた。
リズムが崩れたように体を止めて、俺が黙っているのを見てから、「なんで多田くんの話?」といった。
多田というのは、説明しよう、極度の近眼で、メガネを小学生のころ三回つくり直している俺のクラスメイトだ。最近また黒板が見えにくくなったといって、松倉先生に相談していた。
「席交換するんじゃないの? 世良くん」
「交換するよ」
「なんで、多田くんの話?」
「だから、多田と、俺の席を交換してもらおうと思って」
なんで? と家雪さんはすぐ聞き返さなかった。
一度言葉を呑み込んで、でもすぐ俺を突き刺すみたいに「なんで?」といった。あーあ。冷たい。冷たい人ですよ家雪さんは。声が冷たい。そんなになんでなんで聞かなくてもいいじゃん。
「なんでって……家雪さんは、Sだわー。あはは」
「なに? どういう話?」
「サディストでしょ?」
「ちがうよわたし」
ちがくないね。絶対そうだね。
なんでって、だって……本人を前に言えるわけなくねー?
俺は一度だけうつむいて笑った。
「今日、黒板写すの邪魔してごめんねー」
なるべく軽く聞こえるように謝って、俺は席を立った。
あーあ。もういいんだ。いいんです。俺と家雪さんは、教室の端と端くらいでいるのがぴったり! あーそうですか。そうです、そうです。
身長一六二センチの多田のもとに俺は向かおうとして、くん、とワイシャツをひっぱられた。
「家家さんは、乱暴だー」
きれいなのに。見かけによらず強い力でひっぱられて、夏服みたいな格好の俺はシャツをべろんとスラックスから出していた。
「べつにいいよ」
「家雪さん、手つめたいね。シャツ越しにわかる」
「世良くんがわたしと席替わってくれればいい話でしょ。いいよ、多田くんに替わってもらわなくて」
「多田は俺の席に来たいって言ってるんだよ! まだ言ってないけど。言ってるのは教室の席だけど。これから言語文化の席にも言わせる予定だよ」
大体ねーと家雪さんが大きめの声で言う。
「多田くんと世良くんが替わったところで、わたし、多分、前見えないんですけどー……」
家雪さんがぶつぶつ声を落としていった。
「えっうそ」
「……」
「えっうそ。ちっ……っさ!」
「殴るよ?!」
立ち上がって、俺の傍にきた家雪さんは小さかった。
俺はびっくりした。いや、今までも、小さいと思っていたけど。あんな体じゃ寒そうと思っていたけど……!
俺はすぐ振りほどこうとしていた彼女の手を外せなくなって、シャツをだしっぱなしにした。
何センチ? と聞くと、不機嫌な顔をされて、俺は腹を殴られた。
痛てーといいながら、俺はパンチを痛がる。ぜんぜん痛くないけど。
「じゃあ、まってまって、家雪さん」
「なに?」
「こういうのはどうよ? 多田を家雪さんの席に、家雪さんは俺の席に座ってもらって、俺は多田の席へ……トライアングル」
「なんでよ」
「なんでなんで、って、そういうのいけないよ家家さん! トライアングル!」
「なんで多田くんを挟みたがるの?」
「俺は、多田を救いたくて!」
「はあ」
家雪さんは呆れた顔をして、傍をすり抜けていってしまった。出入口付近で待っていた友だちと出ていってしまう。振り向きもしなかった。見放すみたいなため息つかれた。
俺も次のクラスに教室を追い出されながら、後を追うように特進棟にもどった。
本当、何センチなんだろ……。
前を歩く家雪さんの一つ結びを見つめる。
足幅ちっさ! 歩くのおっそ!
間隔を空けてうしろを歩くのが、めんどうくさくなる。俺は家雪さんとその友だちをさっと追い抜いた。追い抜くときに、家雪さんの顔を見た。嫌味ったらしく覗き込んでやった。どんな顔してんだろ! 顔もちっちゃいのかな。
家雪さんはつるんとした顔をして、俺を無視した。
あーあ! あーあ!
友だちに話しかけて、俺から逃げていく。
冷たい人や。
あの小さな頭の中でなに考えてるんだろ。俺を突き放すことを考えているのかもしれない。それは今のところ、大成功だった。なにしても成功。いつだって優等生だ。家雪さんは、なにしても正義で、家雪さんが勝ってしまう。俺と相手をさせた場合にかぎり。
俺は家雪さんに謝りたい気分にさせられる。俺の席いりませんか? とかいっちゃう。
無視されただけで、俺なんかもうだめだ。
俺は早足で四階へと駆け上がった。
負けちまえ! って自意識が叫ぶ。
脳裏で、女王さまみたいに顎を突き上げた家雪さんが、わたしに言いなりになっちゃいなさい、っていう妄想をした。現実の家雪さんは、こんなこといわないけど。
教室に帰ると、多田が窓側最前列の俺の席に座っていた。
「世良、おまえ、おまえのこの席、いい席だなっ!」
「えー。家雪さんとかは、最悪っていってたよ」
多田は楽しそうに椅子でのけぞっている。
うぜー。
席交換しよう! と言われたから、「そこのけ、そこのけただの多田」「そんな〜俺を救うと思って」「おまえなんて救われてたまるか!」と言い返して、椅子から押し出した。
「世良、家雪さんとかも最悪〜っていってたのに、世良は嫌じゃねぇの? 俺が替わってやるっていってんのに。チャンスだぜ? おまえ視力二、〇なのに。いらないだろ最前列。一九〇センチの最前列ジャマすぎだろ。握力八〇の最前列」
「うるせぇな」
「暑がりなの?」
「べつにそんなことない」
と、いうと、論理表現の滝本先生に、きみのその格好は、説得力がない! と指さされる。
急に会話に入ってくるじゃん。
ALTのフレディーにまで、why? と肩をすくめられた。なんなんマジで。
「だってー。だってさー!」
はあーあと盛大なため息をついて、俺は嘆いた。
「暑がりって設定がないとさ? 言い訳になんないじゃん? べつに暑がりとかじゃないけど、暑がりっていっちゃったから、俺は紺色ベストを真冬まで封印すると決めたんだ」
「どういうこと?」
「だからー!」
自分の席で突っ伏して叫んでいると、バサリと頭上に紙が乗せられた。
授業プリントだ。英語で毎回配られる。
滝本先生、SDGsとかしらねぇから、ばんばん授業プリントを刷るんだ。
家雪さんと話したかったからとか、言えねー!
顔を上げると、授業プリントを抱えた本日の日直の家雪さんがいた。
俺は硬直した。
家雪さんはつん、と顎をあげて、ふーんといった。
俺はなにもできなくなった。
フレディーはhuhーと首をすくめた。
棒立ちの多田や、プロジェクターの設置に四苦八苦している今年五十二歳の滝本先生の横を通りすぎ、さっさと家雪さんは授業プリントを配っていく。
俺はポーッとしていた。
じわじわと顔が赤くなった。
うわああ!
ああ。
家雪さんから目を離すこともできず、彼女が黒いタイツの足さばきで廊下側の席に座るところまで見た。
家雪さんが俺に気づいて、俺を見返した。
俺はプリントの束で口元をかくして、目を細めた。
あーーー……。
家雪さん。家雪さん。
授業開始二分前で、多田もみんなも自分の席に座っている。俺は窓際最前列から廊下側真ん中の家雪さんを見ている。ごくりと、唾が出てきて唾を呑み込んだ。うしろの席の木崎からプリントを回せと肩を叩かれた。家雪さんは俺から目をそらす。はーあ。
家雪さんは俺をめちゃくちゃにする。家雪さんはすごいなと思った。
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