薄墨

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月が煌々と輝いている。
青白い光が懐かしい。

蹴飛ばした石が転がって、足はその後をそっとなぞって歩いていた。

夜はいい。
賑やかで、あちらこちらに生命が溢れるこの星でも、この時間帯だけは、静かで大人しくて、穏やかだ。

心から落ち着く時間だ。

この星の動物の脳裏は、まあまあの過ごし心地だ。
特にこの動物の脳は、ずっしりと重くて豊かだ。
この星のこの動物の脳裏なら、背景や思い出や景色を焼き付けて、保存することさえ出来た。
住み心地は抜群だ。

私たちは、もともとは月の衛星に住んでいた生き物だった。

しかし、この星はもう無くなった。
遠い、向こうの空から、燃え上がったどこかの星のかけらが、衝突したからだ。

かなりでかい星のかけらだった。
この星のかけらによって、私たちの星は瞬く間に砕き去るのは間違いないだろう。
そして、そのカケラが、月に大きなクレーターを残すだろうことは、私たちの中で、もはや疑いようのないことだった。

私たちには、別の棲家が必要だった。
他の星で生きていく術が必要だった。

そこで、私たちは最寄りの星に目をつけた。
地球。
幸い、私たちの最寄りの星は、宇宙のどこにも増して、生きるのには豊かな星だった。

しかし、私たちは強くなかった。
身体は大きくなく、鉤爪も牙も、武器になるようなものは何も持ち合わせていなかった。
私たちは、結果的に、共感性のみに長けた進化を遂げた種族だった。
太陽の光には、そこまで強くなかったし、他の生物との生存競争には勝てない。

そこで私たちは考えた。
そんな星で、どこへどうやって住みつけば、私たちは生き残れるのか。

ところで、この星には非常に脳が発達した生物がいた。
二本足で、大きな頭を抱えてヨチヨチと歩く、生物だ。

この生物には、隙があった。
彼らには、私たちと同じような共感性が発達しており、想像力が発達しており、私たちが忍び込み、住み込む間隙があった。

私たちは、ヒトの脳裏に棲むことにした。

大成功だった。
この星でどうしてだか、無類の強さを誇り、大量に生きているこの生物たちの脳裏は、私たちにとって、最高の器だった。
彼らは多かれ少なかれ、想像力と共感力を持ち合わせており、その思考は非常に面白く、楽しく、美味しかった。

しかも賢い器は、時にはこちらを認知した。
運が良ければ、彼らとも友人になれたりもした。

そういった賢いヒトの中に住む私たちを、ヒトは、イマジナリーフレンド、と呼んだりした。
私たちが、器にしたヒトに危機を知らせることを、器たちは、虫の知らせと呼んだりした。
私たちが印象深くて記憶した内容を保存し、時たま思い出すことを、器たちは、脳裏に焼き付いた、脳裏に浮かんだ、と呼んだりした。

ヒトとの共存は、楽しい日々だ。
私たちは、ヒトの脳裏に棲みつくようになったのだ。

しかし、時には故郷が懐かしくなることがある。
私たちの本能には、月の向こうの懐かしい昔の棲家が、しっかりと刻まれている。
たとえ、新世代の地球生まれだったとしても。

私たちは脳裏を棲家とし、脳裏で楽しく生きている。
そんな私たちには、あの月の向こうの景色が、脳裏に焼き付いている。

月が煌々と輝いている。
器のヒトの視界越しに見る月は、一層輝いて見える。
脳裏に焼き付いた月の向こうが、私たちの心に浮かぶ。

この星の夜は美しい。

足は依然として前に進んでいた。
視界は、私の気持ちに応えるように、月夜を眩しそうに眺めている。
器の脳裏で幸せを、今までの苦労と、今の楽しさを噛み締める。

月光は冴え冴えと、私たちを見守っていた。

11/9/2024, 4:18:17 PM