薄墨

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8/11/2025, 2:25:44 PM

サービスエリア トイレ休憩に待たされ、ぼたり 
 こぼれたアイスクリーム

コンクリートと蝉に囲まれて
日差しを避けるように俯いた
足下でアイスクリーム どろでろに、

ちょっとした水滴になって、落ちている。

こぼれたアイスクリームはきっと、
大切だった人を、大切だと思えなくなる瞬間と、一緒。

8/10/2025, 2:30:03 PM

やめてよね やさしさなんて いらないの
 言ってたあなたの 夫はやさしい

やさしさに 初めて“なんて”と 続けた人
 きっと愛らしく 捻くれた人

つまらない そんな一辺倒なやさしさなんて
 エスコートなんて レディファーストなんて

簡単な 処世術だよ やさしさなんて
 やさしい大人の やさしくない答え

河原の石 角なく怒らず ただそこにある
 やさしさなんて そういうものさ

8/9/2025, 2:01:50 PM

乳母車にひとつだけぽつんと、無造作につけられた風車が、カラカラと音を立てた。
轍から雨粒が抉り取ってできた浅い泥だまりに、濁った液体が溜まっている。

夕立は過ぎ去っていた。
空は、先ほどの激しい大雨などまるでなかったかのように、快晴の日の夕方と相違ない、見事な茜色に染まっていた。

雨水たちは、やかましく音を立てながら、雨樋を伝って、地面へ身を投げている。
軒下に下げられたままの風鈴やてるてる坊主は、雨水でぶっくりと太った体を、僅かに揺すった。

人が居た気配は満ちていたが、人がいる気配はなかった。
まるで、つむじ風にさえ攫われ、道からこぼれ吹き荒ぶ砂煙か、あるいは、篩にかけられ、跡形もなく姿を消した粉砂糖の塊のように、生き物だけが消えていた。

人も、犬も、家畜も、虫さえ、見えなかった。
ただ、何かが生き、暮らしていた痕跡だけが、蜃気楼のように、確かに、存在していた。

あの辛抱強い生物である植物さえも、生というものを投げ捨てていた。
その一帯に、植物は確かに、居るは居たが、どれも皆、枯れ茶けた、痩せ細った体をいたずらに野外にさらしながら、首を深く折って、項垂れていた。
枯死した植物たちの死骸の、影だけが、高く、長く、伸びていた。

何が起こったかすら、消え失せていた。
ただ、生き物たちの形跡だけが、夕立にずぶ濡れにされて、立ち尽くしていた。
雨の名残だけが、みずみずしく、生を主張しようとしていた。

軽い風が、一塵吹いた。
無機物となれ果てたカサカサの植物が、風を感じて、意志もなく、靡いた。

風車が、カラカラと鳴った。

8/8/2025, 1:43:21 PM

寝転べば、ちょうど月が、見える位置。
みんなで寝転び、今日の現実に、今日の絶望に
夢じゃない、夢じゃないのだ、と念を押す。
現実を見つめるために。
絶望に立ち向かうために。

寝転べば、ちょうど月が、見える位置。
薄明るくほのめく、夏の満月。

8/7/2025, 4:15:35 PM

心の羅針盤?儂が「心の羅針盤」だと?
お前は、他人や羅針盤みたいな道具に頼らなければ、自分が進みたい方向すら、分からないというのか。この痴れ者め。
どうやら、しばらく見ぬうちに、あの頃まで精神が退化したようだな。
そんな意志薄弱なものに育てた覚えはない。
もっと励め。精進しろ。


独り立ちして久しく数十年。
久しぶりに師匠へ出した手紙の返事には、そんなことが書いてあった。

師匠は、私が弟子入りした頃から、頑固で、昔気質で、意志の強い、面倒な人だった。

自分で進む道は自分で決めろ、己の決断は己でしろ、他人の言葉をそのまま使うな。

小さい頃から、自らの手で人生を切り開いてきたという師匠は、いつでも一貫して、自己決定の大切さを訴えていた。

そんな、パワフルで力強い、自立心の高い師匠の背中は、私の心の羅針盤だった。

師匠と出会ったことで、それまで他人の言葉の受け売りで生きてきた私は、初めて己で世の中と向き合わなくてはならなかった。
師匠に叱責されるから、私は自分の言葉で、自分の決意を表さなくてはならなかった。
師匠と将来を話すときには、私は親に敷かれたレールをもう一度、己の脳と目で見直す機会を与えられた。

師匠の言葉と修行のおかげで、私は初めて私の人生を私の目で見直し、私の頭で考え、私の言動で主導するようになった。
私は他の誰のものでもない、私の人生を歩むことができた。
師匠の言葉が心の羅針盤になって、今に至るのだ。

しかし、師匠の持論にしてみれば、それも、私の甘えに見えるのだろう。
他ならぬ師匠の言葉を、深く考えずに、そのまま自分に適応しているのだから。
師匠の教えに反している。
師匠がこのような返事をするのも当たり前である。

だからこそ、これでよかったのだ。
今月で、師匠は米寿を迎えられる。
だが、まだ変わらずお元気のようだ。
自らの信念も、もう何十年も前の弟子の課題も、変わらずまだ覚えていらっしゃるのだから。

師匠はまだお元気で、あの時の師匠のままでいらっしゃるようだ。
少なくとも、呆けたり、弱気になられたりは、なさっていないようだ。

私としては、今回の返事の叱咤激励が非常に嬉しい。

私の心の羅針盤が、今でもお元気である、ということが。

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