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【脳裏】
もう、無理だと思った。
剣士の相棒は満身創痍で、私の魔力は枯渇寸前。
どうにか結界を張ったけど、周囲を魔狼の群れに囲まれて身動きが取れなくなってしまった。
「ごめん。あまり長くは持たないと思う」
私が謝罪すると相棒が首を横に振った。
「ううん。私が深追いしすぎたのよ……」
息を殺すようにしていたら、突然、狼たちの視線が警戒するように一方向に向けられた。
なんだ?
唸り声が聞こえた。
巨大な黒いモノが魔狼に喰らいついた。
猫だった。
見上げるほど大きな黒猫が魔狼を蹴散らし、蹂躙していく。
魔獣の仲間割れ?
魔狼の獲物を横取りしようとしているのか。
数体の狼が倒され、残りも逃げて行った。
狼がいなくなって、黒猫だけが残った。
相棒が怯えたように後退る。
私はただ茫然とその黒猫を見上げた。
猫は鮮やかな青い目をしていた。
その目が私たちを見て、すぐに逸らされた。
どういうこと?
せっかく手に入れた獲物に興味がない……?
猫が立ち去ろうとする。
私はほとんど無意識に結界を解除した。
「ちょっと、何を……!?」
相棒が抗議の声を上げた。
私はそれを無視して猫に近付いた。
艷やかな黒と鮮やかな青。
全く同じ色の持ち主の顔が脳裏に浮かんだ。
「ハル。ねぇ、ハルだよね?」
私が声を掛けると、猫は嫌そうな顔をした。
「何言ってるの、そんなわけ……」
相棒が呆れたように言う。
「ハルって。あの落ちこぼれでしょ?」
ハルはパーティも組まずにひとりで活動している冒険者。
いつまでもランクが低いままで、冒険者ギルドのマスターに目を掛けられていなければ、路頭に迷いそうな青年だった。
黒猫は魔法で空中に水球を浮かべると、それに頭を突っ込んだ。
水が濁る。ああ、口をすすいだのか。
魔狼の血が気持ち悪かったようだ。
汚れた水を捨て、黒猫はぶるっと震えた。
青い目が私を見る。
やはりその青はハルの目と同じ色だ。
巨大な猫の体が揺らいだ。
煙のようなものが黒猫を覆う。
「なんでわかったんですか」
煙の中から男性の声がした。
猫がいた場所には、黒髪に青い目をした青年が立っていた。
ハルがため息をついた。
「二人だけで魔狼の巣に近付くなんて」
「……ありがとう、助かった」
回復薬を分けてもらった。
渡されたのは普段私が使っているものよりも効果が高い高級品だった。
この人、落ちこぼれなんかじゃない。
「僕が魔獣に化けるなんてこと、言いふらさないでくださいよ?」
私は「もちろん」と頷いた。
「命の恩人の頼みは守るよ」
「信じますからね」
相棒は魔狼から受けた怪我が原因で僅かに後遺症が残り、引退を決めた。
ひとりになった私はソロではまともに稼げず、すぐには次の仲間が見つからなかった。
数日後、ギルドマスターに呼び出された。
「お前、ハルに気に入られたらしいな?」
「え?」
「怯えた顔をしないのが良いってさ」
ああ。確かにあの黒猫を見たら、普通は怖がるだろうな……
「ハルがお前と組みたがっている」
「組む? 私とパーティを?」
「そうだ」
私は魔法士から従魔術士になった。
従魔の名前はハル。
鮮やかな青い目をした黒猫である。
「ハルはどうして落ちこぼれのふりしてたの」
「人間の姿だと弱いんですよ、僕」
「……そもそも、人間なんだよね?」
「それ、実は自分でもあまり自信なくて」
その後、私はハルのせいで、あれこれと面倒ごとに巻き込まれた。
でも猫の姿のハルが「にゃあん」と鳴いて擦り寄ってくると、つい何でも許してしまう。
体の大きさを変えられるなんて狡い。
柔らかな毛並みに逆らえない。
「君、僕の人間の顔も嫌いじゃないでしょ」
私の顔は真っ赤になった。
猫の魔獣と知人の目の色が同じだと気付くなんて、要はそれだけ見ていたということだ。
「これからもよろしくお願いしますよ、相棒。末永く、ね」
ハルが笑う。
もしかしたら私はとんでもないものに捕まったのかもしれなかった。
11/9/2024, 4:03:21 PM