『哀愁をそそる』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
哀愁をそそる
学校の帰り道。
夕焼けに照らされ1人ぽつんと歩くこの道。
もう冬に近付いてきて、風が吹く度に葉が落ち、辺りを見渡しては枯れ木が並んでいる。
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毎日のように辺りを見渡すあの背の低い少女の影は、哀愁をそそっている。
荷物を運び出され、がらんどうになった室内を見渡した。
日焼けした窓際のフローリング、ポスターの跡が薄っすらとついた白い壁。
ちょっとだけ邪魔だったキッチンとの間仕切り、古めかしい銀色のシンクとIHの卓上コンロ。
たった数年住んでいただけなのに、少しだけ離れ難く思うのは、何でなんだろうな。
ギイギイと軋む音のする、慣れ親しんだドアを開ける。
今までありがとうございました。
部屋に向かって深々と頭を下げてから、ゆっくりとドアを閉じた。
テーマ「哀愁をそそる」
遠くに行ってみたいんだ
遠くへ遠くへ
誰の手も届かない遠くへ
金木犀はもう香った
香りに誘われるまま
あの時遠くへ行ってしまえばよかった
空気が乾いてきたらもうダメだ
ただ透き通って
色も音もない世界をここで見たくなる
だから今
遠くへ行こう
#哀愁をそそる
至るところに孤独はある。日常のふとした瞬間、何気なく見上げた空の色、会話の端々。
楽しいことを見ようとして、寂しさを見て見ぬふりしていた。
だって、そうしないと、心がしんどくなってしまうから。
「私はもう充分持っていて、満たされていて、毎日を生きているだけで素晴らしい存在なんだ」
口に出して言うと、私は猛烈な孤独感に襲われた。
文字で見れば、とても綺麗で、前向きで、明るい言葉たちなのに、私の口からこぼれた声は、涙を含んでひどく震えていた。
不自由なく過ごしている。朝が来て、夜になって、明日があたりまえのように来る。好きなご飯をたくさん食べれて、好きな服を着て、温かい布団で眠れて。これ以上何を望めようか。
でも、こんなにも満たされているのに、心は満たされない。
あるものをたくさん集めても、中身は空っぽのハリボテばかり。
私より、自由がない人がいる。私より、悲しい人がいる。
そんな慰めの言葉でも、ぽっかり空いた穴は塞がらなくて、空を見上げた。
大きく背を伸ばした街路樹の葉が、紅く染まっていた。青々しくて眩しい緑色が、紅色を帯びて薄れている。
いつの間にか、こんなに時間が経っていた。
「私は、しあわせ」
誰に言うわけでもない呟きは、木枯らしにさらわれる。
ただ『虚しい』という感情だけが、私の心に残っていた。
河原に座り夕日を眺める。
近くではボール遊びをする子、自転車の練習をする子。
無邪気に遊ぶ子供たちに昔の自分を想う。
いつの間にか遊ぶことを忘れてしまっていたな。
すこし悲しくなってしまう。
ため息をついて立ち上がる。
今日の残りは好きなことだけしよう。
ほんの少しでも子供心を思い出すために。
風が吹いて真上から木の葉が落ちてきた。それだけなのに、何故か無性に淋しくなった。
落ちてきた葉は桜の樹のそれだった。春には、この通りはわりと有名な桜並木なので見物人が沢山来る。それが今では、私の他に歩いているのは誰も居なかった。時間ももう夕暮れ時だから仕方ないのもあるけれど。
桜は、春にしか注目されない。それがなんだか切なくて足を止めた。50メートルほど続くこの並木道。花が散って葉桜になって、今の季節は葉が落ちてゆく。落葉樹だから冬は淋しい姿をさらす。でも、いつの間にか蕾をつけてまだ肌寒い頃に花を咲かす。咲いたらあっという間で、良くて2週間くらいしかきれいな姿でいられない。そうしてまた1年。次の春まで注目されることがない。
でも桜は、日本の代表となる植物で、表題とされる曲は様々で、学校には必ずと言っていいほど植えられていて。誰もがあの花を愛している。そう、花だけ。今の季節の姿を綺麗だと思う人はいない。私もそうは思わない。花をつけていない状態では桜とさえ気づかれない。淋しいな。
なら、私も。この長い髪を切ってメイクを落としてカラコン取ってしまったら、誰にも気づかれないのかな。この有名なデザイナーのワンピースも、このハイブランドのバッグも、私の存在感を形成してくれるためのものでしかないのかもしれない。だって別に好みの色でもデザインでもないから。
自由に生きる、って。
羨ましく感じるけど、実は難しいのかもしれないな。
「あ」
また1枚、桜の葉っぱが落ちてきた。
桜はみんなに“きれいだ”って言ってもらえるたった数週間のために寒い時期をじっと耐えてる。それって、“淋しいな”じゃなくて“凄いな”じゃないだろうか。私も、もう少しだけ頑張ってみようかな。
意外なところで勇気をもらった、そんな秋の夕暮れ時。
夕暮れも終わり掛けに近付いた、そらのてんぺんが段々と藍に染まってきた頃合。
視線を下へ下へとスライドさせていく。
藍から橙、きいろへと染まり変わってゆく様は、胸の奥から背中を伝って腹へ戻ってくるような
そんなキュッとした感覚をおこさせる。
この染まり変わりだけは、昔からだいすきだったことを、おもいだす。
『哀愁をそそる』
哀愁、知りたくもなかったことだ。私は平穏に楽に生きたいだけだ。苦痛なんてことは大嫌いで感じたくもない。
「君はどう思う?」
ベランダの柵に軽く触れ、そう尋ねる。相手から答えが返ってくることはない。だって、あの人はもう………。
どうしてこうなってしまったのだろう。
考えてもわからないな。
視界に桜色がちらつく。幾多の花びらが楽しそうに揺れ、ベランダへと舞い降りてくる。
「早く戻ってきてくれよ……。」
君が好きな花と季節。君が好きなものに囲まれたって、君は帰ってこなくて虚しくなるだけだ。
どうして私を置いていったの?
辛かったなら言ってくれよ。
あの人は私を置いて────
────ここから飛び降りた。
「雨の音を聞くと、思い出すんだ。大切な人を喪ったあの日を」
そう言う彼の眼差しには哀愁が漂っていた。
過去の傷はいつまでも心に残り、ひとり彷徨い歩いている。
だから私は彼のそばに寄り添い、雨音に聞き入った。傷ついた心に少しでも安らぎを届けたいから。
『♪〜♪〜♪〜』
でっかい音楽とともに『おうちに帰りましょう』のアナウンスが流れ始めると、オレの蹴り上げたサッカーボールはタイチにキャッチされた。
「えっ!ハンドじゃん!」
「ばーっか、もう終わりだろ」
「ちぇーっっ」
なんだよ、シュート決まるとこだったのに。タイチのやつズルだ。
「もうチャイム鳴っちゃた」
「冬はあんま遊べねー」
「夕陽きれいじゃね?」
「ホントだー!でも暗くなる前に帰らないとお母さんに怒られる」
口々に言いながらみんなで自転車置き場に移動する。冬は下校からチャイムまでの時間が短いから、いったん下校してからまた学校に遊びに来るやつもそもそも少ない。
「ハラ減った〜夕飯なんだろ」
「うち唐揚げだって。お父さんより俺のほうがいっぱい食べるんだぜ」
へぇ〜唐揚げいいなぁ。熱々のできたて、最近食べてないかも。
みんなヘルメットをして、自転車にまたがった。
「んじゃーな、コータ!」
「また明日なー!」
今までサッカーをしていたクラスメイトたち五人は、オレを残して帰っていった。
オレンジに染まる校庭に戻っても、ただっ広い校庭にオレはたったひとりきり。
「シュート!!」
決めきれなかったシュートをカレイに決めたけど何もスッキリしない。テンテンと小さくドリブルをしながら学童の部屋へ戻った。
学童のやつらもお迎えが来て、ひとりふたりと減っていく。今日はオレが一番最後だった。
「コータ、遅くなってごめんね」
お母さんが汗をかきながら学童の入口に立っている。
「ありがとうございました」
「センセーさよならー!」
学童を出ればもう外は真っ暗だった。夜になればだいぶ寒い。お母さんと並んでゆっくり歩く。
「遅くなっちゃったから、今夜お弁当なの。駅前のお弁当屋さんの唐揚げ弁当」
「やったぁ、唐揚げ食べたかったんだ」
「ずっと作ってなくてごめんね」
「あのお弁当屋さんのはお母さんのより美味しいからいいよ」
「言ったな!今度ちゃんと作るから楽しみにしててね」
「うん」
「今日もサッカーしてたの?」
「そう、シュート決めるとこでチャイム鳴っちゃってさ。いっつもいいとこでチャイム鳴るんだよ」
「チャイム鳴らないで〜、もう少し遊びたいよ〜ってお母さんも子供の頃思ったことあるなぁ。帰り道に綺麗な夕陽を見るとなんだか切ない気持ちになってね」
「やっぱり?チャイム鳴らなければもっとみんないてくれるのになぁ」
「……みんな帰っちゃうと寂しいね。帰り道もいつも暗いしね」
「暗い道、結構好きだよ」
「そうなの?なんで?」
「ええと……ひみつ!」
オレはつないでいたお母さんの手をきゅっと握り直した。だって明るかったら、手をつないでるの誰かに見られるかもってつなげないじゃん。なんてもう四年生なのにそんなことを言うのは恥ずかしかったんだ。
お母さんとつなぐ手をゆらゆら揺らす。暗く静かな夜の中、お月さまの形を眺めながらゆっくり家までの道を歩いた。
#3 2023/11/5 『哀愁をそそる』
人類の歴史は争いの歴史だ。グループを作り争うことは本能によるものなので無くなることは無い。争いが全く無かったらどうなっていただろうか。科学技術の発展が遅れたことは間違い無いだろうがそれ以外には特に問題は思いつかない。人口爆発の大幅な加速による食糧危機や環境破壊も考えられるが、平和で豊かな環境では人口が増えない事は先進国における少子化問題が証明している。従ってやはり人類は争いを少しでも減らすべきである。ではどうやって減らすかだが、争いの多くは宗教対立である事から、先ずは宗教の根絶が考えられる。しかしこれを為したとしても、宗教以外でのグループ対立が新たに起こるので意味がないだろう。いや、本当にそうだろうか。日本や中国などでは争いが少ない。これは宗教対立が少ないことが主因ではないだろうか。また宗教があったとしても昔の中東ではユダヤ教徒とイスラム教徒が平和な共存社会を作っていたし、それ以外でも異なる宗教、異なる民族が平和な社会を作っていた例は少なくないだろう。では、グループ間の対立が起こる原因は何かを考えると競争に勝つため、個人の金銭欲、名誉欲、征服欲を満たすためであろう。これらの欲も人間の本質的な欲のため無くすことはできない。従って、やはり争いとそれによる犠牲を無くすことはおろか減らすこともできないだろう。つくずく人間とは愚かな生き物だと感じさせられるが、これもまた自然が作り出した仕組みなので甘んじて受容れるしかない。
明らかに
体調が悪そうで
顔色が悪くて
ずっと
ぼんやりしている。
忙しくて
目が離せなくて
責任ある
仕事だから
周りからすると
そんな状態で
仕事をされると
ほんとは、
―――困る。
けれど、
アレは
わたしの
去年の姿だ。
倒れそうになりながら
【やらなきゃ!】
って必死に
頑張っているのは
すごく分かる。
フクザツだなぁ。
#哀愁をそそる
#哀愁をそそる
捨てられない鍵が一本有る。
正確には鍵ではなく、錠。
ねじ締まり錠というこれは、捻って入れ込んで施錠するという奴だ。
しかも内側からしか役に立たない癖に、硬くて重い。
それを昔、くるくる回しては閉めて飽きもせずに回し続けた時がある。
その度に祖父を庭に締め出して、ガラス越しに遊んでくれたのを覚えている。
勿論、たまにちゃんと叱られた。
けど、この取っ手の形が気に入っていた。
小洒落たティースプーンみたいで。柄が付いていた。
どうと言うことはない。
いい加減面倒だからと変えただけだ。
鍵がない只の内側からしか開けられない錠は、令和の時代にまだ存在するだけ貴重かもしれない。
よりによって3個もあるから、
その内の一つをくれないかと言った。
業者さんには物好きだと笑われたけど、多分似た様な物好きは、きっと他にもいるだろう。
今は紐を付けて小物入れの横に並べている。
ふと眺めては過去に思いを馳せる。
哀愁をそそるこいつに、ネジ締まり錠以外の名前を付けたい所だな。
例えば、そうだな。
思い出、メモリー、モーメント、いいや。
外部記憶装置とかどうだろう。
ちょっと長いか。
ロマンを込めすぎたかな。
【哀愁をそそる】
小さくこぼれ落ちた切ない吐息。長い睫毛に飾られた伏し目がちの瞳が、薄い膜を張り淡く揺らいでいる。人形のように整った美しい顔立ちも相まって、あまりに哀愁をそそる表情だった。何でも言うことを聞いてやりたいと、そう無条件に思ってしまうほどに。……これが昔からずっと隣にいた、頑固でワガママな幼馴染でさえなければ。
「ばーか。俺にそのおねだりが効くと思ってんの?」
ピンっと人差し指で白い額を弾いた。そういう儚げな顔をしておけば周りが思うように動いてくれると理解していてやっているのだから、相変わらず性質が悪い。途端、その柳眉が不機嫌そうにひそめられた。
「やっぱりダメかぁ」
「ダメに決まってんだろ。おまえがたいがい図太いこと、俺はとっくに知ってるんだから」
せっかくの美貌を台無しにしてむぅと頬を膨らませるおまえに、俺は思わず笑ってしまった。
すぐそばの屋台の鉄板焼きの紅しょうがの香りが、まだ辺りに残っている。赤、オレンジ、黄色、水色と彩りよく並んだ看板は賑やかなまま、人だけがまばらに片付けをしている。昼過ぎに見た杉学祭の公式ツイートには、3倍くらい多くの人の姿が写っていて、くらくらしたのだが。…それで、前日まで自分に巡っていた「今日こそは」という決意が、どこかへ行ってしまったのだ。
前日の私は、真奈さんがくれたキャンバス地のトートに、くたびれた財布と、ポップな字体で描かれた『杉山女学園大学祭2020』のパンフレットをしまって、ベッドのすぐ脇に置いた。ジーンズと淡いベージュのパーカーも、バッグの横へ置いて、明日は何としても、陽の出る時間に、大学生の真奈さんに会いに行くのだと、そう決めた。
珍しく朝早く目が覚めたのは良かった。うっかりSNSを調べなんてしなければ良かった。のそのそと何とか着替えたのが昼過ぎ、そのあと何度か行くのを諦めて目を閉じたり、やっぱり行かなきゃと身体を起こしたりを繰り返して、ようやくトートバッグを持ってスニーカーを履けたのは既に21:00だった。
はぁ、とついたため息が白い。いつの間に季節が変わったのかも分からない。少し歩いた先には、特設ステージが組まれており、脇にはタイムテーブルの書かれた看板が設置されている。
私の身体が自分の意志の言うことを聞けなくなってきて、昼の仕事を無断欠勤するようになった頃、同僚の真奈さんだけが私に連絡をくれた。「あそぼう」と時々夜に誘い出してくれて、たとえその約束を私がダメにしてしまっても怒ることも無かった。もともと片手で足りる「友達と呼べる人」は、私が鬱になってから会っていない人を除けば、真奈さんが唯一。実際には、友達と呼ぶのも恐れ多くなってきた。私はもっと低いところにあって、真奈さんとは決して対等では無いような気がするのに、対等かのように接してくれる、すごい人だ。
その唯一の人のためですら、外に出られなかった。「陽のでているうちに会う」なんて、気の長すぎる約束を守れない。少し前の私はこれが出来て当たり前だったはずなのに、もうどうやって“出来て”いたのか思い出すことも出来なかった。
テーマ:哀愁をそそる
チンドン屋さんの演奏する
「美しき天然」
チンドン屋さんの演奏なればこそ
哀愁を覚える。
花
夕日
波の音
冷たい風
蝉の抜け殻
温いコーヒー
埃を被った茶碗
誰かに似た笑い声
風に揺れるブランコ
ガラクタの詰まった缶
ごみ袋の中のぬいぐるみ
積もっていく記憶だけの生
『哀愁をそそる』2023/11/0538
【 哀愁をそそる 】
夕日が奇麗に見えると人気の丘に、貴方と二人、
誰もいない時に出掛けたね。
思いが通じ合ってからのパートナー生活の中で、
そこだけは、人気が出るより前からの常連だね。
丘は、ただ小高いだけで周りには何もない。
広い公園の一画だけど、遊具もほとんどなくて。
子供よりも、散歩する大人向けの場所だ。
だから、のんびり過ごしたい時なんかに、よく訪れたね。
ゆっくり歩き回ったり、芝に寝転んだり。
喧嘩した時もよく来たっけ。
頭が冷えた頃を見計らって、迎えに行ったりもした。
今も、一人になりたい時には必ず寄るんだ。
貴方と過ごした思い出の場所だから、
面影を追いかけたくて。
さすがに、誰もいないタイミングはほとんどないけど、
二人で見てきた景色は、目の奥に焼き付いてる。
貴方に、会いたいな…。
哀愁、もの悲しさ
正直言って、捕まりたくない気分だ。
もの悲しい気持ちはどんなときに感じるか?
自分がひとりぼっちなんじゃないかと考えてしまうとき。こういう状態のときはついでに寒い。
自分なりに頑張っているけど報われないとき。無力感ももれなく付いてくる。
たくさんのかなしみが、溢れて満ちた場所に出くわしたとき。
残念感なんて生きてりゃいつものことだ。
寂しいときはまず何か食べてみる。空腹のときと満腹のときのメンタリティの落差に刮目せよ。
頑張る方向を間違ってないか吟味しろ。
自分一人じゃどうしようもないかなしみに、どんなに小さくてもいいからいつか希望を投げ込むことを想え。それは無駄死にすることはない。
絶望感にはまっても絶望しきるな。やれることのすべてをやり尽くしたか自分に問え。
それでも絶望の闇の底に沈んだら、そんときゃその底を、ぶち破れ。
なんにしたって、やってみなけりゃ結果なんざわからん。やる前から可能性を捨てるな。
もの悲しさは寒い。
だから自分の中の熱を引っ張り出してみる。
哀愁を知ってはいるけど、友達にはなりたくない。
哀愁をそそる。正確な意味を知らないから調べたらもの悲しいって意味らしい。でもの悲しいがなんとなく悲しいという意味のようだ。
まぁ調べる前と大体同じイメージだな。哀愁ってなんか秋のイメージで誰かの後ろ姿が思い描かれる、そんな感じがする。
なんだろうね。これから冬になってどんどん寒くなるからそれが原因のちょっとしたうつなのかな。
でも今年はなんか暖かいな。暖冬ってやつか。
もう冬用の布団だけどちょっと暑いと感じることもあるし日中は今でも扇風機をつけたりする。秋って感じが薄いな。
このまま今年の冬はお手柔らかに頼みたいものだ。年を取ると寒さに弱くなる。