『旅路の果てに』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
長旅の末に残るのは言葉に出来ない高揚感、達成感でしょうか はたまたそれに等しい疲労感でしょうか。どちらにしても味わった人にしか分からない、ぐっとくるなにかがあるからこそ
日々続けていくんだと思います。止まってもいい、休んでもいい。最後に楽しかったって言えればいいと私は思います。大丈夫!あなたはちゃんと生きてます。今日も読んでくれてありがとう
「旅路の果てに」
帰れたのは僕だけだった
血だらけで隻腕になりながらも、家の扉にしがみついていた。後ろから雪を踏みながら近づいてくる。嫌でも分かった。でも、猟銃がない以上どうすることもできない。次の瞬間に起きたのは暖かい血飛沫だった。人間って本当に死ぬんだな。
「大丈夫か」
体を起こされて目を開けると熊の死体が転がっていた。意識が朦朧としていたせいで何が起きているのか分からなかった。徐々に痛みが戻ってくる。
「早く来れなくて申し訳なかった」
刀を持った男が言った。この熊はただの熊ではない。なぜ仕留められた。この村の全員が殺された。村の人たちは全員猟師だ。山で鍛えられた精鋭達なのにみんな殺された。一晩で今まで熊の痕跡もなかったのに腕の立つ猟師が5人殺された。帰ってこないのを不思議がった父が猟銃を構えた。父の銃声は家を出た時からそんなに時間がかからずに聞こえた。2回銃声の後は無かった。それでも次の悲鳴が聞こえた時は背筋が凍った。猟銃を取り急いで悲鳴を追いかける。威圧が凄まじい。遠くから軍隊が来ているかと思った。壁が吹き飛ばされた。大きな岩が割れている。
いる。そこにいる。
銃を構えた。熊の息遣いが聞こえる。人がバラバラになるような地獄の音が聞こえている。喉を潰されても叫んでいる。木が折られるような音、これは頭蓋骨が潰される音だ。およそ20メートルは離れているが、それでも匂ってくる。
突然静かになった。
冷や汗が止まらない。
家がこっちに走ってくるように見えた。真っ黒の赤い目をした巨体が。吹っ飛ばされて噛み砕かれて腕を捥がれて咆哮で鼓膜が破れた。気づけば家の扉の前に転がっていた。まだ足は使える。虫のように這って行った。
熊は死んでも僕も死ぬ。下を見ると内臓が無かった。引っ掻かれた時にもっていかれた。吐血しながら虚になった目で言った。
「ありがとう」
『旅路の果てに』
銀河鉄道の終着駅は、拍子抜けするほど静かな砂漠だった。
「ここが、終点?」
私が問うと、車掌は無言で古びた切符を回収した。
足元に広がるのは、星屑が打ち寄せられたような銀色の砂だ。
空には赤くて大きな恒星がふたつ。
これまで数多の星を巡り、石嵐の都も雲の上の遺跡も見てきた。
テクノロジーが発達し、すべてが1と0で構築された場所も。
その旅路の果てが、この何もない場所なのか。
その場にしゃがんで、小さな光の粒を手で掬った。
サラサラサラサラ。
幼い頃の草の匂い、誰かに言えなかった謝罪の言葉、異国の空の下で食べたパンの味。
不思議といろんなことが取り留めもなく思い出された。
果てというのは、終点でもあり起点でもある。
ここからまた旅に出るのもいいかもしれない。
さて、次はどこへ行こう。
旅路の果てに
ーーー
この、長いようで短いような旅が終わったら、私はその果てに何を見るのだろう。満点の星空だろうか。家族の顔だろうか。幸せな記憶だらけだったらいいと思う。あったかいかぼちゃスープの匂いだったり、猫のひだまりのような匂いだったり。
終活について考えるのが好きだ。「終活」は「就活」と音が一緒なので結構間違われる。私は終活は大好きだが、就活は本当に大嫌いだ。就活というものを始めてすらいないのに、この言葉で胸がきゅっと窮屈になるのほど嫌いなのだ。
しかし、まだ私は若いので「しゅうかつ」というと、必ず「就活」の方に意味を捉えられてしまうのだった。
さすがに現実の友達には終活が好きということは伝えていないが、ネットの友達には話したことがある。めちゃくちゃ心配されたので二度と話さないでおこうと思った。
終活の検定も3級を持っている。3級は無料で受けられて、お金を出せば証明書も発行してくれる。
私は終活のなにに心が惹かれるのだろう。人生の仕舞い方だろうか。一番楽しいことは、自分の遺産(お金ではなくモノ)をどう処分するかを考えるのが楽しい。音楽関係のモノは楽器店に行けば高く買い取ってもらえる、だとか。私がいなくなったあとの片付けは楽な方がいいだろうからモノを定期的に断捨離するのも楽しい。
もう十五年ほどになる。
仕事か付き合いか、なにかの成り行きで入り込み、漫然と生活するうちにもう十五年ほどになる。
橋の上から見る夕日も数分後には落ちること。
明日の早朝に巣の中の小鳥が鳴くことを知っている。
慣れの怖さ、それは後にやってくるものでなく、中途に存在していること。気が付かなければその後に繋がり、意識しなければ事故に繋がる。
年月に轢かれ続けていることを知っている。もう十五年ほどになる。
レールを外して、敷きなおすこと。レールを外して、進行を妨げること。どちらも事故に繋がることを知っている。
【旅路の果てに】
『旅路の果てに』
いつもありがとうございます。
きょうもすぺーすのみです。
そろそろ息抜きがしたいです……😭
いた遅いよごめんねえ明日ってあーいやそれは明日でいねえって違うよこれはだってユカがでもほんとに予告が今週のいやなんだっけこれはさほんとウザあそこじゃあと五分でさっきからでもねえ言ってるのにちょっと走らないでおいってるの僕ねえ晩御飯は何食べ見るものすべ
「大丈夫?」
無数の声が遠ざかり、一つの声が明確に耳に入る。顔を上げると、アオイがおれの顔を覗き込んでいた。あたりを見回すと、車内におれたちしかいない。電車も停まっている。おれは耳を塞いでいた両手をおそるおそる外した。
「具合悪い?」
「いや……」
何と言ったらいいのかわからない。とりあえず降りよう、と手を引かれて立ち上がる。駅に着いたのだ。一歩駅に降り立つと、ザワザワとたくさんの音が飛び込んでくる。無数の音、が、思考を遮っ、ていく。
手を握る。握り返される。あまりに小さな力だ。でもそれに縋るしかできない。何も考えられないまま、引かれるままに歩いた。
「座れる? 座ろう」
駅の隅の待合椅子に座らされる。あんなにいた人々はどこに行ったんだろう。おかげで、やっと息ができる。
「……人がたくさんいるね」
「そら、駅だから」
「乗ったときはこんなにいなかった」
「途中からたくさん乗ってきたね。まあここ乗り継ぎあるから」
「乗り継ぎ」
「目的の駅に行くために、乗ってるのとは方向が違う別の電車に乗るの。ここはたくさんの路線……方向に行く電車が来る駅だから、その分たくさん人がいる」
「電車がたくさん来るから?」
「そうそう」
アオイと話していくうち、沸騰しそうだった脳みそがゆっくり冷めていくのを感じる。ふう、と息を吐くとアオイがもう一度「大丈夫?」と訊いた。
「うん……」
「人酔いかな。もうちょっと休んでいく?」
「うん、じゃあ、あとちょっとだけ」
顔を上げて、改めて辺りを見る。駅の端っこ。今いるところから線路を挟んでひとつ、ふたつ、みっつめに電車が停まっている。電車の端のほう、向こうに数字の書いてある看板。数字を見るに、多分同じような線路がまだ何個もあるんだろう。俺たちがいたような、それから通過してきた町が線路の数、それ以上にある。
「ここから私たちも乗り継ぎして、これよりでっかい駅までいく」
「え」
「そこから特急が出てるの。いける?」
これより、大きな駅。たぶんその分たくさん人がいる。会話がある。普段、こんなたくさんの会話に飲み込まれることはないのは、単純に周りに人がいないからだ。
知らなかった。いや、忘れていた? 過去にもこういうことが、人の声に支配されて立ちすくんだことがあるような気がする。
アオイの表情が、ゆっくり暗くなっていく。
「無理?」
「え?」
「元々、わたしの問題だし。シンヤくんがついてくる必要はないんだ」
「……」
「ごめんね」
ひょい、とアオイが立ち上がり、それからどこかに歩いて行こうとする。慌ててその手を掴んだ。
「大丈夫、行こう」
置いていかれても、おれには何もできない。もとの町に帰ることも難しい。
それに、帰ったところであの家にいられるわけじゃない。
雪が降った。帰ったら、町から去るルビンさんに着いて行くしかないだろう。ルビンさんはそうした方がいいって言うし、ユキも多分、そう思っている。おれもそうだ。そうしたほうがいい。ユキから離れて、働いて金を稼ぐ。ユキじゃない、吸血鬼じゃない、人間たちの社会に入って生きる。そうしたほうがいい。そうするのが正解。
立ち上がる。多分間違ってる。
「行こう」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
間違ってるのはわかるし、多分大丈夫じゃないんだけど、そう言った。
旅路の果てに 辿り着いたのは
仄かに暗い 洞窟だった
身を隠すには 充分な広さで
わたしは そこに
死ぬまで いることにした
あるとき
足元に
小さな穴ができていることに 気づいた
日に日に それは拡がっていき
人が 入れるくらいの 大きさになった
さらに 身を隠すために
わたしは その穴に 入りこんだ
あたたかく 包まれるような
不思議な 感触がした
しばらく そこで 過ごしているうちに
″わたしは なぜ 身を隠しているのだろう?″
と 思うようになった
ある朝
目が覚めた わたしは
穴から 這い出し
洞窟の外へ 歩きはじめた
旅はまた ここから 始まるのだ
『旅路の果てに』
アスファルトで舗装された平らな道
小石が転がるザクザクとした砂利道
大小さまざまな石が転がるデコボコ道
あちこちにくぼみがある穴ぼこだらけの道
目の前に立ちはだかる高い高い壁
苦しくしんどい上り坂
上り坂よりもツラい下り坂
この旅路の果てに
どんな景色が広がるのだろう
ただひたすら
歩くだけ
旅路の果てに
ベッドで
泥のように眠る
目覚めの
まどろみの中で
思い出を振り返り
にやっと笑う
✴️652✴️旅路の果てに
お題「旅路の果てに」(雑記・途中投稿)
……今聴いているのが池田綾子の「こころたび」だから、お題の旅路が普通の旅の意味に聞こえる。
NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」って昔は火野正平がやっていた、自転車で視聴者から寄せられた思い出の場所を巡るやつ。
母が好きで見ていたんだけど、番組内で火野正平が歌うのは別の歌っていうシュールな内容。
NHKってなんか本業とは無関係な事をやらせる趣味でもあるのかと思った当時。「サラメシ」も「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」も確かナレーションが俳優さんだった気がする。プロジェクトXは田口トモロヲって人なんだけど、サラメシの方は失念。
NHKだけあって恐らく現実には誰一人としてやっていない、曲がる時に手信号を出しているのが特徴。曲がる時に片手運転って逆に危なくないか? と毎回思う。
そういえば教習所に通う前かな、父に手信号なんて誰か覚えているのかと話したら、「車の運転免許を取る時に習ったから、免許を持っている人は全員知っている」と断言されたのだけど。
学科問題が全然覚えられなくて試験対策本を買ったし、当時の職場の人ももう忘れたと言っていたから、父の認識程は覚えていないと思っている。
……教習所に一緒に通った友人も一回は学科試験落ちていたし。同級生はあんなの誰が落ちるんだと言っていたけど。
そんな自転車の話。旅の話してないって? 人生は長い旅の途中だよ。
昭和天皇の逸話で、お正月だか誕生日だかに「門松は冥土の旅への一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と言ったと聞いた(侍従本人は閉口したらしいけど)これを昭和天皇の発言だと思い込んでいたら、小林一茶の句だと知った。
臨時滋賀県民だからビワイチ(自転車で行く琵琶湖一周の旅)行ってみたい気はあるけど冬は寒いし春は碌にないし梅雨は論外だし夏は死ぬ。
『旅路の果てにて』
青々と広がる空の元、私は『それ』を前にしてため息を漏らした。
私は旅人だ。見たことの無い世界を見るために歩みを進める者だが…どうやらそれも終わりみたいです。私の旅路は40年に及び続いたが、地球上に私の行ったことのない場所は無くなってしまった。旅路の果てとはこの事か、私は空を眺めながら広々と広がる丘に腰を下ろす。冬のされど春に近い冷たく心地よい風が私の体を撫でる。
「あぁ、いい人生だ」
そんなことを呟きながら目を閉じる。旅路の果てについたら何が起きるだろう?私は眠りについた。二度と目覚めることの無い長い長い眠りに…
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小説って難しい。これじゃただの文だよ
旅路の果てに得られるものが
本当に自分に必要なものなのだろうか。
後ろばかりを振り返る癖の抜けない私だから
貴方のことさえ、忘れられずに
抜けられない沼地から逃げ出す事もせずに
来るものばかりを拒んでいる。
あの日見た誰かが貴方だったなら
迷わず飛び出して貴方を捕まえて
自分でも驚くくらいに泣き喚いて困らせて
今以上の後悔を抱えて生きることも無かっただろう。
何処にいるかも分からない貴方だから
私はいつだって記憶の中に生きる貴方を探すしかなくて。
思い出の場所を巡っては
寂しさや絶望に浸るのが私だけでありますように。
この沼地の中で貴方を待ってる。
良い旅を。
そこで得られたもの
得られなかったものもまた
動けない私に
目を輝かせながら話してくれる日が訪れますように。
貴方と旅をしてるのは、趣味がおんなじだったから。
とある森の奥深くで、貴方と初めて出会った。
最初は警戒してたけど、話していくうちにだんだん楽しい人だとわかってきた。
趣味というのは、「旅路の果てを目指す」…たったそれだけだ。
『旅の途中なんだ〜』 貴方は話す
「なら、一緒に旅をしようよ」 断られちゃうかな…?
『いいよ!大賛成!』
そのあまりにも嬉しそうな表情を見て、私も嬉しくなった。
「どうやって行く?」
『うーん…とりあえずあっちに船があるからあれで行こう』
私達は同じ場所を目指していることも途中でわかった。
途中で雨が降ったり波に飲まれたりしたけど、無事についたこの場所。
私達以外、知らない場所。
『やっとついたね』
「うん、とても綺麗」
旅路の果てに、私達はおんなじ事を思う。
ただ一言「美しい」と。
これからも、こうして永遠に二人で旅をできますように…と。
『旅路の果てに』
もしも今、この瞬間に私の人生という名の旅が終わるとしたら、その「果て」には一体どんな景色が広がっているのだろうか。ふと、そんなことを考える夜がある。
私の想像の中にある終着点は、どこか静かな海辺のような場所だ。波の音だけが響くその場所で、私はゆっくりと後ろを振り返る。そこには、これまで歩いてきた長く曲がりくねった道が、地平線の彼方まで続いている。
道端に咲いていた名もなき花のような些細な喜びや、ぬかるみに足を取られて動けなくなった日の苦い記憶。当時は永遠に続くかのように思えた苦悩も、こうして「果て」から眺めてみれば、美しい景色の一部として溶け込んでいる。すべては、この場所にたどり着くために必要な一歩だったのだと、穏やかな気持ちで肯定できる気がする。
──けれど、ふと顔を上げれば、目の前にあるのは静かな海ではない。
使い慣れたデスクと、明日の予定が書き込まれた手帳、そして中途半端に書きかけのレポートが散らばる、ありふれた現実だ。
私はまだ、旅の途中にいる。
想像したような「果て」は、今の私にはまだ遥か遠い場所にある。あるいは、そんな場所など存在せず、ただひたすらに歩き続けること自体が旅の本質なのかもしれない。
ここから先に続く道は、濃い霧に覆われていてよく見えない。一寸先も見通せないその頼りなさに、足がすくむこともある。選んだ道が正しいのか、行き止まりではないのかという不安は、常に私の背中に張り付いている。
しかし同時に、その霧の向こう側に、まだ見たことのない絶景が待っているかもしれないという期待も捨てきれないのだ。
旅路の果てに何があるのか、今の私にはまだわからない。
だからこそ、今はただ、この霧の中を手探りで、けれど確かな足取りで、また一歩踏み出してみようと思う。その答え合わせができるのは、まだまだ先の話だ。
旅路の果て。
僕の旅物語は、明石海峡の潮騒が響く兵庫県淡路島から始まる。
この島で生まれ育った。
山と海に囲まれた大自然の中にいるが、僕はインドア派なので興味なかった。
ちなみに淡路島はスターの産地、テレビ等で一度は目にした有名人がいます。
俳優の渡哲也さん、作詞家の阿久悠さん、女優の大地真央さん、朝比奈彩さん、お笑い芸人の上沼恵美子さん、ドラゴンクエストの堀井雄二さん、阪神の近本光司さん、村上頌樹さん等々錚々たるメンバーだ。
みんな嫌がって飛び出した田舎なのに、3年ぐらいすると静かに戻ってくる人が多い。
僕は都会暮らしが楽しいので彼らが不思議だ。
兵庫県のとある街に私は住んでいたが、若いうちに県外で経験を積むのもいいかなと思い、静岡県という新たな舞台で力を試す事になった。
その後、青森に転勤を経て宮崎県に異動移り現在にに至る。
本当は大阪府に住みたかった。
だが、当時の僕に実力はなかった。
静岡県に行った時は数年で兵庫県に帰郷するつもりだったのに、結果として故郷は遠ざかるばかりだ。
宮崎で恋人を得たなら、眩しい太陽を友として暮らすんだけどね…。
旅路の果ては神戸と決めている。
その時は、一軒家を借り地域猫の面倒をみるつもりです。
ああ、人生は上手く行かない。
「旅路の果てに」
それはどこだろうか、と考える。
旅に目的があるのなら、達成された瞬間
旅路の果てにたどり着くのだろうな。
目的がないなら、
……そう、例えば、
松尾芭蕉みたいな感じで
旅を栖とするなら、
人生を旅とするなら、
最後に見える景色が、旅路の果てなのだろうか?
かなり詩的な表現だが、
つまり、死ぬ瞬間であるか、ということだ。
私の考えは、いいえである。
人生の旅は、
途切れ途切れに、断続的に行われるものだと思う。
どこで立ち止まるかを、選ぶことができる。
目的を作ってもいいし、なくてもいい。
適当なところで終わって、後から
「ああ、あそこが旅の目的だったのだ」
と気づくこともある。
その時になかった目的だが
意識していないだけで実はあった、
ということもままある。
その断続的な旅を包括して
旅と見ることもできるが
振り返ることができない時点で
意識しすぎるものではないのだと思う。
旅路の果てを選べる。
自分が決めたところが果てになる。
そこに意味のあるものが転がっているかは
自分が
意味のあるものが転がっている場所を
選ぶか否かである、と思う。
足がボロボロになってもアーレントは歩いた
痛みを知らず、傷があるのも構わずに歩いた
明るい時も暗い時もただひたすら思うがままに
ある時一匹の竜に出会う
彼の傷を見て手当てをし、竜の元に通う人間に彼を託した
その人間は彼の手を引き光のなかへと導いた
過ごした世界が滅びた後もそれは彼の心の支えであった
人々を助け組織を創り守る側へとなった彼は
自己に感情を向け生きることができるようになった
旅路の果てに
彼は愛を知るだろう
『旅路の果てに』
みんなゴールは一緒
この世でどんな最高な旅をしようと
何にもなかった平凡な旅をしようと
恵まれなくてどん底な旅をしようと
極悪極まりない残虐な旅をしようと
エンマ様の前を必ず通る
―――そこから先はどうだろう?
酷い行いをした人達は
もう一度新たな命が待ってるのだろうか?
善良を終えた真っ当な人達は
死後の生活が与えられるんだろうか?
現世の果ては人の死
次の旅路に持って行けるのは
技術か、思い出か、反省か、教訓か
ひとつ共通してるのは
全て頭の中にあるということ
つまり、『記憶』だ
物理的な荷物は持っていけない
なら、
持てるだけ持って行ける
人に話したくなる『記憶』を
少しでも沢山持っていきたい
人に自慢できる思い出……
これからどんな記憶を、私は創れるかな?
〜シロツメ ナナシ〜
人生という旅路で
一番に付き合わなくてはならない
どうしようもない奴が
自分だ
ただ
それを理解さえすれば
どこまでも
より良くなる可能性がある
あくまでも可能性だが
理解を放棄すれば
離れて行くのは
明白ではないのか
そうして今日も
自分に裏切られるのかも
しれないが…