藍田なつめ

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 いた遅いよごめんねえ明日ってあーいやそれは明日でいねえって違うよこれはだってユカがでもほんとに予告が今週のいやなんだっけこれはさほんとウザあそこじゃあと五分でさっきからでもねえ言ってるのにちょっと走らないでおいってるの僕ねえ晩御飯は何食べ見るものすべ
 「大丈夫?」
 無数の声が遠ざかり、一つの声が明確に耳に入る。顔を上げると、アオイがおれの顔を覗き込んでいた。あたりを見回すと、車内におれたちしかいない。電車も停まっている。おれは耳を塞いでいた両手をおそるおそる外した。
「具合悪い?」
「いや……」
 何と言ったらいいのかわからない。とりあえず降りよう、と手を引かれて立ち上がる。駅に着いたのだ。一歩駅に降り立つと、ザワザワとたくさんの音が飛び込んでくる。無数の音、が、思考を遮っ、ていく。
 手を握る。握り返される。あまりに小さな力だ。でもそれに縋るしかできない。何も考えられないまま、引かれるままに歩いた。

「座れる? 座ろう」
 駅の隅の待合椅子に座らされる。あんなにいた人々はどこに行ったんだろう。おかげで、やっと息ができる。
「……人がたくさんいるね」
「そら、駅だから」
「乗ったときはこんなにいなかった」
「途中からたくさん乗ってきたね。まあここ乗り継ぎあるから」
「乗り継ぎ」
「目的の駅に行くために、乗ってるのとは方向が違う別の電車に乗るの。ここはたくさんの路線……方向に行く電車が来る駅だから、その分たくさん人がいる」
「電車がたくさん来るから?」
「そうそう」
 アオイと話していくうち、沸騰しそうだった脳みそがゆっくり冷めていくのを感じる。ふう、と息を吐くとアオイがもう一度「大丈夫?」と訊いた。
「うん……」
「人酔いかな。もうちょっと休んでいく?」
「うん、じゃあ、あとちょっとだけ」
 顔を上げて、改めて辺りを見る。駅の端っこ。今いるところから線路を挟んでひとつ、ふたつ、みっつめに電車が停まっている。電車の端のほう、向こうに数字の書いてある看板。数字を見るに、多分同じような線路がまだ何個もあるんだろう。俺たちがいたような、それから通過してきた町が線路の数、それ以上にある。
「ここから私たちも乗り継ぎして、これよりでっかい駅までいく」
「え」
「そこから特急が出てるの。いける?」
 これより、大きな駅。たぶんその分たくさん人がいる。会話がある。普段、こんなたくさんの会話に飲み込まれることはないのは、単純に周りに人がいないからだ。
 知らなかった。いや、忘れていた? 過去にもこういうことが、人の声に支配されて立ちすくんだことがあるような気がする。
 アオイの表情が、ゆっくり暗くなっていく。
「無理?」
「え?」
「元々、わたしの問題だし。シンヤくんがついてくる必要はないんだ」
「……」
「ごめんね」
 ひょい、とアオイが立ち上がり、それからどこかに歩いて行こうとする。慌ててその手を掴んだ。
「大丈夫、行こう」
 置いていかれても、おれには何もできない。もとの町に帰ることも難しい。
 それに、帰ったところであの家にいられるわけじゃない。
 雪が降った。帰ったら、町から去るルビンさんに着いて行くしかないだろう。ルビンさんはそうした方がいいって言うし、ユキも多分、そう思っている。おれもそうだ。そうしたほうがいい。ユキから離れて、働いて金を稼ぐ。ユキじゃない、吸血鬼じゃない、人間たちの社会に入って生きる。そうしたほうがいい。そうするのが正解。
 立ち上がる。多分間違ってる。
「行こう」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
 間違ってるのはわかるし、多分大丈夫じゃないんだけど、そう言った。

2/1/2026, 7:04:56 AM