『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供の頃は
子供の頃約束した記憶なんて、すぐに忘れてしまう。
絶対忘れないなんて誓うけれど、やっぱり子供には難しい事に過ぎない。俺も約束した事はもう覚えていないだろうな。ふとした瞬間に思い出して消えていく。
儚いものに過ぎない。
あれ…何か思い出しはずなんだが…消えてしまった。
汚い大人から三万円をもらった。ただの紙切れ。
身支度を整えながら、私はその三枚の紙切れをもらった。
そのまま用済みの建物から私は姿を眩ます。
朝日がビル群に差し込む。また朝が来た。
ふらりと24時間営業のコンビニへと入る。
今日は火曜日、新作のデザートがずらりと並んでいる。
でか盛りと銘打ったクリームたっぷりのショートケーキ。何も考えずに買い物カゴに入れた。
家に帰って、一人で添加物マシマシのご飯を電子レンジにも冷えきったまま食べた。
子どもの頃は、100円玉だけでも高価だった。お札なんて大金だし、万札なんて夢のまた夢だった。
ケーキなんて、お祝い事でなければ食べれなかった。
家族みんなで食卓を囲み、お母さんの温かい手料理を食べる。
子どもの頃と今では、随分と変わってしまったな。
カーテンを閉めきった薄暗い中、ショートケーキをプラスチックのスプーンですくう。
「ハッピーバースデートゥーミー……」
@ma_su0v0
【子供の頃は】
子どもの頃は
…大切な時期だ。大人になってからも生きる日々は大切なものだけど、子どもの頃に、「未来へのもちもの」が支度されると言って過言ではない。なので、「よき、どちらかと言えば助けになってくれるもちもの」を支度させてやりたいと思う………が、子ども自身が生まれながらに携えてきたものもあり、やっぱり親やおとなは、一定期間のセーフティーネットであったり、子ども自身が課題に当たるときに励ましたりすることぐらいしかできず、またそれが最大の贈り物であるのも事実だ。
生きて行く上で出会うものごとに与える「真実としての解釈」は、子ども自身の采配なのだ。そこを無理強いすることは侵害になる。
さて、かつて子どもでなかった人は居ないと思うが、「自分の真実」をちゃんと決めているだろうか?
ここに“自分の親がどうだったか”は関係ない。出会ったものごとが自分にとって「何」であるかを、ちゃんと決めているか、すべての経験に着地点を見つけたか、いま、新しく一瞬一瞬展開する事実が見えているか、はた、と見てみることも、ときに役立つ。
がんばれ、かつての子どもよ、と、自分に投げかけてみる今日この頃だ。
まだランドセルがピカピカだった頃。
学校から汗だくになりながら帰って、ランドセルを子供部屋に放り投げてまた家を出ていた。ポケットの中に家の鍵と小銭入れ、ハンカチを無理矢理詰め込んでいたから、ズボンはパンパンに膨れていた。
歩いて三分、走って一分未満。家を出て坂を下った先に公園があった。ブランコと滑り台、ジャングルジムにベンチが二、三個置いてあるだけの公園だった。木々に覆われていて静かなその公園はあまり人気がなかった。ボール遊びができる隣の公園の方が賑わっていた。でも俺はその公園が好きで通っていた。
公園に着くと、いつも先に鳴海がいた。
日焼けした小麦肌にショートカットの黒い髪、着古されたTシャツと半ズボン、色褪せたスニーカーをまとった同い年の子だった。鳴海はこの公園を通るたびに見かけていて、ずっと気になっていた。だから声を掛けて一緒に遊び始めたのだ。
どこの学校に通っているのか聞いてない。ただ、住んでいる場所は公園の近所らしい。近所なら学区が被っているし、一緒の学校だと思ったけど、一学年二クラスしかない俺の学校で見かけたことはなかった。多分、公立じゃなくて私立の学校に通ってるんだと勝手に思っていた。
遊びは走り回ったり、ブランコでどこまでも高く漕いだり。ベンチに座ってただ喋るだけの時もあった。案外何でも気さくに話してくれるから、着古したTシャツについて聞いたことがあった。特に気を悪くした様子もなく「お母さんが公園行くなら泥だらけになる。だから汚れても良い服で行きなさいって」と理由を話していた。俺の家は公園用とか学校用とか全然分けないから、専用の洋服を着るという発想が理知的に感じた。育ちが良いってこういうことかと思った。
結構仲良く遊べていたと思ったけど、小学四年生を目前にした春、鳴海は引っ越してしまった。
いつも通り遊んでいる途中で話されたから、俺はビックリして頭の中が真っ白になった。
「何で言ってくれなかったの?」
「稔くんと離れ離れになるんだと思ったら言えなかった」
涙を堪える鳴海の手を握った。少しひんやりしていた指先を、温めるように両手で包んだ。
「また遊ぼう。いつか必ず」
「うん」
ちゃんと守れるかわからない約束を交わして別れた。
俺は公園へ通う理由がなくなった。
*
あれから高校生になった俺は、公立の学校に通い始めて驚くことがあった。
あの、公園で一緒に遊んでいた鳴海が、この学校に通っていると気がついたからだ。
それだけじゃない。鳴海はかなり目立つ存在で、あの時と同一人物なのか見極めるのに苦労したからだ。
成績優秀、運動神経抜群、さらに高身長。背が高いと制服から伸びる手足もやはり長い。肌は小麦色に焼けていて、健康的な印象だ。サラサラと風に靡く黒髪はショートヘアでさっぱりとしている。
顔立ちは淡白な方だと思う。目元は切れ長だけど、その周りを長いまつ毛が縁取っている。薄い唇の左下にはちょこんとホクロがあった。
エキゾチックとか、ミステリアスとか。この間観た洋画に登場したアジア系の暗殺者に雰囲気が似ていた。
「鳴海さん、よかったらこのお菓子食べて」
「これ、この間ストーリーで見たところのだ。いいの? 私が食べても」
「もちろん、これ鳴海さんの分だから」
「いつもありがとう」
切れ長の目がより細められて、薄い唇が弧を描いた。話していた女子は、鳴海の滅多にない笑顔にときめいたのか、恥ずかしそうにそそくさと去っていった。
廊下の片隅で行われたいつものやりとりに、俺たちはたじろいでいた。
「鳴海ってすげぇよな」
「あぁ、うん」
友達がポツリと呟いた。俺は慌てて頷いた。一人佇んでいる鳴海は、手元に残ったお菓子を眺めていた。確かに最近流行っているお菓子で、カラフルで発色の良いソレは少し毒々しくも見えた。
「休み時間のたびに菓子もらってるよな」
「確かに」
「鳴海ってそこらのモテる奴とは次元が違うよな」
「そうだな」
何だか勝手に気まずくて照れ臭くて、適当に返事をしてしまった。俺と鳴海の関係は、誰にも話してない。学校は違ったし、ただ放課後公園で一年くらい遊んでいただけだ。遠い昔の話を、どういう関係と言うのが適切か迷ったのだ。
どうやら鳴海はあれから私立の小学校に通っていたらしく、中学は地方の公立学校にいたらしい。親の転勤に合わせて動いていたから、学校に友達が少なかったそうだ。
そして高校生になって戻ってきたらしい。全部クラスの女子から又聞きしたから、正しいか分からないけど。
「やべぇ、そろそろチャイム鳴るかも」
「うっわ! 走ろう!」
俺たちは教室の時計を見て慌てて走り出した。次の授業は移動教室だ。
本当はもっと早く行く予定だったが、教室を出たら鳴海たちに遭遇したのだ。何だか目の前を通るのが気まずくて、立ち止まって成り行きを見てしまった。
でも一度立ち止まったことをすぐに後悔した。今度は歩き出すタイミングが掴めないからだ。目の前を通るよりも、もっと気まずい。
急いで走り去ってしまおうと思っていると、こちらを見た鳴海と目が合った。
あっ。
思ったのが早いか、声に出たのが早いか。鳴海は俺だと気づくと、一瞬にして顔を綻ばせた。
「稔くん!」
周りに花を飛ばしながら、鳴海が駆け寄ってきた。鳴海の声に反応してか、周りの注目が俺に向いた。俺は、鳴海から目が離せない。
駆け寄ってきた鳴海は俺の目の前で立ち止まると、ニコニコ笑顔を浮かべながら話し始めた。俺はその薄い唇が動くたびに、ドキドキして顔が熱くなる。
友達とも幼馴染とも、周りに言いたくないよ。
俺は出会ってからずっと、この女の子の彼氏になりたいんだから。
『子供の頃は』
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子供の頃は、周りの子に比べたら、あまり活発じゃなくて、体を動かす遊びよりも、絵本を読んだり粘土で遊んだりすることのほうが多かった。
病弱で、入退院を繰り返し家にいることよりも、病院にいることのほうが多かった。
大人になりたくて、曾祖母ちゃんの靴を履いて歩いたこともある。小さい頃から、畑仕事を手伝っていた。例えば、鎌を持って草むしりして、近所の人にびっくりされた。曾祖母ちゃんの病気が見つかって言われるよ余命3ヶ月と言われた時、家族みんなショックを受けていても、私だけ何も知らず、見る見るうちに病気が悪化して弱っていく曾祖母ちゃんを見て、少しずつ理解することが出来た。
体も痛いだろうに、私のために足を引きずりながらグレープフルーツを剥いて食べさせてくれたり、死ぬまでおんぶして散歩してくれた曾祖母ちゃんの存在を一生忘れない。そんな曾祖母ちゃんは、私が5歳の時に星になった。
そして、その翌年に祖父が心筋梗塞で星になった。
朝は、いつも通り仕事に行ったのに、帰ってくる時は、亡くなって帰ってきたことがショックだった。何年経っても、祖父が亡くなったことを信じられない自分がいて、どこかで生きているんじゃないかなって思う。
そんな事は、ありえないのに…
子供の頃は、何か悪いことをしたら
ごめんなさい。
もうしません。
こんな言葉を幾度となく親から言うように求められたものだった。絶対に思っていなくとも。
大人になった今、謝りなさいと言われる場面は
余程の大失態がない限り無いだろう。
ふと、今までの元カレが頭に浮かんだ。
夜明けの夢で、かつて付き合っていた健吾が出てきたからかもしれない。健吾は会えばいつも笑っていて、暑苦しいほどに愛してくれていた気がする。私の気持ちと釣り合いが取れなくてアンバランスな関係に嫌気が差してお別れしたのだった。
その後、不埒な康史という男に出会って、追いかける喜びを知った。健吾が私を追いかけたように、私は康史を追いかけた。康史に対して色んな感情を見つけ出す度に、私はどこかで健吾に共鳴していたような気がする。
康史の度重なる浮気によって、結局別れてしまった。
どちらも半年と持たなかった。
康史に対しては、こちらも半分期待しないで付き合った訳でこうなることはどこかで予感していた。
あの日から半年経った。
1人でカフェに行って、
デートで訪れているカップルに対しても
なんの感情も抱かなくなった。
ただ、あの時こうしたらよかったな
ということだけがジワリと心に染み入ってくる。
自分が悪いわけではない。
だけど
ごめんなさい
自然に出てくる言葉はこれしかなかった。
次に出会う人には
こんな謝り方、したくない。
#子供の頃は
子供の頃は何も知らず、ただ笑って泣いて。
その時の私は早く大人になりたい、そんな事だけを考えていたけれど
実際大人になると大変で、忙しい日々が続く。
子供に戻りたいな、と思うことがあるけれど
今は大好きな君と会えたんだから。
案外この生活も悪くないなと思える。
子供の頃は
思い出すたびに苦い顔になる。
そんな幼少期だった。
ただ年齢が上がっていくにつれて
周りの顔色を伺う
空気を読んで周りに合わせて生きる
典型的な日本人だった。
子供の頃は(あの頃のままで)
「片付け終わったー?」
―――まだ肌寒い春には少し遠いその日、僕はあらかた自分の部屋の整理を終えていた。
いる物いらない物を分け、段ボールに詰めて階下に運べるよう廊下に積み上げる。
「もう少しかな、後ちょっと」
部屋を見渡し、なかなかに綺麗になったと満足する。
引っ越しの準備というのは意外に重労働だと腰に手を当てて一人息をついた。
ふと残っている荷物の中に一冊の古いアルバムが目に留まり、手に取ってみる。
「へー、懐かし」
赤ん坊から徐々に成長していく過程がつぶさに記録されていて、母の几帳面さが覗える。
そうだった、こうだったとペラペラ捲っていくと一枚の写真が裏側向きで挟んであった。どこか古そうだ。
何気なく表にする。
「あれ、これって」
見覚えがある。確か、………
「お兄ちゃん、お客さんー!」
「はーい」
一階からの妹の声に顔を上げると、僕はアルバムを置いて早足に下へ降りて行った。
玄関のドアを開ける。
「よっ」
「………何だお前か」
「何だはないだろ、冷てーなあ。こちとらせっかく盛大に見送ってやろうと餞別持って来てんのに」
憮然と差し出された箱に、僕はしかし特に反応もせず受け取る。
「おばさんに有り難く頂きましたと伝えてくれ」
「あ、バレてた?」
「………バレるも何も、お前がそんな律儀な奴だと端から思ってないって。透けて見えてんの、その腹づもりが」
呆れ返る僕に、彼はしらっとつまんねえと呟くのだから全く手に負えない。
少しは名残惜しそうでもあれば可愛げがあるというのに、こいつときたら………。
「いやほら、またどうせ会うって。昭和じゃあるまいし、連絡手段なんていくらでもあるじゃん?」
「連絡取るほど会いたいと思う仲だったらな?」
「………。さすがに酷くない?それ」
―――じゃれ合う程に仲が良い。
そういう関係だった、僕らは。昔から。
「ほら」
「ん?」
幼馴染みが小指を差し出す。
「忘れない約束」
約束………。
『お前絶っっ体忘れるだろ! 信用できねえ、ムリ!』
『そういうお前だって約束守ったことねーじゃん! 自分のこと棚に上げてよく言うな! 信じられねー!』
『まあまあ二人とも。じゃあ忘れないように指切りしよう? あと、おまじないかけておいてあげる』
おまじない?
―――幼い頃の僕と彼の指切り。
それは確かにおまじないとして今も僕の手元に残る。
「何だよ、俺と約束はしたくないって?」
お前そこまで捻くれてた? 俺がこんな健気なの当分拝めないよ?
「………なに有り難みを強要してんの」
僕も彼に小指を差し出す。
―――あの頃のように二人とも純粋に笑えてはいないかもしれないけど。
あの写真は今も僕の中で色褪せずに輝いている。
END.
子供の頃は、なんだって叶えられた。
「必要なのは、求めるか/掴み取るか」
※この深意、貴方々はどう考えるか。
子供の頃は、プリキュアを観るのが当たり前だった。
保育所の友達と、プリキュアごっこを沢山した。
キュアブロッサムのことをキュアブロッコリーと言って笑ってた。
そして私はいつの間にか、プリキュアを観なくなっていた。プリキュアは小さい子が観る幼稚なものだと思うようになった。
でも、そんな私がまた、プリキュアを観るようになった。約10年ぶりの再熱。
今観ているのは、GO!プリンセスプリキュア。
後期エンディングをたまたま聴いて、その曲が好きすぎて観始めた。『夢は未来への道』という曲。
この曲はプリキュア一人ずつのバージョンがあって、一部の歌詞がそれぞれのキャラで違う。そこの部分が本当に好きで、何回も聴いてしまう。一番好きなのは、
“どの過去も 生きる チカラに
わたしの炎 誰も 消せない” という歌詞。
彼女の生き様を現しているとても良い歌詞だと思う。
そして、変身シーンもまた凄く魅力的。
ドレスアップが終わったあとのお辞儀(お姫様がやるような、ドレスの両裾を持ってするお辞儀)で、お花がブワーッと舞って、それが本当に綺麗でいつも見惚れてしまう。
プリキュアを観ると、安心する。子供の頃に戻ったような心地よさがある。健気に頑張る主人公たちから、力を貰える。心が疲れた大人たち、プリキュアを観なさい!
子どもの頃は早く大人になりたい、早く学校を卒業したいと強く思ってた。
でも今は学生が楽しかったな、少しだけ戻ってみたいなって思ってる。
大人は仕事に育児、家事や人付き合い。
楽しいこともあるけれど辛いことも同じくらいやってきてすごくめんどうなことばかりで疲れちゃう。
けれど今の私があるのは昔の出来事があったから。
だから後悔はしてないよ。
今を精一杯生きてくだけだ。
でもちょっとだけ休むのは許してね。
ふと思う。子供の頃は、幸せだったなと。
❆❆❆
子供の頃は、ちょっとした事で笑うし、泣くし。
今は如何だ?人の顔色ばかり気にして、自分の本音を話せなくて。ただ汚い笑顔を貼り付けるしか───
「ママ?」
娘に声を掛けられて、我に返る。
「あ、ごめんね。如何したの?」
「なんでもないの。ただね、ママ、くるしそうなかおしてたから」
「え〜?ママそんな顔してたかなあ?」
「うん…こんなかんじでね。むすーって」
腰に手を当てて、私の真似をしてくれる。
「ごめんね、怖かったよね」
「ううん、ママのあたらしいかおみれて、███うれしいよ!」
そうやって歯を見せて笑う娘は、何処か昔の私に似ていて。
「今、幸せ?」
「しあわせだよ!ママのこどもにうまれてよかった!」
「そっ、かあ…」
「…ママ、ないてるの?」
「嬉し泣き!大丈夫だから」
「ふふ、そっかあ!」
…子供の頃はただ、笑う事と泣く事が多かっただけ。今も、十分幸せだ。
❆❆❆
題名:子供の頃は
『子供の頃は』
水の張られた田んぼを覗くと黒い体に尾だけが付いた生き物が植わった稲の周りを所狭しと泳ぎ回っていた。まだ1桁台の幼児だった頃の、手に持つものすべて握りつぶす記憶がうすぼんやりとだが残っており、そのせいでオタマジャクシにはちょっとした罪悪感がある。ななつまでは神のうち、という言葉にどうにか許してもらって今も生きている気がする。
子供の頃は特に何も考えなくても良かったのに
その頃は考えてなかったこと
「子供の頃は」
湿気った曇りの昼下がり。膝の上には自称マッドサイエンティスト。やることも思いつかないから居間でテレビを見ていた。流行りのファッションとか、観光スポットとか、他愛もない内容だ。
そういうコーナーの間にニュースが挟まる。
両親に育児を行われなかった子供が見つかったらしい。
それを見て自分は過去の事を思い出していた。
子供の頃……いや、うんと小さい頃はいたって普通の家庭で暮らしていた。絵本の読み聞かせも、美味しいご飯もあった。きょうだいも生まれて、小さいながらすごく満たされていた。
将来は、家族みんなを守れるような、そんなひとになりたいと、心からそう思っていた。
でも、いつだっただろうか。何故だったのだろうか。
もう忘れてしまった。もしかしたら思い出したくないだけなのかもしれないが。徐々に幸せは崩れた。
両親はいつも喧嘩ばかりしていて、何かある度にどちらかの味方をさせられたり、時に怒りの矛先が自分に向くこともあった。
貧乏ではなかったはずなのに、ご飯にありつけない日もあった。
無力な自分は、ただただ悲しかった。虚しかった。
家族の仲を取り持つことも、助けを求めることもできずに、ひとりで泣くことしかできなかった。
そんな日々を長いこと送っているうちに、いつしか希望の持ち方も忘れてしまったし、夢なんてものも忘れてしまった。
花が散るように、命が消えるように、愛にも夢にも希望にも、いずれ終わりが来るんだ。
そのことを理解したから、せめて何も起こらない、波風を立てない、そんな暮らしを求めるようになっていった。
求めれば求めるだけ苦しくなる。
それが分かったのなら、最初から求めなければいいだけだ。
なのに、過去の自分の亡霊に付き纏われて、何でもかんでも求めようとしてしまう。
そんなことを考えていたら、ふと自称マッドサイエンティストが口を開いた。
「そうか……。キミも、辛かったんだね。」
「……どうして、自分の可愛い子供なのに、そんな酷い目に遭わせられるんだろうか。ボクには分からないや。」
「ボクは随分と愛されて育った。だから余計理解できない。」
「あ、自慢のつもりは毛頭ないよ。まだボクはこの通り子供だから、おとなの気持ちはあまりわからない。」
「でもね、新しい仲間が増えたときや、彼らがだんだん成長していく様子を見ているとね、すごく嬉しくなるんだ。だからこそ、小さい子たちを辛い目に遭わせたくないのだよ。」
「こう見えてボクはキミよりもずっと年上だ!だからもちろん、キミに対しても同じように思っているよ。」
「過去はとても辛いものだっただろうし、それを変えることもできない。」
「だけどね、これからボクと一緒に過ごして、そんなことを忘れてしまえるくらい楽しく生きようよ!未来なら無限に変えられるんだからね!」
「キミが満足するまで、色んなことをしようよ!もちろん、ボクのしたいことにも付き合ってもらうが!!」
……そっか、そうだよな。……ありがとう。
あんたみたいなわがままなやつが羨ましい、なんて思っていたけど、自分だって少しくらいなら、わがままになったって良いよな?
「そうだよ!!!だから、苦しければ何でも話を聴くよ!それから、美味しい食べ物を食べて、遊んで寝て……!」
「これからを明るく暮らそう!!!」
ああ、そうするよ。
子供の頃はあまり思い出したくない。
今思えば、父親に躾という名の体罰をよくうけていたせいか、自分以外の人間の顔色をうかがってばかりだった。
殴られないよう人を怒らせないようにすることが最善だと思っていた。
小学校に入ると、クラスメイトの嫌がらせの標的となったけど、僕はいつもニコニコしてやり過ごし、1人になると泣いた。
あの日の帰り道もそうだった。
一部始終を見ていたクラスメイトの女の子が、嫌なことは嫌だと自分の意思表示をしなくては、他の人に通じない、というようなことを僕に言った。
「でも殴られるし。痛いの嫌だ。」
僕がそう言うと、彼女は「大丈夫だから」と言った。
何が大丈夫かはわからなかったが、何故か彼女の言うことを信じてもいい気がした。
すぐに意思表示できたわけではなかったけれど、彼女がこちらを時々みていることに気がついた。
その視線に背中を押されるように、少しずつ「嫌だ」
と言えるようになり、しばらくすると嫌がらせはおさまった。
後できけば、僕がいつもニコニコしているから、嫌がっているとは誰ひとり、教師さえも露ほども思っていなかったらしい。
子供の頃の僕に言うなら、
お礼を言うまえに転校していった彼女と数年後再会する。抱いた感謝と好意を大切にしまっておけよと。
お題「子供の頃は」
子供の頃は
「わしらが子供ん頃は〜」
なんて話、私は聞きたがる子供だった。
川で水遊び、サワガニは食べられるけれど
お腹もしっかり焼くこと、
山の清水は、
夏は寄生虫がいるかもしれないから
注意すること…
お陰で、
縄文時代大好きな子供に仕上がった。
今の子供たちに、
「おばちゃんの子供の頃はね」と、
どきどきわくわくの冒険話なんて、
できるだろうか?
ちょっと自信ないな。
白浜の海に遊びに行く
水がこわくて砂といじける
大きなわかめの棒を持つ
太陽にかかげる
足のひらを浅瀬につける
沖の父と兄を見る
かまってもらえないのが気に入らない
すこしずつ、波を好きになる
海にも旅行にも素直になっていく
父と兄と、プカプカと流れていく
日照りと砂がうきわにすり減って痛い
守られていて、たのしくて
たのしいのに、守られていて
遠くのパラソルで手を振る母の元へ戻りたい
夕方父はへとへとで、私と兄はまだ遊びたい
冷えたお腹がグウウとなり
塩水がどこかでしみている
岩壁で擦りむいた肌を探す
海の家のおでんを母が買う
たまごについたすなつぶをジッとみる
スープがこれまでとなく染み渡る
ジャリリと奥歯で音がする