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 まだランドセルがピカピカだった頃。
 学校から汗だくになりながら帰って、ランドセルを子供部屋に放り投げてまた家を出ていた。ポケットの中に家の鍵と小銭入れ、ハンカチを無理矢理詰め込んでいたから、ズボンはパンパンに膨れていた。
 歩いて三分、走って一分未満。家を出て坂を下った先に公園があった。ブランコと滑り台、ジャングルジムにベンチが二、三個置いてあるだけの公園だった。木々に覆われていて静かなその公園はあまり人気がなかった。ボール遊びができる隣の公園の方が賑わっていた。でも俺はその公園が好きで通っていた。
 公園に着くと、いつも先に鳴海がいた。
 日焼けした小麦肌にショートカットの黒い髪、着古されたTシャツと半ズボン、色褪せたスニーカーをまとった同い年の子だった。鳴海はこの公園を通るたびに見かけていて、ずっと気になっていた。だから声を掛けて一緒に遊び始めたのだ。
 どこの学校に通っているのか聞いてない。ただ、住んでいる場所は公園の近所らしい。近所なら学区が被っているし、一緒の学校だと思ったけど、一学年二クラスしかない俺の学校で見かけたことはなかった。多分、公立じゃなくて私立の学校に通ってるんだと勝手に思っていた。
 遊びは走り回ったり、ブランコでどこまでも高く漕いだり。ベンチに座ってただ喋るだけの時もあった。案外何でも気さくに話してくれるから、着古したTシャツについて聞いたことがあった。特に気を悪くした様子もなく「お母さんが公園行くなら泥だらけになる。だから汚れても良い服で行きなさいって」と理由を話していた。俺の家は公園用とか学校用とか全然分けないから、専用の洋服を着るという発想が理知的に感じた。育ちが良いってこういうことかと思った。
 結構仲良く遊べていたと思ったけど、小学四年生を目前にした春、鳴海は引っ越してしまった。
 いつも通り遊んでいる途中で話されたから、俺はビックリして頭の中が真っ白になった。

「何で言ってくれなかったの?」
「稔くんと離れ離れになるんだと思ったら言えなかった」

 涙を堪える鳴海の手を握った。少しひんやりしていた指先を、温めるように両手で包んだ。

「また遊ぼう。いつか必ず」
「うん」

 ちゃんと守れるかわからない約束を交わして別れた。
 俺は公園へ通う理由がなくなった。

   *

 あれから高校生になった俺は、公立の学校に通い始めて驚くことがあった。
 あの、公園で一緒に遊んでいた鳴海が、この学校に通っていると気がついたからだ。
 それだけじゃない。鳴海はかなり目立つ存在で、あの時と同一人物なのか見極めるのに苦労したからだ。
 成績優秀、運動神経抜群、さらに高身長。背が高いと制服から伸びる手足もやはり長い。肌は小麦色に焼けていて、健康的な印象だ。サラサラと風に靡く黒髪はショートヘアでさっぱりとしている。
 顔立ちは淡白な方だと思う。目元は切れ長だけど、その周りを長いまつ毛が縁取っている。薄い唇の左下にはちょこんとホクロがあった。
 エキゾチックとか、ミステリアスとか。この間観た洋画に登場したアジア系の暗殺者に雰囲気が似ていた。

「鳴海さん、よかったらこのお菓子食べて」
「これ、この間ストーリーで見たところのだ。いいの? 私が食べても」
「もちろん、これ鳴海さんの分だから」
「いつもありがとう」

 切れ長の目がより細められて、薄い唇が弧を描いた。話していた女子は、鳴海の滅多にない笑顔にときめいたのか、恥ずかしそうにそそくさと去っていった。
 廊下の片隅で行われたいつものやりとりに、俺たちはたじろいでいた。

「鳴海ってすげぇよな」
「あぁ、うん」

 友達がポツリと呟いた。俺は慌てて頷いた。一人佇んでいる鳴海は、手元に残ったお菓子を眺めていた。確かに最近流行っているお菓子で、カラフルで発色の良いソレは少し毒々しくも見えた。

「休み時間のたびに菓子もらってるよな」
「確かに」
「鳴海ってそこらのモテる奴とは次元が違うよな」
「そうだな」

 何だか勝手に気まずくて照れ臭くて、適当に返事をしてしまった。俺と鳴海の関係は、誰にも話してない。学校は違ったし、ただ放課後公園で一年くらい遊んでいただけだ。遠い昔の話を、どういう関係と言うのが適切か迷ったのだ。
 どうやら鳴海はあれから私立の小学校に通っていたらしく、中学は地方の公立学校にいたらしい。親の転勤に合わせて動いていたから、学校に友達が少なかったそうだ。
 そして高校生になって戻ってきたらしい。全部クラスの女子から又聞きしたから、正しいか分からないけど。

「やべぇ、そろそろチャイム鳴るかも」
「うっわ! 走ろう!」

 俺たちは教室の時計を見て慌てて走り出した。次の授業は移動教室だ。
 本当はもっと早く行く予定だったが、教室を出たら鳴海たちに遭遇したのだ。何だか目の前を通るのが気まずくて、立ち止まって成り行きを見てしまった。
 でも一度立ち止まったことをすぐに後悔した。今度は歩き出すタイミングが掴めないからだ。目の前を通るよりも、もっと気まずい。
 急いで走り去ってしまおうと思っていると、こちらを見た鳴海と目が合った。
 あっ。
 思ったのが早いか、声に出たのが早いか。鳴海は俺だと気づくと、一瞬にして顔を綻ばせた。

「稔くん!」

 周りに花を飛ばしながら、鳴海が駆け寄ってきた。鳴海の声に反応してか、周りの注目が俺に向いた。俺は、鳴海から目が離せない。
 駆け寄ってきた鳴海は俺の目の前で立ち止まると、ニコニコ笑顔を浮かべながら話し始めた。俺はその薄い唇が動くたびに、ドキドキして顔が熱くなる。

 友達とも幼馴染とも、周りに言いたくないよ。
 俺は出会ってからずっと、この女の子の彼氏になりたいんだから。




『子供の頃は』

6/24/2024, 5:28:00 AM