駅に降り立つと、パラパラと雨が肌に当たった。慌てて手に持った日傘を差したが、晴雨兼用できない日傘だったことを思い出していそいそと畳んだ。雨足は弱いけど少しも濡れたくない私は、肩にかけたトートバッグに手を突っ込んだ。バッグの底に沈んでいるはずの折り畳み傘を探るものの、指先にはそれらしいものが当たらない。そのうち焦ったくなってバッグを開いて中を確認すると、折り畳み傘はどこにもなかった。
ああ、家か。
ため息混じりに浮かんだその言葉を、頭を振って打ち消す。
あそこには二度と戻らない。
新幹線の座席に着いた時に誓った言葉を、心の中で繰り返す。とにかく雨を避けたくて、駅の待合室へ向かった。
改札を出た右側にある待合室は、かつて喫煙所も兼ねていた場所で、タバコの匂いが充満していて一分たりとも入りたくなかった。通学で使っていた最寄駅だけど、待合室には近寄らなかった。
午後三時過ぎ。待合室を覗けば誰もいなかった。喫煙用の灰皿スタンドは撤去されていて、新たにベンチが設置されている。私は足を踏み入れてベンチに腰を下ろした。屋根はあるが道路に面した目の前には壁がない。私はどこまでも広がる田んぼと、ざあざあと強くなってきた雨をぼんやりと見た。
*
二度と帰らないと、十年以上前にも思ったことがあった。春から東京の大学へ進学する時、東京方面行きの電車に乗った瞬間にそう誓ったのだ。
どこまでも田んぼで、遠くに見えるのは山並みで。テレビで観るようなキラキラした生活に憧れた私は、大学生になったら上京すると決めていた。
キラキラな大学生活を送って、キラキラな社会人になって。彼氏ができて、結婚して、子供が産まれて賑やかな家庭を築く。
自分の心に目標として刻んだ考えは、途中まで叶えることができた。
講義もサークルもアルバイトも充実した大学生活。第一志望の企業に就職して仕事もプライベートも毎日楽しかった社会人生活。社会人四年目に仕事の取引先として翔と出会って交際が始まり、一年後にはプロポーズを受けた。そのまま入籍して東京で暮らしいていた。全てがトントン拍子で進んでいく。順調だった。
私は子供に恵まれなかった。私の不妊だった。
翔は子供が好きだった。でもできないなら仕方ない、と言ってくれた。彼のご両親も泣いて謝る私に気を遣って慰めてくれた。お嫁さんが来てくれただけで嬉しい、と。
この優しい人たちのもとに産まれたら、きっと愛情たっぷり受けてすくすく育ってくれるに違いない。私はまだカケラも見ぬ我が子に会いたくて、この優しい人たちに会わせたくて不妊治療を始めた。自分の体に一体何が起こるのか不安で仕方なかった。費用だってバカにならない。それでも周りに励まされながら不妊治療を続けていた。
何年経ってもめぼしい成果は得られなかった。
不妊治療を始めて五年が過ぎようとしていた。まだ三十二歳だ、妊娠する可能性は十分にある。翔にもご両親にも、理解してもらっている。やめるのはもったいない。
そう考える一方で、反対のことも思い浮かんだ。もう子供できないんだよ。そういう体質で自分が生まれてきちゃったんだよ。諦めなよ。子供いなくていいって言ってくれてるんだから。高い費用払ってまで続ける意味なんてないんだよ。
諦めるか、諦めないか。私の頭の中でグルグルと考えが巡る。
いつからか気力が湧かなくて、ひどく疲れて、仕事に行くのも億劫で。ただひたすら眠っていた。怠けてばかりの私に、翔も最初は心配してくれた。でも次第にそんな素振りも見せなくなり、いつの間にか帰りが遅くなって外泊が増えた。
ああ。これは私のせいだと思った。翔の帰りが遅くなったのも、外泊が増えたのも、私が翔の充実した毎日を阻害しているのだと。察することはできても、そこに感情は何も生まれなかった。
別れはどちらかが言い出したわけでもない。対面する私たちを挟んで、リビングのテーブルの上に緑の紙と、話し合いの末、擦り合わせた条件を書面に起こした書類が置かれていた。署名と捺印をして、間違いがないかダブルチェックして。ふと顔を上げれば、こちらをじっと見る翔と目が合った。
翔は驚いた表情を浮かべた。まるでお化けでも見ているようだった。何か言ってやろうかと口を開くが、何も言葉にする気力がなくてまた閉じた。
浮気していた俺が悪いから、と慰謝料をくれた翔に、泣くことも怒ることもできず、やっぱり浮気だったんだと頭の片隅で考えた。
この部屋は元々私が住んでいた。実家暮らしの翔が、付き合って半年経ったあたりから私物をどんどん増やしていき、プロポーズ後に転がり込んできたのだ。今は通勤が楽だからここがいいと主張してきた。本当は蹴りたい話だ。上京してから変わらず住み続けてきた部屋だけに少しだけ愛着がある。でも喧嘩する元気も、調停する気力もない。
次の家が決まるまで住んでいていい、俺は実家にいるから、と偉そうな物言いをした翔に首を振る。ホテルでも取るのか、と探りを入れてくる翔に、私は口を結んで首を振る。何回か繰り返すと喋る気がないことを察したらしい。翔はテーブルに広げた離婚届と協議書をファイルに挟んで立ち上がった。この後すぐに区役所へ行くらしい。
私も立ち上がり、寝室のクローゼットの中を掻き分けた。奥底には、結婚前友人と海外旅行へ行った際のシルバーのキャリーケースが眠っていた。キャリーケースは、旅先でできた傷隠しに、よく分からない言語とデザインのステッカーを貼っている。なんだかんだでお気に入りだ。
やっとの思いで引き出したキャリーケースは、少し埃をかぶっていた。翔の好みでないらしいキャリーケースは、結婚してから日の目を見ることはなかったからだ。近くにあったティッシュでササっと拭き上げて、空っぽの中身にどんどん服を投げていく。とにかく今着る物を入れるように意識した。他にダンボールに詰めるものと、捨てるものに袋を用意してどんどん入れていく。クローゼットの中が終わったら寝室を出て部屋のあちこちにある私物を仕分けていく。見落としのないよう隅々まで見た割に、荷造りは一時間程度で終わってしまった。パンパンのキャリーケース、実家に送るダンボール二箱分の袋、あとはゴミの日に出してもらうことになる。ダンボールは元々用意されていた内から二個拝借して、袋ごと詰め込んで封を閉じた。スマホのアプリで配送手配をして、すぐ受け取りに来た配達員へ渡した。残りのゴミは、翔に任せることにした。
何も残さなかった。翔にもご両親にも悪いけど、私のことは早く忘れてほしかった。
そのままキャリーケースとトートバッグを持って、私は地元方面行きの電車に飛び乗った。電車の中で新幹線の切符も買っていた。仕事はすぐに辞められないけど、ちょうど土日祝日の三連休だから、逃げるように実家へ帰ってきたのだ。
*
考えなしだったと少し反省している。仕事はリモートワークに切り替えているとはいえ、週二回は出社しないといけない決まりだ。実家から東京の会社は、新幹線に乗ってもかなり時間がかかる。通勤には不向きだ。本当は住む場所を探すべきだった。
次第に強くなる雨を眺めながら、少し後悔に苛まれた。連休が明ければ仕事へ行かなくてはならない。ホテルに連泊することは簡単だけど、金銭面で長続きはしないだろう。この田舎町にどれだけ再就職できる会社があるか、私は知らない。今の仕事は辞めるべきではないのだろう。
それでも、東京へ帰る気は起きなかった。
「あれ」
突然男の人の声が聞こえた。ハッとして目線を彷徨わせると、目の前に一台の軽トラックが止まっていた。運転席の窓から顔を覗かせて、こちらを見る男の人がいる。
見られている不快感に身を捩らせると、男の人は車を降りて傘を差し、こちらに向かってきた。逃げなきゃ。何となく腰を浮かせると、また男の人が話し出した。
「舞ちゃんでしょ? 大伴さんのところの」
名前を呼ばれて、私は恐怖のあまり動くに動けなかった。
男の人は傘を差したまま、待合室には入らずに話しかけてきた。恐る恐る顔を見上げると、どこか懐かしい感情が湧いてきた。
さっぱり切られた黒髪に浅黒い肌。太い眉とまん丸の目。無精髭が生えているけど、その面影はかつての同級生——唯一同い年だった『たっくん』に似ていた。
「もしかして、たっくん?」
十数年ぶりの再会だから、合っている自信はなかった。もしかしたら人違いかもしれない。私が発した声は震えていた。
目の前の男の人は、私の声を聞いてニッコリと笑った。
「久しぶり、元気してた?」
風貌に似合わない、物腰の柔らかい口調と、想像していた人物と結びついて心から安堵した。
「せっかくの里帰りなのに雨じゃあ最悪だね」
「私、傘持ってくるの忘れちゃって」
「その白いのは?」
たっくんは、私が握る日傘を指差した。私は首を振って返した。
「日傘なの。天気予報で晴れだったから」
「あー、最近気候のせいで変わりやすいんだよな」
たっくんの残念そうな声に、私はふと思い出した。この田舎町は山だから、天気が変わりやすいんだったと。
「まあ、送っていくから。軽トラで悪いけど乗っていきなよ」
「いいの? 仕事中じゃ」
「農協帰りだから大丈夫」
あんまり綺麗じゃないけど、とたっくんは、キャリーケースを荷台へ積んでビニールシートを掛けてくれた。すぐ戻ってきて私のことも助手席に案内してくれた。
「荷物も多くて汚いけど」
「ううん、全然。汚くないよ」
そう返せば、たっくんは丸い目をもっとまん丸にしてこちらを見た。
確かに落としきれない錆や泥汚れがところどころについているし、だいぶ年季の入った軽トラだけど、私は嫌な感じがしなかった。何となく、学校帰りにたっくんのお父さんが、作業着のまま軽トラで私たちを迎えにきてくれた時のことを思い出していた。
「でも、小綺麗な格好してるから。服が汚れるのは嫌なのかなって。雨も嫌そうに見てたし」
「確かに雨に濡れるのは苦手だけど。服は洗えばいいじゃない」
「いやいや、泥汚れを舐めちゃいかんよお嬢さん。見てよ、この作業着。こことか、こことか真っ黒っしょ」
運転席に座ったたっくんが、ハンドルを握りながら腕を差し出してきた。腕捲りした作業着は、ところどころに汚れが付いていた。おどけて見せるその姿に、思わずフフッと笑いをこぼした。
「そういう仕事だからしょうがないじゃない」
「まあ、そうなんだけど。嫌じゃない?」
「全然」
まだ笑う私をこづいて、たっくんはゆっくりと軽トラを発進させた。雨は思ったより強く、ワイパーがひっきりなしにフロントガラスを拭いていた。舗装されてない凸凹した田んぼ道を、軽トラはスイスイと進んでいく。ガタガタと振動だけは伝わってくるが、乗り心地は悪くない。
たっくん家は、代々農家を営んでいる。農協や直売所へ卸すさまざまな野菜は、瑞々しくて美味しいと評判だ。学校が休みの日は朝から収穫の手伝いをしに通っていたのを覚えている。時々掛かってくるお母さんからの電話で、たっくんが後を継いでいると聞いていた。
そういえば、その電話で聞いた話があった。
「たっくん、結婚したんだよね? 私、助手席に乗っていいの?」
ここで降ろされても困るけど、と聞くと、たっくんはああ、と声をこぼした。
「別れたよ」
「……え」
「ていうか逃げられた」
感情のない顔で、たっくんは真っ直ぐ見つめたまま言った。私は咄嗟になんで、と小さい声で聞き返した。
「なんでって、直球だな」
「いや、でも、だって」
「朝は早いし、夜も早い。年中無休で土いじり。その割に贅沢できる時間と場所、賃金もない。終いにはプライベートなことにヅカヅカ入り込んでくるご近所付き合い。まあ、その他諸々で嫌になったんだと」
軽トラはダサいってさ。
軽口でも叩くように努めて明るい声で話された内容に、ああ、お嫁さんは都会出身だったのかと思い至った。たっくんは高校卒業後に地元の農大へ進学したから、その時に出会った人だったのかもしれない。余生を自然豊かな田舎で過ごすこと。その憧れを都会の人は持っているようだ。けどそこにはドロドロとしたマウント合戦があることをもっと知ってほしい。
私も田舎特有の筒抜けな近所付き合いが嫌で、それが都会に出たい理由の一つだった。東京はいい意味で人に無関心でいられる。その面では田舎より魅力に感じた。
「軽トラほど適した乗り物知らないけどね。荷は積みやすいし下ろしやすい。細くて凸凹した山道にも対応してる。形はほら、シボレーに似てない?」
「それは似てない」
わざととぼけた私にたっくんは声を上げて笑ってくれた。
都会には都会の生活スタイルがあって、田舎には田舎のスタイルがある。それに適した車種だってある。まあ、東京にシボレーは目立ちすぎるんだけども。
たっくんはひとしきり笑って、それにしてもと話を切り出した。
「雨じゃなくても、駅からどう帰るつもりだったんだ? ここらじゃタクシー呼ぶにも時間かかるだろう」
「あー、歩けない距離ではないかなって」
「その靴と手荷物で?」
私はアハハと笑って誤魔化そうとしていた。この田んぼ道は舗装されてない。それにも関わらず、自分の足元はしっかりヒールのあるパンプスを履いていた。自転車で片道三十分の田んぼ道を、ヒールのある靴で歩くには無理がある。本当に何も考えずに帰ってきてしまったものだ。
呆れたようにため息をつくたっくんに、ただひたすら笑って誤魔化すしかなかった。
「偶然通りがかったから良いけど。最近明るくても色々危ないんだよ」
「えっ不審者とか?」
「人じゃねえ。熊だ」
「熊」
熊だけじゃなくて、色んな動物が餌を求めて民家を襲っているらしい。私は過ぎゆく田んぼを視界に入れつつ、考えを巡らせた。
「しばらく東京に住んだだけで、ずいぶん染まっちまったなあ」
私は小さく呟いた。山の天気は変わりやすいとか、舗装されてない道を歩くには不向きの靴とか、人より野生動物が危ないとか。十代までは当たり前だった感覚が、今ではすっかり忘れてしまっていた。
「これが都会にかぶれた女ってわけか」
「自分で言うかよ普通」
フフッと笑った私に、自分で言ってて笑うなよ、とたっくんがツッコミを入れてくれた。かつての思い出の中も、この距離感が心地良かったんだと懐かしんだ。
「じゃあバツイチ同士だね」
「おっ、まえなあ。あえて避けてやってたんだろうが」
気を遣って損した、とたっくんは今度こそ大きなため息をついた。まあ、何年も帰ってない女が突然何も告げずに帰ってくるなら、十中八九そういう理由だから。たっくんも察して、あえて黙っていてくれたのだろう。
「再就職先は決まったのか?」
「いんや?」
「仕事は辞めてきたんだろう」
「まだ言ってない」
はあ? と大きな声を上げたたっくんに、私は他人事のように笑ってしまった。
「舞ちゃんってホント昔から考えなしすぎる」
「たっくんも一緒じゃない」
「いんや、俺はもっと聡明だったね」
「聡明? たっくんが?」
「おい、煽ってんなら事故らせるぞ」
たっくんは脅してきたけど、安全運転に違いなかった。それがまたおかしくて笑った。
軽トラは住宅街に入ると細い道を小回りに曲がった。もう、実家の青い屋根が見えてきた。
「再就職先、見つかんなかったらうち来る?」
「えっいいの?」
「人手不足の癖に元嫁に逃げられて、親からの八つ当たりがひでえの何の。でも舞ちゃんが来てくれたらしばらく落ち着くだろ」
実家の前にゆっくりと軽トラは止まった。助手席のドアを開ければ、雨足はだいぶ弱くなっていた。これなら傘無しでもと下りて、荷台側を回る。すでに運転席から降りていたたっくんが、キャリーケースを下ろしてくれていた。
「送ってくれてありがとう」
「おう、しばらくこっちにいるのか?」
「とりあえず三連休だけ。あとはまた考えなきゃ」
じゃあね、と言って受け取ったキャリーケースを転がそうとしてやめた。車輪を地面に取られて転ぶことが目に見えているからだ。両手で持ち上げて、玄関へ向かう途中、砂利にヒールが取られてよろけてしまった。
「あっぶえねな」
「うわ、ごめん」
「玄関まで持ってくって」
私からキャリーケースを奪うように持ったたっくんが、そのまま実家の玄関の戸を開けた。ガラガラと音を立てる戸に気づいたのだろう、お母さんが奥からやってきた。私たちを見たお母さんは、驚いた顔をして口を開いた。
「あんた、本当に帰ってくるバカがいるかい」
「開口一番それ?」
「はいはい、おかえりおかえり」
あらやだ、たっくんに持たせるなんて失礼な子でやあねえ。会社はどうしたの? まだやめてない? やっぱりバカだねえ、ちゃんと辞めてこなきゃ周りの人に迷惑かかるでしょう。ああ、たっくん、もしかして舞香送ってくれたの? 優しい子だねえホントうちのバカを見習わせたいわ。農協帰り? お疲れで雨降ってる中ありがとうねえ。あんたちゃんとお礼言ったの? 今度三井田さん家に菓子折り持って行くからね、よろしくお伝えしといてね。
のっけからマシンガントークのお母さんに、私もたっくんもタジタジになってしまった。私はとりあえず持たせたままのキャリーケースを受け取って玄関に置き、お母さんのお小言から逃れるように戸の外へたっくんを連れ出した。
たっくんは楽しそうに笑った。
「舞ちゃんのお母さん、相変わらずだね」
「口だけ回ってホント困る」
「じゃあ俺、帰るから。話はまた今度ゆっくり」
「うん、本当にありがとう」
たっくんは手を振って軽トラに戻って行った。私も手を振って軽トラを見送った。
駅で感じた冷たい雨は、優しい音を鳴らして地面に落ちる。あれだけ嫌だと感じていた田舎に戻ってきたのに悪い気がしないのは、きっとたっくんに呼ばれて真っ先に再会できたからだろう。良いスタート日だと本気で思った。
生憎の雨模様だが、私には空が明るく映っていた。
『やさしい雨音』『君の名前を呼んだ日』
目の前の山脈から、空が薄ら白けてきた。次第に光が強くなり、四方八方に広がった。焦ったいくらいにゆっくりと太陽が顔を出した。辺り一面、眩しい光に照らされる。
俺は顔を顰めた。この時を待ち望んでいたはずなのに、喜びの笑みも、感動の涙も、何も湧き出なかった。
*
世界が闇に包まれた瞬間は分からなかった。雨の日が続き、止んだと思ったら分厚い雲に覆われていた。次第に黒ずんでいく雲に何の違和感も感じないまま時が進み、気がつくと一年中凍えるほど寒い気候で、昼と夜の区別がつかない一日を過ごしていた。
「太陽を覚えてますか?」
シルリアに声を掛けられたのは、雪がちらつく昼間だった。
正確には、昼も夜も分からなかった。街中の時計も止まっているか、狂ったようにグルグル針を動かしてばかりだったから、人々は自分の感覚を頼りに寝起きしていたのだ。俺もそれが当たり前だった。起きてすぐ食料を求めて家を出たから、俺がシルリアに出会ったのは昼間と決めつけていた。街の中心を流れる川にかかった大きな石橋の上で、すれ違う時に聞こえたのだ。
俺が立ち止まって振り返れば、シルリアはこちらをじっと見つめたまま立っていた。
「もしかして、俺に聞いた?」
コクンと、シルリアの頭が上下した。
「覚えてっていうか、常識じゃねぇの?」
太陽なんて、と返した俺にシルリアの目が光った。きらりとした瞳の色は、一瞬青く見えたが、すぐに影が差して淀んでしまった。
どうしたんだと首を捻れば、シルリアが素早く間合いを詰めてきた。近い距離に驚いて咄嗟に拳銃を抜けば、その拳銃を持つ手を握られた。柔らかくて温かい手にぎゅっと包まれ、俺は身を硬くした。
「私と一緒に太陽を取り戻しに行きましょう!」
「危ねえから離せ!」
「嫌です。そうやって私から逃げようとするんでしょ」
「違えよ。ていうか、近い!」
「離しませんよ、決して。ようやく巡り会えたんだもの。このチャンス逃したら、もう、後がないの!」
「話聞けって!」
押し問答の末、空腹に負けた俺が折れて、シルリアの言う「太陽を取り戻す旅」を始めた。
シルリアが言うには、現在国王になりすましている奴が諸悪の根源らしい。そいつのせいで太陽が奪われ、世界は闇に包まれた。だから諸悪の根源であるヤツを倒せば太陽を取り戻せて、世界も元通りになるようだ。
俺はシルリアに従って、諸悪の根源が根城にしている古城を目指した。途中で手下どもを蹴散らし、仲間を増やした。勇敢な剣士・アンディー、気弱な元軍師・エミリオ、武闘派の戦士・ルイサ、古城から脱出した国王の子息・ナイト。旅路は次第に賑やかになり、悪くないと思えるようになった。
古城が見えた時、この旅の終わりが近いと突きつけられた。いよいよ最終決戦になる。仲間との決起会もそこそこに、俺たちは古城を奇襲した。
城はナイトからの情報を頼りにしたため、道を迷うことはなかった。今までとは違って手強い敵を倒し、最奥の部屋へ辿り着いた。
諸悪の根源は、そこにいた。国王になりきったヤツは、ニタニタ笑いながらこう言った。
「我が娘にまんまと騙された愚か者たちよ」
その場にいた全員がシルリアを見た。シルリアは顔面蒼白で表情が抜け落ちていた。感情が全く読み取れない。後ろではヤツの笑い声が響いている。
「たばかったのか」
アンディーの言葉に、シルリアは首を振った。エミリオが眉を顰めてシルリアを睨む。
「正直、やけに詳しいとは思ってた」
「関係者か敵の裏切り者かと思っていたが、なるほど。娘とは」
ルイサ、ナイトがそう言えば、シルリアは俯いて耳を手で覆った。小さな体をさらに縮こませて震える姿に、俺はそっとシルリアの肩に手を添えた。
「シルリア」
なんと声を掛けていいか分からなかった。きっと俺は、シルリアに初めて出会ったあの時から、ずっと騙されていたのだろう。ただ流されるまま旅をして、強くなって、仲間を増やして。シルリアがなぜ俺を誘ったのかなど考えることなく。
ただ、この旅の途中で見せた、シルリアの笑顔は心からの笑顔だったと思いたくて。
「シルリア」
俺の呼びかけに、シルリアは答えない。
「騙されていたとしても、俺はシルリアを信じるよ」
俺の声に、シルリアは顔を上げた。大粒の涙をこぼした瞳が、青くキラキラと輝いていた。出会った時に見た、あの一瞬の青だった。
「呆れた」
「これだからお人好しは」
「リーダーがアレじゃあね」
「まあまあ、皆さん。マシューはこうでなくっちゃ」
「聞こえてっぞ」
仲間の呆れ声に俺が顔を向けると、シルリアは声を震わせて言った。
「何も話してなくてごめんなさい。確かにあの人が私の父親で間違いない。更なる力を得るために生贄を連れてこいとも指示を受けたのも事実」
シルリアは頬を拭って、俺から離れて諸悪の根源である父親と向き合った。
「だけど、私は最初からそんな指示、叶えてやるつもりなかった! 私は、あなたを倒してくれる強い人を探しに街まで向かった! そこで出会ったマシューとなら、道中仲間になったアンディーにエミリオ、ルイサにナイトとならあなたを倒せると確信した!」
次第にシルリアの声が大きくなる。
「だから私は、あなたの生贄を連れてきたわけじゃない。あなたを倒してくれる仲間を連れてきたの! もうこんな暗い世界なんてこりごり。私は、今日、父親であるあなたを倒して、この世界を太陽で照らすの!」
「この、アバズレが!」
怒りを露わにしたヤツの一声で、最終決戦が始まった。今までは一対一で何とか勝利を収められたが、今回ばかりは一筋縄ではいかない。六人がかりで技を放っても、擦り傷程度しか与えられない。今までの戦い方では通用しない。
それでも知恵と経験を活かし、攻撃した。次第にヤツのダメージとして蓄積されていくのが分かる。いい調子だと思った矢先だった。
「放て」
部屋じゅうから矢が降り注いできた。俺たちは避けるのに気を取られた。
その隙を狙われた。
遠くにある鈍い光を見つけた。真っ直ぐに、シルリアを狙っている。俺は矢の中をすり抜けシルリアへ駆け寄ろうとした。踏み出した右足に矢が刺さり、膝をついた。
「シルリア!」
俺の声が聞こえたのだろう。シルリアはこちらを振り返り、目を見開いた。駆け寄ってきたシルリアは両手を広げて、俺を庇うように立った。
その胸を、銃弾が貫いた。
シルリアは衝撃を受けて、その場に崩れ落ちた。ピクリとも動かない。
俺はシルリアのそばに寄った。薄らと目を開けるシルリアに、必死で呼びかけた。肩を揺さぶり、膝の上に頭を乗せ、声にならない声で呼びかける。
シルリアの目が俺に向いた。バチッと目が合った。シルリアの唇が震えた。俺は耳を寄せた。
「生きて、マシュー」
シルリアの声に、俺はもう一度彼女を見た。歪んだ視界の中で、シルリアは笑みを浮かべていた。出会ってから今までで一番穏やかな笑顔だった。
「シルリア……」
頬を撫でると、シルリアから力が抜けた。強く揺さぶっても、頬を叩いても、何度呼びかけても、瞼は硬く閉じたままだった。
ガリッと奥歯が鳴った。叫びたい衝動を抑える。今は戦いの中で、まだ終わってない。
「マシュー!」
仲間の呼びかけに応じるため、俺はシルリアを物陰に横たわらせた。最後に頬を撫で、瞼に唇を寄せた。
絶対に、シルリアの願いを叶える。
誓いを胸に、戦場へ躍り出た。もう、シルリアを振り返らなかった。怒りも、憎しみも超えた俺は、ただひたすら目の前の敵を倒すために奮った。
やがて、渾身の一撃が入り、諸悪の根源であるヤツは倒れた。
蘇ることなく、地に伏せたまま大量の血を流すヤツに、俺たちはようやく深い息を吐いた。
やがて、半壊した古城の壁の向こうにある山並みから光が漏れ出した。
夜が明けた。
俺たちの、シルリアの待望した夜明けだ。
俺たちはいつの間にか東に向かって横一列に並んでいた。チラッと横目に見れば、皆似たような表情をしていた。日が昇り始めたのに、誰一人として喜んでいなかった。各々顔を歪め、苦虫を噛んだような顔をしている。
俺はもう一度太陽の方角を見た。あまりの眩しさに顔を歪め、涙を流した。
夜が明けた。
君が俺たちの横にいないのに、夜が明けたところで嬉しくなどなかった。
『夜が明けた。』
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
急拵えの無茶苦茶設定には目を瞑っていただけると幸いです。
昔「おいでよ!どうぶつの森」をプレイした時に住民から「シルリア」とあだ名をつけられました。どこの国の名前?
「夜桜には早かったね」
彼女はこちらを見上げて笑う。日焼け知らずの白い肌は、満月の光で余計に白く発光して見えた。
先週まで雪予報が世間を騒がせていたのに、今週に入ってからは春の陽気が続いていた。日中はあまりの暖かさにコートがいらないくらいだ。
それでも日が沈めば肌寒い。時折吐く息の白さに驚いた。早く家へ帰って温まりたい。
俺の思いとは裏腹に、一緒に出掛けていた彼女は俺を公園へ連れ立った。遊具も何もない、殺風景な公園を道なりに歩く。一体なんの用事があるのだろう。俺が考えを巡らせていると彼女は桜の木の下で歩みを止め、そう言ったのだ。
「桜の開花はもうしばらく後だよ」
「ウッソ、いつ?」
俺はポケットからスマホを取り出して調べた。スマホの明かりが眩しくて眉間に力が入る。開花予想でネット検索していると「待って」と彼女の声が後ろから聞こえた。
目の前の桜の木の下にいたはずなのに。
少しもじっとしていられない彼女に苛立ち、思わず「何」と低い声でそっけなく返してしまった。不機嫌と捉えられてないか、慌てて振り返ってみれば、彼女は気にした様子もなく嬉しそうに上を指差した。
「梅! 梅が咲いてる!」
早く、と促されてそばに近寄れば、スマホを渡された。俺に梅を鑑賞させる時間は与えるつもりがないらしい。パスワードが解除されている彼女のスマホで加工アプリのカメラを起動すると、決まった画角で撮影を始めた。
彼女の顔をグリッドの中心に、空いたスペースには白い梅の花を添えて。
スマホを逆さにして数歩下がり、腰を落とすと足が長く映る。
これが彼女を撮影するときの最低限のルールだ。
彼女はスマホのカメラレンズに向かって表情を作る。先程までの笑顔とは別に、随分大人びた、落ち着いた顔だ。インスタに投稿するためなのだろう。
梅の周りには街灯がなく、白い梅の花と白く輝く満月が重なっていた。夜の闇と、白く発光する月と梅と彼女。コントラストがはっきりしているからか、逆光にはならなかった。彼女の表情はしっかり写っている。
「笑って」
数十枚撮ったのちに言えば、彼女は一拍置いてケラケラと笑い始めた。
「いつも思うんだけど何それ。『笑って』って言われただけじゃ笑えなくない?」
「いや今笑ってんじゃん」
そう言えば彼女の笑い声がさらに大きくなる。俺は構わずシャッターを切った。
「もういいや、ありがとう」
笑いが収まった彼女が手を差し出した。その手の上にスマホを渡せば、彼女はすぐさま指を動かした。撮影した百枚近い写真をチェックする指は、ラインで文字を打つよりも速い。
俺はその場でしゃがみ込んだ。彼女との身長差が大きいから、その分腰を落とす態勢には無理が生じる。中途半端な位置でキープした足腰は数分だけでも悲鳴を上げる。撮影を終えるといつもしゃがんでしまうのだ。
膝に肘をついて、彼女を見上げた。
いつもより白く輝く肌。黒くて長い髪はところどころ艶が白く光る。春だからと身につけているお気に入りの白いロングコート。夜との差が眩しい。
白い月が白い梅の花と重なって、俺の目では花びらがぼやけて見える。さながら月に梅が溶けて無くなっていると言っても過言ではないかもしれない。
「ホント写真撮るの上手いよね」
写真のチェックが終わったらしい。彼女は正面に立って、俺の手を取った。立ち上がらせようと引っ張る彼女がなんだか可愛くて、つい力をいれて体を重くしてしまう。彼女は「ちょっと」と口を尖らせながら、更に強い力で引っ張る。
ふとした瞬間だった。
彼女の黒い髪が夜に溶け込んで。白い肌と白いコートが、白い月と白い梅に重なって。彼女が一瞬、光に攫われたように見えて。
その瞬間だけ力が抜けた。彼女の引っ張る力に抗うことなく勢いよく立ち上がった。逆にバランスを崩した彼女を後ろへ倒れ込まないように掻き抱いた。
「ぎゃあ! 何?」
声を上げた彼女に構うことなく、腕に力をいれる。膝を曲げ、背中を丸めて上から覆った。俯いて鼻を寄せれば、彼女の髪から甘い香りがする。嗅ぎ慣れた彼女の香りだ。
彼女が自分の腕の中にいることに、安心して肩の力が抜けた。
「消えたかと思った」
「何言ってんだバカ」
胸をドンと押された。されるがまま腕を離せば、彼女は俯いていて顔が見えない。覗き込もうとすると、顔を避けられた。顔が見たくて手を添えれば、彼女に叩き落とされた。嫌われたかと焦ったら、チラッと見えた彼女の耳に気がついた。
白と黒の世界で、彼女の耳だけ真っ赤に染まっていた。
『花の香りと共に』
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月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞしるべかりける
(『古今和歌集』巻第一 春歌上 四〇番歌 躬恒)
——月夜には梅の花がはっきりそれであるとも見えない。梅の花は香りを頼りにどこにあるか知るべきだったのだ。
……をオマージュしようとして失敗した何かです。各方面に深くお詫び申し上げます。
空を見上げる。目の前には無数の星が輝いている。私の頬には堪えていた涙が流れた。嗚咽をするたび白い息で視界が曇る。ただでさえ涙で滲んでいるのに。
ボヤけた状態でも、星は光を失わない。涙と、鼻水と、涎と。人目を憚らずベチャベチャと顔を濡らしている。
あの星はママで、隣はパパで、あっちで人一倍元気に光っているのがなおくん。
震える指で無理矢理なぞってみて、さらに泣けてしまった。やめておけばよかった、星を家族に例えるなんて。
なんで今日に限ってこんなに空が綺麗なんだろう。
悔しくて、悲しくて、やるせなくて空を睨んだ。
『星』
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哀悼
きっとあと少しだった。
ほんのわずかな差だったはず。
もっと勉強しておけば。
誰よりも早く始めていれば。
もっと、もっと。
そしたら。
「上ばかり見て疲れない?」
後ろから聞こえてきた声に、俺は足を止めた。頭上には灰色の空に茜色の光が差し込んでいた。俺は空から目を離して振り返ると、同じクラスの宮崎さんが立っていた。宮崎さんは短いスカートを翻して、大股で近づいてきた。
目の前に立ち止まった宮崎さんは、俺の肩までしか身長がない。目線を下げれば、宮崎さんは反対に見上げていた。
「サッカーボール、踏むところだったよ」
そう言われて自分の足元を見るも、サッカーボールはない。もう一度宮崎さんを見れば、呆れたようにため息をついていた。
「蹴り返してた」
「え」
「だから、転がってきたサッカーボールがちょうどよく足に当たって、グラウンドに戻ってた」
もう一度自分のつま先を見た。少し鈍い痛みのようなものを感じるが、特に変化はない。履き潰してところどころ擦れて色が剥がれたローファーだ。
恐る恐るすぐ横のグラウンドを見ると、サッカー部が練習していた。こちらも特に変わった様子はない。野球部や陸上部が使用する日もあるが、今日はサッカー部なだけだ。
俺は宮崎さんの話が理解できず、首を傾げた。首と頭の付け根あたりがポキっと鳴った。
「アニメの話?」
「たった今起こった出来事ですが!?」
信じられないと顔に書いてあってもおかしくないほど、宮崎さんは驚愕していた。あまりの勢いに押され気味になった。俺は思わず謝罪を口にしていた。
「ごめん、ちょっと考え事を」
ヘラヘラと笑みを浮かべて誤魔化そうとした。宮崎さんは「ふーん」と相槌を打ちながら、目に疑念を浮かべている。
宮崎さんのその目がどうにも気まずくて、俺は顔を逸らした。
「あっそ、まぁ気をつけなよ。転ぶかもしれないし、滑り落ちるかもしれないし」
「転ぶとか滑り落ちるとか、受験生に言うなよ」
「えー、でも和合くんもう受かったんでしょ?」
宮崎さんの言葉に一瞬言葉が詰まった。
「え、あ、うん」
「私も第一志望受かったし、二人とも終わってるなら良くない?」
ニコッと笑って歩き出した宮崎さんの後を追った。なるべく自然に並び、宮崎さんに合わせてゆっくりと、話せるスピードで足を動かす。女の子はこんなにゆっくり歩くのかと、初めての発見で内心驚いてしまった。
宮崎さんがいる左側だけやけに体が熱く感じる。
「明日が卒業式なんて、信じられないよね」
「そうだね」
「三年間ってあっという間だった」
「確かに」
「でも受験も終わったし、やり残したこともないから超スッキリしてる」
「そっか」
楽しそうに話す宮崎さんに対して、俺は必死に相槌を打った。でも気の利いたセリフを返すことができない。俺ってこんなに会話下手な奴だっただろうかと今すぐ頭を抱えたくなった。
宮崎さんは若干落ち込んでいる俺なんてお構いなしに、色々話しかけてくれる。
「和合くんはやり残したことある?」
不意にやってきたその質問に、食い気味に答えた。
「勉強」
宮崎さんは意外な答えだったようで、俺を見て目を丸くさせていた。
「足りなかった」
頭の中で、先ほど考えていたことが猛スピードで駆け巡る。
合格点なんて発表されない。だから実際自分が何点取れたかわからない。けど何度も受けた模試は常にA判定だった。本番の試験直後は手応えがあったし、自己採点ではなかなか良い得点だった。俺の中では一番の成績を記録していたから、自信しかなかった。
だけど落ちた。
宮崎さんと同じ大学に。
俺も第一志望だった。興味のある分野の研究ができる大学だった。都心にキャンパスがあり、実家から通える範囲だった。夏休みにオープンキャンパスへ行ったとき、校舎の雰囲気や広々した図書館が気に入った。
何より、宮崎さんと一緒の志望校だと知って、絶対に受かりたいと思った。元々宮崎さんに惹かれていた俺は、受かったら絶対告白しようとまで考えていた。
完全に浮かれていて、結局足元を掬われた。
幸いなことに第二志望の大学は合格通知をもらっていたから、四月からは大学生になれるのだけど。宮崎さんとは離れ離れだ。
「もっと早く、いや、時間を割いて、え、あ」
言いたいことが定まらず、しどろもどろになった俺に、宮崎さんはクスッと笑った。
「ストイックだね」
私も見習わないと。
宮崎さんは笑って言った。俺は言おうとしていた言葉を引っ込めた。茜色の光に負けないくらい眩しい笑顔に何も発せなかった。
心にわだかまりが残ったまま、俺は明日高校を卒業する。
『記録』
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