『麦わら帽子』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
麦わら帽子を被った君。
顔は麦わら帽子に隠れて見えなかったけど麦わら帽子を被った君の姿が僕の目に焼き付いてる。多分1度どこかであってるね。だって僕が殺したあの子に似ているんだもの。
麦わら帽子から差し込む光 木漏れ日みたいにきらきらしてる
いつか君と心の底から笑い合いたい。
そう願う僕は、やはり傲慢だろうか。
麦わら帽子が似合う君。
向日葵畑が似合う僕。
きっと運命だと思う。
麦わら帽子。
風が吹く度に彼女は頭を抑える。
そんな姿を愛おしく思う。
だけど僕はからかってしまう。
他の人には素直に言えるのに。
風と一緒にどこかに行ってしまいそうな人。
麦わら帽子
「マリーゴールドじゃねぇよ!」
「何も言ってないよ!?」
「思ってるかなと思って」
「思ってないから。腕が伸びそうだなとしか」
「海賊王じゃねぇよ!」
「うん、まだね、もうすぐだね」
「そういうことじゃない」
「あとはカカシとか」
「写輪眼じゃねぇよ!」
「そっちじゃない」
「脳みそ詰まってるわ!」
「そう、それ!」
「わかってもらえて嬉しいって顔やめて」
「でも似合ってるね。どこで買ったの?」
「ワークマン」
「ガチのやつ」
終点
ふと目を覚ますと、目の前に大好きな人がいた。
大きな窓から差し込む夕日に染められて、オレンジがかった視界の中、がたんごとん、心地よい揺れにされるがまま、向かいの席に座っている。
ああ、なんだ夢か。
ほかに誰もいない車両。眩しくてよく見えない窓の外。遠くを見つめるその瞳が、不意にこちらを向いた。
「もう降りないと」
立ち上がって、頭をポンと撫でてくれる手。
促されるまま電車を降りると、涙がポロリと落ちた。
夏が嫌いだ。花火もヒマワリも蝉の声も風鈴の音も。ぜんぶぜんぶ、私の大好きな人が居なくなった季節に見聞きしたものは大嫌いだ。
あの夏、あなたは突然私の前から消えてしまった。消えた、というのはその言葉の通りで。朝を迎えたらあなたの姿かたちがなくなっていた。私が起きた時にはベッドの隣はもうとっくに冷えていた。
前日は何も変わったことなんてなかった。いつものようにいっしょにご飯を食べて、同じ時間に寝室に行った。おやすみ、と笑顔で言われた。だから何か思い悩んでたとは考えられない。私に何らかの不満があったとも思えない。分からない。それ以外に言えることが無かった。
そして何も分からないまま今日で20年が経ってしまった。きっとすぐ帰ってくる。最初はそう思えていた心の余裕が今はもう無いに等しい。私をこんなふうに1人にさせてひどいよ、と恨むこともなくなった。そう思えなくなるくらい、心は疲弊しきってしまった。
あなたの物は20年間そのまんま。20年間というものはあらゆるものを変化させた。近所の花屋は閉店した。お札に印刷された人物も変わった。ある国では戦争を始めた。私の顔はシワだらけになった。
寝室のクローゼットにある洋服もそのまま。陽に当てないまま20年間眠っている。着てくれる主が居なくなったのだから出番なんてこない。
そして。
あの人の洋服が収納されている棚の上に麦わら帽子が置かれていることに今初めて気付いた。これも、誰も触らないから埃を被ってしまっていた。こんなものをいつあの人は買ったのだろうか。ヘアスタイルにいつも時間をかけていて帽子なんて必要としないあの人が。
それを考えたら一気に不気味感に襲われた。きっとこれはあの人のものじゃない。そうっと近付いて観察する。紛れもない女物の麦わら帽子だった。なら、私のために買ったのだろうか。だとするならこんなところにしまい込んでいた意味が分からない。そっと帽子を手に取る。ツバの部分は長い月日で少しだけ劣化していた。恐る恐る頭に被ってみる。決して被り心地は良いとは思えなかった。なんだか頭に触れる部分が変な感じがする。違和感を感じて帽子を脱いで内側を確認した。真っ赤だった。塗料のような鮮やかな赤ではなく黒っぽい赤。おまけに変な匂いもする。鉄のような匂いだ。
「ひっ……」
私は思わず帽子を放り投げた。そのままそこへ座り込む。それはペンキなんかじゃない。血だ。どうしてこんな場所に。外側は綺麗なのに、内側だけべったりとついている。誰の血なんだろう。いやそれよりももっと恐ろしいのは。
「なんで……乾いてないの……」
ぬるぬるした赤い液体が私の額から垂れた。私の血じゃないのに、頭に怪我を負っているようになっている。不思議から不気味へと変わり、その感情が今また変化する。恐怖。それを感じた瞬間、私は家から飛び出した。
【麦わら帽子】
麦わら帽子一つ分空けて、座る。それが今の二人の距離。
「終点まで行く? どうする?」
「ここまで来といて今更。どうするって、行くしかないじゃない。いつも、いちいち聞かないでって言ってるよね」
そう言って、雨の降り出した、窓の外を見る。その横顔に、「ごめん」と謝ると、唇が動いて「来なきゃよかった」って呟きが、聞こえた気がした。
「ごめん」
もう一度言って俯く。笑ってて欲しいんだ。だって初めて会ったとき、
――いいよ、大丈夫。上手くいかなくたっていいよ。
やさしい声で言って、綿アメのように、ふわふわあまい声で笑ってくれたんだ。
「終点まで行ってみよう」って誘ったクセに。
いちいち聞かなくてもいいって言ってるのに。
だって、いつもこっそり、でも嬉しそうに誘ってくるからさ、それって絶対に楽しいヤツじゃない? 終点に何があったって、なんにもなくたって、どうでもいいんだよ? 一緒に行くって、それだけでいいのに。どうして分かってくれないんだろ。
【麦わら帽子】
糸を垂らしてぼーっとする時間が好きだ。
日陰に椅子を置き、堤防から竿を投げる。
首にかけている帽子の出番はないといいのだが。
時間帯によっては正面から陽が差して眩しいからな。
待てど暮らせど波に揺られるだけの竿先。
時間がゆっくりと流れているような錯覚を覚える。
のんびりと過ごす時間は、都会にいると得られない。
今度の週末に実家に帰省でもしようか、と思いを馳せる。
子供の頃は近所の用水路でザリガニ釣りを楽しんだ。
竿が無くとも直に糸を垂らすだけで簡単に釣れた。
そろそろ餌が無くなる頃だろうか。
なんとなく様子見で上げてみると、竿がしなった。
大物を期待できるほどの曲がり方に嫌な予感がする。
竿を上げると強くしなるなら、だいたい根がかり。
地球を釣ったなんて言うが、振って外れないと厄介だ。
まさか、と思いながらハンドルを回すと意外にも巻ける。
根がかりではないのか、と安心したのもつかの間。
竿のしなりは一向に弱まらない。
それどころか、強く引かれているようで糸が出ていく。
これは本当に大物かもしれないな。慎重に巻いていった。
水面に映る魚影が変な形をしている。
魚にしてはヒレが長いような。それに先が分かれている。力を込めて竿を立てれば、ざばっとそれが顔を出す。
「痛い痛い! ちょっと早く外しなさいよ!」
「あんた一人なの? 寂しいわね」「独りで何が悪い」
「ひねくれちゃってヤダヤダ」半笑いで肩をすくめる。
ぼーっとする時間に騒がしい人魚が一人。いや、一匹?
その後しばらく、不人気な釣り場に明るい声が響いた。
麦わら帽子 似合わんし全然好きじゃなかった。
6年前、君に言われた言葉でめちゃくちゃ大好きになった
「今度の休みさ、それかぶって向日葵見に行かん?ふたりで。」
いつになったらその約束果たしてくれますか.
大好きだったよ.誰よりも
その日はときおり風が吹く夏の日だったと思う。
陽射しは眩しかったけれど、時々肌を撫でていく緩やかな風が心地よくて。
その時はまだ4歳か5歳くらいだった私は、外を思いっきり歩く気持ち良さにウキウキしていた。
そうだ。確かあれは保育園で行われた親子遠足という行事に参加していた時だった。
私には同い年の双子の妹がいて、行事に参加していた私の母親は、当然ながら他のお母さんが自分の子どもと一対一になって行動するところを、子ども二人に親一人という、少し大変な状況の中で頑張ってくれていた。
遠足の道程がちょうど大きな川に架かった橋を渡る段階になった時、先生から親御さんと手を繋いで一列になってくださいという指示があった。私の家族はどうしても一人が列からはみ出してしまうので、いちおう双子の姉という立場だった私は、子どもながらに空気を読んで、母親とは手を繋がず、母と妹が手を繋いで歩くその後ろをついていくことにした。
最後尾には保育士の先生も控えていたし、母親もただでさえ初めての行事に参加して緊張もあっただろうから、大人しく後ろに下がった私をそのままにしていた。
小さな子どもの頃の記憶なのでその辺りは曖昧なのだが、皆がお母さんと手を繋いで歩くなかで自分だけがあぶれてしまったのを寂しいとか、羨ましいとか、そんな感情はいっさいなかったように思う。
そんなことよりも幼い私の興味を引いたのは、陽射し除けに母親が被っていた麦わら帽子の状態だった。風が少し吹いていたこともあり、母が被っていた麦わら帽子は外れ、首の後ろに回っていた。
帽子についた紐のおかげで飛ばされずに済んではいるが、風が通るたびにユラユラと揺れている。
最初は楽しくその揺れる帽子を眺めて歩いていたのだけれど、皆が並んだ列が橋の中央辺りに差し掛かった辺りで、どうにもその帽子の揺れが激しさを増した気がした。
そう感じた途端、私は気が気でなくなった。少しでも今より強い風が吹いたら、その麦わら帽子が飛んで行ってしまうんじゃないかと心配になったのだ。
だったら早く母親に教えるなりすればいいものを、その当時の私は何を思ったのか、もし帽子が飛ぶような事態になったら、空へ飛んで行く前に自分がキャッチしなければという、よくわからない使命に駆られていた。
どうしてそんな決意をしたのか、自分のことながら今でも謎である。
そして私が恐れていた通り、強い風が突然吹いた。
麦わら帽子は呆気なく空高くへと舞い上がり、さらには橋の欄干を越え、眼下の川面へと流れていった。
その自分の想定していなかったほどの速度で飛んでいった麦わら帽子に、私は自分の無力さに打ちのめされ、また帽子を易々と飛ばしてしまった後悔と共に大泣きした。
私の泣き声があまりにも大きかったものだから、麦わら帽子が飛んで行ったことに気付いた母が、帽子がなくなった事実のほうが飛んでいってしまうほど、驚いたらしい。
いま思い返せば、あれもいい想い出だ。
あの麦わら帽子はどこまで行ったのかな。
幼い私がまた驚いてしまうほどの、想定外な旅の想い出を作っていたりして。
【麦わら帽子】
持ち物確認
水筒も入れたかい?
麦わら帽子を被って
さぁ、冒険の準備は良いかい?
この夏を楽しんでおいで
行ってらっしゃい!
目に映らないきみの姿
消える陽炎を追いかける
涙も麦わら帽子も風が攫って行った
#麦わら帽子
君と初めて出会ったのはあのひまわり畑。
飛んできた麦わら帽子を俺が拾い、君が後ろを向いて振り返って「ありがとう。」と言った時に恋に落ちた。
眩しい太陽の光を背に笑うあの長い黒髪と真っ白な肌が
俺の頭から離れない。
「……あなたも私と一緒に来る?」
その言葉の意味はわからないけど差し伸べられた手を俺は掴もうとした。
まあ、友人に声をかけられて結局は掴めなかったが。
だけど目を離した瞬間に君はいなくなってしまった。
残ったのは、拾った麦わら帽子だけ。
また夏が来たら、俺はあのひまわり畑へもう一度行く。
今度こそ君の手を掴むために。
もしかしたらあの手を掴んだら俺は二度とここに帰ることは出来ないのかもしれない。
でも、それでもいいのだ。彼女に会えるのならなんだっていい。
ああ、早く夏になれ。麦わら帽子を手に取り、彼女に思いを馳せる。
『麦わら帽子』
「麦わら帽子」
夏ににあうのはこの帽子
あの娘ににあうのも
この麦わら帽子
隣りに居ていい?
なァんにも知らない顔をして、麦色のひさしの下でゆっくり口角があがる。わたしの頭を茹で上げるのは炎のような紅だ。焼かれることのない真白の指先がそっと燃える唇に触れ、そのままこくりと美しくとぼけた顔をする。
「いま、なんて?」
答えることはできない。朝から暑くて仕方ないから喉が渇いていたのだと言い訳を用意してみても、使う場面は与えられない。
つばを飲み込んでただの置物になったわたしに、やらかい地獄が弧を描いて近づく。作り物じみたカーブを描く頬には玉の汗が浮いていて、腰を折ってうつむいたせいでほかは麦わら帽子に遮られ、口元以外の、たとえば瞳は奥へ消えてしまった。
ふと邪な欲がよぎる。もし視線が合うことがないのなら、ずっと隠れていて欲しいとわがままが。切なく眺める瞳はわたしに向いていてくれ、と。でなければ平静でいられない。
「じゃあ、元気で」
けれど裾の出たシャツを翻す高い背中を黙って見送った。わたしは一度も言葉も発せない意気地なしである。麦わら帽子が去っていくのが憎らしく、愛おしい。振り返ってほしいのにそれはあの人のすることじゃないと思い出たちがわたしの頭を揺らした。
一番長くいた幼いばかりの記憶とは違って、背も伸びた、美しい人はわたしを待たずについて来られる人だけを背負っていく。意気地なしとせっかちであるから、「さようなら」も「またね」も交わさず行ってしまうので、こちらは麦わら帽子だけを覚え続けていた。夕暮れ、海、冬の山と雪原、それから今日みたいな夏真っ盛りの日。いつどこでも陰った中の視線を覚えていたくはなかった。
丘向こうに消えた麦わら帽子に一息ついて、わたしだって踵を返す。
ついでにこめかみに掠った帽子の感触も、頬に残る地獄の炎のあつさも、夏の温い風にまぎれるので、覚えてやらないのだ。
麦わら帽子
子供の頃に被ってた物。
子供の頃は帽子なんて必要ないと思っていたのに、、
今考えれば必要とわかる。
子供の頃の最強装備。
【麦わら帽子】
小学校低学年の頃、夜雨はすでに世の中を斜めに見るようなお子様だったので、夏休みのラジオ体操になんて何の意味も見いだせなかったし、せっかく学校に行かなくていいのに早朝から叩き起こしに来る春歌が腹立たしかった。
あの頃の春歌は美白なんてカケラも意識せず、毎年夏になるたびにこんがりと肌を小麦色に焼いて、似合いの麦わら帽子をちょこんと頭に乗せていた。ある年は赤いリボンがひらりと、ある年は飾りの黄色い花がふわりと、もっとゆっくり寝ていたいとごねる夜雨の視線の先で揺れていた。
夏休みの最終日、ラジオ体操皆勤のこども達には、その地域のこども会だかなんだかの大人が用意した、ちょっとしたご褒美が配られた。小さな駄菓子の詰め合わせと、一個のアイス。
ひとつも欠けることなくスタンプの押されたカードを手に満面の笑みを見せる春歌を、夜雨は冷めた目で見ていた。だって、こんな程度の駄菓子、アイスのひとつ、自分のおこづかいでも買えるのだ。
溶けてしまうアイスはその場で食べて帰る子が多く、夜雨と春歌もそれに倣い、申し訳程度にある日陰に並んで座った。ジャリジャリとしたかき氷風のそれを嬉しそうに齧る春歌に対して、夜雨は、朝からアイスか……そういえば朝ごはんもまだ食べてないな、と思いながらチロチロと舐めていた。地面には、小さな日陰に収まりきらなかった春歌の影が、麦わら帽子の丸い形をくっきりと描いていた。
毎日がんばったから特別おいしいね、春歌が笑った。
帰り道、また来年もスタンプぜんぶ押してもらおうね、と跳ねるような足取りの春歌に、夜雨は、来年はもういいよ、と言いたかった。内心は、面倒だしもっと寝ていたい気持ちでいっぱいだった。
けれどそれはどうしてだか、どうしてもどうしても言葉にならず、夜雨はただ、風に浮いた麦わら帽子を、そっと春歌の頭に戻してやった。
「麦わら帽子!むぎわらぼうしィ!?」
今日も今日とて、非常に手強い題目がやってきた。某所在住物書きはスマホで情報収集をしながら、かのゴムゴム船長以外に何のネタがあろうかと葛藤した。
「『麦わら』帽子はよく聞くけど、『稲わら』帽子は無いよね、ってハナシ?それとも意外と最近麦わら帽子被ってる人少ないよねって?」
麦わら帽子、簡単に書けそうに見えて、俺の執筆スタイルだと何気にバチクソ難題。物書きはため息ひとつ吐いて、今日も苦し紛れの物語を投稿した。
――――――
困った時の、童話風頼み。不思議な不思議な子狐と、ちょっと大きな麦わら帽子のおはなしです。
最近最近の都内某所、某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしておりまして、
その内末っ子の子狐は、善き化け狐、偉大な御狐となるべく、不思議なお餅を売って、絶賛修行中。
3月からひとりだけ、人間のお得意様がつきました。
お餅を作って、売って、買ってもらって。
作って、売って、腹を撫でくりまわしてもらって。
コンコン子狐、ちょっとずつ、お小遣いが貯まってきたのでありました。
「麦わら帽子?」
「意外と収まりが良いの。私の友達にも好評よ」
そんなこんなのコンコン子狐、今日は雑貨屋の猫又さん家に、良さげなクッションの新調オーダー。
500円玉5枚ほど、首掛けの小銭入れに大事に入れて、良いもの有りませんかとご相談。
税込みたった、2500円ぽっち。物価の高い東京じゃあ、買えるクッションは限られます。
ぶっちゃけこれくらいの予算なら、プチプラショップに行くのが妥当です。
が、ここで効いてくるのが「化け子狐」の設定。
雑貨屋の猫又、よく心得て、ちょっと大きめの麦わら帽子を持ってきました。
「ねこ鍋の要領ね」
雑貨屋の猫又店員が言いました。
「あなたなら、キツネ鍋になるんでしょうけれど」
お試し用の商品を渡された、コンコン子狐。麦わら帽子をひっくり返し、床に置いて、中に入ってみます。
「わ、スッポリだ」
ふさふさ尻尾をくるりん丸めて、お昼寝ポーズよろしく体を縮めると、
「んんん。深さも、ハンパツも、ちょうどいい……」
頭は丁度帽子のツバに乗るし、背中は帽子のくぼみに収まるし。フィット感がなんともいえません。
なにより通気性の良い麦わら帽子です。
おお、天然素材よ、汝涼しげな夏の季語よ。
じめじめした憂鬱も、雨降りそうな不機嫌も、
見よ、コレひとつあれば少しだけ、カラっと晴れたような気が、絵面だけではするのです。
「次にクッション買いに来る時は、3000円5000円程度で予算組んできてね」
税込2035円。ほんのちょっと足りなかった分は、品出しのお手伝いをして差し引きゼロ。
クッション買いたかった子狐は、ちょっと大きめの麦わら帽子をお買い上げ。
なかなか気に入ってしまったらしく、その後子狐は1週間ほど、遊ぶ時も昼寝の時も、麦わら帽子から離れませんでしたとさ。
麦わら帽子(2023.8.11)
僕は、麦わら帽子が嫌いだ。
被った時にチクチクするし、なんだか田舎っぽくてダサい。
それに、麦わら帽子を見ると、君のことを思い出してしまうから。
麦わら帽子の下で、向日葵みたいな笑顔を弾けさせて、そして、そのまま…波間に消えた君。
夏も、入道雲も、向日葵も、麦わら帽子も…もう会えない君を思い出させるもの、すべてが、愛おしくて、憎らしい。