燈火

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【麦わら帽子】


糸を垂らしてぼーっとする時間が好きだ。
日陰に椅子を置き、堤防から竿を投げる。
首にかけている帽子の出番はないといいのだが。
時間帯によっては正面から陽が差して眩しいからな。

待てど暮らせど波に揺られるだけの竿先。
時間がゆっくりと流れているような錯覚を覚える。
のんびりと過ごす時間は、都会にいると得られない。
今度の週末に実家に帰省でもしようか、と思いを馳せる。

子供の頃は近所の用水路でザリガニ釣りを楽しんだ。
竿が無くとも直に糸を垂らすだけで簡単に釣れた。
そろそろ餌が無くなる頃だろうか。
なんとなく様子見で上げてみると、竿がしなった。

大物を期待できるほどの曲がり方に嫌な予感がする。
竿を上げると強くしなるなら、だいたい根がかり。
地球を釣ったなんて言うが、振って外れないと厄介だ。
まさか、と思いながらハンドルを回すと意外にも巻ける。

根がかりではないのか、と安心したのもつかの間。
竿のしなりは一向に弱まらない。
それどころか、強く引かれているようで糸が出ていく。
これは本当に大物かもしれないな。慎重に巻いていった。

水面に映る魚影が変な形をしている。
魚にしてはヒレが長いような。それに先が分かれている。力を込めて竿を立てれば、ざばっとそれが顔を出す。
「痛い痛い! ちょっと早く外しなさいよ!」

「あんた一人なの? 寂しいわね」「独りで何が悪い」
「ひねくれちゃってヤダヤダ」半笑いで肩をすくめる。
ぼーっとする時間に騒がしい人魚が一人。いや、一匹?
その後しばらく、不人気な釣り場に明るい声が響いた。

8/12/2023, 9:31:18 AM