燈火

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11/7/2025, 9:43:35 AM


【冬支度】


最近は風が冷たかったり、陽射しが暖かかったり。
紅葉もまだなのに、もう秋が終わりそうな感じ。
そろそろ衣替えをしないといけないのかな。
そんなことを考えながら、私は帰路についた。

帰宅後、さっそく準備を始めることにした。
押し入れに詰め込まれた圧縮袋を引っ張り出す。
中身は様々。厚手の服やコート、毛布など。
早めに出してシワを伸ばしておかないと。

中身を確認しつつ、種類ごとに床に並べていく。
ふとマフラーや手袋がないことに気がついた。
毎年、一緒に仕舞っていたはずなのに。
どこに入れたっけな、と記憶を掘り起こす。

前回の衣替えは夏服だったので、楽だった。
圧縮袋なしで大きめの箱に詰め込まれたものを出す。
その箱に防寒用の小物類を入れていたような。
箱を開けて見てみるも、中には何も入っていない。

なんでだろうともう一度頭を捻り、思い出した。
マフラーと手袋は捨てることにしたのだった。
あれは何年か前に別れた彼氏とお揃いで買ったもの。
残していると、なんとなく次に進めない気がした。

変なタイミングに処分したせいで忘れていた。
忘れてしまうぐらい、元カレへの未練はない。
だけど忘れていたから、他にも残っているのかも。
私は衣替えをそっちのけで部屋をひっくり返した。

ちゃんと探してみると意外と見つかってしまった。
ペアキーホルダーとか、ツーショット写真とか。
いかにも好きでした、みたいな恋の残骸たち。
大掃除の前に、全部まとめて処分してしまおう。

11/5/2025, 9:50:46 PM


【時を止めて】


扉の前で立ち止まり、深呼吸をして二度ノックする。
ちょうど中にいた看護師と目が合い、挨拶を交わす。
「旦那様がいらっしゃいましたよ」と微笑む看護師。
その視線の先には、お寝坊さんな僕の妻がいる。

個室へ立ち入り、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
妻の手を取り、脈を確かめるように手首に触れる。
ベッドに眠る君の身体からは無数の管が伸びている。
いわゆる植物状態にあり、意思の疎通は図れない。

「おはよう」言葉をかけても当然、返事はない。
失礼します、と看護師は気を遣って退室していった。
僕はいつものように、一方的に君と話をする。
永遠にも思える日々がまだ半年とは信じがたい。

不確定な未来の価値は誰にも決められない。
だけど、僕は君の人生の価値を決めてしまった。
君の命を停滞させる原因となった、人身事故。
あの事故によって、数千万円だと認めてしまった。

命を繋ぐ無数の管が君を強制的に明日へ連れて行く。
それは、はたして良いことなのだろうか。
突然のことだったから、延命治療に君の意志はない。
君を諦めたくない一心で選んだ、僕の独断だった。

真に君のためを思うなら。考えて、僕は目を伏せる。
治療の中断を選ぶことが救いになるのかもしれない。
いつか起きるかも、なんて望みは僕のエゴだ。
わかっている。わかっているけど、捨てられない。

たとえ起きられたとしても後遺症は残るだろう。
それで死を望むほど苦しむ可能性もあるけれど。
せめてお金が尽きるまで、君に生きていてほしい。
僅かな希望にでも縋らないと、僕は息すらできない。

11/4/2025, 4:34:49 PM


【キンモクセイ】


甘い香りで人を誘う、オレンジの小花に目を留める。
花の命は短い。匂わなければ気づかなかっただろう。
秋を象徴する香りを楽しむように、君は目を閉じる。
「懐かしいね」君の言葉で思い出すのは大学時代。

あの頃、私はこの香りをとても気に入っていた。
ハンドクリームにヘアオイル、柔軟剤や入浴剤まで。
秋の限定商品を買い溜めして年中使うほど。
季節感も風情もあったものではないけれど。

「学内ですれ違うとさ、ふわっと香るんだよ」
毎回振り向いていた、と君は恥ずかしそうに明かす。
嫌いな匂いでなくて良かった、と今さらながら思う。
今の私たちがあるのはこの香りのおかげだ。

しばらくして、君は不思議そうに首を傾げた。
「こんな香りだったっけ?」私に聞かれても困る。
もうちょっと爽やかな感じがあった、と呟く君。
香水みたいに纏う人によって香りが変わるのかな。

「そういえば最近は使ってないよね。なんで?」
君は思考を放棄して、ふと思い出したように問う。
指摘されて、ようやく私もそうだと気がついた。
君の言う通り、同棲を始めてからは使っていない。

「内緒」人さし指を口に当てて、笑って誤魔化す。
過去を懐かしむほど長い年月を共に過ごしている。
その事実が嬉しいような、照れくさいような。
だから、なおさら理由を答えにくく感じてしまう。

「えー、教えてよ」と君は顔を近づけてくる。
このシャンプーの匂いが、私の無意識の変化の理由。
好みの香りより君の匂いの方が落ち着く、なんて。
絶対に言えないけど、同じ匂いでいたかっただけ。

11/4/2025, 4:09:25 AM


【行かないでと、願ったのに】


僕らの高校は今年度を最後に廃校が決まった。
全校生徒が十人にも満たないから、当然の結果だ。
二年生の僕は、これ幸いと辞めることにした。
転校を選ばなかったのは僕だけだと聞いた。

なぜか情報通の先輩は、僕の選択を知っていた。
「辞めたら暇になるんじゃない?」楽しそうな笑顔。
この顔は何か企んでいて、僕を巻き込むつもりだ。
尋ねたら、「送りびとになってよ」と言われた。

「送りびと?」予期せぬ言葉に、僕はただ繰り返す。
『送りびと』とは、一時話題になった犯罪者のこと。
SNSで自殺を望む人に接触して、最期を見届ける。
自殺幇助か殺人か。一種の救いだと考える人もいた。

どちらにしても、先輩の口から出るには意外な言葉。
「自殺願望があったなんて知りませんでした」
「知ってたらびっくりしちゃうよ」とくすくす笑う。
他でもない先輩の頼みなら、僕に断る理由はない。

必要性もわからず退屈な勉強をしていた高校生活。
優等生と噂の先輩は上手なサボり方を教えてくれた。
勉強をできても息抜きができないと苦しいだけ。
そう言う先輩は、急に一週間休む問題児でもあった。

いつも長袖のシャツとハイネックを着ている先輩。
どんなに暑い日も変わらない服装が不思議だった。
旅の初日、先輩は隠していた部分を見せてくれた。
手首に残る、無数のリストカット痕が痛々しい。

『送りびと』のように共に旅をして最期を見届ける。
その過程で、心変わりさせることはできるだろうか。
『送りびと』の犯行記録──ブログではいなかった。
先輩を失わないための旅の終わりは、まだ見えない。


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 ────── 別の解釈の話 ───────
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【行かないでと、願ったのに】Other Story


僕と君はやっぱり合わないのかもしれない。
気づけば、また君を怒らせてしまった。
君はさっきまで嬉しそうに飲み会の話をしていた。
せっかく誘われたからこの後行く、と笑っていた。

それで僕は、本当は嫌だと言いたかった。
だけど重いから。束縛はしたくないから。
「いいね、楽しんでおいでよ」嘘をついた。
物分かりのいいふりをして笑ってみせた。

サークルの飲み会ってことは男もいるんだ。
二次会とか参加して遅くなったら心配だな。
そんな不安を隠して、良い彼氏を装った結果。
「なんで?」君に不満そうな目を向けられた。

『なんで』? その質問の意図がわからない。
「楽しみじゃないの?」「そうじゃなくて」
『そうじゃない』は、楽しみではないってこと?
時々、君の言葉はひどく曖昧な表現になる。

「飲み会に行くんだよ。なんか言いたいことないの」
責めるような言い方。君は睨むように僕を見つめる。
君の中には欲しい言葉があって、それを待っている。
だけど僕には、その欲しい言葉が見当もつかない。

何も言えない僕に痺れを切らした君はそっぽを向く。
「……もういい」いろんな感情の混ざった声だった。
諦めたような、泣きそうな、悲痛な表情をしている。
このまま見送るべきではないのに、言葉が出ない。

扉を押し開けた君が、名残惜しそうに振り返る。
そう見えたのは、期待していたせいかもしれない。
引き留めてよ、って僕を求めてくれたなら。
「じゃあね」それは『さよなら』の響きをしていた。

11/3/2025, 7:00:23 AM


【秘密の標本】


彼はちょっとキザで可愛い、友人の弟くん。
初めて顔を合わせたのは、私が高校生の頃。
彼はまだ中学生になったばかりだった。
友人の家を訪れるのにも慣れてきた、ある春のこと。

思春期で手を焼いている、と友人から聞いていた。
もし迷惑をかけたらごめんね、とのこと。
だから私も、あまり構わないようにしようと思った。
たまたま玄関で鉢合わせて、小さく会釈を交わす。

思っていたより思春期らしくない印象。
私の歳の近い弟はもっと酷い態度を取っていた。
今でこそ落ち着いたものの、あれはかなり怖かった。
それと比べれば全然、彼の思春期はかわいいものだ。

帰り際、ちょうど帰ってきた彼とまた鉢合わせる。
その手には、なぜか四つ葉のクローバーがある。
「また来てもいいよ」ずいっと差し出された。
ありがたく受け取り、私は後日それを栞にした。

高校を卒業後、私と友人は別の大学に進学した。
地元を離れた友人の実家を訪れることはもうない。
たまに話をした彼とも今後は会わなくなる。
そう思っていたが、意外にも交友は終わらなかった。

一人暮らしをする私の家へ、彼は時々やってくる。
姉のおつかいで、といつもどこか不満そう。
だけど来る度に、きれいな一輪の花を贈ってくれる。
それら全てを押し花にして、私は大切に残している。

花を贈られる。その意味をなんとなく察せるけれど。
私は鈍感なふりをして、あえて花言葉も調べない。
いつか彼がそれを言葉にして贈ってくれたなら。
その時は、私もコレクションを明かそうと思う。

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