燈火

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【キンモクセイ】


甘い香りで人を誘う、オレンジの小花に目を留める。
花の命は短い。匂わなければ気づかなかっただろう。
秋を象徴する香りを楽しむように、君は目を閉じる。
「懐かしいね」君の言葉で思い出すのは大学時代。

あの頃、私はこの香りをとても気に入っていた。
ハンドクリームにヘアオイル、柔軟剤や入浴剤まで。
秋の限定商品を買い溜めして年中使うほど。
季節感も風情もあったものではないけれど。

「学内ですれ違うとさ、ふわっと香るんだよ」
毎回振り向いていた、と君は恥ずかしそうに明かす。
嫌いな匂いでなくて良かった、と今さらながら思う。
今の私たちがあるのはこの香りのおかげだ。

しばらくして、君は不思議そうに首を傾げた。
「こんな香りだったっけ?」私に聞かれても困る。
もうちょっと爽やかな感じがあった、と呟く君。
香水みたいに纏う人によって香りが変わるのかな。

「そういえば最近は使ってないよね。なんで?」
君は思考を放棄して、ふと思い出したように問う。
指摘されて、ようやく私もそうだと気がついた。
君の言う通り、同棲を始めてからは使っていない。

「内緒」人さし指を口に当てて、笑って誤魔化す。
過去を懐かしむほど長い年月を共に過ごしている。
その事実が嬉しいような、照れくさいような。
だから、なおさら理由を答えにくく感じてしまう。

「えー、教えてよ」と君は顔を近づけてくる。
このシャンプーの匂いが、私の無意識の変化の理由。
好みの香りより君の匂いの方が落ち着く、なんて。
絶対に言えないけど、同じ匂いでいたかっただけ。

11/4/2025, 4:34:49 PM