【凍える朝】
ピピピピピピピピ。脳内を侵食する電子音。
「うるさ……」僕は緩慢な動きで枕元を探る。
スマホを見つけて、寝ぼけ眼で画面を眺めた。
出勤時刻のアラームを切り忘れていたらしい。
けたたましい音をリセットしてスマホを置いた。
もしや彼女の安眠を妨げてはいないだろうか。
毛布を巻き取らないように、慎重に寝返りを打つ。
視線の先に、思い浮かべた相手の姿はなかった。
あれ、おかしいな。一瞬、思考がフリーズする。
昨日は彼女が来て、いつものように泊まっていった。
それなのに隣に温もりはなく、物音もしない。
セミダブルに一人という受け入れがたい現実。
勢いよく起き上がると、冬の寒さが身にしみる。
なんとか彼女の痕跡を探そうと部屋を歩き回った。
毛布で得た熱が失われていくが気にする余裕はない。
痕跡が見つからず愕然とした時、玄関が開けられた。
「あ、起きたんだ」そう言って、平然と現れた彼女。
驚きと安堵、疑問が一気に湧いて僕はパニック状態。
「おかえり」なんとか、かろうじて言葉を紡いだ。
直後、体温の低下を自覚した体が震え出す。
慌てた彼女に背を押されて、僕はベッドに逆戻り。
彼女の手の冷たさが背中越しに伝わってくる。
僕は毛布から腕を伸ばし、彼女の手首を掴んだ。
「一緒に寝て温めてよ」きっと寒さも分け合える。
彼女は、わがままを許す母親のように微笑んだ。
手に提げていた袋を机に置いて、彼女は布団に潜る。
二人とも体が冷えているせいで温かくはない。
だけど、僕の心は数分前より熱を取り戻していた。
【光と影】
(2023/8/3提示【目が覚めるまでに】Another)
あの日、貴方にもらった言葉を拠り所にして生きてきた。
王宮内の庭園で、隠れて泣いていた幼い私に貴方が言う。
「理想は叶えてこそ意味がある」戦いを無くす、甘い夢。
誰もに笑われた私の希望に、貴方だけは賛同してくれた。
貴方のおかげで、私は間違っていないのだと思えた。
けれど、陛下の考えも周りの人々の意見もまるで違う。
宰相は嬉々として作戦を立て、騎士は戦いを待ちわびる。
痩せた土地ゆえ、生活の苦しい平民も侵略を望んでいる。
歴史を紐解けば、一臣下の謀叛から始まった国家だ。
いま繁栄しているのも他国への侵略を繰り返したから。
しかし、好戦的な思想のなかでも理想を捨てられない。
染められず、別の繁栄の仕方を模索していたい。
具体案の見つからぬうちに、陛下、父上が天に召された。
王位継承権第一位である私は必然的に継がねばならない。
この期に及んで、戦いへの期待に向き合えず迷っていた。
貴方なら、と考える。理想のために、どう動くだろう。
謁見の間にある玉座では、女王らしくしていなくては。
統治する者が臣下に弱った姿を見せられない。
私は父上に倣った。威厳のある陛下の姿を思い出す。
正しいとは思えないが、父上は国民の意志に寄り添った。
新たな侵略の命令に、国中が興奮して沸き立った。
多くの者が血を流し、死ぬことすら名誉だと言われる。
その惨劇を生み出しているのが、王宮に籠る私の一言。
こんなものが私の理想とした国の在り方だったろうか。
もはや理想がわからなくとも立ち止まることはできない。
誰の目もない場所では、仮面が剥がれてしまうけど。
遊学から戻った貴方はよく尽力してくれているのだから。
……ああ、そういえば、貴方の理想を聞いていなかった。
【そして、】
居眠りから覚めると、最寄り駅をとうに過ぎていた。
聞き覚えのない次の駅名を知らせるアナウンス。
現在地の確認のため路線図を見上げて、そう気づく。
終点に至る前に起きられただけ良しとするべきか。
私は次の駅で電車を降りた。知らない場所だ。
終電が終わっていなければ乗り直せたのだが。
さて、どうやって帰ろうかと思案する。
さすがに四駅分は徒歩で帰れる距離ではない。
地上に出たらバスターミナルがあった。
しかし当然、バスの終車も終わっている。
タクシー乗り場はあるが、待機中の車はいない。
少し列ができていて、並んでも何時に乗れるのか。
とりあえずヒールで足が痛いのでベンチに座った。
鞄を置いて背筋を伸ばすと、バイブ音が聞こえた。
鞄からスマホを取り出して見ると、着信が一件。
あなたからだった。折り返すとワンコールで繋がる。
「遅くなるって言っても限度があるでしょ!?」
「はい、ごめんなさい」反射的に謝罪を述べた。
いつもなら既にあなたは眠っている時間。
よほど心配させてしまったのだと反省する。
私のいる駅名を聞いて、あなたは深く息を吐いた。
「事件に巻き込まれたとかじゃなくてよかったよ」
迎えに行くよ、とあなたは提案してくれる。
他に良い手段もなく、私は甘えることにした。
「すぐ行くから。次からは悩む前に連絡してよ」
「……善処します」私の返事を最後に電話は切れた。
顔を合わせたら「善処ではダメだ」と怒られそうだ。
そんなことを考えながら、私は少しだけ目を閉じた。
─────────────────────
───── お題とは関係ない話 ─────
─────────────────────
【夢日記】10/31
舞台は多くの学生で溢れかえる、異世界の学院。
そこにほど近い、羊のヤドリギ亭に私はいた。
本業は宿屋だが、弁当の配達も行なっている。
今は、ちょうど配達を終えたところだった。
「お疲れ様です」門をくぐる直前に声をかけられた。
「そちらこそ、お疲れ様です」笑顔も声も固くなる。
一教師のフリをしているが、この人は学院の経営者。
魔力と精度の高さから『魔王』と呼ばれる人間だ。
多忙なはずなのに、時おりこうして姿を現す。
「今からお帰りですか? よければご一緒しても?」
心底嫌だ。だが、断って変に勘ぐられても困る。
伴って店に戻ると、外に人だかりができていた。
理由は見ただけで察せた。旗が無くなっている。
出入口の扉の両脇に置いていた、赤と青の二本の旗。
この街は、街全体がその二色の陣営に分かれている。
中立の場合は二色とも置いて、無関与の意志を示す。
窃盗事件との通報を受けて騎士団が駆けつける。
私は人だかりの中に私の息子、杏里の姿を見つけた。
ふと脳裏に、見た覚えのない記憶が再生される。
この騒動の結末を、私は知っている、ような。
「真相を知っているお兄さん!」咄嗟に叫んだ。
「明かしてはいけません!」明確に、一人に向けて。
真相を証言するはずのお兄さんとは、杏里のことだ。
実は『魔王』の血を引き、特別な眼を持っている。
「『お兄さん』とは。心当たりがあるのですか?」
『魔王』の不敵な笑みに、本能が警鐘を鳴らす。
この人に杏里の存在を知られるわけにはいかない。
真実を見通す天武の才を、利用させてはいけない。
【おもてなし】
金曜の夜。酷い雨音の響く中、君の来訪を待つ。
ピンポーンとインターホンが鳴って扉を開けたら。
「こんばんは〜」笑顔でずぶ濡れの君がいた。
荷物を前に抱えているが、当然守れてはいない。
服が肌に張りつき、髪から水が滴っている君。
「ちょっ、動かないで。そこで待ってて」
僕は急いで脱衣所に向かい、タオルを取って戻る。
「とりあえず拭いて。で、お風呂入りな」
足元にタオルを引いて脱衣所までの導線を引く。
玄関から最も近いので、廊下はあまり濡れずに済む。
先にシャワーを浴びているよう、君に言いつけた。
今からでも十分か二十分でお湯は溜まるはずだ。
しばらくして、君が風呂場から出てきた。
元から泊まる予定だったが、君の荷物もずぶ濡れ。
仕方ないので僕の服を着替えとして置いていた。
見ると、ぶかぶかではなさそうで安心した。
濡れた髪をタオルで拭く君に、手招きをする。
「ちゃんと乾かさないと風邪引くよ。おいで」
不満そうに口を尖らせて、君はこちらへ歩いてくる。
しぶしぶ、という感じで僕の脚の間に腰を下ろした。
ドライヤー中は轟音でまともに話ができない。
それが嫌で、静音にこだわって買い替えたが。
君は熱風に包まれてうっとりと目を閉じている。
まあいいか、と僕は乾かすことに専念した。
髪を乾かし終えて、僕はふと湧いた疑問を口にする。
「折り畳み持ってなかったっけ」「持ってるよ」
君は続ける。「でも濡れたい気分だったんだもん」
「……先に教えて?」せめてお風呂を用意したい。
10/31 5:01更新
【消えない焔】
一生を共に添い遂げたいと望む相手がいる。
でも、それは今生では決して許されない願い。
私が妖狐でなければ。彼が雪女でなければ。
結ばれることができたはずなのに。
妖たちは日頃、人の姿を真似て世に紛れている。
私と彼もそうして、人間として出逢った。
妖であることなど、そう容易には明かせない。
だから、親密になるまで互いの種族を知らなかった。
妖狐は心を許した相手の前では耳が出やすくなる。
特に眠気の強い時は気をつけないといけないのだが。
うとうとして出た耳を、うっかり見られてしまった。
人間に妖だと知られたら、人の世では生きられない。
途端に意識が覚醒した私は青ざめ、逃げようとした。
「──待って!」彼の強い声に引き止められる。
「大丈夫。僕も一緒だから」白い靄が彼を包む。
ひんやりと広がる冷気が彼の正体を教えてくれた。
彼も妖だった。でも、「大丈夫じゃないよ……」
先ほどまでとは別の意味で、私の顔が引きつる。
妖狐と雪女は種族の特性上、非常に相性が悪いのだ。
一族同士の関係性もあまり良いとは言えない。
私自身に、雪女だからと忌み嫌う理由は無い。
この様子だと、彼も妖狐を嫌ってはいないようだ。
それは幸いだが、私には他にも不安な要素がある。
嘘か真か、妖狐と結ばれた雪女は溶けると聞いた。
その噂を知ってなお、彼は大丈夫だと言う。
「溶けない証明になるよ」と手を差し出された。
私は躊躇した。だって、もし溶けてしまったら。
それでも彼は良いとしても、私が耐えられない。
─────────────────────
────── 過去のお題の話 ──────
─────────────────────
2023/7/12提示
【これまでずっと】Another
何度、見送ってきたのだろう。
小さな本棚には思い出が詰め込まれているらしい。
知らない名前と年月日が背に書かれたアルバムたち。
彼はたまに読み返しては、寂しそうに目を伏せる。
「君はいい子だね」その一言は幼い私を喜ばせた。
いま思うと、両親も先生も手を焼く問題児だったのに。
言うことを聞かない。勝手に動いていなくなる。
ないものねだりをしないことが唯一の長所だった。
初めて話したとき、迷子の私は泣いていた。
彼は戸惑い、目線を合わせて問う。「どうしたの?」
この優しい人に、お母さんは気味が悪いと顔を歪ませる。
何が本当なのか確かめたくて、約束を破って近づいた。
「君は変わってるよ」困り顔で笑う彼は私の頭を撫でた。
結婚を急かされる歳になって、親ですらもう撫でない。
それなのに、彼はいつまでも子ども扱いする。
手に入らないと知りながら求めてしまうのは、愚かだ。
時間を共有するたび、心の奥底に触れてきた。
悠久の時を生きる彼の世界には手を伸ばしても届かない。
私の一生など、きっと暇つぶしにもならずに忘れられる。
私にとっては彼のいる日々が眩しくて仕方ないのに。
週に一度、彼と過ごすティータイムを心待ちにしている。
美味しい紅茶を飲んでほしくて、たくさん練習した。
幼い私が「やめようよ」と言う。でも。これは救いなの。
数日前に届いたばかりの紅茶缶を手に取り、家を出た。
彼が紅茶に口をつけ、こくりと喉が動く。
きれいな所作につい見惚れていた。
何かが割れる音。彼のティーカップが落ちたらしい。
目をつむって紅茶を飲めば、一緒にいられる気がした。