燈火

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【時を止めて】


扉の前で立ち止まり、深呼吸をして二度ノックする。
ちょうど中にいた看護師と目が合い、挨拶を交わす。
「旦那様がいらっしゃいましたよ」と微笑む看護師。
その視線の先には、お寝坊さんな僕の妻がいる。

個室へ立ち入り、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
妻の手を取り、脈を確かめるように手首に触れる。
ベッドに眠る君の身体からは無数の管が伸びている。
いわゆる植物状態にあり、意思の疎通は図れない。

「おはよう」言葉をかけても当然、返事はない。
失礼します、と看護師は気を遣って退室していった。
僕はいつものように、一方的に君と話をする。
永遠にも思える日々がまだ半年とは信じがたい。

不確定な未来の価値は誰にも決められない。
だけど、僕は君の人生の価値を決めてしまった。
君の命を停滞させる原因となった、人身事故。
あの事故によって、数千万円だと認めてしまった。

命を繋ぐ無数の管が君を強制的に明日へ連れて行く。
それは、はたして良いことなのだろうか。
突然のことだったから、延命治療に君の意志はない。
君を諦めたくない一心で選んだ、僕の独断だった。

真に君のためを思うなら。考えて、僕は目を伏せる。
治療の中断を選ぶことが救いになるのかもしれない。
いつか起きるかも、なんて望みは僕のエゴだ。
わかっている。わかっているけど、捨てられない。

たとえ起きられたとしても後遺症は残るだろう。
それで死を望むほど苦しむ可能性もあるけれど。
せめてお金が尽きるまで、君に生きていてほしい。
僅かな希望にでも縋らないと、僕は息すらできない。

11/5/2025, 9:50:46 PM