夜雨と春歌

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【麦わら帽子】



 小学校低学年の頃、夜雨はすでに世の中を斜めに見るようなお子様だったので、夏休みのラジオ体操になんて何の意味も見いだせなかったし、せっかく学校に行かなくていいのに早朝から叩き起こしに来る春歌が腹立たしかった。
 あの頃の春歌は美白なんてカケラも意識せず、毎年夏になるたびにこんがりと肌を小麦色に焼いて、似合いの麦わら帽子をちょこんと頭に乗せていた。ある年は赤いリボンがひらりと、ある年は飾りの黄色い花がふわりと、もっとゆっくり寝ていたいとごねる夜雨の視線の先で揺れていた。

 夏休みの最終日、ラジオ体操皆勤のこども達には、その地域のこども会だかなんだかの大人が用意した、ちょっとしたご褒美が配られた。小さな駄菓子の詰め合わせと、一個のアイス。
 ひとつも欠けることなくスタンプの押されたカードを手に満面の笑みを見せる春歌を、夜雨は冷めた目で見ていた。だって、こんな程度の駄菓子、アイスのひとつ、自分のおこづかいでも買えるのだ。
 溶けてしまうアイスはその場で食べて帰る子が多く、夜雨と春歌もそれに倣い、申し訳程度にある日陰に並んで座った。ジャリジャリとしたかき氷風のそれを嬉しそうに齧る春歌に対して、夜雨は、朝からアイスか……そういえば朝ごはんもまだ食べてないな、と思いながらチロチロと舐めていた。地面には、小さな日陰に収まりきらなかった春歌の影が、麦わら帽子の丸い形をくっきりと描いていた。
 毎日がんばったから特別おいしいね、春歌が笑った。

 帰り道、また来年もスタンプぜんぶ押してもらおうね、と跳ねるような足取りの春歌に、夜雨は、来年はもういいよ、と言いたかった。内心は、面倒だしもっと寝ていたい気持ちでいっぱいだった。
 けれどそれはどうしてだか、どうしてもどうしても言葉にならず、夜雨はただ、風に浮いた麦わら帽子を、そっと春歌の頭に戻してやった。

8/12/2023, 7:58:15 AM