『香水』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
香水なんて使ったことがなかった。
使いたいと思っても
何を使えばいいのかわからない。
そんな状態が高校生まで続いてた。
そんな私でも使い続けてる香水がある。
石けんのようなシャンプーのような
優しくて爽やかなこの匂いがする度に
彼との思い出が蘇る。
まだ空から見守っていてくれてるかな。
香水 良い臭いがする
好きになる、気になる臭いもあるし
香水って不思議だね~
臭いに敏感な人多いしね!
夜中にいきなり浮気した彼が尋ねてきた。急に抱きしめられフワッと香りがした。何か思い出のある匂いだ。わたしと彼が初めてデートした日に買ったハナミズキの匂いの香水。「あぁ、忘れようと思ったのに」
香水
花の香水は花を搾って
樹の香水は樹を搾って
果実の香水は果実を搾って
大好きなあなたの香水は
あなたを搾って
数年ぶりに訪れた、インドネシアのバリ島。
夕食帰り、日本より幾分か過ごしやすい夜風に吹かれながら入った店で、とっておきの香水に出会った。
棚いっぱいにところ狭しと並ぶ香水、香水、テスター。あてもなく、パッケージと英単語の羅列を見ているとき、ふと目に留まった。
’lost in tokyo’_東京の迷い子。
’under malibu ocean’_マリブ海の水面下。
そして、’memory of Paris’_「パリの記憶」
私の手に少し香りを纏わせたとき、身体中を爽やかな優しい甘さが吹き抜けて、心が穏やかに凪いだのを、憶えている。
一目惚れといっていいのだろうか。この香りを纏えたら、柔らかな揺蕩いに落ちていける気がした。
森林、山村、海洋、花畑、雑踏、どの言葉にも属せない、なんとなく、私の思い描いていたパリとはイメージが違っていたけど。冷えきった冬の早朝に、バニラの香るベルモットを溶かしたような、優美で爽快な香りだった。
日本に帰ってきた今、あの香りを纏いたいとか思っていたくせに、まだ一度しかこの香水を使えていない。
私はパリの記憶を着付けたところで、誰にも届かない。だから、初めて好きな人に送った手紙に、私の代わりに絡ませた。
きっと香りなど、届いたときには消えていたのでしょう。それでもいいや、と思えた。
いつか彼に直接出会えたときに、残り香として憶えていてくれたら、なんて。
「香水」
私は、香水が好きじゃないと思っていた。
君に出会うまでは。
「…マスタァ、香水の瓶って捨てるの結構手間かかるんスね」
カウンター席の向こうに置かれたグラスと、“JIN”とラベルのある、透明な液体の入った瓶を引き寄せながら、俺は言った。
「…アルコールを分解するにはまだ早過ぎますよね。お子様は大人しく、ノンアルコール飲料をどうぞ」
マスターは、忌々しくも鮮やかな手つきで、俺の左手のグラスを器用に取り上げ、冷蔵庫から水蒸気の立ちのぼる、ほっそりとした瓶を取り出した。
流れるように栓抜きで口を開け、グラスに注ぐ。
俺の感情とは裏腹に、俺の口内は脊髄反射で唾を飲み、俺の右手は瓶をカウンターの向こうに差し出す。
差し出すついでに微かな抵抗を試みる。
「でもマスタァ、俺はもう酒分解できるくれえの生い立ちしてると思わねえの?」
「そんなことで未成年が飲酒できるなら、私に相談に来る知り合いの大半は、二十になる前に飲めるってことになっちまいますがぁね」
マスターはにやりと笑って、優美にグラスを差し出した。
受け取って、一口飲む。
弾けるような二酸化炭素の刺激と、ジンジャーの辛くて甘い抜けるような味が、口内に広がる。
「で、お姉さんの香水、まだ捨てられてないんですねえ。あんな啖呵切ってた割には」
白い布でグラスを磨きながら、マスターは言う。
「…そうっスねぇ。捨てれねぇの」
ジンジャーエールのぱちぱちの刺激に目を瞑りながら、俺はため息混じりにマスターに返す。
「…もういっそのこと、落として割ってしまったらどうです?」
マスターは何気ない風で付け足した。
「あの時、あなたが言ったことは正しいんですから。『過ごした時間が長いとか、ポリシーとか立場とか、そんな綺麗事でなんもしてくれない輩よりも、どんなに知り合った期間が短くても、何処の馬の骨か知らなくても、悪人だったとしても、建前だとしても、自分に対して親切にしてくれて、有益なことやものを渡してくれる奴の方が好きになるに決まってる!』…だったか。それは正しい、世の真理です。あの時は感心しましたよ。生後5年のホムンクルスが言ったとはとても思えませんでしたから」
俺は、返す言葉を探す間を埋めるために、またちびりとジンジャーエールを口に含んだ。
俺は一ヶ月前に、たまたま迷い込んだマスターと、たまたま居合わせた数人の人に助けてもらった。
俺たちは、俺たちの家_研究所の実験台からこの世界に連れ出してもらった。
それまでは、俺も姉さんも、実験漬けの毎日だった。
母さんに忠実だった姉さんは、家を家族の絆を守ることにずっと固執していた。
…だから縁を切ることにした。俺は、俺じゃない過去の誰かを見るような目で、俺と姉さんに苦痛を強いるこの家が、好きじゃなかったからだ。
姉さんと母さんは、不思議な香りをいつも仄かに纏っていた。
姉さんに言わせると、それは母さんに貰った信頼の証で、俺たちへの愛情らしかった。
母さんに言わせると、その香りはまじないで、バケモノに襲われないためのお守りらしかった。
そして、俺たちの家にはずっと香っていた匂いだった。
その香水は、紆余曲折を経て、俺の手元にあった。
_正確には、俺の部屋に、俺の新しい家のタンスの中にあった。
俺は、過去の象徴を未だに捨てられずにいた。
何故だかは分からないけど。
俺の脳は、感情は、捨てろと言うのに、俺の脊髄は、その意見をずっと否定していた。
いや、俺のそんな言葉は建前で、本当は、俺は捨てたくないのかもしれない。
香水も、母さんも、姉さんも、研究所であったことも。
「…落とした方がめんどくせぇじゃん。捨てんの」
今日だってそうだ。
今日だって俺は、自分でも苦しいと分かる言い訳を呟く。
「…まあ、それもそうですよねぇ」
そして、それを指摘しないマスターの優しさに、まだ甘えている。
…マスターの言う通り、俺はまだまだお子様なのかもしれない。
過去に縋り続ける、お子様。
ジンジャーエールを口に含む。
ジンジャーの爽やかな甘辛さが、鼻を刺して抜けていった。
すれ違った人から君のつけていた香水の匂いがした。
もう忘れられたと思っていたのに、
君は僕の嗅覚さえも虜にしていたのだ。
その時僕は心の底から願った
大好きだった君へ、幸せになってね
2024 8/30 香水
香水が香ると、あなたが近くにいる気がして不安になる。理由はない、貴方が近くにいるはずもない。けれども、確かに言語化できない不安に駆られる魂が自分の中に溢れている。
香水
春香の使ってる香水って
[ドーリーガール]ってやつ?
うん、そうだけど、なんで?
こないだ、ドンキで俺も
なんか新しいのにしようかなって
色々試してみてて
なんか、似てんなーって
そっか。見つけられたんだ。
ワンちゃんみたいな嗅覚だね。
うん、でもなんかちょっと違う気がして。
いちお聞いてみた。
ふふ。
あ、そういえば来週は空いてるの?
違和感がないように話を変えた。
あまり深掘りされたくなかったし
2度とこの話を掘り下げられたくなかった。
かつての恋人がくれた
[AffectIonアフェクション]という香りは
驚くほど私に合う香りだった。
愛情、愛着を意味するAffectIonは
彼からの想いなのか
愛着から執着へ変わってしまった
私への揶揄なのか。
今や確認するすべもない。
初めて香りを纏った時
「思ったとおり」とだけ宗二は言った。
最高の褒め言葉で
口説き文句だった。
前に行きたがってたとこ
香水作るところはいいの?
うん、いいや、それより
映画見たいのあって。
フランス映画だけど付き合ってくれる?
寝たらごめんww
なら朝イチ先に見てくるから
昼過ぎに合流する?
フランス映画が好き。
あまりにも文化が違うから。
情愛や性愛が、感情でなく
雰囲気で描かれている。
セリフも詩的な表現が多く
口数も少ない。
空気のような映画が多いと
私は思っている。
宗二はそういう人だった。
そしていつの間にか
いなくなってしまった。
答えも出さず
香りだけを残して。
1人映画を見る。
昔ながらのミニシアターは
誰かの丁寧な仕事の上で
清潔な湿り気を感じる。
人の匂いが染み込んだソファは
真紅のベルベット生地に
金の刺繍があしらわれている。
座面を撫でると
生地が逆立ち、指の跡ができる。
昔だったら
願掛けのように
名前を書いていただろう。
あなたを忘れない。
映画をみると没入した分だけ
自分の中に豊かさが生まれる。
「冷めたランチみたいな人」
と主人公が言っていた。
心の中でメモをする。
氷が溶けて
薄くなったレモンティー
爽やかさも苦味も
全部薄まっている。
んで、どうだったの?
今日の映画。
とても良かったよ。
ざっくりいうと
都会暮らしの女性が田舎に引越して
田舎の男性と結ばれそうで結ばれない話。
それが、とても良かったの?
うん。
現実そう簡単に恋愛にはならないし
かといっていい年頃の男女が意識しないわけもない。
とっても良かった。
ふーん、好きよな、そういう
曖昧なやつ。
喉に詰まりそうな
冷えたオムライスを
フォークで食べる。
みんなそれぞれ愛してやまない匂いというのが存在しているだろう。
私ももちろん存在する
まわりのひとに
じぶんから
発するニオイ
嗅がせては
嫌われること
気にしては
ニオイ消すこと
ばかりして
自分を外に
開くこと
出来なくなって
ここにいる
ニオイを武器に
するなんて
とても自分は
出来ないと
決めつけている
今日もまた
香水なんて
選択肢
自分の中に
見つからぬ
『香水』
貴方の香りで
忘れられない夜に結びついた
ねぇ、これ以上
私を口説かないで!
ずるいよ
ずっと記憶に残っちゃう、
10も年上の貴方に
のぼせ舞い上がった私は
大人になって気づくんだ
見抜けない罠に
香水がまとわりつく素肌に
溺れて・・・
私があげたシトラスの香水を、貴方はいつから纏ってくれなくなったのだろうか。3年間一緒に居たけど、私達の間にあった愛はいつ冷めたかも分からない。気が付けば私は貴方と距離を置かれていて、貴方から香るのはいつだって芳醇なラベンダー。それは知的で端正な貴方によく似合っていたけれど、私が求めている事に応えてくれないのが悲しかった。
色白な貴方は、今はもう真っ赤に汚れている。シトラスでもラベンダーでもない、生臭い匂いが私の鼻をつく。私の何が悪かったんだろう。いつから貴方は私を見てくれなくなったんだろう。
「君は、僕には重すぎる」
そう言い残して貴方は消えてしまった。私のお腹に深く刺さった包丁を抜かないまま。でも今は、貴方と同じ匂いになれて嬉しい。
母のドレッサーはいわゆるハイブランドのパウダリーな香水の匂いがした。
しかし私があの匂いにこうした説明をできるようになったのは上京して伊勢丹なんかで同じ匂いを嗅いでからだ。
母は普段化粧をしない人だった。
まして香水をつけているところは一度も見たことがない。
おそらくドレッサーの引き出しに入っていたあの香水も貰い物か何かだったのだろう。
初めその匂いを嗅いだ時は正直臭いと思った。
そのドレッサーも長く使われていないからその香水も古くなってこんな匂いになってしまったのだと思った。
埃やカビの匂いと混ざってしまっているのだ、と。
もしもあの匂いを初めて嗅いだ場所が伊勢丹の煌びやかな化粧品コーナーだったら、
私はあの匂いを良い匂いだと思っただろうか。
それともやはり臭いと思っただろうか。
触れ合う度に香る君の匂いを
僕はいつから遠ざけるようになっただろう
君が恐ろしく美しい
凍えるような笑顔になったのは
それでも君に縋っていたい僕のせいなんだろう
割れた君の匂いの欠片を
濁った僕の心と吸殻も一緒に
思い切り踏み躙った
【香水】
今でも鼻の奥にほのかに残る。匂いに浸って静かに目を閉じると、瞼に思い浮かぶ君の眩しい笑顔。今でも君の優しい"香水"の匂いが鼻の奥に残って…君の顔が思い浮かぶたんびに…胸が締め付けられる。ねぇ、早く戻ってきてよ。苦しいよ…。会いたい。
中学生の頃
初めて自分のお小遣いで買った香水はGUCCIのENVY。
そこまで好きな匂いだったとは言えないけど当時500円で友達とお揃で買った初めての大人の香り。
それ以来香水を沢山集めるように。
何十種類もある中でリピートしてるのは今のところ3つ。
こんなに種類があるのにずっとつけていたいと思える香水はかなり少ない。
人に香らせるというよりは自分がつけて1番テンションが上がるやつ。
夏には爽やか系、冬は少し甘ったるい感じが好み。
まだまだ出会ってない香りがあると思うとすごく気になるし楽しみ。
これからもずっと自分の理想の香りを探し続けると思う。
「香水」
香水というものに、苦手意識を持っていたのはいつからだろうか。私は昔から、香りに敏感だった。デパートの化粧品コーナーの横を通るとき、魚市場の中を歩くとき、さらにはバスで近くの人の香りのきつさに頭が痛くなることさえあった。
そんな私も年月がたち、だんだんと鈍くなった。
そして私の香水嫌いを徹底的に変えたのはいうまでもなく、やはり、あの人であった。
あの人とは、初恋の人、廉のことだ。
廉と私は、いわゆる幼なじみというやつだろう。しかし、マンガやアニメでよくみる、幼なじみの男女のどこか恥ずかしいような恋愛の香りは、私達には汎ってはくれなかった。私がどんなに望んでいても。
私は廉のことが恋愛として好きだ。だから、どうにか意識させようと、大好きだとそれとなく言ってみたり、夏は暑いねと言いながら扇風機の風に二人であたったり、冬は寒いのを口実に近くに寄って話したりと、さりげないアプローチを続けた。
その結果がこれだ。
「葵ってほんと、優しいよな。俺、葵と出会えて良かったよ。俺たち、一生親友でいような!」
この言葉に笑顔でうんと答えた私を、だれか賞でも与えてくれないだろうか。
彼には恋愛感情というものがないらしい。
それでもいいと思った。親友としてでも、彼の隣に立てるなら。
高校生になって、廉とは違う学校に行って。
それでも廉は私のことを親友だと思ってくれているようだった。
「今度二人で駅前行かねえか?俺、こないだ葵が好きそうな店見かけたんだよ」
高校生の男女が出かける。これをデートと言わずになんというのか?だが廉がデートではないと思うならこれはデートではないのだ。
わかっていても勝手に上がる口角が疎ましかった。
「葵!久しぶり!」
「廉!うわあ、見ない間におっきくなって。」
たった3ヶ月ぶりに会った廉は背が伸びていて、服もなんだか大人っぽい。
ん、なんだろう、この違和感は。
「廉、なにか香水とかつけてるの?」
「おっ、気付いたー?」
これ、珍しい香りの香水なんだぜ、と自慢げに話してくる。香水は苦手だと思っていた。でも……。
(なんか、どきどきする……。大人の男性ってこんなかんじなのかな……。)
私が黙っていると、
「あ、もしかして葵も香水興味ある?」
唐突な質問につい、う、うんと返事をしてしまった。
「じゃあ、いいとこがあるよ!行こう葵!」
「まっ、待ってよ廉!」
ついたのは香りの玉手箱だった。
(うわ……おとなの世界だ……。)
あまりのお洒落さにけおされてしまう。今日してきた自分の精一杯のおしゃれが滑稽に見えて恥ずかしかった。
そんな場違いみたいな世界に、廉はどんどん足を踏み入れていく。
(は、はぐれちゃう!)
廉を見失わないよう、あわててついていく。
廉は奥の方の棚の前で立ち止まっていた。
「ここは割と安めの香水のコーナーだよ。いいよね、この安さで香水が買えるの」
「ふ、ふーん……。」
香水の相場などわからない私は、適当に相槌を打った。
「葵はどんな香りが好き?」
「うーん……。お花の香りはだいたい好きだけど……。花の香りってありふれてる感じはするなあ……。廉みたいに、珍しいのが付けてみたい」
「珍しい香り、か……。へえ、俺のおすすめでいいなら……」
こっち来て、と手招きされた。
「これとか、葵の雰囲気にぴったりかなって、思う」
「マヌカハニーの香り……?はちみつ?」
「うん、甘くてかわいい感じで、葵にぴったりだろ。しかも……」
「わあ、容器がクマの形だ!」
テディベアをかたどった、ころんとした形をしている。
「気に入った?」
「うん!これにしようっと」
ちょっと高いけど、せっかく廉と来てるし。買えないことないしね。
そう思ったけど、廉は私の想像を超えるセリフを言った。
「じゃあこれは俺からのプレゼントな」
「ええっ!?も、もらっちゃ悪いよ」
「気にしないでいいって!久しぶりにあったら、葵めっちゃおしゃれな格好してきてるし、でも中身はやっぱり葵のままで楽しかった。だからそのお礼、的な?今日会えた記念な」
「もう……廉の口説き上手……他の女子に言ったら絶対勘違いされるからね!私は廉が恋愛しないってわかってるけどさあ。照れるなあもう。ありがと!」
本当に廉はこれだから困る。
(香水、ずっと大事にしよう)
(今日のことを、ずっと忘れないために)
これが私の香水への評価が180度変わった日だった。
四百年ほど前、ある所に田井尊という男がいた。
彼は子孫代々武勇に優れたサムライの家系であり、彼もまた先祖と同じように勇敢なサムライであった。
剣、弓も天下一品ばかりでなく、兵法や政治、さらに芸術や茶の作法にも精通しており、まさに非の打ちどころのない武人であった。
そんな人物を世間が放っておくはずもなく、とあるお殿様が三顧の礼を持って彼を迎え入れた。
その甲斐あってか、彼の武勇に恐れをなした近隣国は戦を挑もうとせず、国はながく平穏そのものであった
そして日本全体が平和になるまで、大きな戦に巻き込まれることは無かった。
徳川の世になってから数年後、田井尊はお殿様に暇乞いに行った。
お殿様は驚いた。
彼には何不自由ない生活を送らせていたし、不満そうな様子も無かったからだ
どういうつもりなのか、お殿様は理由を尋ねた。
「この日本が戦乱で満ちていたのは今は昔、現在の日本は平穏そのものであり、戦いの気配はどこにもない。
このわたくしめの武勇を活かすことはありません」
「しかし、ここを去ってどうするつもりだ。
その言い方では、他の大名に仕えるわけでもあるまい」
「僧になりたいと思っています。
日本各地を廻り、この戦乱の世で散っていったたくさんの魂を沈めとうございます」
「なるほど。
普通であれば不可能と一蹴するが、他でならぬ田井尊の言葉。
他の者は不可能でも、お主は成し遂げられるだろう」
そう言ってお殿様は、今までの奉公に対して褒美を出し、彼を快く送り出したのだった
そして彼は剃髪して僧となり、名を田井尊から耐尊とした。
褒美でもらったお金は僧になるための準備に使った以外は、返納して旅に出たのであった
■
旅を始めて一か月たったところ、耐尊は一日中飲まず食わずで歩きとある村にやって来た。
耐えようのない空腹で、この村で食べ物を分けてもらうと思った耐尊だが、その目論見はもろくも崩れ去る。
その村は酷く荒らされており、辺り一面に死体が転がるなど、悲惨な状況であったからだ。
この平和な時代にありながら、まるで戦のようだと耐尊は思った。
耐尊は村の長を訪れ、魂を鎮めるためお経を読みたいと願い出る。
だがそこで聞かされたのは驚きの事実であった。
この村の状況は戦によってではなく、化け物の仕業によるものだと言う
それを聞いた耐尊は、自分が化け物を退治することを申し出る。
しかし村の長は耐尊の申し出を拒否した。
この化け物を退治しようと、何人もの力自慢や高名な僧が挑んだが、誰も帰ってこなかったからだ。
だが村の長は、耐尊の熱意に押され化け物退治を依頼することにした。
村の長から場所を聞き、耐尊は化け物がいるという森にやって来た。
「いるか、ばけもの。
退治しに来てやったぞ」
「だれだ、世迷いごとを言うのは!
二度とそんな口が利けないよう食ってやる」
「やってみるといい」
耐尊が叫ぶと同時に、暗がりから何かが飛び出してくる。
村を襲った化け物だ。
耐尊は化け物の不意打ちを難なくかわす。
「お釈迦様のありがたいお経を聞くと言い」
耐尊は数珠を手に持ち、お経を唱え始めた。
多くの化け物は、お経を聞けばのたうち回り、いずれ浄化される。
耐尊は持てる霊気を数珠に込めてお経と唱えた。
だが、目の前の化け物には全く効いている様子はなく、耐尊は動揺する。
「馬鹿め、俺をそこら辺の三下と同じにするな。
お経など俺には効かん。
ただの言葉など何を恐れる必要がある?」
「なんだと!?」
「万事休すだな、人間!
絶望に包まれたまま死ぬと言い」
化け物の激しい攻撃。
耐尊は身をねじってかわそうとするが、目にもとまらぬ猛攻によけきることが出来ず、耐尊の体に傷が増えていく。
だが耐尊は追い詰められているにも関わらず、毅然《きぜん》とした態度をとっていた。
「ふん、すばしっこい野郎だ。
逃げなければ一思いに殺してやるものを!」
「思いあがるでないぞ、化け物。
お前ごときが俺に勝てるとでも?」
「何だと?」
耐尊は持っていた数珠を放り投げる。
化け物にお経が効かない以上、無用の長物だからだ。
投げられた数珠は、ズシンと鈍い音を立てて地面にのめり込む。
「な、なんだ、その数珠は!?
鈍い音がしたぞ」
「これか?
これは特別に作らせた、鍛練用の数珠だ。
重さは確か、十匁(約38キkg)だ」
「十匁だと!
なんでそんなものを!?」
「鍛練用と言っただろう。
そして……」
耐尊は来ていた着物を脱ぎ棄て、ふんどし一丁になる。
その服も見かけから想像できないような鈍い音を立てて、地面にめり込んだ。
「さて、これで楽になった。
存分に殺し合おうではないか」
「待て、待ってくれ。
話し合おう」
「もはや話し合うことなどない」
「待ってくれ、改心したから、人間を襲わないから」
「言葉はいらない、ただ……
殺し合うだけだ」
■
「物の怪は退治しました。
もうこの村を襲うことはありません」
「ありがとうございます。
これで安心して暮らせます」
村の長は、耐尊に何度も何度もお辞儀をする。
彼は嬉しさのあまり、泣きながらお辞儀していた。
「もはや村を捨てるしかないと覚悟していたところです。
感謝の言葉もありません」
「感謝の言葉だと?」
「あの…… 耐尊様?」
村の長は、急に態度の変わった耐尊に体を震わせる。
なにか変な事でも言っただろうか?
村の長が不安で震えていると、耐尊は人を安心させるような笑顔で言った。
「感謝の言葉はいらない、ただ……」
「ただ?」
「ただ、食えるものを持って来てくれ。
昨日から何も食ってないんだ」