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 四百年ほど前、ある所に田井尊という男がいた。
 彼は子孫代々武勇に優れたサムライの家系であり、彼もまた先祖と同じように勇敢なサムライであった。
 剣、弓も天下一品ばかりでなく、兵法や政治、さらに芸術や茶の作法にも精通しており、まさに非の打ちどころのない武人であった。

 そんな人物を世間が放っておくはずもなく、とあるお殿様が三顧の礼を持って彼を迎え入れた。
 その甲斐あってか、彼の武勇に恐れをなした近隣国は戦を挑もうとせず、国はながく平穏そのものであった
 そして日本全体が平和になるまで、大きな戦に巻き込まれることは無かった。

 徳川の世になってから数年後、田井尊はお殿様に暇乞いに行った。
 お殿様は驚いた。
 彼には何不自由ない生活を送らせていたし、不満そうな様子も無かったからだ
 どういうつもりなのか、お殿様は理由を尋ねた。

「この日本が戦乱で満ちていたのは今は昔、現在の日本は平穏そのものであり、戦いの気配はどこにもない。
 このわたくしめの武勇を活かすことはありません」
「しかし、ここを去ってどうするつもりだ。
 その言い方では、他の大名に仕えるわけでもあるまい」
「僧になりたいと思っています。
 日本各地を廻り、この戦乱の世で散っていったたくさんの魂を沈めとうございます」
「なるほど。
 普通であれば不可能と一蹴するが、他でならぬ田井尊の言葉。
 他の者は不可能でも、お主は成し遂げられるだろう」
 そう言ってお殿様は、今までの奉公に対して褒美を出し、彼を快く送り出したのだった
 
 そして彼は剃髪して僧となり、名を田井尊から耐尊とした。
 褒美でもらったお金は僧になるための準備に使った以外は、返納して旅に出たのであった

 ■

 旅を始めて一か月たったところ、耐尊は一日中飲まず食わずで歩きとある村にやって来た。
 耐えようのない空腹で、この村で食べ物を分けてもらうと思った耐尊だが、その目論見はもろくも崩れ去る。

 その村は酷く荒らされており、辺り一面に死体が転がるなど、悲惨な状況であったからだ。
 この平和な時代にありながら、まるで戦のようだと耐尊は思った。

 耐尊は村の長を訪れ、魂を鎮めるためお経を読みたいと願い出る。
 だがそこで聞かされたのは驚きの事実であった。
 この村の状況は戦によってではなく、化け物の仕業によるものだと言う

 それを聞いた耐尊は、自分が化け物を退治することを申し出る。
 しかし村の長は耐尊の申し出を拒否した。
 この化け物を退治しようと、何人もの力自慢や高名な僧が挑んだが、誰も帰ってこなかったからだ。
 だが村の長は、耐尊の熱意に押され化け物退治を依頼することにした。

 村の長から場所を聞き、耐尊は化け物がいるという森にやって来た。
「いるか、ばけもの。
 退治しに来てやったぞ」
「だれだ、世迷いごとを言うのは!
 二度とそんな口が利けないよう食ってやる」
「やってみるといい」

 耐尊が叫ぶと同時に、暗がりから何かが飛び出してくる。
 村を襲った化け物だ。
 耐尊は化け物の不意打ちを難なくかわす。

「お釈迦様のありがたいお経を聞くと言い」
 耐尊は数珠を手に持ち、お経を唱え始めた。
 多くの化け物は、お経を聞けばのたうち回り、いずれ浄化される。
 耐尊は持てる霊気を数珠に込めてお経と唱えた。
 だが、目の前の化け物には全く効いている様子はなく、耐尊は動揺する。

「馬鹿め、俺をそこら辺の三下と同じにするな。
 お経など俺には効かん。
 ただの言葉など何を恐れる必要がある?」
「なんだと!?」
「万事休すだな、人間!
 絶望に包まれたまま死ぬと言い」

 化け物の激しい攻撃。
 耐尊は身をねじってかわそうとするが、目にもとまらぬ猛攻によけきることが出来ず、耐尊の体に傷が増えていく。
 だが耐尊は追い詰められているにも関わらず、毅然《きぜん》とした態度をとっていた。

「ふん、すばしっこい野郎だ。
 逃げなければ一思いに殺してやるものを!」
「思いあがるでないぞ、化け物。
 お前ごときが俺に勝てるとでも?」
「何だと?」

 耐尊は持っていた数珠を放り投げる。
 化け物にお経が効かない以上、無用の長物だからだ。
 投げられた数珠は、ズシンと鈍い音を立てて地面にのめり込む。

「な、なんだ、その数珠は!?
 鈍い音がしたぞ」
「これか?
 これは特別に作らせた、鍛練用の数珠だ。
 重さは確か、十匁(約38キkg)だ」
「十匁だと!
 なんでそんなものを!?」
「鍛練用と言っただろう。
 そして……」

 耐尊は来ていた着物を脱ぎ棄て、ふんどし一丁になる。
 その服も見かけから想像できないような鈍い音を立てて、地面にめり込んだ。

「さて、これで楽になった。
 存分に殺し合おうではないか」
「待て、待ってくれ。
 話し合おう」
「もはや話し合うことなどない」
「待ってくれ、改心したから、人間を襲わないから」
「言葉はいらない、ただ……
 殺し合うだけだ」

 ■

「物の怪は退治しました。
 もうこの村を襲うことはありません」
「ありがとうございます。
 これで安心して暮らせます」
 村の長は、耐尊に何度も何度もお辞儀をする。
 彼は嬉しさのあまり、泣きながらお辞儀していた。

「もはや村を捨てるしかないと覚悟していたところです。
 感謝の言葉もありません」
「感謝の言葉だと?」
「あの…… 耐尊様?」

 村の長は、急に態度の変わった耐尊に体を震わせる。
 なにか変な事でも言っただろうか?
 村の長が不安で震えていると、耐尊は人を安心させるような笑顔で言った。

「感謝の言葉はいらない、ただ……」
「ただ?」
「ただ、食えるものを持って来てくれ。
 昨日から何も食ってないんだ」
 

8/30/2024, 1:26:36 PM