4.『あたたかいね』『あの夢の続きを』『まだ見ぬ景色』
<読まなくてもいいあらすじ>
五条英雄は探偵である。
彼は、浮気調査やペットの捜索といった雑事をこなし、日銭を稼いでいる。
刺激は無いが、楽しい人生を送っていた。
そんなある日のこと、彼の助手が依頼を持って来る。
内容は『知り合いのVチューバーが五条を取材したいと言っている』というもの。
かなりイレギュラーな依頼に悩む五条だが、最終的に了承。
Vチューバーの事は名前しか知らない五条だが、仕事がないため受けることにしたのだ。
それに動画で紹介してもらえれば知名度が上がり、仕事が増えるかもしれないという下心もあった。
少しだけ困惑を感じつつも、
かくして五条は、人生で初めてVチューバーと邂逅するのであった
彼らの命運や如何に。
◇ ◇ ◇
俺の名前は、五条英雄。
探偵だ。
依頼があれば、法に触れない限り何でもする主義だ。
と、偉そうなことを言っているが、基本的に雑用ばかりだ。
ペット捜索、庭の草刈り、電灯の交換、ああトイレ掃除をやらされたこともある。
まるで便利屋だ。
けれど不満はあまりない。
普通は出来ないような事も出来て、意外と楽しいからだ。
けれどもう少し刺激が欲しい。
近頃そんな事を思っている。
そんな俺は、今回変わった依頼を受けた。
雇っている助手の知り合いからの紹介だ。
なんでもVチューバー<ステラ>とやらが、俺の仕事を取材したいというのである。
自分で言うのも何だが、別に俺は有名な探偵というわけではない。
ただ依頼人と助手が知り合いであり、その繋がりで回ってきた仕事だ
助手の紹介でなければ、話すら聞かなかっただろう。
無名の俺に取材だなんて、胡散臭すぎるからな。
……言ってて悲しくなってきた。
それは置いといて。
この仕事を受けるに当たり
取材の前に一度顔合わせをしようという話になり、近所のファミレスで会うことになったのだったのだが……
◇ ◇ ◇
「始めまして。
今回依頼させていただいた琴吹と言います。
聞いているとは思いますが、Vチューバーでステラを演じています。
今回、私の無茶なお願いを聞いてくださってありがとうございます」
琴吹を名乗る老婦人が、上品に恭しく頭を下げる。
まるでここが社交界の場かと錯覚してしまうほど綺麗なお辞儀。
さらに所作には一つ一つ気品があり、いいところのお嬢様であることは間違いない。
こんな機会でもなければ会う事は無かったであろう人種である。
さらに、かなり年を召しているはずなのに、全くそれを感じさせない。
それどころか、その辺にいる若者よりエネルギーに満ちている。
『老いてますます盛ん』を体現したような人物だ。
歳を取ってもこうありたいと思わせる人である
その一方で俺は困惑もしていた。
初めて会うタイプの人間で、どう接すればいいか分からないのだ。
俺は気迫に飲まれまいと、なんとか言葉を絞り出す
「は、はい。
俺の名前は五条です。
探偵をしています。
よろしくお願いします」
あまりの気高いオーラに気後れしてしまい、若干どもってしまう。
くっ、今までにないタイプの依頼人との遭遇にどうしたらいいか分からない。
アタフタしている俺を見て、助手が横でニヤニヤしているのが見える。
こんなはずでは……
「あれー、先生。
もしかして緊張してます?
まったく美人には弱いんだから」
ケラケラ楽しそうに笑う助手。
普段ハードボイルドぶっている俺が慌てる様子はさぞ面白いだろう。
通りで助手が、依頼人の詳しい話をしないわけだよ。
あとで覚えてろ。
あと、勝手に男だと思っていたのもある。
前もってステラの動画を見たのだが、根拠なく男性だと決めつけていた。
こういった人を疑う仕事をしているからだろうか。
先入観って怖いな。
まあ、それよりも気になる事はあるのだが。
それはともかく。
「では、えー話をする前に聞きたいことがあるのですが……」
「ふふふ、当ててみようかしら。
それは、私みたいなお婆ちゃんがVチューバーしているのが不思議なんでしょう?」
「はい、その通りです」
「そうね。
それから話そうかしら。
この子もVチューバーの事を言ったら、とても驚いていたもの」
そう言って、チラッと助手を見る。
肝心の助手は、いつの間にか頼んでいたメロンソーダを幸せそうに飲んでいた。
見られていることに気付いた助手は、キョトンと首を傾げる
こいつ、話聞いてなかったな。
「私、若い頃は女優になりたかったの」
突然、告白をする琴吹さん。
何の話かと思ったが、多分Vチューバーの話だ。
「でもその頃は、戦争の直後でなにも無い頃でね。
誰もが生きるのだけでも必死な時代だったわ
だからワガママを言えはずもなく、家計を助けるために仕事に出て、女優の夢を諦めたの」
琴吹さんは昔を懐かしむように話す。
結構お年を召しているとは思っていたが、想像より上だった。
戦後の話をされても、若い俺には想像もできない。
俺や助手の様に、好き勝手出来るのはきっと幸せなことなのだろう。
琴吹さんの話はまだまだ続く。
「その後、いい人に巡り合えてね。
彼は貿易会社の幹部だったわ。
一緒に世界中を回って、いろんな世界を回ったわ。
そして子を産み孫も生まれ、今はひ孫もいるわ」
そう言って、琴吹さんは助手を見る。
なるほど、『知り合い』と聞いていたが親族か。
言われてみればどことなく雰囲気は似ている。
中身は似ても似つかないが。
「幸せな人生だったわ。
けれど私の心の中にくすぶっていたものがあった。
でも死ぬまでくすぶるんだろうと、諦めていたの。
でも5年前だったかしら。
その子にVチューバーの動画を見せてもらったの。
衝撃だったわ。
ネットという舞台で、自分の理想を演じているの。
性別もなく、年齢も関係なく、いろんな人が
そのとき思ったの。
『若い頃の夢をもう一度、あの夢の続きを』ってね」
Vチューバーなんて浮ついたものだと思っていたけど、酷い思い違いだ。
少なくとも俺の目の前にいる琴吹さんは真剣だ。
きっと俺が知らないだけで、ほかのVチューバーも切実な事情があるのだろう。
やはり、先入観で物事を決めつけては駄目だな。
反省せねば。
「という事で五条さん!」
「はい!」
突然呼ばれ、言葉が裏返る
急に何?
俺の動揺に気づかず、琴吹さんは言葉を続ける。
「有名な探偵である五条さんとコラボしていただけるなんて、本当に光栄です」
俺は琴吹さんの言葉に耳を疑う。
有名?
誰が?
俺は『何のことだ?』と助手に視線を送る。
すると、気まずそうに目線を逸らす助手。
「ペットの捜索では有名だし」と言い訳がましく呟いているのが聞こえた
あ、こいつ琴吹さんに見栄を張ったな?
多分喜んでもらえたくて、事実を脚色したと見える
「そして五条さんは今の境遇に満足せず、さらに上を目指していると聞いています。
私もやるからには頂点を目指したいと思ってます!
一緒にまだ見ぬ景色を見に行きましょう!」
琴吹さんは、俺の前に手を差し出す。
きっと俺からの握手を待っているのだろう。
俺は琴吹さんの手を見ながら、頭をフル回転させる。
これ、想像以上に面倒くさい事になっているよな。
助手がどこまで話を盛っているかは分からないが、少なくとも琴吹さんが思っているほど有名でないことは断言できる。
もし、今ここで『俺は無名ですよ』と言ったら琴吹さんはどんな反応をするのだろうか……
縁起でもない想像が頭を過る
「ええ、共に頑張りましょう!」
俺は琴吹さんの手をがっしりと握る。
全てを棚上げして、全力で乗っかることにした。
それに今有名じゃないだけで、有名になる予定だし。
上を目指すというのは、間違っていないし。
うん、何も問題ない。
俺は琴吹さんを騙せたことを確認した後、この面倒な状況を作った元凶に振り返る
「このコーヒー、ほどほどにあたたかいね。
猫舌の先生でも飲めそうだよ?」
いつの間にドリンクバーに行ったのか、両手にはコーヒーのカップを持っていた。
どうやら俺にくれるらしい。
ありがたく受け取ることにする。
だが――
「助手、後で話がある」
助手にだけ聞こえるように呟くと、助手はバツが悪そうな顔をするのだった
『Ring Ring...』『星のかけら』『未来への鍵』
俺の名前は五条英雄。
探偵だ。
町の一角に事務所を構え、街の人々から依頼を受けて活動している。
依頼はどれもこれも難事件ばかり――と言いたいところだが、依頼されるのはペット捜索や浮気調査しかない。
平和なのはいいことだが、俺にとっては退屈だ。
だが、それは仕事を怠ける言い訳にはならない。
依頼された仕事はこなすし、依頼人がやってくる事務所の内装には気を使っている。
とくに一押しなのが、まるで昭和からタイムスリップして来たかのような黒電話。
近所のリサイクルショップで見つけたものだ。
スマホが主流である令和に、あえて化石級の黒電話を置く。
これによって、事務所全体の雰囲気が落ち着き、さらに一周回ってオシャレになっている。
もちろん、この黒電話は使える。
自分で電話をかけて確かめたから間違いない。
Ring Ring... Ring Ring...
おっと、そんな事を言っている間に電話が鳴り始めた。
どうやら俺に助けて欲しい人間がいるようだ。
期待に応えるとしよう。
「はい、こちら五条探偵事務所。
ご依頼ですか?」
黒電話の受話器を取って口上を述べる。
この時のコツは、はっきりとゆっくり話す事。
自信に満ちた声は人を安心させる。
不安に苛まれる依頼者を、少しでも楽するためだ。
『あ、先生ですか?
私です、私』
だが俺の予想とは裏腹に、場違いなまでに明るい声が聞こえてきた。
追い詰められた人間の出す言葉じゃない。
というか、この砕けた口調。
ウチの事務所で雇っている俺の助手だ。
今日は休みのはずだが……
「助手よ、この電話に掛けてくるなと言っただろう。
お前が電話している時に、依頼人から電話が来たらどうする?」
『スマホにもかけたんですけど、取ってくれないじゃないですか』
スマホに着信がある事は知っていた。
しかし取らなかったのは、どうせ碌でもない用事だろうと思ったからだ。
だってこいつ、『暇だから』という理由で電話をかけてくるんだぞ。
相手してられるか!
『それに、依頼はいつもメールじゃないですか?
固定電話に掛かってきた所、見たことありませんよ』
「くっ、痛いとことを……
だが、今からかかって来る可能性まで否定できまい!
という訳で切るぞ」
『待ってください。
先生に用事があって電話したんです!』
コホンと、電話の先の助手は咳払いする。
『実はですね。
知り合いのVチューバ―から、先生を取材をしたいという話があるんです』
「断れ」
『最後まで聞いてください。
最近依頼が少なくて来てるでしょ。
だからここで宣伝して、知名度を上げて依頼を増やしましょう』
助手の提案に言葉が詰まる。
面倒そうだったので何が何でも断ろうと思っていたが、依頼が減少傾向にあるのは事実。
俺は最近の収入の少なさと出費の多さのバランスを考えて、とりあえず話を聞くことにする
「……即答は出来ない。
話を聞いて判断する」
俺がそう言うと、電話の向こうで助手は嬉しそうに笑う気配がした
『私の知り合いのVチューバ―の名前は『ステラ』です。
彼女は遠い星に住む宇宙人なんです。
でも故郷の星が滅びそうになって、それを防ぐために地球に『星のかけら』を探しに――』
「待て待て待て。
そういうの良いから。
設定より詳しい依頼の内容をだな」
『設定ではありません。
事実です』
うぜえ。
そう思ったが、口に出さない。
助手はアレで頑固だから、絶対に話がこじれるに決まっている。
早めに話を終えるため、それっぽい建前を述べる。
「さっきも言ったが依頼の電話がかかってくるかもしれないんだ。
長電話は避けたい。
詳細はメールで送ってくれ」
『うう』
今度は助手が言葉に詰まる。
多分俺の言ったことは建前と気づいているだろう。
しかし反論も出来ないようで、助手は不承不承口を開く
『分かりました。
詳細はメールで送ります』
「おう、頼む。
じゃあ切るぞ」
レオは受話器を置いて、溜息をつく
確かに助かるが、休みの日まで仕事の話をしなくてもいいだろうに……
あいつも変なところで真面目だな
Ring Ring... Ring Ring...
と物思いにふけっていると、再び黒電話が鳴り始める。
依頼の電話だ
ほら見ろ。
やっぱり俺が正しい。
「はい、こちら五条探偵――」
『あ、先生。
言い忘れたことが』
またお前かよ。
「なんだ」
『先生、機嫌悪くありませんか?』
「別に。
それより用事はなんだ?」
『そうでした。
これだけは口頭で伝えないといけないと思って』
口頭じゃないといけないこと?
仕事内容はメールで十分だとおもうが、なにがあるんだ?
俺は疑問に思いつつ、助手の言葉を待つ
『今回の案件の紹介をくださいね。
来月の給料に期待してます。
では』
と、俺の返事を待たず電話を切る
俺は痛くなる頭を押さえながら、受話器を下ろす。
まったく、ちゃっかりしている事だ。
だが助かるのは確かだ。
実際に知名度が挙がれば仕事は増える。
ああは言ったものの、取材を受けることには前向きなのだ。
仕事がたくさん来て、依頼料をたくさんもらってウハウハな未来。
どんとこい!
ただ不安があるとすれば、助手が明るい未来への鍵を握っているっていう事。
あいつの仕事ぶりは信頼しているが、Vチューバーが絡んだ助手は全く信用できない。
本当に不安だ。
「まあは、なるようになるか……」
俺は半ば悟りつつ、助手から送られるメールを開くため、苦手なパソコンと格闘を開始するのであった
『冬晴れ』『君と一緒に』『追い風』
「んんーー」
冬晴れの空の下、私は大きく背伸びをした。
最近は曇りばかりだった空も、今日は雲一つない眩しい青空
真冬だっていうのに、春と勘違いしそうなほど暖かい日だった。
ここのところ、昼間はずっと家に引きこもっていたから、日を見るのは久しぶりだ。
去年は忙しい一年だった。
取り立ててなにかイベントがあったわけではない。
ただ、毎日漫画を書いた。
それだけだ。
去年の正月の事だ。
知り合いから『休載になった漫画の穴埋めをして欲しい』と依頼を受けた。
小さい頃からの夢だった漫画家になれることに興奮し、その場で了承した
幸運なことに、描いた漫画は読者から熱烈な支持を受けた。
人気のほどを知りたければ新聞を読むと良い。
そうすれば嫌でも分るだろう。
後任が決まるまでの期間限定の仕事だったが、後任は決まらず、私の人気も追い風になり、そのまま続投することになり今に至る。
しかし現実は厳しい。
始めは順調だった仕事も、月日が経つにつれ暗雲が立ち込める。
描き始めたころは一時間ほどで、仕事のノルマの分を描くことが出来た
しかし、段々描くスピードが落ちてくる。
一時間で書けたものが二時間となり、二時間でかけたものが半日となる。
12月ごろには睡眠時間を削らないといけないほどだった
私生活が乱れ始め、これはいかんと一念発起。
今年の正月を機に、描くことを止めることにした。
と言っても漫画をやめるのではない。
毎日描くのをやめるだけ
詳しくは考えてないが、三日に一度くらいで描く予定だ
ワークライフバランス。
何事もほどほどが一番である。
そして今日は漫画を描かない記念すべき一日目。
毎日追われていた締め切りから解放され、とても気分が晴れやかだ。
ああ、人生って素晴らしい。
ああ、誤解されないように言っておこう。
漫画の仕事を受けたことに後悔があるわけじゃない。
楽しかったとも……
ただ疲れただけだ。
「先生、いらっしゃいますか?」
私が庭で自由を噛みしめていると、一人の男がやってきた。
担当編集者だ。
いつも笑顔で気持ちのいい青年だが、今日の彼は険しい顔をしている。
「先生、連絡がつかないので、何かあったのかと心配していました」
「それはすまなかった。
私は見ての通りピンピンしている。
連絡に気づけなくて申し訳ない」
私の返答に、担当は少し安心したような素振りを見せる。
しかし、依然として顔は険しいまま。
彼は逡巡した後、口を開く
「先生、原稿はいかがですか?」
彼は意を決し、本題が切り出す。
やはりそれか……
私は努めて冷静に、予め用意していた言葉を話す。
「去年、君とはずっと一緒だったね」
「そうですね」
「ずっと二人三脚でやって来た。
君に助けられたことは一度や二度ではない。
感謝しているよ」
「それはどうも」
「今年もずっと一緒にいられればいいとも思っている」
「ありがとうございます。
あの、先生?
それで原稿は――」
「だからこそ、君には正直に言おう」
私は担当の目をまっすぐ見た。
彼の目には、私が映っていた
「何も書いてない」
「ええーーー!!!」
担当は、この世の終わりを見たかのような叫びをあげる。
「さすがにネタ切れでな。
ネタを考えることすら放棄した」
「待ってください。
描けないとなると、先生のスペースの分が!
どうするんですか!」
「そこはあれだ。
あれだ、あれ。
君が何とかしてくれ」
「そんな無茶な!」
「君と私の仲だろ?
今回も助けて欲しい。
では私はコレで――」
「逃がしません」
立ち去ろうとした私を逃がすまいと、担当が私の服を掴む。
「なんでもいいから書いてください!」
「安心してくれ。
明日になれば描くから」
「ダメです」
「今日だけ!
休むのは今日だけだから!」
「そんなこと許されるわけないでしょ!」
私は担当を引きはがそうと力を込めるが、一向に離れる気配がない。
何が何でも漫画を描かせるという、強い意志を感じる。
なんという執念だ!
「ええい、離せ!
私は今日は漫画を描かないと決めたんだ!」
「いえ、何としても描いてもらいます!
4コマ漫画が載ってない新聞なんて、新聞じゃないでしょ!」
『新年の抱負』『日の出』『幸せとは』
地獄。
それは罪を犯した人間たちの終着点。
ここに堕ちてきた亡者たちは、全員同じ結末を辿る。
ここに来た者たちは、ただただ罰を与えられる
救いは無く、娯楽もなく、あるのはただ苦しみだけだ
だが何事にも例外はある。
かく言う俺も、例外の一つだ。
俺は生前詐欺を働いたことで、地獄に落とされた人間である。
しかし、舌先三寸で地獄の鬼に取り入り、地獄の運営側の人間になった。
罰を受けるのは御免だと、率先して仕事を貰いに行ったのだ。
そうして得た仕事は、はっきり言ってつまらない仕事だった。
今の所、拷問施設の保守点検しかしていない。
正直眠たくなるほど単調な仕事だが、『罰が無い分マシ』と思ってそれなりに頑張って働いている。
そして一月一日の元旦、早朝。
この日も仕事だと思い、いつものように日が昇るまえに仕事場に行けば、なんと誰もいない
どうしたものかと思っていると、たまたま知り合いの鬼が通りかかったので、捕まえて事情を聞いた
曰く、数年前に地獄にもコンプライアンスの波が押し寄せたんだそうだ。
その時、地上に遅ればせながら、働き方革命が起こる。
その結果、現在では週休二日が当たり前。
地獄の365連勤も今は昔、お盆もあり正月も三が日まで休みになったそうだ。
唐突に訪れた休みにどうしようかと悩んでいると、話しかけた鬼が『暇なら付いて来るか?』と聞いてくる
どうせすることないので、『付いて行く』と即答し、鬼に付いて行く事にした。
「どこへ行くんだ?」
「今日は正月だぞ。
初日の出を見に行くんだ
いい場所があってな」
「ほお。
鬼も初日の出を見るのか?」
「別に好きなわけじゃない。
だが他にすることが無くてな」
そういう鬼は、どこかバツが悪そうに笑う。
「仕事だけしていれば十分なんだがなあ……」
俺が生きてた頃は、仕事をそこそこにしてプライベートを充実させることこそが、幸せとされていた。
しかしこの鬼を見よ。
とてもじゃないが、幸せそうに見えない。
きっと鬼たちにとって、仕事をしている時間が充実した時であり、幸せだったのだろう……
しかし働き方改革によって、休みを与えられ幸せ
幸せとは何かを考えさせる事案だ。
「なあ、人間。
人間どもは初日の出を見た後、何してるんだ?
初日の出見た後は、寝るくらいしか用事がない」
「そうだなあ」
人間も鬼も大して変わらないのだなあと思いつつ、俺は腕を組んで考える。
「そうは言っても、地獄には何も無いからなあ……
最近の若い子はゲームだが当然そんなものは無いし、他には凧とかカルタとかくらいしか思いつかん……」
「悪いが凧もカルタもないぞ。
地獄だからな」
「他には……
拷問用の施設を改造して、テーマパークを作るというのが思いつくが……」
「お、いいんじゃないか?
具体的にどうするかは知らんが、面白そうだ」
「できん事は無いが、来年の話だな。
今からでは時間が無さすぎる」
「そうか、残念だ」
鬼は露骨に肩を落とす。
期待させた分、申し訳ない気分になる。
しかし、何をするにしても道具が無いと……
あ、あれがあったな。
「新年の抱負を考えるのはどうだ?
いい暇つぶしにはなると思う」
「シンネンノホウフってなんだ?」
「簡単に言えば、今年中に達成する目標の事だ。
今の自分とこれからの一年を見通して、達成できそうな事を目標とする。
別にできなくてもいいが、出来そうな目標を立てることで生活に張りが出るぞ」
「よっしゃ、他にすることないし、それにしよう」
鬼は楽しそうに笑う。
どうやらお眼鏡に叶ったようだ。
鬼の笑顔は邪気が無く、人間を
「参考までに聞きたいが、どんなのがあるんだ?」
「資格を取るとか、本を何冊読むとか、体重減らすとか……」
「どれもパッとしないな。
お前個人はどんな新年の抱負を考えたんだ?」
「俺か……
俺はサメ映画を見るだな」
そういえば生前見よう見ようと思って、終ぞ見ずに死んでしまったな。
別に惜しいとは思わないが、若干喉に小骨が刺さったかのような気持ち悪さがある。
俺が過去に思いを馳せていると、鬼はまたしても
「サメ映画?
噂で聞いたことあるな。
サメが人間どもを食べる様子を見て、喜ぶらしいな」
「いや、違う…… 違わないのか……」
「となると……
いい新年の抱負を思いついたぞ」
鬼の顔は、見る見るうちに邪悪に満ちた笑顔になる
「『サメを使う拷問を考える』だ」
俺は耳を疑う。
……マジで?
「これは初日の出を見ている場合じゃないぞ!
すぐ帰って設計図を考えないとな。
人間、礼を言う!」
そう言うと、鬼は来た道を戻っていった。
俺は鬼の背中を見ながら、今を生きる人々に謝る。
ゴメン、これから地獄に来る予定のある人たち……
地獄にサメ地獄が追加されちゃった。
これから大変な事になると思うけど、俺を恨まないでね
2025年、元旦。
この度新しく一年が始まるということで、干支交代の儀式が行われようとしていました。
一年を象徴する、干支。
この干支が交代することで、ようやく本当の意味で一年が切り替わる大切なイベントです
ですが今年、とんでもないトラブルが起りました。
今年の干支である巳、つまりヘビが行方をくらませたのです
「巳はどうした!
これでは一年が始められんぞ」
神様は叫びます。
一年が始まらないという、重大な事件。
神様はとても焦っていました。
「すいません。
いつの間に抜け出したのか、待合室はすでにもぬけの殻でした。
まさか自身の抜け殻を身代わりにするとは……」
儀式をスタッフが申し訳無さそうに頭を下げます。
神様はスタッフを罵倒したくなりましたが、そんな事をしても何の解決にもなりません
神様は頭を切り替え、これからの事を考えます
しかし、都合よく解決策は出てきません
考えても考えても、一つも策は出てきません。
刻一刻と、儀式の時間は近づいて来ます。
「もう諦めるしか無いのか……」
神様が全てを投げ出そうとした、そんな時です。
「お疲れ様でーす」
前年の業務を終えた辰が入ってきました。
何も知らない辰は、呑気に「今年も大変だったよ」とスタッフに言いながら、神様のもとに来ます。
「神様、私の仕事は滞りなく終わりました。
引き継ぎしたいのですが、巳はどこですか?」
神様は、辰を見て名案を閃きます。
「辰よ、巳に引き継ぎする必要はない」
「……どういうことですか?」
辰は不審げに目を細めます
神様の真意を測りかねていましたが、ただならぬ雰囲気だけは感じ取りました。
辰はゴクリとツバを飲み、神様の言葉を待ちます。
「要点たけ伝える。
2025年もお前がやれ」
辰は予想外の言葉に、目が点になります。
数秒後、再起動した辰は、神様に詰め寄ります
「今、なんと言われましたか……?」
「巳が行方を眩ませた。
ヤツのフリをして、この場をしのいでほしい」
「無理ですって」
「大丈夫だ。
お前と巳は似ているからな」
「形だけはね!
でも大きさでバレます!」
「そこは魔法でごまかす」
「しかし私には手足があります。
誤魔化せません!」
「そこは……
なんとかしてくれ」
「やっぱり無茶ですよ!」
辰は拒否しますが、神様も後がありません。
なんとか断ろうとする辰と、押し切ろうとする神様で、攻防が繰り広げられます。
長い間、言い争った後、辰はようやく首を縦に振りました。
「分かりました。
他に方法が無いなら仕方ありません」
「おお、助かる!」
「ですが早く巳を見つけてくださいね」
「分かっとる。
では早速だが、新年の挨拶をしてもらいたい」
それを聞いて、辰は大きなため息をつきます。
「はあ、新年の挨拶が一番難関なんですよね……
皆に姿を見せるから……」
「ああ、無茶を言っているのは分かっとる。
バレないように、くれぐれもたのむぞ」
「ベストを尽くしましょう」
そして、辰は儀式の場に現れます。
体は神様の魔法で小さくなりましたが、手足はどうにもなりませんでした。
しかし、辰はあえて手足を隠そうとせず、辰は挨拶を始めました。
「明けましておめでとうございます。
巳は体調不良で欠席なので、本日は双子の弟の私が務めさせて頂きます。
え、似てない?
ああ、あれですよ。
蛇足ってやつです」