146.『安らかな瞳』『星が溢れる』『怖がり』
昔々、ある所に大変怖がりな男、通称『コワ造』がいました。
どれほど怖がりかと言うと、犬が吠えれば「オオカミが来る」と騒ぎ立て、海を見れば「日本は沈没する!」と怯え、まんじゅうを見れば「まんじゅう怖い」と叫ぶ……
とにかく病的なほどの怖がりでした。
こんな様子ですから、近所の人々からは嫌われていました。
何かあると騒ぎ、何もなくても騒ぐ。
その度に安眠を妨害される村人たちは、多大な迷惑を被っていたのです。
「怖がるのを辞めて静かにして欲しい」と、話し合いを持たれていた時期もありまたが、言葉だけで恐怖を克服できれば苦労はしない。
その後もコワ造は突拍子もない絶叫は止まらず、もはや人々は我慢の限界でした……
ある日のこと、村人たちは集会所に集まりました。
議題は言うまでもなく男の処遇についてですが、既に結論は決まっていました。
「もう限界だ。
あいつを村から追い出そう」
満場一致でした。
そうと決まれば、あとは追い出すだけ。
ですが、それが問題でした。
「そもそも、なぜコワ造はあの家に住み続けているのだ?
あれほど臆病なら、家を捨てて逃げ出してもよさそうなものだが……」
これには誰もが首を傾げましたが、一人の男が手を挙げました。
「以前アイツから聞いたんだが、家にいるととても落ち着くんだそうだ。
外は怖いものだらけだが、あの家はアイツにとって聖域、安住の地なんだろうよ」
男がそう言うと、村のリーダーは頷きました。
「なるほどな。
ならば方法は簡単だ。
ヤツの家を『怖いもの』であふれさせてやろうではないか!」
方針は決まりました。
『怖がりのコワ造をもっと怖がらせる』
村人たちは各々の準備のため、足早にそれぞれの家へと戻りました。
その日の晩、村人たちはお化けの格好をして、コワ造の家の前に集まっていました。
この姿でコワ造の家に押し入り、腰を抜かすほど怖がらせようという魂胆でした。
「早く行こう。
こんなに星がよく見える夜は、『星が溢れる』と言って騒ぎ出してもおかしくない」
その言葉を合図に、村人たちはコワ造の家に押し入りました。
「うぎゃああああ!!!」
そして家中に、叫び声が響き渡りました。
驚かせる側だったはずの、村人たちの叫び声でした。
「うぎゃあ」「ひいいいい」「お助け!?」
ある者は泣き始め、ある者は逃げ出し、ある者は失禁しました。
そして腰を抜かして動けない村長が、震える声で呟きました。
「なんだ、これは……」
そこには想像を絶する光景が広がっていました。
壁一面に飛び散ったドス黒い血、床には打ち捨てられた無数のガイコツ、窓にくっきりと残っている血の手形。
そして天井には、こちらを呪い殺さんとばかりに睨んでくる顔の形をした染み……
そこは紛れもない幽霊屋敷でした。
何も知らないでやってきた村人たちは、心の準備もなくその惨状を目にし、ただ怯えるばかりでした。
「何の騒ぎだ」
家の奥から、のっそりと男が姿を現しました。
コワ造です。
ですがコワ造は、これほど凄惨なものに囲まれているというのに、全く怖がる様子がなく、それどころか見たことがないくらい穏やかな顔でした。
それを見た村長は驚愕し、コワ造を問い質します。
「お、お主……
これが怖くないのか!?
怖がりと言っていたのは嘘だったのか?」
村長が叫ぶと、コワ造は安らかな瞳で村人たちを眺めながら言いました
「いいや、怖いとも。
怖くて怖くて怖すぎて……
――一周回って、逆に落ち着くんだ」
俺の名前はシューゴ。
セツナという女の守護霊をしている。
とは言っても、好き好んでやってるわけじゃない。
俺は生前悪事を働いていて、それが原因で閻魔に地獄行きの判決を下された。
地獄が嫌だと懇願したところ、条件付きで天国行きを約束してくれた。
その条件とは『セツナという女性の守護霊となり、彼女に天寿を全うさせること』。
正直、楽勝だと思ったね。
戦時中ならいざ知らず、今は平和な令和の時代。
交通事故にさえ気をつければ、簡単に任務を遂行できる。
そう高を括っていたのだが……
「よーし、不老不死の秘薬の完成だ!」
予想しなかった方向で、天寿を全う出来ない可能性が出てきた。
――セツナは科学者だった。
それも、『超』が5つ付くほどの天才だ。
世間からはあまり評価されていないのが不思議なほど才能豊かで、凄まじい発明を次々としてきた。
そんなセツナが『不老不死の薬が出来た』と言えば、疑いの余地はなかった……
だからこそ問題だ。
本当に不死になられると、俺が天国にいけなくなってしまう。
条件はあくまで『天寿を全うする』、つまり『死ぬ』だからだ……
まさかとあの閻魔、これを知ってて俺に押し付けたのか……?
このままでは天国どころか、地獄にすら行けない……
俺の幸せのために、思い直してもらう必要があった。
けれど、どうしたらいいのだろう……
捨ててしまうのが手っ取り早いが、俺は守護霊、露骨に邪魔することは出来ない。
かといって説得も、セツナの偏屈な性格を考えると至難の業だ。
「八方塞がりだ」
諦めの言葉と共にため息を吐くと、セツナは驚いたような顔でこちらを見た。
「なんだ、助手のシューゴじゃないか。
いつの間に来たんだ」
「いましたよ。
ずっと隣で見ていたじゃないですか」
驚くべきことに、こいつは幽霊の俺が見える。
何でも有名な霊媒師の家系に生まれたが、科学者の道を捨てきれず家を飛びだしたと言っていた。
……悪霊を祓える霊媒師と死なない科学者、どっちがマシか、悩むところである。
それはともかく、初日から助手として扱き使われ、平穏な日常とは程遠い生活を送っている。
「もっと存在感だせ!
幽霊みたいに影が薄いんだから、すぐ見失うんだよ」
ちなみに、この博士は俺が幽霊だと信じていない。
非科学的だからだそうだ。
霊媒師の家系なのに……
「それでどうしたんだ、シューゴよ。
いつになく暗いじゃないか?」
セツナは、俺の顔を覗きこむ。
妙なところで勘が鋭い奴だ。
「その不老不死の薬のことです。
それ、使わずに破棄しませんか?」
「なぜだ?
不老不死は人類の夢。
それを『捨てろ』と言うからには、大層な理由があるのだろうな……」
セツナが、鬼気迫る顔で俺を睨みつける。
その迫力に思わずたじろいでしまうが、俺も天国行きが掛かってる。
気を取り直して、セツナと向き直った。
「大層な理由と言うほどではありませんが、不老不死になっても不幸になるだけではありませんか?」
俺はそれっぽい理由をでっちあげた。
本当のことを言っても、幽霊とか死後の世界とか信じないセツナには効果が無いと思ったからだ。
「よく小説やドラマで不老不死の人が出てきますよね。
ですが、不老不死のキャラは、決まって孤独でしょう。
俺は、博士にそうなって欲しくないんです」
「……なるほど、私を慮っての進言は素直に受け止めておこう。
だが、シューゴ、それはフィクションだ。
現実と虚構を一緒にするんじゃない」
正論を言われた。
普段はマッドサイエンティストなのに、どうしてこういう所は常識人なんだ!
俺が心の中で憤っていると、今度はセツナが大きなため息を吐いた。
「第一これは私が飲むやつじゃないぞ。」
「それはどういう……」
「シューゴ、お前が飲むんだ」
意図が分からず、セツナを見返す。
セツナは俺の目線を受け、ニヤリと笑った。
「不老不死とは言ったが、この薬の本質は生命力の超強化にある。
生命力を漲らせれば、老い病も寄せ付けないだろう、という理屈さ」
「なるほど、どんな原理なのか疑問でしたが、そういうことだったのですね……」
俺は一度頷き、それから首をかしげる。
「ですが、なおさら意味が分かりませんね。
なぜそれが、俺が飲む理由になるんですか?」
「それはな、シューゴ。
さっきも言ったが、お前生気がなさすぎるんだよ」
「へ?」
「いつも不健康な顔をして、心配していたんだ。
これ飲んでもっと元気になれ」
セツナの思いがけない言葉に、俺の思考が停止する。
「……博士は、俺の事をただの実験道具としか見てないと思ってました」
「実験道具だ。
だが、私は道具の手入れは怠らない。
この薬は試作品だから不老不死にはなれないだろうが、身体能力は向上するはずだぞ。
そうなれば、もっと扱き使ってやるよ」
辛らつな言葉を投げかけるセツナだが、その頬は耳まで赤い。
実験への高揚か、それとも照れ隠しか。
でも、どちらでも構わない。
生前は俺のことなんて、誰も気にかけてくれはしなかった。
理由はどうあれ、誰かに『心配された』という事実が、泣きそうなほど嬉しかった。
もし死ぬ前にセツナと出逢っていたら、俺の人生は違ったのだろうか……
俺は、死んでから――いや生まれて初めて受ける『愛』の暖かさに、心から感動していた。
「博士」
「なんだ?」
「お気遣い、ありがとうございます。
その薬、謹んで飲ませていただきます」
「うむ。
データを取るから、逐一報告するように。
では薬を受け取れ」
「はい」
背筋を正し、不老不死の薬を受け取ろうとした、まさにその時だった。
「「うわあ」」
突然机の影から黒光りしたGが飛び出してきた。
反射的だった。
俺は手に持っていたもので、迷わずGを叩き潰す。
G退治は俺の役目だからだ。
だが……
「薬が!」
俺は持っていたのは丸めた新聞紙などではなく、受け取ったばかりの不老不死の薬だった。
フラスコが砕け、つぶれたGに薬液が降りかかる。
その様子を見たセツナは、今まで聞いたことが無いくらい慌てた様子で叫んだ。
「シューゴ、すぐに薬品を拭きとるんだ!
あれは人間用だから、Gにかかると何が起きるか――」
だがセツナの言葉は最後まで続かなかった。
突如猛烈な煙が噴き上げたからだ。
慌てて庇うようにセツナの前に立つ。
そして煙が晴れた場所に現れたのは……
「じょうじ……」
巨大な人型のG――テ〇フォーマーだった……
「馬鹿な……」
生命力溢れるGと、それを増大させる薬。
2つの相乗作用により、新しい生命が誕生したのだ。
セツナと一緒にいて、様々な経験をしたが、コイツはとびっきりの大事件だった。
「おい、シューゴ」
「何ですか、博士?
今それどころじゃ……」
「あれ欲しい」
思わず振り返る。
俺の視線の先には、まるでお気に入りのオモチャを見つけた時の子供のように、らんらんと輝くセツナの笑顔があった。
「解剖して学会に発表する。
本当に『じょうじ』って鳴いてる。
体の組織はどうなっているんだろう。
ゴキジェットは効くのかな?
あの巨体で飛べるのか?
ああ、もっと知りたい!」
恋する乙女の様に、頬を染めるセツナ。
俺は知っている。
こうなった彼女は、もう誰にも止められない……
「と言う訳でシューゴ、捕まえて」
「テ〇フォーマーってメチャクチャ強いんですけど!?」
「大丈夫、シューゴなら負けないさ」
「何を根拠に!」
「こんな事もあろうかと、シューゴが寝ている間に改造したのさ!」
「初耳!」
「ほらこっち来るよ!
迎撃して!」
「くそがあああ!」
騒がしくも、満ち足りた日々。
天国行きはまだまだ遠いけれど、この場所も悪くない。
そんな事を思う、今日この頃であった。
ちなみにテ〇フォーマーは、俺に腕から放出された内装型ゴキジェットによって退治された。
……俺、五体満足で天国に行けるかな?
144.『お金より大事なもの』『過ぎ去った日々』『愛と平和』
「世界一大事な物?
やっぱ金でしよ!」
言い切って、すぐに『しまった』と後悔する。
何気ない雑談で、口をついて出てしまった言葉。
けれど過ぎ去った日々が戻らないように、言ってしまった言葉はもう取り消せない。
私の言葉を聞いた人々は、空いた口が塞がらなないとばかりに、私を見つめていた。
どうしてこうなった。
選ばれたセレブだけが集まるパーティで、カクテルをくゆらすだけの簡単なお仕事だったのに、まさかこんな下品な発言をしてしまうなんて……
他に人が『家族』や『平和』と言っている中、私だけが『金』と答える。
その場にいた全員は、非難めいた目線で私を見る。
なんとか取り繕う必要があると思ったが、何も頭に思い浮かばない。
どうしよう……
あわあわと慌てていると、見かねたのか初老の男性が一歩前に出た。
「『お金が大事』、良いではありませんか。
お金があれば、たいていの事は出来ますからな。
ミズキさんは苦労されていますから、なおさらそう思うのでしょう」
こんな小娘の発言なんて一笑に付せばいいのに、穏やかな笑顔で私をフォローするご老人。
これこそ徳というものなのだろう。
打算なく助けてくれる人には、感謝しかない。
心の中で、私はおじいちゃんに礼を言った。
けれど、それに納得いかない者がいた。
男性の孫で、10代前半少年が、険しい顔で一歩前に出た。
「お爺様、甘やかし過ぎです。
この世界には、お金より大切なものがたくさんあります。
コイツの場合、ただの守銭奴ですよ」
そう言って、キッと睨みつける彼。
親の仇を見るような鋭い目線に、私は居たたまれない気持ちになった。
とはいえ、少年の気持ちもよくわかる。
いくら本音とはいえ、パーティで『お金が一番』とか言い出す奴は、おかしい奴扱いされても仕方がない。
こういう時は『愛と平和』と言うのが定番だし、私もそう言いたかった。
けれど、少しばかり私の口が軽かったばかりに、悲劇が起こってしまった。
「彼女はこの場にふさわしくありません。
パーティーから追い出すべきです!」
よほど私のことが気に入らないらしい。
鼻息を荒くしながら、自らの祖父に進言する。
『同意が得られなければ力づくでも追い出す』。
彼の顔には、そう書かれていた。
けれど、ここまで言われれば、私も黙っていられない。
確かに全ての責任は私にある。
でも、そこまで言うことは無いじゃないか!
誰しも失敗はある。
それを許せるかどうかが人の器を決めると思っている。
この少年は若いがゆえに、悪は全て撲滅せねばならぬと考えているに違いない。
でも、それだけでは社会は成り立たない。
私が、少しばかり教えてあげようではないか。
「あら、お金に執着することは、そんなに悪いのかしら?」
「何だって!?」
少年は険しい表情のまま、こちらに振り向いた。
怒りに満ちた顔をしているが、いかんせん若いので、怖いより可愛いが先に来る。
この顔を歪ませることができると思っと……
げへへ、少し興奮する。
「お金が無ければ何もできません。
お金があってこそ、我々の裕福な生活が保障されているのです。
それが分からないのですか?」
「確かに、裕福な生活にはお金が必要だ。
でもそれが全てではありません。
愛と平和、それが無ければお金は無価値だ!」
何という青臭い
豪華な食事、綺麗な服、たくさんの使用人。
どれもがタダなどではなく、お金を支払う必要があります」
「そんな事分かつて……」
「いえ、分かっていません」
「あなたが着ている服だってそうよ。
お金を出して買っているものなの!
どこからか湧いて出てきたものではないわ」
少年はたじろぐ。
「あなたは若いから分からないでしょうが、」
「カッーーーーーート。
撮影は中止、みんな休憩してね。
……瑞希ちゃん以外は」
🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️
「瑞希ちゃ〜ん、なんで正座されられているか分かる?」
「美しすぎることが罪だから、かな?」
「そんなわけないでしょ!
なによ、『』
本当のことでも、言ってダメなことあるよね、」
「あと、孫役の子。
最後の方、少し泣いてたからね。
後で謝りなさいよ。
――って気持ち悪いわね。
何よ、ニヤニヤしてさ」
「ふふふ、実はあの子、私の好みでして。
言葉攻めして、ちょっと興奮したね」
あんた……
ドン引きしていた
「お金より大切無ものないかもしれないけどさ。
品性はお金じゃ買えないのよ」
143.『たまには』『絆』『月夜』
月が綺麗な夜だった。
月光は周囲を明るく照らし、森の木々を幻想的に浮かび上がらせている
ここが危険な魔物の生息地であることを忘れそうになるほど、素晴らしい光景だった。
冒険者として色々な場所を巡ったが、こんなに美しい月夜は見たことがない。
自分が井戸の中の蛙であることを痛感すると同時に、胸の昂ぶりを自覚する。
この世界には、まだまだ俺の知らない景色があるのだ。
けれど喜ぶのは後だ。
魔物というのは、基本的には夜に活発に活動するもの。
人間は夜目が効かないので、夜間の戦闘はいつも命懸けだ。
満月の日はより狂暴になるので、特に警戒が必要だ。
なのに、この静けさはなんだろう?
かなりの距離を歩いているのに、ゴブリン一匹すら遭遇しない。
それに、そろそろ街に着くはずなのに、まるで人の気配がしない。
こんなことは、冒険者人生で初めての経験だった。
これは悪い出来事の前触れではないのか?
それとも、他に強力な魔物がいて、それに怯えているのだろうか?
何も分からない。
ただ一つ分かっているのは、俺たちに殺気を向けてくる存在がいること。
今の状況と関係あるのかは分からないが、油断すれば間違いなく不意を突いて来るだろう。
そうならないためにも、一層の警戒が必要だった。
「バン様、どう思いますか?」
考え事をしていると、俺の隣を歩く女性――妻のクレアが、声をかけてきた。
クレアは冒険者としての経験は浅いが、この異常な静寂には気が付いたらしい。
その表情は、見たことがない程険しいものだった。
「そうだな、ここまで静かなのは妙だ。
原因は分からないが、油断はできないな」
「私も同意見です。
警戒を緩めるわけにはいきませんね」
そう言って、クレアの顔がさらに険しくなる。
「私は怖いです。
恐ろしいことの前触れのようで……」
「気持ちはわかるが怖がり過ぎも良くない。
適度に怖がり、適度に楽観視する。
それが冒険のコツだ」
「……バン様」
「なんだ」
「手を握ってもいいですか?」
思いがけない提案に、思わずクレアの顔を覗き込む。
「なんですか、その反応は?」
「いや、唐突だな、と……」
「唐突なものですか!」
「いやいや、いくらなんでもそういう雰囲気じゃないだろ」
「私たちは夫婦です。
夫と妻です。
強い絆で結ばれた二人が、手を握り合う。
どこか、おかしなところがありますか?」
「そうだけどさあ」
なんだかクレアの様子がおかしい。
クレアは普段は凛とした頼りがいのある女性なのだが、こうして自分から甘えてくるのは珍しい。
こういう雰囲気もへったくれもない場面では、特に。
真意を測りかねていると、クレアは観念した表情で叫んだ。
「正直に白状します!
私、こういうのが怖いのです」
「『こういうの』?」
「お化けです!」
まさかの弱点だった。
「いないとは分かってます。
でも怖いのです。
頭でわかっても、どうしても落ち着かなくて、どうにかなってしまいそうです!」
「分かった、分かったから」
俺は左手をクレアに差し出す。
「どうぞ、お前が安心するなら安いもんだ」
「あら、そういう時は、殿方から握ってあげるものですよ」
「お前なあ……
まあいいや、たまには俺の方から握ってやるよ」
恩着せがましい言葉を言いつつ、クレアの手を握る。
もちろん照れ隠しだ。
だがクレアの方は照れを隠す余裕はないらしい。
そのまま怖さを誤魔化すように、俺の手を強く握り締めて――
――って、
「痛い痛い痛い」
ものすごい力で手を握られた。
「やめろ、クレア!
強く握りすぎだ!
もっと優しく―― はっ!?」
懇願するようにクレアの顔の方を見て、思わず息をのむ。
クレアの目には恐怖ではなく、怒りが宿っていたからだ。
「待てクレア、正気になれ!」
「正気ですよ、私は!
全て、バン様が悪いんです!」
支離滅裂なことを言い出したクレア。
もしかして恐怖で訳が分からなくなってるのだろうか?
それとも、今起きている異変の影響か?
グルグルと考えを張り巡せて原因を探る。
だが俺の思考は、次のクレアの言葉によって凍り付いた。
「バン様が、道なき道を突き進まなければこんな事には!」
そこで、俺はようやく自分の間違いに気が付いた。
今の状況の、真の原因にも。
「何が『こっちが近道だ、冒険者としてのカンがそう言ってる』ですか!
盛大に迷子になったじゃないですか!」
物凄い迫力で、俺を睨みつけるクレア。
この気迫ならば、たいていの魔物は寄ってこないだろう。
俺が感じた殺気は、クレアから漏れ出たものだったのだ。
そして今、抑えられていた殺気が俺にぶつけられる。
……正直、恐ろしくて漏らしそうだ。
「というか、ここどこですか?
どう歩けば街に着くんですか!?」
「そのことは誠に反省して、その……」
「今頃フカフカのベッドで寝ているはずなのに。
久しぶりにぐっすり眠れると思ったのに!」
「いたた…
あの、そろそろ許してもらえると……」
「天罰!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」
クレアはここぞとばかりに腕をねじ上げる。
かつて経験したことのない痛みに、俺は悲鳴を上げる。
俺はここで死ぬんだ。
本気で覚悟した。
涙で滲んだ視界に映るのは、草陰に隠れているコブリンたち。
この世の終わりを目撃したかのように、震えながら身を寄せ合っている。
そんなコブリンたちを見て、俺は『ごめんよ』と心の中で謝罪する。
まさか、コブリンに謝る日が来ようとは……
薄れゆく意識の中で、俺はそんな事を思うのだった……。
「バン様、私を一人にしないで!
お化けが! お化けが!」
そして、お化けを怖がったクレアが手加減したことにより、今日もなんとか生き残ることができたのだった。
142.『現実逃避』『遠くの街へ』『欲望』
『桜の樹の下に死体が埋まってる』って話、知ってるかい?
桜があれほど妖艶な花を咲かせるには理由がある。
それは、木の下に死体が埋まっていて、その養分を吸い上げているからだ。
――っていう与太話だ。
ああ、そうさ。
これは嘘の話。
元ネタは、昔の小説の書き出しなんだ。
ものすごく衝撃的な冒頭だから、このフレーズだけが独り歩きしているけれど、本当に埋まっているわけじゃない。
そもそも、その小説の中でも死体は存在しないんだ。
けれど、そう思わなければ、桜の美しさを理由がつかない、信じられない。
いつも不安に苛まされた男が、死体が埋まっていると思い込むことで、ようやく桜の良さを認めることが出来た。
そういう話なんだ。
これからするのも、そんな話。
『桜の樹の下に死体が埋まってる』。
そう信じたい男の話さ。
――あれは一年前のこと、ちょうど今ぐらいの時期、桜の綺麗な季節。
ある男が、付き合っていた彼女を殺して埋めた。
きっかけは些細な口喧嘩だった。
それが売り言葉に買い言葉で、どんどん激しくなって、殴り合いの喧嘩になったんだ。
頭に血が上った男は、彼女を突き飛ばしたんだけど、打ち所が悪かったのだろう、血が勢いよく噴き出して、彼女は死んでしまった。
男は焦った。
『このままでは殺人で警察に捕まってしまう』と。
自分勝手な考えだけど、まあ人間なんてそんなもんさ。
予想外のことが起きれば、自分の保身のことしか頭になくなる。
さて、男は自身の身の安全のためにその場から離れたかったが、一つだけ、やらなければならないことがあった。
死体を隠すことだ。
『死体の発見が遅れれば、その分逃げ切りやすくなる』。
そう思った男は、彼女の死体を埋めることにしたんだ。
桜の樹の下に……
合理的な判断があったわけじゃない。
だが、男にとって、そこに隠すのが自然の様に思えた。
『桜の樹の下に死体は埋まっている』。
――ならば、彼女の死体が埋まっていても、たいした問題にはならないだろう。
そう思ったんだ。
きっと現実逃避でおかしくなっていたんだろうな。
その時の男は、それが唯一の正解だと信じて疑わなかった。
彼女を埋めた後、男はすぐに電車に乗った。
目的地も決めず、電車を乗り継いで遠くの街へ。
適当なところで降りて、野宿をしたり空き家で寝泊まりして過ごした。
男はいつも怯えていた。
いつ警察がやってくるか、いつもビクビクしながら背後を気にしていた。
二日と同じ場所に留まらず、各地を転々とした。
その道中には風光明媚な景色も、賑やかな繁華街もあった。
だが、そのどれも男の心に安らぎをもたらすことはなかった……
そして翌年の四月、再び桜の季節がやって来た。
男は未だ警察に見つかっていなかった。
では、一年間警察から逃げ切ったことで、男は平穏を手に入れただろうか……
……いや、男はもう限界だった。
あの日から、人を殺した罪悪感に苛まれ、心身ともに衰弱していった。
そして、満開の桜を見て、ようやく決心した。
『もう、楽になろう』と……
――そうです、お巡りさん。
お判りのことだと思いますが、その男と言うのは俺のことなんです。
彼女を殺したショックで日本各地を逃げ回り、耐えきれなくなって自首しました。
どんな罰も受けます。
嘘はつかず、知っていることは全部話します
……ですからお巡りさん、『俺を迎えに来た』と言う彼女を追い払ってください。
彼女が生きているはずがないのです。
だって、本物は俺が殺して、桜の樹の下に埋めたんですから。
たしかに『あれは夢だった』と思いたい気持ちはあります。
ですが、それは俺の卑怯な願望であり、欲望なんです。
絶対に、俺が彼女を殺しました。
そこに嘘はありません。
彼女を突き飛ばした手の感触、周囲に飛び散った血の匂い、土の冷たさ、血の気の失せた彼女の顔、全て鮮明に覚えてます。
だから彼女が生きているはずがないんです。
あそにいるのは化け物だ。
どうか、あのニセモノを追い払ってください。
信じられないなら、あの桜の樹の下を掘り返してください。
そうすればすべてが分かります。
桜の樹の下に死体が埋まっている。
俺が殺した、彼女の死体が。
そう思わなければ、気が狂ってしまいそうだ。