149.『特別な存在』『ところにより雨』『好きじゃないのに』
王とは特別な存在だ。
誰よりも博識で、聡明であり、民の模範とならねばならない。
科学技術が発展した現代において、権威に陰りは見えても、今なお必要とされる希望の光。
それが王だ。
かくいう僕も、次代を担う者として生を受けた。
周囲からは人々を導き、安寧をもたらす王になることを望まれている。
自分も期待に応えられるよう勉学に励み、芸事や武芸に心血を注いできた。
正直な話、辞めたいと思った事は一度や二度ではない。
けれど、挫けそうになるたびに、父の背中を思い出し、自らを鼓舞してきた。
どんな困難にも屈せず、諦める事の無かった偉大な父に追いつくために――
そんな決意を胸に過ごしていたある日、事件が起こった。
長年僕を支えてくれた世話係のメイドが倒れたのだ。
幸いすぐに近くにいた別のメイドに受け止められ大事には至らなかったが、僕は自分が思っていた以上にショックを受けていた。
物心つく前から一緒にいた、もう一人の母とも言うべきメイド。
そんな家族同然の彼女のことを、何も気づけなかったからだ。
(国民の笑顔のために頑張っているのに、一緒にいる人のことすら分からないで、何が王か!)
その日の鍛錬は、いつもよりも気合を入れて励んだ。
☆
一日のスケジュールを終え、僕はメイドのお見舞いに行くことにした。
部屋を訪ねると、彼女は相変わらず顔色は悪かったが、倒れた時より血色が戻っていることに安心する。
ベッドから立ち上がろうとする彼女を手で制し、見舞いの言葉を告げた後、僕は言った。
「どうして倒れたんだ?」
責めないように、優しい口調で静かに尋ねる。
彼女は言葉を濁すばかりで答えようとしなかったが、どうしても聞きたいという僕の熱意に負けたのか、彼女は渋々と言った様子で話し始めた。
「……ご飯を買う余裕がないのです」
その言葉を聞いて、僕はあることに思い至った。
『物価高騰』。
近年、国民を悩ます社会問題。
あの偉大な父ですら、対策に手を焼いている大問題。
家庭教師から聞き及んでいたが、正直な話、まったく実感が無かった。
王の子として生まれ、何不自由なく育てられた僕。
物価高の話を聞いても、無機質な数字の羅列にしか思えなかった……
だが今はどうだ?
目の前の家族が、こうして顔を曇らせている。
遠い世界の事に思えたことが、急に現実感を持って現れた。
(どうにかしなければならない)
心の底から、そう思った。
だが、どうすればいいだろう。
父ですら根本的な解決策を見いだせてない。
なのに、王でもない自分に何が出来るだろう。
自分の未熟さが恨めしかった。
(出来る事からやろう)
そもそも王になりたいのは、国民を笑顔にするため。
ならば目の前の彼女を笑顔にするのが先決ではないか?
そう思った僕は、姿勢を正して言った。
「何か、出来ることはないか?」
意を決して尋ねると、メイドは驚きに目を見開き、しばらく思案した後、遠慮がちに口を開いた。
「一緒に映画を、ホラー映画を見てもらえませんか」
今度は僕が驚く番だった。
「実は『ゆっくり休め』と、休暇を頂いたのです。
そこで、好きなホラー映画でも見ようと思ったのですが、殿下もご存じなように私は臆病なのです。
いつも一緒に見てくれる同僚も、今は仕事中なので誘う訳にもいかず諦めていたのですが……
その、お付き合いいただけませんか?」
「そのくらいお安い御用だ」
僕は胸を叩いて請け負った。
だが心中穏やかではなかった。
何を隠そう、僕はホラー映画が大の苦手だからだ。
しかし『何か、出来ることはないか?』と言った手前、その言葉を撤回するわけにはいかない。
王は約束を違えてはいけないのだ。
きっと父も、同じ立場ならそうしただろう。
そして映画を見ている間も、穏やかな心を保たなければならない。
悲鳴を上げてしまえば『好きじゃないのに、付き合わせてしまった』と、余計な気を使わせてしまうからだ。
(薄目で見ていれば大丈夫なはずだ)
そんな事を思っていると、メイドはベッドの下から箱を引きずり出した。
何事かと思って眺めていると、その箱の中にはたくさんのDVDが入っていた。
「……たくさんあるな」
そう言うと、メイドは恥ずかしそうに言った。
「ふふふ、今はサブスクが主流ですけどね。
古い人間だからDVDの方が好きなんです」
僕の脳内に『ひょっとして、DVDを買いすぎてお金が無いのか?』という考えがよぎる。
だが口には出さない。
未熟な僕も、空気を読む重要性くらいは理解しているつもりだ。
そのまま複雑な思いで見守っていると、彼女は箱の中から一枚のDVDを取り出した。
「これにしましょう、殿下。
せっかくですから、とびっきり怖い奴を選びました」
満面の笑みを浮かべる彼女を見て、『やっぱり正直に言うべきだった』と僕は激しく後悔するのだった。
なお余談なのだが、履いていたズボンはこっそりと洗濯に出した。
詳細は明かさないが、『ところにより雨』とだけ言っておく。
148.『夢が醒める前に』『ふたりぼっち』『ばかみたい』
【前回のあらすじ】
期末試験で赤点を取ってしまった百合子。
追試で合格できなければ、『春休みは返上』と教師に宣告されてしまう。
それを聞いた友人の沙都子は『入試を突破出来たのはおかしい』と馬鹿にするが、百合子は『評判のいい学食のために頑張った』と言い返す。
それを盗み聞きしていた教師は、百合子を追い込むため『追試に落ちたら学食禁止』を告げ――るのではなく、『成績優秀者のみが食べられる裏メニューの存在』について示唆する。
しかし、教師は『だがお前には無理だ』と断言し、沙都子からも『信じている』と言いつつ1ミリも信じてない態度を受けて、百合子は憤慨する。
そして、『絶対に裏メニューを食べる』と決意を固める百合子だった。
☆
あれから1週間、私は運命の日を迎えた。
今日の追試の結果如何で、春休みの予定が決まる。
短い春休みと言えど、休日を補習に捧げる気は全くない。
休みを満喫するため、そして華のJK生活を謳歌するためにも、絶対に負けられない戦いだった。
それに頑張る理由はもう一つある。
それは成績優秀者のみが食べることができる、学食の裏メニュー。
沙都子は絶対に無理だと思っているだろうが、私は絶対に食べてやると誓っていた。
けれども私は赤点常習者。
普通に勉強しても、テストで9割取るのは難しい……
だが私には秘策があった。
(カンニングペーパーを作って来たもんね)
これを見れば、百点間違いなし!
好きなゲームを我慢して作った、自慢のカンニングペーパー。
突然いい点数を取れば怪しまれるだろうけど、『裏メニューのために頑張った』と言えば問題ない。
そもそも先生から焚き付けてきたんだから仕方ないね。
もちろんカンニングを警戒されるだろう。
でも先生だって人間だ。
必ず隙はある。
その時を狙ってカンペを見ればいい。
楽勝だね。
気持ちを落ち着かせながら精神統一をしていると、先生が時計を気にし始めた。
「そろそろ時間だな、準備しろ。
…………始め!」
テストは始まった。
すぐに、じっと私を見つめる先生。
そんなに見つめたって、ボロは出さないぜ?
ほら、諦めて、早く隙を見せるんだ。
そうすればカンペを見て、鮮やかに問題を解いて見せるぜ。
そう、成績優秀者のように!
だから早く隙を見せて……
早く…… 隙を見せ…… て……
………
………………
……………………えっ、めっちゃ見てくる!?
先生が見てくる。
暇なカレー屋の店主の様に、じっと見てくる
なんで!?
私まだ何もしてないよ。
私がカンニングすると疑っても、さすがに見過ぎでは……
はっ!
今重大なことに気づいた。
こんな単純なことに、なんで早く気付かなかったのだろうか。
こんな単純なことに気づかないなんて……
――この追試、私しか受けてない。
この教室にいるのは先生と私。
つまり、ふたりぼっち……
先生は、私以外に見るべき人間はいない。
当然の帰結だった。
(なんという計算外……)
勉強はしていない。
カンペ製作に費やしてしまったからだ。
そうとも知らず、製作に時間を費やして、ばかみたい。
こうなったら別の方法で、先生の目線をそらすしかない。
「あの、先生……
見られていると、緊張するんですけど……」
「気にするな。
集中していれば、すぐに気にならなくなる」
「でも……」
「仕方ない。
三分だけ後ろ向いているから、その間に周りが見えなくなるくらい集中しろ」
と言って、黒板の方を向いた。
なんという優しさ。
私に追試を命じた人と、同じ人物とはとても思えないね。
とはいえ、助かったのは事実。
心の中で感謝する。
でもそれは一瞬だけ。
三分は長いようでいて短い。
すぐにカンペを見て、出来るだけ問題を解かないと……
――おや、カンペが無い。
ポケットをまさぐったりするが、カンペが無い。
どこかに落としてしまったか!?
そう思って教室を見渡す。
とその時、廊下に沙都子が教室を覗いているのを見つけた。
(何しに来たんだろう)
もしかして応援?
普段は私を馬鹿にする沙都子だけど、なんだかんだで親友思いなんだな……
そう思っていると、なにやら紙のような物を取り出して――って、おい!
沙都子が持っている紙、あれは私のカンペじゃないか!
いつの間にすられたんだ。
道理でどこにも無いわけだよ!
じっと目を凝らしても、距離があるので全く読めない。
私が歯噛みしていると、沙都子が「バーカ」と口を動かして去っていった。
いや、本当に何をにした?
ただ私をバカにしに来ただけか!?
「五分経った。
あとは慣れろ」
そして先生はじっと見てきた。
暇なカレー屋の店主の様に……
「くっ」
沙都子の悪質なイタズラにより、カンペが無くなってしまった。
あとはもう実力だけでやるしかない。
けれど、私の脳みそでは九十点どころか合格すら怪しい。
それでも、必死に足掻いてみよう。
九十点には届かないかもしれないけれど、部分点を重ねて行けば合格ラインまでに届くかもしれない。
そう思い、テスト用紙に目を落とした。
『問一、7×8=?』
私はゆっくり瞬きした後、問題が変わらないことを確認してから、顔を上げた。
「掛け算とか舐めてんのか!」
私の魂の叫びをあげる先生はまったく表情を変えずに言った。
「先日、教師陣で話し合った結果だ。
今までの態度や点数から、小学生の学力すら怪しいという結論になってな。
まずその確認のテストだ」
「掛け算くらい出来るわい!」
「なら良かったな。
90点以上取れば、裏メニューが食べれるぞ」
まったく表情の読めない声で、淡々と告げる先生。
悔しいやら悲しいやら。
舐められているのは分かっているのに言い返せない。
だって私、裏メニューを食べたいんだもの……
「掛け算とはいえ、油断するなよ。
一ケタ同士のものから、5ケタ以上の計算まで。
掛け算だけだと飽きるから割り算も入れて、あらゆるバリエーションを取り揃えている。
楽しんで解くといい」
📜📜📜📜📜📜📜
「追試突破おめでとー」
目の前で、憎き沙都子が満面の笑みを浮かべながら拍手する。
まるで『百合子の事、信じていたわ』と言う顔をしているが信じてはいけない。
やつはカンペを持ち去った裏切り者である。
「何浮かない顔してるのよ。
念願の裏メニューが食べられるんだから、もっと嬉しそうにしなさいよ」
実際のところ、私はテストで9割以上取った。
カンペではなく、純粋な私の実力によって。
その結果、裏メニューのチョコレートケーキが目の前に置かれていた。
でもなぜだろう、全然嬉しくない。
「なんで落ち込んでいるのよ!
先生が『まさか百点取るなんて思わなかった』って驚いていたわ」
「掛け算ばかりだからだよ。
小学生でも取れるよ」
「え?
もしかして本当に気づいていないの!?」
沙都子が目を丸くして驚く。
私も、沙都子が驚いたことに驚く。
「たしかにほとんど簡単な計算だったわよ。
でも、最後の方は先生がふざけて、平方根の√とか複素数iとか出して、極めつけは対数logの計算とか出てきてたのよ。
もっと後で習うことなのに、なんで解けるの!?」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
「何で分からないのよ!?」
沙都子がツバを飛ばしながら叫ぶ。
何をそんなに興奮しているのだろうか?
ただの掛け算なのに。
「アナタはね、人によっては挫折するレベルの計算を、いとも簡単に解いて見せたの。
誇りなさい」
沙都子には珍しい素直な賞賛に、体がむず痒くなる。
明日は槍でも降るのかな?
「よく分かんないけど……
実は私、天才だってこと?」
「先生たちも、それに関して悩んでいたわ。
学校一の問題児か、有史以来の天才か……
どちらにせよ、あんまり先生を困らせるのはやめなさいね」
正直な話、沙都子の言っている事は分からない。
けれど『実は頭がいい』なんて言われたら、ちょっとだけ嬉しい。
「まあ、これからは勉強を真面目にすることね。
才能があっても、それを磨く努力をしなければ宝の持ち腐れよ。
食べ物絡みだけの才能かも知れないけれど、大切にすべきだわ」
(勉強の才能か……)
生まれてこの方、そんな事考えたこともなかった。
今まで自分には才能がないと、勉強せずにゲームばかりをしていた。
頑張ったのは、入学試験くらい。
けれど、沙都子から認められるくらいには、自分には才能があるらしい。
本当かは分からない。
でも、これからは少しだけ勉強を頑張ってみるのもいいかもしれない。
そう思った。
「ほら、早くそのケーキ食べなさい。
アナタ、それが食べたくて頑張ったんでしょう。」
そうだ!
なにはともあれ、これが食べたくて勉強を頑張ったのだ。
勉強の才能とか、難しい話は後!
これを食べたら、私は春休みを謳歌して――
「言い忘れてたけど、先生からの伝言。
補習は無しだけど、宿題出すってさ」
「夢が醒める前に、現実に引き戻さないでくれる?」
「全部やったら、来年からの新メニューを最初に食べさせてくれるって」
……頑張るか。
世界は不条理で満ちている。
『天は人の上に人を作らず』とは言うけれど、世の中には不公平や不平等が当然のようにまかり通っている。
偉い人たちは平等公平を叫ぶけれど、一向に不条理は無くならない。
いったい彼らは何をしているのだろうか……
彼らの怠慢のしわ寄せが、私に不条理として襲い掛かっていた。
「お前は追試だ。
赤点だったら、春休み返上で補習な」
どこか疲れ切った顔をした担任から告げられる、無慈悲な宣告。
私は陰鬱な気持ちで、その言葉を受け止めた。
春休みは、一種の天国だ。
世の学生たちが聞けば、誰もが狂乱して喜ぶだろう。
かくいう私も胸が高鳴る。
夏休みほどじゃないけれど、春はイベントが目白押しなのだ。
なのに、なぜこんな事になってしまったのか……
確かに勉強は苦手だけども、赤点回避のために頑張った。
なのに、私に突き付けられた『追試』という現実。
やはり世界は不条理に満ちている。
そんな事を考えながら自分の席に座ると、隣の席の沙都子が意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「バーカ」
とても傷心の友人に掛ける言葉とは思えない言葉。
沙都子の悪口はいつものことだけども、今日はことさらに堪える。
でも泣かないよ。
だって私は悪い事をしていないもん。
「百合子のことだから、どうせ徹夜でゲームでもしていたんでしょ?」
なんという言いがかりであろう。
確かにゲームは好きだが、徹夜なんてしていない。
自らの名誉のためにも、間違いは正すことにした。
「沙都子は見くびっているね。
長年のゲーマー生活で培った、私の自制心を!」
「具体的には?」
「ゲームは寝る十分前まで。
時間管理は完璧さ!」
「……で、勉強したのかしら?」
「……5分だけ」
「バーカ」
沙都子は、まるで路傍のゴミでも見るかのような目線を送って来る。
長い付き合いだから分かるが、これは本気で路傍ゴミと思っている目だ。
この目を何度も見たことがあるから間違いない。
……ちょっとだけ泣きそう。
「で、どうするつもり?
わざわざ春休みに学校に来たくないでしょ?」
「当然だね。
こうなっては万難を排するべく、やりかけのゲームをクリアするよ」
「なんでやねん!」
沙都子の口からコテコテの関西弁が!?
付き合いは長いけれど、初めて聞いた。
「ねえ、冗談よね。
冗談と言って!」
「凄い心外なんだけど!
なんで本気でドラクエをやると思われているの!?」
「日頃の行いよ!」
ぴしゃりと言い放たれる。
「前々から思っていたけど、アナタ、よくこの学校に受かったわよね。
百合子ってば、けっこう運がいいのかしら?」
「当てずっぽうじゃないやい!
ちゃんと勉強して、実力で合格したんだよ」
「実力……
ああ、替え玉試験!」
「……私ってそんなに信用ならない?」
想像していたよりも、ずっと低い信用度で少し悲しい。
というか、それを面と向かって言うかね。
私たちは親友だと思っていたけど、認識を改めないといけないかもしれない……
「長い付き合いだけどさ、アナタが勉強に本気出すところ見たことないのよね。
合格したって聞いた時、耳を疑って耳鼻科に行ったわよ」
「そこまで!?」
「あと警察に連絡すべきか迷った」
「ひどい!」
まあ、確かにそう思ってしまう位には、私の成績は悪いけども。
両親ですら、あまりの衝撃に熱を出したからね。
「まあいいわ。
とりあえず、勉強を頑張った仮定で話を進めましょうか?」
「仮定で進めないで」
「それで、なぜ頑張ったのかしら?
勉強嫌いでバカなアナタが勉強するなんて、よっぽどの理由があったんでしょうね」
「一言多いなあ……
それで理由だけど、それはこの学校の学食を食べたかったからだよ」
「……ふぇ?」
予想外だったのか、沙都子は変な声を漏らす。
今日は『初めての沙都子』をよく見る日だなあ。
「『進学は学食の美味しいところ』って決めててね。
それで、自宅から通えそうなところがここだったの。
あの時は人生で一番頑張ったよ」
「食欲だけで、受験を乗り切ったの……」
「何言っているのさ。
人間は食事をしないと生きてはいけない。
科学や社会の発展だって、そもそもは食料を効率的に安定して集めるためにあるの。
食事のためなら、不可能を可能にするのが人間なのさ」
「くっ、食べ物が絡むと、急にIQが良くなるわね……」
「そういえば、今日の食堂は『お代わり無料』の日だったね。
よーし、記録更新しちゃうぞ!」
「一瞬でIQが溶け落ちたわ……」
「なにか言った?」
「なんでも」
何か言いたげの様子で、頭を振る沙都子。
いつもなら歯に衣着せぬ物言いをするのに珍しい事だ。
「まあ、いいわ。
それよりも……」
沙都子は私の後ろに視線を投げかけた。
「――そういう事だそうですよ、先生」
「え?」
驚いて後ろを振り向くと、そこには補習を宣告した先生が私を見下ろすように立っていた。
相変わらず疲れたような顔をしてるが、目には怪しい光を灯し口元が微かに歪んている。
そのアンバランスで不気味な表情を見て、私は猛烈に嫌な予感を覚えた。
「先生は聖職者ですよね。
まさか、カワイイ生徒に罰なんて……」
「ほう、まさか学食禁止などと言われると思っているのかね?
そんな酷い教師に見えるのかね?」
「そんなことありません。
私は先生を信じています!」
「安心しろ、そんな事はしない。
近頃はすぐに『体罰だ』などとネットで炎上するからな」
先生の言葉に、ホッと一安心する私。
だが先生は、表情を変えず不気味に笑っていた。
「ところで、食堂には裏メニューがあるのを知っているか?」
「……へ?」
「いや、忘れてくれ。
お前には関係ない話だ」
「ちょっと待ってください。
うちの食堂に、裏メニューなんてあるんですか!?」
「忘れた方が身のためだ。
裏メニューは、成績優秀者にしか出されないからな。
お前には縁のない話だ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「それこそ、テストで90点以上取らない限りな」
「……ッ!」
先生は手をひらりと振って、教壇へと戻っていく。
私はそれを黙って見送ることしか出来なかった。
そして思う。
大人ってなんて汚いのだろう。
私は勉強が嫌いだ。
だけど、『裏メニュー』と聞いて黙っているほどお利口じゃない!
私が道理を弁えているのなら、最初からこの学校に来てなどいないのだ!
でも現実は非情だ。
前回のテストで10点を叩き出した人間が、一週間後のテストで90点……?
無理だ。
そんなことが出来るなら、そもそも赤点なんて取ったりはしない。
自分の馬鹿さ加減に打ちひしがれていると、そっと肩に暖かい手が触れた。
顔を上げると、そこには聖母のような微笑みを浮かべた沙都子がいた。
「大丈夫よ、百合子。
アナタなら出来るわ。
さっき不可能を可能にするって言ってたじゃない」
「沙都子……」
沙都子が、力強く頷いた
「アナタなら、きっとお代わり記録の更新が出来るわ。
だから裏メニューなんて忘れて、今日のお昼に集中すべきよ」
慈愛に満ちた表情の裏で、沙都子の口角がぴくぴくと動いている。
私は確信した。
こいつ、一ミリも私のことを信じてない……
「ざけんな!
私はやれば出来るってところ、見せてやるよ!」
食堂の裏メニューは絶対に食べる。
沙都子の心底馬鹿にした顔を見て、私は固く決意したのだった。
146.『安らかな瞳』『星が溢れる』『怖がり』
昔々、ある所に大変怖がりな男、通称『コワ造』がいました。
どれほど怖がりかと言うと、犬が吠えれば「オオカミが来る」と騒ぎ立て、海を見れば「日本は沈没する!」と怯え、まんじゅうを見れば「まんじゅう怖い」と叫ぶ……
とにかく病的なほどの怖がりでした。
こんな様子ですから、近所の人々からは嫌われていました。
何かあると騒ぎ、何もなくても騒ぐ。
その度に安眠を妨害される村人たちは、多大な迷惑を被っていたのです。
「怖がるのを辞めて静かにして欲しい」と、話し合いを持たれていた時期もありまたが、言葉だけで恐怖を克服できれば苦労はしない。
その後もコワ造は突拍子もない絶叫は止まらず、もはや人々は我慢の限界でした……
ある日のこと、村人たちは集会所に集まりました。
議題は言うまでもなく男の処遇についてですが、既に結論は決まっていました。
「もう限界だ。
あいつを村から追い出そう」
満場一致でした。
そうと決まれば、あとは追い出すだけ。
ですが、それが問題でした。
「そもそも、なぜコワ造はあの家に住み続けているのだ?
あれほど臆病なら、家を捨てて逃げ出してもよさそうなものだが……」
これには誰もが首を傾げましたが、一人の男が手を挙げました。
「以前アイツから聞いたんだが、家にいるととても落ち着くんだそうだ。
外は怖いものだらけだが、あの家はアイツにとって聖域、安住の地なんだろうよ」
男がそう言うと、村のリーダーは頷きました。
「なるほどな。
ならば方法は簡単だ。
ヤツの家を『怖いもの』であふれさせてやろうではないか!」
方針は決まりました。
『怖がりのコワ造をもっと怖がらせる』
村人たちは各々の準備のため、足早にそれぞれの家へと戻りました。
その日の晩、村人たちはお化けの格好をして、コワ造の家の前に集まっていました。
この姿でコワ造の家に押し入り、腰を抜かすほど怖がらせようという魂胆でした。
「早く行こう。
こんなに星がよく見える夜は、『星が溢れる』と言って騒ぎ出してもおかしくない」
その言葉を合図に、村人たちはコワ造の家に押し入りました。
「うぎゃああああ!!!」
そして家中に、叫び声が響き渡りました。
驚かせる側だったはずの、村人たちの叫び声でした。
「うぎゃあ」「ひいいいい」「お助け!?」
ある者は泣き始め、ある者は逃げ出し、ある者は失禁しました。
そして腰を抜かして動けない村長が、震える声で呟きました。
「なんだ、これは……」
そこには想像を絶する光景が広がっていました。
壁一面に飛び散ったドス黒い血、床には打ち捨てられた無数のガイコツ、窓にくっきりと残っている血の手形。
そして天井には、こちらを呪い殺さんとばかりに睨んでくる顔の形をした染み……
そこは紛れもない幽霊屋敷でした。
何も知らないでやってきた村人たちは、心の準備もなくその惨状を目にし、ただ怯えるばかりでした。
「何の騒ぎだ」
家の奥から、のっそりと男が姿を現しました。
コワ造です。
ですがコワ造は、これほど凄惨なものに囲まれているというのに、全く怖がる様子がなく、それどころか見たことがないくらい穏やかな顔でした。
それを見た村長は驚愕し、コワ造を問い質します。
「お、お主……
これが怖くないのか!?
怖がりと言っていたのは嘘だったのか?」
村長が叫ぶと、コワ造は安らかな瞳で村人たちを眺めながら言いました
「いいや、怖いとも。
怖くて怖くて怖すぎて……
――一周回って、逆に落ち着くんだ」
俺の名前はシューゴ。
セツナという女の守護霊をしている。
とは言っても、好き好んでやってるわけじゃない。
俺は生前悪事を働いていて、それが原因で閻魔に地獄行きの判決を下された。
地獄が嫌だと懇願したところ、条件付きで天国行きを約束してくれた。
その条件とは『セツナという女性の守護霊となり、彼女に天寿を全うさせること』。
正直、楽勝だと思ったね。
戦時中ならいざ知らず、今は平和な令和の時代。
交通事故にさえ気をつければ、簡単に任務を遂行できる。
そう高を括っていたのだが……
「よーし、不老不死の秘薬の完成だ!」
予想しなかった方向で、天寿を全う出来ない可能性が出てきた。
――セツナは科学者だった。
それも、『超』が5つ付くほどの天才だ。
世間からはあまり評価されていないのが不思議なほど才能豊かで、凄まじい発明を次々としてきた。
そんなセツナが『不老不死の薬が出来た』と言えば、疑いの余地はなかった……
だからこそ問題だ。
本当に不死になられると、俺が天国にいけなくなってしまう。
条件はあくまで『天寿を全うする』、つまり『死ぬ』だからだ……
まさかとあの閻魔、これを知ってて俺に押し付けたのか……?
このままでは天国どころか、地獄にすら行けない……
俺の幸せのために、思い直してもらう必要があった。
けれど、どうしたらいいのだろう……
捨ててしまうのが手っ取り早いが、俺は守護霊、露骨に邪魔することは出来ない。
かといって説得も、セツナの偏屈な性格を考えると至難の業だ。
「八方塞がりだ」
諦めの言葉と共にため息を吐くと、セツナは驚いたような顔でこちらを見た。
「なんだ、助手のシューゴじゃないか。
いつの間に来たんだ」
「いましたよ。
ずっと隣で見ていたじゃないですか」
驚くべきことに、こいつは幽霊の俺が見える。
何でも有名な霊媒師の家系に生まれたが、科学者の道を捨てきれず家を飛びだしたと言っていた。
……悪霊を祓える霊媒師と死なない科学者、どっちがマシか、悩むところである。
それはともかく、初日から助手として扱き使われ、平穏な日常とは程遠い生活を送っている。
「もっと存在感だせ!
幽霊みたいに影が薄いんだから、すぐ見失うんだよ」
ちなみに、この博士は俺が幽霊だと信じていない。
非科学的だからだそうだ。
霊媒師の家系なのに……
「それでどうしたんだ、シューゴよ。
いつになく暗いじゃないか?」
セツナは、俺の顔を覗きこむ。
妙なところで勘が鋭い奴だ。
「その不老不死の薬のことです。
それ、使わずに破棄しませんか?」
「なぜだ?
不老不死は人類の夢。
それを『捨てろ』と言うからには、大層な理由があるのだろうな……」
セツナが、鬼気迫る顔で俺を睨みつける。
その迫力に思わずたじろいでしまうが、俺も天国行きが掛かってる。
気を取り直して、セツナと向き直った。
「大層な理由と言うほどではありませんが、不老不死になっても不幸になるだけではありませんか?」
俺はそれっぽい理由をでっちあげた。
本当のことを言っても、幽霊とか死後の世界とか信じないセツナには効果が無いと思ったからだ。
「よく小説やドラマで不老不死の人が出てきますよね。
ですが、不老不死のキャラは、決まって孤独でしょう。
俺は、博士にそうなって欲しくないんです」
「……なるほど、私を慮っての進言は素直に受け止めておこう。
だが、シューゴ、それはフィクションだ。
現実と虚構を一緒にするんじゃない」
正論を言われた。
普段はマッドサイエンティストなのに、どうしてこういう所は常識人なんだ!
俺が心の中で憤っていると、今度はセツナが大きなため息を吐いた。
「第一これは私が飲むやつじゃないぞ。」
「それはどういう……」
「シューゴ、お前が飲むんだ」
意図が分からず、セツナを見返す。
セツナは俺の目線を受け、ニヤリと笑った。
「不老不死とは言ったが、この薬の本質は生命力の超強化にある。
生命力を漲らせれば、老い病も寄せ付けないだろう、という理屈さ」
「なるほど、どんな原理なのか疑問でしたが、そういうことだったのですね……」
俺は一度頷き、それから首をかしげる。
「ですが、なおさら意味が分かりませんね。
なぜそれが、俺が飲む理由になるんですか?」
「それはな、シューゴ。
さっきも言ったが、お前生気がなさすぎるんだよ」
「へ?」
「いつも不健康な顔をして、心配していたんだ。
これ飲んでもっと元気になれ」
セツナの思いがけない言葉に、俺の思考が停止する。
「……博士は、俺の事をただの実験道具としか見てないと思ってました」
「実験道具だ。
だが、私は道具の手入れは怠らない。
この薬は試作品だから不老不死にはなれないだろうが、身体能力は向上するはずだぞ。
そうなれば、もっと扱き使ってやるよ」
辛らつな言葉を投げかけるセツナだが、その頬は耳まで赤い。
実験への高揚か、それとも照れ隠しか。
でも、どちらでも構わない。
生前は俺のことなんて、誰も気にかけてくれはしなかった。
理由はどうあれ、誰かに『心配された』という事実が、泣きそうなほど嬉しかった。
もし死ぬ前にセツナと出逢っていたら、俺の人生は違ったのだろうか……
俺は、死んでから――いや生まれて初めて受ける『愛』の暖かさに、心から感動していた。
「博士」
「なんだ?」
「お気遣い、ありがとうございます。
その薬、謹んで飲ませていただきます」
「うむ。
データを取るから、逐一報告するように。
では薬を受け取れ」
「はい」
背筋を正し、不老不死の薬を受け取ろうとした、まさにその時だった。
「「うわあ」」
突然机の影から黒光りしたGが飛び出してきた。
反射的だった。
俺は手に持っていたもので、迷わずGを叩き潰す。
G退治は俺の役目だからだ。
だが……
「薬が!」
俺は持っていたのは丸めた新聞紙などではなく、受け取ったばかりの不老不死の薬だった。
フラスコが砕け、つぶれたGに薬液が降りかかる。
その様子を見たセツナは、今まで聞いたことが無いくらい慌てた様子で叫んだ。
「シューゴ、すぐに薬品を拭きとるんだ!
あれは人間用だから、Gにかかると何が起きるか――」
だがセツナの言葉は最後まで続かなかった。
突如猛烈な煙が噴き上げたからだ。
慌てて庇うようにセツナの前に立つ。
そして煙が晴れた場所に現れたのは……
「じょうじ……」
巨大な人型のG――テ〇フォーマーだった……
「馬鹿な……」
生命力溢れるGと、それを増大させる薬。
2つの相乗作用により、新しい生命が誕生したのだ。
セツナと一緒にいて、様々な経験をしたが、コイツはとびっきりの大事件だった。
「おい、シューゴ」
「何ですか、博士?
今それどころじゃ……」
「あれ欲しい」
思わず振り返る。
俺の視線の先には、まるでお気に入りのオモチャを見つけた時の子供のように、らんらんと輝くセツナの笑顔があった。
「解剖して学会に発表する。
本当に『じょうじ』って鳴いてる。
体の組織はどうなっているんだろう。
ゴキジェットは効くのかな?
あの巨体で飛べるのか?
ああ、もっと知りたい!」
恋する乙女の様に、頬を染めるセツナ。
俺は知っている。
こうなった彼女は、もう誰にも止められない……
「と言う訳でシューゴ、捕まえて」
「テ〇フォーマーってメチャクチャ強いんですけど!?」
「大丈夫、シューゴなら負けないさ」
「何を根拠に!」
「こんな事もあろうかと、シューゴが寝ている間に改造したのさ!」
「初耳!」
「ほらこっち来るよ!
迎撃して!」
「くそがあああ!」
騒がしくも、満ち足りた日々。
天国行きはまだまだ遠いけれど、この場所も悪くない。
そんな事を思う、今日この頃であった。
ちなみにテ〇フォーマーは、俺に腕から放出された内装型ゴキジェットによって退治された。
……俺、五体満足で天国に行けるかな?