G14(3日に一度更新)

Open App
12/6/2025, 2:11:19 AM

112.『失われた響き』『君と紡ぐ物語』『凍てつく星空』

 プロの漫画家になって、初めて担当編集者さんに会った時の事を、今でも鮮明に覚えている。

「初めまして、ヨミ先生。
 君の担当になった竜造寺です」
 そう言った彼は、名前に似合わずキラキラしたオーラを纏う爽やかな人だった。
 例えるなら、少女漫画からそのまま抜け出してきたような王子様。
 女性なら、誰もが彼に夢中になるくらい容姿が整っていた。
 漫画にしか興味のない私ですら、胸がときめいたのだから相当なものである。

 けれど少し怖い印象も受けた。
 その笑顔は綺麗だけど、あまりに完璧すぎて、まるで凍てつく星空のよう。
 綺麗だけど恐い。
 それが第一印象だ。

「漫画家の君と、担当編集のボク。
 君と紡ぐ物語で、世界をあっと言わせよう」

 でも、それ以上に思ったのが、『この人とならすごい漫画が描けそうだ』という確信。
 歯の浮くような気障なセリフも、彼が言うとさまになる。
 初めての連載に不安だった私も、この人ならばと武者震いがする。
 これなら○ンピース超えも夢ではない。
 本気でそう思った。

 だけど――


「打ち切りになりました……」
 現実は非情だ。
 私の渾身の力作も、世間に出ればただの凡作。
 ごく少数の熱心なファンに支えられ、何冊か単行本を出すことができたが、実情は常に打ち切り候補。
 人気は下から数えたほうが早かった。

 それは主に、私の力量不足によるものだ。
 絵は上手い方だが、驚くほど登場人物に深みがない。
 熱心なファンですら苦言を呈するほど。
 それは私のコミュ障に由来するもので、これまで人づきあいをサボっていたせいでもある。

 『○ンピース超えも夢ではない』。
 いかにそれが無謀な夢だったか思い知る。
 アンケートの結果を聞くたびに、身の程を思い知らされる。
 思い上がりもいい所だ。

「私の力不足です」
 だが私の担当編集はそうは思わなかったようだ。
 彼は悲痛な顔で私を見る。

「漫画の打ち切りは担当の責任!
 ならば、ボクは責任を取らなければいけません」
 そう言うや否や、彼はポケットからナイフを取り出した。 

「かくなる上は、エンコを詰めて――」
「やめて!」
 咄嗟に飛びついて、指を切ろうとするのを阻止する。

「離して下さい。
 これでは責任が取れません!」
「それは担当の責任の取り方ではありません。
 ヤクザの作法です!!」

 そう私の担当編集者は、まさかの「こわーい」人種の人。
 元ヤクザなのだ。

 初対面で怖いと思ったが、本当に怖い人だったとは……
 こんな方向で怖いとは思わなんだよ。
 
「竜造寺さんは私の担当ですよね。
 なら打ち切りの悔しさをバネに、改めて面白い漫画を世に出すことこそが、担当の責任の取り方ではありませんか?」
「それは……」

 (これ、どっちが担当だか分からないな)
 私は心の中でそう思いながら、彼を宥める。
 なんで自分が言ってほしい事を、自分で言っているのか分からないが、ともかく指を詰めさせないよう説得する。

「今回の事は残念でしたが、龍造寺さんが指を詰めても何の意味もありません。
 それよりも次回作の話をしましょう。
 私、良いアイディアがあるんですよ」
 嘘である。
 アイディアなんて無いし、なんなら漫画家を辞めようとすら思っていた。

 けど、それを言ったら彼が物理的に腹を切りかねない。
 だから私は、口からデマカセを言って、彼の蛮行を止めようとした。

「そう…… ですね……」
 功を奏したのか、ナイフを持った手から力が抜ける。
 私はすぐさまナイフを奪い取り、机の上に置く。
 とりあえずこれで指を詰めることは無い。

「……分かりました。
 担当として、私は責任を取ります」
 そう言って、彼は自分の頬を叩く。
 そして気持ちを切り替えたのか、思いつめていた表情はどこにもなかった。

「ヨミ先生がそう言うと思って、既に枠を確保してあります。
 次回作も頑張りましょう」
 ニコっと彼は笑う。

 人気の無い漫画家の連載枠の確保。
 およそ信じがたい事実だが、彼の事だ、きっと編集長を脅したのだろう。
 編集長、胃に穴が開かなければいいけれど。

「それで?
 どんなアイディアがあるのでしょう」
 ギクリと私の肩が跳ねる。
 さきほど蛮行を止めるために、『アイディアがある』とは言ったが、残念ながらそんなものはない。
 けれど今さらないとも言えず、私は思いつくままでっち上げる。

「えーと、今作の評判の悪いところは登場人物に深みがない事にあります。
 そこで次は、魅力的な登場人物を作ってから漫画を描こうかと思っています」
「なるほど。
 面白い漫画には、面白いキャラが必要不可欠ですからね。
 それで具体的には?」
「えーっと」
 もう少し掘り下げてくれてもいいのに。
 矢継ぎ早に繰り出される質問に、私は窮地に立たされる。

「魅力的な登場人物。
 それは……」
「それは……?」

 もはや後は無い。
 なるようになれと、私は竜造寺さんを指さした。
「元ヤクザが、カタギになろうとしてトラブルを起こす漫画『仁義なきコメディ』を描こうと思います」


 ◇


「ヨミ先生!
 新しい漫画の出だしは上々ですよ。
 SNSでも話題になってます」
 竜造寺さんの言葉に、私はほっと胸を撫でおろす。
 嘘を誤魔化すために勢いだけで描いた漫画なので、色々複雑な思いはある。
 だが書いた漫画に人気が出たことは素直に嬉しかった。

「シリアスとのバランスも完璧です。
 ヤクザの世界に伝わる『失われた響き』とはなんなのか?
 その正体の考察で大賑わいですよ」
 適当に頭に浮かんだフレーズがそこまで受けるとは……
 まったく正体を考えてないけど、真面目に考えておかないといけないな。
 私がこれからの展開で思い悩んでいると、竜造寺さんが神妙な顔で声をかけてきた。

「ところでヨミ先生。
 ボクは、この漫画の楽しめそうにありません」
「というと?」
「なまじヤクザの世界を知っているせいで、いろいろ目に付くんですよね……」
「あー、たまに聞く話ですね。
 専門知識があると、どうしても細かい所が気になってしまうとか……」
「はい。
 ですから、やたらエンコを詰めたがるヤクザがどうしても滑稽に映りまして……
 フィクションだと思っていても、ありえないです」
「……もしかして気づいてない?」
「何の事です?」
「いや、分からないんならいいんです」
 急に話を切り上げた私を、竜造寺さんは訝しむような目で見つめるが気づかないことにした。
 下手に知られて、指を詰められたらたまったものではないからだ。
 私はそのまま話を終わたかったのだが、彼にはまだ言いたいことがあったらしく、そのまま言葉を続けた。

「それはそうと、取材のために、ボクは先生に知り合いのヤクザの話をしましたよね」
「はい、その節はとても助かりました。
 それが何か?」
「よく考えたら、かつての仲間の事を話すのは、義理人情に反しているのではと思いまして……
 まるで仲間を売っているみたいじゃないですか」
「それで?」
「責任を取って、エンコを詰めようと思います」
「やめんか!」

12/3/2025, 10:06:54 AM

111.『時を紡ぐ糸』『心の深呼吸』『霜降る朝』


 すいません、隣の席に座ってもいいですか?
 カウンター席でラーメンを食べるのが好きでして。
 無理にとは言いませんが、よろしければ……

 ……ありがとうございます!
 では隣に失礼します。

 店長さん、しょうゆラーメンお願いしまーす。
 麺細目、バリ堅で!
 トッピングは、うーん、今日は無しで。
 これで良しと。

 ふふ、やっぱりお昼時は多いですね。
 本当はもっと早く来たかったんですけど、母の目を盗むのに時間がかかってしまって……
 母さんったら、私がラーメンばかり食べるものだから、『不健康だ!』って怒るんですよ。
 酷いと思いませんか?
 私はこんなにもラーメンを愛しているのに!

 ……どうかしましたか?
 私の顔をじっと見てますが、顔に何かついてますか?

 ……私が綺麗、ですか……
 もう、いやですねえ。
 ここはラーメンを食べる場所であって、冗談を言う場所じゃないですよ。

 ……冗談じゃない、ですって?
 もう、私を褒めたって何も出ませんよ。
 あんまり私を褒めると、氷漬けにしてコレクションしちゃいますよ!

 ……そんなにビックリしないでくださいよ。
 ただのジョークです、雪女ジョーク。
 ええ、そうです。
 私、雪女なんですよ。

 ……え、雪女がラーメン食べても大丈夫なのかって?
 何言っているんですか?
 常識的に考えたらすぐに分かるでしょう?

 だめです。
 ラーメンを食べるたびに、体調を崩します。
 死にかけたこともあります。

 ですが、それでも私はラーメンを食べます。
 ラーメンは美味しいから。
 明日死ぬと分かっても、私はラーメンを食べます。
 それほどまでに、ラーメンを愛しています。

 ラーメンは偉大な料理です。
 この料理が発明されてから、あらゆる改良が施されました。
 しょうゆ、とんこつ、みそ、しお……
 スープにはたくさんのバリエーションがあります。

 麺も同様です。
 あの地味な見た目に、どれだけ改良が施されたか分かりますか?
 太さの種類もさることながら、硬さまでたくさんのバリエーションがあります。

 究極のラーメンを作るため、数多の料理人が最高の麺を追い求めました。
 この一本一本に、どれほどの情熱と歴史の積み重ねが詰まっているか分かりますか?
 まさに時を紡ぐ糸です!

 あ、話し過ぎちゃいましたね。
 私ったらラーメンの事になると、どうしても熱が入っちゃうんです。
 ラーメン好きな雪女なんて、幻滅しちゃいますよね……

 ……え、そんなことない、ですか?
 あなたもラーメンには目がない、ですか!?
 私、感激です!

 どれだけラーメンを熱く語っても、仲間に呆れられるだけ。
 悲しみのあまり冷気が漏れ出して、何度、霜降る朝を迎えたことでしょう……

 でも私は今日、ここで同志に会えました。
 私は今日と言う日を絶対に忘れません!
 ラーメンを食べながら、じっくりと語り合いましょう!

 ああ、興奮しすぎて溶けてしまいそう。
 落ち着け、私。
 まずは心の深呼吸。
 すーはーすーはー。

 それにしても、今日みたいな記念すべき日に、トッピング無しは寂しいですね……
 店長!
 やっぱりトッピングは、全部乗せでお願いしま――

 ……あの、店長。
 何です、そんな申し訳なさそうな顔をして。

 ……ラーメンは出せない、ですって!?
 ここはラーメン屋、そんな無法が通るわけがないでしょう!
 ラーメンを出さないラーメン屋なんて、断じてありえません!

 ……入り口を見ろ?
 ……私にお客さんが来ている?
 何を言っているんですか。
 こんな所に、ラーメンの崇高さを理解しない仲間が来るわけが――

 あっ。
 いえ、知らない雪女ですね。
 間違っても母ではありません。

 縁もゆかりもないただの他人です。
 無視して構いませんよ。
 さ、ラーメンを出さないなんて意地悪は言わないで、早く作って下さい。
 雪女ですが、ちゃんとお金を持って――

 待って、お母さん!
 もう少しだけ待って!
 私はここでラーメンを食べるの!

 ミニラーメンで我慢するから!
 ちょっとだけ、ちょっとだけだから!
 あっ、叩かないで!
 分かったから、大人しく戻るから!

 ううう、なんでお母さんに場所がバレて……
 はっ、まさか店長、私を売ったんですか!?
 あれだけこの店の売り上げに貢献し、SNSでアピールして知名度を上げた、この私を裏切ったんですか!
 お客さんが来るようになったのは、誰のおかげだと思っているんですか!

 許さない!
 絶対に許さない!
 私を裏切った人間を絶対に許さない!

 覚えていろよ、愚かな人間どもよ!
 絶対に後悔させてやる。
 絶対に後悔させてやるからな、ニンゲンドモォォォォォ――

(雪女は、母親と思わしき女性に引きずられて、店を出ていく)
(それを見た店長が、申し訳なさそうに話しかけてきた)

 騒がしてしまって、申し訳ありません。
 あの子の代わりに、私がお詫びいたします。

 誤解しないでほしいんですけど、本当は優しくていい子なんですよ。
 ただラーメンの事になると、暴走しがちなだけで……

 ……見たら分かる、ですって?
 まあ、そうですね。

 そのくらいラーメンが好きって言う事なんですが、まあ、食べ過ぎましてね。
 そのせいで体を壊して、食事制限が出ているんですよ……
 
 普段は家族が見張っているんですが、たまに隙を見て来店してくるんです。
 『死んでも食べたい』と言ってもらえるのは、料理人として光栄なんですけどね。
 本当に死なれると困るから、家族に通報することになっているんです。

 ……びっくりしたけど気にしてない、ですか。
 はは、そう言ってもらえると助かります。

 それよりラーメンが食べたい?
 大丈夫、分かってますよ。

 ただその前に、入り口の方を見てもらえませんか?
 ほら、男の方がいるでしょう?
 はい、あの険しい目つきでこちらを見ている男性です。

 知らない人ですって?
 いえいえ、あなたのお父様ですよ。
 誤魔化しても無駄です。

 あの方が、あなたにお話があるとか……
 それも、ラーメンについてですって。

 ほら、行ってらっしゃい。
 ここにいても無駄ですよ。
 ラーメンは絶対にお出ししませんから。

 そんなに恨みがましい目で見ないでください。
 ちゃんとお父様と一緒に、病院に行ってくださいね。
 お医者さんから許可が出たら、その時はお出ししますよ。

 ……病院に行くくらいなら死んでやる、なんて言わないでください。
 本当に死んだら、二度とラーメンを食べられないんですから。

11/30/2025, 9:38:58 AM

110.『手放した時間』『君が隠した鍵』『落ち葉の道』

「うわっ、なんだこれ!?」

 朝起きてリビングに行くと、そこには落ち葉の道が出来ていた。
 いや、本当の落ち葉じゃない。
 私の赤い靴下が、あちらこちらに散乱しているのだ。

 まるで泥棒が入ったかのような有様だけど、私には心当たりがあった。
 これは飼い猫のレオの仕業。
 靴下に異常な執念を持っている、イタズラ好きの猫だ。

 今回も、寝る前に取り込んだ洗濯物を、レオが荒らしたのだろう。
 肝心の犯猫はどこにも見えないが、きっとその辺りで寝ているはずだ。
 イタズラを終えたら、一仕事を終えたとばかりにどこかに隠れて寝てしまうのだ。
 しかも巧妙に、である。

 そのうち出てくるだろうと思い、私は散らかった洗濯物を再び畳む。
 何回もレオを叱っているのだが、まったく反省の色はない。
 隠れている事からも分かるように、レオはこれが悪い事だとは分かっている。
 けれど内なる衝動を抑えられないのか、こうして定期的に靴下が荒らされるのだ。

 でも、私はそんなに怒ってなかったりする。
 レオが、私の気を引こうとしてイタズラしているのは分かっているからだ。
 なにより、私が憎からず思っている事がレオにはバレバレなのだ。
 なんだかんだで、私はこうして靴下を集める時間が好きだった。


 レオはもともと実家で飼っていた猫だ。
 私が小学生のころ、子猫のレオを親が引き取って、それ以来彼は私の弟になった。
 でも私が猫アレルギー発症してしまったことから、レオはおじいちゃんの家に預けられた。
 アレルギー症状は出なくなったけど、年に数回しかレオに会えず、私は寂しい思いをした。

 けど私たちは今一緒に住んでいる。
 大学進学の際、おじいちゃんの家が近いので住まわせてもらっているのだ。
 アレルギーの件も、医者の指導の下なんとかやっている。
 根本的な解決ではないけれど、私たちは楽しくやっていた。


 レオのイタズラも、多分寂しかった事への裏返しなのだ。
 私が手放したレオとの時間。
 それを埋めるように、私に甘えているのだ。


「それにしても、今日は赤色の靴下ばっかりだな……」
 私がぶつぶつ言いながら靴下を片づけていると、すぐに大学に行く時間になった。
 いつもならレオも姿を現す時間なのだけど、今回は特に疲れていたのか、最後まで起きてこなかった。

 私はさっと朝食を摂って、玄関に向かう。
 おじいちゃんとおばあちゃんは朝早くから出かけているので、今日は私が鍵をかけないといけない。
 私は、鍵が入れてある小物入れに視線を向けた。

「あれ、鍵がない……」
 芯から冷えるような感覚があった。
 昨晩確かにここに置いたはずなのだ。
 それなのに、鍵がないのはどういう事だろう。

 おじいちゃんが持っていった?
 いや、ここに置いてあったのはスペアキー。
 持っていくはずがない。

「どうしよう、鍵をかけずに行けないよ」
 どこかに落ちているのだろうか?
 そう思い、周囲を見渡しているとあるものが目に入った。
 片方だけの、赤色の靴下だ。

「なんでこんなところに」
 そういえば、荒らされた靴下を回収したとき、一組だけ片方が無かった。
 ペアの片方がなくなるのは日常茶飯事なので、特に気に留めてなかったのだが、
まさかこんな所にあるとは……
 私は帰ってから整理しようと、靴下を摘まみ上げる

「……何か入っているな」
 持った瞬間、硬い感触があった。
 なんだろうと不思議に思い、何気なく中身を取り出す。
 そして私は中身を見て、仰天した。

「な、なにい!?」
 鍵だった。
 『なぜこんなところに?』と思っていると、のそっと、レオが現れた。
 その顔は、どこかドヤ顔で『必要だと聞いたので入れておきましたよ』と言わんばかりである。

 そう言えば、今日荒らされたのは赤色の靴下。
 いつもは色関係なく荒らすレオが、赤色だけをターゲットにしているのは珍しいと思っていたが、まさか……

「レオ、お前サンタのつもりか?」
 ニャオ。
 レオが答える。

 猫語は全く分からないけど、タイミングは出来過ぎだ。
 怒る気も失せて、私は思わず笑ってしまった。
 
「ではありがたく。
 君が隠した鍵を使って家をでますね」
 レオは満足したのか、喉をゴロゴロならして私を見送る。
 

 離れていた数年間の間に、我が弟は随分と成長したようだ。
 きっとこれからも、私を驚かせてくれるに違いない。
 次は、どんなサプライズをしてくれるのだろう。
 期待に胸を膨らませながら、私は大学へと向かうのだった。

11/27/2025, 1:07:14 PM

109.『見えない未来へ』『夢の断片』『紅の記憶』



 ここは、オルベリアス王国。
 名前に、富と自由を冠する商業の国。
 この国では、稼ぐことこそが正義であり、ステータスである。
 他国では侮辱される成金も、この国では英雄として称えられる。
 平民であっても他を凌ぐほど富を築く人間がいれば、国王自らが頭を下げて『貴族になってほしい』と懇願するほど、実力主義が徹底している。

 その国風は、貴族すら例外ではない。
 高貴なる身分の者は、商才に恵まれている事が絶対条件。
 才無きものは、王族であろうとも容赦なく身分を剥奪される。
 厳格な自由に基づく経済競争。
 まさに現代の弱肉強食である。

 だが、貴族が没落することは滅多にない。
 貴族たちは家名に恥じぬよう、子息に英才教育を施すからだ。

 今から語る物語の主人公もその一人。
 幼い頃から世界最高峰の教育を受け、『国一番の商人になれ』となるべく育てられた。
 彼女の名前はオフィーリア=オルベリアス。
 この国の第一王女である。

 オフィーリアは才女であった。
 あらゆる知識を吸収し、万事に通じる天才少女。
 国始まって以来の天才と持て囃され、誰もが彼女を次期国王と信じて疑わない。
 彼女自身も過酷なカリキュラムを全てこなし、総仕上げとして有力な商家へと弟子入りを果たしていた。

 そこでも頭角を現した彼女は、すぐに支店の一つを任され采配を振るうことになる。
 彼女の華麗な経歴に、人々は羨望と尊敬の眼差しを向けた。
 だが――


「うぎゃあ、注文数のケタ間違えたぁ!」
 残念なことに、オフィーリアという少女はドジだった。
「納品が今日!?
 受け取りの日付も間違えてる!」 
 致命的なレベルでドジだった。

 彼女は来る年末商戦に向け、様々な商品を注文していた。
 その中の目玉商品、聖誕祭限定のスペシャルケーキも含まれていたのだが、あろうことか彼女は注文を間違えていた。
「おおう、型番も間違えてる。
 聖誕祭仕様じゃなくて、生クリームたっぷりの普通のホールケーキだ。
 だから誰も指摘してくれなかったんだな」
 踏んだり蹴ったりとはこのことだ。

「聖誕祭の時期なら売れるのに……
 一ヶ月前は、さすがに需要はない!」
 聖誕祭――
 一年の終わりに行われる、一年で最も大きなイベント。
 普段は節約志向の家庭も、この日ばかりは財布のひもが緩み、競って贅沢品を買い集める。
 その中でも聖誕祭用にデコレートされたケーキは売れ筋商品であった。

 だが逆を言えば、聖誕祭シーズンでもなければケーキはあまり売れない。
 日持ちしない高価なケーキは、文字通り贅沢品。
 多少は売れるだろうが、完売する見込みはゼロと言っていい。

「これがクッキーとかならよかったんだけどな……」
 日持ちするものなら、ゆっくりと長い時間をかけて売ることが出来る。
 だが大量にあるのは、当日に消費することが望まれるケーキ。
 今日中に売り捌かなければ、大赤字だった。

「あ、赤字、大赤字だわ……」
 オフィーリアはガタガタと震える。
 商業国家オルベリアス王国では、売上金がすべてだ。
 その中で大赤字を出せばどうなるか?

「身分の…… はく奪……」
 悪夢だった。
 オフィーリアが王族でいられるのは優秀だからで、決して王の娘に生まれたからではない。
 『商才なし』と烙印を押されれば、明日から平民である。
 約束された素晴らしい未来は、いまや先の見えない未来へと変貌してしまった。

「なんとかフォローしなければ。
 でもどうやって?」
 オフィーリアは頭を抱えた。
 意外に思われるかもしれないが、オルベリアス王国では赤字を出すこと自体は比較的寛容だ。
 手放しで許されるわけではないが、長く商売をやっていれば、そういうことは何度もあるし、長い目で見れば回収できることもあるからだ。
 だからこそ、『それなら赤字でも仕方ない』と思わせる策が必要だった。

 だが、何も思い浮かばない。
 どんな危機的状況でも即座に解決策を打ち出せる彼女の頭脳も、目の前の在庫の山と、焦りと恐怖から、うまく働かないでいた。

 『いっそ夜逃げしようかしら』
 彼女がすべてを諦めかけた、まさにその時であった。

「お困りかい、お姫様」
 彼女が顔を上げれば、部屋に入り口に見知った顔があった。
 部屋の入り口に立っていたのは、フィーリアの婚約者兼、専属コンサルタントであるアレクシスであった。

 この国では、商人が高い地位を占めている。
 だが、商品には詳しい商人も、経営はずぶの素人であることは珍しくない。
 そこで経営戦略に長けたコンサルタントが、商人に手助けして店舗を大きくしていく。
 この国での基本的な戦略であった。

 そして、足りない部分を互いに補い、店を大きくしていく過程で、そのまま夫婦になるも例も珍しくない。
 オフィーリアとアレクシスも、公私ともに良きパートナーとなることを望まれて婚約を結ばされていた。

 はずなのだが、

「お帰り下さい」
 オフィーリアは嫌そうな顔で、そう告げた。

 コンサルタントもピンキリだ。
 伝説のコンサルタントは財政の傾いた国すら立て直すが、腕の悪いものは破産まで一直線。
 そして、目の前にいる少年は、残念ながら後者であった。

「せっかく助けに来たのに、なんだよ、その言い草。
 助けてやらねえぞ」
「ええ、それがいいわ。
 そっちの方が傷が浅くて済むもの」
 オフィーリアの脳裏に思い浮かぶのは、紅の記憶。
 彼のアドバイスを信じたばかりに、帳簿が文字通り赤一色に染まったあの日。
 アドバイスを受けなければ、ここまで大惨事にはならなかったであろう。
 それ以来、オフィーリアは心に誓っている。
 「こいつのいう事は二度と信じない」と。

「はん、そんな事を言えるのも今のうちウチだ。
 俺の案を聞いたら腰を抜かすぜ」
「はあ、言うだけ言ってみなさいな。
 聞く『だけ』ならタダだもの」 
「ケーキを十倍の値段で売る」
「却下。
 ただでさえ高いケーキを高くしてどうするのよ」
「他の人気商品とセットで売ろうぜ。
 もちろん得な価格で」
「抱き合わせ商法ね。
 数年前に禁止されてたの知らないの?」
「しゃあねえ、消費期限を改ざんしよう。
 バレないって」
「シンプルに犯罪」
「……もう捨てれば?」
「残念ながら、捨てるにもお金がかかるの。
 世知辛い世の中ね」

 『どれこれも聞くに値しないアドバイスだった』。
 オフィーリアの顔には、そう書かれていた。
 オフィーリアの冷ややかな視線を受け、自信満々だったアレクシスはがっくりとうな垂れる。
 今度こそ認めさせれると思ったのに。
 アレクシスは苦々しそうに呟いた。

「もう、誰かに押し付けてしまえばどうだ?
 タダなら受け取るやつもいるだろ――」
「それだ!」
「へ?」
 さきほどまで死人のような顔をしていたオフィーリアが、パアッと満面の笑みを浮かべる。
 その変わり様に何が何だか分からず、アレクシスは目を点にするのだった。


 ☆

「なるほど寄付か。
 考えたな」
 アレクシスは、目の前の光景を見て感心する。
 広場にはケーキが山のように積まれ、そこにはたくさんの人が集まっていた。

 『寄付は、採算度外視で行うものだ』
 『これなら赤字が出ても、社会的信用を得るためだと、周囲に思ってもらえる』

 そう計算したオフィーリアは、街の外れに住む貧民たちに『食糧支援』をすることにしたのだ。
 下心満載で始まった寄付だが、貰う側に思惑なんて関係ない。
 我先にとケーキは運び出され、どんどんと山は小さくなっていった。

 その様子を眺める二人の前を、みすぼらしい格好の少年が通る。
 食いだめするつもりなのだろうか、それとも日持ちしないのを知らず備蓄にしようというのか、はてまた家で待つ家族のためか。
 少年は、腕にたくさんのケーキの箱を抱えて運んでいた。

「これで、在庫の処分費は心配しなくていいわね」
「この光景を見てそれかよ」
「『一か月早い聖誕祭ね』とでも言えばいいのかしら。
 けど私の胃はキリキリしてて、彼らを慈しむ余裕なんて無いわ」
「そうかい」
 アレクシスは苦笑する。

「でもいいのか?」
「何が?」
「寄付する相手が貧民でいいのかってことだ。
 別に、平民や貧乏貴族に寄付しても喜ぶだろうよ」
「大丈夫よ。
 私は商人であると同時に、王族だから」
「というと?」
「数字の上での稼ぎも大事だわ。
 けれど国を統べる一族として、私たちは国を富ませる義務があるの。
 そのためにも一人でも多くの商人を増やす必要があるわ。
 その上で平民は寄付が無くても生きていけるけど、ここの人たちはそうじゃない。
 明日の食べ物すら困っている彼らに寄付すれば、生きていく事が出来るわ。
 そうすれば、この中から成金が出て貴族に人も出るかもしれないでしょう。
 それは国の利益よ。
 そう思わない?」
「詭弁だね」
 オフィーリアの言葉を、少年は鼻で笑う。

「確かに生きることは出来るがそれだけさ。
 平民で貴族になった奴はいるが、貧民が貴族になった例はない。
 商売には金がいる。
 食うものを買う金にすら困るやつが、貴族になるなんて夢のまた夢だよ」

 それを聞いたオフィーリアは、悲しそうに眉をひそめた。
 少年を軽蔑したからではない。
 それが事実だと知っているからだ。

「いいじゃない、夢を見たって。
 お金を稼ぐだけじゃ、つまらないわ」
「……まあ、お前のものだからさ。
 どうしようと文句はないよ」
 二人の間に気まずい空気が流れる。

 別にアレクシスは、オフィーリアを糾弾したいわけではない。
 付き合いの深さゆえに、無遠慮な物言いをしてしまっただけだ。
 言い過ぎたことを反省したアレクシスが、謝罪の言葉を口に出そうとした時だった。

 二人の前に一人の少年が駆け寄って来た。
 先ほどやまほどのケーキを抱えていた少年だ。
 だが、彼の抱えていたケーキの箱はどこにもなかった。

「何か用かしら?」
 オフィーリアがそう尋ねると、少年はニっと笑って答えた。

「あんたらだろ、寄付してくれたのは。
 一言お礼を言おうと思って」
「お礼?
 ああ、ケーキの事ですね。
 気にすることはありません、国民に奉仕するのは貴族の義務で――」
「そうじゃなくって」
 少年はオフィーリアの言葉を遮り、懐から革袋を取り出す。

「存分に稼がせてもらったからな。
 その礼だ」
 チャリと重たい音が響く。
 彼が誇らしげに掲げた革袋はたくさんの銀貨が入っているのか、ずっしりと重量感があった。

「あれを売ったんですか?」
「ああ、そこら辺を歩いていた観光客にな。
 『今だけの限定品』って言いながら、笑顔で近づけばイチコロさ」
 オフィーリアとアレクシスは、互いに顔を見合わせた。

「ただでもらった物を売るほど、もうかる商売はないね。
 俺、貴族になるのが夢なんだ。
 この金さえあれば、俺も商売を始めれる 。
 助かったよ」

 「じゃあな」。
 そう言って、少年は夢の断片が詰まった袋を握り締め、風の様に去っていく。
 その様子を呆然と見送る二人。
 少年が見えなくなり、しばらくしてアレクシスが呟いた。

「貧民から貴族が出る日も近そうだ」
 二人は笑った。

11/24/2025, 1:44:59 PM

108.『冬へ』『記憶のランタン』『吹き抜ける風』



 11月中旬。
 本格的に寒くなる前に、私は冬への準備をすることにした。
 『今頃かよ』と呆れられそうだが、忘れていたので仕方ない。
 一応やろうとは思っていたのだが、物忘れが激しいため、寒くなっても冬支度が出来ないでいた。
 そんなわけで、思い出したが吉日ばかりに、私は押し入れを漁っていた。

「冬服は確かここらへんに……
 おや?」
 衣装箱を動かそうとしたとき、その横に見慣れないものがあった。
 気になったので取り出してみると、それは小さなランタンだった。
 いかにもチープな、オモチャのランタン。
 趣味からかけ離れているので自分で買ったとは思えず、おそらく貰いものだった。

 ただ、どこで手に入れたのかはどうしても思い出せない。
 買ってはいないのは確かでも、誰にもらったか分からないのは気持ち悪い。
 『湧いて出てきたのだ』と言われたら信じてしまいそうなほど、私は心当たりが無かった。
 なんとか思い出そうとランタンをくるくる回していると、底に一枚の紙が貼っている事に気づいた。

 それはメモだった。
 忘れっぽい私が、説明書代わりに付けているメモ。
 私は『これならば』と思い、メモを手に取る。
 そこには一言、こう書かれていた。

 『記憶のランタン』。
 一見して意味不明な文章。
 だが私は、その言葉を見て一週間前のことを思い出していた。


 あれは風の強い日だった。
 ベルが鳴ったので玄関のドアを開けると、吹き抜ける風が私の部屋をメチャクチャに散らかしたのだ。
 あの時の絶望した気持ちはよく覚えている。
 その原因となった、訪問客のバツの悪そうな顔も……

 訪問客は、新興宗教の勧誘だった。
 なんでも私を救うためにやって来たらしい。
 余計なお世話にもほどがあるが、宗教の勧誘によくある強引さで居座られ、彼の話を一方的に聞かされた。
 興味がないので聞き流していたが、一つだけ私の興味を引くものがあった。
 なんと、彼の属する宗教に入信すれば、記憶力が上がると言うのである。

 正確には、お布施と引き換えに霊験あらたかな品が貰えると言う。
 その一つが『記憶のランタン』である。
 宗教には興味はないが、記憶力が上がるのなら話は別だ。
 私は彼に詳しい話を聞いた。

 だが、そうそう都合のいい話は転がってない。
 なんと寄付に5万円必要だと言うのである。
 私の悪癖が治るのなら5万でも安いが、給料日前の私にはとても払えない。
 泣く泣く辞退の旨を伝えると、彼は笑顔でこう言った。

「でしたら給料が入るころにまた来ます。
 このランタンを置いていくので、神の愛を感じてください。
 ご利益ありますよ」

 そして今に至る。
 ついでに言えば、約束の日は今日である。
 メモにも書いてあるから間違いない。
 そして見計らったかのように、玄関のベルが鳴った。

「こんちには」
 彼は笑顔で玄関の前に立っていた。
 今にでも彼のマシンガントークが始まりそうな雰囲気。

 でも私は彼に伝えることがある。
 彼が話し始める前に、勇気を出して切り出した。
「これはお返しします。
 ご利益なかったので」
 私がランタンを差し出すと、笑顔だった彼は急に怒り出した。
「いい加減にしろ!
 お金払いたくないからって、下手な嘘を吐くな!」
 私は首を横に振りながら言った。

「いいえ、本当の事です
 その証拠に、アナタに渡すはずだったお金を用意するのを忘れました」

Next