『まだ続く物語』『勝ち負けなんて』『雨あがり』
「ううっ、この漫画、いい話だなあ」
俺は感動の余韻に浸りながら、持っていた漫画を脇に置く。
読んでいたエピソードが素晴らしく、思わず感動してしまった。
特に雨上がりの公園で、主人公とヒロインが結ばれるシーン。
敵同士だった二人が、何も言わず肩を寄せ合う場面は涙無しには語れない。
憎み戦っていたのに、勝ち負けなんてものを超えて愛を育む。
これ以上尊いものがあるのだろうか?
構図、タイミング、エモさ。
すべてが揃った最高の展開である。
きっと漫画史上に残る、最高の演出として後世に語り継がれることだろう……
そんな素晴らしいストーリーに、俺は気がついていたら泣いた。
人生で一番泣いたと思う。
いい歳した男が泣くなよと思われるかもしれないが、漫画を読むのは十年ぶりなのだから仕方がない。
久しぶりの漫画に、感情の洪水が止まらないのだ。
『十年漫画を読んでない』と言うと、『国外にでもいたのか?』と聞かれそうだが、残念ながら違う。
ぶっちゃげ国外だったらどれほどよかった事か……
国外でなければどこにいたかって?
それは異世界。
俺はこの数年間、異世界に勇者として召喚されていたのだ。
魔物が跋扈《ばっこ》し、魔王が世界を滅ぼそうと企むファンタジーな世界。
そこに俺は召喚され、当然の様に勇者として魔王討伐を命じられた。
文句は山ほどあったが、魔王を倒さなければ元の世界に戻れないと言われたので、仕方なく冒険に旅立った。
チートこそ貰ったたものの、旅は過酷だった。
魔物は強いし、途中から四天王とやらも出て来るし、人間同士の争いに巻き込まれたことも少なくない。
命の危機に晒されることも多く、総じて最悪の経験だった。
だからこそ、今ある幸せを噛みしめる。
現代日本、平和な世界。
魔王もおらず、俺をダシにして儲ける悪党もいない
なんて素晴らしいんだ。
「おっと、浸ってる場合じゃない。
次の漫画を読もう」
頭を振って切り替える。
もう冒険は終わったのだ。
のんびり過ごすに限る
次に読むのは先ほどの感動的な展開を見せた漫画の続巻である。
あの二人はどうなってしまうのか!
気になって仕方がない。
そう思いながら本を開こうとしたとき、ある考えが頭をよぎる
『あんなに綺麗に終わったのに、まだ続きあるの?』と……
別に文句があるわけじゃない。
一読者として、これからも彼らの物語を読めるというのは光栄なことである。
けれど続編があったばかりに、作品自体の評価を落とすことは、それなりに聞く話である。
『あの時あそこで終わっていれば』
オタクなら一度は経験する悲劇である。
ハッピーエンドの先にもまだ続く物語は、当事者はどう思っているのだろうか……
もちろん現実問題として、ずっと順風満帆はありえない。
この漫画の二人だって、運命のイタズラで破局してしまうかもしれない……
けれど本人たちの努力に関係ないところで、彼らの平穏が脅かされるのは絶対に違う。
もし自分がその立場だったら、きつと俺は暴れるだろう。
何が起こっても知ったことか!
巻き込む方が悪い。
ても、まあ、
「俺には関係のない話だ」
自分に続編は無い。
漫画の世界ではよくある話でも、現実ではあり得ない。
フィクションだからこそ許される展開で、現実には『評判良かったから続きます』なんて事はない。
俺を召喚した異世界も、魔王は倒され平和になった。
邪神の言い伝えがあったが、その邪神も紆余曲折あって倒している。
なので、あの世界は破滅の危機に陥ることはないだろう
少なくとも俺の生きている間は。
そう思っていた時だった。
突如、座布団の周りに魔法陣が浮かび上がる
「これは!」
数年前、異世界に飛ばされたときの魔法陣!
『逃げよう!』と思った時にはもう遅い。
あっという間に光に包まれ、気がつけば目の前に豪華な服を着た王様がいた。
一瞬、前に俺を呼んだ王様かと思ったが、知らない奴だった。
周囲の衛兵を見渡しても、見知った顔は居ない。
どうやら俺は、以前召喚された世界とは別の世界に召喚されたようだ。
俺はいったいなぜ呼ばれたのだろう……。
現実逃避するが、俺の事情などお構いなしに王様が厳かに話し始めた。
「おお、勇者よ、よくぞ来てくれた。
我らの世界は、魔王の脅威にさらされておる。
お主の活躍は、違う世界に住む我々も聞き及んでいる
どうかその力を貸してもらえんだろうか?」
予想通りの言葉に、俺は大きくため息をつく。
まさか他の世界からお呼びがかかるとは……
「俺にも続編があったのかぁ……」
全く予想が出来なかった。
この心の底から湧いてくる怒りは、どうしてくれよう?
ここで、目の前にいる王様にぶつけるか?
それとも原因を作った魔王に八つ当たりをすべきか?
どちらにせよ、
「やっぱ続編はクソだわ……」
こうして俺の物語は続まだまだ続くのだった。がり』
49.『これで最後』『さらさら』『渡り鳥』
日本の北海道に、 『ワタリ』と呼ばれている女性が住んでいました。
冬が近くなると徐々に南下し、夏の気配を感じれば北上する。
そういった一風変わったライフスタイルが、『まるで渡り鳥のようだ』と言われ、いつしかワタリと呼ばれるようになったのです。
なぜ彼女がそんな奇妙な生活を送っているのでしょうか?
それはワタリが雪女という事と関係があります。
雪女は暑さが苦手です。
真夏日ともなれば文字通り溶けてしまいます。
気温が下がれば温暖な南の方で過ごすこともできますが、それでも危険なことに変わりません。
そのため、ほとんどの雪女は北海道から出ることはなくそのまま生涯を終えます。
しかしワタリは、死の危険を冒してまで南の方へと向かいます。
しかも毎年です。
周囲の者が止めるのも聞かず、南へと旅立ちます。
何が彼女をそこまで突き動かすのか?
それは、彼女が無類のラーメン好きだからです。
一日三食ラーメンでも問題ないレベルのラーメン狂で、危険を冒してご当地ラーメンを食べるために日本各地を回るのは、当然の帰結でした。
雪女はラーメンを食べません。
ラーメンは熱々なので、体が溶けてしまうからです。
しかし危ないからと家族が止めても、
「一歩間違えれば死ぬという感覚が、私に生きる実感をもたらしてくれる!」
と血迷った事を言って、周囲を困らせていました。
ある年の春の事です。
その年のラーメン行脚が終わり、北海道の家に戻っていた時の事。
彼女は体の異変を感じました。
「あれ?
なんか体が重いや……」
ワタリは『そのうち治る』と最初は気にしていませんでした。
ですが、いつまで体調が戻らないことに恐怖を覚えます。
『ラーメン、知らないうちに溶けていたのか?』
ワタリは迷いましたが、家族の勧めで病院に行くことにしました。
そしてワタリを診察した医者の言葉は、死の宣告に等しいものでした。
「食生活の乱れが原因です。
見てください、この血を。
さらさらの血液が、こんなにもドロドロするのは普通ではありません。
即刻食生活の改善を!
もちろんラーメンは禁止です」
ワタリは泣きました。
ソウルフードであるラーメンが食べれなくなったからです。
ラーメンを食べれないなら生きる意味が無い。
彼女は絶望のあまり一晩中泣きました。
そして翌朝、心配する家族の前に姿を現しました。
家族の慰めの言葉には気にも留めず、キッチンへと向かいます。
そして家族が見守る中、ワタリはあるものを取り出します。
インスタントラーメンでした。
それを見たワタリの母親が叫びます
「ワタリ、いい加減にしなさい!
死ぬわよ」
「これで最後だから」
「最後って何?
それを食べたら死ぬのよ!」
「最後だから。
最後の晩餐だから」
「死んだ方がマシって言うの!?
ワタリ!
正気に戻りなさい!」
こうしてラーメンと共に死のうとしたワタリは、家族に取り押さえられ、ラーメンは食べることはできませんでした。
しかし隠れてラーメンを食べるかもしれないと危惧した家族は、家の中のインスタントラーメンを全て処分し、近所のひとにも協力を仰ぐという大掛かりな事態になりました。
そのおかげでワタリはラーメンを食べることが出来ず、健康的な食生活を送り、みるみるうちに体調は改善しました。
家族は一安心でしたが、納得出来ないのはワタリです。
大好きなラーメンを食べることが出来ず、不満でいっぱいでした。
そして季節は秋。
気温も下がり、今年もまたラーメン行脚の時期がやってきました。
旅に出ようとするワタリに、はじめは不安の色を隠せない家族。
しかし今まで我慢したからと、渋々許可をします
「今まで我慢した分。
腹いっぱいに食べてやる」
こうして旅に出てラーメンを食べまくったワタリ。
しかし歴史は繰り返す。
帰る頃には体調を崩し、再び一騒動を起こすのでした。
『歌』『やさしい雨音』『君の名前を呼んだ日』
最近妻を名前で呼んでいない。
ケンジはふとそう思った。
ケンジと妻のナオミは、結婚してから今年で三十年である。
結婚当初は名前で呼び合っていたのだが、子どもが生まれてからは『お父さん』『お母さん』と呼び合うようになり、それ以来名前では呼んでいない。
息子は既に家を出て一人暮らしをしてるので、今も続ける理由は無いのだが、なんとなく変えられずにいた。
ケンジは今までそのことに疑問に思わなかったのだが、ナオミが見ているテレビがきっかけで気づいた。
テレビでは、若者に人気の歌手がラブソングを歌っている。
ケンジは興味が無いのだが、この歌手はナオミの大の気に入りであり、付き合いで一緒に見ていた
『君の名前を呼んだ日はいつも特別』。
そんな歯の浮くような歌詞を感情込めて歌う彼らを見て、ケンジは若い頃を思い出した。
昔は歌詞の通り、ケンジたちも名前を呼ぶ呼ばないで一喜一憂していた。
しかしいつしか慣れて特別感は無くなり、子供が生まれてから名前を呼ばなくなった。
その事について、ケンジは残念だとは思わない。
世間ではどうなっているかは知らないが、少なくとも自分たちにとってはこれが自然なのだ。
それにケンジとナオミはいい大人。
若者のように青春する年齢でもない。
それでも、とケンジは思う。
ケンジとナオミは、お互い好きで一緒にいる仲だ。
このまま名前を呼ばないで死んでいくのはもったいない。
少し恥ずかしいが、これを期に名前を呼んでみるのも悪くないと思えた。
ケンジは大きき深呼吸し、熱心にテレビを見ているナオミに呼びかける
「お母さん、少しいいかな?」
「どうしましたか、お父さん?」
ケンジの呼びかけに、何も知らないナオミは振り返る。
その顔を見てケンジは顔が熱くなるのを感じた。
「ナ、ナ、ナ……」
「ナ?」
そこでケンジは気づいた、名前を呼ぶのは想像以上に恥ずかしいと……
ケンジは妻の名前を数十年間呼んでいない。
そのことが、いつしか慣れによって無くなった特別感を生み出していた。
だがケンジも男である。
男のプライドに賭け、一度決めたことは捻じ曲げまいと、意思を新たにする。
「ナ――なんというのだったかな?
今テレビに映っている歌手は?」
だがケンジは日和った。
恥ずかしさのあまり、意思を捻じ曲げてしまったのだ。
「おや、どうしたんですか?
お父さんはこう言った事には興味が無いと思っていました」
「ああ、いい歌を歌うと思ってね。
ファンになったんだ」
「ふふふ、嬉しいわ。
お父さんとの話題が増えるのね」
ナオミは、まるで年頃の女の子の様に頬を赤らめる。
それを見てケンジは、今さら嘘だと言えない雰囲気を察し、さらに嘘を重ねる
「どういう歌を歌うんだ?」
「そうですねえ。
穏やかな恋の歌を歌います。
やさしい雨音の様な、すっと心の中に入って来る歌です」
そう言っている間に、テレビでは歌手が歌い終わっていた。
ケンジはそのまま退場するのかと思ったが、そのまま二曲目を歌い始めた。
歌手の額には汗が浮かんでおり、疲労の色が滲んでいたが、そのことを感じさせない程生命力に溢れていた
「若いですよねえ、彼ら。
私たちの若い頃を思い出しますよ」
「そうだな」
「ふふふ」
「なんだい母さん。
笑ったりなんかして」
「ねえ、お父さん。
せっかくなので、私たちも名前で呼びませんか?」
ナオミの言葉に、ケンジは驚いた。
自分の心の中が読まれたかと思ったからだ。
ケンジが驚愕しているのも知らず、ナオミは言葉を続ける。
「いえね。
この人の歌を聴いていると、なんだか若い頃に戻った気がするんですよ
お互いを名前で呼んでいたあの頃にね……
きっと、歌に当てられてしまったんでしょうね」
「そうか……」
ケンジは迷った。
ナオミの提案は、ケンジにとって渡りに船だった。
このまま名前を呼び合えば、当初の目的は達成できる
だがケンジの中で、あるものが邪魔をしていた。
男のプライドである。
名前を呼び合うだけなら問題ない。
しかしお互いいい年なのに、付き合いたてのカップルのように名前を呼び合うと言うのは、些かというには恥ずかしすぎた。
どうやって断ろうか。
ケンジはそのことに思考を集中させる
しかし――
「ねえ、お父さん。
たまにはいいでしょう?
ね、お願い」
ナオミが猫撫で声で、ケンジを誘惑する。
ケンジはナオミの『お願い』に弱い。
これでは断る事が出来ないと感し、降参の意を伝えるために両手を上げた
「分かった、分かったから。
まったく敵わないな」
ケンジが白旗を上げると、ナオミは満面の笑みを浮かべた。
「ふふ、嬉しいわ。
お父さ――ケンジさん」
「ああ、だが少し恥ずかしいな。
その……、ナオミ」
「ケンジさん」
「ナオミ」
二人はお互いに呼び合う。
ケンジは恥ずかしさのあまり顔から火が出そうだったが、ナオミの幸せそうな顔を見て、それで十分だと思った
だがケンジは気づいていなかった。
全てはナオミの策略であることに。
数週間前、ナオミはケンジよりも早く気づいていた。
最近夫の名前を呼んでいない事を……
そしてケンジとは対照的に、そのことを寂しいと思っていた。
そこで、なんとかして名前を呼び合う仲に戻れないかと考えていた。
だがナオミはこうも思った。
これでも付き合いの長い夫である。
呼んでほしいとお願いしても、素直には聞いてくれないだろう
自分だけが夫を名前で呼ぶというのも、それはそれで乙なものだが、せっかくならば夫にも自分の名前を呼んでもらいたい。
そこで一計を案じたのが、サブリミナル作戦である。
自分の趣味である歌番組の鑑賞に付き合わせ、若者向けのラブソングを聞かせ続ける。
そうすればケンジが若い頃の気持ちを思い出し、機を見てナオミが『お願い』すれば上手くいくはず。
そうナオミはソロバンをはじいた。
「ナオミ」
「ケンジさん」
かくして計画は成功し、ケンジは罠にかけられた事に気づかないままナオミの名を呼ぶ。
だがそれは些細なことだろう。
こうして二人だけの世界が出来上がったことが大切なのであって、その過程は問題ではないのだ
こうしてこの日から、二人は名前を呼び合うようになった。
そしてこの出来事をきっかけに、二人の熱愛ぶりに拍車がかかり、やがて近所で有名なおしどり夫婦として名を馳せるのであった
『Sunrise』『昨日と違う私』『そっと包みこんで』
「フハハハハ。
やったぞ!
ついにやったぞ!」
私は布団の上で高笑いしていた。
前々からの悲願である『早起き』を果たしたからである。
『早起きが悲願?』と思われるかもしれないが、私にとって『早起き』というのは奇跡にも近い所業であった。
というのも私はどうしようもなく朝が弱い
アラームを設定しても起きれず、しょっちゅう学校に遅刻している。
そのため授業の一限目にはほとんど出たことがなく、それどころか昼休憩の時間に登校するのも珍しくない。
当然友達との約束の時間に間に合った事は無く、ついには『ヤツとの午前の待ち合わせはNG』と学校中で噂になったほどである。
そんな私を、友人たちは『永久の遅刻魔』と呼び恐れた。
馬鹿な自分は、二つ名を貰って調子に乗っていたのだが、昨日のHRの後に担任に呼び止められたことで事態は一変する。
「お前、このままだと留年な」
死刑宣告に等しい言葉に、さすがの私も危機感を覚え対策を練ることにした
だが普通にアラームをセットしても起きることは出来ない。
だからと言って、他にいい方法もない。
そこで考えたのが、アラームの設定をたくさん設定する事。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。
一分ずつずらして100件設定すれば、どこかで起きることが出来ると踏んだのだ。
そして今日、なんと90個目のアラームで起きることが出来た。
今から走って行けばHRに余裕で間に合う。
素晴らしい。
これならば遅刻せずに登校出来る。
革命である。
革新である。
さようなら、昨日までの私。
こんにちは、昨日と違う私。
これで遅刻魔の汚名も返上だ。
「おっとこうしちゃいられない。
とっとと家を出よう」
早く起きれたとはいえ、時間に余裕があるわけではない。
私は朝食の食パンを口にくわえ、私は家を飛び出す。
「遅刻、遅刻~」
家から出ると、朝特有の気持ちのいい空気が流れていた。
起きた時はいつも日が高く昇っているので、こうして早朝に出るのは久しぶりである。
道を急ぐサラリーマン、集団登校する小学生、自転車で私を追い抜かす同級生。
なにもかもが新鮮で楽しい。
「素敵な朝ね。
もしかしたら運命の出会いがあるかも」
私は年相応に、まだ見ぬ運命の相手を妄想した。
それがいけなかった。
曲がり角に差し掛かろうとした時、角から人が出てきたのだ。
妄想に夢中だった私はとっさに反応できず、そのままぶつかって転んでしまった。
「イタタ、まさか本当にぶつかるとは……」
注意一瞬怪我一生。
アホなことは考えるものでない。
自分の迂闊さを呪いつつ強打した尻をさすっていると、目の前に手が差し伸べられる。
「ごめん、前を見てなかった。
立てるかい?」
「いいえ、こっちも考え事してて――
えっ」
手を差し伸べてくれた相手はなんと、ストライクゾーンど真ん中のイケメンであった。
金髪碧眼の日本人離れした風貌で、高貴な雰囲気を纏いまるで異国の王子様。
ゲームや漫画にしか出てこないような美貌は、私の芽を釘付けにする。
彼の金髪は朝日に照らされて輝き、まるで――
「Sunrise」
「え?」
「いえ、何でもないです」
あまりの美貌に思わず心の声が出てしまった。
迂闊な妄想はケガの元と分かっているのに、なぜ口に出してしまうのか?
要反省である
それにしても、相手が日本人ではないからと言って、まさか英語で感想が出て来るとは……
私、だいぶテンパってる。
「それで、大丈夫?」
「はい、大丈夫で――痛っ!」
「足をひねってるみたいだね」
「うう、これじゃ留年しちゃう……」
なんてことだろう……
遅刻しないために早く家を出たのに、これではもう間に合わない
「ごめんね。
僕の不注意であ悪いことしたね
なら!」
「えっ」
王子様に抱き上げられて、お姫様抱っこされる。
心の準備が出来ていない私は、ただ口をパクパクさせるだけで何も言えなかった
「ごめんね、急にこんなことして」
「……いえ……」
「強引だと分かっている。
でも怪我をさせた責任を取らせてくれ!」
「責任……」
「ああ、僕が責任をもって、学校に連れて行こうじゃないか!」
なんて素晴らしい人なんでしょう。
前方不注意の自分が悪いのに、責任を取ってくれるとは!
今まで出会った人の中で、一番優しい人だ。
普通の同級生ならばこうはいかない。
ひょっとして向こうも私に運命を感じてくれたのだろうか?
もしそうならば、こんなに素晴らしい事は無い。
これはきっと運命の出会い。
これをきっかけに、私たちの距離は縮まり、最後は一緒になって――
◇
ピピピピピピピピ――
聞きなれたアラームの音が周囲に鳴り響く。
ふと周囲を見渡すと、目に映るのは見慣れた自分の部屋。
なんでこんなところにいるのかと、一人首を傾げる
「あれ王子様は……?」
いつのまにか王子さまはいなくなっていた。
そしてお姫様抱っこされていたのに、今は布団の中。
どういうことだ?
霞がかかったような頭で考えることしばし、衝撃の事実に気づく
「まさか、夢……?」
夢。
王子様もなければお姫様抱っこもない。
あるのは私をそっと包み込んでくれている布団だけ。
すべては私の夢の中の出来事だ。
私はどうしようもない絶望感に襲われる。
私は信じられない思いで、スマホの時計を見る。
時計を見ると、朝のHRの十分前。
起きたと思われた時間より10分後の時刻だった。
自分が設定した100番目のアラームで、尊厳を殴り捨て全力疾走すれば何とか間に合うと言う、最終防衛線の時間だ。
今から走ればまだ間に合う。
だが――
「ま、いっか」
私は寝ることにした。
だってそうでしょう?
学校と王子様。
比べるべくもない。
それに遅刻もあと一回くらいなら遅刻は大丈夫。
先生も『このままだと』って言ってたから。
つまり誤差である。
というわけで――
さよなら、昨日と違う私。
また会ったね、昨日までの私。
今日も一日お願いします。
「おやすみなさい」
私はもう一度王子様に会うために、もう再び夢の中へと旅立つのであった
『まって』『どうしても……』『空に溶ける』
遠くの空に、花火が打ちあがる。
打ち上がった花火は、極彩色の花を夜空に咲かせた。
それを皮切りに、次々と花火が打ち上げられる。
もはや夜も遅いというのに、辺りは昼のように明るい。
たくさんの花火が空を彩る風景は、まるで魔法のよう。
夜空に咲く魔法の花に、人々の目は釘付けになり、私も空から目を離すことは出来なかった。
でもシンデレラの様に、魔法はいつかは解けるもの。
数百発の花火が打ちあがり、有終の美を飾る最後の花火が空に溶けた瞬間、辺りには静寂が訪れる。
けれど、それは一瞬のこと。
すぐに観客から盛大な拍手が巻き起こった。
「花火大会はこれにて終了です。
皆様、暗いので足元に気をつけてお帰りください」
アナウンスが終了を知らせ、周囲もゾロゾロと歩き始める。
私たちも迷惑にならないよう、周りの人たちに合わせて歩き出す。
「沙都子、どうだった?
私の地元も捨てたもんじゃないでしょう?」
私は隣を歩く友人に声を掛ける。
「そうね、意外と良かったわ」
沙都子は満足気な笑みを浮かべた。
沙都子は海外暮らしが長い。
花火大会に参加したことが無いと聞いて誘ったのだが、こうして喜んでもらえてなによりだ
「百合子に誘われたときは不安だったけど、来て良かったわ」
「なんで疑うのさ!」
「アナタ、いつも物事を大げさに言うのよ。
自覚ある?」
「……少し」
「直しなさいね」
「……はい」
なんで花火を見ていい気分の時に説教を受けなければいけないのか……
私、悪い事した?
「アナタの普段の行いが悪いのよ」
「心読まないで」
沙都子はたまに私の心の中を読む。
それなりに付き合いが長いので察せられることはあるのだろうが、私は未だに沙都子の考えている事が分からない。
不公平である。
「ところでこの花火大会は、なんで五月にやってるの?
花火にはまだ時期が早いと思うけど」
「さあ?」
「呆れた!
アナタの地元でしょうに」
「地元だからこそ疑問に思わない。
子供の時から五月の花火が普通だったからね」
「そんなものかしらねえ……
まあ、最近暑いし、熱中症がらみかしら……」
沙都子がぶつぶつ言いながら、器用に人ごみを歩く。
前を見ていないのに、人にぶつかる気配がない。
エスパーか?
「ま、いいわ。
花火大会も終わったことだし、それじゃね」
「え?」
大きな交差点に差し掛かった時、沙都子は手を振りながら私と別の方向に向かって歩き始めた。
それを見て、私は慌てて沙都子を引き留める。
「まって、沙都子。
どこ行くの?」
「どこにって変なこと聞くのね。
自分の家よ」
「ええ!?」
「なんでそんなに驚くのよ。
自宅に帰ることが、そんなに変?」
「このまま私の家に泊まるんじゃないの!?」
「え……」
沙都子が驚いたような顔をする。
そして顎に手を当て少し考えた後、私を見た。
「そう言えばそんな話もしていたわね。
すっかり忘れていたわ」
「ひどい!」
てっきり泊まりに来ると思っていたので、本気で驚く
そう言えば沙都子は荷物を持っていない。
浮かれ過ぎて全く気づかなかった。
一生の不覚。
「でも今から帰ると遅くなるよ。
電車だって混むよ」
「家族に迎え来てくるように言ってあるわ」
「それでもかなり遅くなるじゃん。
ウチに来なよ!」
「でも着替えとかないし……」
「大丈夫!
私の貸すから!」
「百合子、さすがに必死過ぎない?」
私の剣幕に押されたのか、沙都子は若干引き気味だ。
乗り気ではないようだ。
でもここで諦めるわけにはいかない。
私には引けない理由があるのだ。
「必死になるような理由、なにかあるのかしら?」
沙都子は私の心の中をのぞくように、私の顔を見る。
誤魔化すことは出来るけど、嘘を言って機嫌を悪くされるのも都合が悪い。
それに、大げさに言うなと説教を受けたばかり。
ここは正直にいこう。
「親に友達来るからって、お小遣い貰ったの。
もう歓迎用のお菓子買ったから、これで沙都子が来なかったら私が食べたかっただけになっちゃう」
「いいじゃない、それでも。
私が泊まったところで、お菓子はあなたが一人占めするでしょう?」
「そんなこと、ない、よ」
沙都子の指摘に、私は言い澱む。
たしかにお菓子を食べるのはいつも私。
沙都子は食べないわけではないのだが、少食であまり食べないのだ。
学校に持って来るお弁当も、びっくりするくらいミニマムサイズ。
なので沙都子が泊まりに来てもお菓子を食べることはなく、結局食べるのは私だけ……
じゃあ問題ないな。
ではなく!
「いや、こういうのは気持ちだから!」
危なかった。
沙都子の言葉に乗せられることろだった。
「お菓子を一人で食べても意味が無いの。
沙都子の側で食べるのが良いの!」
そうだ。
ただ一人でお菓子を食べてもつまらない。
沙都子と一緒だからおいしいのだ!
なので沙都子にはいてもらわないと困るのである。
だが沙都子は手ごわい。
並大抵の手段では意思を変えることは出来ないだろう。
親の迎えもすぐ来るだろうし、手段を選んではいられない。
ならば『アレ』しかあるまい。
効果が強過ぎて封印していたが、そうも言ってられない。
これを喰らえば、さすがの沙都子とて気が変わるだろう。
私は大きく息を吸い、少し前かがみになる。
「どうしても……
だめ……?」
くらえ、必殺『上目遣い』!
どんな人間でも、可愛らしさ全開でお願いすれば心が揺れる。
そこに私の美貌か合わされば、強情な沙都子だって――
「付き合いの長い私にブリッコは効かないわよ」
だめだった。
予想に反し、沙都子の心は少しも動かなかったようだ。
おかしいな。
家族ならこれでイチコロなのに。
沙都子って、ハニートラップには引っ掛からないタイプ?
どちらにせよ、作戦は失敗だ。
次なる手を打たないと。
私が次の作戦を考えていると、沙都子が急にハッとした顔になった
「分かったわ、百合子。
アナタの考えている事が……」
沙都子は私の肩に手を置く
「分かったって、何が?」
「察せなくて悪かったわ」
「察するも何も、理由は全部言ったが?」
「要するにアナタ――」
「聞いちゃいない」
沙都子は私の言葉を無視し、見たこともないくらい優しい顔で微笑みかける
「夜のトイレが怖いのね」
「違う!」
いきなり何言うんだコイツ。
「暗いのは怖いものね。
一緒に付いて行ってあげる」
「一人で行けるもん!」
沙都子言葉に、つい大声を上げる。
なんでこの年齢にもなって、夜のトイレの心配をされなきゃならんのだ。
高校生の会話じゃない
「あら、一人で大丈夫なのね。
じゃあ、私はいなくても大丈夫ね?」
「しまった」
反論してしまったばかりに、泊まらなくてもいい理由を与えてしまった。
もし肯定していれば、沙都子は今頃……
いや、さすがに無理だな。
私にもプライトがある。
トイレにも行けん高校生とは思われたくない。
「あ、ママの車だわ」
一人で悶々していると、沙都子の親の車が来た
沙都子はわき目もふらず、車に近づく。
もう時間切れ。
今回は沙都子のお泊りは諦めたほうがいいようだ。
心残りはあるけれど、ちゃんと確認しなかった私も悪い。
なに、次の機会がある。
その時は、ウザがられるくらい確認すればいい――
「お待たせ」
とか思っていたら沙都子が戻って来た。
親が乗って来たらしき車は、そのままUターン。
どこかへ行ってしまう。
「あれ、沙都子。
帰るんじゃないの?」
「まさかさっきの話本気にしたの?」
沙都子はイタズラが成功したような笑みを浮かべる
「私が約束を忘れるわけないでしょう」
と、さっきまで持っていなかったバッグを、私の前に持ち上げる
「花火を見る時まで持っていたら邪魔でしょう?
着替えは後から持ってきてもらうように、お願いしていたの」
「ええ!?」
自分が沙都子に遊ばれている事にようやく気付く。
何度目か分からないイタズラの成功に、沙都子の顔は満面の笑みだ。
「さ、行きましょう。
この辺りの道は分からないから案内よろしくね」
「……うん」
もし願いが叶うのなら、沙都子の心を読めるようになりたい。
そうすれば、こんな邪悪な企みなんて二度とひっかからないのに……
「無理だよ」
「だから心読まないで!」
次こそ絶対に騙されない。
私は決意を新たにして、ニヤニヤする沙都子を家へと案内するのであった