彼の顔を見た瞬間、右手に持った買い物袋を取り落としそうになった。
会いたくて、でも会えなくて、ずっと探していた彼。
二度と会えないと思っていたのに、こんな所で再会するとは思わなかった。
あの日、彼は私に別れを一方的に告げ、引き留める間もなく部屋を出ていった。
過ごした時間は少ないけれど、私の大事な物を盗んでいった彼。
あの特別な夜を忘れることが出来ず、少ない手掛かりを頼りにずっと彼を探していた。
しかし再会するのはドラマチックな場所ではなく、食材の買い出しの時に会うと言うのは、いっそ笑うしかない。
心の準備が出来ていなかっただけに、衝撃度は大きい。
私は胸の高鳴りを押さえるべく、ゆっくりと深呼吸をした。
じっと熱い視線を送っていると、彼がこちらに気づいた。
その顔に驚きの表情が浮かぶ。
どうやら彼にとっても、この再会は思いがけなかったらしい。
私は平静を装って、彼に手を振りながら近づく。
そして、手を伸ばせば届く距離まで近づいたところで。
「……君に会いたくて、探していたわ」
「そうか」
「言いたかった事があるの」
「何かな?」
私は人生で一番の笑顔を浮かべて言い放った。
「死ねぇ!」
私は腕を振り上げ、思い切り殴りかかる。
しかし悲しいかな、喧嘩の作法などろくに知らない私の拳は、あっけなく彼に避けられた。
「いきなり殴りがかるなんて、何考えてやがる
何もしてないだろ?」
眉をひそめて私をたしなめる彼は、本気で心当たりがないと困惑している。
その様子に、どうしょうもなく腹が立って、人目もはばからず叫んだ。
「数週間前、お前は『願いを叶える魔人』として、私の前に現れた!
覚えているか!?」
「よく覚えているよ。
最近呼ばれることが少なくなったからね」
「なら私の家から日記帳を盗んだのも覚えているるわよね!」
忘れもしないあの夜。
私が骨とう品屋で大枚をたいて買った日記帳を、『自分のものだ』と言って、去り際に持ち帰ったのだ。
願いを叶えた対価のつもりらしいが、私は了承してない。
「あー、それは悪かったと思ってる。
他人に日記を読まれたくない一心で焦ってな……
反省してる」
「反省が何になる?
殴らせろ、そして海の底に沈めてやる」
「物騒だなあ。
願いを叶えてやったろ?
チャラにしてくれよ」
「あの粗品でもらえるボールペンと、本気で釣り合うと思ってるのか?」
目の前にいる魔神は、『日記の魔人』である。
買ってきた日記帳から出てきて、『日記に関する願い』を叶えてくれると言った。
すったもんだの末に、彼が置いていったのはあのボールペンなのだが、高価な日記帳と釣り合うはずがない。
私が抗議の意を込めて睨んでいると、魔神は「やれやれ」と首を振った。
「日記帳は返せない」
「ああ!?」
「その代わり、こういうのはどうだ?」
そう言って、魔神は私の右手を指差した。
訝しみながら差した方を見て、私は衝撃で身体を震わせた。
そこにあるのは占い館。
しかもテレビで話題沸騰中の『予約の取れない占い館』だった。
「それ、俺がやってるんだ」
平然と言い放つ魔人。
信じられない思いで魔人の顔を見るが、嘘を言っている様子はない。
私は衝撃の事実に、何も言えないでいた。
「占ってやるよ。
予約なし、料金なし、運命の相手を占う特別コースだ」
「か、からかっても無駄よ!
アナタは日記に関することしか出来ないんでしょ」
「まあ、そうだな。
俺が出来るのは……
交換日記を通じて恋人を作ってやることくらいかな」
(それ、ちょっといいな)
一瞬だけそう思ってしまった。
そんな私の迷いを見透かしてか、魔人は不敵に笑う。
「一名様ごあんなーい」
「待って、私はまだ……」
「じゃあ、さっそく恋人の好みでも聞こうかな」
「ちょっと!」
こうして占いの館に連れ込まれ、恋人の条件を根掘り葉掘り聞き出される羽目になった。
「くっそー、あんな恥ずかしい事まで言わされるなんて……
絶対に許さないわ」
私は顔が熱くなるのを自覚しながら、またしても魔人に復讐を誓うのであった。
128.『美しい』『木枯らし』『閉ざされた日記』
近所の骨とう品屋で日記帳を買った。
その気品ある装丁は、少しも古さを感じられず、まるで新品のように美しい。
この日記帳に書き込めば、木枯らしが吹くような味気ない私の毎日も、きっと素晴らしいものになるように思えた。
「この日記帳なら、三日坊主の私も日記を書き続けれるはず」
私はその場で購入を決めた。
だが一つだけ誤算があった。
それはこれが骨とう品であるという事。
つまり、既に使用済みの物であり、新たに書き込むことは出来ないという事だ。
せっかくやる気になったのに、とんだ肩透かしだ。
「まあ、インテリアぐらいには使えるか」
そう思って、少しでも見栄えを良くしようと、汚れを柔らかな布で拭いていた時だった。
――――ドロロローン。
突然日記帳から煙が噴き出す。
驚いた私は、思わず本を放り出してしまう。
呆然とその様子を見つめていると、煙が晴れた先には見知らぬ人影があった。
「どうも、初めまして。
私、ランプの魔神ならぬ、日記帳の魔神です」
「日記帳の魔神!?」
私は思わず叫ぶ。
何が起こっているか分からないが、○○の魔神と言えば相場は決まっている。
私は興奮を抑えきれず、魔神に尋ねた。
「願い事を叶えてくれるんですか?」
「もちろん」
「やった!
じゃあ、じゃあですね――」
「ただし!」
魔神は私の言葉を遮った。
「願い事は一つだけ。
日記に関するものに限ります」
「ケチ」
「文句を言わないでください。
一つでも叶うだけ、運がいいんですよ」
「ま、そんなうまい話はないか」
私はそれ以上追求せず、考え事をする。
いったい何を願うべきか。
私は腕を組んで考える。
「純金のペンをください」
「ダメです。
日記を書くことに、純金である必要はありません」
「未来の私が書いた日記が浮かび上がる日記帳をください」
「ダメです。
それやるとタイムパラドックスとか大変なんです」
「じゃあ、考えるだけで自動的に書き込まれる日記帳ください」
「ダメです。
そんな便利なものはありません」
希望するものを悉く否定されてムッとする。
日記帳に関する願い事ばかり提案しているのに、この魔神、一向に首を縦に振らない。
「……じゃあ、何があるんですか?」
「日記を書き込むと登録した相手に届く」
「それメールで良くね?」
「悪いけど、私が叶えられる願いは、たいていテクノロジーの方が優秀」
「役に立たねえ」
私は失望のため息を吐いた。
「まあいいや。
なんか適当に書き味のいいボールペン下さい」
「はいよ」
「胸ポケットから出て来た……」
「それお勧め。
書き心地いいよ」
「これ、商店街で配ってるボールペンじゃん……」
商店街の名前がでかでかと入っている、ダサいボールペン。
見た目に反し、書き心地はいいので、地元民は文句を言いながらも愛用している。
たしかに魔神がおすすめするのも無理はないほとの逸品。
けれど、
「でもたくさん持っているんだよね……」
確かにいいボールペンだけど、何かにつけて配るので、腐るほど持っている。
なんだか損をした気分だ。
「いいものなんだけどなぁ……」
釈然としない思いでボールペンを見つめていると、魔神が玄関の方に向かって歩きだす。
「願いを叶えたので私は帰ります」
「帰りは歩きなのか……
って、ちょっと待って」
私は魔神を呼びとめる。
そして魔神が脇に抱えている『もの』を指さして言った。
「なんで私が買った日記帳を持っているの?」
チッと小さく舌打ちしたかと思うと、魔神はこちらに向き直った。
「単刀直入に言います。
これは私の日記帳です」
「はあ」
「泥棒に盗まれてしまいましてね。
あちこち探していたんですが、こうして見つかりました。
ご協力ありがとうございます」
「待て、あげるとは一言も――」
「失礼!」
魔神がそう叫ぶと、来た時と同じように煙が噴き出した。
驚いてひるんでいると、耳には玄関のドアが開く音。
まんまと逃げられてしまった。
「あのくそ野郎め」
思わず口から悪態が出る。
けっこうなお金を出して買ったものなのに、その対価がタダでもらえるボールペンとは……
全然釣り合わない!
百歩譲って、このボールペンと交換なのはいい。
でも、騙し打ちのような真似をして持っていくのは、誠意がないと罵られても仕方がない。
私は胸の奥に沸き上がる怒りを感じながら、本棚を漁る。
そこにあるのは、魔神に盗まれたものとは別の日記――去年の1月に買って、結局使わなかった未使用品。
私は長らく閉じられた日記を机の上に開き、今日あった出来事を書く。
書くことは、もちろん魔人のことだ。
「あの野郎、絶対に許さないからな」
魔神の人相、体型、鼻につくしやべりかたなど、まらゆる特徴を執念深く書き込んでいく。
自信はないが似顔絵も描いた。
これで奴の憎い顔を忘れることはないだろう。
商店街仕様のボールペンを持っていたということは、この辺りに住んでいる可能性が高い。
商店街に足繁く通えば、いつか必ず尻尾を掴めるはずだ。
「逃さないからな」
魔神を見つけるその日まで。
私はこの『復讐日記』を書き続けることを誓うのであった。
127.『夢を見ていたい』『どうして』『この世界は』
よう、相棒。
新年早々、牢屋にぶち込まれるなんてツイてない奴だな。
正月気分で浮かれて、お巡りにでも喧嘩を吹っ掛けたかい?
おっと怖い顔するなよ。
ただの冗談だ。
短い間だが、同じ牢屋の仲間同士、よろしくやろうぜ。
まずは自己紹介といこう。
オレの名前はモンテ・クリスト。
あらゆる刑務所から脱獄した、正真正銘の脱獄王さ。
……なんだよ、その目は。
ホントだぜ。
今も脱獄計画が進行中さ。
話を続けるぞ。
オレは、これまでに数えきれないほどの刑務所から脱獄した。
この程度の刑務所なんて、食堂で二人前を平らげるより簡単さ。
オレを留めておける監獄なんてどこにもない。
いつだってオレは自由を求めて外の世界へ羽ばたくのさ。
……なに、何度も捕まっているくせに偉そうだって?
おいおい、勘弁してくれよ。
オレくらいにもなれば、警察から逃げ切ることなんて造作もない。
けれど牢屋にいないと『脱獄』できないだろ?
そういうことだ。
どうしてそこまで脱獄にこだわるのか、理由を聞きたそうな顔だな。
そうだな、色々理由はあるが、一言で言えばロマンさ。
お前はこの世界をどう思う?
オレには、この世界はひどく退屈で、閉塞的で、何の自由もない場所に思える。
夢も希望もどこかに置き忘れたような、つまらない世界さ。
だからオレは脱獄する。
不可能を可能にして、世界中に夢を見せてやるのさ。
そうすれば、このつまらない世界も少しは面白くなるってもんだ。
誰だって夢を見ていたいからな。
……そろそろ時間だな。
ああ、さっき脱獄計画が進行中って言っただろ。
実は今、刑務所の建物の補修で工事業者が入っていてな。
その隙をついて脱獄する。
作業服と鍵は、あらかじめ『用意』してある。
あとはこの牢から出るだけってわけさ。
簡単だろ?
話を聞いてくれたお礼に、アンタも連れて行ってやりたいんだが……
生憎と服が一人分しかなくてな。
悪いがオレだけで脱獄させてもらう。
……なんだ、アンタはすぐに出られるのか。
じゃあ無茶な脱獄するよりここで大人しくしていたほうが利口だな。
それにしても本当に警官と喧嘩したとはね、ヒヒヒ。
俺ばっかり喋って悪かった。
短い時間だったが楽しかったぜ。
アンタ、聞き上手で話しやすいんだよ。
牢から出たらその才能を活かすと良いぜ。
じゃあな。
……
…………
………………
やっと出ていきましたか。
まったくあの人にも困ったものですね……
うん?
看守の私が、脱獄を見逃してもいいのかって?
いいんですよ、別に。
あの人、犯罪者じゃありませんし。
ただの業者の人間ですし。
いえ、フリじゃなくて、本物の職人さんです。
ちょうど、あなたがいる牢屋の壁を直しに来てましてね。
仕事が終わったから、自分の鍵で出て行っただけですよ。
あの人、腕はいいんですが、囚人をからかうのが趣味なんです。
あなたみたいに、何も知らない新入りにホラ話を吹き込むんですよ。
まったく、下手な詐欺師よりタチが悪い。
126.『20歳』『寒さが身に沁みて』『ずっとこのまま』
20歳になった。
なにか特別なことが起こると思ったが、特に何も起こらなかった。
別に今日に限った話じゃない。
私の人生で、異国の王子様にプロポーズされたこともなければ、勇者しか抜けない聖剣を抜いて魔王討伐の旅に出かけることもないし、異世界転生して女神様からチートをもらえるとかもなかった……
特に特筆すべきものはない、ありふれた人生。
自分が特別な人間であると本気で思ってたわけじゃないけれど、実際に『何者でもない自分』を突き付けられると、それはそれで悲しいものだ。
私はまだ、心のどこかでロマンスを求めている。
20歳になっても、諦めは悪いままだった。
「そうは言ってもだ」
別に自分の人生に不満があるわけではない。
素晴らしい家族に愛され、良き友人にも出会い、お互いを高め合うライバルと火花を散らした。
大学も希望のところに入れたし、サークルでも友人関係は良好だ。
驚くようなドラマはないけど、これと言って不幸もない。
平穏で、満ち足りた良い人生だった。
「あとは恋人がいれば満点だけど……
ま、そのうちいい人見つかるでしょ」
「子供にはモテるんだけどなー」、そう呟いた時だった。
「それはどうかしら?」
「誰っ!?」
誰もいないはずの部屋から声がする。
声のしたほうを振り向くと、部屋の入り口に見知らぬ女性が立っていた。
「ここは私の部屋よ!
出て行って!」
「あら、寂しいわね。
よく知っているはずよ」
「あなたなんて知らない……
……あれ?」
どこか見覚えがあると思った。
ぼんやりとした顔立ち、やや癖のある髪、そして微妙にダサいTシャツ。
まさか!
「お察しの通り、私はあなた。
5年後の、25歳のあなたよ」
私は開いた口が塞がらなかった。
今日まで平凡な人生を送って来た私に、突如未来の私がやってくるだって!?
ありえない。
目の前の状況を理解できず、ただ呆然とするしかなかった。
だが25歳の私は、返事も待たず話を続けた。
「警告しに来たの。
あなたはこのままだと、何も変わらない。
ずっとこのまま、特に変わり映えのない人生を送ることになるわ」
「そんなことっ!」
「そして恋人は出来ない」
「えっ……」
私は愕然とする。
私には、他の何が出来なくても、どうしても成し遂げたいことがあった。
それは恋人を作ること。
平凡でなくてもいい。
幸せじゃなくてもいい。
彼氏が、愛が欲しかった。
でも、5年後の私はそれを否定した。
冬の寒さが身に染みても、暖めてくれる恋人がいない。
どれだけ惨めなことか。
絶対に避けたかった未来を突き付けられ、私はその場で泣き崩れた。
「あなたの絶望は分かるわ……
でも大丈夫。
その未来を回避する方法がある」
「合コンよ」
5年後の私は、親指を立てながら言った。
「出会いがないなら作ればいい。
そうでしょ?」
「合コン……?」
「なんで私が、19歳じゃなくて、20歳の所に来たか分かる?
それはお酒が飲めるようになるからよ。
お酒が飲めるなら合コンに行き放題。
そうでしょ?」
「でも勇気が……」
「確かに私には勇気が無かった。
おかげでずっと独り身……
私みたいに寂しい思いをする必要はないわ。
勇気を出しなさい!」
「そうね。
やってみるよ!」
暗い未来を照らすべく、私が合コンを決意した時だった。
「それはどうかしら?」
「「誰っ!?」」
私と25歳の私は、声のしたほうに振り返る。
そこにいたのは、どこか見覚えのある女性だった。
「まずは自己紹介させてもらうわ
私は、そこで泣いている10年後の私。
30歳の私よ!」
「「な、なんだってーー」」
私と私(25)は驚きの声を上げる。
「話は分かっていると思うから、本題に入るわよ。
合コンはダメ。
諦めなさい」
「ふざけないで!
合コンをせずに、どこに出会いが落ちていると言うの!」
私(25)は私(30)に食って掛かる。
しかし私(30)は気にした様子もなく、そのまま話を続けた。
「確かに出会いはあったわ。
けど、ろくでなしばかり……
どれだけ情熱的な言葉を囁いても、男にとって全部遊びみたいなもの。
すぐに飽きるの。
合コンなんてするだけ無駄よ」
「そんな……」
私(30)の言葉を聞いて、私(25)ががっくりと膝をついた。
「じゃあ、どうすれば……」
「マッチングアプリよ」
私(30)は断言した。
「アプリには本気の人間だけが集まって来る。
遊びの人間なんていない。
どうせ恋人を作るなら、結婚前提で探すべきよ」
「なるほど」
どうやら私(30)の言っていることは正しそうだ。
すぐに行動を起こすべく、私がスマホのロックを外した時だった。
「それはどうかしら?」
「「「誰っ!?」」」
またしても声がした。
私と私(25)と私(30)が振り返ると、やはり見覚えのある女性がいた。
「前置きは無しよ。
私は31歳、よろしくね」
「そこは35歳じゃないんだ……」
思わず突っ込む。
「で、何しに来たの?
マッチングアプリも無駄とか言わないよね?」
私(30)が食って掛かる。
「無駄よ」
予想通りと言うべきか、私(31)は私(30)の言葉を否定した。
「言ってくれるわね。
じゃあ、どうしろって言うの!」
「いいえ、何もする必要はないわ」
「諦めろってこと?」
私(31)は首を横に振り、ゆっくりと左手を上げた。
綺麗な指輪をはめた、左手の薬指を見せつけるように。
「私、この度結婚しました!」
「「「えーーーーー」」」
まさかの展開に、私たちは言葉を失う。
「「「相手は誰?」」」
「親戚に、ショウタくんっていたでしょ」
「12歳年下の子だよね
だから今は8歳にだったかな。
それが?」
「あの子がずっと私の事好きだったんだって。
あの子が私にプロポーズしてくれたの。
もう、嬉しくて嬉しくて」
私(31)が頬を赤らめながら恋する乙女のように身をくねらせる。
およそ31歳のする仕草ではなく、正直直視するのが辛かった。
「おめでとう」
私(30)が祝いの言葉を述べる。
「おめでとう」
私(25)も祝いの言葉を述べる。
「お、おめでとう」
そして、私も空気を読んで祝いの言葉を述べる。
『一回りも年下だぞ』と思ったが、言える雰囲気ではなかったので、そのまま黙っている事にした。
多分、二人には私のあずかり知らぬ事情があるのだろう。
年の離れた恋人でも構わない事情が……
「言いたかったのはそれだけ。
じゃあね」
そう言って私(31)は去っていった。
「満足したから、私も帰るね」
「同じく」
そう言って、私(25)と私(30)も去っていった。
残されたのはただ一人。
20歳の私だけ。
「いったい何だったんだ」
合コンやアプリ登録の決意までしたのに、なんだったのか……
騒ぐだけ騒いで、勝手に帰っていく未来の自分たち。
あれが同じ『私』だとは思いたくなかった。
歳を取るということについて、5分くらい考えた後、私は一つの決断をした。
「とりあえず…… ショウタくんに悪い虫がつかないよう、今の内から可愛がるか」
125.『雪』『色とりどり』『三日月』
これはきっと運命の出会いだ。
寂しそうに鳴いている子犬を見て、私はそう思った。
その可愛らしさに心を奪われて、目が離せない。
気がつけば駆け寄って、私は子犬を抱きかかえていた。
「私、サラっていうの」
私は抱き上げた子犬に、優しく語り掛ける。
子犬は最初驚いた様子で縮こまっていたけど、逃げる素振りを見せなかった。
それどころか、そのまま大人しく身をゆだね、甘えるように鼻を鳴らしてくる。
その愛くるしい様子に、私は決意した。
「私の家族にしてあげる」
これはやっぱり運命なのだ。
そうでなければ、会ったばかりの相手とこんなに心を通わせられるはずがない。
込み上げてくる幸せに、顔がにやけるのを我慢できなかった。
「あ、名前を付けないとね。
うーん、ユキはどうかな?
雪のように白いからユキ」
「どう?」と聞くと、ユキは嬉しそうに吠えた。
「決まりだね」
私は嬉しさのあまり、その場でスキップした。
あとはお母さんに相談するだけだ。
突然でびっくりするだろうけど、ダメとは言わないはずだ。
前から『犬を飼いたい』って言ってたから、きっと喜んで――
「ダメです」
目の前が真っ暗になった。
お母さんは、見たこともないような怖い顔をして私たちを睨む。
私は泣きそうになったけど、涙をこらえて叫んだ。
「犬、飼いたいって言ってたじゃん」
「確かに言いました。
でも、それとこれとは別です」
「私が絶対面倒みるから!」
「それでもダメです」
「しつけもするから!」
「サラ、いい加減にしなさい」
「嘘つき! 意地悪!」
「嘘つきでも意地悪でもありません。
その子は絶対に飼いません」
「ケチ!
なんでダメなの!!」
「何を言っているの!?
あなたはそんな事も分からないのかしら!」
お母さんは怖い顔のまま、ユキを睨みつけるように言った。
「その子、犬は犬でも地獄の番犬ケルベロスじゃないの!」
私はお母さんの言葉にハッとしてユキに振り返る。
そして心配そうに私を見つめるユキと目が合った。
ユキの、不安げな六つの瞳と…… って、ええ!?
「頭が三つある!
ケルベロスだ!」
「今頃気づいたんかい!」
「いいじゃん別に!
頭が三つあってもいい子だよ。
三倍頭がいいよ、飼おうよ」
「悪いけどケルベロスの育て方なんて分かりません」
「えーーー」
「というか、どこで拾ってきたの?
ケルベロスって、地獄に住む犬でしょ」
「この世界こそが地獄だよ」
「……育て方間違えたかな」
お母さんが辛そうに頭を抱えた。
頭が痛いのだろうか?
さっきから叫び通しだったから、多分そうだ。
「あと、ずっと聞きたかったんだけど、なんで名前がユキ?
この子、炭みたいに黒いじゃない?」
「凄いの!
ユキの歯、とっても白いの!」
「犬の歯はたいてい白いわ」
「マジで!?」
それは知らなかった。
「とにかく!
その子は絶対に飼いません!
だから拾った場所に戻して…… 戻して、いいのか……?
じゃあ、保健所…… でも、引き取ってくれるのかしら?
地獄まで連れて行くわけにも行かないし、行けても娘に地獄に落ちろとも言えないし……
うーん……」
お母さんがぶつぶつ言い始めた。
何か悩んでいるみたいだけど、ユキを飼うことを許してくれそうにない事だけは分かった。
そんなに嫌がるなんて、お母さんはユキのことが嫌いなのだろうか?
こうなったら説得を諦めて、ユキと一緒に家出をしようかな。
そんな事を思っていると、突然玄関チャイムが鳴る。
「失礼します」
返事も待たずに男の人が入って来た。
「ちょっと、勝手に入ってこないでください」
「いいじゃないですか。
それよりもいいお話があるんですけど」
「今、娘と大事な話をしているんです。
帰って下さい」
「私の方も大事な話でしてね。
お金を簡単に稼げる、いい情報があるんですよ。
ほら、この色とりどりの石をあなたに安く売りますので、他の方に高く売りつければ――」
「犯罪ですよね」
「いえ、ビジネスです」
お母さんが何度帰って欲しいと伝えても、男の人はしつこく話を続けていた。
話の内容は半分も分からなかったけど、男の人が悪い人だと言うのは分かった。
なぜなら男の人は頬に三日月の傷跡があって、まるでテレビに出てくるヤクザのようだったからだ。
「ユキ、どうしよう。
悪い人だよ、怖いよ……」
私が恐怖のあまり、ユキをギュッと抱きしめる。
ユキは私の方を一瞬見て、すぐに男の方を振り向き唸り声をあげた。
「ユキ、どうしたの?」
今まで見せなかったユキの怒りの形相に、私が驚いて手を離す。
するとユキは弾かれたように男の人に飛び掛かり、猛烈な勢いでかみつき始めた。
「うわ、犬!
犬だけはダメなんだ!」
「助けてくれ」と情けない声をあげながら、男の人は玄関から出て行った。
お母さんはホッとしたようにため息を吐いて、ユキを優しい目で見た。
「助かったわ、ユキ。
ありがとう」
「お母さん、ユキは強くていい子なの。
飼おうよ」
私がユキ有能さをアピールすると、お母さんはもう一度ため息を吐いて、ようやく微笑んだ。
「そうね、ケルベロスなだけあって、番犬には最適だわ。
いいわ、認めます。
その代わり、責任を持ってちゃんと世話するのよ」
「ありがとう、お母さん!」
私は万歳して喜ぶと、ユキも嬉しくなったのか、三つの頭が遠吠えをし始めた。
そうして私たちが喜んでいると、お母さんが「そういえば」と手を叩いて言った。
「ところでケルベロスは何を食べるの?」
「分かんない。
生肉とか、人間の魂とかかな?」
「……やっぱり今の話、なしにしてもいいかしら?」