俺の名前はシューゴ。
セツナという女の守護霊をしている。
とは言っても、好き好んでやってるわけじゃない。
俺は生前悪事を働いていて、それが原因で閻魔に地獄行きの判決を下された。
地獄が嫌だと懇願したところ、条件付きで天国行きを約束してくれた。
その条件とは『セツナという女性の守護霊となり、彼女に天寿を全うさせること』。
正直、楽勝だと思ったね。
戦時中ならいざ知らず、今は平和な令和の時代。
交通事故にさえ気をつければ、簡単に任務を遂行できる。
そう高を括っていたのだが……
「よーし、不老不死の秘薬の完成だ!」
予想しなかった方向で、天寿を全う出来ない可能性が出てきた。
――セツナは科学者だった。
それも、『超』が5つ付くほどの天才だ。
世間からはあまり評価されていないのが不思議なほど才能豊かで、凄まじい発明を次々としてきた。
そんなセツナが『不老不死の薬が出来た』と言えば、疑いの余地はなかった……
だからこそ問題だ。
本当に不死になられると、俺が天国にいけなくなってしまう。
条件はあくまで『天寿を全うする』、つまり『死ぬ』だからだ……
まさかとあの閻魔、これを知ってて俺に押し付けたのか……?
このままでは天国どころか、地獄にすら行けない……
俺の幸せのために、思い直してもらう必要があった。
けれど、どうしたらいいのだろう……
捨ててしまうのが手っ取り早いが、俺は守護霊、露骨に邪魔することは出来ない。
かといって説得も、セツナの偏屈な性格を考えると至難の業だ。
「八方塞がりだ」
諦めの言葉と共にため息を吐くと、セツナは驚いたような顔でこちらを見た。
「なんだ、助手のシューゴじゃないか。
いつの間に来たんだ」
「いましたよ。
ずっと隣で見ていたじゃないですか」
驚くべきことに、こいつは幽霊の俺が見える。
何でも有名な霊媒師の家系に生まれたが、科学者の道を捨てきれず家を飛びだしたと言っていた。
……悪霊を祓える霊媒師と死なない科学者、どっちがマシか、悩むところである。
それはともかく、初日から助手として扱き使われ、平穏な日常とは程遠い生活を送っている。
「もっと存在感だせ!
幽霊みたいに影が薄いんだから、すぐ見失うんだよ」
ちなみに、この博士は俺が幽霊だと信じていない。
非科学的だからだそうだ。
霊媒師の家系なのに……
「それでどうしたんだ、シューゴよ。
いつになく暗いじゃないか?」
セツナは、俺の顔を覗きこむ。
妙なところで勘が鋭い奴だ。
「その不老不死の薬のことです。
それ、使わずに破棄しませんか?」
「なぜだ?
不老不死は人類の夢。
それを『捨てろ』と言うからには、大層な理由があるのだろうな……」
セツナが、鬼気迫る顔で俺を睨みつける。
その迫力に思わずたじろいでしまうが、俺も天国行きが掛かってる。
気を取り直して、セツナと向き直った。
「大層な理由と言うほどではありませんが、不老不死になっても不幸になるだけではありませんか?」
俺はそれっぽい理由をでっちあげた。
本当のことを言っても、幽霊とか死後の世界とか信じないセツナには効果が無いと思ったからだ。
「よく小説やドラマで不老不死の人が出てきますよね。
ですが、不老不死のキャラは、決まって孤独でしょう。
俺は、博士にそうなって欲しくないんです」
「……なるほど、私を慮っての進言は素直に受け止めておこう。
だが、シューゴ、それはフィクションだ。
現実と虚構を一緒にするんじゃない」
正論を言われた。
普段はマッドサイエンティストなのに、どうしてこういう所は常識人なんだ!
俺が心の中で憤っていると、今度はセツナが大きなため息を吐いた。
「第一これは私が飲むやつじゃないぞ。」
「それはどういう……」
「シューゴ、お前が飲むんだ」
意図が分からず、セツナを見返す。
セツナは俺の目線を受け、ニヤリと笑った。
「不老不死とは言ったが、この薬の本質は生命力の超強化にある。
生命力を漲らせれば、老い病も寄せ付けないだろう、という理屈さ」
「なるほど、どんな原理なのか疑問でしたが、そういうことだったのですね……」
俺は一度頷き、それから首をかしげる。
「ですが、なおさら意味が分かりませんね。
なぜそれが、俺が飲む理由になるんですか?」
「それはな、シューゴ。
さっきも言ったが、お前生気がなさすぎるんだよ」
「へ?」
「いつも不健康な顔をして、心配していたんだ。
これ飲んでもっと元気になれ」
セツナの思いがけない言葉に、俺の思考が停止する。
「……博士は、俺の事をただの実験道具としか見てないと思ってました」
「実験道具だ。
だが、私は道具の手入れは怠らない。
この薬は試作品だから不老不死にはなれないだろうが、身体能力は向上するはずだぞ。
そうなれば、もっと扱き使ってやるよ」
辛らつな言葉を投げかけるセツナだが、その頬は耳まで赤い。
実験への高揚か、それとも照れ隠しか。
でも、どちらでも構わない。
生前は俺のことなんて、誰も気にかけてくれはしなかった。
理由はどうあれ、誰かに『心配された』という事実が、泣きそうなほど嬉しかった。
もし死ぬ前にセツナと出逢っていたら、俺の人生は違ったのだろうか……
俺は、死んでから――いや生まれて初めて受ける『愛』の暖かさに、心から感動していた。
「博士」
「なんだ?」
「お気遣い、ありがとうございます。
その薬、謹んで飲ませていただきます」
「うむ。
データを取るから、逐一報告するように。
では薬を受け取れ」
「はい」
背筋を正し、不老不死の薬を受け取ろうとした、まさにその時だった。
「「うわあ」」
突然机の影から黒光りしたGが飛び出してきた。
反射的だった。
俺は手に持っていたもので、迷わずGを叩き潰す。
G退治は俺の役目だからだ。
だが……
「薬が!」
俺は持っていたのは丸めた新聞紙などではなく、受け取ったばかりの不老不死の薬だった。
フラスコが砕け、つぶれたGに薬液が降りかかる。
その様子を見たセツナは、今まで聞いたことが無いくらい慌てた様子で叫んだ。
「シューゴ、すぐに薬品を拭きとるんだ!
あれは人間用だから、Gにかかると何が起きるか――」
だがセツナの言葉は最後まで続かなかった。
突如猛烈な煙が噴き上げたからだ。
慌てて庇うようにセツナの前に立つ。
そして煙が晴れた場所に現れたのは……
「じょうじ……」
巨大な人型のG――テ〇フォーマーだった……
「馬鹿な……」
生命力溢れるGと、それを増大させる薬。
2つの相乗作用により、新しい生命が誕生したのだ。
セツナと一緒にいて、様々な経験をしたが、コイツはとびっきりの大事件だった。
「おい、シューゴ」
「何ですか、博士?
今それどころじゃ……」
「あれ欲しい」
思わず振り返る。
俺の視線の先には、まるでお気に入りのオモチャを見つけた時の子供のように、らんらんと輝くセツナの笑顔があった。
「解剖して学会に発表する。
本当に『じょうじ』って鳴いてる。
体の組織はどうなっているんだろう。
ゴキジェットは効くのかな?
あの巨体で飛べるのか?
ああ、もっと知りたい!」
恋する乙女の様に、頬を染めるセツナ。
俺は知っている。
こうなった彼女は、もう誰にも止められない……
「と言う訳でシューゴ、捕まえて」
「テ〇フォーマーってメチャクチャ強いんですけど!?」
「大丈夫、シューゴなら負けないさ」
「何を根拠に!」
「こんな事もあろうかと、シューゴが寝ている間に改造したのさ!」
「初耳!」
「ほらこっち来るよ!
迎撃して!」
「くそがあああ!」
騒がしくも、満ち足りた日々。
天国行きはまだまだ遠いけれど、この場所も悪くない。
そんな事を思う、今日この頃であった。
ちなみにテ〇フォーマーは、俺に腕から放出された内装型ゴキジェットによって退治された。
……俺、五体満足で天国に行けるかな?
144.『お金より大事なもの』『過ぎ去った日々』『愛と平和』
「世界一大事な物?
やっぱ金でしよ!」
言い切って、すぐに『しまった』と後悔する。
何気ない雑談で、口をついて出てしまった言葉。
けれど過ぎ去った日々が戻らないように、言ってしまった言葉はもう取り消せない。
私の言葉を聞いた人々は、空いた口が塞がらなないとばかりに、私を見つめていた。
どうしてこうなった。
選ばれたセレブだけが集まるパーティで、カクテルをくゆらすだけの簡単なお仕事だったのに、まさかこんな下品な発言をしてしまうなんて……
他に人が『家族』や『平和』と言っている中、私だけが『金』と答える。
その場にいた全員は、非難めいた目線で私を見る。
なんとか取り繕う必要があると思ったが、何も頭に思い浮かばない。
どうしよう……
あわあわと慌てていると、見かねたのか初老の男性が一歩前に出た。
「『お金が大事』、良いではありませんか。
お金があれば、たいていの事は出来ますからな。
ミズキさんは苦労されていますから、なおさらそう思うのでしょう」
こんな小娘の発言なんて一笑に付せばいいのに、穏やかな笑顔で私をフォローするご老人。
これこそ徳というものなのだろう。
打算なく助けてくれる人には、感謝しかない。
心の中で、私はおじいちゃんに礼を言った。
けれど、それに納得いかない者がいた。
男性の孫で、10代前半少年が、険しい顔で一歩前に出た。
「お爺様、甘やかし過ぎです。
この世界には、お金より大切なものがたくさんあります。
コイツの場合、ただの守銭奴ですよ」
そう言って、キッと睨みつける彼。
親の仇を見るような鋭い目線に、私は居たたまれない気持ちになった。
とはいえ、少年の気持ちもよくわかる。
いくら本音とはいえ、パーティで『お金が一番』とか言い出す奴は、おかしい奴扱いされても仕方がない。
こういう時は『愛と平和』と言うのが定番だし、私もそう言いたかった。
けれど、少しばかり私の口が軽かったばかりに、悲劇が起こってしまった。
「彼女はこの場にふさわしくありません。
パーティーから追い出すべきです!」
よほど私のことが気に入らないらしい。
鼻息を荒くしながら、自らの祖父に進言する。
『同意が得られなければ力づくでも追い出す』。
彼の顔には、そう書かれていた。
けれど、ここまで言われれば、私も黙っていられない。
確かに全ての責任は私にある。
でも、そこまで言うことは無いじゃないか!
誰しも失敗はある。
それを許せるかどうかが人の器を決めると思っている。
この少年は若いがゆえに、悪は全て撲滅せねばならぬと考えているに違いない。
でも、それだけでは社会は成り立たない。
私が、少しばかり教えてあげようではないか。
「あら、お金に執着することは、そんなに悪いのかしら?」
「何だって!?」
少年は険しい表情のまま、こちらに振り向いた。
怒りに満ちた顔をしているが、いかんせん若いので、怖いより可愛いが先に来る。
この顔を歪ませることができると思っと……
げへへ、少し興奮する。
「お金が無ければ何もできません。
お金があってこそ、我々の裕福な生活が保障されているのです。
それが分からないのですか?」
「確かに、裕福な生活にはお金が必要だ。
でもそれが全てではありません。
愛と平和、それが無ければお金は無価値だ!」
何という青臭い
豪華な食事、綺麗な服、たくさんの使用人。
どれもがタダなどではなく、お金を支払う必要があります」
「そんな事分かつて……」
「いえ、分かっていません」
「あなたが着ている服だってそうよ。
お金を出して買っているものなの!
どこからか湧いて出てきたものではないわ」
少年はたじろぐ。
「あなたは若いから分からないでしょうが、」
「カッーーーーーート。
撮影は中止、みんな休憩してね。
……瑞希ちゃん以外は」
🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️🎬️
「瑞希ちゃ〜ん、なんで正座されられているか分かる?」
「美しすぎることが罪だから、かな?」
「そんなわけないでしょ!
なによ、『』
本当のことでも、言ってダメなことあるよね、」
「あと、孫役の子。
最後の方、少し泣いてたからね。
後で謝りなさいよ。
――って気持ち悪いわね。
何よ、ニヤニヤしてさ」
「ふふふ、実はあの子、私の好みでして。
言葉攻めして、ちょっと興奮したね」
あんた……
ドン引きしていた
「お金より大切無ものないかもしれないけどさ。
品性はお金じゃ買えないのよ」
143.『たまには』『絆』『月夜』
月が綺麗な夜だった。
月光は周囲を明るく照らし、森の木々を幻想的に浮かび上がらせている
ここが危険な魔物の生息地であることを忘れそうになるほど、素晴らしい光景だった。
冒険者として色々な場所を巡ったが、こんなに美しい月夜は見たことがない。
自分が井戸の中の蛙であることを痛感すると同時に、胸の昂ぶりを自覚する。
この世界には、まだまだ俺の知らない景色があるのだ。
けれど喜ぶのは後だ。
魔物というのは、基本的には夜に活発に活動するもの。
人間は夜目が効かないので、夜間の戦闘はいつも命懸けだ。
満月の日はより狂暴になるので、特に警戒が必要だ。
なのに、この静けさはなんだろう?
かなりの距離を歩いているのに、ゴブリン一匹すら遭遇しない。
それに、そろそろ街に着くはずなのに、まるで人の気配がしない。
こんなことは、冒険者人生で初めての経験だった。
これは悪い出来事の前触れではないのか?
それとも、他に強力な魔物がいて、それに怯えているのだろうか?
何も分からない。
ただ一つ分かっているのは、俺たちに殺気を向けてくる存在がいること。
今の状況と関係あるのかは分からないが、油断すれば間違いなく不意を突いて来るだろう。
そうならないためにも、一層の警戒が必要だった。
「バン様、どう思いますか?」
考え事をしていると、俺の隣を歩く女性――妻のクレアが、声をかけてきた。
クレアは冒険者としての経験は浅いが、この異常な静寂には気が付いたらしい。
その表情は、見たことがない程険しいものだった。
「そうだな、ここまで静かなのは妙だ。
原因は分からないが、油断はできないな」
「私も同意見です。
警戒を緩めるわけにはいきませんね」
そう言って、クレアの顔がさらに険しくなる。
「私は怖いです。
恐ろしいことの前触れのようで……」
「気持ちはわかるが怖がり過ぎも良くない。
適度に怖がり、適度に楽観視する。
それが冒険のコツだ」
「……バン様」
「なんだ」
「手を握ってもいいですか?」
思いがけない提案に、思わずクレアの顔を覗き込む。
「なんですか、その反応は?」
「いや、唐突だな、と……」
「唐突なものですか!」
「いやいや、いくらなんでもそういう雰囲気じゃないだろ」
「私たちは夫婦です。
夫と妻です。
強い絆で結ばれた二人が、手を握り合う。
どこか、おかしなところがありますか?」
「そうだけどさあ」
なんだかクレアの様子がおかしい。
クレアは普段は凛とした頼りがいのある女性なのだが、こうして自分から甘えてくるのは珍しい。
こういう雰囲気もへったくれもない場面では、特に。
真意を測りかねていると、クレアは観念した表情で叫んだ。
「正直に白状します!
私、こういうのが怖いのです」
「『こういうの』?」
「お化けです!」
まさかの弱点だった。
「いないとは分かってます。
でも怖いのです。
頭でわかっても、どうしても落ち着かなくて、どうにかなってしまいそうです!」
「分かった、分かったから」
俺は左手をクレアに差し出す。
「どうぞ、お前が安心するなら安いもんだ」
「あら、そういう時は、殿方から握ってあげるものですよ」
「お前なあ……
まあいいや、たまには俺の方から握ってやるよ」
恩着せがましい言葉を言いつつ、クレアの手を握る。
もちろん照れ隠しだ。
だがクレアの方は照れを隠す余裕はないらしい。
そのまま怖さを誤魔化すように、俺の手を強く握り締めて――
――って、
「痛い痛い痛い」
ものすごい力で手を握られた。
「やめろ、クレア!
強く握りすぎだ!
もっと優しく―― はっ!?」
懇願するようにクレアの顔の方を見て、思わず息をのむ。
クレアの目には恐怖ではなく、怒りが宿っていたからだ。
「待てクレア、正気になれ!」
「正気ですよ、私は!
全て、バン様が悪いんです!」
支離滅裂なことを言い出したクレア。
もしかして恐怖で訳が分からなくなってるのだろうか?
それとも、今起きている異変の影響か?
グルグルと考えを張り巡せて原因を探る。
だが俺の思考は、次のクレアの言葉によって凍り付いた。
「バン様が、道なき道を突き進まなければこんな事には!」
そこで、俺はようやく自分の間違いに気が付いた。
今の状況の、真の原因にも。
「何が『こっちが近道だ、冒険者としてのカンがそう言ってる』ですか!
盛大に迷子になったじゃないですか!」
物凄い迫力で、俺を睨みつけるクレア。
この気迫ならば、たいていの魔物は寄ってこないだろう。
俺が感じた殺気は、クレアから漏れ出たものだったのだ。
そして今、抑えられていた殺気が俺にぶつけられる。
……正直、恐ろしくて漏らしそうだ。
「というか、ここどこですか?
どう歩けば街に着くんですか!?」
「そのことは誠に反省して、その……」
「今頃フカフカのベッドで寝ているはずなのに。
久しぶりにぐっすり眠れると思ったのに!」
「いたた…
あの、そろそろ許してもらえると……」
「天罰!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」
クレアはここぞとばかりに腕をねじ上げる。
かつて経験したことのない痛みに、俺は悲鳴を上げる。
俺はここで死ぬんだ。
本気で覚悟した。
涙で滲んだ視界に映るのは、草陰に隠れているコブリンたち。
この世の終わりを目撃したかのように、震えながら身を寄せ合っている。
そんなコブリンたちを見て、俺は『ごめんよ』と心の中で謝罪する。
まさか、コブリンに謝る日が来ようとは……
薄れゆく意識の中で、俺はそんな事を思うのだった……。
「バン様、私を一人にしないで!
お化けが! お化けが!」
そして、お化けを怖がったクレアが手加減したことにより、今日もなんとか生き残ることができたのだった。
142.『現実逃避』『遠くの街へ』『欲望』
『桜の樹の下に死体が埋まってる』って話、知ってるかい?
桜があれほど妖艶な花を咲かせるには理由がある。
それは、木の下に死体が埋まっていて、その養分を吸い上げているからだ。
――っていう与太話だ。
ああ、そうさ。
これは嘘の話。
元ネタは、昔の小説の書き出しなんだ。
ものすごく衝撃的な冒頭だから、このフレーズだけが独り歩きしているけれど、本当に埋まっているわけじゃない。
そもそも、その小説の中でも死体は存在しないんだ。
けれど、そう思わなければ、桜の美しさを理由がつかない、信じられない。
いつも不安に苛まされた男が、死体が埋まっていると思い込むことで、ようやく桜の良さを認めることが出来た。
そういう話なんだ。
これからするのも、そんな話。
『桜の樹の下に死体が埋まってる』。
そう信じたい男の話さ。
――あれは一年前のこと、ちょうど今ぐらいの時期、桜の綺麗な季節。
ある男が、付き合っていた彼女を殺して埋めた。
きっかけは些細な口喧嘩だった。
それが売り言葉に買い言葉で、どんどん激しくなって、殴り合いの喧嘩になったんだ。
頭に血が上った男は、彼女を突き飛ばしたんだけど、打ち所が悪かったのだろう、血が勢いよく噴き出して、彼女は死んでしまった。
男は焦った。
『このままでは殺人で警察に捕まってしまう』と。
自分勝手な考えだけど、まあ人間なんてそんなもんさ。
予想外のことが起きれば、自分の保身のことしか頭になくなる。
さて、男は自身の身の安全のためにその場から離れたかったが、一つだけ、やらなければならないことがあった。
死体を隠すことだ。
『死体の発見が遅れれば、その分逃げ切りやすくなる』。
そう思った男は、彼女の死体を埋めることにしたんだ。
桜の樹の下に……
合理的な判断があったわけじゃない。
だが、男にとって、そこに隠すのが自然の様に思えた。
『桜の樹の下に死体は埋まっている』。
――ならば、彼女の死体が埋まっていても、たいした問題にはならないだろう。
そう思ったんだ。
きっと現実逃避でおかしくなっていたんだろうな。
その時の男は、それが唯一の正解だと信じて疑わなかった。
彼女を埋めた後、男はすぐに電車に乗った。
目的地も決めず、電車を乗り継いで遠くの街へ。
適当なところで降りて、野宿をしたり空き家で寝泊まりして過ごした。
男はいつも怯えていた。
いつ警察がやってくるか、いつもビクビクしながら背後を気にしていた。
二日と同じ場所に留まらず、各地を転々とした。
その道中には風光明媚な景色も、賑やかな繁華街もあった。
だが、そのどれも男の心に安らぎをもたらすことはなかった……
そして翌年の四月、再び桜の季節がやって来た。
男は未だ警察に見つかっていなかった。
では、一年間警察から逃げ切ったことで、男は平穏を手に入れただろうか……
……いや、男はもう限界だった。
あの日から、人を殺した罪悪感に苛まれ、心身ともに衰弱していった。
そして、満開の桜を見て、ようやく決心した。
『もう、楽になろう』と……
――そうです、お巡りさん。
お判りのことだと思いますが、その男と言うのは俺のことなんです。
彼女を殺したショックで日本各地を逃げ回り、耐えきれなくなって自首しました。
どんな罰も受けます。
嘘はつかず、知っていることは全部話します
……ですからお巡りさん、『俺を迎えに来た』と言う彼女を追い払ってください。
彼女が生きているはずがないのです。
だって、本物は俺が殺して、桜の樹の下に埋めたんですから。
たしかに『あれは夢だった』と思いたい気持ちはあります。
ですが、それは俺の卑怯な願望であり、欲望なんです。
絶対に、俺が彼女を殺しました。
そこに嘘はありません。
彼女を突き飛ばした手の感触、周囲に飛び散った血の匂い、土の冷たさ、血の気の失せた彼女の顔、全て鮮明に覚えてます。
だから彼女が生きているはずがないんです。
あそにいるのは化け物だ。
どうか、あのニセモノを追い払ってください。
信じられないなら、あの桜の樹の下を掘り返してください。
そうすればすべてが分かります。
桜の樹の下に死体が埋まっている。
俺が殺した、彼女の死体が。
そう思わなければ、気が狂ってしまいそうだ。
141.『小さな命』『物憂げな空』『君は今』
建物の外に出ると、空はどんよりと曇っていた。
厚い雲は太陽の光を遮り、今にも降り出しそうな気配がある。
こんな物憂げな空は嫌いだ。
こういう日に限って、碌なことが起きない。
『気にし過ぎだ』と、笑う奴もいるだろう。
たしかに天気と今日の運勢には何の因果関係などない。
だが、長年の探偵としてのカンが、この後惨劇が起こることを告げていた……
そんな暗鬱な気持ちで事務所の扉を開けると、『ああ、やはりな』と思った。
そこにいたのは、事務所で報告書を書いていたはずの助手。
だが彼女はペンではなく、小さな猫を抱いている。
その瞬間、俺の頭脳は高速で動き始めた。
「ダメだ!」
助手の発言を待たずに、俺は叫んだ。
突然の大声に怯んだのか目を逸らしたが、すぐに目線を戻す。
その瞳には、強い決意が宿っていた。
「この子を事務所で飼いましょう」
「ダメだ」
二度目の拒否。
しかし助手は怯まない
「先生、この子を見て何も思わないんですか?
この子、捨てられて悲しそうに泣いていたんですよ」
「ダメだと言っている。
飼いたいなら、お前のアパートで飼えばいい。
それなら俺も文句を言わん」
「残念ながら、私のアパートはペット禁止です」
「さらに残念なお知らせだ。
この事務所もペット禁止。
大家の爺さんが決めたことだ」
俺はこの事務所の主である。
ここでは、俺は王として振舞うことができ、何人たりとも逆らうことは出来ない。
唯一の国民である助手は、それなりの頻度で逆らうが許している。
そんなことで目くじらを立てるほど、俺の器は小さくないのだ。
だが絶対の権力を持つ王も、その上の存在――神たる大家には逆らう事は出来ない。
だから機嫌を損ねないよう、いつも下手に出ている。
奴らの気分一つで、俺の国が滅んでも不思議ではないからだ。
世の中は不条理で満ちている。
だがそんな残酷な事実にも、助手は怖気づいた様子がない。
それどころか、助手はニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「その件なら大丈夫です。
大家さん、説得しましたから」
「はあ、そんなわけねえよ。
あの爺さん、大の動物嫌いだぜ!」
「そうなんですか?
普通に聞いたら許可くれましたよ」
「あのクソジジイが!」
大家は今年で、御年80になるご老人である。
昔はヤンチャをしていたと聞いていたが、歳を取って最近はすっかり若者に甘くなった。
なんでも若い頃稼いだお金で、夢を追う若者たちを支援しているそうだ。
その中でも助手は特に気に入られており、孫の様に可愛がられている。
どんな頑固爺も、可愛い孫のお願いは簡単に聞き入れてしまうのだ。
なお、実は俺も助手と同い年なのだが、可愛がられるどころか会う度に説教される。
世の中は不条理で満ちている。
「許可取ってもダメだ」
「なぜです?」
「理由は二つある。
まず第一に、ハードボイルドに猫は似合わない」
「そうでしょうか?
猫ってクールですし、相性がいいと思いますが……
もう一つの理由は?」
「第二に金がない」
「それが全ての理由ですよね……」
そう言って、助手はがっくりと肩を落とした。
我が探偵事務所は、零細である。
助手に払う給料に困るほど困窮はしていないが、十分な貯えがあるわけではなく、それゆえに猫を飼う余裕はどこにもない。
事務及び経理も担当している助手は、そのことを身を持って痛感していた。
痛いところを突かれたのか、助手は「うー」と唸りながら天を仰ぐ。
「分かりました。
お金を半分出すので、飼う許可を下さい。
さっきも言いましたけど、うちのアパートはペット禁止なのですよ」
「何が分かったんだよ。
こっちが半分金を出す理由は無いだろ……」
「普通に私も苦しいからです。
それに、どうせ先生も可愛がることになりますから」
「ならねえよ。
お前がソシャゲの課金を抑えればいいだけだろうが!」
相変わらず傍若無人の助手を見て、俺は大きくため息をついた。
「まあ、いいだろう。
半分出してやるよ。
拾った猫を捨てさせるのも後味が悪いしな」
「……先生、もしかして本当は猫飼いたかったんですか?」
「なんでそうなる……
福利厚生というやつだよ。
助手にはいつも世話になっているからな」
「素直じゃないんですから」
「……そっちが全額出してもいいんだぞ?」
「はいはい、そう言うことにしておきましょう。
……あ、少し出かけますね」
そう言って、助手は事務所の入り口へと向かう。
「何か用事があるのか?」
「ホームセンターです。
トイレとか買わないといけませんから」
「ああ、それもそうか」
「じゃあね、寅吉。
すぐ帰るから大人しくしておくんだよ」
そして、俺の方をチラッと見て、
「あのおじさんが、ちゃんと仕事してるか見ててね」
「おい、待て!」
だが、最後まで言う前に、助手は出て行ってしまった。
「まったく!
アイツは雇用主に対する敬意と言うものがないのか?」
窓からホームセンターに歩いていく助手を見ながら呟く。
日に日に助手の、俺に対する態度が悪くなっている気がする。
立場を分からせるために、一度給料を下げてやろうか?
俺は小さくなっていく助手の姿を見て、段々と腹が立って――くることはなく、逆に口角が上がってくるのだった。
「どうやら助手は最後まで気づかなかったようだな」
助手の推理通り、俺は本当は猫が飼いたかった。
だがこの事務所は、大家の意向によりペット禁止。
飼うことを諦めていた……
だが、助手と大家が仲良く話している場面を見て、天啓が降りた。
王は神に逆らえない。
神は絶対だからだ。
だが唯一、神が唯一心を動かす存在がいる。
それは巫女だ!
我が探偵事務所には、神が寵愛する巫女――もとい助手がいる。
孫の様に可愛がっている助手からのお願いは、あの頑固爺でも断れないのではないか?
その仮説を証明するために、俺は一計を案じることにした。
まず『迷い猫捜索』の仕事を優先的に取るようにした。
猫との接触を増やせば、自ずと猫が飼いたくなると考えたからだ。
ソースは俺。
そして事務所のあちこちにに、猫モチーフの小物をさりげなく設置した。
サブリミナル効果によって、助手の深層心理に働きかけ、より猫を愛でたい欲を促進させる。
そうすれば、あの堪え性のない助手のことだ。
内から溢れる感情を抑えきれず、どこかで猫を拾ってくるだろうと踏んだ。
そこで、俺が『渋々』許可すれば、事務所で猫も飼えるばかりか、助手に恩を売ることができる。
完璧な作戦だった。
はてして作戦は成功し、猫はここにいる。
世話代も半分になったし、助手に感謝しかない。
欲を言えば名前もつけたかったが、それくらいの対価は安いものだ。
「おっと、こうしてはいられない」
助手が帰ってくる前に、寅吉と親密を深めておこう。
啖呵を切った手前、初日からデレデレな姿を見せては、さすがに怪しまれてしまう。
なので、ほん数分、短い間だけ寅吉と遊ぶことにした。
「おいで、寅吉。
抱っこしてあげよう」
大人しい性格なのか、寅吉はおとなしく抱きかかえられた。
寅吉の大きな瞳が、俺を捉える。
「おおお、かわええ〜〜」
触れればつぶれてしまいそうな、小さな命。
天使のような純粋な姿に、俺の邪念が霧散していく。
やはり猫は良い。
これで、俺の探偵人生も、少し彩り豊かになるだろう。
うっとりした心地で眺めていると、寅吉が唐突に「ニャー」と鳴いた。
「なんだい、寅吉。
君は今、なんて言ったんだい」
俺は、自分でも驚くほど柔和な声で、寅吉に語りかけた。
「え?
『探偵さん、ハードボイルドでカッコいい』?
やだなあ、そんな当たり前の事実を言われても困るよ――」
ガタっと、後ろの方で物音がした。
嫌な予感がした。
恐る恐る振り向くと、涙を流しながら笑いを堪えている助手の姿があった。
「お、お前!
ホームセンターに行ったはずでは!?」
「財布、ひひ、忘れて、ふふふ」
息も絶え絶えにしゃべる助手。
だがついに我慢しきれなかったのか、その場に崩れ落ち腹を抱えて笑い始めた。
「『君』、『君』って、そんなキャラじゃないのに!
あひゃひゃひゃひゃひゃ」
――結局、トイレは俺が買いに行く羽目になった。
助手の笑いが止まらず、使いものにならないからだ。
まともな意思疎通が出来ないので何も言われていないが、今回弱みを握った助手は、俺に対してさらなる舐めた態度をとるだろう。
「はあ、憂鬱だ……」
物憂げな空は嫌いだ。
そういう日に限って、碌なことが起きない。
そして、悲惨な未来を暗示するかのように、天気予報はしばらく曇天が続くと告げていた。