154.『沈む夕日』『これからも、ずっと』『誰よりも、ずっと』
最近、幼馴染である芽衣《めい》の様子がおかしい。
俺たちは赤ちゃんの頃からの付き合いなのに、近頃はまともに目を合わせてくれない。
たまに目が合うこともあるけれど、すぐに顔を真っ赤にして逃げるように距離を取られる。
ここ一週間はまともな会話もなく、ちょっと微妙な空気だ。
知らず知らずのうちに、なにか怒らせるような事をしたのならいい。
そういうことは、数えきれないほど経験した。
付き合いの長さゆえに、喧嘩の数ならギネスを狙える気がする。
けれど今回はどうも様子がおかしい。
いつもなら不満があれば直接言いに来るのに、チラチラとこちらを盗み見るばかりで何も言ってこない。
一日なら『そういう事もある』で済ませられるのだけど、ここの所ずっとだ。
正直なところ、こんなに大人しい芽衣は初めて見る。
LINEで尋ねたこともあるが、芽衣は『そんなことない』『鉄平は悪くない』とはぐらかすばかりで、まったく要領を得ない。
はっきり言って不安で仕方なかった。
こんな事、今まで一度も無かったから。
だからどうしても最悪な想像をしてしまう。
芽衣が俺に言えないこと――たとえば重い病気を患ったりして、それを隠しているんじゃないか、とか。
それを思うと俺は、夜も満足に眠れない……
お前、何か知らないか……?
◇
――という相談を、芽衣との共通の友人である友樹にすると、ヤツは腹を抱えて笑いだした。
「何がおかしい」
腹が立ったので軽く蹴りをいれると、友樹は目に涙を浮かべながら言った。
「おかしいだろうよ、鉄平。
だって『相談がある』って言われて、何かと思って身構えてたらこれだもの。
秘密の話って言うから俺の部屋に呼んだのに、これだったらその辺の喫茶店ですればよかったぜ」
友樹は言い切ってから、さらに笑い出す。
「だいたい、鉄平さんよ。
お前、芽衣ちゃんの様子に今頃気がついたのかい?
そら間抜けにもほどがあるぜ!」
「俺が間抜けなのは否定しない。
誰よりも、ずっと傍にいたのに、全く気付けなかったんだからな。
だが一応真面目な相談なんだ。
笑わないで欲しい」
「ひひひ、それは悪かったよ」
「それでだ。
俺ほどでないにせよ、お前と芽衣の付き合いは長い。
何か聞いてないか?」
俺がそう言うと、友樹は再び笑い始めた。
「もういい。
お前に相談した俺が馬鹿だった」
「まあ、待て。
確かに笑って悪かったよ」
友樹が声を震わせながらも頭を下げてきたので、一応話を聞くことにした。
ふざけてはいるが、相談に乗るつもりはあるらしい。
俺はため息を吐きながら、友樹の顔を見た。
「で、何を知っている?」
「知っているっていうか、見れば分かるというか……
逆にお前、気づかないの?」
「気づいたから相談しているんだ……」
「ははは、鈍感ここに極まれり、だな」
話が噛み合わない。
だが冗談を言っているようにも見えず、俺は困惑する。
『見れば分かる』?
どういうことだ……?
「本当に知っているのか?
誤魔化しているんじゃないのか?」
「知ってるよ。
でも芽衣ちゃんの意思を確認しないで、俺が言っていいものか……」
「御託はいい。
さっさと言え」
「まあ、言わなかったらずっとこのままか。
正直見飽きたしな」
「何を言って――」
「『好き避け』だよ」
友樹の言葉に、俺は言葉を失う。
「分かるか、『好き避け』だ。
芽衣ちゃんはな、お前のことが好き過ぎて、逆に一緒にいられないんだ。
顔も見られないほどに」
「そんなはずはない。
芽衣は俺のことを、ただの幼馴染だと思っている。
恋愛感情なんて無い」
「芽衣ちゃんも可哀想に。
こんな朴念仁を好きになるなんて……」
「馬鹿にしてんのか」
俺がそう言うと、友樹は呆れたように笑った。
失笑というやつだ。
「まあいいや。
それで、お前は芽衣ちゃんのこと、どう思ってる?」
「大切な幼馴染だ」
「違うね。
お前も芽衣ちゃんの事、好きなんだろ」
俺は何も言えなかった。
図星だったからだ。
「お前も芽衣ちゃんも、見てて分かりやすいんだよ。
俺じゃなくてもすぐ分かる。
今どきの言葉で、『両片思い』てヤツだ。
気付いていないは本人ばかりなり、ってな」
「でも、それが芽衣の様子がおかしい理由にはならない」
「まあ、最近の芽衣ちゃんの様子は、特におかしいってのは同感だな。
どうせ、何かの拍子にお姫様だっこしたんだろ。
無自覚にさ」
俺は否定できなかった。
そう言われてみれば、したような気がする。
体調が悪そうにしていたので、抱き上げて運んだのだ。
必死だったのでよく覚えていないが、たしかにそれ以来避けられている気がする。
「もう付き合っちまえよ。
俺の見立てだと、100%成功すると思うぜ」
「……芽衣は、俺なんか好きじゃないさ」
「お前も頑固だな。
でも、今みたいにまともに会話ができない状態は嫌だろ」
「それは、まあ……」
「そんなお前にアドバイスだ。
これを言えば、すべて解決さ」
とニヤニヤし始める友樹。
こいつ、俺の反応を見て楽しんでやがる
本当に性格悪いな。
「沈む夕陽をバックに、『好きだ』と囁けばいい」
「そんなの言えるか!」
「確かに、それが言えたら今困ってないな。
だが、ずっと現状に甘んじるつもりか。
どこかで行動しないと、何も変わらないぞ」
「それは……」
「実は、芽衣ちゃんをこの部屋に呼んでいる。
『鉄平について、大事な話があるから来てほしい』ってな」
「お前!?
さっきからスマホをいじっていたと思えば――」
コンコン。
文句を言おうとした瞬間、玄関からノックが聞こえて思わず振り向く。
「ほら、来たぞ。
男を見せてこい!」
友樹に背中を蹴とばされ、玄関まで転がっていく。
その勢いで、ちょうどドアを開けた芽衣とぶつかりそうになる
「「あ」」
交差する目線。
芽衣は、まさか俺がここにいるとは思わなかったのだろう。
驚きに目を見開き、そして金縛りにあったように固まった。
そして、夕日に照らされたのか、それとも別の理由か。
彼女の頬が、みるみる朱に染まっていく。
『芽衣ちゃんはな、お前のことが好き過ぎて、逆に一緒にいられないんだ』。
友樹のそんな言葉が頭に浮かび、思考が消し飛んでしまう。
どうすればいいか分からなくなった俺は、心に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「えっと、その……
これからも、ずっとよろしく」
俺がそう言うと、芽衣は驚いた表情のまま、消え入るような声で言った。
「……うん。
……こちらも、よろしく」
まともとは言い難いが、一週間ぶりの会話。
だがこれでいい。
きっとこれで、俺たちは今まで通りの関係に戻れるはずだ。
――そんな根拠のない安堵に浸っていると、背後から心底呆れたような声が降って来た。
「ヘタレめ」
153.『それでいい』『星空の下で』『君の目を見つめると』
「綺麗な星空だ。
そう思わないか、芽衣《めい》」
幼馴染の鉄平が、暗闇の中で私に話しかける。
暗くて顔は見えないが、鉄平はきっと、子供みたいに目を輝かせている事だろう。
鉄平は、宇宙が好きだ。
星空の下で、遠い銀河に思いを馳せることが、彼の数少ない趣味の一つだ。
定期的に、星が良く見えるキャンプ場を予約し、テントを張って本格的な天体観測に耽っている。
望遠鏡だって、鉄平が必死にバイトして買った高級品。
彼の本気度がうかがえる。
私も、鉄平ほどじゃないけれど星を見るのは結構好きだ。
カレンダーに印をつけるくらいには楽しみにしていた。
数日前までは……
「元気ないな、大丈夫か?」
鉄平が私の顔を覗き込みながら、心配そうに声をかけてくる。
実際、私はいたたまれなさで死にそうだった。
私は目が泳ぐのを自覚しながら言い訳をひねり出す。
「なんでもないよ、『ちょっと寒いな』って思っただけ」
鉄平は訝しげに眉を寄せたけど、それ以上詮索する事は無かった。
聞かないのは薄情だからではなく、彼なりの信頼の証なのだ。
『芽衣には話せない事情があるんだ』って。
長い付き合いだが、なんでも情報を共有している訳ではない。
お互い秘密の一つや二つある。
そして、今回においてそれは正しい。
こんなこと、鉄平には絶対に話せないから……
私は鉄平が好きだ。
男性として、心から愛している。
けれどこの思いを伝えるつもりはない。
鉄平にとって、私は気の置けない友人でしかないことは分かり切っている。
だからずっと隣にいられるように、この淡い恋心を隠したまま、よき友人であろうと心がけた。
なのに!
先日、二十歳の誕生日に初めて飲んだお酒に飲まれ、鉄平に『好き』と言ってしまった。
まさか自分があそこまでアルコールに弱いとは!
あの時の記憶を思いだすたびに、私は叫びそうになってしまう。
幸いなことに、私が『嘘です、酔っ払いのたわ言です』と言い続けたおかげで、なんとか誤魔化せた。
誤魔化せるのもどうかと思うが、尋常じゃない酔っ払い方をしていたので、納得したようである。
キスまでねだったんだよね、私。
と言う訳で、鉄平は私の恋心に感づいた様子もなく、変わらずいつも通りに過ごしている。
……なんで普通なのよ、おかしいじゃない。
確かに嘘とは言ったけど、告白されたら意識するもんじゃないの?
バレなくて良かったと思う反面、何もなければそれはそれで悔しい。
鉄平の鈍感め!
私の繊細さを見習え。
「やっぱり調子が悪いんだろ」
私が勝手に憤っていると、鉄平がポツリと呟いた。
「無理して本格的に調子を崩したら大変だ。
テントの中で休むといい」
『そんなことない』
そう言いいたかったのに、言葉が出なかった。
鉄平が、私をまっすぐ見据えていたからだ。
……あの事件以来、鉄平の目が見れない。
意識しすぎているのは私の方なのだ。
「やっぱり、調子が悪いんだな。
顔が赤いぞ」
『君の目を見つめると、体が熱くなってしまうんです』。
それが言えればどんなに楽か。
何も言えず、金魚のように口をパクパクさせてしまう。
「くそ、かなり悪いみたいだな。
じっとしてろよ」
言うが早いか、鉄平の大きな手が私の体に回る。
ふわっ、と浮遊感。
……お姫様だっこだった。
「ちょっと、鉄平!?
恥ずかしいから下ろして!」
「馬鹿、暴れんな!
落ちたら危ないだろ」
「ううーー」
「ようやく静かになったか……
それでいい、体調悪いんだから大人しく運ばれてろ」
さっきとは別の意味で、顔が火が出そうなほど熱くなる。
少女漫画でよくある『好きな男の子にだっこしてもらう』。
小さい頃に憧れた少女漫画のワンシーン。
でも、実際にはこんなに恥ずかしいとは……
私が顔を手で覆って、恥辱の時間に耐えている内に、優しく地面へ下ろされた。
「ほら、寝袋に入って寝ろ。
冷えないようにな」
そう言って、テントの隙間から去っていく彼。
暗くてよく見えなかったけれど。
……鉄平の耳元も、私と同じくらい赤く見えた。
152.『エイプリルフール』『大切なもの』『ひとつだけ』
「芽衣、4月1日に飲み会をしないか?」
3月下旬、俺は芽衣に飲み会の提案をした。
飲み会をこの日に設定したのは、もちろんこの日がエイプリルフールだから――ではない。
4月1日は俺と芽衣の誕生日。
晴れて二十歳になる記念に『一緒に飲もう』と誘ったのである。
「はあー、鉄平には誕生日を祝ってくれる友人はいないのかしら。
仕方ない、寂しがり屋の鉄平のために予定を開けることにしましょう」
俺の提案に、不承不承と頷く芽衣。
だがその言葉とは裏腹に、芽衣の顔は楽しそうだ。
いつも辛辣な言葉を返す芽衣だが、なんだかんだで俺の誘いを断ったことが無い。
「嬉しそうだな。
さては俺が好きだな?」
「あら、当然でしょう。
出来の悪い弟分ほど、可愛いものは無いわ」
「たった5分先に生まれただけで偉そうに」
俺は、いつもの芽衣の様子に安心しながらも、『弟分』と言う言葉にチクリと胸が痛んだ……
俺と芽衣は幼馴染だ。
生まれた時から一緒にいる。
同じ病院で同じ日に生まれ、幼稚園から大学も同じ、なんなら受けている講義も一緒。
人生の大半を芽衣と過ごし、家族といる時間よりも長く、一緒にいるのは当たり前。
それが俺たちの距離感だった。
とは言うものの、俺たちは恋人同士と言う訳ではない。
あくまでも友達として、家族として付き合っている。
これまでそうだったし、きっとこれからもそう。
そう思っていた……
けれど3か月前、芽衣が告白されている現場を目撃して、俺の心境は一変した。
芽衣は断っていたが、俺の心中は嵐の様に吹き荒れた。
そこでようやく気付いた。
俺が、芽衣のことを友人ではなく、異性として意識していることに……
(他の男に芽衣を取られたくない)
もし芽衣に恋人が出来れば、隣にはいられない。
それを想像するだけで、耐えがたい苦痛であった。
俺は二十歳の誕生日を目前にして、自分の恋心に気づいたのである。
俺の願いはひとつだけ。
芽衣と一緒にいる事だ。
それ以来、それとなくアプローチをかけ続けたのだが、全く効果なし。
一緒に過ごした時間の長さが仇となり、特別感を演出できないのだ。
デートに誘おうにも、大抵の場所には一緒に行ったことがある。
これはいかんと考えた末、思いついたのが酒の席だ。
さすがの俺たちも、一緒に酒を飲んだことはない。
いつもと違う雰囲気に、何かを変えることができるはずだ。
(俺はこの機会を利用して、二人の仲を進展させる)
姉弟から恋人へ。
俺は誓いを胸に、運命の日を待つ……
◇
3月31日の深夜。誕生日を一緒に迎えるため、芽衣が俺の家へやってきた。
俺は恋心から、芽衣は未知なる経験にソワソワしながら、日が変わるのを待つ。
そして待つことしばし、スマホの時刻表示が4月1日になった瞬間、俺たちは缶ビールを掲げた。
「「乾杯!」」
グビリと、缶ビールを一気に飲み干す。
大人の象徴として、以前から憧れていた生ビール。
だが初めて飲むビールは、想像以上に苦かった。
こんなものを世の大人たちは好んで飲むのか……
大人の階段を上ることに、少しだけ期待していただけに、俺の落胆は大きかった。
(芽衣はどうなんだろう)
俺と同じように、がっかりしたのか。
それとも美味しいと感じたのだろうか。
それを尋ねるため、俺は顔を上げて――絶句した。
「おい、大丈夫か!?」
芽衣の顔は真っ赤だった。
とろんとした目つきで焦点が合っていない。
俺の呼びかけにも反応せず、明らかに様子がおかしい。
これはまずいのではなかろうか。
酒一杯で酔っぱらう人間がいるとは聞いたことがあるが、まさかそれが芽衣だったとは……
もはや告白どころの話ではなく、介抱が必要な状態だ。
俺は水を持ってこようと、慌てて立ち上がったときだった。
「好き」
背中越しに、芽衣のつぶやきが聞こえる。
驚いて振り向くと、芽衣は呆けたような顔で座ったまま。
言い方は悪いが、意味のある言葉を話せる状態とは思えない。
「……幻聴か?」
いくら好きな女の子と一緒にいるからって、まさか愛の言葉を言われたと勘違いしてしまうなんて……
酒が入ったことで、自分の願望と現実が一緒になったのだろうか……
芽衣も弱いが、俺もアルコールに弱いらしい。
お酒を控えよう。
そう思い、ドアノブに手をかけた瞬間――
芽衣に後ろから抱きつかれた。
「め、芽衣!?」
「好き」
動揺している俺の耳元に囁く芽衣。
まさか幻聴ではなかったとは……
俺が驚愕して動けないでいると、芽衣は背中に指で文字を書き始めた。
『スキ』
心臓が跳ね上がる。
芽衣がこんなに甘えてきたのもそうだが、『好き』と愛を囁いてくるも初めてだ。
普段とは違いすぎる芽衣の様子に、俺は恐怖する。
お酒、なんて恐ろしいんだ。
(これ以上芽衣の好きにさせては、俺の理性が持たない)
そう思った俺は振り返り、芽衣を視界に収める。
これで芽衣が何をしてきても、対処できる。
客観的に見て不審者のような格好で芽衣と対峙した。
そんな俺を、芽衣は潤んだ瞳で俺を見つめ――
「ん」
そして閉じた。
「えっと、芽衣?」
意味が分からず呆けていると、芽衣は不機嫌そうに、
「ん」
と言って唇を突き出した。
……これはあれですかね。
キス待ちってやつですか?
怒涛の展開についていけない俺。
こいうのって、お互いが好きであることを確認してからじゃないのかな。
俺が古いのかな……?
「芽衣、さすがにこういうのは……
うわっ」
煮え切らない俺に業を煮やしたのか、芽衣は動いた。
ドンと、壁に腕を突き出して俺の退路を断つ。
いわゆる壁ドンである。
「ん」
俺の答えは不要と言わんばかりに、徐々に迫って来る芽衣の顔。
え、もしかして俺の唇奪われちゃう!?
どうにかしないと思うが、まったく思考が纏まらない。
俺の大切なものを守るために行動を起こすべきとは思うが、体が金縛りにあったように動かない。
俺が葛藤している間にも、芽衣の顔は徐々に近づいて来る。
やがて芽衣の熱い吐息がかかるほど接近し――
―ゴン。
俺の耳元に、鈍い音が聞こえた。
「へ?」
恐る恐る視線を向けると、そこには壁に頭突きをかまし、いびきをたてて寝る芽衣の姿があった。
少しの間呆けた後、俺はようやく自身の身に平和が訪れたことを理解した。
「疲れた」
安心したからか、酒が回ったからか、俺は芽衣につられるように、眠りにつくのであった。
◇
目が覚めると、部屋に日の光が差し込み、雀が鳴いていた。
そして隣には眠っている芽衣。
朝チュンである。
……なにも間違いは起こらなかったけれど。
気怠さからぼんやり天井を眺めていると、芽衣がごそごそと動き始めた。
もうすぐ起きるらしい。
俺たちは睡眠リズムも同じなのだ。
起き抜けは気だるいのも一緒だ。
だが、今日の芽衣は跳ね上がるように芽衣は体を起こした。
驚いて、芽衣を注視する。
「あれ、嘘だからね!」
開口一番そんな事を言い出す。
一瞬何を言っているのか分からなかったが、昨日のことを言っていると合点がいった。
だが――
「そうはならんだろ」
俺は忘れていない。
芽衣が『好き』を連呼した事実を。
「あれ、どういう意味なんだ?」
本来は俺が言うべきだった言葉を、なぜ先回りして言ったのか?
これまでも冗談で言われることはあったが、まるで恋人に囁くように言われたことは無い。
これから芽衣との仲を進展させるためにも、はっきりとさせる必要があった。
今の状況を打破するヒントがあるかもしれないからだ。
取り調べをする刑事の様に俺が睨むと、芽衣は激しく目を泳がせた。
「エ、エイプリルフールだからいいの!
だから全部嘘!
あんたなんか全然、これっぽっちも好きじゃないんだから!」
151.『ハッピーエンド』『何気ないふり』『幸せに』
友人の友子と街に遊びに出た日曜日、私はとんでもない光景に出くわした。
「拓哉が知らない女性と歩いている……」
道路を挟んだ向こう側で、恋人の拓哉が知らない女性と歩いていた。
とても綺麗な女性と、腕を組んで歩いている。
顔はよく見えないが、嫌がっている素振りもない。
つまり無理やりでなく、拓哉の意思で腕を組んでいる。
これはいったいどういう事だろう?
腕を組んで歩くのは恋人の特権だ。
もちろん拓哉の恋人は私だし、社会通念上それ以外の女性は腕を組んではならない。
つまり、拓哉の腕は、私こと咲夜専用の腕なのだ。
にも関わらず、彼女持ちの男が、彼女以外の女と腕を組んで歩いている理由。
それは――
全く見当がつかなかった。
「あっ、咲夜の彼氏が浮気してる」
隣を歩いていた友子がポツリと呟いた
せっかく現実逃避をしていたのに、なぜ友子はひどい現実を突きつけるのか?
現実の重さを受け止めきれず、私はその場に膝から崩れ落ちた。
「ちょ、咲夜!?」
慌てて友子が私の腕をつかむ。
そのおかげで私は地面にぶつからずに済んだが、体に力が入らない。
よろけながら、道路わきの縁石に腰を下ろした。
「ごめん、そんなにショックを受けるとは思わなかった」
「ダイジョウブ、キニシテナイ」
「大丈夫じゃないやつだ……」
よっぽど酷い顔をしているようだ。
友子が心配そうに私の顔を覗き込む。
「確かに『浮気』って言ったけどさ。
まだ決まった訳じゃないでしょ」
「気休めはよしてよ!」
「咲夜の彼氏のことをあんまり知らないけどさ。
彼、浮気するタイプには見えないんだよね。
咲夜とデートしているところ見たことあるけど、彼、ずっと咲夜のこと見てるもん」
そんな事言われなくても分かってる。
私も拓哉の事を見ているから。
だからこそ、目の前で起きていることが信じられない。
「何か理由があるんだよ。
例えば、お姉さんとかじゃないの?」
「拓哉は一人っ子だよ」
「あっ、お母さんの可能性は?
恋人みたいに仲のいい親子っているでしょ」
「親に会ったことあるけど、違う人」
「道案内でもしているんじゃない?」
「腕を組む必要性がない」
「……浮気かも」
友子が諦めた。
バツの悪そうな顔をしている彼女をよそに、私は人生の無常さに思いを馳せていた。
なんでこんなことになったのだろう
昨日だって普通にデートしたのが、遠い昔の様だ。
あの時、結婚式のポスターを見て、『一緒に幸せになろう』と言ったのは私の気のせいか?
あの時の顔を赤くしていた拓哉と、今だらしない顔をしているであろう拓哉。
どっちが本当の拓哉なのだろう。
拓哉に限って浮気はありえない。
でも目の前で拓哉は浮気をしている。
私はグルグル思考が回り、まるで夢の中にいるみたいに現実感が無い。
混濁する意識の中考えに考えて、私は一つの結論にたどり着いた。
「直接聞く!」
「ちょっと咲夜!?」
私は立ち上がって、横断歩道に向かって走り出す。
タイミングよく信号が青になったので、そのまま横断歩道を走って渡り、拓哉たちの前に回り込む。
「拓哉!」
浮かれていたのか、私が呼びかけてから初めて気づいた拓哉。
驚きの表情を浮かべて私を見る。
「その女、誰!?」
正直聞きたくは無かった。
見なかったことにして、明日から普通におしゃべりしてデートしたかった。
でも無理だ。
拓哉の行いを見なかったことにして、明日から何気ないふりでおしゃべりするなんて出来ない。
ここで聞かなければ、これからずっと私の心は晴れないまま。
たとえ、私たちが思い描いたハッピーエンドが無くなろうとも、ハッキリさせるべきだった。
永遠とも思える静寂。
まるで死刑宣告を待ってる気分。
早く楽にしてほしいと思いながら、待つことしばし。
口を開いたのは、拓哉ではなく女の方だった。
「あら、咲夜ちゃんじゃないの。
奇遇ね」
穏やかな笑みを浮かべて、私を見る女。
これは余裕?
一瞬マウントを取ってきていると思ったが、どうもそんな雰囲気ではない。
どちらかと言うと親しい知り合いに向ける笑みのような……
でも、私はこの女を知らない。
この女はいったい誰?
混乱した私は、助けを求めるように拓哉を見ると、彼は苦虫をかみつぶしたような顔をして言った。
「……俺の父親だ」
「…………は?」
思いがけない答えに呆気にとられる私。
そのまま隣の美女に視線を向けると、彼(?)はコクリと頷いた。
「父です」
「いやいやいやいや!
無理があります!」
待ってほしい。
私は拓哉のお父さんには挨拶済みだ。
質実剛健を体現したような男らしい拓哉のお父さんが、なぜ今、人気モデルのような美人になっているのか。
メイク技術が凄すぎる。
「拓哉のお父さん、女装が趣味なんですか?」
「女装が趣味と言うのではないの。
誤解しては困るわ」
「ではなぜ?」
「息子が意地っ張りでね。
この格好でないと、一緒に外に出てくれないのよ――」
「違う!」
拓哉が叫ぶ。
「朝ご飯食べていたら、コイツがいきなりこの格好で現れたんだ。
呆気に取られていたら、無理矢理腕を……」
拓哉はそう言うと、組んでいる腕を前に出す。
なるほど、こうして近くから見ればよく分かる。
仲良く腕を組んでいるように見えたそれは、実際のところ絶妙な角度で拓哉の腕をひねり上げ、逃げられなくしていた。
その証拠に、拓哉の手はお父さんの手をつねっていた。
「良く分からないけど、浮気じゃないことは分かった」
「オヤジとの浮気を疑われて破局なんて、冗談でもねえ」
本当に良かった。
拓哉が浮気をしていなくて。
安心したらお腹が空いたな。
「じゃあ、気は済んだから続きをどうぞ。
拓哉のお父さんとデートを楽しんでね」
「え、助けてくれないの!?」
「なんかいっぱいいっぱいで、助ける気力が無い」
「そんな!」
私が「拓哉をよろしくお願いします」と頭を下げると、お父さんはにっこりと微笑みながら拓哉を引きずっていった。
ごめんね、拓哉。
正直な話、理解の範疇外すぎて、関わりたくないんだ。
「で、どうなったの?」
私が二人を見送っていると、いつの間にやって来たのか、隣に友子が立っていた。
どうやら遠くから様子を窺っていたようで、よく事情が分かってないらしい。
私はどう説明したものか少し考えて、こう答えた
「一言で言うと、恋人みたいに仲のいい親子ってやつです」
150.『ないものねだり』『My Heart』『見つめられると』
「そこのお嬢さん、お時間ありますか?」
また、ナンパか。
そう思いながら振り返って、私は息を呑んだ。
(まさか、こんなことがあるなんて……)
声をかけてきた男から目が離せない。
私は今まで何をしていたか忘れ、男を凝視する。
それほどまでに、彼は魅力にあふれていた。
だが男の方は明らかに困っていた。
なんの反応もない私に戸惑い、恐る恐る言葉を続けた。
「あの、迷惑だったでしょうか……?」
ナンパだと言うのに、バカに丁寧な男である。
だが無理もない。
声をかけた相手が振り返ったまま動かないとなれば、誰しも心配するものだ。
我に返った私は、慌てて首を振って否定した。
「いえ、いいえ!
迷惑なわけないです!
えっと、その…… 見惚れてました」
まさか直球で来るとは思わなかったらしい。
彼は少しの間呆然とした後、可愛らしく頬を赤らめた。
「えっと、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます(?)」
口にしてから、自分がおかしな発言をしたことに気づいた。
舞い上がっているとはいえ、これでは支離滅裂だ。
穴があったら入りたい。
「えっと、それでなんの御用でしょうか?」
「恥ずかしいのですが、その。
あなたがとても魅力的にみえまして、声をかけたのです」
「貴方と同じですね」と彼はにかんだ。
まさか私たちは同じ思いだったとは!
これなら話が早い。
今この瞬間の奇跡に感謝した。
私が心の中で浮足立っていると、彼が優しく微笑んだ。
「知っていますか?
人が誰かに惹かれるのは、その人が自分に無いものを持っているからだと」
「それを私が持っていると?」
「ええ、その通り。
私はそれが欲しい。
言わば、『ないものねだり』ですね」
そう言って、彼は私の真正面に立った。
まっすぐ、私を射抜くように見つめて……
「そんなに見つめられると……」
「いいじゃないか。
すぐに俺たちは一つになるんだから」
さらに一歩、彼は踏み込む。
顔に、彼の熱い吐息がかかる
「僕はアナタが欲しい」
そう言って、彼は私の唇を――
――――ではなく、私の首筋に深く嚙みついた。
「かはっ」
喉から声にならない音が出る。
これはまずいと思いつつも、体に力が抜け、指一本動かせない。
私の体から熱が奪われ、意識が遠くなっていく。
私が恐怖を感じている間も、彼は私の血を啜っていく。
ひとしきり堪能した後、満足したのか私の体を乱暴に放り投げた。
「うまい、若い女の血は格別だ!
生命力にあふれてやがる!」
先ほどまでとは打って変わって、品のない声を上げる。
「人間の上位存在である我々吸血鬼も、これだけは持っていないからな。
文字通り、『ないものねだり』だ」
そう言って、下卑た笑い声をあげた後、彼は冷めた目で私を見下ろした。
「じゃあな、お嬢さん。
次は知らない男に声をかけられたら逃げるんだな。
痛い目にあうぜ、って聞いてないか」
イヒヒと下品に笑い私に背を向け、歩き出そうとした瞬間――
――彼の体が、石像のように硬直した。
当然だ。
私の腕が彼の胸を貫いていたのだから……
「な、なぜ死んでな……」
彼が力なく振り返る。
よっぽど意外だったらしい。
その顔には『信じられない』と書かれていた。
「あれ、気づかないの?」
私は私で驚いていた。
彼はとっくの昔に同族だとバレていると思っていたからだ。
私は子供に説明するように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私も吸血鬼なの。
アナタよりもずっとランクの高い、ね」
彼の体が、小さく跳ねた。
「いやー、まさか吸血鬼が吸血鬼に血を吸われるなんてね。
ほんと、恥ずかしいわ」
結構な血を吸われたせいで、頭がくらくらする。
でも死にはしない。
心臓を潰されない限りは、私たちは不滅だ。
「ま、まさか俺の血を吸う気か!?」
「まさか!
血を吸うなら活きのいい女の子!
そこはアナタと一緒よ。
だから私が欲しいのは、血じゃないの」
私は彼に見せつけるように、出来る限り邪悪な笑みを浮かべる。
「アナタの心臓が欲しいの」
彼の口から「ヒッ」と短い悲鳴が漏れた。
「少し前に吸血鬼ハンターとばったり出逢ってね。
返り討ちにしたんだけど、心臓を潰されちゃってさー。
どうしようかと思っていたら、あなたがやってきた。
本当に助かったわ。
もう少し遅かったら私、死んでたわ」
「い、嫌だ。
助けて――」
「拒否権は無いわ。
私の血、吸ったでしょ」
そう言って、私は男の胸から心臓を引き抜いて、自分の胸に無理矢理押し込める。
「今日からよろしくね、My Heart」
奪った心臓は、まるで最初からそこにあったかのように、すぐに体になじんだ。
「はあー、焦った焦った。
これで死なずに済むわ」
私は用済みとなった男の体を放り投げる。
そして、何の魅力もなくなった男を見下ろして、最後にこう告げた。
「次から声をかける女は選ぶことね。
……痛い目に遭うわよ、って聞こえないか」