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10/30/2025, 9:47:58 PM

100.『秘密の箱』『揺れる羽根』『終わらない問い』



「にゃ~ん」
「だめよ、パンドラ。
 これはオモチャじゃないの」

 私の足元を、飼い猫のパンドラがまとわりつく。
 どうやら私が抱えている箱が気になるようだが、これは彼女が考えているようなものではない。
 職場の上司に押し付けられたもので、面白いものなど入っているはずがない。
 ただ『箱を開けないように』と厳命された、秘密の箱なのだ。

 けれど私は箱の中身を知らない。
 ただ『開けてはいけない』と言うだけで、中身については一切教えてくれない。
 どうせ碌な物は入っていないに違いないが、預けるなら中身について教えるのが最低限の礼儀。
 社会人として常識を疑う。
 箱の角に足の小指をぶつけて死ねばいいのに。

 それはともかく、預かった以上はこの箱を大事に保管しないといけない。
 だからイタズラされないように箱を見えない所にすぐさま隠したいのだが、パンドラは私から離れようとせず、獲物を狙うかのようにじっと箱を見つめている。
 隙をみてイタズラするつもりなのだ。

 私は箱を隠す時間を稼ごうと、周囲に使えるものが無いかと辺りを見渡す。
 その時、あるものが目に入った。

「ほら、パンドラ。
 あなたの好きな、羽根のオモチャよ」
 パンドラは、羽根のオモチャに目がない。
 揺れる羽根が狩猟本能を刺激するのか、いつもへとへとになって動けなくなるまで遊ぶ。
 こうなったらしめたもの。
 パンドラが疲れて休んでいる間に、分からない所へ隠すのだ。

「ニャッ」
「ああっ!!」
 だがパンドラは羽根のオモチャを無視し、私の横を駆け抜けて箱に飛びつく。
 慌てて振り返るがもう遅い。
 箱は勢いそのままに壁際まで転がって行き、フタが外れてしまった。

 フタが開いてしまったが最後、箱の中にあったものが飛び出してくる。
 疫病、犯罪、悲しみ、不幸……
 人類を苦しめる厄災が、次々と飛び出して――

「ニャ! ニャ! ニャ! ニャ!」
 ――飛び出す端から、パンドラに叩き落されていく。
 なんて精度の猫パンチ!
 パンドラ、成長したわね……

 と、感傷に浸っていると、パンドラの姿が見えないことに気づいた。
 辺りを見渡してもどこにもいない。
 隠れそうな場所に目配せするも、どこにも気配がない。
 おかしいと思いつつ、正面を向くとフタの開いた箱が目に入る。

「もしや……」
 ある予感が頭をよぎる。
 叩き落された厄災に触れないように近づいて、箱を覗き込んでみてみると……

「いた!」
 箱の中でスヤスヤと、パンドラは丸くなって寝ていた。
 こちらの気も知らず、スヤスヤと寝息を立てている。
 どんなに高価なオモチャも、人類を苦しめる厄災も、パンドラにとってはただの箱の方が魅力的。
 イタズラではなく『箱で寝る事』が目的という事実に、どっと疲れが押し寄せる。

「なんで猫は、オモチャよりも箱が好きなのかしら……」
 これまで何度も繰り返した、終わらない問い。
 なにゆえ、猫は価値のない物をありがたがるのか?

「ま、いっか。
 可愛いし」
 私はすぐさま頭を切り替えて、パンドラを眺める。
 パンドラの愛らしいを見るだけで、先ほどまでの鬱々とした気分を吹き飛され、私は幸せな気持ちで満たされる。

 さすがにパンドラ。
 いるだけで幸せを振りまく存在、まさに幸運の女神……!

「厄災を防ぐことが出来るのも納得の可愛さだわ!
 猫は悪いものを退ける力があるのかしら……?」
 もしそうなら同僚たちに、猫飼いをお勧めしないといけない。
 少し手間がかかるが、飼うだけで幸せになるのだ。

「でもムカつく上司には黙っておこう」
 アイツには、足の小指をぶつけてもらわないといけないしな。

 こうしてパンドラの活躍を伝えたことで、同僚たちは猫を飼うようになった。
 そして猫は『厄災を払い、幸せを運ぶ』神聖な生き物として、後世まで大切に扱われるようになったのだった。


 🐈

「この昔話を聞いて、皆も分かったね。
 わが家でも猫を買うべき理由が!

 猫を飼えば、家内安全、商売繁盛、無病息災と、ご利益が目白押し!
 さらには、物価高騰対策に繋がると間違いがない。

 さあ、私がそこで拾ったこの子猫を家族に迎えるのよ!
 異論は許さな……


 ハ、ハ、ハ、ハクショーーーン!!!」
「余りあるご利益でも、猫アレルギーの前には無力か」

10/28/2025, 9:33:26 AM

99.『予感』『秋風🍂』『無人島に行くならば』


 朝、目が覚めた時、私は思った。
 『今日は無人島に行く』と……
 ともすれば無視してしまいそうな、かすかな予感。
 だが儚さとは裏腹に、絶対的な未来予知のものであった……

 私は、しばしば未来に起こることを予感することがある。
 その予感は、不思議なことに一度も外したことがない。
 まるで神様が予定を書き込んでいるかの如く、その予感は絶対である。
 今日の運勢ならぬ今日の運命。
 そして今日の予感は、いつもより随分と物騒だった。

 無人島なんて行きたくはないけど、予感した未来は避けられない。
 どんなに運命に抗おうとも、最終的にはおよそ起こりえない事故が立て続けに起こり、結局は無人島に行く羽目になる。
 今までの人生がそうだったのだ。
 だから、無人島に行くこと前提で考えた方が、よほど建設的だ。

 それに『人付き合いに疲れて、誰もいない無人島に行く』と考えれば、ちょっとだけ気持ちは上向きになる。
 無人島にいるのは、経験上一週間くらい。
 砂漠やジャングルに放り出されたときや、異世界転移したときも、そのくらいだった。
 一週間、無人島で過ごす。
 ちょっとしたバカンスだ。

 サバイバルグッズは、一通り持っているので問題ない。
 砂漠やジャングルでお世話になった、信頼できる品を持っている。
 持ち運びも、異世界に行くときにもらったチートで全て収納できるので、考えなくてよし。
 つまり無人島に行くに当たって、特に準備するものは無さそうだ。
 今回は楽できそうだ。

 だが、どうせ無人島に行くならば、無人島ならではの事を体験したい。
 無人島といえば誰もいない浜辺だが、秋の冷たい海に入りたいとは思わない……
 せっかく島に行くと言うのに残念だ。
 もう少し早い時期だったら良かったのに……

 では他に何があるだろうか。
 少しだけ考えて、あることを思いついた。

「バーベキュー、だな」
 日本において、バーベキューを禁止している地域は無い。
 だがバーベキューは煙が出てしまうため、住宅街でしようものなら非難の嵐。
 かといってバーベキュー場も、遠くにあるため行くだけで疲れてしまう。
 行ったら行ったで、人が多すぎてウンザリしてしまうことだろう。
 日本はバーベキュー愛好家にとって、なんと息苦しい国であることか……

 だが無人島は違う。
 バーベキューでどれだけモクモクと煙を立てようとも、誰にも怒られない。
 人はいないので、一人気ままに自由を謳歌することが出来る。
 好きなだけ肉を焼けるし、騒いでも迷惑にはならない。
 夢のような環境だ。
 ということで、バーベキューで決まり。
 テンションが上がって来た!

 だが、さすがにバーベキューセットは持っていない。
 いつ無人島への正体が来るか分からないので、すぐさま準備をしないと。
 ああ、肉も買わないといけないな。
 それも、とびっきりの上級肉を!
 もちろん野菜も用意だ。
 肉ばかりだと飽きてしまうからね。

 せっかくのバーベキューパーティ!
 気の済むまで楽しんでやろう。
 さあ、パーティの始まりだ!


 🏝️


 いやあ、すごかったね。
 まさか買い物の帰り道、秋風と共にやってきた宇宙人に誘拐されるも、UFOが自衛隊によって撃墜、墜落してそのまま無人島に漂着するとは夢にも思わなんだ。
 かつて竜巻に巻き込まれて渡り鳥と共に海を渡ったことがあるが、それを超えるドラマであった。

 珍しい経験をして若干浮足立っているが、本命は無人島でのバーベキュー。
 気を取り直して、準備を始めることにした。

 同じく漂着した宇宙人がいるのは計算外のものの、邪魔する気はないようなので無視して構わないだろう。
 超科学で作られた宇宙人自慢のUFOも、塩水を前に無力だったようだ。
 海は偉大である。

 チートで収納していた道具を一通り取り出して、肉を焼き始める。
 香ばしい匂いがし始めて、さあ食べようかと言う時、宇宙人が視界に入る。
 宇宙人は物欲しそうに、こちらを見つめていた。

 もしかしたらお腹が減っているのかもしれない……
 相手は自分を誘拐した凶悪犯なので肉を分ける義理は無いのだが、腹が減った奴がいる横で美味しく肉を食べるほど、私は肝はすわってない。
 どうしたものかと少し考えた末、『どうせ肉はたくさんあるから』と宇宙人に分ける事にした。
 手招きが通じるかは半分賭けだったが、意図は伝わったようで警戒しながらも近づいて来る。

 その時突然予感があった。
 その予感は、『一週間後、宇宙人と人類が同盟を結ぶ』というもの。
 タイミング的に、肉を分けたからであろう。
 いい事をしたと、私は満足していた。

 美味しい肉が食べれて、人類の平和に貢献する。
 なんて素晴らしい。
 完璧だ。

 だがその時、予感ではない切実な確信が私の脳裏をよぎる。
 肉を食べながら、体が発するSOS。
 なんてこった。
 とんでもないミスをしでかしてしまった。


 くそ、焼き肉の相棒、白飯を忘れた。

10/25/2025, 3:44:02 AM

98.『光と霧の狭間で』『君が紡ぐ歌』『friends』

 とある晴れた日、天気がいいので友達の沙都子の家に遊びに行くと、沙都子は不機嫌を絵に描いたような顔で、ソファーに座り込んでいた。

「どしたの?」
 不思議に思って聞いてみても、沙都子はキッと睨むだけで何も言わない。
 普段から機嫌の悪そうな顔をしている沙都子だけど、付き合いの長い私には分かる。
 『何かあったに違いない』。
 私は確信した。

 けれど、沙都子はいじっぱりだ。
 普通に聞いても、何も答えてくれないだろう。
 私は答えを得るため、そして親友の力になるため、沙都子をじっくりと観察することにした。


 沙都子の目は潤んでいた。
 さっきまで泣いていたのか目は赤く、涙の跡がある。
 よく見れば、険しい表情も痛みを堪えているものに違いない。
 極めつけは、右頬を手の平で覆うように庇う、いわゆる『虫歯のポーズ』……

 ここまで分かれば嫌でも分かる。
 沙都子を襲っている問題、それは……

「恋の悩みだね」
「は?」
 沙都子の険しい顔が、さらに険しくなる。

「失恋したんでしょ?」
「違うわ――つううう」
「やっぱ虫歯か」

 叫ぶと同時に右の頬を押さえる沙都子。
 激痛が走るのか、大粒の涙をポロポロと流し始めた。

「叫んだりするから」
 私がため息を吐くと、「うるさいわね」と、蚊の鳴くような声で反論してきた。
 だが、それすらも辛いらしく、言った後で顔をしかめた。

 どうやら見た目以上に辛いようだ。
 このまま揶揄って遊ぶつもりだったが、さすがに見ていられず助け船を出すことにした。

「悪いことは言わないからさ
 今すぐ歯医者に行きなよ」
「嫌よ」
「即答かい」
 予想通りの答えに、私は思わず苦笑する。
 まあ、素直に歯医者に行くようなら、ここまで苦しんではないだろうけど。

「歯医者が怖いの?」
「違うわ。
 虫歯なんて無いからよ。
 怖いからじゃないわ!」
 まるで小学生みたいなことを言い出す沙都子。
 これでも高校生なんだぜ。
 私は仕方なく、子供をあやすように話しかける。

「ほら、歯医者に行こう?
 私がついていてあげるから」
「偉そうに!
 アナタは、歯医者がどんなに恐ろしい場所か知らないからそんな事を言えるのよ」
「私ほど歯医者に詳しい人間はいないよ。
 歯医者の治療を受けていない歯がない私が言うんだから、間違いない」
「……それはそれで不安なのだけど」

 沙都子が疑うような目で見て来る。
 うーん逆効果だったか。
 ちょっと切り口を変えてみよう。

「まあ、沙都子は知らないだろうけど、最近の歯医者さんは患者を呼び込むために、いろんな特色を打ち出しているんだ。
 例えば『光と霧の狭間で』がテーマの歯医者とかどう?
 私のお勧めだよ」
「およそ歯医者と関係なさそうなテーマだけど……
 具体的には何をするの?」
 よし食いついた。
 あとは、『何事も経験よね』と言わせれば勝ちだ。

「治療席に小型のモニターが付いていてね。
 それにアニメが流れるだけど、映像に合わせて明るくなったり、ミストが噴射されて、臨場感あふれる体験が出来るってわけ」
「それ、映画の4DXじゃない?」
「まさにそれを参考にしたって言ってたよ。
 で、患者が『光と霧の狭間で』映像を堪能している間に治療するってわけ」
「はあ、変わってるわね。
 ところでどんなアニメが流れるの?」
「アンパンマン」
「子供向け過ぎない?」
「楽しいよ」
「まさかの経験済み!?」

 信じられないような目で見る。
 うーん、反応はいいけどこの様子じゃ歯医者に行きそうにない。
 何が悪かったのだろう。
 もしや、アンパンマンのアンチか?
 まあ、人の嗜好は色々だしな。
 次に行こう。

「他は『friends』がテーマの歯医者もあるよ」
「全く想像できないわね……
 どんなの?」
「人間にとって、友人とも言うべき細胞や細菌の展示をしてる」
「あら、『働く細胞』みたいね」
「そこからインスピレーションを受けたって言ってたね。
 その中でも力を入れているのは、歯周病菌や虫歯菌とか『悪い友達』とも言うべきやつだね」
「……は?」
「それらの悪い友達と付き合うとどうなるのか、人生がめちゃくちゃになる様子を丁寧に描いているんだ。
 虫歯の痛みに苦しみながら死ぬ過程を丹念に描くことで、歯磨きや口内ケアの大切さを訴える作品だよ」
「なにそれこわい」
 なんか怯えだした。
 まるで小学生のようにぶるぶると震えている。

「やっぱり、歯医者は怖いところよ!
 行かないわ!」
「でも辛いでしょ?
 痛さのあまり、もがき苦しみながら死んでもいいの!?」
「く……
 ……でも歯医者には行かない。
 これまでも、これからも」
 『これ以上は話を聞かん』と決意を秘めた表情で、沙都子は手で『出て行け』とジェスチャーする。
 こうなっては私の言うことは聞かないだろう。
 作戦は失敗だ。
 私は失意を胸に部屋を出る。

 けれど諦めたわけではない。
 たしかに失敗したが、そのことをしっかりと受け止め、次の策を考える。
 たとえ嫌われようとも、絶対に虫歯の治療をさせる。
 それが友人である沙都子に出来る唯一の事だ。

 沙都子に、虫歯をこじらせて、もがき苦しみ死ぬような事には絶対にさせない。
 君が悲鳴で紡ぐ歌は、ここで終わらせる。
 私は強い決意を抱きつつ、次の作戦を考える。

 今回の失敗の要因は、説得の相手が私だったことだ。
 普段は合理的な判断の出来る沙都子も、私を前にすると意固地になってしまう。
 ならば別の人間、沙都子を説得できる人間を連れてくるしかない。

 私は記憶を頼りに、リビングへと向かう。
 半分賭けであったが、そこには沙都子を説得できる人物――沙都子の母親がいた。
 子供っぽい沙都子も、母親には素直だ。
 きっとうまく説得してくれるだろう。
 私は胸に期待を抱きながら、沙都子の母親に近づく。

「少しいいですか、沙都子のおばさん。
 沙都子のことで、耳に入れたいことがあるのですけど」
 そう言うと、おばさんは私に微笑んだ。

「ええ、構わないわよ。
 でも言わなくても分かるわ。
 虫歯の事よね」
「知っていたんですか!?」
「ええ、当然よ。
 私の娘だもの」
「じゃあ、なんで沙都子を歯医者に連れて行かないんですか?
 怖いから行きたくないと言ってますが、聞いちゃだめですよ」
「だって、ねえ……」
 困ったように笑うおばさん。
 まさか……

「おばさんも虫歯なんだけど――」
 そう言って、おばさんは右頬を庇うように手のひらで覆う。
 
「――実は歯医者怖いの」
 親子そろって歯医者嫌いかよ!


 だが諦めない。
 歯医者に行かないならば、歯医者の方から来てもらおう。
 そう思った私は、『逃がしません、虫歯菌』がテーマの歯医者に連絡を取り、親子ともども強引に治療をさせるのであった。


※※※※※※※※
 あとがき

 先日、親知らずが虫歯になり、そのまま抜きました。
 地獄の苦しみから解放され、晴れ晴れとした気持ちです。
 きちんとハミガキをするとともに、歯が痛かったらすぐに歯医者に行きましょう。

 そうしないと、これを読んでいるアナタも、眠れない夜を過ごすことになりますよ……

    作者より

10/22/2025, 12:57:21 AM

 愛から恋を引いたら何が残るのだろう――
 僕は、離れた場所で黙々と洗濯物を畳む、お手伝いアンドロイド『アリス』を眺めていた。
 僕にとって、アリスはどんな存在なのか。
 この頃よく考えるようになった……


 アリスは、小さい頃に親に買ってもらった最新型アンドロイドだ。
 ショーケースに展示されているのを見て一目ぼれ。
 寝ても覚めても彼女の事ばかり考えるようになり、それはたぶん恋だったと思う。

 心を奪われたアンドロイドをなんとか手に入れようと、小さい僕が親にあらゆる手でねだった。
 だがアンドロイドが一般に普及したとはいえ、まだまだ高級品。
 親は頑なに拒否していたのだけど、普段ワガママを言わない僕のお願いという事で、最終的に買って貰うことが出来た。

 僕は家にやって来たアンドロイドに『アリス』と名付け、とても可愛がった。
 家事をするのが彼女の仕事だと言うのに、彼女の気を引こうと仕事を奪ったりもした。
 当時も星が好きだったので、夜はよく星空を見に連れ出した。
 アリスの方も、僕の子守を仕事の一つとして認識していたのか、いつも笑顔で対応してくれた。
 片時も離れない僕たちの様子に、家族は目尻を下げて『まるで新婚さんだ』と笑った。


 けれどそれは、子供の頃の話。
 家族に迎えた時は見上げるほど大きかった彼女も、今では僕の方が高い。
 用が無くても話しかけていた昔も、今は最低限の会話だけ。
 あの頃抱いた恋心はもうどこにもなく、アリスに特別な感情は抱かなくなっていた。

 とはいえ、情が無いのかと言われればそれも違う。
 骨董品と揶揄されるほど古くなったアリスも、我が家ではまだまだ現役。
 機械である彼女に『尽くす』という概念があるかは分からないが、今でも勤勉に働いてくれている。
 古いので不具合も多いが、基本的に自分で治したし、定期的にメンテナンスにも出している。
 なんだかんだいって、僕はアリスに愛着があった。

 だが僕も分別のある大人。
 大学進学を機に家を出るとき、いい機会だからとアリスを実家に置いて出ようとした。
 だがアリスは、『坊ちゃんのお世話は、最優先事項です』と宣言し、当然の様についてきた。
 最初は『全部一人でやる、そこで見ていろ』と突っぱねたのだが、悲しいかな初めての一人暮らし。
 不摂生な生活を送り部屋をゴミだらけにするなどの事件を起こし、生活能力の無さを露呈させて、アリスの介入を許してしまった。
 今では家事は、完全にアリスの仕事である。

 まるで押しかけ女房のようだが、やはりアリスには特別な感情はない。
 感謝の気持ちはあれど、恋心はどこにもない。
 では僕が彼女に抱いている感情は何だろう?
 『愛−恋=?』、難しい問題だ。

 人生の難題に頭を悩ませていると、アリスが急にこちらを向いた。

「そういえば、坊っちゃん。
 大学のレポートはよろしいのですか?
 締め切りが近いとお聞きしましたが」
「あっ、やべ」
 アリスの言葉で思い出し、僕は慌てて机の前に座る。

 僕は教授から課題を出されていた。
 それは星の地図――星図を書くこと。
 今どき珍しい手書きで、である。

 最近で全てコンピューターがやってくれるのだが、だからこそ一度は手書きをすべきとの教授は信じていた。
 『これを出さないと進級させない』と教授が念押しするほど、重大なレポート。
 落とすわけにはいかないので、気合を入れて書いていたのだが……

「星図がない……」
 机の上にあるはずの書きかけの星図。
 それがどこにもない。

 アナログゆえに手間がかかっており、今から一から作っていては締め切りまで間に合わない。
 だが机の上を探し回るがどこにもない。
 消えた星図を見つけなければ、留年確定!
 どうしよう、親にどやされる!
 努力が無に帰したことに絶望していると、アリスが後ろから声をかけてきた。

「坊っちゃん、ノートパソコンの下は見ましたか?」
「そう言えば!」
 ノートパソコンを持ち上げるとそこには書きかけの星図が!
 やった、これで留年は回避!

「おお、アリスはよく分かったな」
「坊ちゃんの事なら何でも分かりますよ」
「おかんか」
「小さい頃から見ていますからね。
 ところで喉が渇きませんか?」
「確かに安心したら喉が渇いたな……」
「ではお茶をお淹れしてまいりいますね」

 そう言ってアリスは立ち上がり、台所まで歩いていく。
 アリスは手慣れた動作でお茶を沸かして戻ってくると、僕の前に置いた。
 ――砂時計と一緒に。

「なんで砂時計?」
「坊ちゃんはすぐにサボりますからね。
 この砂時計の砂が落ちたらレポートの続きを書いてください」
「そんなに信用ないか?
 そんなもの無くても終わらせるよ」
「そう言って前回のレポートは落としましたよね」
「申し訳ありません」
「なので今回から鬼になることしました。
 レポートを書ききるまで見張ってますから、覚悟してください」
「おかんか」

 僕は砂時計の音を聞きながら、お茶を飲む。
 こうしていると、子供の頃一緒にいたことを思い出す。
 あの時と違ってもう恋心はないけれど、アリスといる時間は心地よい。
 なんだかんだ言いながらも、僕はアリスの事を大切な家族として大切に思っていた。

 愛から恋を引いたら何が残るのか――
 未だに答えは出てない。

 けれどその先にあるのは、きっと『温かいもの』だ。

10/19/2025, 11:48:45 AM

『どこまでも』『lalala goodbye』『梨』


 とあるマンションの一室、深夜のこと。
 暗い室内に、二つの影があった。
 一つはこの部屋の主である女、もう一つは可愛らしい西洋人形だ。

 人形は、きれいな服ドレスに身を包まれ、とても大事に扱われていることが見て取れる。 
 だが、その可憐な服装に裏腹に、その顔は憎悪に満ちていた。
 人形は、呪いの人形――『メリーさん』なのだ!

 電話を取ったら最後、どこまでも追いかけてくる怪異だ。
 部屋の主もメリーさんの標的となり、背後を取られていた。
 まさに絶体絶命!
 だが――

「また逃げられた!」
 メリーさんは、吐き捨てながら部屋の主を蹴飛ばす。
 すると、なんということか、頭がポロリと取れた。
 しかしそれは作り物の頭……
 この人影は人間ではなくマネキンだったのだ。
 嘲笑うかのようなイタズラに、メリーさんは怒り心頭だった。

「せっかくここまで追い詰めたのに!」
 メリーさんは、悔しそうに地団駄を踏む。
 顔に悔しさがにじみ出る。
 こうして逃がしてしまうのは初めてではない。

 3週間前のこと。
 標的と定めた女に電話をかけ、お決まりのセリフを告げる。

「私メリーさん。
 今からあなたのおうちに行くわ」
 いつもなら、電話相手はメリーさんに狙われた恐怖にむせび泣く。
 メリーさんは、人間の泣き声を聞くのが好きだった。
 特に女性の泣き声はお気に入りで、メリーさんは好んで女を狙っていた……
 だが、この女は違った。

「Catch me if you can(出来るものなら捕まえてみろ)」
 そしてメリーさんは、女を取り逃がした……

 しかし、一回の失敗であきらめるメリーさんではない。
 すぐさま気持ちを切り替えて、この女を追いかけた。
 だが、その次もまんまと逃げられてしまう。

 いつ行ってももぬけの殻。
 そこには、メリーさんをおちょくるように、何かしらのイタズラが用意されていた。
 時に『差し入れ』と書かれた紙切れとともに梨を置いてあることもある。

 最初は舐めてかかったメリーさんも、さすがにおかしいことに気づく。
 そこでメリーさんは、女の素性を調べることにした。

 そしてメリーさんは仰天した。
 女は、巷を騒がせる怪盗だったのだ。
 ルパンの再来とまで言わしめる怪盗、それならば逃げ足の速さも納得がいく。

 しかし、逃がしたままでいいかは別問題。
 このままでは自身の沽券に関わるとメリーさんは全力で追跡するが、結果はご覧の通り。
 本気を出したメリーさんですら、女はあっさりと、逃げおおせてしまうのだった。

 隙のないメリーさんですら、手も足も出ない女。
 その事実にメリーさんは絶望――はしていなかった。
 メリーさんには秘策があったのだ。


 女は怪盗である。
 それも予告状を出すタイプの。

 ならば先回りして後ろを取ればいい。
 メリーさんの流儀に反する行為であるが、それよりも逃がし続けるほうが問題だった。
 メリーさんは手段を選ばず、女を捕まえることにしたのだ


 数日後、予告状に記された現場にメリーさんは駆けつけた。
 怪盗の標的は、美術館で飾られる高価な絵画。
 メリーさんは、その隣で待ち伏せすることにした。

 周りには怪盗を捕まえようと警戒している警察がウロウロしていたが、メリーさんには気づかない。
 警察が来る前から、歴史あるアンティークドールのフリをしていたからだ。
 今のところ、警察はメリーさんのことを不審に思ってはいない。
 メリーさんは心の中でほくそ笑みながら、女の来訪を待つのだった。


 そして犯行時刻。
 突如、室内にガスが噴き出し、警察が倒れ始める。
 睡眠ガスだ。
 倒れた警察はスースーと寝息を立て始め、警備員全員がガスに倒れる。

 次々と警察官が倒れる中、1人だけ立っているものがいた。
 ガスマスクを付けた女――怪盗だ。

 倒れた警察官には目もくれず、怪盗はゆっくりと、標的の絵に向かって歩いていく。
 メリーさんは、ただの人形のフリをしてその様子をずっと見ていた。
 狙いは、後ろに立つ最高のタイミング。
 決して悟られぬように、怪盗の動きを注視していた。
 しかし――

「え?」
 メリーさんは突如浮遊感に襲われる。
 動揺するまもなくメリーさんは、袋に詰められ身動きが取れなくなる。
 

「メリーさん、ゲットだぜ」
 その時、メリーさんはようやく気づいた。
 怪盗の真の標的は自分であったと……

「フフフ、いっぱい着せ替えしちゃうぞ〜」
「あ~れ~」

 その晩、高笑いしながら去っていく怪盗が目撃された。
 だが何も取らず去っていく怪盗に、関係者の誰もが首を傾げるばかりだった。

 
 それ以降、怪盗の予告状には、「本日のお人形」とでも言うかのように、毎回違う服を着せられた人形の写真が添付されるようになった。

 『この怪盗の行為には何の意味があるのか?』
 『他にも人形ならたくさんあるだろうに、なぜ恐ろしい表情の人形を使うのか?』
 『ていうか、最近は写真を送って来るばかりで、何も盗もうとしない』

 この問題は、関係者たちを大いに悩ませ、混沌の渦に巻き込むのであった。

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