G14(3日に一度更新)

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3/5/2026, 9:54:14 AM

141.『小さな命』『物憂げな空』『君は今』



 建物の外に出ると、空はどんよりと曇っていた。
 厚い雲は太陽の光を遮り、今にも降り出しそうな気配がある。

 こんな物憂げな空は嫌いだ。
 こういう日に限って、碌なことが起きない。

 『気にし過ぎだ』と、笑う奴もいるだろう。
 たしかに天気と今日の運勢には何の因果関係などない。
 だが、長年の探偵としてのカンが、この後惨劇が起こることを告げていた……

 そんな暗鬱な気持ちで事務所の扉を開けると、『ああ、やはりな』と思った。
 そこにいたのは、事務所で報告書を書いていたはずの助手。
 だが彼女はペンではなく、小さな猫を抱いている。
 その瞬間、俺の頭脳は高速で動き始めた。

「ダメだ!」
 助手の発言を待たずに、俺は叫んだ。
 突然の大声に怯んだのか目を逸らしたが、すぐに目線を戻す。
 その瞳には、強い決意が宿っていた。

「この子を事務所で飼いましょう」
「ダメだ」
 二度目の拒否。
 しかし助手は怯まない

「先生、この子を見て何も思わないんですか?
 この子、捨てられて悲しそうに泣いていたんですよ」
「ダメだと言っている。
 飼いたいなら、お前のアパートで飼えばいい。 
 それなら俺も文句を言わん」
「残念ながら、私のアパートはペット禁止です」
「さらに残念なお知らせだ。
 この事務所もペット禁止。
 大家の爺さんが決めたことだ」

 俺はこの事務所の主である。
 ここでは、俺は王として振舞うことができ、何人たりとも逆らうことは出来ない。
 唯一の国民である助手は、それなりの頻度で逆らうが許している。
 そんなことで目くじらを立てるほど、俺の器は小さくないのだ。

 だが絶対の権力を持つ王も、その上の存在――神たる大家には逆らう事は出来ない。
 だから機嫌を損ねないよう、いつも下手に出ている。
 奴らの気分一つで、俺の国が滅んでも不思議ではないからだ。
 世の中は不条理で満ちている。

 だがそんな残酷な事実にも、助手は怖気づいた様子がない。
 それどころか、助手はニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「その件なら大丈夫です。
 大家さん、説得しましたから」
「はあ、そんなわけねえよ。
 あの爺さん、大の動物嫌いだぜ!」
「そうなんですか?
 普通に聞いたら許可くれましたよ」
「あのクソジジイが!」

 大家は今年で、御年80になるご老人である。
 昔はヤンチャをしていたと聞いていたが、歳を取って最近はすっかり若者に甘くなった。
 なんでも若い頃稼いだお金で、夢を追う若者たちを支援しているそうだ。

 その中でも助手は特に気に入られており、孫の様に可愛がられている。
 どんな頑固爺も、可愛い孫のお願いは簡単に聞き入れてしまうのだ。

 なお、実は俺も助手と同い年なのだが、可愛がられるどころか会う度に説教される。
 世の中は不条理で満ちている。

「許可取ってもダメだ」
「なぜです?」
「理由は二つある。
 まず第一に、ハードボイルドに猫は似合わない」
「そうでしょうか?
 猫ってクールですし、相性がいいと思いますが……
 もう一つの理由は?」
「第二に金がない」
「それが全ての理由ですよね……」
 そう言って、助手はがっくりと肩を落とした。

 我が探偵事務所は、零細である。
 助手に払う給料に困るほど困窮はしていないが、十分な貯えがあるわけではなく、それゆえに猫を飼う余裕はどこにもない。
 事務及び経理も担当している助手は、そのことを身を持って痛感していた。
 痛いところを突かれたのか、助手は「うー」と唸りながら天を仰ぐ。

「分かりました。
 お金を半分出すので、飼う許可を下さい。
 さっきも言いましたけど、うちのアパートはペット禁止なのですよ」
「何が分かったんだよ。
 こっちが半分金を出す理由は無いだろ……」
「普通に私も苦しいからです。
 それに、どうせ先生も可愛がることになりますから」
「ならねえよ。
 お前がソシャゲの課金を抑えればいいだけだろうが!」
 相変わらず傍若無人の助手を見て、俺は大きくため息をついた。

「まあ、いいだろう。
 半分出してやるよ。
 拾った猫を捨てさせるのも後味が悪いしな」
「……先生、もしかして本当は猫飼いたかったんですか?」
「なんでそうなる……
 福利厚生というやつだよ。
 助手にはいつも世話になっているからな」
「素直じゃないんですから」
「……そっちが全額出してもいいんだぞ?」
「はいはい、そう言うことにしておきましょう。
 ……あ、少し出かけますね」
 そう言って、助手は事務所の入り口へと向かう。

「何か用事があるのか?」
「ホームセンターです。
 トイレとか買わないといけませんから」
「ああ、それもそうか」
「じゃあね、寅吉。
 すぐ帰るから大人しくしておくんだよ」
 そして、俺の方をチラッと見て、
「あのおじさんが、ちゃんと仕事してるか見ててね」
「おい、待て!」
 だが、最後まで言う前に、助手は出て行ってしまった。

「まったく!
 アイツは雇用主に対する敬意と言うものがないのか?」
 窓からホームセンターに歩いていく助手を見ながら呟く。
 日に日に助手の、俺に対する態度が悪くなっている気がする。
 立場を分からせるために、一度給料を下げてやろうか?

 俺は小さくなっていく助手の姿を見て、段々と腹が立って――くることはなく、逆に口角が上がってくるのだった。

「どうやら助手は最後まで気づかなかったようだな」
 助手の推理通り、俺は本当は猫が飼いたかった。
 だがこの事務所は、大家の意向によりペット禁止。
 飼うことを諦めていた……

 だが、助手と大家が仲良く話している場面を見て、天啓が降りた。

 王は神に逆らえない。
 神は絶対だからだ。
 だが唯一、神が唯一心を動かす存在がいる。
 それは巫女だ!

 我が探偵事務所には、神が寵愛する巫女――もとい助手がいる。
 孫の様に可愛がっている助手からのお願いは、あの頑固爺でも断れないのではないか?
 その仮説を証明するために、俺は一計を案じることにした。

 まず『迷い猫捜索』の仕事を優先的に取るようにした。
 猫との接触を増やせば、自ずと猫が飼いたくなると考えたからだ。
 ソースは俺。

 そして事務所のあちこちにに、猫モチーフの小物をさりげなく設置した。
 サブリミナル効果によって、助手の深層心理に働きかけ、より猫を愛でたい欲を促進させる。

 そうすれば、あの堪え性のない助手のことだ。
 内から溢れる感情を抑えきれず、どこかで猫を拾ってくるだろうと踏んだ。
 そこで、俺が『渋々』許可すれば、事務所で猫も飼えるばかりか、助手に恩を売ることができる。
 完璧な作戦だった。

 はてして作戦は成功し、猫はここにいる。
 世話代も半分になったし、助手に感謝しかない。
 欲を言えば名前もつけたかったが、それくらいの対価は安いものだ。

「おっと、こうしてはいられない」
 助手が帰ってくる前に、寅吉と親密を深めておこう。
 啖呵を切った手前、初日からデレデレな姿を見せては、さすがに怪しまれてしまう。
 なので、ほん数分、短い間だけ寅吉と遊ぶことにした。

「おいで、寅吉。
 抱っこしてあげよう」
 大人しい性格なのか、寅吉はおとなしく抱きかかえられた。
 寅吉の大きな瞳が、俺を捉える。

「おおお、かわええ〜〜」
 触れればつぶれてしまいそうな、小さな命。
 天使のような純粋な姿に、俺の邪念が霧散していく。

 やはり猫は良い。
 これで、俺の探偵人生も、少し彩り豊かになるだろう。
 うっとりした心地で眺めていると、寅吉が唐突に「ニャー」と鳴いた。

「なんだい、寅吉。
 君は今、なんて言ったんだい」
 俺は、自分でも驚くほど柔和な声で、寅吉に語りかけた。
「え?
 『探偵さん、ハードボイルドでカッコいい』?
 やだなあ、そんな当たり前の事実を言われても困るよ――」
 ガタっと、後ろの方で物音がした。
 嫌な予感がした。
 恐る恐る振り向くと、涙を流しながら笑いを堪えている助手の姿があった。

「お、お前!
 ホームセンターに行ったはずでは!?」
「財布、ひひ、忘れて、ふふふ」
 息も絶え絶えにしゃべる助手。
 だがついに我慢しきれなかったのか、その場に崩れ落ち腹を抱えて笑い始めた。
「『君』、『君』って、そんなキャラじゃないのに!
 あひゃひゃひゃひゃひゃ」



 ――結局、トイレは俺が買いに行く羽目になった。
 助手の笑いが止まらず、使いものにならないからだ。
 まともな意思疎通が出来ないので何も言われていないが、今回弱みを握った助手は、俺に対してさらなる舐めた態度をとるだろう。
「はあ、憂鬱だ……」
 物憂げな空は嫌いだ。
 そういう日に限って、碌なことが起きない。

 そして、悲惨な未来を暗示するかのように、天気予報はしばらく曇天が続くと告げていた。

3/3/2026, 10:04:33 AM

140.『0からの』『太陽のような』『Love you』

「お父さーん、見て見てー」
「危ないから前を見ろ!」
「はーい」

 息子の風太が、自転車に乗りながら手を振ってくる。
 その度に注意を促すのだが、太陽のような笑顔で笑うだけだ。
 子供らしいと言えばそうなのだが、こちらは苦笑いするしかない。

 風太は今日初めて自転車に乗る。
 最初ということで開けた場所を選んだのだが、それでも冷や汗が止まらない。
 近くに危ない物は無いのだが、それでも心配してしまうのが親心というものなのだ。

 でも、その心配は杞憂だった。
 息子の乗りこなしは、熟練した大人のように安定している。
 その堂々とした姿は大人でさえ舌を巻き、鮮やかなコーナーリングは見る者の目を奪う。

 間違いない、風太は天才だ。
 将来はプロの競輪選手か、はたまたトライアスロンの選手か……
 夢が広がるな。

 子煩悩だと人は笑うだろう。
 しかし俺は本気だ。
 風太はきっと大物になる。
 野球の大谷選手のように、連日テレビを騒がせるはずだ。

 そうなると、世間は父親である俺を放っておかないだろう。
 『天才選手を育てた父』として、マスコミから取材を受けるはずだ。

 もしそうなったら……
 そうだな、俺はこう答えるつもりだ。
 『何も教えてません。
  風太は最初から自転車に乗れたんです』と……

 人々は、俺のことを『謙虚な人』と称賛するだろう。
 でもそれは誤解だ。
 だって本当に、何も教えていないのだから……

 風太は今日、初めて自転車に跨った。
 そして補助輪無しで、普通に乗りこなした。

 普通なら驚くべき場面だ。
 しかし俺は動揺しない。
 こんなこと、我が家庭では日常茶飯事だからだ……

 風太は天才だ。
 何かを始める時、既にそれをマスターしている。
 風太にとって、チャレンジは『0からのスタート』ではない。
 ただの動作確認なのだ。

 風太は、赤ちゃんの頃から変わっていた。
 この世に生を受けた瞬間、風太は立ち上がって七歩歩き、『天上天下唯我独尊』と言ってのけた。
 その場に居合わせた全員が顔を見合わせたのは言うまでもない。

 それ以外は普通の赤ん坊だったので、『集団幻覚』としてすぐに忘れ去られた。
 人間、ありえないことが起こると、現実逃避するのだと身をもって知った。

 そして退院して我が家に帰ってから、俺たち夫婦は、さらなる風太の天才ぶりを目のあたりにすることになった。
 1歳で九九を覚え、2歳で原子配列を暗唱し、3歳でピカソばりの絵を描いた。
 4歳の誕生日には、東大の過去問集をねだられた。

 そして5歳の今、自転車を完璧に乗りこなしている……
 実際の光景を目の当たりにしても、『まあ、そうだろうな』としか思えない。
 『天才』、そんな言葉で片づけられない程、風太は才能の塊だった。

 ここまで来ると、どうしても考えてしまうことがある。
 『この子を、ここにいさせていいのか?』という問いだ。

 自慢じゃないが、我が家は普通の家庭だ。
 彼の溢れる才能を伸ばすために、もっといい教育を受けさせた方が良い。
 分かっているのだが、いかんせん金がない。
 無理をすれば大学くらいには行かせてやれるだろうが、小さい頃から私立の小学校に行かせるのは夢のまた夢。

 『もっとお金があれば』。
 それを考えなかった日はない。

 代わりに何かを教えることが出来ればいいのだが、現時点で俺や妻よりも、風太の方がずっと賢い。

「然るべき場所に預けた方が良いのかなあ……」
 思わず、そう口にした時だった。


「お父さん」
 気が付くと、目の前に風太が立っていた。
 自転車から降り、俺をじっと見ている。
 まるで心が見透かされているような気分になり、慌てて笑顔を作る。

「どうした?
 自転車には飽きたか?」
 俺の質問に答えずに、風太は叫んだ

「ら、びゅ」
「え?」
「ら、びゅ」

 突然意味不明の言葉を繰り返す。
 何度も何度も言うが、全く意味が分からない。
 首を傾げていると、伝わっていないことに気づいたのか、風太は後ろの看板を指差した。
 その看板には、『大切な人に『I Love you』を伝えましょう』という標語が書かれている。

「ああ、これを言っているのか……
 違うよ、風太。
 これは『らびゅ』じゃない。
 『Love you』、愛してるって意味さ」
「らびゅ、らびゅ」
 しかしうまく言えないのか、ずっと舌足らずな発音が続く。

 思い返せば、風太は言葉を話すのが苦手だった。
 ほとんどの分野で大学レベルの知識があるのに、語学だけは年相応より少し上くらいで止まっている。
 それでも十分凄いのだが、完璧と思われた風太にも苦手な分野があるのだ。
 そのことが、俺に奇妙な安心感をもたらした。

「焦らなくてもいいよ。
 家に帰ったらゆっくり教えてあげるからね」
「らびゅ、らびゅ」

 俺たち親が、まだ教えてやれることがある。
 少しだけ誇らしい気持ちで、風太の手をひいて帰路につくのだった。

「らびゅ、らびゅ、らびゅ…… Love you」

 ……TOEICの勉強でもするかな。

2/28/2026, 8:04:18 AM

139.『今日にさようなら』『枯葉』『同情』

 なんだよ、聞きたい話があるって。
 話なら別に事務所でもいいだろ。
 なにもこんなに騒がしい居酒屋に来なくたっていいだろうに……
 お前、こういう騒がしい場所より、もっとオシャレなカフェとかの方が好きだろ……

 ……えっ、俺が探偵事務所を始めた理由が聞きたい?
 いやいや、それはちょっと恥ずかしいなあ。
 確かに事務所やカフェで改まって話すような事じゃないけどさ。
 ほら、別の話題にしようぜ。
 他に聞きたいこと、あるだろ……?

 ……ええっ、どうしても聞きたいって?
 うーん、そこまで言うなら仕方がない。
 じゃあ、名探偵・五条英雄の誕生物語を披露するとしよう。
 一言も聞き漏らすなよ。

 ……『結局話すじゃん』とか言わない!
 そのイタズラが成功したような顔もやめろ!

 こほん。
 えー、言ったことないと思うけど、俺は元々サラリーマンだったんだ。
 日本人なら誰でも知っている大手に勤めててな。
 ……違う、自慢じゃねぇ。
 とにかく、汗水たらして働いていた。

 でもさ、『やりがいがあったか』って聞かれると微妙だな。
 上司も同僚もいい人ばかりだし、今で言うホワイトな職場だったけど、俺には退屈な場所だった。

 朝起きて飯食って、出勤して仕事をこなす。
 終れば帰宅して、また飯を食って寝る……
 次の日も、その次の日もおんなじ、朝起きて出勤して夜寝る。
 ずっと代り映えの無い生活を送っていた。

 休みは普通にあったけど、特に趣味はなかったから寝るだけだった。
 いや、『趣味はあったけど、楽しむ気力が無かった』が正しいな。
 あの頃の俺は、息をして動いているただの人形だった。

 『つまらない今日』が毎日続く。
 本当に苦痛だったよ。

 もちろん抗おうとはしたぜ。
 この退屈な日々から抜け出して、刺激的な日々を送ろうと思った事は一度や二度じゃない。
 でも出来なかった。

 辞めたところで行く当てもないし、他にやりたいこともない。
 仕事では人並みに頼りにされていたこともあって、踏ん切りが付かなかったのもある。
 そのまま何も出来ず、ただ月日だけが流れていった。

 それから働き始めて3年目の冬のこと。
 その時、公園で一人で弁当を食べていたんだが……

 ――ボッチとか言うな!
 よく食う同僚とタイミングが合わなかっただけだよ!
 いちいち茶々を入れないと聞けないのか、まったく!

 えーと、何だっけ?
 ああ、公園の話だったな。

 ベンチに座って食べていると、公園を掃除している男性が目に入った。
 地面に落ちた枯葉を箒で掃いていただけなんだが、なぜか目が離せなくてな。
 なんとなく、その人をボーっと見ていたんだ。

 で、ずーっと見ていたんだけど、余りにもガン見過ぎたんだろうな。
 不意に目が合った。

 ……掃除の人に同情するって?
 言い方に気を付けろ!
 確かに、不審者だった自覚はあるけどな!

 続けるぞ。
 それで、清掃員は俺に聞くわけだ。
 『何か用ですか?』ってさ。

 馬鹿だと思われるかもしれないけれど、その時の俺、まさか声を掛けられると思わなくてさ。
 すげえ焦って、とっさに『お仕事大変ですね』って言ったんだ。

 するとさ、一瞬驚いた顔をして、でもすぐに笑顔になってこう言ったんだ。
 『大変ですけど、楽しいですよ』ってな。

 それを聞いて、俺は衝撃を受けた。
 『俺もこんな風に笑って生きたい』、そう思ったんだ
 
 ……『正気か?』だと。
 ぶっちゃげ、あの時の俺はどうかしていたんだろうな。
 まあ、それくらい気が滅入っていたんだと思ってくれ。

 そこから話が弾んで、実は掃除の人が『探偵』だって事が分かった。
 それを聞いた俺は、すぐに仕事を辞めて、弟子入りを志願した。
 探偵・五条英雄の誕生さ。
 見習いだけどな。

 探偵としての生活は、それはもう刺激的な日々だったよ。
 あれほど悩んでいた自分が、馬鹿らしく思えたね。
 探偵になって、俺はようやく『つまらない今日にさようなら』と相成ったわけさ。

 まあ、それ以上に大変なことも多かったけどな。
 なんせ、給料安いのに激務で――


 ……って、聞いてねえな、おい!
 口いっぱいに食べ物頬張りやがって、リスかよ!
 さっきから思ってたけど、あんまり集中してないだろ。
 そっちから聞いてきたくせに、興味無しかよ!

 ……どうせ『定年後に蕎麦屋を始めるオヤジ』と思ったから、碌に話を聞かなかっただと!?
 それは、俺も薄々思っているから、それ以上の追及はなしだ。
 だが、そこまで分かってて、なんで話を振って来たんだよ!

 ……『男は自分の過去を聞かれたら喜んで話すから、そのまま気分よく奢らせろ』って本に書いてあった?
 お前、最初から俺に奢らせる気かよ!
 今月仕事ないから、火の車だって知っているだろ。
 ていうか、そんな作戦バラす奴がいるかよ!?

 ……はあ、財布持ってきてないって!?
 脇に置いてあるそのオシャレなバッグは飾りかよ!
 今更隠しても無駄だ。
 ……最悪だ、結局俺が奢らないといけないのか……

 ……なに、質問があるって?
 お前、この期に及んでまだ何かあるのかよ。
 追加の注文はなしだぞ。
 それ以外なら何でも言え……

 ……『探偵を始めて、どうか?』、だと?
 はは、そんなの決まってる。

 ――大変だけど、やりがいはあるよ。

2/25/2026, 12:29:54 PM

138.『10年後の私から届いた手紙』『誰よりも』『お気に入り』



 『ゴールドを買え』
 10年後の私から届いた手紙には、そう記されていた。

 ゴールドとは金のこと。
 投資の世界では、『安全資産』として有名だ。
 世界情勢の影響を受けにくく、価格が安定していることからそう呼ばれる。

 だが、その安全資産であるはずのゴールドが、社会不安を背景に4倍に暴騰するから買え、と言うのである。

 さらに、ロシアとウクライナが戦争するという予言まで書かれていた。
 にわかには信じ難い。
 緊張状態にあるとはいえ、実際に戦争するとは思えなかった。

 だから、この手紙は悪戯と見るのが筋だろう。
 しかし一方で、私はこの手紙が、どうしても嘘を言っているようには思えなかった……
 この手紙には、自分しか知りようがない『真実』が書かれているからだ。

 自分が投資家であること、好きな女性のタイプ、嫌いな食べ物、初恋の相手の名前。
 そして、私がインサイダー取引に手を染めているという事実までも……
 
 このことを知っているのは、自分のほかに神様くらいのものだろう。
 個人的に神様はいないと思っているので、手紙の主は自分以外にありえなかった。

 手紙の主は、それらを指摘した上で『ゴールドを買え』と書いている。
 悪戯だと断ずるには、真実である証拠が揃いすぎていた。

 それに、インサイダーの事を知っているのなら、警察に告発するか、脅迫するのが筋である。
 そのどちらもせず、『ゴールドを買え』というのは、正気とは思えなかった。

 私は、一晩考えた末、ひとまずこの手紙が本当であると信じることにした。
 しかし……

「効率が悪いよなぁ……」
 仮に、この手紙に書かれたように、事態が推移したとしよう。
 しかし、10年かけてたったの4倍だ。
 正直な話、投資としての旨みが少ない。
 
 インサイダー取引という禁じ手を使えば、資産を100倍に、いや1000倍にすることも夢ではない。
 そこを、敢えてゴールドに投資する。
 それもまた、正気とは思えなかった。

 リスクを取って1000倍か、それとも安全を取って4倍か。
 私は迷わず前者をえらんだ。

「4倍で満足するような私ではない。
 資産を1000倍にして、誰よりも金を持った資産家になってやる!」

 ◇

 10年後、私は刑務所にいた。
 インサイダー取引が露見し、警察に捕まったのだ。
 そして資産は没収され、手元には何一つ残ってない。
 休日に乗り回したお気に入りの車も、私の物ではなくなった。
 惨めな結末だった。

 10年前の手紙を思い出す。
 手紙の忠告に従っていれば、こんな事にはならなかった。
 
 世界情勢は予言通りに悪化し、ロシアとウクライナは戦争したし、ゴールドは4倍に暴騰した。
 あの日、欲を捨ててゴールドを買っていれば、今頃慎ましくも穏やかな日々を過ごせていただろう。

 安全資産は、ただ価格が安定しているだけではない。
 身の安全を保障してくれるから安全資産なのだ。
 今になって、その真意に思い至った。

 10年前の私は、なんと馬鹿だったのか……
 過去の自分を殴り飛ばしたい!
 そうして己の愚かさを嘆いている時、独房の床に見覚えのある便箋が落ちていることに気づいた。

 それがどこから出てきたのか分からない。
 しかし、間違いなく言えるのは、これがどうにかして10年前の自分に届くということ。
 私は、過去を変えるチャンスを得たのだ。

 その感動に打ち震えながら、私は筆を執った。
 たくさん伝えたいことはあるが、ここは刑務所。
 情報があまり入ってこず、書けることがあまり無い。

 でも問題なかった。
 伝えたいことは一つだけ。
 手紙に知っていることを書き連ね、最後にあのフレーズを書き記す。

『ゴールドを買え』
 

2/23/2026, 8:49:46 AM

137.『伝えたい』『待ってて』『バレンタイン』

 地獄にだって、バレンタインはある。
 地上のものとは少し趣が違うが。

 地獄では、チョコの代わりに石を贈り合う。
 こんな地の底に、オシャレな物なんて存在しないからだ。
 だから、そこら中に転がってる石を贈り合い、お互いの絆を確かめあう。
 地獄の住人たちの、数少ない娯楽であった。

 だがここは地獄、ロクデナシどもが集まる場所。
 死んでも治らない馬鹿が一堂に会するバレンタインなんて、碌な結末になるはずがない。
 ひそかに伝えたい思いがあっても、最終的には直接憎悪をぶつけ合うことになる。

 『ダサい石を貰った』『他の奴に綺麗な石をあげていた』『お返しはそこら辺の石』『あげた石を、他のやつにあげていた』などなど、トラブルの種はあちらこちらにある。
 普通の人なら耐えれることも、ここの奴らは我慢しない。
 すぐに喧嘩が始まり、仲間を巻き込んで大乱闘になるのだ。
 しまいには、贈り合った石を手にして殴り合う。
 地獄のバレンタインは、血の雨が降るのである。

 もちろんこの事態に、地獄の鬼たちは黙っている訳でない。
 暴動が起きるや否や、鎮圧するために鬼は出動する。
 しかし、一度火のついた亡者共は手に負えない。
 毎回多大な犠牲を出しながら、亡者共を鎮圧するのだった……


 ☆

「と、いう訳でお前に命令だ。
 バレンタインで暴動を起こさせるな」
 目の前の鬼は、厳かに告げる。
 頭が痛くなりそうな話を聞いて、俺は大きくため息を吐いた。
「それ、俺がやらないとダメ?」
 そう言うと、鬼は厳めしい顔をさらに厳めしくして言った。
「それがお前の役目だ、人間よ」
 俺はもう一度ため息を吐いた。

 俺は詐欺の罪で地獄に落とされて早々、地獄の鬼どもに取り入った。
 罰を受けるのが嫌だったので、管理者側に潜り込んだのだ。
 信頼はされていないようだが、追い出される気配はない。
 人手不足の地獄において、俺の『悪知恵』はそれなりに重宝するらしい。
 だが……

「地獄に落ちる程の詐欺師だろ?
 その口先でどうにかしろ」
 詐欺師を魔法使いだと思っているのか、時に無理難題を押し付けられることがある。
 なるほど、たしかに俺は鬼どもには出来ないことが出来る。
 だが、それは人間相手であって、言葉の通じないケダモノには通用しないのだ。

「無理だ。
 聞き分けがいい奴なんて、ここにいるわけないだろ」
「全くもって貴様の言う通りだが、なんとかせねばならん。
 癪だが、必要なら我々を扱き使っても構わん」
「気合が入り過ぎじゃないか?
 普通にバレンタインを禁止にすればいいだろ」
「それは無理だ」
 真っ先に思い浮かんだ解決案、だが鬼はにべも無く却下した。

「長い間、本当に長い間検討されてきたのだが、いつも『存続』という結論になる」
「なぜ?」
「鎮圧は面倒だが、長い目で見ればこの行事は有用だからだ」
「飴と鞭か!」
「そうだ」
 鬼は満足そうにうなずいた。

「地獄には娯楽の名のつく物はない。
 退屈で苦しむのも、罰の一つであるからだ」
「しかし、罰だけでは効果は薄い。
 すぐに慣れて、何も感じなくなるからだな」
「左様、だから罰だけを与えるのではなく、適度な娯楽を与えて心に余裕をもたせることにしている。
 その余裕で自分を省みればそれで良し、そうでなくとも落差によってより深い絶望を与える。
 だが暴動が起きると、鬼たちに被害が出る。
 なんとかして、平穏な一日を終えたいのだ」
「なるほど、それなら禁止はしないほうがいいな」
 出来れば禁止の方向で行きたかったが仕方がない。
 俺は改めて打開策を考える。

 この騒動は、『アイツが羨ましい』という感情が発端だ。
 要は嫉妬。
 人間の、最も面倒でありふれた感情だ。

 だから解決策は格差を無くせば良いということなのだが、これが難しい。
 個人的な意見だが、たとえ完全な平等を実現しても嫉妬は無くならないだろう。
 それこそ全員が価値のない物しか持っていない限りは……

 ――待てよ。
 
「良い事を思いついた」
「ほう、聞かせてみろ。
 上手くいかなくても恨みはしない」
「どんだけ追い詰められているんだよ、お前ら……
 まあいいや、用意してほしいものがある」
 俺は必要な物を鬼に伝えると、鬼は驚いたような顔で俺を睨んだ。

「そんなものでいいのか?」
「ああ、完全にトラブルは無くならないだろうが、かなりマシになるはずだ」
「それで構わん。
 しかし信じられんな。
 たったそれだけの事で、本当に暴動が起きないのか?」
「期待して待っててくれ。
 キーワードは『プライスレス』だ!」


 ☆

 バレンタイン当日。
 鬼たちの懸念をよそに、地獄はとても平和だった。
 多少の小競り合いこそあったものの、全体的に穏やかな一日であった。

「何をした?」
 隣の鬼が、信じられないものを見る目で問いかけてくる。
 いつも険しい顔をしている鬼が、困惑する様子は、いつ見ても面白い。

「入れ知恵したのさ。
 気持ちを伝えるのに石を贈るのも悪くないが、もっといい方法があるとな」
「それはなんだ?」
 俺は鬼が聞き逃さないように、はっきりと告げる。
「石に似顔絵を描けばいい」
 鬼が目を丸くして俺を見た。

「なるほど、だから俺たちに『筆』を用意させたのか。
 しかし絵にも巧拙がある。
 新たなトラブルの種になるのではないか?」
「そこがミソさ。
 石の美しさは、誰が見ても理解できる『客観的』なものだ。
 しかし絵は違う。
 その価値は極めて主観的で、絵の上手い下手だけでは決まらない。
 下手な絵でも、贈られた側が『心を込めてある』と感じれば、値千金の価値を持つ可能性がある」
「なるほど。
 当事者以外には価値を見い出すのは困難。
 嫉妬の対象になりにくいということか……」

 もちろん差は依然と残っている。
 才能と言う名の、残酷な差が。
 他者の才能に嫉妬する人間もいるだろう……

 だが、それは目に見えない、非常に個人的な主観だ。
 ほかの人間に共感されにくく、また興味のないものも多い。
 小さなトラブルはあるかもしれないが、周囲を巻き込む暴動にならないと、俺は踏んでいた。
 
「……種明かしをされても、にわかには信じがたいな。
 まるで詐欺だ」
「なんだ、知らなかったのか?」
 俺は意地の悪い笑みを鬼に向けた。
「俺は詐欺師さ。
 このくらい、朝飯前だ」

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