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1/25/2026, 9:41:23 AM

128.『美しい』『木枯らし』『閉ざされた日記』


 近所の骨とう品屋で日記帳を買った。
 その気品ある装丁は、少しも古さを感じられず、まるで新品のように美しい。
 この日記帳に書き込めば、木枯らしが吹くような味気ない私の毎日も、きっと素晴らしいものになるように思えた。

「この日記帳なら、三日坊主の私も日記を書き続けれるはず」
 私はその場で購入を決めた。

 だが一つだけ誤算があった。
 それはこれが骨とう品であるという事。
 つまり、既に使用済みの物であり、新たに書き込むことは出来ないという事だ。
 せっかくやる気になったのに、とんだ肩透かしだ。

「まあ、インテリアぐらいには使えるか」
 そう思って、少しでも見栄えを良くしようと、汚れを柔らかな布で拭いていた時だった。

 ――――ドロロローン。
 突然日記帳から煙が噴き出す。
 驚いた私は、思わず本を放り出してしまう。
 呆然とその様子を見つめていると、煙が晴れた先には見知らぬ人影があった。

「どうも、初めまして。
 私、ランプの魔神ならぬ、日記帳の魔神です」
「日記帳の魔神!?」
 私は思わず叫ぶ。
 何が起こっているか分からないが、○○の魔神と言えば相場は決まっている。
 私は興奮を抑えきれず、魔神に尋ねた。

「願い事を叶えてくれるんですか?」
「もちろん」
「やった!
 じゃあ、じゃあですね――」
「ただし!」
 魔神は私の言葉を遮った。

「願い事は一つだけ。
 日記に関するものに限ります」
「ケチ」
「文句を言わないでください。
 一つでも叶うだけ、運がいいんですよ」
「ま、そんなうまい話はないか」
 私はそれ以上追求せず、考え事をする。
 いったい何を願うべきか。
 私は腕を組んで考える。

「純金のペンをください」
「ダメです。
 日記を書くことに、純金である必要はありません」
「未来の私が書いた日記が浮かび上がる日記帳をください」
「ダメです。
 それやるとタイムパラドックスとか大変なんです」
「じゃあ、考えるだけで自動的に書き込まれる日記帳ください」
「ダメです。
 そんな便利なものはありません」
 希望するものを悉く否定されてムッとする。
 日記帳に関する願い事ばかり提案しているのに、この魔神、一向に首を縦に振らない。
 
「……じゃあ、何があるんですか?」
「日記を書き込むと登録した相手に届く」
「それメールで良くね?」
「悪いけど、私が叶えられる願いは、たいていテクノロジーの方が優秀」
「役に立たねえ」
 私は失望のため息を吐いた。

「まあいいや。
 なんか適当に書き味のいいボールペン下さい」
「はいよ」
「胸ポケットから出て来た……」
「それお勧め。
 書き心地いいよ」
「これ、商店街で配ってるボールペンじゃん……」

 商店街の名前がでかでかと入っている、ダサいボールペン。
 見た目に反し、書き心地はいいので、地元民は文句を言いながらも愛用している。
 たしかに魔神がおすすめするのも無理はないほとの逸品。
 けれど、

「でもたくさん持っているんだよね……」
 確かにいいボールペンだけど、何かにつけて配るので、腐るほど持っている。
 なんだか損をした気分だ。

「いいものなんだけどなぁ……」
 釈然としない思いでボールペンを見つめていると、魔神が玄関の方に向かって歩きだす。

「願いを叶えたので私は帰ります」
「帰りは歩きなのか……


 って、ちょっと待って」
 私は魔神を呼びとめる。
 そして魔神が脇に抱えている『もの』を指さして言った。

「なんで私が買った日記帳を持っているの?」
 チッと小さく舌打ちしたかと思うと、魔神はこちらに向き直った。

「単刀直入に言います。
 これは私の日記帳です」
「はあ」
「泥棒に盗まれてしまいましてね。
 あちこち探していたんですが、こうして見つかりました。
 ご協力ありがとうございます」
「待て、あげるとは一言も――」
「失礼!」
 魔神がそう叫ぶと、来た時と同じように煙が噴き出した。
 驚いてひるんでいると、耳には玄関のドアが開く音。
 まんまと逃げられてしまった。 

「あのくそ野郎め」
 思わず口から悪態が出る。
 けっこうなお金を出して買ったものなのに、その対価がタダでもらえるボールペンとは……
 全然釣り合わない!

 百歩譲って、このボールペンと交換なのはいい。
 でも、騙し打ちのような真似をして持っていくのは、誠意がないと罵られても仕方がない。

 私は胸の奥に沸き上がる怒りを感じながら、本棚を漁る。
 そこにあるのは、魔神に盗まれたものとは別の日記――去年の1月に買って、結局使わなかった未使用品。
 私は長らく閉じられた日記を机の上に開き、今日あった出来事を書く。
 書くことは、もちろん魔人のことだ。

「あの野郎、絶対に許さないからな」
 魔神の人相、体型、鼻につくしやべりかたなど、まらゆる特徴を執念深く書き込んでいく。
 自信はないが似顔絵も描いた。
 これで奴の憎い顔を忘れることはないだろう。

 商店街仕様のボールペンを持っていたということは、この辺りに住んでいる可能性が高い。
 商店街に足繁く通えば、いつか必ず尻尾を掴めるはずだ。

「逃さないからな」
 魔神を見つけるその日まで。
 私はこの『復讐日記』を書き続けることを誓うのであった。

1/21/2026, 10:50:29 PM

127.『夢を見ていたい』『どうして』『この世界は』



 よう、相棒。
 新年早々、牢屋にぶち込まれるなんてツイてない奴だな。
 正月気分で浮かれて、お巡りにでも喧嘩を吹っ掛けたかい?

 おっと怖い顔するなよ。
 ただの冗談だ。
 短い間だが、同じ牢屋の仲間同士、よろしくやろうぜ。

 まずは自己紹介といこう。
 オレの名前はモンテ・クリスト。
 あらゆる刑務所から脱獄した、正真正銘の脱獄王さ。

 ……なんだよ、その目は。
 ホントだぜ。
 今も脱獄計画が進行中さ。

 話を続けるぞ。
 オレは、これまでに数えきれないほどの刑務所から脱獄した。
 この程度の刑務所なんて、食堂で二人前を平らげるより簡単さ。
 オレを留めておける監獄なんてどこにもない。
 いつだってオレは自由を求めて外の世界へ羽ばたくのさ。

 ……なに、何度も捕まっているくせに偉そうだって?
 おいおい、勘弁してくれよ。
 オレくらいにもなれば、警察から逃げ切ることなんて造作もない。
 けれど牢屋にいないと『脱獄』できないだろ?
 そういうことだ。

 どうしてそこまで脱獄にこだわるのか、理由を聞きたそうな顔だな。
 そうだな、色々理由はあるが、一言で言えばロマンさ。

 お前はこの世界をどう思う?
 オレには、この世界はひどく退屈で、閉塞的で、何の自由もない場所に思える。
 夢も希望もどこかに置き忘れたような、つまらない世界さ。

 だからオレは脱獄する。
 不可能を可能にして、世界中に夢を見せてやるのさ。
 そうすれば、このつまらない世界も少しは面白くなるってもんだ。
 誰だって夢を見ていたいからな。

 ……そろそろ時間だな。
 ああ、さっき脱獄計画が進行中って言っただろ。

 実は今、刑務所の建物の補修で工事業者が入っていてな。
 その隙をついて脱獄する。
 作業服と鍵は、あらかじめ『用意』してある。
 あとはこの牢から出るだけってわけさ。
 簡単だろ?

 話を聞いてくれたお礼に、アンタも連れて行ってやりたいんだが……
 生憎と服が一人分しかなくてな。
 悪いがオレだけで脱獄させてもらう。

 ……なんだ、アンタはすぐに出られるのか。
 じゃあ無茶な脱獄するよりここで大人しくしていたほうが利口だな。
 それにしても本当に警官と喧嘩したとはね、ヒヒヒ。

 俺ばっかり喋って悪かった。
 短い時間だったが楽しかったぜ。
 アンタ、聞き上手で話しやすいんだよ。
 牢から出たらその才能を活かすと良いぜ。
 じゃあな。

 ……
 …………
 ………………

 やっと出ていきましたか。
 まったくあの人にも困ったものですね……

 うん?
 看守の私が、脱獄を見逃してもいいのかって?
 いいんですよ、別に。
 あの人、犯罪者じゃありませんし。
 ただの業者の人間ですし。
 いえ、フリじゃなくて、本物の職人さんです。

 ちょうど、あなたがいる牢屋の壁を直しに来てましてね。
 仕事が終わったから、自分の鍵で出て行っただけですよ。

 あの人、腕はいいんですが、囚人をからかうのが趣味なんです。
 あなたみたいに、何も知らない新入りにホラ話を吹き込むんですよ。
 まったく、下手な詐欺師よりタチが悪い。

1/18/2026, 12:53:16 PM

126.『20歳』『寒さが身に沁みて』『ずっとこのまま』


 20歳になった。
 なにか特別なことが起こると思ったが、特に何も起こらなかった。

 別に今日に限った話じゃない。
 私の人生で、異国の王子様にプロポーズされたこともなければ、勇者しか抜けない聖剣を抜いて魔王討伐の旅に出かけることもないし、異世界転生して女神様からチートをもらえるとかもなかった……
 
 特に特筆すべきものはない、ありふれた人生。
 自分が特別な人間であると本気で思ってたわけじゃないけれど、実際に『何者でもない自分』を突き付けられると、それはそれで悲しいものだ。
 私はまだ、心のどこかでロマンスを求めている。
 20歳になっても、諦めは悪いままだった。
 

「そうは言ってもだ」
 別に自分の人生に不満があるわけではない。
 素晴らしい家族に愛され、良き友人にも出会い、お互いを高め合うライバルと火花を散らした。
 大学も希望のところに入れたし、サークルでも友人関係は良好だ。

 驚くようなドラマはないけど、これと言って不幸もない。
 平穏で、満ち足りた良い人生だった。

「あとは恋人がいれば満点だけど……
 ま、そのうちいい人見つかるでしょ」
 「子供にはモテるんだけどなー」、そう呟いた時だった。

「それはどうかしら?」
「誰っ!?」

 誰もいないはずの部屋から声がする。
 声のしたほうを振り向くと、部屋の入り口に見知らぬ女性が立っていた。

「ここは私の部屋よ!
 出て行って!」
「あら、寂しいわね。
 よく知っているはずよ」
「あなたなんて知らない……
 ……あれ?」
 どこか見覚えがあると思った。
 ぼんやりとした顔立ち、やや癖のある髪、そして微妙にダサいTシャツ。
 まさか!

「お察しの通り、私はあなた。
 5年後の、25歳のあなたよ」
 私は開いた口が塞がらなかった。
 今日まで平凡な人生を送って来た私に、突如未来の私がやってくるだって!?
 ありえない。

 目の前の状況を理解できず、ただ呆然とするしかなかった。
 だが25歳の私は、返事も待たず話を続けた。

「警告しに来たの。
 あなたはこのままだと、何も変わらない。
 ずっとこのまま、特に変わり映えのない人生を送ることになるわ」
「そんなことっ!」
「そして恋人は出来ない」
「えっ……」

 私は愕然とする。
 私には、他の何が出来なくても、どうしても成し遂げたいことがあった。
 それは恋人を作ること。

 平凡でなくてもいい。
 幸せじゃなくてもいい。
 彼氏が、愛が欲しかった。
 でも、5年後の私はそれを否定した。

 冬の寒さが身に染みても、暖めてくれる恋人がいない。
 どれだけ惨めなことか。
 絶対に避けたかった未来を突き付けられ、私はその場で泣き崩れた。

「あなたの絶望は分かるわ……
 でも大丈夫。
 その未来を回避する方法がある」

「合コンよ」
 5年後の私は、親指を立てながら言った。

「出会いがないなら作ればいい。
 そうでしょ?」
「合コン……?」
「なんで私が、19歳じゃなくて、20歳の所に来たか分かる?
 それはお酒が飲めるようになるからよ。
 お酒が飲めるなら合コンに行き放題。
 そうでしょ?」
「でも勇気が……」
「確かに私には勇気が無かった。
 おかげでずっと独り身……
 私みたいに寂しい思いをする必要はないわ。
 勇気を出しなさい!」
「そうね。
 やってみるよ!」
 暗い未来を照らすべく、私が合コンを決意した時だった。


「それはどうかしら?」
「「誰っ!?」」
 私と25歳の私は、声のしたほうに振り返る。
 そこにいたのは、どこか見覚えのある女性だった。

「まずは自己紹介させてもらうわ
 私は、そこで泣いている10年後の私。
 30歳の私よ!」
「「な、なんだってーー」」
 私と私(25)は驚きの声を上げる。

「話は分かっていると思うから、本題に入るわよ。
 合コンはダメ。
 諦めなさい」
「ふざけないで!
 合コンをせずに、どこに出会いが落ちていると言うの!」
 私(25)は私(30)に食って掛かる。
 しかし私(30)は気にした様子もなく、そのまま話を続けた。

「確かに出会いはあったわ。
 けど、ろくでなしばかり……
 どれだけ情熱的な言葉を囁いても、男にとって全部遊びみたいなもの。
 すぐに飽きるの。
 合コンなんてするだけ無駄よ」
「そんな……」
 私(30)の言葉を聞いて、私(25)ががっくりと膝をついた。

「じゃあ、どうすれば……」
「マッチングアプリよ」
 私(30)は断言した。

「アプリには本気の人間だけが集まって来る。
 遊びの人間なんていない。
 どうせ恋人を作るなら、結婚前提で探すべきよ」
「なるほど」
 どうやら私(30)の言っていることは正しそうだ。
 すぐに行動を起こすべく、私がスマホのロックを外した時だった。

「それはどうかしら?」
「「「誰っ!?」」」
 またしても声がした。
 私と私(25)と私(30)が振り返ると、やはり見覚えのある女性がいた。

「前置きは無しよ。
 私は31歳、よろしくね」
「そこは35歳じゃないんだ……」
 思わず突っ込む。
 
「で、何しに来たの?
 マッチングアプリも無駄とか言わないよね?」
 私(30)が食って掛かる。
「無駄よ」
 予想通りと言うべきか、私(31)は私(30)の言葉を否定した。

「言ってくれるわね。
 じゃあ、どうしろって言うの!」
「いいえ、何もする必要はないわ」
「諦めろってこと?」
 私(31)は首を横に振り、ゆっくりと左手を上げた。
 綺麗な指輪をはめた、左手の薬指を見せつけるように。

「私、この度結婚しました!」
「「「えーーーーー」」」
 まさかの展開に、私たちは言葉を失う。

「「「相手は誰?」」」
「親戚に、ショウタくんっていたでしょ」
「12歳年下の子だよね
 だから今は8歳にだったかな。
 それが?」
「あの子がずっと私の事好きだったんだって。
 あの子が私にプロポーズしてくれたの。
 もう、嬉しくて嬉しくて」
 私(31)が頬を赤らめながら恋する乙女のように身をくねらせる。
 およそ31歳のする仕草ではなく、正直直視するのが辛かった。

「おめでとう」
 私(30)が祝いの言葉を述べる。
「おめでとう」
 私(25)も祝いの言葉を述べる。
「お、おめでとう」
 そして、私も空気を読んで祝いの言葉を述べる。
 『一回りも年下だぞ』と思ったが、言える雰囲気ではなかったので、そのまま黙っている事にした。
 多分、二人には私のあずかり知らぬ事情があるのだろう。
 年の離れた恋人でも構わない事情が……

「言いたかったのはそれだけ。
 じゃあね」
 そう言って私(31)は去っていった。
「満足したから、私も帰るね」
「同じく」
 そう言って、私(25)と私(30)も去っていった。

 残されたのはただ一人。
 20歳の私だけ。

「いったい何だったんだ」
 合コンやアプリ登録の決意までしたのに、なんだったのか……
 騒ぐだけ騒いで、勝手に帰っていく未来の自分たち。
 あれが同じ『私』だとは思いたくなかった。

 歳を取るということについて、5分くらい考えた後、私は一つの決断をした。

「とりあえず…… ショウタくんに悪い虫がつかないよう、今の内から可愛がるか」

1/15/2026, 1:20:07 PM

125.『雪』『色とりどり』『三日月』


 これはきっと運命の出会いだ。
 寂しそうに鳴いている子犬を見て、私はそう思った。
 その可愛らしさに心を奪われて、目が離せない。
 気がつけば駆け寄って、私は子犬を抱きかかえていた。

「私、サラっていうの」
 私は抱き上げた子犬に、優しく語り掛ける。
 子犬は最初驚いた様子で縮こまっていたけど、逃げる素振りを見せなかった。
 それどころか、そのまま大人しく身をゆだね、甘えるように鼻を鳴らしてくる。
 その愛くるしい様子に、私は決意した。

「私の家族にしてあげる」
 これはやっぱり運命なのだ。
 そうでなければ、会ったばかりの相手とこんなに心を通わせられるはずがない。
 込み上げてくる幸せに、顔がにやけるのを我慢できなかった。

「あ、名前を付けないとね。
 うーん、ユキはどうかな?
 雪のように白いからユキ」
 「どう?」と聞くと、ユキは嬉しそうに吠えた。
「決まりだね」
 私は嬉しさのあまり、その場でスキップした。

 あとはお母さんに相談するだけだ。
 突然でびっくりするだろうけど、ダメとは言わないはずだ。
 前から『犬を飼いたい』って言ってたから、きっと喜んで――



「ダメです」
 目の前が真っ暗になった。
 お母さんは、見たこともないような怖い顔をして私たちを睨む。
 私は泣きそうになったけど、涙をこらえて叫んだ。

「犬、飼いたいって言ってたじゃん」
「確かに言いました。
 でも、それとこれとは別です」
「私が絶対面倒みるから!」
「それでもダメです」
「しつけもするから!」
「サラ、いい加減にしなさい」
「嘘つき! 意地悪!」
「嘘つきでも意地悪でもありません。
 その子は絶対に飼いません」
「ケチ!
 なんでダメなの!!」
「何を言っているの!?
 あなたはそんな事も分からないのかしら!」
 お母さんは怖い顔のまま、ユキを睨みつけるように言った。

「その子、犬は犬でも地獄の番犬ケルベロスじゃないの!」

 私はお母さんの言葉にハッとしてユキに振り返る。
 そして心配そうに私を見つめるユキと目が合った。
 ユキの、不安げな六つの瞳と…… って、ええ!?

「頭が三つある!
 ケルベロスだ!」
「今頃気づいたんかい!」
「いいじゃん別に!
 頭が三つあってもいい子だよ。
 三倍頭がいいよ、飼おうよ」
「悪いけどケルベロスの育て方なんて分かりません」
「えーーー」
「というか、どこで拾ってきたの?
 ケルベロスって、地獄に住む犬でしょ」
「この世界こそが地獄だよ」
「……育て方間違えたかな」
 お母さんが辛そうに頭を抱えた。
 頭が痛いのだろうか?
 さっきから叫び通しだったから、多分そうだ。

「あと、ずっと聞きたかったんだけど、なんで名前がユキ?
 この子、炭みたいに黒いじゃない?」
「凄いの!
 ユキの歯、とっても白いの!」
「犬の歯はたいてい白いわ」
「マジで!?」
 それは知らなかった。

「とにかく!
 その子は絶対に飼いません!
 だから拾った場所に戻して…… 戻して、いいのか……?
 じゃあ、保健所…… でも、引き取ってくれるのかしら?
 地獄まで連れて行くわけにも行かないし、行けても娘に地獄に落ちろとも言えないし……
 うーん……」
 お母さんがぶつぶつ言い始めた。
 何か悩んでいるみたいだけど、ユキを飼うことを許してくれそうにない事だけは分かった。

 そんなに嫌がるなんて、お母さんはユキのことが嫌いなのだろうか?
 こうなったら説得を諦めて、ユキと一緒に家出をしようかな。
 そんな事を思っていると、突然玄関チャイムが鳴る。
「失礼します」
 返事も待たずに男の人が入って来た。

「ちょっと、勝手に入ってこないでください」
「いいじゃないですか。
 それよりもいいお話があるんですけど」
「今、娘と大事な話をしているんです。
 帰って下さい」
「私の方も大事な話でしてね。
 お金を簡単に稼げる、いい情報があるんですよ。
 ほら、この色とりどりの石をあなたに安く売りますので、他の方に高く売りつければ――」
「犯罪ですよね」
「いえ、ビジネスです」
 お母さんが何度帰って欲しいと伝えても、男の人はしつこく話を続けていた。
 話の内容は半分も分からなかったけど、男の人が悪い人だと言うのは分かった。
 なぜなら男の人は頬に三日月の傷跡があって、まるでテレビに出てくるヤクザのようだったからだ。

「ユキ、どうしよう。
 悪い人だよ、怖いよ……」
 私が恐怖のあまり、ユキをギュッと抱きしめる。
 ユキは私の方を一瞬見て、すぐに男の方を振り向き唸り声をあげた。

「ユキ、どうしたの?」
 今まで見せなかったユキの怒りの形相に、私が驚いて手を離す。
 するとユキは弾かれたように男の人に飛び掛かり、猛烈な勢いでかみつき始めた。

「うわ、犬!
 犬だけはダメなんだ!」
 「助けてくれ」と情けない声をあげながら、男の人は玄関から出て行った。
 お母さんはホッとしたようにため息を吐いて、ユキを優しい目で見た。

「助かったわ、ユキ。
 ありがとう」
「お母さん、ユキは強くていい子なの。
 飼おうよ」
 私がユキ有能さをアピールすると、お母さんはもう一度ため息を吐いて、ようやく微笑んだ。

「そうね、ケルベロスなだけあって、番犬には最適だわ。
 いいわ、認めます。
 その代わり、責任を持ってちゃんと世話するのよ」
「ありがとう、お母さん!」
 私は万歳して喜ぶと、ユキも嬉しくなったのか、三つの頭が遠吠えをし始めた。
 そうして私たちが喜んでいると、お母さんが「そういえば」と手を叩いて言った。

「ところでケルベロスは何を食べるの?」
「分かんない。
 生肉とか、人間の魂とかかな?」
「……やっぱり今の話、なしにしてもいいかしら?」

1/12/2026, 9:47:01 PM

124.『幸せとは』『冬晴れ』『君と一緒に』



 私には付き合って5年になる、恋人の拓哉がいる。
 彼と一緒にいることが私の幸せ。
 一日中側にいたいと思うほど、私は彼を愛していた。

 けれど私たちはお互いに高校生。
 親から同棲は許されていない。
 だから予行演習として、週末に家へ来てもらい、拓哉に手料理を振舞っている。
 そして拓哉は、それを満足そうに食べる。
 私は、それがたまらなく嬉しかった。

 好きな人の笑顔を見る。
 幸せとは、きっとこういうことをいうのだろう。

 そして今日は、待ちに待った一週間ぶりの週末。
 張り切って作っちゃうぞ。


 ☆

「あ、材料がない」
 冷蔵庫の扉を開けて、思わずつぶやく。
 私としたことが、食材の準備を忘れていた。
 私専用の小さな冷蔵庫には調味料しか入っておらず、食べられそうなものが一つもない。
 親には『自分で使う分は自分で用意しろ』ときつく言われているので、分けてもらうことも出来なかった。

 仕方がない。
 私は買い出しに行くことにした。
 コートを羽織り家を出るが、外は凍えるほど寒かった。
 雪が舞い、あちこちが白く積もっている。
「これじゃ、自転車は使えないな」
 私は少し億劫に思いつつも、歩いてスーパーに向かうことにした。

 私はスーパーに向かう道すがら、拓哉の顔を頭に浮かべていた。
 今日は何を作ってあげようか?
 色々な料理を思い浮かべる。

 拓哉の好きなオムレツを作ってあげようか?
 マイブームの中華でも作ろうか?
 それとも冒険して新しい料理に挑戦?
 ああ、食後のデザートも作らないといけないな。
 いろんな料理が頭に浮かび、私を悩ませる。

 それがいけなかったのだろう。
 気が付くと私は、カゴいっぱいに食材を買いこんでいた。
 『あれも食べて欲しい、これも食べて欲しい』と迷いに迷った挙句、全部を買ってしまったのだ。

 その量は尋常でなく、レジからスーパーの入り口まで歩いただけなのに、私の細腕は既に悲鳴を上げていた。
 エコバッグの持ち手が指に食い込んでいたで痛いけれど、私に後悔はない。
 拓哉が笑ってくれるなら、腕の一本や二本、安いものだ。

「やっぱり買い込みすぎたかも」
 強がっては見たものの、荷物の重みに早くもくじけそうになる。
 けれど、今更後には引けない。
 拓哉がお腹を空かせて待っているのだ。
 なんとしても家に帰らねば。

「ええい、女は度胸!」
 気合を入れなおし、足を踏み出した時だった。

「あ」
 突然、浮遊感に襲われた。
 雪で滑ったのだと気づいた時にはもう遅い。
 私の体は後ろに大きく傾く。

(やらかした……)
 荷物に気を取られ過ぎて、足元の注意を怠った。
 両手は荷物で塞がっていて受け身は取れない。
 きっと怪我をするだろう。

 痛い思いをするのは良かった。
 ただ怪我をすれば、料理を作る事が出来ない。
 それがたまらなく悔しかった。
(ゴメン、拓哉)
 私は、ギュッと目を瞑る。
 
 だが、いつまで経っても衝撃は来なかった。
 冷たくてかたい地面ではなく、温かくて柔らかいものに、私は抱きしめられていた。

「雪道は危ないから気を付けろ!」
「拓哉!?」
 恐る恐る目を開けると、そこにいたのは拓哉だった。
 私を受け止めてくれたのだろう、私の顔の近くに拓哉の顔があった。

「なんでここに?」
「家に行ったら、買い物に出かけたって聞いたんだ。
 荷物持ちしてやろうと思って来たんだけど……
 こんなに買うことないだろ!」
「拓哉にたくさん食べて欲しくって」
「だからって、自分の限界を超えて買わなくてもいいんだよ!
 荷物をよこせ!」
 そう言って、私の手から強引に袋を奪い取る。

「重っ!」
「私の愛が?」
「違う。
 買い過ぎだって言ってるんだ」
「これでも足りないくらいだよ」
「……やっぱ愛も重いな」
 拓哉が呆れたように笑い、それにつられて私も笑う。

「次からは食材の買い出しに俺を呼べ。
 怪我をされたらたまらない」
「そこまでして私と一緒にいたいの。
 拓哉って、私の事好きすぎない?」
「お前は違うのか?」
「私も好き。
 君と一緒にいられるなら、私はどこにいても幸せだよ」

 私がそう言うと、拓哉は頬を赤くした。
 可愛い。

「お、晴れて来たぞ」
 照れ隠し気味に、拓哉が呟く。
 釣られて空を見上げると、雪雲は既に去り、青空が広がっていた。
 まるで私たちの明るい未来を表すかのような、気持ちのいい冬晴れの空だった。

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