G14(3日に一度更新)

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12/20/2025, 2:16:30 PM

116.『夜空を越えて』『スノー』『遠い鐘の音』
 『きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから』
 空を見上げていたからたろう。
 ふと、昔好きだった『星の王子さま』の一節を思い出した。

 でも今の私には、王子様の星を探すことはできなかった。
 その視界は涙で滲んでいたからだ。

「……私、悪くないもん」
 仕事場でトラブルがあった。
 私だけの責任じゃないのに、同僚たちは責任を私一人に押し付けた。
 一方的に咎められた私は、遅れを取り戻すための仕事も押し付けられた。

 業務終了を告げる鐘が鳴ると同時に、そそくさと帰っていく同僚たち。
 誰も私を気遣うことは無く、一人職場に残される。
 遠い鐘の音を背に黙々と作業を続けて、仕事が終わったのは0時過ぎ。
 私はへとへとに疲れ果てていた。

 だが今日のような事は珍しくない。
 私が勤めている会社では責任逃れが横行しており、弱い立場の人間が責任を取らされる事が常態化していた。
 そして職場で一番若い私は、格好の餌食。
 何か起こるたびに自分の責任にされた。

 『働くという事は、理不尽に耐える事』。
 そう思って我慢してきたけれど、もう心は限界だった。
 公園にやって来たのも、特に意味のあったわけじゃない。
 ただとても疲れていて、どこでもいいから休みたかったのだ。
 そのまま横になって眠りたいほど私女は疲弊していた。

 そうしてやって来た公園で空を見上げて、どれくらいの時間が経ったのだろう……
 滲んだ視界の先で、光が瞬いたことに気づく。

「なんだろう?」
 涙をぬぐって空を見上げる。
 そして私は心底驚いた。
 たくさんの流れ星が、空を駆けていたからだ。
 
「綺麗……」
 私は、朝のニュースを思い出した。
 アナウンサーが熱っぽく、今日の流星群について語っていたことを。
 『そこまでじゃないだろ』とすぐに忘れたのだけど、私は考えを改める。
 それほどまでに、目の前の光景は幻想的だった。

 まるで子供が庭を駆けるように、楽しげに空を駆けていく流れ星たち。
 夜空を越えてどこへ行くのだろう。
 それは分からない。
 

「羨ましいなあ……」
 私は思った。
 自分にも幸せを分けて欲しいと。
 理不尽ばかりで報われない自分に、何かご褒美が欲しい。

 そう思いながら空を眺めていると、ひときわ光り輝いている流れ星があることに気づく。
 そのままなんとなく眺めていたが、その星は徐々に明るくなっていき、やがて公園全体を照らすほど明るいものとなった。

「こっちに来る!?」
 『マズイ』と思ったときには、もう遅い。
 流れ星は、あっという間に公園へと落ちた。

 幸いというべきか、私の近くには落ちてはこなかった。
 少し離れた花壇に落ちたようで、その場所に砂煙が舞っている。
 その様子を呆然としながら見ていると、砂煙の中からあるものを見つけ、慌てて駆け寄った。

「赤ん坊がいるわ!」
 流れ星の落ちてきた場所には、幼い子供がいた、
 愛らしい女の子で、肌は玉の様に美しく、パウダースノーの様に柔らかい。
 雰囲気もどことなく上品で、将来は美人になると思われた。

「まるでかぐや姫ね」
 信じられない気持ちだったが、私は確信した。
 この子は、流れ星からの贈り物。
 幸せを求める私のもとに、天使のような女の子を遣わせたのだ。

「ありがとう、お星さま。
 私、頑張るわ」
 空を見上げてお礼を言う。
 きっとこの子は、私に幸せを運んでくれるだろう。
 愛おしい我が娘を抱き上げると、何か握っていることに気が付いた。

「これは…… 百合の花?」
 赤ん坊は、一本のバラを大事そうに抱えていた。
 その時、星の王子さまの言葉を思い出した。

 『みんながたった1本のバラを探している』。
 よく覚えていないけど、そんな言葉だったはず。

 この娘はバラじゃないけれど、もう自分の花を見つけたらしい。

「この花、とても綺麗ね……
 そうだわ!」
 私の頭に天啓が降りた。

「良いことを思いついたわ。
 あなたの名前は――」
 

 ✿

「だから私は百合子っていうの。
 感動したでしょ?」
「……私は何を聞かされているの?」
 私の熱演を聞いて、友人の沙都子が困惑気味に尋ねてくる。
 想定内の質問に、私ははっきりと答えた。
 
「私の誕生秘話だよ。
 私のこと、『人間とは思えない』って悪口言うから」
 そう言ってドーナツを丸々一個頬張ると、沙都子が「やっぱり人間じゃなくてリスよ」と呟いた。

「ただの軽口から、まさか本当に人間じゃない可能性が出てきて、さすがの私も動揺しているわ。
 まさか本当の話とか言わないわよね?」
「それこそ、まさかだよ!
 お母さんから子守唄代わりに聞かされたけど、信じてたのは小さい頃だけ。
 高校生にもなって信じないよ」
「まあ、そうよね」
 沙都子は、安心したように息を吐いた。

「ただね。
 この話は少しだけ真実があるの」
「まさか、『自分は名前の通り、百合の様に可憐です』とは言わないわよね?」
「興味深いね。
 その件について、後でじっくり話し合おうか?」
「いいアイディアだわ。
 ボロクソに言い負かしてやるから覚悟しなさい!」
「そこまで言う?」
「いいから続きを話なさいよ」
 なんか釈然としない思いを抱えながら、私は話を続ける。

「この話は嘘ではあるんだけどさ、仕事で責任を取らされたのは本当みたいなんだ」
「ええ。
 妙なリアリティがあったから、そうじゃないかと思ったわ」
「それに関して後日、職場を相手取って裁判起こした」
「えっ」
「パワハラセクハラもすごかったらしくてね、がっぽり慰謝料を取ったみたい。
 完全勝利だって」
 沙都子は驚いた顔をして、私を見る。
 
「これは、お父さんから聞いた話なんだけどね。
 それ以降も宝くじが当たったり、懸賞に当選したり、お父さんが昇進したり……
 私が生まれてしばらくの間、いろいろ良いことがあったんだって」
「まさか……」
 沙都子が、ゴクリとツバを飲んだ。

「だから、この話はほとんど嘘なんだけど、流れ星が願い事を叶えたのは本当なんだよね。
 お金が増えて、超幸せって言ってたから」
「さすがに、偶然だと思うけど……」
「私もそう思うけど、お母さんは信じてることは間違いない。
 私のことを、未だに『星の王女様』って呼ぶんだもの」

12/16/2025, 1:07:14 PM

115.『雪原の先へ』『凍える指先』『温もりの記憶』


 雪山で遭難した。
 吹雪の真っただ中で、周囲は数メートル先すら見えなかった。
 今いる場所の見当もつかず、目的も無いままひたすらに彷徨っていた。

 まさか冬の山がこんなに危険だとは……
 防寒は気を付けたつもりだが、ほとんど役に立っていない。
 がくがくと体は震え、凍える指先は既に感覚がなかった。
 奇跡でも起こらない限り――いや、奇跡が起こっても間に合うかどうか……

 もはや、ここまで……
 俺は死を覚悟した。
 その時だった。

(あれは……?)
 吹き付ける雪の向こうに、なにか茶色いものが見えた。
 天の助けか、脳が見せた幻か……
 遠いこの場所からは、判別が出来なかった。

 だが今の俺には、他に頼るものはない。
 たとえ幻であろうとも、行ってみない事には始まらない。
 俺は最後の気力を振り絞り、雪原の先へと向かう。


 そして無限とも思える時間をかけ、目的地へとたどり着いた先にあったのは避難小屋であった。
 (これで寒さがしのげる……)
 俺は内心で神に感謝しつつ、中に入る。
 屋内は外と同じくらい寒かったが、風がないおかげでかなり快適だった。

 小屋の中央には、たき火の跡があった。
 火を点けるための道具は揃っていたので、薪を放り込んで火を点ける。
 たき火の暖かさが、凍りかけていた俺の体を溶かしていく。

 だが、思っていた以上に疲れていたらしい。
 体に熱が戻っていく感覚とともに、睡魔が襲ってきた。
 (暖も取れたし、少しくらい寝てもいいだろう)
 体を横にして、夢の世界に身をゆだねる。

 そしてどれくらいのそうしていただろう……
 突然小屋の扉が、キィーッと開いたのである。
 (別の遭難者が来たのか……)
 寒気で目を覚まし、意識がまどろんだまま扉を向くと、一気に目が覚めた。
 入って来た人影は、およそ人間とは思えなかったからだ。

 人影は女性だった。
 だが顔には生気がなく、肌は病的なまでに白い。
 陰気な気配を漂わせ、フラフラと歩いている。
 なにより決定的だったのは、その女が防寒着の類を一切着ていないことだ。

 (まさか、雪女!?)
 この山には雪女伝説がある。
 『吹雪の中、小屋で寝ていると雪女がやって来て、寝ている男を氷漬けにして、自分のモノにする』という伝説が。

 それを聞いた時は、『所詮伝承だろ』と思っていたが、まさか実在するとは思わなかった。
 山に対する備えはしていたが、雪女の対策なんてしていない。

 逃げようにも外は吹雪。
 助かる保証なんてどこにもないし、そもそも体が疲れていて、少しも動けそうになかった。
 だが、吹雪の中で死ぬよりはマシなのだろう。
 温もりの記憶を抱いてしねるのだから。

 ところがである。
 雪女は横になっている俺を興味なさげに一瞥しただけで、たき火を挟んで俺の向かい側に座った。
 そして、俺なんて存在しないかのように、なにやら作業をし始めた。

 (何をするつもりだ?)
 雪女はたき火の脇に転がっていた鍋を手に取り、その中に雪を入れ始めた。
 そして十分な雪が入った後、そのまま火にかける。
 湯を沸かしているようだった。
 そして湯がぐつぐつ沸騰したのを見て、満足そうにコクリと頷いたかと思うと、傍らからラーメンの袋を取り出した。

(まさか、ラーメンを食うつもりなのか!?)
 この時点で、俺の恐怖はすっかり薄れていた。
 雪女の行動に興味津々で、自分の置かれている状況も忘れ、雪女をじっと見ていた。
 それほどまでに、目の前の光景は興味深いものだった。

 だがそれがいけなかったのかもしれない。
 不意に雪女と目が合った。
 
 そして雪女は目を見開き、
 「うわ、生きてる!?」
 と文字通りひっくり返った。

 まさかそんなに驚くなんて、思いもよらなかった。
 しかし死んだと思っていても無理はない。
 確かに微動だにしなかったもんな……

「なんか、ごめん」
 何がごめんなのか分からないが、とりあえず謝る。
 すると雪女はバツが悪そうに、こちらを見た。

「なんで死んだふりしてたんですか!
 鍋をひっくり返すところでしたよ!」
「そんなつもりじゃなかったんだが……
 どうせ殺されるし、抵抗は無駄かと思って」
「殺す?
 なんの話です?」
「雪女は男を氷漬けにするんだろ?」
「やだなあ、何時の話をしているんですか?
 今は令和ですよ。
 そんなことはしません」
 朗らかに笑う雪女。
 そこは、人間を害そうという意思は感じられず、俺はほっと胸をなでおろした。

「ところで、貴女は何をしているんですか?」
 俺が姿勢を正して聞いてみると、雪女は再びバツの悪そうな顔をした。
「……雪女って、ラーメン禁止なんですよ。
 体に悪いので」
「え?」
「だから、こうして隠れて食べているんです」

 雪女って、ラーメン食べちゃダメなのか……
 確かに、ラーメンと雪女は相性が悪そうだもんな。

 俺が納得すると、雪女は決意を秘めた目で、鍋を差し出してきた。
「という事で、このことは黙っててもらえますか?
 これ、あげるんで」

 ☆


 翌日、俺は無事に下山できた。
 長時間吹雪の中にいたので検査入院となったが、特に後遺症はないと言われた。
 雪女にもらったラーメンのおかげかも知れない。

 雪女はどうなったかと言うと、
 「あんまり外に出ていると怪しまれるんで帰りますね」
 と吹雪の中を出て行った。
 もちろんラーメンを食べてからだ。

 ラーメンを食べている彼女は幸せそうだった。
 きっと好きなのだろう。
 だから、彼女のコソコソしている様子に、少しだけ同情した。
 好きなものが、好きな時に食べられない。
 それは、とても辛い事だから。

 別れ際の寂しそうな彼女の顔を思い出しながら、俺は決意した。
 もう一度、あの避難小屋に行こうと……
 そして、あの小屋にご当地系のインスタントラーメンを持っていこうと……

 会えないかもしれないし、また吹雪にあうのもゴメンだけど、あの雪女になんとかお礼をしたいのだ。
 ラーメン好きの彼女なら、きっと喜んでくれるはずだ。

 と、そこで気づく。
 下山してから、彼女の事ばかり考えている事に……

「まるで恋しているみたいだな」
 なるほど、雪女伝説はあながち間違いではなかったようだ。
 氷漬けにはされなかったけど、暖かい手作りのラーメンによって、俺の心はまんまと彼女のモノにされたのである

「一生ラーメンを食べさせてあげるって言ったら、結婚してくれるかな」
 俺はそんな事を思いながら、スーパーへと足を向けるのであった。

12/14/2025, 5:41:40 AM

114.『きらめく街並み』『消えない灯り』『白い吐息』

「うーん、今回もお客様は無しか……」
 ホームに止まった電車を見て、俺はため息を吐く。
 駅員として朝から改札口に立っているが、一向に利用客がやって来ない。
 『楽な仕事をしたい』と若い頃は思っていたが、全く仕事がないとなると精神に来るモノがある。

 だが、こればっかりは仕方がない。
 なぜなら、この駅は利用者の少ない『過疎駅』。
 こういった事は日常茶飯事だからだ……

 利用者が極端に少ないこの駅は、数日利用者がゼロなど当たり前。
 酷い時には数か月もの間、誰も来ないことがある。
 電車は律義に停まるのだけど、皆素通り。
 逆に乗っていく人も皆無なので、駅員としてすることがない。

 ここまで来ると駅員はもはや必要ないのだが、俺の強い希望でこの場に立たせてもらっている。
 本来必要のない仕事をしているので、報酬などはない。
 純然たるボランティアだが、知り合いや近所の人が、食べ物などを分けてくれるので困ることは無かった。

 だが理解を得られているとは言いがたい。
 俺が駅員に志願したときは周囲からは大いに困惑されたし、今でも『いてもいなくても変わらないだろ?』とよく言われる。
 利用者がいない日が続けば、自分でも存在意義を疑うことがある。

 報われることの少ない、利用者のいない駅の駅員。
 はたから見て、おかしい奴だとは思われているだろう。
 だが、俺はへこたれはしない。
 俺はこの駅の駅員をすることに、使命感を抱いているのだ。

 よく考えて欲しい。
 初めて来る土地では、誰もが大きな不安を抱く。
 知り合いのいない寂れた街に、ポンと放り出されるのだ。
 不安と恐怖に押しつぶされ、自分には未来がないのだと錯覚しても、不思議ではない。

 かくいう俺も例外ではなく、初めてここに来た時は泣きそうになった。
 頼れるものが何も無く、駅前で右往左往していた。
 あっちでキョロキョロ、こっちでキョロキョロ、完全に不審者であった。

 そうして駅の前でオロオロしていると、たまたま通りかかった近所の人に助けてもらえた。
 この街の事を、丁寧に、ゆっくりと説明してくれた。
 おかげで俺は、こうして心穏やかに暮らせている。
 あの人には感謝してもしきれない。

 俺は幸運だったのだと思う。
 まったく人の気配のない駅前で、親切な人に出逢えたのだから。
 すぐに気持ちを切り替える事が出来た。

 でも他の人はそうじゃないかもしれない。
 誰とも会えず、どこに行けばいいかも分からず、途方に暮れる事だろう。
 それはきっと、悲しい事だ。

 だから俺はここにいる。
 ここに来た人が、不安で押しつぶされないように。

 真っ暗な夜の海原から見える灯台のように、暗闇の中でも消えない灯り。
 俺は、それになりたいのだ。

 ここには、都会の様なきらめく街並みはない。
 109もないし、書店も映画館だってない。
 無い無い尽くしの街だけど、人の優しさはある。
 それだけは、知って欲しいと思う。

 おっと、考え事をしている内に、新しい電車が来たようだ。
 ハラハラしながら様子を窺っていると、電車から降りてくる人影が見えた。
 だが降りる駅を間違えたことに気づいたのか、すぐに車内に戻ろうとする。
 だが無情にもドアはすぐに閉まってしまい、電車は発進してしまった。
 人影は呆然と電車を見送るが、諦めたのか改札口に向かって歩いてきた。

 とぼとぼと歩いて来るお客様。
 落ち込んで大きなため息を吐いているのか、ここからでも白い吐息が見える。
 始めて来た土地で、きっと不安と恐怖でいっぱいに違いない。
 俺はそんなお客様を元気づけるため、自分に出来る精いっぱいの笑顔で出迎えた。

「きさらぎ駅へようこそ、お客様。
 もう二度と帰れませんが、お客様が快適な生活を送れるように全力でサポートさせて頂きます」

12/10/2025, 12:29:52 PM

113.『贈り物の中身』『冬の足音』『秘密の手紙』


 『オシャレは常に命がけ』。
 それが今を生きる、私たち女子高生の合言葉。

 今も昔も女子高生は、『カワイイ』を追求してきた
 アクセサリー、改造制服、メイク、髪染め……
 教師や親からの説教など、なんのその。
 たとえ、小遣いをカットされようと止まることはない。
 どんな困難が待ち構えようとも、カワイイ道を突き進むのが、女子高生という生き物なのだ。

 だというのに、最近の女子高生はなってない。

 冬の足音が聞こえてくる今日この頃。
 寒いからと言って、スカートの下にジャージを着こんでくるクラスメイトが増えたのだ。
 嘆かわしい。
 何が嬉しくてジャージを履かないといけないのだ。
 ダサすぎる!

 中には人肌に似せたストッキングを着込む友人もいる。
 当たり前のように『オシャレでしょ?』と振舞うが、私の目は誤魔化せない。
 努力は認めるが、それはニセモノ。
 本物の美脚を見せつけるのが、真のオシャレ!
 たとえ真横から冬の足音が聞こえようとも、素肌で冬の街を練り歩くことこそが、女子高生の生き様ではないのか!

 見よ!
 この無駄のない足を!
 筋トレに励んで作り上げた自慢の足だ。
 鍛えられた筋肉で構成された足は、ほんのり蒸気が立ち上がっている。
 新陳代謝が活発で常に暖かく、ジャージを履けば汗で蒸れるほど。
 やはり筋肉、筋肉がすべてを解決する。

 ――ただ鍛え過ぎたのか、周囲からの評判は悪い。
 友人からは『キモイ』とバッサリ切り捨てられるし、男子から『俺より逞しい』と自信を喪失させてしまっている。

 思ってたとのは違う反応に、私はしょんぼりした。
 オシャレをして、モテモテになるのを夢見ていたのに、誰もが私を遠巻きに見る始末……
 まさに本末転倒であった。

「来年の冬は、無難にジャージを履こう」
 私は決意するのだった――


 そして、決意を固めた日の放課後。
 帰ろうと下駄箱に行くと、そこには手紙が入っていた。

「これは…… まさか……」
 愛をしたためた秘密の手紙――まさかラブレター!?
 驚きと興奮で体中が熱く沸き上がり、頬が紅潮する。
 男子の反応を見て正直諦めていたが、まさか本当にモテるとは思わなかった。
 私の元に、冬を通り越して春が来た!

 感動に打ち震えつつも、私は誰にも見られないようカバンの中に手紙を入れる。
 知り合いに見られたら大変なことになるからだ。
 女子高生はオシャレも好きだが、コイバナも大好きなのである!

 幸い、周囲に怪しんでいる人はいなかった。
 私はさりげない動作で校内に戻り、トイレに入る。
 そこならば誰にも邪魔が入らないからだ。
 手紙にはこう書かれていた。

 『あなたの素敵な足に惚れました。
  伝えたいことがあるので、空き教室まで来てください。
  待ってます』

 指定の時間は10分後。
 場所は遠いが、走れば余裕で間に合うはずだ。
 私のオシャレに気づくとは、きっと素晴らしい男性に違いない!
 待っていろよ、まだ見ぬ運命の人よ!

 私は急いで指定の場所に駆けつける。
 口から出そうなほど高鳴る心臓を押さえ、私は教室のドアを開ける。
 そこにいたのは――


 大人しそうな、小柄で地味な女の子だった。


 私は意表を突かれた。
 完全に男子だと思っていたからだ。
 呆気に取られていると、少女は私に気が付いた。

「ありがとうございます。
 手紙、読んでくれたんですね」
 彼女は緊張しているのか、ギクシャクとまるでロボットの様に近づいて来る。
 その顔には、緊張と不安と期待がこもっている。

 やはり告白なのだろう。
 しかし悪い気はしない。
 同性は範囲外なのだが、こうして好かれるのは純粋に嬉しかった。

 だが彼女の気持ちは受け入れられないのも事実。
 彼女もそれは覚悟しているはず。
 せめて茶化したりせず、誠実に断ろう。
 そう思っていると、彼女は歩みを止めた。

「先輩の事、ずっと見てました。
 その、足がとてもステキで……」
 彼女の顔が赤くなるにつられて、私の顔も赤くなる。
 なんと、本当にこの子は私の足に惚れてくれたと言うのか!?
 ちょっとだけ気持ちが揺らぐ。
 『理解してくれない男子より、やはり分かってくれる女子の方が……』
 そんな事を考えていた。

「これ、受け取ってください!」
 一瞬考え事をしたのが悪かったのだろう。
 彼女が箱を勢いよく差し出してきたので、反射的に箱を受け取ってしまった。

「先輩の事を考えて選んだんです」
 そう言ってモジモジする彼女は可愛らしい。
 少しだけ罪悪感を抱きつつも、受け取った物をそのまま突き返すの気がひける。
 私は少し悩んだ後、箱の中身を開けることにした。


「えっ?」
 私は眉をひそめる。
 中身は、どう考えても告白に似つかわしくないシロモノだった。
 彼女はどういうつもりで、これを渡してきたのだろう?
 好意的に見ても告白の際に渡してくるような神経が分からない。

 『どういうつもりなのか?』
 私が説明を求めるように視線を向けると、彼女はハッとした顔をして、自分のポケットを漁る。
 そして一枚の小さな紙を取り出した。

「我が山岳部に入部してください。
 先輩なら、富士山だって登頂できますよ!」
 出されたのは、部活の入部届。

 それで私は全てを悟った。
 彼女が言った、『先輩の足が素敵』という意味も……
 贈り物の中身の意味も……

 もう一度、箱の中を見る
 そこに入っているのは、登山用のごつい靴。
 底が厚く、金具までついた、オシャレの『オ』の字もない、実用に即した本格的な靴だ。

「登山は、時に命を落とすこともある過酷なスポーツですけども……
 先輩の逞しい足なら大丈夫!
 どんな岩山も踏み越えられます」
 キラキラして、期待を込めた目で見つめて来る彼女。
 『これは断れそうにないな』と、私はため息を吐いた。

「オシャレって、本当に命がけだなあ……」

12/6/2025, 2:11:19 AM

112.『失われた響き』『君と紡ぐ物語』『凍てつく星空』

 プロの漫画家になって、初めて担当編集者さんに会った時の事を、今でも鮮明に覚えている。

「初めまして、ヨミ先生。
 君の担当になった竜造寺です」
 そう言った彼は、名前に似合わずキラキラしたオーラを纏う爽やかな人だった。
 例えるなら、少女漫画からそのまま抜け出してきたような王子様。
 女性なら、誰もが彼に夢中になるくらい容姿が整っていた。
 漫画にしか興味のない私ですら、胸がときめいたのだから相当なものである。

 けれど少し怖い印象も受けた。
 その笑顔は綺麗だけど、あまりに完璧すぎて、まるで凍てつく星空のよう。
 綺麗だけど恐い。
 それが第一印象だ。

「漫画家の君と、担当編集のボク。
 君と紡ぐ物語で、世界をあっと言わせよう」

 でも、それ以上に思ったのが、『この人とならすごい漫画が描けそうだ』という確信。
 歯の浮くような気障なセリフも、彼が言うとさまになる。
 初めての連載に不安だった私も、この人ならばと武者震いがする。
 これなら○ンピース超えも夢ではない。
 本気でそう思った。

 だけど――


「打ち切りになりました……」
 現実は非情だ。
 私の渾身の力作も、世間に出ればただの凡作。
 ごく少数の熱心なファンに支えられ、何冊か単行本を出すことができたが、実情は常に打ち切り候補。
 人気は下から数えたほうが早かった。

 それは主に、私の力量不足によるものだ。
 絵は上手い方だが、驚くほど登場人物に深みがない。
 熱心なファンですら苦言を呈するほど。
 それは私のコミュ障に由来するもので、これまで人づきあいをサボっていたせいでもある。

 『○ンピース超えも夢ではない』。
 いかにそれが無謀な夢だったか思い知る。
 アンケートの結果を聞くたびに、身の程を思い知らされる。
 思い上がりもいい所だ。

「私の力不足です」
 だが私の担当編集はそうは思わなかったようだ。
 彼は悲痛な顔で私を見る。

「漫画の打ち切りは担当の責任!
 ならば、ボクは責任を取らなければいけません」
 そう言うや否や、彼はポケットからナイフを取り出した。 

「かくなる上は、エンコを詰めて――」
「やめて!」
 咄嗟に飛びついて、指を切ろうとするのを阻止する。

「離して下さい。
 これでは責任が取れません!」
「それは担当の責任の取り方ではありません。
 ヤクザの作法です!!」

 そう私の担当編集者は、まさかの「こわーい」人種の人。
 元ヤクザなのだ。

 初対面で怖いと思ったが、本当に怖い人だったとは……
 こんな方向で怖いとは思わなんだよ。
 
「竜造寺さんは私の担当ですよね。
 なら打ち切りの悔しさをバネに、改めて面白い漫画を世に出すことこそが、担当の責任の取り方ではありませんか?」
「それは……」

 (これ、どっちが担当だか分からないな)
 私は心の中でそう思いながら、彼を宥める。
 なんで自分が言ってほしい事を、自分で言っているのか分からないが、ともかく指を詰めさせないよう説得する。

「今回の事は残念でしたが、龍造寺さんが指を詰めても何の意味もありません。
 それよりも次回作の話をしましょう。
 私、良いアイディアがあるんですよ」
 嘘である。
 アイディアなんて無いし、なんなら漫画家を辞めようとすら思っていた。

 けど、それを言ったら彼が物理的に腹を切りかねない。
 だから私は、口からデマカセを言って、彼の蛮行を止めようとした。

「そう…… ですね……」
 功を奏したのか、ナイフを持った手から力が抜ける。
 私はすぐさまナイフを奪い取り、机の上に置く。
 とりあえずこれで指を詰めることは無い。

「……分かりました。
 担当として、私は責任を取ります」
 そう言って、彼は自分の頬を叩く。
 そして気持ちを切り替えたのか、思いつめていた表情はどこにもなかった。

「ヨミ先生がそう言うと思って、既に枠を確保してあります。
 次回作も頑張りましょう」
 ニコっと彼は笑う。

 人気の無い漫画家の連載枠の確保。
 およそ信じがたい事実だが、彼の事だ、きっと編集長を脅したのだろう。
 編集長、胃に穴が開かなければいいけれど。

「それで?
 どんなアイディアがあるのでしょう」
 ギクリと私の肩が跳ねる。
 さきほど蛮行を止めるために、『アイディアがある』とは言ったが、残念ながらそんなものはない。
 けれど今さらないとも言えず、私は思いつくままでっち上げる。

「えーと、今作の評判の悪いところは登場人物に深みがない事にあります。
 そこで次は、魅力的な登場人物を作ってから漫画を描こうかと思っています」
「なるほど。
 面白い漫画には、面白いキャラが必要不可欠ですからね。
 それで具体的には?」
「えーっと」
 もう少し掘り下げてくれてもいいのに。
 矢継ぎ早に繰り出される質問に、私は窮地に立たされる。

「魅力的な登場人物。
 それは……」
「それは……?」

 もはや後は無い。
 なるようになれと、私は竜造寺さんを指さした。
「元ヤクザが、カタギになろうとしてトラブルを起こす漫画『仁義なきコメディ』を描こうと思います」


 ◇


「ヨミ先生!
 新しい漫画の出だしは上々ですよ。
 SNSでも話題になってます」
 竜造寺さんの言葉に、私はほっと胸を撫でおろす。
 嘘を誤魔化すために勢いだけで描いた漫画なので、色々複雑な思いはある。
 だが書いた漫画に人気が出たことは素直に嬉しかった。

「シリアスとのバランスも完璧です。
 ヤクザの世界に伝わる『失われた響き』とはなんなのか?
 その正体の考察で大賑わいですよ」
 適当に頭に浮かんだフレーズがそこまで受けるとは……
 まったく正体を考えてないけど、真面目に考えておかないといけないな。
 私がこれからの展開で思い悩んでいると、竜造寺さんが神妙な顔で声をかけてきた。

「ところでヨミ先生。
 ボクは、この漫画の楽しめそうにありません」
「というと?」
「なまじヤクザの世界を知っているせいで、いろいろ目に付くんですよね……」
「あー、たまに聞く話ですね。
 専門知識があると、どうしても細かい所が気になってしまうとか……」
「はい。
 ですから、やたらエンコを詰めたがるヤクザがどうしても滑稽に映りまして……
 フィクションだと思っていても、ありえないです」
「……もしかして気づいてない?」
「何の事です?」
「いや、分からないんならいいんです」
 急に話を切り上げた私を、竜造寺さんは訝しむような目で見つめるが気づかないことにした。
 下手に知られて、指を詰められたらたまったものではないからだ。
 私はそのまま話を終わたかったのだが、彼にはまだ言いたいことがあったらしく、そのまま言葉を続けた。

「それはそうと、取材のために、ボクは先生に知り合いのヤクザの話をしましたよね」
「はい、その節はとても助かりました。
 それが何か?」
「よく考えたら、かつての仲間の事を話すのは、義理人情に反しているのではと思いまして……
 まるで仲間を売っているみたいじゃないですか」
「それで?」
「責任を取って、エンコを詰めようと思います」
「やめんか!」

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