151.『ハッピーエンド』『何気ないふり』『幸せに』
友人の友子と街に遊びに出た日曜日、私はとんでもない光景に出くわした。
「拓哉が知らない女性と歩いている……」
道路を挟んだ向こう側で、恋人の拓哉が知らない女性と歩いていた。
とても綺麗な女性と、腕を組んで歩いている。
顔はよく見えないが、嫌がっている素振りもない。
つまり無理やりでなく、拓哉の意思で腕を組んでいる。
これはいったいどういう事だろう?
腕を組んで歩くのは恋人の特権だ。
もちろん拓哉の恋人は私だし、社会通念上それ以外の女性は腕を組んではならない。
つまり、拓哉の腕は、私こと咲夜専用の腕なのだ。
にも関わらず、彼女持ちの男が、彼女以外の女と腕を組んで歩いている理由。
それは――
全く見当がつかなかった。
「あっ、咲夜の彼氏が浮気してる」
隣を歩いていた友子がポツリと呟いた
せっかく現実逃避をしていたのに、なぜ友子はひどい現実を突きつけるのか?
現実の重さを受け止めきれず、私はその場に膝から崩れ落ちた。
「ちょ、咲夜!?」
慌てて友子が私の腕をつかむ。
そのおかげで私は地面にぶつからずに済んだが、体に力が入らない。
よろけながら、道路わきの縁石に腰を下ろした。
「ごめん、そんなにショックを受けるとは思わなかった」
「ダイジョウブ、キニシテナイ」
「大丈夫じゃないやつだ……」
よっぽど酷い顔をしているようだ。
友子が心配そうに私の顔を覗き込む。
「確かに『浮気』って言ったけどさ。
まだ決まった訳じゃないでしょ」
「気休めはよしてよ!」
「咲夜の彼氏のことをあんまり知らないけどさ。
彼、浮気するタイプには見えないんだよね。
咲夜とデートしているところ見たことあるけど、彼、ずっと咲夜のこと見てるもん」
そんな事言われなくても分かってる。
私も拓哉の事を見ているから。
だからこそ、目の前で起きていることが信じられない。
「何か理由があるんだよ。
例えば、お姉さんとかじゃないの?」
「拓哉は一人っ子だよ」
「あっ、お母さんの可能性は?
恋人みたいに仲のいい親子っているでしょ」
「親に会ったことあるけど、違う人」
「道案内でもしているんじゃない?」
「腕を組む必要性がない」
「……浮気かも」
友子が諦めた。
バツの悪そうな顔をしている彼女をよそに、私は人生の無常さに思いを馳せていた。
なんでこんなことになったのだろう
昨日だって普通にデートしたのが、遠い昔の様だ。
あの時、結婚式のポスターを見て、『一緒に幸せになろう』と言ったのは私の気のせいか?
あの時の顔を赤くしていた拓哉と、今だらしない顔をしているであろう拓哉。
どっちが本当の拓哉なのだろう。
拓哉に限って浮気はありえない。
でも目の前で拓哉は浮気をしている。
私はグルグル思考が回り、まるで夢の中にいるみたいに現実感が無い。
混濁する意識の中考えに考えて、私は一つの結論にたどり着いた。
「直接聞く!」
「ちょっと咲夜!?」
私は立ち上がって、横断歩道に向かって走り出す。
タイミングよく信号が青になったので、そのまま横断歩道を走って渡り、拓哉たちの前に回り込む。
「拓哉!」
浮かれていたのか、私が呼びかけてから初めて気づいた拓哉。
驚きの表情を浮かべて私を見る。
「その女、誰!?」
正直聞きたくは無かった。
見なかったことにして、明日から普通におしゃべりしてデートしたかった。
でも無理だ。
拓哉の行いを見なかったことにして、明日から何気ないふりでおしゃべりするなんて出来ない。
ここで聞かなければ、これからずっと私の心は晴れないまま。
たとえ、私たちが思い描いたハッピーエンドが無くなろうとも、ハッキリさせるべきだった。
永遠とも思える静寂。
まるで死刑宣告を待ってる気分。
早く楽にしてほしいと思いながら、待つことしばし。
口を開いたのは、拓哉ではなく女の方だった。
「あら、咲夜ちゃんじゃないの。
奇遇ね」
穏やかな笑みを浮かべて、私を見る女。
これは余裕?
一瞬マウントを取ってきていると思ったが、どうもそんな雰囲気ではない。
どちらかと言うと親しい知り合いに向ける笑みのような……
でも、私はこの女を知らない。
この女はいったい誰?
混乱した私は、助けを求めるように拓哉を見ると、彼は苦虫をかみつぶしたような顔をして言った。
「……俺の父親だ」
「…………は?」
思いがけない答えに呆気にとられる私。
そのまま隣の美女に視線を向けると、彼(?)はコクリと頷いた。
「父です」
「いやいやいやいや!
無理があります!」
待ってほしい。
私は拓哉のお父さんには挨拶済みだ。
質実剛健を体現したような男らしい拓哉のお父さんが、なぜ今、人気モデルのような美人になっているのか。
メイク技術が凄すぎる。
「拓哉のお父さん、女装が趣味なんですか?」
「女装が趣味と言うのではないの。
誤解しては困るわ」
「ではなぜ?」
「息子が意地っ張りでね。
この格好でないと、一緒に外に出てくれないのよ――」
「違う!」
拓哉が叫ぶ。
「朝ご飯食べていたら、コイツがいきなりこの格好で現れたんだ。
呆気に取られていたら、無理矢理腕を……」
拓哉はそう言うと、組んでいる腕を前に出す。
なるほど、こうして近くから見ればよく分かる。
仲良く腕を組んでいるように見えたそれは、実際のところ絶妙な角度で拓哉の腕をひねり上げ、逃げられなくしていた。
その証拠に、拓哉の手はお父さんの手をつねっていた。
「良く分からないけど、浮気じゃないことは分かった」
「オヤジとの浮気を疑われて破局なんて、冗談でもねえ」
本当に良かった。
拓哉が浮気をしていなくて。
安心したらお腹が空いたな。
「じゃあ、気は済んだから続きをどうぞ。
拓哉のお父さんとデートを楽しんでね」
「え、助けてくれないの!?」
「なんかいっぱいいっぱいで、助ける気力が無い」
「そんな!」
私が「拓哉をよろしくお願いします」と頭を下げると、お父さんはにっこりと微笑みながら拓哉を引きずっていった。
ごめんね、拓哉。
正直な話、理解の範疇外すぎて、関わりたくないんだ。
「で、どうなったの?」
私が二人を見送っていると、いつの間にやって来たのか、隣に友子が立っていた。
どうやら遠くから様子を窺っていたようで、よく事情が分かってないらしい。
私はどう説明したものか少し考えて、こう答えた
「一言で言うと、恋人みたいに仲のいい親子ってやつです」
150.『ないものねだり』『My Heart』『見つめられると』
「そこのお嬢さん、お時間ありますか?」
また、ナンパか。
そう思いながら振り返って、私は息を呑んだ。
(まさか、こんなことがあるなんて……)
声をかけてきた男から目が離せない。
私は今まで何をしていたか忘れ、男を凝視する。
それほどまでに、彼は魅力にあふれていた。
だが男の方は明らかに困っていた。
なんの反応もない私に戸惑い、恐る恐る言葉を続けた。
「あの、迷惑だったでしょうか……?」
ナンパだと言うのに、バカに丁寧な男である。
だが無理もない。
声をかけた相手が振り返ったまま動かないとなれば、誰しも心配するものだ。
我に返った私は、慌てて首を振って否定した。
「いえ、いいえ!
迷惑なわけないです!
えっと、その…… 見惚れてました」
まさか直球で来るとは思わなかったらしい。
彼は少しの間呆然とした後、可愛らしく頬を赤らめた。
「えっと、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます(?)」
口にしてから、自分がおかしな発言をしたことに気づいた。
舞い上がっているとはいえ、これでは支離滅裂だ。
穴があったら入りたい。
「えっと、それでなんの御用でしょうか?」
「恥ずかしいのですが、その。
あなたがとても魅力的にみえまして、声をかけたのです」
「貴方と同じですね」と彼はにかんだ。
まさか私たちは同じ思いだったとは!
これなら話が早い。
今この瞬間の奇跡に感謝した。
私が心の中で浮足立っていると、彼が優しく微笑んだ。
「知っていますか?
人が誰かに惹かれるのは、その人が自分に無いものを持っているからだと」
「それを私が持っていると?」
「ええ、その通り。
私はそれが欲しい。
言わば、『ないものねだり』ですね」
そう言って、彼は私の真正面に立った。
まっすぐ、私を射抜くように見つめて……
「そんなに見つめられると……」
「いいじゃないか。
すぐに俺たちは一つになるんだから」
さらに一歩、彼は踏み込む。
顔に、彼の熱い吐息がかかる
「僕はアナタが欲しい」
そう言って、彼は私の唇を――
――――ではなく、私の首筋に深く嚙みついた。
「かはっ」
喉から声にならない音が出る。
これはまずいと思いつつも、体に力が抜け、指一本動かせない。
私の体から熱が奪われ、意識が遠くなっていく。
私が恐怖を感じている間も、彼は私の血を啜っていく。
ひとしきり堪能した後、満足したのか私の体を乱暴に放り投げた。
「うまい、若い女の血は格別だ!
生命力にあふれてやがる!」
先ほどまでとは打って変わって、品のない声を上げる。
「人間の上位存在である我々吸血鬼も、これだけは持っていないからな。
文字通り、『ないものねだり』だ」
そう言って、下卑た笑い声をあげた後、彼は冷めた目で私を見下ろした。
「じゃあな、お嬢さん。
次は知らない男に声をかけられたら逃げるんだな。
痛い目にあうぜ、って聞いてないか」
イヒヒと下品に笑い私に背を向け、歩き出そうとした瞬間――
――彼の体が、石像のように硬直した。
当然だ。
私の腕が彼の胸を貫いていたのだから……
「な、なぜ死んでな……」
彼が力なく振り返る。
よっぽど意外だったらしい。
その顔には『信じられない』と書かれていた。
「あれ、気づかないの?」
私は私で驚いていた。
彼はとっくの昔に同族だとバレていると思っていたからだ。
私は子供に説明するように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私も吸血鬼なの。
アナタよりもずっとランクの高い、ね」
彼の体が、小さく跳ねた。
「いやー、まさか吸血鬼が吸血鬼に血を吸われるなんてね。
ほんと、恥ずかしいわ」
結構な血を吸われたせいで、頭がくらくらする。
でも死にはしない。
心臓を潰されない限りは、私たちは不滅だ。
「ま、まさか俺の血を吸う気か!?」
「まさか!
血を吸うなら活きのいい女の子!
そこはアナタと一緒よ。
だから私が欲しいのは、血じゃないの」
私は彼に見せつけるように、出来る限り邪悪な笑みを浮かべる。
「アナタの心臓が欲しいの」
彼の口から「ヒッ」と短い悲鳴が漏れた。
「少し前に吸血鬼ハンターとばったり出逢ってね。
返り討ちにしたんだけど、心臓を潰されちゃってさー。
どうしようかと思っていたら、あなたがやってきた。
本当に助かったわ。
もう少し遅かったら私、死んでたわ」
「い、嫌だ。
助けて――」
「拒否権は無いわ。
私の血、吸ったでしょ」
そう言って、私は男の胸から心臓を引き抜いて、自分の胸に無理矢理押し込める。
「今日からよろしくね、My Heart」
奪った心臓は、まるで最初からそこにあったかのように、すぐに体になじんだ。
「はあー、焦った焦った。
これで死なずに済むわ」
私は用済みとなった男の体を放り投げる。
そして、何の魅力もなくなった男を見下ろして、最後にこう告げた。
「次から声をかける女は選ぶことね。
……痛い目に遭うわよ、って聞こえないか」
149.『特別な存在』『ところにより雨』『好きじゃないのに』
王とは特別な存在だ。
誰よりも博識で、聡明であり、民の模範とならねばならない。
科学技術が発展した現代において、権威に陰りは見えても、今なお必要とされる希望の光。
それが王だ。
かくいう僕も、次代を担う者として生を受けた。
周囲からは人々を導き、安寧をもたらす王になることを望まれている。
自分も期待に応えられるよう勉学に励み、芸事や武芸に心血を注いできた。
正直な話、辞めたいと思った事は一度や二度ではない。
けれど、挫けそうになるたびに、父の背中を思い出し、自らを鼓舞してきた。
どんな困難にも屈せず、諦める事の無かった偉大な父に追いつくために――
そんな決意を胸に過ごしていたある日、事件が起こった。
長年僕を支えてくれた世話係のメイドが倒れたのだ。
幸いすぐに近くにいた別のメイドに受け止められ大事には至らなかったが、僕は自分が思っていた以上にショックを受けていた。
物心つく前から一緒にいた、もう一人の母とも言うべきメイド。
そんな家族同然の彼女のことを、何も気づけなかったからだ。
(国民の笑顔のために頑張っているのに、一緒にいる人のことすら分からないで、何が王か!)
その日の鍛錬は、いつもよりも気合を入れて励んだ。
☆
一日のスケジュールを終え、僕はメイドのお見舞いに行くことにした。
部屋を訪ねると、彼女は相変わらず顔色は悪かったが、倒れた時より血色が戻っていることに安心する。
ベッドから立ち上がろうとする彼女を手で制し、見舞いの言葉を告げた後、僕は言った。
「どうして倒れたんだ?」
責めないように、優しい口調で静かに尋ねる。
彼女は言葉を濁すばかりで答えようとしなかったが、どうしても聞きたいという僕の熱意に負けたのか、彼女は渋々と言った様子で話し始めた。
「……ご飯を買う余裕がないのです」
その言葉を聞いて、僕はあることに思い至った。
『物価高騰』。
近年、国民を悩ます社会問題。
あの偉大な父ですら、対策に手を焼いている大問題。
家庭教師から聞き及んでいたが、正直な話、まったく実感が無かった。
王の子として生まれ、何不自由なく育てられた僕。
物価高の話を聞いても、無機質な数字の羅列にしか思えなかった……
だが今はどうだ?
目の前の家族が、こうして顔を曇らせている。
遠い世界の事に思えたことが、急に現実感を持って現れた。
(どうにかしなければならない)
心の底から、そう思った。
だが、どうすればいいだろう。
父ですら根本的な解決策を見いだせてない。
なのに、王でもない自分に何が出来るだろう。
自分の未熟さが恨めしかった。
(出来る事からやろう)
そもそも王になりたいのは、国民を笑顔にするため。
ならば目の前の彼女を笑顔にするのが先決ではないか?
そう思った僕は、姿勢を正して言った。
「何か、出来ることはないか?」
意を決して尋ねると、メイドは驚きに目を見開き、しばらく思案した後、遠慮がちに口を開いた。
「一緒に映画を、ホラー映画を見てもらえませんか」
今度は僕が驚く番だった。
「実は『ゆっくり休め』と、休暇を頂いたのです。
そこで、好きなホラー映画でも見ようと思ったのですが、殿下もご存じなように私は臆病なのです。
いつも一緒に見てくれる同僚も、今は仕事中なので誘う訳にもいかず諦めていたのですが……
その、お付き合いいただけませんか?」
「そのくらいお安い御用だ」
僕は胸を叩いて請け負った。
だが心中穏やかではなかった。
何を隠そう、僕はホラー映画が大の苦手だからだ。
しかし『何か、出来ることはないか?』と言った手前、その言葉を撤回するわけにはいかない。
王は約束を違えてはいけないのだ。
きっと父も、同じ立場ならそうしただろう。
そして映画を見ている間も、穏やかな心を保たなければならない。
悲鳴を上げてしまえば『好きじゃないのに、付き合わせてしまった』と、余計な気を使わせてしまうからだ。
(薄目で見ていれば大丈夫なはずだ)
そんな事を思っていると、メイドはベッドの下から箱を引きずり出した。
何事かと思って眺めていると、その箱の中にはたくさんのDVDが入っていた。
「……たくさんあるな」
そう言うと、メイドは恥ずかしそうに言った。
「ふふふ、今はサブスクが主流ですけどね。
古い人間だからDVDの方が好きなんです」
僕の脳内に『ひょっとして、DVDを買いすぎてお金が無いのか?』という考えがよぎる。
だが口には出さない。
未熟な僕も、空気を読む重要性くらいは理解しているつもりだ。
そのまま複雑な思いで見守っていると、彼女は箱の中から一枚のDVDを取り出した。
「これにしましょう、殿下。
せっかくですから、とびっきり怖い奴を選びました」
満面の笑みを浮かべる彼女を見て、『やっぱり正直に言うべきだった』と僕は激しく後悔するのだった。
なお余談なのだが、履いていたズボンはこっそりと洗濯に出した。
詳細は明かさないが、『ところにより雨』とだけ言っておく。
148.『夢が醒める前に』『ふたりぼっち』『ばかみたい』
【前回のあらすじ】
期末試験で赤点を取ってしまった百合子。
追試で合格できなければ、『春休みは返上』と教師に宣告されてしまう。
それを聞いた友人の沙都子は『入試を突破出来たのはおかしい』と馬鹿にするが、百合子は『評判のいい学食のために頑張った』と言い返す。
それを盗み聞きしていた教師は、百合子を追い込むため『追試に落ちたら学食禁止』を告げ――るのではなく、『成績優秀者のみが食べられる裏メニューの存在』について示唆する。
しかし、教師は『だがお前には無理だ』と断言し、沙都子からも『信じている』と言いつつ1ミリも信じてない態度を受けて、百合子は憤慨する。
そして、『絶対に裏メニューを食べる』と決意を固める百合子だった。
☆
あれから1週間、私は運命の日を迎えた。
今日の追試の結果如何で、春休みの予定が決まる。
短い春休みと言えど、休日を補習に捧げる気は全くない。
休みを満喫するため、そして華のJK生活を謳歌するためにも、絶対に負けられない戦いだった。
それに頑張る理由はもう一つある。
それは成績優秀者のみが食べることができる、学食の裏メニュー。
沙都子は絶対に無理だと思っているだろうが、私は絶対に食べてやると誓っていた。
けれども私は赤点常習者。
普通に勉強しても、テストで9割取るのは難しい……
だが私には秘策があった。
(カンニングペーパーを作って来たもんね)
これを見れば、百点間違いなし!
好きなゲームを我慢して作った、自慢のカンニングペーパー。
突然いい点数を取れば怪しまれるだろうけど、『裏メニューのために頑張った』と言えば問題ない。
そもそも先生から焚き付けてきたんだから仕方ないね。
もちろんカンニングを警戒されるだろう。
でも先生だって人間だ。
必ず隙はある。
その時を狙ってカンペを見ればいい。
楽勝だね。
気持ちを落ち着かせながら精神統一をしていると、先生が時計を気にし始めた。
「そろそろ時間だな、準備しろ。
…………始め!」
テストは始まった。
すぐに、じっと私を見つめる先生。
そんなに見つめたって、ボロは出さないぜ?
ほら、諦めて、早く隙を見せるんだ。
そうすればカンペを見て、鮮やかに問題を解いて見せるぜ。
そう、成績優秀者のように!
だから早く隙を見せて……
早く…… 隙を見せ…… て……
………
………………
……………………えっ、めっちゃ見てくる!?
先生が見てくる。
暇なカレー屋の店主の様に、じっと見てくる
なんで!?
私まだ何もしてないよ。
私がカンニングすると疑っても、さすがに見過ぎでは……
はっ!
今重大なことに気づいた。
こんな単純なことに、なんで早く気付かなかったのだろうか。
こんな単純なことに気づかないなんて……
――この追試、私しか受けてない。
この教室にいるのは先生と私。
つまり、ふたりぼっち……
先生は、私以外に見るべき人間はいない。
当然の帰結だった。
(なんという計算外……)
勉強はしていない。
カンペ製作に費やしてしまったからだ。
そうとも知らず、製作に時間を費やして、ばかみたい。
こうなったら別の方法で、先生の目線をそらすしかない。
「あの、先生……
見られていると、緊張するんですけど……」
「気にするな。
集中していれば、すぐに気にならなくなる」
「でも……」
「仕方ない。
三分だけ後ろ向いているから、その間に周りが見えなくなるくらい集中しろ」
と言って、黒板の方を向いた。
なんという優しさ。
私に追試を命じた人と、同じ人物とはとても思えないね。
とはいえ、助かったのは事実。
心の中で感謝する。
でもそれは一瞬だけ。
三分は長いようでいて短い。
すぐにカンペを見て、出来るだけ問題を解かないと……
――おや、カンペが無い。
ポケットをまさぐったりするが、カンペが無い。
どこかに落としてしまったか!?
そう思って教室を見渡す。
とその時、廊下に沙都子が教室を覗いているのを見つけた。
(何しに来たんだろう)
もしかして応援?
普段は私を馬鹿にする沙都子だけど、なんだかんだで親友思いなんだな……
そう思っていると、なにやら紙のような物を取り出して――って、おい!
沙都子が持っている紙、あれは私のカンペじゃないか!
いつの間にすられたんだ。
道理でどこにも無いわけだよ!
じっと目を凝らしても、距離があるので全く読めない。
私が歯噛みしていると、沙都子が「バーカ」と口を動かして去っていった。
いや、本当に何をにした?
ただ私をバカにしに来ただけか!?
「五分経った。
あとは慣れろ」
そして先生はじっと見てきた。
暇なカレー屋の店主の様に……
「くっ」
沙都子の悪質なイタズラにより、カンペが無くなってしまった。
あとはもう実力だけでやるしかない。
けれど、私の脳みそでは九十点どころか合格すら怪しい。
それでも、必死に足掻いてみよう。
九十点には届かないかもしれないけれど、部分点を重ねて行けば合格ラインまでに届くかもしれない。
そう思い、テスト用紙に目を落とした。
『問一、7×8=?』
私はゆっくり瞬きした後、問題が変わらないことを確認してから、顔を上げた。
「掛け算とか舐めてんのか!」
私の魂の叫びをあげる先生はまったく表情を変えずに言った。
「先日、教師陣で話し合った結果だ。
今までの態度や点数から、小学生の学力すら怪しいという結論になってな。
まずその確認のテストだ」
「掛け算くらい出来るわい!」
「なら良かったな。
90点以上取れば、裏メニューが食べれるぞ」
まったく表情の読めない声で、淡々と告げる先生。
悔しいやら悲しいやら。
舐められているのは分かっているのに言い返せない。
だって私、裏メニューを食べたいんだもの……
「掛け算とはいえ、油断するなよ。
一ケタ同士のものから、5ケタ以上の計算まで。
掛け算だけだと飽きるから割り算も入れて、あらゆるバリエーションを取り揃えている。
楽しんで解くといい」
📜📜📜📜📜📜📜
「追試突破おめでとー」
目の前で、憎き沙都子が満面の笑みを浮かべながら拍手する。
まるで『百合子の事、信じていたわ』と言う顔をしているが信じてはいけない。
やつはカンペを持ち去った裏切り者である。
「何浮かない顔してるのよ。
念願の裏メニューが食べられるんだから、もっと嬉しそうにしなさいよ」
実際のところ、私はテストで9割以上取った。
カンペではなく、純粋な私の実力によって。
その結果、裏メニューのチョコレートケーキが目の前に置かれていた。
でもなぜだろう、全然嬉しくない。
「なんで落ち込んでいるのよ!
先生が『まさか百点取るなんて思わなかった』って驚いていたわ」
「掛け算ばかりだからだよ。
小学生でも取れるよ」
「え?
もしかして本当に気づいていないの!?」
沙都子が目を丸くして驚く。
私も、沙都子が驚いたことに驚く。
「たしかにほとんど簡単な計算だったわよ。
でも、最後の方は先生がふざけて、平方根の√とか複素数iとか出して、極めつけは対数logの計算とか出てきてたのよ。
もっと後で習うことなのに、なんで解けるの!?」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
「何で分からないのよ!?」
沙都子がツバを飛ばしながら叫ぶ。
何をそんなに興奮しているのだろうか?
ただの掛け算なのに。
「アナタはね、人によっては挫折するレベルの計算を、いとも簡単に解いて見せたの。
誇りなさい」
沙都子には珍しい素直な賞賛に、体がむず痒くなる。
明日は槍でも降るのかな?
「よく分かんないけど……
実は私、天才だってこと?」
「先生たちも、それに関して悩んでいたわ。
学校一の問題児か、有史以来の天才か……
どちらにせよ、あんまり先生を困らせるのはやめなさいね」
正直な話、沙都子の言っている事は分からない。
けれど『実は頭がいい』なんて言われたら、ちょっとだけ嬉しい。
「まあ、これからは勉強を真面目にすることね。
才能があっても、それを磨く努力をしなければ宝の持ち腐れよ。
食べ物絡みだけの才能かも知れないけれど、大切にすべきだわ」
(勉強の才能か……)
生まれてこの方、そんな事考えたこともなかった。
今まで自分には才能がないと、勉強せずにゲームばかりをしていた。
頑張ったのは、入学試験くらい。
けれど、沙都子から認められるくらいには、自分には才能があるらしい。
本当かは分からない。
でも、これからは少しだけ勉強を頑張ってみるのもいいかもしれない。
そう思った。
「ほら、早くそのケーキ食べなさい。
アナタ、それが食べたくて頑張ったんでしょう。」
そうだ!
なにはともあれ、これが食べたくて勉強を頑張ったのだ。
勉強の才能とか、難しい話は後!
これを食べたら、私は春休みを謳歌して――
「言い忘れてたけど、先生からの伝言。
補習は無しだけど、宿題出すってさ」
「夢が醒める前に、現実に引き戻さないでくれる?」
「全部やったら、来年からの新メニューを最初に食べさせてくれるって」
……頑張るか。
世界は不条理で満ちている。
『天は人の上に人を作らず』とは言うけれど、世の中には不公平や不平等が当然のようにまかり通っている。
偉い人たちは平等公平を叫ぶけれど、一向に不条理は無くならない。
いったい彼らは何をしているのだろうか……
彼らの怠慢のしわ寄せが、私に不条理として襲い掛かっていた。
「お前は追試だ。
赤点だったら、春休み返上で補習な」
どこか疲れ切った顔をした担任から告げられる、無慈悲な宣告。
私は陰鬱な気持ちで、その言葉を受け止めた。
春休みは、一種の天国だ。
世の学生たちが聞けば、誰もが狂乱して喜ぶだろう。
かくいう私も胸が高鳴る。
夏休みほどじゃないけれど、春はイベントが目白押しなのだ。
なのに、なぜこんな事になってしまったのか……
確かに勉強は苦手だけども、赤点回避のために頑張った。
なのに、私に突き付けられた『追試』という現実。
やはり世界は不条理に満ちている。
そんな事を考えながら自分の席に座ると、隣の席の沙都子が意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「バーカ」
とても傷心の友人に掛ける言葉とは思えない言葉。
沙都子の悪口はいつものことだけども、今日はことさらに堪える。
でも泣かないよ。
だって私は悪い事をしていないもん。
「百合子のことだから、どうせ徹夜でゲームでもしていたんでしょ?」
なんという言いがかりであろう。
確かにゲームは好きだが、徹夜なんてしていない。
自らの名誉のためにも、間違いは正すことにした。
「沙都子は見くびっているね。
長年のゲーマー生活で培った、私の自制心を!」
「具体的には?」
「ゲームは寝る十分前まで。
時間管理は完璧さ!」
「……で、勉強したのかしら?」
「……5分だけ」
「バーカ」
沙都子は、まるで路傍のゴミでも見るかのような目線を送って来る。
長い付き合いだから分かるが、これは本気で路傍ゴミと思っている目だ。
この目を何度も見たことがあるから間違いない。
……ちょっとだけ泣きそう。
「で、どうするつもり?
わざわざ春休みに学校に来たくないでしょ?」
「当然だね。
こうなっては万難を排するべく、やりかけのゲームをクリアするよ」
「なんでやねん!」
沙都子の口からコテコテの関西弁が!?
付き合いは長いけれど、初めて聞いた。
「ねえ、冗談よね。
冗談と言って!」
「凄い心外なんだけど!
なんで本気でドラクエをやると思われているの!?」
「日頃の行いよ!」
ぴしゃりと言い放たれる。
「前々から思っていたけど、アナタ、よくこの学校に受かったわよね。
百合子ってば、けっこう運がいいのかしら?」
「当てずっぽうじゃないやい!
ちゃんと勉強して、実力で合格したんだよ」
「実力……
ああ、替え玉試験!」
「……私ってそんなに信用ならない?」
想像していたよりも、ずっと低い信用度で少し悲しい。
というか、それを面と向かって言うかね。
私たちは親友だと思っていたけど、認識を改めないといけないかもしれない……
「長い付き合いだけどさ、アナタが勉強に本気出すところ見たことないのよね。
合格したって聞いた時、耳を疑って耳鼻科に行ったわよ」
「そこまで!?」
「あと警察に連絡すべきか迷った」
「ひどい!」
まあ、確かにそう思ってしまう位には、私の成績は悪いけども。
両親ですら、あまりの衝撃に熱を出したからね。
「まあいいわ。
とりあえず、勉強を頑張った仮定で話を進めましょうか?」
「仮定で進めないで」
「それで、なぜ頑張ったのかしら?
勉強嫌いでバカなアナタが勉強するなんて、よっぽどの理由があったんでしょうね」
「一言多いなあ……
それで理由だけど、それはこの学校の学食を食べたかったからだよ」
「……ふぇ?」
予想外だったのか、沙都子は変な声を漏らす。
今日は『初めての沙都子』をよく見る日だなあ。
「『進学は学食の美味しいところ』って決めててね。
それで、自宅から通えそうなところがここだったの。
あの時は人生で一番頑張ったよ」
「食欲だけで、受験を乗り切ったの……」
「何言っているのさ。
人間は食事をしないと生きてはいけない。
科学や社会の発展だって、そもそもは食料を効率的に安定して集めるためにあるの。
食事のためなら、不可能を可能にするのが人間なのさ」
「くっ、食べ物が絡むと、急にIQが良くなるわね……」
「そういえば、今日の食堂は『お代わり無料』の日だったね。
よーし、記録更新しちゃうぞ!」
「一瞬でIQが溶け落ちたわ……」
「なにか言った?」
「なんでも」
何か言いたげの様子で、頭を振る沙都子。
いつもなら歯に衣着せぬ物言いをするのに珍しい事だ。
「まあ、いいわ。
それよりも……」
沙都子は私の後ろに視線を投げかけた。
「――そういう事だそうですよ、先生」
「え?」
驚いて後ろを振り向くと、そこには補習を宣告した先生が私を見下ろすように立っていた。
相変わらず疲れたような顔をしてるが、目には怪しい光を灯し口元が微かに歪んている。
そのアンバランスで不気味な表情を見て、私は猛烈に嫌な予感を覚えた。
「先生は聖職者ですよね。
まさか、カワイイ生徒に罰なんて……」
「ほう、まさか学食禁止などと言われると思っているのかね?
そんな酷い教師に見えるのかね?」
「そんなことありません。
私は先生を信じています!」
「安心しろ、そんな事はしない。
近頃はすぐに『体罰だ』などとネットで炎上するからな」
先生の言葉に、ホッと一安心する私。
だが先生は、表情を変えず不気味に笑っていた。
「ところで、食堂には裏メニューがあるのを知っているか?」
「……へ?」
「いや、忘れてくれ。
お前には関係ない話だ」
「ちょっと待ってください。
うちの食堂に、裏メニューなんてあるんですか!?」
「忘れた方が身のためだ。
裏メニューは、成績優秀者にしか出されないからな。
お前には縁のない話だ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「それこそ、テストで90点以上取らない限りな」
「……ッ!」
先生は手をひらりと振って、教壇へと戻っていく。
私はそれを黙って見送ることしか出来なかった。
そして思う。
大人ってなんて汚いのだろう。
私は勉強が嫌いだ。
だけど、『裏メニュー』と聞いて黙っているほどお利口じゃない!
私が道理を弁えているのなら、最初からこの学校に来てなどいないのだ!
でも現実は非情だ。
前回のテストで10点を叩き出した人間が、一週間後のテストで90点……?
無理だ。
そんなことが出来るなら、そもそも赤点なんて取ったりはしない。
自分の馬鹿さ加減に打ちひしがれていると、そっと肩に暖かい手が触れた。
顔を上げると、そこには聖母のような微笑みを浮かべた沙都子がいた。
「大丈夫よ、百合子。
アナタなら出来るわ。
さっき不可能を可能にするって言ってたじゃない」
「沙都子……」
沙都子が、力強く頷いた
「アナタなら、きっとお代わり記録の更新が出来るわ。
だから裏メニューなんて忘れて、今日のお昼に集中すべきよ」
慈愛に満ちた表情の裏で、沙都子の口角がぴくぴくと動いている。
私は確信した。
こいつ、一ミリも私のことを信じてない……
「ざけんな!
私はやれば出来るってところ、見せてやるよ!」
食堂の裏メニューは絶対に食べる。
沙都子の心底馬鹿にした顔を見て、私は固く決意したのだった。