164.『sweet memories』『恋物語』『別れ』
「百合子は先に行ってて」
友人の沙都子の家に遊びに行くと、先に部屋に行くよう促された。
急な用事が出来たとかで、少しの間外出しないといけないらしい。
買ったばかりのゲームを一緒に遊ぶ予定だったが、残念ながらもう少し先になりそうだ……
けれど私は怒りはしなかった。
むしろ逆にウキウキし始めた。
だってそうでしょう?
主不在の部屋。
じゃあ、やることは一つしかない。
「ガサ入れを開始します」
沙都子とて年頃の女の子。
ヤバめの物を一つや二つ隠し持っていても不思議ではない。
そして『異性? 興味ありませんよ』という女に限って、とんでもないモノを隠し持っているのだ。
隅から隅まで探して、沙都子のお宝を見つけてやろうじゃないか!
「最初は定番のベッドの下!
まあ、さすがに定番すぎてこんなところに……
あったわ」
定番すぎて逆にないかな、とか思っていたら普通に出て来た。
若干肩透かしを食らいつつも、『ソレ』を引き出す。
「なんだこれ」
それはノートだった。
表紙には『sweet memories』と可愛らしい文字で書いてある。
それを見て、私は顔がニヤけるのを我慢できなかった。
だってそうでしょ?
こういう物の中身は、たいてい嬉し恥ずかし恋物語。
それを読めば、沙都子が弱みを握れる事間違いなし。
沙都子にはいつも揶揄われている。
これを読めば、きっとやり返せるはずだ。
私はウキウキしながらノートを開いた。
☆ ☆ ☆ ☆
〇月✕日
コンビニで変なやつと会った。
百合子という名前らしい。
特に接点もないのに、突然話しかけられ親友認定された。
ウザいので、遠回しに迷惑だという事を伝えたのだが、全く気付かれなかった。
仕方がないのでハッキリと迷惑と伝えたのだが、まったく意に介さない。
傍若無人で我儘で、同じ人間とは思えなかった。
キリがないので適当な用事を作って逃げた。
流石に向こうもこれ以上付き纏うような事はしなかった。
ホッとすると同時に、滅茶苦茶疲れた。
二度と関わりたくない。
☆ ☆ ☆ ☆
恋物語だと思ったら、どうやらただの日記帳らしい。
正直がっかりである。
それにしても、沙都子は私のことをなんだと思っているのか。
まるで不審者ではないか。
目の前に可愛い子が現れたら、声をかけなきゃ失礼だろうに。
訂正を要求するね。
☆
◯月△日
あれから五度目の遭遇。
よく会うが、もしかしてこの辺りに住んでいるのか?
よくよく考えれば、コンビニで会った時点で近所に住んでいることは明白だ。
次からは違うコンビニを利用しよう。
○月◇日
六度目。
また会った。
おかしい。
念のため、駅一つ離れたコンビニを利用したのに、普通にいた。
コンビニの妖精かなんかか?
そして中身の無い長話に付き合わされる。
しばらくコンビニを利用しないことにしよう。
〇月▽日
親に連れられたデパートで遭遇。
コンビニに住んでいるはずじゃなかったのか。
そして何を勘違いしたのか、親が『遊んでらっしゃい』と私にお小遣いを渡してどこかに行ってしまった。
そしてコイツと二人きり。
どうしてこうなった。
そして百合子は、私の手を引っ張ってデパートのゲームコーナーに連れてきた。
ゲームは初めてだったので、すぐやられた。
まあ、楽しかった。
〇月×日
家の前で遭遇、神出鬼没過ぎる。
さすがに誤魔化した。
家バレすると、毎日でも遊びに来そうな予感があったからだ。
そして百合子はアホだったので簡単に騙せた。
それからまた同じ中身の無い長話。
でも以前とは違うことが一つだけあった。
百合子の話している内容が、少しだけ分かるようになったのだ。
相変わらず九割以上は分からないのだが、どうやらゲームの話らしい。
やっぱり中身はないと思うけれど……
そういえば、デパートでのゲームは楽しかった。
次に会ったら、ゲームのことについて聞いてみようかな。
☆ ☆ ☆ ☆
あー、このことは覚えてる。
豪邸の前に沙都子がいてびっくりしたんだよね。
ちなみに沙都子は騙しきれたと思っているけど、私は騙されてないからね。
なんか知られたくなさそうだから話を合わせただけ。
ああ、私ってなんて気遣いのできる女。
もっと感謝していいのに。
そうそう、このくらいから沙都子がゲームに興味を持ち始めたんだよね。
そのおかげで、裕福な沙都子が買ったゲームを貸してもらったりしてお小遣いが浮いた。
昔の私、グッジョブ!
って、思い出に浸っている時間は無かったんだ。
このまま読むのも面白いけど、沙都子がいつ帰って来るか分からない。
早く沙都子の弱みを握らないと!
私はページを一気に飛ばし、日記帳の最後の辺りを開いた。
☆ ☆ ☆ ☆
×月×日
今日、百合子が死んだ。
交通事故だ。
私が先に行っててと横断歩道を渡らせたばかりに、車に轢かれてしまった
別れは突然と言うけれど、本当に突然だった。
百合子はウザい奴だったけど、別に私は嫌いではなかった。
私はずっと否定していたけど、百合子と私は間違いなく親友だった。
百合子と出逢った事で、私の人生は色鮮やかに輝き始めたのだ。
でも親友の百合子はもういない。
私の世界は、再びつまらないものになってしまった。
心の中にぽっかりと穴が空いたかのよう。
こんな事になるなら、初めから出逢わなければよかった。
そうすれば、こんなにつらい思いをせずに済んだのに……
日記を書くことを止めようと思う。
どうしても百合子のことを思い出してしまうから。
バイバイ、百合子。
☆ ☆ ☆ ☆
私は愕然とした。
沙都子は日記に何を書いているのだろうか?
だって私はここにいる。
『死んだ』なんて、質の悪い冗談だ!
こうなっては弱みを握るとかどうでもいい。
きちんと抗議して、私の心は深く傷ついたことを知らしめないと!
そんな事を思っていると、背後でドアが開く音がした。
「ちょっと沙都子!
これは酷いよ」
振り返りざま、沙都子に向かって抗議する。
それに対して沙都子は――
「……」
何も反応はなかった。
私なんて見えてないかの様に、部屋に入って来る沙都子。
その様子に、私は言いようのない恐怖を感じた。
もしかして私、本当に死んでいる?
まさか!
頭に浮かんできた疑念を振り払うように頬を叩き、私は沙都子に向かって手を振った。
「ねえ見て沙都子。
可愛い可愛い百合子ちゃんですよー。
メイクをバッチリ決めてきたから、感想欲しいナ、なーんて……
ねえ、沙都子、沙都子さーん」
自分の声が上ずっているのが分かる。
必死に自分の存在をアピールするが、沙都子は無反応。
そしてそのまま、私に目線を向けることなく、私の横を通りすぎた。
まさか、私は本当に死んでしまったのか?
いくら意地悪な沙都子でも、私を無視するほど性悪ではない。
つまり、それが意味することは……
あまりの衝撃にノートが手から離れ、パサッと音を立てて床に落ちた。
「あら、こんな所にあったのね」
しゃがんでノートを拾い上げる沙都子。
何かを必死にこらえるかのような表情が、余りにも痛々しかった。
私なんて見向きもせず、沙都子は机の前に座る。
椅子に腰かけ、ポンとノートを机の上に置く。
それをじっと見つめていたかと思うと、沙都子は突然顔を手で覆った。
「どうして、どうして!」
沙都子の慟哭が部屋に響き渡る。
こちらまで辛くなるような、痛々しい叫び。
私は息をする事すら忘れ、その場に立ち尽くす。
(もうここにはいられない)
これ以上、こんな沙都子を見ていたくなかった。
だから私は、この場から去ることを決めた。
「バイバイ、沙都子」
そして、私は振り返ることなく、静かに部屋を後にして――
「どうして、こんな単純なイタズラに引っ掛かるのよ!」
驚いて振り向くと、沙都子は腹を抱えて笑っていた。
よっぽどおかしいのか、涙まで流している。
そしてその潤んだ目で、私の顔をまっすぐ見た。
「ふふふふ、百合子ってば、本当に揶揄い甲斐があるわ。
私がいなかったら、絶対に部屋を漁ると思ったもの」
どうやら私は、ずっと沙都子の手のひらの上で踊らされていたらしい。
まさか弱みを握ろうとして、逆に嵌められるとは!
私がアホなのか、沙都子がやり手なのか……
後者だと思いたい。
「だいたい、よく自分が死んだなんて思えるわよね。
死んでも死なないくせに」
「さすがに死んだら死ぬよ!」
「嘘おっしゃい。
この前トラックに轢かれて無傷だったくせに」
「ね、捻挫はしたし……
それよりも、イタズラとはいえ私を死んだことにしないでよ。
不謹慎だよ!」
「ふふふ、ごめんなさい、謝るわ。
許してね、可愛い可愛い百合子さん」
「それは聞こえなかったことにして!」
どうやら私の方がアホだったらしい。
逆に弱みを握られてしまった。
多分、一週間くらいは揶揄われると思う。
「あ、そうだ!
私のこと、親友って書いてたよね。
あれは信じていいの?」
「あれも嘘よ。
親友だなんて、そんなわけないじゃない」
「じゃあ、私は沙都子の何なのさ!?」
私がそう聞くと、沙都子はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「アナタは私のオモチャ。
だから勝手に死んで、許可なく私の前からいなくならないこと!
いいわね!」
163.『風に身を任せ』『後悔』『愛があればなんでもできる?』
人間生きていれば、逆風に行く手を阻まれることがある。
多くの人は向かい風に負けじと立ち向かうことだろう。
でも人間は完璧ではない。
時として強すぎる風に怖気づき、あるいは勇気が出ずに風に身を任せてしまうこともあるだろう。
そんな時、この俺――五条 英雄を頼るといい。
我が探偵事務所は、助けを求めた人を決して見捨てたりはしない。
たとえこの身が砕けようとも、あなたの背中を押して――
「あた、あたたた。
踏ん張ったら、腰が! 腰が!」
「先生、こんなところにいたんですか?
腰が砕けてるんですから、事務所の中で安静にしてて下さい!
今日は風が強いから危ないですよ」
叫ぶや否や、助手は俺の側まで駆け寄り、力強く手を引く。
おそらく善意から来る行動なのだが、さすがに強引すぎる。
助手にはもう少しお淑やかになって欲しいものだ。
俺の腰がやばいから。
「ほら、待合室のソファーに座って下さい。
――まったく、ぎっくり腰で腰が悪いのに、なんで外に出てるんですか?
悪化してから後悔しても遅いですよ」
「仕事だよ。
ホームページに載せるキャッチコピー考えていた」
「そういうのは元気な時にやってください。
元気ならいくらでも『ハードボイルドごっこ』をやっていいですから」
「『ハードボイルドごっこ』って言うな!
普通の(?)ハードボイルドだ」
「はいはい、分かりましたからシャツをまくって下さい。
湿布貼りますよ」
上手くいなされたが、世話になっている以上機嫌を損ねても悪い。
俺は大人しく助手の指示に従いシャツをまくると、腰にひんやりとした感触を感じた。
「いつもすまないのう、ばあさん」
「それは言わない約束でしょ」
「助手……」
「お金がもらえるから頑張るんです」
「有料なの!?」
「当たり前でしょ。
タダでやるわけありません。
まあ、先生の世話なんて、お金を貰ってもやる人は少ないでしょうけどね」
そう言って助手は、湿布を貼るたびに「千円、二千円」と怖い事を言い出した。
これは聞いてられない!
俺は慌てて話題を変える。
「そう言えば、俺が外にいる間、何かなかったか?
依頼人からの電話を受けるのも、助手の仕事だろ?」
「ああ、ありましたよ。
でもその状態じゃ……」
「何言っているんだ!
依頼人が困っているのに、腰が悪いくらいで見捨てて……
いたた、大声を出すと腰に響く」
「だから、安静にと……
えっと、依頼じゃなくてですね」
助手は口に手を当てて、思案する素振りを見せた。
「先生、Switch2を買いそびれたって言ってましたよね?」
「ああ、言ったぞ。
値上がりすると聞いて電気屋に駆け込んだのに、売り切れだった。
欲しかったのになあ……
それがどうした?」
「さっき町内会から連絡網が回ってきまして、Switch2を優勝賞品にした大会を今週の日曜日に開くそうです」
「なんだと!?
それは絶対に参加せねば……
あたたた」
興奮のあまり体を起こそうとすると、体中に電撃が走る。
その様子を、助手は呆れた目で見ていた。
多分、『懲りないなあ』と思っているに違いない。
「続けますね。
それで、その大会のテーマが『愛があれば何でもできる?』だそうで……」
「ほう、Switch愛なら負けんぞ」
「その愛を確かめる方法というのが、SASUKEならぬMARIOだそうで……」
「なんだそれ、めちゃくちゃ楽しそう!
でもアスリートに有利過ぎないか?」
「さすがに本家ほど本格的に作れないので、学校の運動会レベルなんだそうです。
子供も参加するでしょうしね。
あと要所ごとにSwitchにちなんだクイズが設けられて、正解しないと先に進めないとか」
「うーむ、誰にでもチャンスはあるって訳か。
だが……」
俺は痛む腰をさすりながら呟く。
「……この腰ではな。
参加する事すらおぼつかない。
――そうだ!」
俺は助手の顔をまっすぐ見据える。
「助手、代わりに出てくれ!
ボーナス出すから!」
「あー、今週の日曜日には予定があるんですよね」
「マジか……」
割と運動神経良さそうで、そこそこゲームが好きな助手なら勝機はあると思ったのだが……
しかし、今どき休日出勤を強制できるようなご時世ではない。
俺は助手に頼むのは諦めるしかなかった。
「くそう、万事休すか」
「でもまあ、先生がどうしてもと言うなら――」
「待てよ、そう言えば草野球仲間に適任がいるな。
あいつならゲームに興味はないし、うまく頼めば――」
「やります」
「え?」
「や、り、ま、す」
急にやる気を出した助手に、俺は少したじろぐ。
「……用事があったのでは?」
「よく考えたら来週でした。
それで、私が行ってもいいですよね?」
「お、おう。
任せた」
――こうして迎えた日曜日。
助手は、メタボなおっさんどもと、参加するだけで楽しそうな子供たちをぶっちぎりで突き放し優勝、晴れてSwitch2を手にした。
そして約束通り、俺は五万円(値上げ前の定価)を包み、助手からSwitch2を受け取った。
だが、大好きなお金が手に入ったと言うのに、助手は妙に機嫌が悪い。
手渡した五万円を、不満そうに見つめている。
……まさか足りないとでもいうのか?
どうにも居心地が悪くなり、苦し紛れに労いの言葉を掛ける。
「その、なんだ……
今回は助かったよ、ありがとう」
そう言うと、助手は少しだけ頬を緩めて、ごまかすようにフンと鼻を鳴らした。
「本当に困った時に頼りになるのは私だけです。
そのこと、よく覚えておいてくださいね」
162.『愛を叫ぶ』『子供のままで』『一年後』
『次回のSwitch2の入荷は未定です』
その張り紙を見た瞬間、おもわず声が漏れそうになった。
過熱するAI競争の煽りを受け、来週一万円の値上げをすることになったswitch2。
それを知って急いで――ということもなく休日の昼前にもそもそと起きて、夕方になってから電気屋に来たら、まさかの在庫なし。
Amazonや楽天のアプリを開いても、転売価格のものしか出てこない。
どこにも旧価格のSwitch2は見当たらず、諦めて一度、ため息をつく。
ここに来て、ようやく出遅れたことを自覚した。
こういう時、なぜ自分は子供じゃないんだろうと思ってしまう。
もしも子供のままでいたのなら『買えなくてがっかり』以上の事は思わないだろう……
しかし、大人は違う。
子供より視野が広い分、残酷な現実に気づいてしまう。
『一万円』。
その値上げ幅分のお金を用意するのは、どれだけ大変なことか……
お金が無いからと、購入を見送った去年の自分を殴りたい……
それにしても、こんなに早く値上げするとは誰が予想できたであろうか……
みんなが競うように買い求めて品薄になった発売当初。
そのわずか一年後、まさか再び手に入らなくなろうとは思いもよらなかった……
『お金を貯めて絶対に買う』と誓っていただけに、悔しいことこの上ない。
もう三日くらいは猶予があると思ったよ……
あーあ、任天堂の気が狂って『愛の告白』大会を開いてくれないかな……
任天堂系のゲームの思い出や愛を叫んで、審査員の心を掴んたやつが勝つ、みたいなやつ。
もちろん優勝賞品はSwitch2。
参加者が殺到するね。
いや、やめておこう。
なんか、とんでもない化け物が出てきそうだ。
マリオのモノマネならいいほうで、ヨッシーのコスプレで全身緑色の男が出てきたら地獄絵図だ。
まっとうに任天堂が好きで、任天堂が出したゲームタイトルを全部言える奴に太刀打ち出来る気がしない。
それに、自分は大声を出すのが苦手だ。
愛の告白に至っては特にそう。
これまでに愛の告白なんてしたことないから、勝てる望みは薄い。
わざわざ勝てない勝負をすることはないな。
あーあ。
どこかにドラゴンボールが落ちてないかなあ……
オチ?
ないよ。
終わり
『1年前』『忘れられない、いつまでも』『モンシロチョウ』
俺は子供の頃、祠を壊したことがある。
それも、とんでもない悪霊が封印されているという曰く付きのモノ。
その時に起こった事は今でも鮮明に思い出せる。
あとでバレて怒られる所まで、絶対に忘れられない、いつまでも夢に見る衝撃的な体験だった。
あれは俺が小学4年生の頃、1999年。
若い子は知らないかもしれないけど、その年は『世界が滅ぶ』っていう予言が社会問題になっていた。
なんでも、めちゃくちゃ偉い預言者さんが、『1999年7の月、空からアンゴルモアの大王が降りてきて世界を滅ぼす』とかなんとか……
けど、結果は知っての通り、何も起こらず誰もが拍子抜けした。
冷静に考えればありえないことなんだけれども、信じる人は少なくなかった。
自暴自棄になる人も少なからず存在し、特に子供にとってトラウマになるほど影響力が大きかったんだ…
そして、子供の頃の俺もその予言を信じた一人。
ハッキリ言って落ち込んだよ。
だって大人になれないんだぜ。
子供にとって、これ以上残酷なことは無い。
でも、幸いなことに俺はバカな子供だった。
予言のことなんてすぐに忘れ、その時ハマっていた昆虫採集に精を出していた。
それを見た親は、自分の息子のバカさ加減に呆れていた。
ある日の事、珍しい虫を捕まえたいと思って山に入った。
山の中は危険でいっぱいだけど、子供の俺はバカだったからそんなのは知らない。
いや、知ってはいたけど、完全に無視した。
そして、意気揚々と山の中に入った。
でもそれがいけなかった。
山の中には危険がいっぱい、モンシロチョウを捕まえようと足を踏み出すと、木の根っこに足を取られ、その場で転んでしまったのだ。
そして偶然にも――不幸にもすぐそばに祠があり、体当たりするような形で祠を壊してしまったのである。
臨場感たっぷりにガラガラと音を立てて崩れる祠。
俺はそれを、呆然として眺めていた。
そして、残骸の山の上に留まるモンシロチョウ……
その時の俺の心中は説明するまでもないだろう。
(ヤバい!
バレない内に早く逃げよう)
ただそれだけだった。
でも結果として逃げられなかった。
突然、頭の中におぞましい声が聞こえてきたからだ。
『フハハハハ、これで封印は解けたぞ』
頭一杯に禍々しい笑い声が響きわたる。
その邪悪さから俺は確信した。
この声は、噂のアンゴルモアの物だという事に……
『礼をいうぞ、小僧。
この祠を壊したことで、俺の真の力を取り戻すことができる』
すると、祠の上に留まっていたモンシロチョウが見る見るうちに黒くなってきた。
『ククク、教えてやろう。
この蝶は俺だ。
力を封印され、蝶の姿にされてしまったが、力を取り戻せば巨大な――』
自信たっぷりに演説を始めるアンゴルモア。
その言葉には、勝利を確信した威厳があった。
だがアンゴルモアは知らない。
自分の目の前にいる子供が、町一番のバカガキと呼ばれていることを……
(この蝶、色が変わるレアものだ!?
捕まえないと!)
――次に気が付いた時、俺はアンゴルモアを虫かごの中に入れていた。
『え、ちょっと待――』
アンゴルモアが何かを言っていた気がするがよく覚えていない。
断片的に覚えているのは、もう少しその場にいないと力が戻らない、みたいなこと。
でも、何を言おうが、俺には全然関係の無い事だ。
「これを見せたらお父さんとお母さん、驚くだろうな」
俺は虫かごを決して無くさないように、大事に抱えながら下山した。
だが俺を待っていたのは、怒り心頭のお父さんとお母さん。
黙って山に入ったことを叱られ、連鎖的に祠を壊したこともバレて、さらに怒られた。
結局、蝶のことなんて言い出せる空気じゃなくなり、アンゴルモアの入った虫かごは、そのまま部屋の隅に放置された……
で、ここから本題。
そのアンゴルモアの蝶。
実は一年前に不注意で、掃除の最中に逃がしちゃったんだよね……
もう二十年以上たつし、普通に死んだと思ってゴミ袋を準備していたら、まさかの死んだフリだったらしく、隙を見て脱出された。
気がついたら手の届かない高さまで飛んで、窓の外に出ていってしまったので、二度と捕まえられなかった。
本当に、世界の皆には悪い事をしたと思っている。
俺は大人になっても、バカなままだったのだ……
え、何をそんなに謝っているのかって?
うん、あの蝶を逃がした時期ってさ。
ちょうど、アメリカの大統領選挙があった時期なんだよね。
で、多分だけど、アンゴルモアはアメリカに渡って、大統領に成り変わってる…… か、裏から操っていると思うんだよね。
あの大統領は高齢だし、おだてれば簡単に言うことを聞かせられて踏んだんじゃないかな。
そして、1999年に世界を滅ぼせなかったから、今大統領を使って世界を混乱に陥れている……
――というのは、発想の飛躍が過ぎるだろうか?
まあ、なにはともあれ、とにかくゴメン。
うん、本当にゴメン。
160.『君と出逢って』『明日世界が終わるなら……』『初恋の日』
メロスは激怒した。
必ず、この強引なお見合いを突っぱねることを決意した。
メロスには結婚の良さは分からぬ。
メロスは牧人であり、羊たちと共に楽しく暮らしてきた。
けれども、恋愛に対しては人一倍憧れていた。
今日の昼下がり、妹がメロスの家にやって来た。
メロスは、妹のことを大変可愛がっていたので、この事をとても喜んだ。
特に、妹が結婚してからは会う機会が減ったため、喜びもひとしおである。
急いで歓待の準備をしようとすると、妹はそれを手で制して言い放った。
「兄さんにはお見合いをしてもらいます」
メロスは目を見開いた。
「その後すぐに結婚してもらいます。
拒否権はありません」
メロスは、自分の顔が強張ることを止められなかった。
妹はかねてより、いつ結婚するのだ、とメロスに言っていた。
そのたびに、メロスは誤魔化していたが、ついに彼女は強硬手段に出たのである。
「結構だ。
間に合っている」
「結婚を誓った相手がいるのですか」
「私は羊飼いだ。
羊が恋人のようなものさ」
「それ、キモいからやめて……」
思いがけない反応に、メロスは驚きを禁じ得なかった。
かつて妹が幼かった頃、メロスは同じ事を言った事がある。
幼い妹は、素敵、と瞳を輝かせたものだが、大人になった彼女が向けるのは軽蔑の眼差しだ。
メロスはその目線にたじろぎ、居たたまれなくなって話題を変えることにした。
「なぜ、急にそんな事を言う?
今までは、急ぐことはない、と言ってくれたではないか」
「事情が変わりました」
「事情だと。
どういうことだ」
「明日、世界が終わるのです」
メロスは言葉を失った。
明日、世界が終わることよりも、なぜ自分の結婚が世界の滅亡が繋がるのか、まったく理解できなかったからだ。
困惑しているメロスの前に、妹は淡々と説明し始めた。
「今日、旅の占い師がこの村にやって来たのはご存じですか?」
「ああ、知っている。
だが、私はみすぼらしい羊飼いだ。
占ってもらう事などないから、会いには行かなかった」
「私は会いに行きました。
子供のことについて、相談しようと思ったのです」
「何と言われた?」
「私の顔を見るなり、占い師は驚いた顔をして叫びました。
今日中にお前の兄を結婚させろ。
でなければ、その男は世界を滅ぼすぞ、と」
「馬鹿馬鹿しい。
その占い師は偽物だ。
お前の兄ほど、世界の安寧を願っている者はいない」
「しかし、私の兄は義憤に駆られて王を殺そうとした事があります。
平和のために世界を滅ぼそうとしても、不思議はありません」
メロスは言い返せなかった。
たしかにメロスは義憤に駆られ、王を殺そうとしたことがある。
結局、王を殺さずじまいに終わったが、しかし正義のためにと、世界を滅ぼそうとするのは十分にありえた。
「妹よ、話は分かった。
占い師は信じないが、お前の懸念はもっともだ」
「ありがとうございます。
お相手に関しては心配いりません。
兄の好みは熟知していますので、相応しい相手を選んでおりますし、先方も結婚を了承しています」
「出まかせを言うではない。
私は常々、嘘をつくな、とお前に言ってきたはずだが」
「私は兄とずっと一緒にいました。
兄のことなら全て知っています。
信じられないなら、兄の初恋の日について話しましょうか」
「言ってみよ」
「あの日は雪が降っていましたね」
「分かった。
お前の話を信じよう」
メロスが観念したように頷くと、妹は満足そうに微笑んだ。
「では相手を待たせているので、すぐに会いに行きましょう。
それから結婚式です」
「いいや、妹よ、私は結婚はせぬ」
今度は妹が困惑する番だった。
何度か瞬きした後、彼女は尋ねた。
「なぜですか?」
「お見合いはしよう。
だが結婚は駄目だ。
結婚というのは、愛し合った二人が、長い時間をかけた末に辿りつく聖域なのだ。
会ってすぐに結婚など、お前は兄を軽薄な男にしたいのか」
メロスのあまりの純真な恋愛観に、妹は信じられない思いでいた。
妹は逡巡したあと、絞り出すような声で言った。
「事は一刻を争うのです」
「明日世界が終わるなら……
それが真実ならば、確かに私は結婚すべきだろう。
だが、どうしても明日世界が滅ぶ、というのは信じられない。
私はまだ、世界を滅ぼす準備を何一つしていないのだぞ。
今日中に、というのはさすがに性急ではないか」
「準備があれば出来る、みたいなことを言わないでください」
妹は、そう言って苦言を呈したが、反論することは出来なかった。
妹も、兄と同じことを考えていたからだ。
だが不安もある。
占い師の言う通り、本当に明日世界が滅んでしまうかもしれないからだ。
そうなっては後悔すらできない。
であれば、無理やりにでも結婚式を挙げ、兄に怒られる方が良いのではないか。
だが怒った兄が、その勢いで世界を滅ぼさないとも断言できない。
いったい何が正解なのか。
妹が激しい葛藤に思い悩んでいた、その時だ。
不意に家の扉が開く。
二人が目を向けたその先には、一人の可憐な女性が立っていた。
その女性は、不安な表情を浮かべ、今にも消え入りそうな声で言った。
「外で話は聞いていました。
メロス様は、命を賭して王に諌言することの出来る勇気のあるお方。
私のような退屈な女とは結婚なんてできませんよね。
この話、無かった事にしてください」
「待ってくれ」
メロスは叫んだ。
立ち去ろうとした女性が、驚いて肩を揺らす。
「そんな悲しい事を言わないでくれ。
貴女はとても魅力的だ。
その証拠に、君と出逢って、私の心はこれ以上なく晴れやかだ。
是非とも結婚していただきたい」
メロスは熱い思いを込めて言い切った後、はっとして妹の方を振り向いた。
妹は、全てを見透かしたような目で兄を見つめ、こう告げた。
「結婚式はどうしますか?」
メロスは、ひどく赤面した。