75.『やさしさなんて』『こぼれたアイスクリーム』『真夏の記憶』
アイスクリームをこぼした。
なけなしのお小遣いで買った、3段アイスクリーム。
嬉しさの余り小躍りしたら、躓いて転んでしまったのだ。
周囲の人が気の毒そうに見つめている。
中には私を心から憐れむような顔をしている人も……
けれど余計なお世話だ。
優しさなんて、なんの役にも立たない。
同情するなら金をくれ!
私が慟哭していると、視界の端に見覚えのある姿が見えた。
顔を上げれば、それいるのは友人の沙都子。
両手にアイスクリームを持ち、私の前に立っている。
もしかして、アイスクリームをくれる流れ?
そうだよね、知らない仲じゃないもんね。
それに沙都子の家はお金持ちだから、このくらい気楽に奢ってくれるだろう。
やはり持つべきは親友、金持ちの親友である。
だけ……
ペロリ、と沙都子は、打ちひしがれている私の前で、アイスクリームを食べ始める。
唖然とする私を見ながら、顔に愉悦を浮かべる沙都子……
それを見た瞬間、私は怒りに支配された。
「キサマァ!」
怒りに身を任せ、咄嗟に掴みかかる。
けれど軽くあしらわれ、逆に私が体勢を崩して転んでしまった。
「クソッ、避けられ――うわっ」
起き上がろうとすると、上からぐいと押さえつけられ身動きが取れない。
驚いて顔を向けると、椅子に腰掛けるように私の上に沙都子が座っていた。
「私に座るな――」
「アイスクリーム欲しい?」
押しのけようとした時、沙都子が耳でささやいてきた。
沙都子の悪魔のような言葉に、私は動揺して動きが止まる。
沙都子はその隙を見逃さず、すぐに畳み掛ける。
「そのまま私の椅子でいるなら、奢ってもいいわよ」
「……ふん、そんなので買収されない――」
「ダブル」
「……だから、無駄なことを――」
「トリプル、いえ4段でどう?」
「……」
「うーん、意外と意思は固いのね。
私の負けよ」
「あ、当たり前だよ。
私はそんなに安い女じゃ」
「好きなだけ頼んていいわ。
全種類でも、満足するまで食べなさい」
「!?」
なんという魅惑的な提案。
思わず『椅子でもいいや』と思わせるとは、沙都子は悪魔どころか悪魔の王ではないだろうか。
だけどアイスクリームが食べたいのも事実。
私は二つの選択肢の間で大きく揺れていた。
そして沙都子は、私の顔を覗きながら呟く。
「どうする?」
そして私の出した答えは……
🍧
「あー、そんな事もあったわねぇ」
数年前の真夏の記憶、それを話すと沙都子が感慨深そうに頷いた。
「私、たまに夢に見るよ。
あの悪魔のような沙都子」
「失礼ね。
貧しいものに恵みを与える、天使のような存在でだったでしょ?」
「それ言ってるの沙都子だけだよ。
その場にいた人たちドン引きしてたもん」
「そうだったかしら……
あの時のこと、あんまり覚えてないのよね。
楽しかったのは覚えているんだけど」
「あんた、やっぱり悪魔だよ」
「ところで……」
沙都子が、あの時と同じように私の顔を覗いて、言った。
「あの時、アナタはなんて答えたのかしら?」
沙都子の問いに、私は上を向いて答えた。
「私はアナタの椅子です。
アイスクリーム奢って下さい」
8/17/2025, 9:52:26 AM