「香水」
香水というものに、苦手意識を持っていたのはいつからだろうか。私は昔から、香りに敏感だった。デパートの化粧品コーナーの横を通るとき、魚市場の中を歩くとき、さらにはバスで近くの人の香りのきつさに頭が痛くなることさえあった。
そんな私も年月がたち、だんだんと鈍くなった。
そして私の香水嫌いを徹底的に変えたのはいうまでもなく、やはり、あの人であった。
あの人とは、初恋の人、廉のことだ。
廉と私は、いわゆる幼なじみというやつだろう。しかし、マンガやアニメでよくみる、幼なじみの男女のどこか恥ずかしいような恋愛の香りは、私達には汎ってはくれなかった。私がどんなに望んでいても。
私は廉のことが恋愛として好きだ。だから、どうにか意識させようと、大好きだとそれとなく言ってみたり、夏は暑いねと言いながら扇風機の風に二人であたったり、冬は寒いのを口実に近くに寄って話したりと、さりげないアプローチを続けた。
その結果がこれだ。
「葵ってほんと、優しいよな。俺、葵と出会えて良かったよ。俺たち、一生親友でいような!」
この言葉に笑顔でうんと答えた私を、だれか賞でも与えてくれないだろうか。
彼には恋愛感情というものがないらしい。
それでもいいと思った。親友としてでも、彼の隣に立てるなら。
高校生になって、廉とは違う学校に行って。
それでも廉は私のことを親友だと思ってくれているようだった。
「今度二人で駅前行かねえか?俺、こないだ葵が好きそうな店見かけたんだよ」
高校生の男女が出かける。これをデートと言わずになんというのか?だが廉がデートではないと思うならこれはデートではないのだ。
わかっていても勝手に上がる口角が疎ましかった。
「葵!久しぶり!」
「廉!うわあ、見ない間におっきくなって。」
たった3ヶ月ぶりに会った廉は背が伸びていて、服もなんだか大人っぽい。
ん、なんだろう、この違和感は。
「廉、なにか香水とかつけてるの?」
「おっ、気付いたー?」
これ、珍しい香りの香水なんだぜ、と自慢げに話してくる。香水は苦手だと思っていた。でも……。
(なんか、どきどきする……。大人の男性ってこんなかんじなのかな……。)
私が黙っていると、
「あ、もしかして葵も香水興味ある?」
唐突な質問につい、う、うんと返事をしてしまった。
「じゃあ、いいとこがあるよ!行こう葵!」
「まっ、待ってよ廉!」
ついたのは香りの玉手箱だった。
(うわ……おとなの世界だ……。)
あまりのお洒落さにけおされてしまう。今日してきた自分の精一杯のおしゃれが滑稽に見えて恥ずかしかった。
そんな場違いみたいな世界に、廉はどんどん足を踏み入れていく。
(は、はぐれちゃう!)
廉を見失わないよう、あわててついていく。
廉は奥の方の棚の前で立ち止まっていた。
「ここは割と安めの香水のコーナーだよ。いいよね、この安さで香水が買えるの」
「ふ、ふーん……。」
香水の相場などわからない私は、適当に相槌を打った。
「葵はどんな香りが好き?」
「うーん……。お花の香りはだいたい好きだけど……。花の香りってありふれてる感じはするなあ……。廉みたいに、珍しいのが付けてみたい」
「珍しい香り、か……。へえ、俺のおすすめでいいなら……」
こっち来て、と手招きされた。
「これとか、葵の雰囲気にぴったりかなって、思う」
「マヌカハニーの香り……?はちみつ?」
「うん、甘くてかわいい感じで、葵にぴったりだろ。しかも……」
「わあ、容器がクマの形だ!」
テディベアをかたどった、ころんとした形をしている。
「気に入った?」
「うん!これにしようっと」
ちょっと高いけど、せっかく廉と来てるし。買えないことないしね。
そう思ったけど、廉は私の想像を超えるセリフを言った。
「じゃあこれは俺からのプレゼントな」
「ええっ!?も、もらっちゃ悪いよ」
「気にしないでいいって!久しぶりにあったら、葵めっちゃおしゃれな格好してきてるし、でも中身はやっぱり葵のままで楽しかった。だからそのお礼、的な?今日会えた記念な」
「もう……廉の口説き上手……他の女子に言ったら絶対勘違いされるからね!私は廉が恋愛しないってわかってるけどさあ。照れるなあもう。ありがと!」
本当に廉はこれだから困る。
(香水、ずっと大事にしよう)
(今日のことを、ずっと忘れないために)
これが私の香水への評価が180度変わった日だった。
8/30/2024, 1:29:19 PM