『遠い日の記憶』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【遠い日の記憶】
中学の夏。甘酸っぱい思い出だ。
俺の同級生に黒髪ボブでメガネをしているパッとしない子だ。
性格だって物静かで周りと関わらない子だった。
女子数人が話しかけても一言二言返事を返すだけで終わりだった。男子も話しかけた人もいたが、女子と同様一言二言の返事で終わりだ。
その内彼女は1人になっていた。
話もまともにしてくれない感じの悪い奴と言われ、周りから避けられていた。
でも俺だけは違った。
毎日学校で会う度にあいさつをする。
昼休みは彼女の傍に言ってこちらから他愛のない話をペラペラと話し続ける。
その間彼女の返事はもちろんなく無視をしていた。
それでも俺は話し続けた。
周りは俺の行動を馬鹿にする奴も止める奴も冷たい目を向けてくる奴もいた。
それでも俺は話し続けた。
だって彼女の笑顔が見たいから。
いつかそう思っていた。
また俺が彼女に一方的に話しかけていると笑う声が聞こえた。
俺は彼女の方を向くと口元を手で隠してクスクスと小さく笑っているのが見えた。
その顔や仕草はとても綺麗だった。
彼女に俺も周りの連中も見惚れていた。
だって彼女が笑うところなんて今まで誰も見た事がなかったから。
「あなたの話もっと聞きたいな」
彼女は小さくだけど俺に聞こえる声で言った。
鳥の囁きのようなコロコロとして優しい声だった。
俺はそれからも毎日のように彼女の傍には言って他愛のない話しを続けて毎日の日課になっていた。
ある日俺の友達が彼女に今日の放課後告白すると言った。
ほんとうは友達として頑張れと言うべきなんだろう。でもなぜだか素直に頑張れなんて言えなかった。
だって俺は彼女に恋をしていたから。
友達に先を越されてしまう彼女を取られてしまう。
怖くて不安で苦しかった。
お願いだから告白なんか失敗してくれって心の底から願ってた。
そしてその日は帰ったんだ。
学校に行きたくなかった。
もし成功してたらと思うと胸が張り裂けそうだったから。それでもとぼとぼと学校に向かうんだ。
少しの期待を賭けて。
「無理だった」
友達は無理だったと悲しげに報告すれば、周りがドンマイなどと励ましの言葉をかけていた。
俺は少しの期待に勝ったんだ。
その事が嬉しくて1人で心の内で喜んでいた。
俺はその日も彼女に話しをしに行った。
とびっきりの笑顔をして。
彼女はどうしてそんなに笑顔なのと聞いてきたが俺はその事について何も話さなかった。
また次の日また次の日と時間が過ぎていく。
明日から夏休みになる。
俺はしばらく彼女に会えないのかと落ち込んでいた。
帰り際に彼女は俺に話しかけて来たんだ。
「もしよかったら夏祭り一緒に行かない?」
彼女の顔はりんごの様に真っ赤に染まっていた。
そんな彼女につられる様にして俺も顔を赤くして目を泳がしていた。
こんな嬉しいことあるか。
恋焦がれてやまない彼女からのお誘いなんか誰だって嬉しいし喜ぶだろう。
俺はもちろんと言って今まで交換していなかった連絡先を交換した。
俺らはまた連絡すると言ってお互い家に帰った。
夏祭り当日。
夏祭り会場の近くの公園で待ち合わせをしていた。
俺は奥底にしまっていた浴衣を取り出して母に着付けを教えてもらった。
しばらく着ていなかったからな。
彼女が来るのを待っていると
「おまたせ。待たせちゃったかな?」
後ろからあのコロコロと優しい声が聞こえた。
振り向いたら彼女がいた。
今どきの煌びやから浴衣ではなくて、落ち着いた色合いで所々に朝顔が画かれている浴衣に身を包んだ彼女が立っていた。そしていつも付けているはずのメガネが外されていた。
黒髪のボブは顔の近くで三つ編みされていて、顔がはっきり見えている。
彼女の顔をこんなはっきり見るのは初めてだ。
「……綺麗」
思わず口からそう自然と言葉が出ていた。
彼女はまた顔を真っ赤にして下を俯いた。
俺は目の前に本人がいながらなんて恥ずかしい事を言ったんだと俺もまた顔が赤くなった。
お互いに顔を赤くして気まづくなっているもんだから、2人の間はシーンとなっていた。
「そ、その。行こっか」
「そうだね」
俺から話しかけて夏祭り会場に向かった。
そこからは屋台を見て回ったり食べ歩きをしたり、射的なんかもして楽しんでいた。
学校ではクスクスと小さくしか笑わない彼女だが、今は素の表情で子供の様に笑っている。
そんな彼女の笑顔は今は俺だけのものなのだ。
「もうそろそろ花火だよね?」
「あぁ確かに時間近づいてきてる。場所探さないと」
「私いい所知ってるよ」
そう言って彼女は楽しげに俺の手を握った。
俺は彼女の行動にビックリしながらも、楽しそうな彼女に水を刺すようなことは言えずにただ着いて行った。
「ここだよ!ここから全体が見えるんだ」
「確かに…夜景も綺麗だね」
「そうでしょう?私のお気に入りなの」
彼女はふふっと小さく笑った。
俺はその仕草が好きだ。
子供の様に笑う彼女ももちろん好きだが、こうやって口元を隠して小さく笑う姿が凄く魅力的に見えてずっと隣で見ていたいくらいだ。
彼女の顔を俺はしばらく見ていた。
「あ、花火上がったよ!」
ドーン ドーン
遠くの方で星空が広がる空に大きな花火が広がって散っていく。毎年見ても飽きない綺麗な花火だ。
そんな花火を彼女と見れるだなんて。
毎年見ている花火よりももっと綺麗に見れた。
「私ねここに誰かを連れてくるの初めてなの」
「そうなの?」
「うん。小学生の頃も友達いなかったんだ。だからこう
やって誰かにお気に入りの場所を教える事なんてなか
った。あなたが初めてなの」
「親にも教えた事ないの?」
「うん。ここを教えるのは特別な人だけって決めてる
んだ」
「…特別」
俺はその特別な存在に慣れたんだなって嬉しかった。
彼女は友達としか俺を見てないのかもしれないけどそれでも嬉しかった。
今凄く幸せだ。胸がいっぱいですっごく幸せ。
振られてもいいからこの気持ちを彼女に伝えたい。そう俺は思った。
「「あの」」
話そうと思ったら彼女も同じらしく被った。
「あ、ごめん」
「いや、私もごめんね。先にどうぞ?」
譲ってもらったので俺はこの気持ちを先に伝える。
「…俺さ。君の事が好きなんだ。だから」
「私も…」
「え?」
「私も!あなたの事が好き!」
彼女は顔を真っ赤にして涙目になりながらも、俺の目をしっかり見て話した。
「あの時あなたが無視をする私に話しかけてくれた
事嬉しかった。でもその分なんて答えたらいいか
分からなかった…。でもそれでもほんとに嬉しか
ったの!あなたの話は面白いし何より楽しそうに
話してくれるから…。それからずっとあなたの話し
をずっと傍で聞きたいと思ってた…だから!」
一生懸命に言葉を伝えてくれる彼女が可愛くて仕方なくて、それで嬉しくて話の途中で抱きしめていた。
まさか両思いだったなんて思わなかった。
「俺もずっと傍で君の笑顔が見たい。だから、」
"俺と付き合ってください"
"はい!喜んで!"
そして俺らはめでたく付き合い始めたんだ。
お互いずっと"傍"に居たいと、そう思ったから。
「何笑ってるの?」
「ん〜?なんでだと思う?」
「?」
そしてあれから何十年経った今も尚傍に居る。
「ママー!パパー!花火ー!」
「綺麗だな〜」
「転ばないように気おつけてね」
俺たちの大切な宝物も一緒に。
目をつぶり思いを馳せる。
遠い昔の記憶に。
かつて私が好きだった彼に。
彼は今どこにいるのだろうか。
私のことなど覚えていないだろうか。
あの笑顔はもう見れないのだろうか。
そんなことをぼんやりと思いながらふと考えた
・・・・
あれははたして本当に存在した記憶なのか
冷たい空気の中を必死で逃げたあの日
あの時は、ただ生きたいと思った
だから、なんとしてでも痛い暴力と尖った言葉を浴びせ続けられる所から逃げなればいけなかった
泣いて、走って、血を零して、の繰り返しだった
もっと遠くに、誰にも見つからない場所に、
当てもない場所を目指してひたすらに逃げた
でも、なぜか、息切れなんてしなかった
走れば走るほど、自分の身体から鉛がとれていくような、呪縛から解放されるような、そんな、そんな感じがしたんだ
きっとこの呪いに終わりなんてないのだろう
記憶になんてしたくない
結局、いいモノばかりを残しておくことなんて僕らにはできなくて、美しい物だけを思い出になんて、ただの綺麗事で、1つや2つくらい忘れたいことがあるのが普通で、僕らには汚いところもあるのが普通で、それで、それで、、
ただ、僕も普通に幸せに笑顔に生きてみたかった
遠い日の記憶
小学校には25分かけて歩いて通っていた。
夏の暑い日は道の奥から陽炎が見えるような中を
歩いて帰った。水筒は持参していたがあまり飲んでいた記憶はなく、家に着いてから飲む冷たい飲み物が染みわたるようだった。
今は熱中症も指摘されるようになり、水分をよく取るようになったものだが、あの乾きの中を行軍の如く歩いていた日々は強く、鮮烈な、遠い日の記憶として私の中に残り続けている。
あれは、幼稚園の頃だった。
その日は、節分で夜眠たくなくてずっと起きていたら、急に鬼が家に入ってきたのだ。私は、怖くて怯えていた。そして、私は寝ている振りをした。とっさに、鬼は寝ていると勘違いして帰って行った。私は、今でもあの日を忘れない。だから、これからは良い子になるとあの日、私は、誓ったんだ。
自分の背中は見えないのだから
恥ずかしがらずに人に 尋ねると良い
心は誰にも見えないのだから
見えるものよりも大切にすると良い
Back number 水平線
『遠い日の記憶』
義体技術が進んで人から寿命というものがなくなりつつあった頃はこの文明社会がいつまでも続くと誰もが思っていた。傲慢な考えを戒めるためか、それとも太陽のただの気まぐれか、大規模な磁気嵐が世界にそよいだだけでその文明はあっけなく滅びてしまった。
「あのときの磁気嵐は骨身に染みたね」
「またそんなホラ話ばっかり」
人に寿命が戻ってきてからもうかれこれ数百年。バイト仲間に昔話をしても面白いホラ話と思われるばかりで真に受けて信じる人には今のところ出会ったことがない。自分のように難を逃れた義体持ちたちは波風立てることなく混ざって暮らしている。
長く生きていると今の自分は果たしてまだ人なのだろうかと不安になる。義体になる前の記憶は電脳が不要と判断したためか思い出すことができない。義体となってからの記憶も最近はリソースが足りていないのかちょっとあやしい。
「なんか最近元気なくない?」
「……そうかな。いよいよ年かもねぇ」
そんな話をした次の日に非番のその子がバイト先にやってきて差し入れをくれた。
「栄養ドリンクじゃん。しかもお高いやつ」
「加齢に負けるなってね」
数百年とちょっと年の差のある若者の優しさにもう出ない涙が出そうになった。
「最近の若者はあったかいねぇ。おじさん泣きそうになったよ」
「いや全然泣いてないじゃん」
今度何か奢ると約束して若者が去ったときにはいつの間にか不安も去っていた。これが遠い日の記憶になるときもいつかは来るのだろう。けれど、なるべく忘れていたくないなと強く思った。
「『遠くの街へ』、『遠い空へ』、それから『遠い日の記憶』。さすがにもう『遠い』系は来ないよな」
アプリを入れて最初のお題が「遠くの街へ」だった。某所在住物書きは遠い遠い、1年半前の日を思い返して、当時の投稿を、
見返そうにもスワイプが面倒で面倒で、人差し指を何度も下から上へ弾いて弾いて、最終的に諦めた。
「毎回毎回新ネタなんて書けねぇからって、続き物風
で各お題のハナシを繋げてって、気が付いたら随分遠くまで来たもんよ。早いねぇ」
で、長期間投稿して何が不便ってさ。遠い過去であればあるほどスワイプして辿るのが面倒。
あとガチで買い切りの広告削除プランはよ。
物書きは恒例にため息を吐き、スマホを指でなぞる。
――――――
とある上京者の遠い遠い、幼少時代の記憶。
花と山野草溢れる雪国の、狐潜み狸飛び出す田舎出身で、当時の名前を附子山というのだが、
後に悪しき理想押し付け厨な恋人から逃げるために「藤森」と改姓したので、そちらで呼称する。
早くから少額の小遣いと家内手伝いバイト制とで、節約術と金銭感覚を養う機会を得ていた藤森。
幼少時代、すなわち二十数年前、あるいは三十年前かもしれない、遠い昔の叶わなかった欲望に、
某スイカの色と味するアイスを片手に、
某メロンの色と味するアイスを別の手に、
それぞれ持って双方を同時に楽しむ、
なんて贅沢が、実は存在した。
早くから子供ながらの我慢を習得していた藤森。
数分で2本分の金銭を一気に消費するよりは、2本を2日に分けて楽しむ方を好んだし、
そもそものところ、少々少食気味で、
大きめのアイスを同時に2本など食えぬ。
スイカアイスとメロンアイスを同時に食いたい子供心と、それを許さぬ理性のせめぎ合い。
時間は経過し季節も巡り、遠い日の欲望は遠い過去に埋もれて、記憶の奥の奥底へ沈んだ。
昔々、遠い遠い夏の日のおはなしである。
――で、その藤森、2024年の夏にして、とうとう当時の欲望の擬似的成就に手が届く距離に立った。
某プチプライスストアである。ハッピープライスでパラダイムなパラダイスである。
製氷トレーを買いに来た藤森は、スチール缶の並ぶ一角で、葛藤し、立ち尽くしていた。
すなわち濃縮タイプの1缶で4本分。
スイカアイスの素とメロンアイスの素である。
(キューブタイプの製氷皿で作れば、双方、食いたい分ずつ食えるということか?)
幼少時代のゆるやかな節約術が今も魂に残っている藤森。すぐさま1本あたりの単価を計算し、「既製品」と比較し、口を固く結んで小首を傾ける。
買っても良い。 買う必然性は、無い。
(そもそも4本も食うか?不必要では?)
遠い日の記憶が一気にプカリ浮いてきて、藤森の中の贅沢的欲望と節約的理性が喧嘩する。
買っても良いのだ。 買う必然性は、無いのだ。
(しかし小分けで作っておけば食うのでは?)
雪国出身の藤森は、出身のためか、25℃で弱り始め35℃で溶ける。暑さに弱いのである。
(買っておくのも、ひとつの、手か……?)
さてどうしよう。藤森はため息を吐く。
少額の小遣いで遣り繰りしていた幼少期と違い、今は金銭的余裕がある。藤森の財政は220円をケチるほど、逼迫してはいなかった。
「……」
買うべきか、買わざるべきか。
藤森が商品を凝視しているとき、商品を整理整頓している店員もまた、藤森を見ているのだ。
「意外と、ちゃんとスイカアイスしてましたよ」
ひょこり。葛藤続ける藤森を店員が言葉で押した。
「牛乳で割るとスイカミルクになるし、
炭酸で割ればソーダに、かき氷ならシロップにも。
バニラアイスに混ぜ込むのも、アリでしたよ」
どうです?便利ですよ。
藤森に対して店員は業務的に微笑し、
藤森は遠い日の記憶に責め立てられて、スイカアイスの素とメロンアイスの素を、双方、1本づつ買いたい衝動を、なんとか、一応、数分は抑え込んでいた。
「1本づつで宜しいですか?」
「えっ?」
「ホントに、本当に、『1本で足りますか』?」
「いや、その……」
あの数分間の会話も
あの一瞬の挨拶も
遠い日の記憶になってしまうのが惜しい
最新の記憶をもっとたくさん欲しい
#遠い日の記憶
歌を思い出した。
小学校で習った合唱歌だ。
曲名を思い出せなかったから、小声で口ずさみながら検索バーに歌詞を入力していった。
すぐに答えが出た。
『ゴール目指して』という歌らしい。
あまりピンと来なかったが、言われてみればそんなタイトルを音楽の先生が黒板に書いていた気もする。
新しい歌を教えるとき、先生はいつもスライド式黒板に大きな模造紙を貼っていた。模造紙には油性マジックの几帳面な文字で歌詞が丸ごと写してあって、黒板に貼られるその歌詞をわたしたちは必死に暗記した。教科書に載っていない歌は、その紙以外に歌詞を覚える手段がなかったからだ。
わたしが通っていた小学校では、学年によって歌える歌が決まっていた。
それは単に学年別の学習範囲の都合だったが、小学生の子どもたちにとって「高学年にならないと歌えない歌」は特別だった。秘密結社内で口伝によってのみ受け継がれる、神秘の呪文のように感じられた。
中でも『ゴール目指して』は、六年生にならないと歌えない合唱歌だった。
最高学年にしか歌うことを許されない歌、すなわち合唱歌の頂点に君臨するこの歌は学校中の児童たちからカルト的な人気を集めていた。しかしこの歌はまた、謎めいた側面も持っていた。
わたしがその噂を聞いたのは、五年生のときだった。
「ねえ、知ってる?」
ある日、通学路を一緒に帰っていた友人がわたしにこっそり耳打ちした。
「あの歌ってね、本当は二番があるんだよ」
友人には三つ上のお姉さんがいた。
わたしの知らない色んなことを聞きかじってくる情報通だった。
「二番?」
わたしは首をかしげた。
上級生たちはいつも、二番どころか三番まで歌っているじゃないか。
ううん、と友人が首をふった。
「あるんだよ、本当の二番が。でもね、歌わないの。絶対に。歌っちゃいけないんだって」
「どうして?」
「……死んじゃった子がいるから」
亡くなった子ども。
だから、歌ってはいけない歌。
学校の七不思議にでもありそうな話だった。
うすら寒い気持ちになりつつ、わたしはまだ半信半疑だった。子どもたちの間で流布する怖い話には、テレビや本で仕入れた創作やでっちあげも多いのだ。
六年生になって、音楽室の黒板に『ゴール目指して』の模造紙が貼られた。
「一番の次は三番を歌います」と先生が説明した。「この歌はとても長いので」
ドキッとした。
二番は、歌わない。
友人の言葉通りだ。
友人の話では、林間学校先の湖で事故があって、それ以来、事故とそっくりな二番は歌わなくなったらしい。模造紙に二番の歌詞は書いていなかった。
小学生という年頃は、怪談やら都市伝説やら、オカルトめいた話に惹かれるものだ。
あの「歌ってはいけない二番」の噂も、今思えばそういう類いのものだった。
非日常に憧れる小学生が思いついた遊びの一種。
「長い歌だからカットした」
先生の説明以上の神秘など、あの歌には存在しない。歌を思い出したとき、大人になったわたしはそう考えていた。
ためしに歌詞の全文を検索してみて、驚いた。
喉に流れ込む海水
波に揉まれて、友人の帽子が沈んでいく
涙でにじんだあの日の雲を、一生忘れない
先生が模造紙に書かなかった二番の歌詞は、そんな内容だった。
音楽室の黒板に貼られた模造紙のにおいと、通学路に照り返す夏の陽射しが甦ってくる気配がした。
遠い日の記憶…
子供の頃に1周約1?kmの
陸続きの島に住んでいて
ある年の夏休みに
従兄と歩いて一周した
汗だくになりながら見た夕日
後にも先にも1度きりだろうな…
✴️91✴️遠い日の記憶
遠い日の記憶
公園の砂利を踏みしめる音、サッカーボールが跳ねて転がる音、夕方のチャイム。
見たものよりも聞こえたものが、不思議と記憶に残っている。これから先もそうなのかな。
遠い日の記憶。それは僕が学生だった頃。
テストというものが常識として認識されていた頃。
80点以上なら何か親に怒られなくて済み、それ以下の場合はテレビゲームを封印される措置をとられた頃。
小中学校では、だから50点以下とか取ったことがない。
英単語として「Study」がごく当たり前に登場していた頃でもある。今は、スタディとかのカタカナがしっくりくるなって思ったりする。
高校生の序盤にiPhone3Gという、今で言うところのシーラカンスの化石みたいなものが初めて売られ、そこから連綿とスマホが流通するようになった。
あれは一種の技術革新で、起爆装置だった。
宇宙のビッグバンのようなスピードで広がり、今では指の腹を画面上で滑らせればすべてが行われるようになった。
デジタル化は進み、電化製品ばかりが人間社会の八割くらいは作っていると思う。この時点で人間の人口より機械のほうが軽く数を超える。
この割合が九割になる頃にはAIが人間のサポートをするようになるだろう。
カスタマーサポートは、まだまだ人間がいて、人間が人間をサポートしている。
そこが一家に一台iPhoneのように、一家に一台スパコンができるようになると、カスタマーサポートは要らなくなり、昨今でちらほらと話題になる「カスハラ」などというハラスメントは完全に消失する。
まあ、その置き換えがうまくいかないからハラスメントが起きている、ということになる。
一家に一台スパコンになっている頃。おそらく僕は100歳になってボケているな。
スパコンが先に増えるか、人間が先に少子化で数を減らすか。それはあなたの想像次第。これも違った意味の「遠い日の記憶」……
遠い日の記憶
暑い夏の日はファストフード店に限る。
とてもではないが、家で作業する気になれなくて、外に出て暑さにげんなりして、慌てて店内に逃げ込んだ。
隣に座った少年が、キョロキョロ見回していた。
視界の端に入る少年が気になりはしたが、わたしは仕事をしていたので、黙々とタブレットを操作した。
なんか微笑ましい。かわいい。
このくらいの時期の子供って、何しても可愛いんだろうなぁ。
仕事に集中しなきゃ、と思いつつも、視界に入る可愛い生物を考えてしまう。
少年のお母さんが後からやってきて、「大人しく座っていてね」と、恐らく注文するためにカウンターへ向かった。
少年は、大人しく、キョロキョロした。
確かに座っている。偉いな、と思う。
「パソコン開いてなにしてるの?」
隣から聞こえるトーンの高い声。
なんだ、天使は声まで可愛いのか。
暑さと仕事のストレスで狂いまくった頭がおかしい気がする。
パソコンじゃなくて、タブレットだよ、と言いそうになったけど3歳くらいの子供相手にそんなこと言えない。
「お仕事してるんだよ」
「お仕事?ここご飯食べるところなのに?」
「ご飯を食べたから、ひと仕事してるんだ」
トレーに残った包装袋と、飲みかけのコーヒーのカップ。
「ふぅん」
そして少年の興味は尽きたらしい。
母親が置いていったであろうスマホを触り始めた。
そんな様子も可愛くて表情が緩む。
わたしが子供の頃は、とても知らない人と、隣の席だからって話しかけたりはできなかった。多分今も出来ないし、やらないけど。
話しかけたり瞬間にわたしがやばい人になりかねない。
今の現代、怖い。
男が男に、女が女に、でもセクハラって成立するし、訳わかんない世の中。
でも、可愛いは正義は、今も昔も変わらないよなぁと、そう思った。
さやはちゃんとあそんだ将太と悠誠のラブラブカップルー)
その日、今日より5度暑かった、私は汗ばんだ額をハンカチで拭い、手でパタパタと扇いだ。家から歩いて5分ほどのスーパーに晩御飯の材料とアイスクリームを買いに行く。雲が多いが群青色の空がキレイだった。ジーパンのポケットには財布とハンカチ。
小学校の校庭を横目に、小さなロッジの群を横切り、スーパーに到着。豚肉、人参、玉ねぎ、ヨーグルト、持ち手がコーンのチョコレートアイスを買い、家路へと、
晴れているのに、なんとはなしに、仄暗い。今日(今も)そんな感じ。だからか、夏は怪異が起こる。
遠い日の記憶。それは、夏の夕暮れに友達と笑い合ったあの瞬間。風に揺れる木々の音や、蝉の鳴き声が今でも耳に残っている。時が経っても、心の奥底で色褪せることなく輝いている。
お題『遠い日の記憶』
遠い日の記憶
あなたと最後に会ったのはいつだろうか…
もうあの日が遠い昔の記憶のように感じる
遠い日、僕にとって10代の頃の時が良かった。何が良かったかは
色々ありながら良かった。
学校できみを見かけたときに思った。
ずっと、この人を探していたような気がする。
昔、この人に会ったことがあるのかもしれない。
でも、それは何歳の頃だったっけ。
そのとき、どんな話をしたっけ。
あなたの名前を、知っていたっけ。
遠い日の記憶を全て思い出すのは、難しい。
時が経つにつれ、薄れていくから。