もち

Open App

#遠い日の記憶



歌を思い出した。
小学校で習った合唱歌だ。
曲名を思い出せなかったから、小声で口ずさみながら検索バーに歌詞を入力していった。

すぐに答えが出た。

『ゴール目指して』という歌らしい。


あまりピンと来なかったが、言われてみればそんなタイトルを音楽の先生が黒板に書いていた気もする。
新しい歌を教えるとき、先生はいつもスライド式黒板に大きな模造紙を貼っていた。模造紙には油性マジックの几帳面な文字で歌詞が丸ごと写してあって、黒板に貼られるその歌詞をわたしたちは必死に暗記した。教科書に載っていない歌は、その紙以外に歌詞を覚える手段がなかったからだ。


わたしが通っていた小学校では、学年によって歌える歌が決まっていた。
それは単に学年別の学習範囲の都合だったが、小学生の子どもたちにとって「高学年にならないと歌えない歌」は特別だった。秘密結社内で口伝によってのみ受け継がれる、神秘の呪文のように感じられた。

中でも『ゴール目指して』は、六年生にならないと歌えない合唱歌だった。
最高学年にしか歌うことを許されない歌、すなわち合唱歌の頂点に君臨するこの歌は学校中の児童たちからカルト的な人気を集めていた。しかしこの歌はまた、謎めいた側面も持っていた。

わたしがその噂を聞いたのは、五年生のときだった。

「ねえ、知ってる?」

ある日、通学路を一緒に帰っていた友人がわたしにこっそり耳打ちした。

「あの歌ってね、本当は二番があるんだよ」

友人には三つ上のお姉さんがいた。
わたしの知らない色んなことを聞きかじってくる情報通だった。

「二番?」

わたしは首をかしげた。
上級生たちはいつも、二番どころか三番まで歌っているじゃないか。
ううん、と友人が首をふった。

「あるんだよ、本当の二番が。でもね、歌わないの。絶対に。歌っちゃいけないんだって」
「どうして?」
「……死んじゃった子がいるから」


亡くなった子ども。
だから、歌ってはいけない歌。

学校の七不思議にでもありそうな話だった。
うすら寒い気持ちになりつつ、わたしはまだ半信半疑だった。子どもたちの間で流布する怖い話には、テレビや本で仕入れた創作やでっちあげも多いのだ。



六年生になって、音楽室の黒板に『ゴール目指して』の模造紙が貼られた。
「一番の次は三番を歌います」と先生が説明した。「この歌はとても長いので」

ドキッとした。
二番は、歌わない。
友人の言葉通りだ。

友人の話では、林間学校先の湖で事故があって、それ以来、事故とそっくりな二番は歌わなくなったらしい。模造紙に二番の歌詞は書いていなかった。



小学生という年頃は、怪談やら都市伝説やら、オカルトめいた話に惹かれるものだ。
あの「歌ってはいけない二番」の噂も、今思えばそういう類いのものだった。
非日常に憧れる小学生が思いついた遊びの一種。
「長い歌だからカットした」
先生の説明以上の神秘など、あの歌には存在しない。歌を思い出したとき、大人になったわたしはそう考えていた。

ためしに歌詞の全文を検索してみて、驚いた。


 喉に流れ込む海水
 波に揉まれて、友人の帽子が沈んでいく
 涙でにじんだあの日の雲を、一生忘れない


先生が模造紙に書かなかった二番の歌詞は、そんな内容だった。
音楽室の黒板に貼られた模造紙のにおいと、通学路に照り返す夏の陽射しが甦ってくる気配がした。



 



7/18/2024, 4:49:06 AM