もち

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7/9/2025, 3:07:37 AM

#あの日の景色



 真っ青な海の底深くを、人魚の子どもが泳いでいました。
 興奮しているようすです。
 ちいさな手に、なにかを握りしめています。
 四角くて、ペラペラで、ふしぎな模様がついています。
 子どもはサンゴの森の岩場まで泳いでくると、巣穴へもぐりこみました。
 ふかふかの砂のうえに寝転がって、握っていたものをひろげました。

「なんの模様なんだろう?」

 天井にすかしてみます。
 嵐の海底に波がのこしていく砂絵みたいです。
 曲線や直線がふくざつに重なって、ふしぎなカタマリがぽつんぽつんと、押し流されてきた小石や貝殻みたいに置かれています。
 それは人間たちが「写真」と呼ぶものです。
 山あいの港街の、のどかな朝の景色です。
 もちろん、人魚の子どもは知りません。

「陸の絵なのかも」

 なんとなく、そんな気がしました。
 こういうよくわからないものは、たいてい陸から流れ着きます。

「陸の波がかいたんだ」

 ワクワクしました。
 海底の波は、いたずら好きです。
 ふしぎな模様をえがいては、人魚たちをからかいます。砂にのこった謎かけや宝の地図を人魚たちがのぞきこみ、しきりに首をひねっている姿をみて、うれしそうにゆらゆらします。
 人魚たちはみんな、波がしかけていく謎が大好きです。人魚の子どもも、そのひとりです。嵐の夜、巣穴の奥で丸まって眠りながら「きっと早起きをして、だれよりも先に謎をといてみせるぞ」と、いつも楽しみにしています。

 陸の波は、どうしてこの絵をかいたのでしょう?

「やっぱり、宝の地図かなぁ?」

 絵のまんなかの、稜線と稜線の重なる部分があかるく光っています。
 きっと、宝の隠し場所です。
 本当は、山のあいだからのぼる太陽なのですが、人魚の子どもは知りません。
 ワクワクして、夜更けまでずっと、その絵をながめていました。
 次の日も、その次の日も、陸の絵ばかりをながめて過ごすようになりました。

「どんな場所なんだろう?」

 気づくと、そればかり考えています。
 行ってみたくてソワソワします。
 けれど、簡単なことではありません。
 頭上できらきら光る海面は、ずっとずっと遠い場所にあります。子どもの尾びれでは到底たどり着けません。
 
――泳いでいってはいけません。
  陸はとっても危険なところ。網でつかまえられて、ペロッと食べられてしまうんだよ。
 
 大人たちはそう、子どもたちを脅します。
 人魚の子どもは毎晩、枕元の砂をこっそり掘りおこします。
 砂の下に隠しておいた陸の絵をそっととりだし、うっとりとながめ、また砂の下にかくして眠ります。
 そうして、陸の夢を見るのです。
 尾びれで空をけって、陸をすいすい泳ぎまわっている夢を。
 稜線と稜線のかさなる場所を尾びれで掘りかえして、とうとう、金色にかがやく宝を見つけだす夢を……



 数十年後。
 人魚がひとり、海面に顔をだしました。
 大きな手に、陸の絵を握りしめています。
 すっかり大人になった人魚は、陽の光のまぶしさにびっくりして目を細め、それから、ゆっくり周囲を見回しました。
 目がキラキラしています。
 頬がほてっています。
 はちきれそうなくらい、胸がドキドキしています。
 人魚は握っている絵を見て、それから、陸をめざして泳ぎはじめました。
 絵はすっかりボロボロです。
 色褪せて真っ白になっています。
 でも、模様はちゃんと頭のなかにあります。
 毎日毎日、穴が空くほどながめていましたから、隅々まではっきり思い出せます。
 人魚は河口までやってくると、川をさかのぼりはじめました。
 どんどん、どんどん泳いでいきます。
 太陽が真上にのぼって、真っ赤な夕焼け空のむこうに沈み、星がまたたきはじめても、人魚は泳ぎつづけました。
 やがて、川のようすが変わってきました。
 流れがゆるやかになり、川岸の土壁がかたい石でおおわれはじめました。水がにごり、腐った泥のにおいがしてきました。
 
 すっかりにごった川の行き止まりで、人魚はふたたび水面に顔を出しました。
 そこは人間が「港街」と呼ぶ場所です。
 立ち並ぶレンガ造りの倉庫、大きな石橋がいくつも水路を横切って、ひしめく家々の屋根と教会の尖塔が青空を貫いている、美しい水の都でした。
 けれど、今はちがいます。
 倉庫はボロボロに崩れています。
 石橋は落ち、家々は黒く焼け焦げています。
 教会の尖塔は真っ二つに折れて、屋根にはなにかが墜落したような大きな穴があいています。
 瓦礫に埋もれた街のあちこちに、ひしゃげた砲台や、錆びついた戦車が、とりのこされたように風化しています。
 
 日の出になりました。
 街を囲む山々の稜線から、太陽がゆっくりのぼってきます。
 陽の光が、灰色の廃墟を照らしています。
 そのまぶしい金色だけが、人魚の頭のなかにある絵とぴったり重なるものでした。
 人魚は握りしめていた絵を見ました。
 ほとんど白く褪せたその絵を、じっと見つめていました。
 やがて、人魚は顔をあげました。
 にごった水にもぐり、尾びれで水をけって、海へひきかえしていきました。もう二度と、海面へは上がってきせんでした。
 

 港のにごった水中では、真っ白に色褪せた古い写真が、ゆっくりゆっくり、泥底へ沈んでゆきました。

 
 

7/7/2025, 1:24:53 AM

#空恋


「空を飛ぶんだ」

 それが、彼の口ぐせでした。 
 彼はあたしのきょうだいで、おなじサヤに生まれたエンドウ豆。あたしたちは双子です。
 ほかの豆はひとつの長いサヤに四つも五つもきょうだいたちがギュウギュウおしくらまんじゅう。でもあたしたちのサヤは小さくて、二人ぽっち。

「ぜったい出ていってやる」

 彼が天井をにらみました。

「ここはせまっ苦しすぎる。おまえたちはつまんないし、息が詰まるよ」

 うすい緑色の壁をすかして、朝の光がさしこんでいます。ちかくのトウモロコシの森がさわさわ風にそよいでます。突然暗くなって、大きな鳥の影がすべっていきました。

「だけど、ここは安全よ。あったかくて居心地がいいわ。あたしは一生ここにいたい」
「かわいそうに」

 彼のグリーンの目が憐れむようにあたしを見ました。

「おまえ、なんにも知らないんだ。ここは監獄さ。世界はもっと、途方もなく広いんだ」

 彼が天井を見つめています。
 そのグリーンの目は、天井をすかしてずっと先のどこかを見ています。それは彼が「空のかなた」と呼ぶ場所。あたしたちの畑の長い歴史の中で、どのエンドウ豆もたどり着いたことのない、途方もなく遠くて高い場所なのだそう。

「自由になるよ。あのトンビみたいにさ」
「あたしは、ここにいたい」
「そうしろよ。サヤのなかでしわくちゃに干からびて、地面に落ちて、つまんないエンドウ豆のまま終わっちまえ」

 あたしは自分の体を見ました。
 あたしの体は瘦せっぽちで、ぼんやりした黄緑色をしています。お腹は白っぽくて、ほっぺたに茶色いアザもあります。
 彼はプリッとまん丸で、芽吹いたばかりの若葉のような鮮やかなグリーンです。うらやましくて、あたしは彼をにらみました。

「いじわる!」
「いくじなし!」

 彼がフンとそっぽを向きました。




「大変だ! 起きろ!」

 ある朝、あたしは彼の大声で目が覚めました。
 彼のグリーンの目が朝露よりもキラキラして、見たことがないくらい興奮しています。

「穴だ! 出口だよ!」

 あたしは天井を見上げました。
 あたしたちのサヤに、細く切れ目が入っています。空が見えます。壁をすかした薄緑色じゃない、信じられないくらい真っ青な空が。

「さよならだ」

 彼が興奮して言いました。

「ぼくは出ていく。飛ぶんだ。あの青い空を、どこまでも!」

 彼は壁をよじ登って、天井の裂け目に、もう手をかけています。裂け目をこじ開けて、外に顔を出しています。

「わあ、すっごいや!」
「まって!」

 あたしは思わず立ち上がりました。
 彼がチラッとふりむきました。

「いっしょに来る?」

 あたしは一瞬、サヤを見回しました。居心地のいい、あたしの寝床。クモ糸で編んだお気に入りのフワフワ毛布。

「……ううん」
「いくじなし」

 彼がフンと笑いました。

「勝手にしろ。このサヤでもおまえには広すぎるくらいだ」

 彼はこじ開けた裂け目のふちに立ちました。
 両腕を勢いよく振って、

 ぽーん!

 外へ飛びだしていってしまいました。
 あたしはしばらくボンヤリして、それから裂け目にちかづきました。
 外をのぞいてみようとして、裂け目に手を、ちょっとだけ……でも、やめてしまいました。
 寝床にもどってうずくまって、毛布をかぶって、彼がこじ開けた裂け目をじっと眺めていました。目に沁みるくらい青い空を。
 



 彼がどうなったのか、あたしは知りません。
 畑のどこかで豆がひと粒落ちているのが見つかったとか、なんの種類かわからないくらい干からびてしわくちゃだったとか、カラスにくわえられていってしまったとか、みんながささやきあっていました。そのたびにあたしは、まん丸できれいなグリーンのきょうだいが、青い空をどこまでも飛んでいく姿を想像しました。

 彼がいなくなったあと、サヤはポッカリ広くなりました。
 あたしは体のむこう半分側が、いつでもすこしヒンヤリする気がしています。
  
 


「空に恋をした豆のはなし」

8/3/2024, 2:59:15 PM

#目が覚めるまでに




今夜も僕は眠りにつく

贅沢ではないけれど、
大好きだった肉じゃがをつくって
シャワーを浴びて体を清めて
アールグレイの紅茶をミルクで割って、
さよならのつもりで飲み干して

そうしてベッドに横たわって
目を閉じて
祈る

朝、目が覚めたら
消えていますように

僕の体が
僕という存在が

だれかを道連れにしようなんて思わない
地球の滅亡も
大災害も
飛行機事故も願わない

僕だけでいいんです
神さま
どうか
僕という存在が
ひっそりと
シャボン玉のように
この夜のうちに
パチンと消えてしまいますように

どうぞ
神さま
他には何もいらないんです
ささやかな わがままなんです
僕の命は
本当に生きたい誰かにあげてください
僕には重すぎるから
こんな僕でも
一度くらい、誰かの役に立ちたかったんです

閉じたままの目から
ポロポロ涙が溢れだして
枕を濡らし
部屋を水浸しにし
真っ暗な湖底に僕を沈める


もう来ない
もう朝は来ない


ああ、よかった
ようやく僕は、解放される……








明るくなった部屋の中で
僕はふたたび
目を開けた

カーテンを透かした窓の外に
また、朝が来ていた


その光に目を細めて
僕は

この世界には
神さまなんていないんだと知った









7/31/2024, 3:25:48 AM

#澄んだ瞳



アイス買いに行ったんだよね、コンビニまで。
死ぬほど暑かったからさ。

いつも行くコンビニはアパートから5分くらい。
けど品揃えがビミョーなんだわ、あそこ。
だから駅前のコンビニまで頑張った。
そっちは歩いて10分くらい。
チョコミントが食べたかったんだよ。
みんな湿布だのハミガキ粉だのバカにするけど、わかってないな。あのスーッとするのがいいんだって。

自動ドアを出た途端、後悔した。
ダメだ。
暑すぎる。
鍋に放り込まれるタラバガニってこんな気分なのかも。

アイス噛りながら帰ろうと思ってたんだけど、そんな呑気なことやってらんない暑さ。
ビニール剥いた途端みるみる溶けてくアイス。
垂れないように必死で舐めてるうちに、気づいたら、見慣れない路地を歩いてた。


あれ、と思った。
曲がる角まちがえたのかな、って。

住宅街のど真ん中。
ちょっと懐かしい感じのする道だった。
白茶けたブロック塀とか、色褪せたポスターとかから、なんとなくレトロな感じがしたのかもしれない。


チリン、チリン。


どこかで風鈴の音がした。
路地の先からだ。

屋台がひとつ出てる。
屋台と言ってもリヤカーに赤い色褪せたパラソルをさしてあるだけ。
リヤカーの荷台には大きな盥がひとつ。
氷水を張って、青いラムネ瓶がたくさん冷えてる。
ビー玉がぎっしり詰まった瓶もある。
下が膨らんでる、でっかいフラスコみたいな瓶。
ディスプレイ用?
無人販売に毛が生えた程度の屋台だ。小洒落た演出をするようにも見えない。
飲み終わったビー玉を回収してるのか?
ビー玉は色とりどりで、黒っぽいものが多い。あと白。グリーンやブルーもある。強い陽射しにキラキラ光っている。

チリン、チリン。

さっきから鳴ってる風鈴はパラソルの先で揺れてた。

カラン。

盥の中で氷が溶けて、ラムネ瓶が軽くぶつかる。
無性に喉が渇いてきた。

リヤカーの横には、折り畳み椅子をひろげて麦わら帽子のおっさんが1人座っている。
食堂の隅に置き忘れられたような黄ばんだ新聞を読んでいる。

「それ、1本ください」

ラムネ瓶を指して声をかけると、麦わら帽子のおっさんは新聞から顔を上げずに、盥の前を叩いた。
A4の紙が貼ってある。


『✕✕✕✕』


うーむ。読めない。
水滴でペンがにじんだのか、元々達筆すぎるのか。
まあ、どんなにボッタクリでもラムネ1本。タカが知れてるだろ。
500円までなら出してもいいと思ってた。
チョコミントアイスはとっくに棒きれになってる。
とにかく喉が渇いていた。

ポケットへ手を伸ばして、しまった、と気づいた。
スマホしか持ってない。
ダメ元で決済アプリの画面を見せたが、おっさんはチラッと画面を睨んで、面倒くさそうに盥に貼った紙を叩いた。
「買うのか?」と、盥の中からちょっとラムネ瓶を持ち上げて見せてくる。
そりゃ、飲みたいけどさ。
あいにく現金は置いてきてしまった。
仕方ないから、大丈夫です、と首をふった。


諦めて、帰ろうとした時だった。

カラン。

盥の中でラムネ瓶が傾いた。
ディスプレイ用の瓶の中で、ビー玉がコロコロ転がった。
その時、やっと気づいた。
そのビー玉、俺を見てたんだ。

そう。
「見てた」。

ビー玉じゃなかったんだ、瓶の中身。


目玉だった。
人間の。


カラフルだと思ってたのは虹彩で、白い部分は白目だった。
ゾッとした。
全部違う人間の目玉だって、なぜかわかった。
色も大きさもバラバラだから?
この瓶いっぱいにするのに何十人必要なんだろ、持ち主はどうなったんだろって、無意識に考えるのが止まらない。
もう、軽くパニック。
目をそらしたい。けど動けない。
体が凍りついて、金縛りみたいになってた。

だって、わかっちゃったんだわ。
コイツら全員、このラムネ買ったんだって。

瓶の中には青っぽい水が詰まっている。
ぎゅうぎゅうに浮かんだ大量の目玉。
やけに潤いのある虹彩と、少し血走った白目で、じっと俺を見つめてくる。

明らかに、俺に焦点を合わせてた。
目玉ぜんぶが。

「ヒッ」と叫んで、飛びのいてた。
情けない声だったけど、ようやく動けてほっとしてた。
ものすごい突風が路地を吹きぬけて、思わず目をとじた。



目をあけると、見慣れた路地に立っていた。
ラムネの屋台も、麦わら帽子のおっさんも、どこにも見あたらない。


蝉がジージー鳴いている。
むこうの大通りを車が走っている音がする。


あの紙、何て書いてあったんだろうな。
あの時うなずいていたら、どうなってたんだろ。


瓶の中から苦しそうに見上げてた目玉を思い出して、まぶたがチリチリした。
灼けつくように暑いのに、背筋の悪寒が止まらなかった。







7/29/2024, 2:07:05 PM

#嵐が来ようとも




折れてしまうだろうと思った。

彼は、やさしい人だったから。
やさしくて、繊細で、断れない人だった。


彼の周囲はいつでも、森の奥のちいさな野原のように穏やかだった。
彼の人柄そのものだった。
争いを好まない人だった。
強く言い出せなくて、大声を出すのが苦手だった。
よく笑っていた。
くだらないジョークが好きで、周囲とはちょっとズレたテンポで、いつまでも面白そうに笑っていてた。


なぜ彼が、矢面に立つことを選んだのか。


わたしには分からなかった。
人には向き不向きがある。
彼は、明らかに向いていなかった。

悪意に晒されることに。
強い言葉で叩かれることに。
傷つけるためだけに尖らせた切っ先で、ズタズタに引き裂かれることに。

もっと向いている人はたくさんいた。
防御が上手い人、受け流すのが上手い人、彼より強い人はたくさんいた。

でも彼は、断れない人だった。
嫌だと言えない人だった。
彼に押しつけた彼の仲間たちを、ズルいと思った。




嵐が過ぎ去った原っぱに、
吹き溜まった落ち葉や枯れ枝の底に、
けれど、
彼はまだ、咲いていた。

やわらかくみずみずしかった葉っぱは傷ついて、花びらは何枚も吹き飛ばされて、
茎もひしゃげて、
それでも彼は、まっすぐ空をみつめていた。
嵐のあとの、明るくなりはじめた空を見上げていた。


彼は、強かった。
わたしが思っていたより、ずっと。


彼はまた笑うようになった。
ちぎれてしまった花びらはそのままだけど、
どこか吹っ切れた笑顔だった。
少しだけ、やわらかな茎にトゲを纏うようになった。
少しだけ、したたかな笑みを浮かべるようになった。


雲の切れ間から、夜明けの光が射していた。








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