#お祭り
神社で印象的な経験をしたことがある。
その神社は家の近所……と言っても歩いて30分くらいの、川を越えた先にある。
川岸を散歩して、気が向いたらフラッと寄って、一息ついて帰ってくる。
小さな神社だ。
5分もあれば、端から端まで見終わってしまう。
拝殿はいつも閉まっている。
社務所に人がいて御守りや御神札が配られるのは、初詣のような限られた時期だけ。
入り口のご由緒書きによれば歴史は古いらしいものの、他の参拝客を見かけることはほとんどない。
ある日、いつものように散歩の途中で立ち寄って、驚いた。
鳥居を一歩入った途端、空気がガラッとちがったのだ。
まばらな木々に囲まれたせまい参道も、その先にぽっかり広がるこぢんまりした境内も、なぜかキラキラして見える。あいかわらず参拝客の姿はない。
いつもと同じ、地味で飾り気のない、地元の神社。
なのに、別の神社みたいに空気がまったくちがう。
清々しくて、エネルギッシュで、無性にワクワクする。
どこもかしこも、洗いたてのように綺麗に見えた。
拝殿の扉は開いていた。
そよ風に白や紫の布がゆれて、清められた板の間の奥に、白木の台が置かれている。台には三宝がならべられ、米や野菜が盛られている。
「いる」と感じた。
今日は、神社の住人が「いる」。
本殿に住んでいるのは「神さま」だ。
びっくりした。
霊感なんてまったくない。神社は好きだけどスピリチュアルだのパワースポットだのをウサンクサイと思っている。
でも、その日ははっきり感じた。「今日は、神さまがいる」と。
うまく言えないが、中身がしっかり詰まっている感じがした。
社務所の扉も開いていて、車が一台停まっていた。
しゃっきり姿勢のいいご老人が1人、車から降りてくる。紫色の袴をはいていた。
「今日は、何かあるんですか?」
わたしが訊ねると、その神職さん(紋入りの紫袴なのでおそらく宮司さん)が教えてくれた。
「ここの神さまの、お祭りですよ」
「お祭り」
屋台などは出ていなかった。
月次祭だったのだと思う。
(そうか。お祭りの日は、神さまがちゃんと帰ってくるんだなぁ)
肌感覚でそう納得した経験だった。
あの日ほどあの神社が綺麗に見えたことは、いまだにない。
#神様が舞い降りてきて、こう言った。
『もっと頑張りなさい。
怠け心はいけません。
おまえは善良で勤勉な人間なのだから。
大丈夫、おまえなら必ず、できますよ』
悪魔がやってきて、ささやいた。
『そんなに躍起になって、何になる?
おまえがどんなに頑張ったって、
おまえの限界は知れてるんだ。
適当でいいのさ、世の中ぜんぶ。
良い子ぶって、笑っちまうぜ!』
悪魔の言葉に腹を立てて、
彼は握りしめたハンマーを、思いっきり壁に振りおろした。
ピシピシと亀裂が走り、
世界が粉々に砕け散った。
そうして、彼は
生まれてはじめて、
頭の上の青空から、明るい陽光が射すのを見た。
粉々になった檻の欠片が、
夏の終わりの蝉の死骸のように、
足元いっぱいに転がっていた。
神様がやってきた。
いつものように微笑んでいるその顔は、
ダンボール紙でできたお面だった。
「もっと頑張りなさい。
怠け心はいけません。
なんて怠惰な人間なんだ。
おまえの本性はクズなのに、
努力すらできないなんて、情けない」
悪魔がやってきた。
見慣れたその顔は疲れ果てていたが、
黒い服を着ているだけの、ふつうの人間だった。
「そんなに躍起になって、何になる?
人間の体には、限界があるんだ。
人間の心にも、限界があるんだ。
適当でいいのさ、世の中ぜんぶ。
おれはようやく、それがわかったよ」
彼はその場に立ち尽くして、
ぽろぽろ涙をこぼした。
彼の手から、重たいハンマーが滑り落ちて
足元にちらばる檻の死骸を、枯れ草のように吹き飛ばした。
#遠い日の記憶
歌を思い出した。
小学校で習った合唱歌だ。
曲名を思い出せなかったから、小声で口ずさみながら検索バーに歌詞を入力していった。
すぐに答えが出た。
『ゴール目指して』という歌らしい。
あまりピンと来なかったが、言われてみればそんなタイトルを音楽の先生が黒板に書いていた気もする。
新しい歌を教えるとき、先生はいつもスライド式黒板に大きな模造紙を貼っていた。模造紙には油性マジックの几帳面な文字で歌詞が丸ごと写してあって、黒板に貼られるその歌詞をわたしたちは必死に暗記した。教科書に載っていない歌は、その紙以外に歌詞を覚える手段がなかったからだ。
わたしが通っていた小学校では、学年によって歌える歌が決まっていた。
それは単に学年別の学習範囲の都合だったが、小学生の子どもたちにとって「高学年にならないと歌えない歌」は特別だった。秘密結社内で口伝によってのみ受け継がれる、神秘の呪文のように感じられた。
中でも『ゴール目指して』は、六年生にならないと歌えない合唱歌だった。
最高学年にしか歌うことを許されない歌、すなわち合唱歌の頂点に君臨するこの歌は学校中の児童たちからカルト的な人気を集めていた。しかしこの歌はまた、謎めいた側面も持っていた。
わたしがその噂を聞いたのは、五年生のときだった。
「ねえ、知ってる?」
ある日、通学路を一緒に帰っていた友人がわたしにこっそり耳打ちした。
「あの歌ってね、本当は二番があるんだよ」
友人には三つ上のお姉さんがいた。
わたしの知らない色んなことを聞きかじってくる情報通だった。
「二番?」
わたしは首をかしげた。
上級生たちはいつも、二番どころか三番まで歌っているじゃないか。
ううん、と友人が首をふった。
「あるんだよ、本当の二番が。でもね、歌わないの。絶対に。歌っちゃいけないんだって」
「どうして?」
「……死んじゃった子がいるから」
亡くなった子ども。
だから、歌ってはいけない歌。
学校の七不思議にでもありそうな話だった。
うすら寒い気持ちになりつつ、わたしはまだ半信半疑だった。子どもたちの間で流布する怖い話には、テレビや本で仕入れた創作やでっちあげも多いのだ。
六年生になって、音楽室の黒板に『ゴール目指して』の模造紙が貼られた。
「一番の次は三番を歌います」と先生が説明した。「この歌はとても長いので」
ドキッとした。
二番は、歌わない。
友人の言葉通りだ。
友人の話では、林間学校先の湖で事故があって、それ以来、事故とそっくりな二番は歌わなくなったらしい。模造紙に二番の歌詞は書いていなかった。
小学生という年頃は、怪談やら都市伝説やら、オカルトめいた話に惹かれるものだ。
あの「歌ってはいけない二番」の噂も、今思えばそういう類いのものだった。
非日常に憧れる小学生が思いついた遊びの一種。
「長い歌だからカットした」
先生の説明以上の神秘など、あの歌には存在しない。歌を思い出したとき、大人になったわたしはそう考えていた。
ためしに歌詞の全文を検索してみて、驚いた。
喉に流れ込む海水
波に揉まれて、友人の帽子が沈んでいく
涙でにじんだあの日の雲を、一生忘れない
先生が模造紙に書かなかった二番の歌詞は、そんな内容だった。
音楽室の黒板に貼られた模造紙のにおいと、通学路に照り返す夏の陽射しが甦ってくる気配がした。
#同情
夕方のことです。
シロが町の広場を通りかかると、鐘塔のまえの石段に、座りこんでいる影がありました。
おじいさんと、犬です。
おじいさんの着古したシャツは、長袖ですが、雪がちらちら降る日暮れには、ずいぶん薄っぺらに見えます。毛糸のチョッキはボロボロで、靴にも穴が空いています。白い息を吐いて震えているのに、一枚しかないひざ掛けは、犬の背中にかけてあります。
大きくて、賢そうな犬です。けれど、痩せて骨が浮いています。悲しそうな目をしています。おじいさんに寄りそって、通りすぎていく人々を、じっと眺めています。
おじいさんの膝には、ひっくり返した毛糸の帽子が。帽子の底には、硬貨が数枚、入っていました。
シロは、困ってまわりを見ました。
立ち止まる通行人は、ひとりもいません。
今夜は吹雪くかもしれない、はやく帰らなきゃ、雑踏からそんな話し声が聞こえてきます。
コートのポケットのなかで、シロは、小さな袋をぎゅっとにぎりました。
もらったばかりの、お給料です。
朝から夕方まで、泥だらけで松ぼっくりを磨い
て、1か月がんばって、やっともらったお金です。
きょう、隣町まで足をのばしたのは、買い物の
ためでした。
とっておきのご馳走で贅沢をしよう。ともだちのクロと、約束したのです。
屋台は、すぐそこです。
チキンの焼けるジューシーなにおい、ハーブと香辛料のピリッとした香りが、冷たい風にのって、ただよってきます。パリパリの皮の下の、あぶらのしたたるやわらかいモモ肉を思い出して、お腹がぐうぐう鳴っています。
ならんだ屋台のあちこちで、軒先のランプが灯りはじめました。
痩せっぽっちの犬が、じっと、こちらを見まし
た。
おじいさんが白い息を吐きながら、犬をそっと、抱きよせました。ふたりの上に、雪が白くつもっていました。
シロが、広場から出てきました。
かかえた紙袋に、ローストチキンは入っていま
せん。
かわりに、揚げたてのジャガイモ団子が詰まっています。だいぶ質素なご馳走になってしまいましたが、紙袋とおなじくらい、シロの心もぽかぽかしています。マフラーでかくれた口もとが、にこにこ、ゆるんでしまいます。
広場の入り口で、シロはふと、足を止めました。
掲示板が立っています。
市民マラソンのお知らせ、図書館の開館カレンダー、ゴミの分別のおねがい、見慣れた貼り紙のなかに、一枚、新しいものがあります。
注意喚起の貼り紙です。
『だまされて、お金をあげてしまった人たちが、近隣の町で続出しています』
特徴が、書いてあります。
『犬を連れた、老人です』
ドキッとしました。
あわてて、広場をふり返りました。
鐘塔のまえの石段には、もう、だれもいません。なぜ、ほかの人たちが見ないふりをしていたのか、シロにもようやくわかりました。
激しくなりはじめた雪のなかを、シロは、
とぼとぼ帰りました。
紙袋のなかの揚げジャガイモが、カサカサ、むなしく鳴っていました。
「別のじいさんかも。な?」
クロがそう言って、鍋からよそったオニオンスープを、シロのまえに置いてくれます。
テーブルには、グラタンと、白身魚のトマト煮の大皿と、コケモモのパイもならんでいます。トマト煮の魚は、クロが湖で釣ってきました。シロの揚げジャガイモもならんでいます。クロが温めなおして、溶けたチーズと刻んだパセリをかけてくれました。どこから見ても、立派なご馳走のテーブルです。
「……けど、犬を連れてた」
「犬なんか、お向かいのモスだって飼ってる。五匹も飼ってる」
シロはうつむいたまま、スプーンでオニオンスープをすくいました。すくったまま、スープをぼんやり見つめていました。
「助けたかったんだろう、そいつらを」
「うん」
「シロには必要だったよ。どっちにしろ」
フォークにさした揚げジャガイモをかじって、クロが「アチッ」と舌を出しました。
「シロは、ぜったい後悔した。お金をあげなくても。そのじいさんと犬が、本当に困ってたらって。窓をのぞいて、外の吹雪ばっかり見て、せっかくのチキンの味だってわからなかった。ちがう?」
シロはちょっと考えて、その通りだと、思いました。
「寄付は、自分のためにする。おれは、そう思ってる。そのお金で、シロは自分を助けた。心のなかで暴れてる罪悪感をやっつけるために、親切っていう、特効薬を買ったんだ」
「うん」
「ついでに、じいさんと犬も救われたかも。そしたら、オマケでうれしい」
「うん」
「つぎは、全部あげなくていい。焼きソーセージが買えるくらい、残しておいたらいい」
「うん」
「助けたいって、シロの気持ちは、本物だった。おれは、笑わない」
「うん、うん……」
あふれた涙で、ぽたぽた、スープがゆれました。
鼻をすすって、フォークにもちかえて、揚げジャガイモをかじりました。
「アチッ」
「また買ってきてよ。チキンにも、きっと合う」
うなずいて、シロはもうひと口、揚げジャガイモをかじりました。
やけどしそうなほど、口のなかがホクホクします。凍えていた心まで、ぽかぽか、溶けていきました。
#花束(遅刻)
ナマケモノ具合には、自信がある。
昼を過ぎても寝ていたいし、洗濯機のスイッチを入れるのすら億劫で、シンクは食器であふれかえっている。くたびれきった生活をしている。
そのくせ、切り花を一輪、コップに挿したくらい
で、少し早起きしてふわふわモップで本棚のホコリ
取りをしてみたり、ポットで紅茶を淹れてみたり
してしまう。
花束だと、もっとすごい。
花瓶代わりに麦茶のグラスを引っぱり出し、いつもは椅子の背もたれに投げっぱなしのテーブルランナーをちゃんとテーブルに敷いて、パスタを茹でてみたりして、スモークサーモンとカマンベールチーズなんかを奮発して、小さいボトルのスパークリングワインを開けちゃったりする。ちょっと花を飾ったくらいで、ぐんとオシャレで文化的な人間になった気持ちがする。お手軽だと自分でも思う。
スーパーでも、生花のコーナーをつい、見てしま
う。
だいたい入り口すぐにあって、季節によって菖蒲の葉っぱやら南天やらが幅を利かせていたりする。
うっかり御仏壇用のを選んでしまったことがある
から、一応、花の種類と商品名を確認する。白い菊
と薄紫色のトルコキキョウ。すごく可愛い組み合わ
せだと思ったが、「仏花」と書いてあったから、何となく遠慮してしまう。
帰り道に花屋がオープンしてからは、もっぱら、そちらを覗くようになった。
庶民的なベッドタウンに似合わない、ちょっと小洒落た雰囲気の店だった。店頭に並んでいるワンコインの花束も、スーパーのものとは比較にならないくらいセンスが良い。買った花束は、英字新聞がプリントされた茶色いクラフト紙で包んでくれる。
毎回、花が長持ちするという薬液をお店の人が付けてくれた。楽しめるのはだいたい1週間前後だった。もっと早く枯れてしまうこともあった。驚異的生命力で悪名高いミントですら枯らしてしまう自分にしては、よくもっていると感心していた。
ある日、勇気を出して、店の奥まで入ってみた。
店頭の花束しか買ったことがなかったが、その日の目当ては、店奥のガラスケースだった。
ちょうど、生け花サークルに所属していた頃だっ
た。技術もセンスもないくせに、ホームセンターで
自分専用の花鋏と剣山を購入して、悦に入っていた。花器の代用品も同じホームセンターで見つくろった。うどんのどんぶりだった。
ガラスケースを覗いて、驚いた。
色んな花が並んでいたが、どれも二百円から三百円。たった一本で、その値段なのだ。中央に置かれた真紅のバラには、四百円の値札がついていた。
完全にリサーチ不足だった。
しかし今さら、退くに退けない。適当にアリウムかなにかと葉物を購入して帰った。本当に驚いたの
はその後だった。
ものすごく長持ちしたのだ。
うどんどんぶりの中身は、ただの水道水だった。素人がざくざく挿し直して、フニョフニョになった茎が、かろうじて剣山に支えられていた。なのに、その生け花もどきは元気に咲きつづけた。半月から一か月ちかく保ったと思う。
後日聞いた話だが、店頭で花束として売られているのは、終わりかけの花なのだとか。スーパーで言うと、賞味期限の近いものをまとめて置いてある特売品のワゴンのような。だから、あまり日持ちは
しない。
一瞬、残念な気持ちになった。とはいえ、手頃な
価格で色んな花を楽しめることを思えば、win-winと言っていいのかもしれない。