#同情
夕方のことです。
シロが町の広場を通りかかると、鐘塔のまえの石段に、座りこんでいる影がありました。
おじいさんと、犬です。
おじいさんの着古したシャツは、長袖ですが、雪がちらちら降る日暮れには、ずいぶん薄っぺらに見えます。毛糸のチョッキはボロボロで、靴にも穴が空いています。白い息を吐いて震えているのに、一枚しかないひざ掛けは、犬の背中にかけてあります。
大きくて、賢そうな犬です。けれど、痩せて骨が浮いています。悲しそうな目をしています。おじいさんに寄りそって、通りすぎていく人々を、じっと眺めています。
おじいさんの膝には、ひっくり返した毛糸の帽子が。帽子の底には、硬貨が数枚、入っていました。
シロは、困ってまわりを見ました。
立ち止まる通行人は、ひとりもいません。
今夜は吹雪くかもしれない、はやく帰らなきゃ、雑踏からそんな話し声が聞こえてきます。
コートのポケットのなかで、シロは、小さな袋をぎゅっとにぎりました。
もらったばかりの、お給料です。
朝から夕方まで、泥だらけで松ぼっくりを磨い
て、1か月がんばって、やっともらったお金です。
きょう、隣町まで足をのばしたのは、買い物の
ためでした。
とっておきのご馳走で贅沢をしよう。ともだちのクロと、約束したのです。
屋台は、すぐそこです。
チキンの焼けるジューシーなにおい、ハーブと香辛料のピリッとした香りが、冷たい風にのって、ただよってきます。パリパリの皮の下の、あぶらのしたたるやわらかいモモ肉を思い出して、お腹がぐうぐう鳴っています。
ならんだ屋台のあちこちで、軒先のランプが灯りはじめました。
痩せっぽっちの犬が、じっと、こちらを見まし
た。
おじいさんが白い息を吐きながら、犬をそっと、抱きよせました。ふたりの上に、雪が白くつもっていました。
シロが、広場から出てきました。
かかえた紙袋に、ローストチキンは入っていま
せん。
かわりに、揚げたてのジャガイモ団子が詰まっています。だいぶ質素なご馳走になってしまいましたが、紙袋とおなじくらい、シロの心もぽかぽかしています。マフラーでかくれた口もとが、にこにこ、ゆるんでしまいます。
広場の入り口で、シロはふと、足を止めました。
掲示板が立っています。
市民マラソンのお知らせ、図書館の開館カレンダー、ゴミの分別のおねがい、見慣れた貼り紙のなかに、一枚、新しいものがあります。
注意喚起の貼り紙です。
『だまされて、お金をあげてしまった人たちが、近隣の町で続出しています』
特徴が、書いてあります。
『犬を連れた、老人です』
ドキッとしました。
あわてて、広場をふり返りました。
鐘塔のまえの石段には、もう、だれもいません。なぜ、ほかの人たちが見ないふりをしていたのか、シロにもようやくわかりました。
激しくなりはじめた雪のなかを、シロは、
とぼとぼ帰りました。
紙袋のなかの揚げジャガイモが、カサカサ、むなしく鳴っていました。
「別のじいさんかも。な?」
クロがそう言って、鍋からよそったオニオンスープを、シロのまえに置いてくれます。
テーブルには、グラタンと、白身魚のトマト煮の大皿と、コケモモのパイもならんでいます。トマト煮の魚は、クロが湖で釣ってきました。シロの揚げジャガイモもならんでいます。クロが温めなおして、溶けたチーズと刻んだパセリをかけてくれました。どこから見ても、立派なご馳走のテーブルです。
「……けど、犬を連れてた」
「犬なんか、お向かいのモスだって飼ってる。五匹も飼ってる」
シロはうつむいたまま、スプーンでオニオンスープをすくいました。すくったまま、スープをぼんやり見つめていました。
「助けたかったんだろう、そいつらを」
「うん」
「シロには必要だったよ。どっちにしろ」
フォークにさした揚げジャガイモをかじって、クロが「アチッ」と舌を出しました。
「シロは、ぜったい後悔した。お金をあげなくても。そのじいさんと犬が、本当に困ってたらって。窓をのぞいて、外の吹雪ばっかり見て、せっかくのチキンの味だってわからなかった。ちがう?」
シロはちょっと考えて、その通りだと、思いました。
「寄付は、自分のためにする。おれは、そう思ってる。そのお金で、シロは自分を助けた。心のなかで暴れてる罪悪感をやっつけるために、親切っていう、特効薬を買ったんだ」
「うん」
「ついでに、じいさんと犬も救われたかも。そしたら、オマケでうれしい」
「うん」
「つぎは、全部あげなくていい。焼きソーセージが買えるくらい、残しておいたらいい」
「うん」
「助けたいって、シロの気持ちは、本物だった。おれは、笑わない」
「うん、うん……」
あふれた涙で、ぽたぽた、スープがゆれました。
鼻をすすって、フォークにもちかえて、揚げジャガイモをかじりました。
「アチッ」
「また買ってきてよ。チキンにも、きっと合う」
うなずいて、シロはもうひと口、揚げジャガイモをかじりました。
やけどしそうなほど、口のなかがホクホクします。凍えていた心まで、ぽかぽか、溶けていきました。
2/21/2024, 7:46:00 AM