#どこにも書けないこと
黒歴史を、白状します。
自分で考えたオリジナル文字を、使っていた頃
がありました。
中学生の時でした。
同じことをしていた人は、もしかして、いるかもしれません。わたしのは、パズルのような文字でし
た。
子音と母音を組み合わせて、一音を表します。
たとえば、カ行を∠、uの音を:だと決めます。すると、「∠:」は「ク」と読みます。ハングルの組み方に近いです。
人に見られたくないものは、すべてこの文字で
記していました。
最初はただ、日本語の文章をオリジナル文字に置き換えるだけで、満足していました。
そのうち、不完全だと感じ始めました。文法は
まだ日本語から借用しているのです。文字だけを
オリジナルにしても、所詮、暗号文です。言語とは
呼べません。
動詞を前にもってきたり、形容詞を意味もなく倒置したりするようになりました。
赤い花が咲いている、を「咲いている 花 赤い」みたいに書くのです。英語からの流用に、オリジナルのアレンジをねじ込もうという魂胆です。何にでも「自分のカラー」を出したがる年頃です。語彙は日本語のままなので、いま思うとヘンテコなことをしていました。とはいえ、オリジナルの単語も一部は存在しています。長い通学路をぼんやり歩きながら、ランダムな音の羅列のなかに気に入った響きを
見つけては、メモしていた記憶があります。lila は「鳥」という意味にしよう、といった具合です。
複数形や、語尾活用という概念も生まれました。
lila (鳥) を複数にすると lilan (鳥たち)、きれいな(omis) 鳥 (lila) は lili omis といった具合。
図書館で外国語入門書を立ち読みしては、薄っぺらな知識を仕入れていました。言語の構造などろくに理解もせず「なんとなくカッコいい」だけが採用基準でした。少しずつオリジナル語彙を増やして、ゆくゆくは完全に日本語を離れた、自分にしか読めない言語ができあがるつもりでした。
ある日、この文字をピタッと使わなくなりました。
見つかってしまったからです。
休み時間の教室です。
思いついた物語のアイデアを、ノートにメモして
いた時でした。
ノートを覗きこんだ友人には、何が書いてあるか、チンプンカンプンだったようです。それはそうです。自分にしか読めない文字なのですから。
「それって、自分で考えた文字でしょ?懐かしい。わたしも中学の頃、やってたよ」
今にして思えば、悪い反応ではなかったと思い
ます。からかって笑ったりせず、自分の経験を共有
して、共感してくれていました。いい友人だったと
思います。
けれど、その時のわたしは、恥ずかしい気持ちで
いっぱいでした。
「中学生の頃」と言われたのが、プライドを傷つけたのです。高校生にもなって、子どもっぽい、そう
バカにされた気がしたのです。文字をつくる遊びが自分一人のものではなかった事実にも、ショックを受けていました。これほど高度な創造をする自分は、知的で特別な人間だと、すっかり自惚れていたのです。中二病だったのです。
あいまいな返事でお茶をにごして、ノートを鞄に
しまって、わたしはその文字を二度と書かなくなり
ました。
色々あって、今ではすっかり、中途半端な言語オタクになりました。
今なら、もう少しそれっぽい言語をつくれそうな気もしますが、あの痛々しい記憶は風化させたままでいたい気持ちのほうが強いです。久しぶりに、少しだけ、思い出してしまいました。
#溢れる気持ち
もう、涸れてしまったのだと思っていました。
心の奥の、ちいさな泉のことです。
昔は透きとおった水がこんこんと湧き出して、青く澄んだ水面に、色々なものが映っていました。朝のまぶしい陽の光、オレンジ色の夕焼け空、まん丸な月と満天の星くず、いろんな光に照らされて、朝から晩まで、キラキラかがやいていました。
とてもちいさな、泉です。
子熊が一匹飛びこめば、もういっぱいになって
しまうほど。
けれど、魔法の泉です。
泉のほとりに腰かけて覗きこめば、この世のあら
ゆるものが映ります。本物よりずっとまぶしく、色鮮やかに見えます。
でも、いつの頃からでしょうか。
泉の水が、にごりはじめました。
世界のあらゆるものを映す、泉です。
綺麗なものばかりが映る時代は、終わったので
す。
悲しいもの、醜いもの、つまらないもの、そんなものばかりが映るようになって、心の持ち主は、泉を覗き込むのをやめてしまいました。泉のほとりに
咲いていた花はしおれて、水面は枯れ葉で埋もれ
てしまいました。
ある日のことです。
心の奥から、不思議な水音が聞こえてきました。
読んでいた本から顔をあげて、耳を澄ましてみま
す。消えてしまいそうなほど微かに、水音が響いて
きます。
本を抱えたまま、音のほうへ歩いていきます。
薄暗い森は、雑草が茂りほうだいで、けもの道すら
見えません。
やがて、こんもり積もった枯れ葉の山を見つけま
した。底のほうから、ちょろちょろ、水が流れてき
ます。しゃがみこんで、両手で枯れ葉をどかしてみ
ます。
ちいさな泉が、ありました。
最初は泥でにごっていましたが、すぐ透きとおった、冷たい水が湧いてきました。あとから、あとから、湧き出してきます。
干からびた心いっぱいに、水が満ちていくのを
感じました。
かたく、ひび割れていたあちこちに、冷たい水が沁みこんでいきます。心が、やわらかくなっていきます。泉のふちの枯れ葉の下で、ちいさな花が、白いつぼみをひらきました。鬱蒼と暗い森を、木漏れ日がしずかに、照らしました。
本を膝に抱えたまま、ぽろぽろ、涙がこぼれ
ました。
子どもの頃に見ていた色鮮やかな景色が、ほんの少しだけ、よみがえってきました。もう、戻ってこないと諦めて、忘れかけていた感覚でした。こんなにすっきりする涙は、久しぶりのことでした。
#1000年先も
未来からきた商人が、不思議な品物を売って
います。
ガラスの小瓶に詰まった、紫色の液体です。
「みなさん、これは未来の技術で作られたインクです!ただのインクじゃ、ありませんよ!このインクで書いたものは、千年だろうと、二千年だろうと、消えることなく残るのです!雨風に晒されたって、色褪せひとつ、おこりません!」
商人の口上を、通りかかった宗教家が聞きまし
た。
「素晴らしい!さっそくこのインクで教典を記し、全能なる神の教えと、教祖さまのありがたいお言葉を、すべての人類に知らしめねば!」
つぎに通りかかったのは、政治家です。
「それはいい!このインクで私の功績を銅像に刻み、我が名を後世まで語りつがせねば!」
最後に通りかかったのは、小説家です。
ちょうどインクを切らして買いに行く途中でした。けれど、商人の口上を聞いて、彼は慌てて小瓶を商人に押し返しました。
「とんでもない!千年どころか、十年先まで残せるような作品すら書けたことなどありません。一生かかっても、僕には書ける気がしません。でも、いいんです。僕の書いたものを読んで、今を生きているだれかの心が、ちょこっとでも軽くなったら。それで、明日も生きてみようと思えたら。それだけで、もう、充分すぎるくらいです」
#勿忘草(わすれなぐさ)
唐突に、昔のことを思い出した。
引っ越しの荷造りをしている最中だった。本棚の奥から児童書を一冊引っぱり出すと、ひらりと
何かが床に落ちた。
半分に折ったティッシュだった。
中になにか、挟まっている。
押し花だ。
まっすぐのびた茎の先に、ちいさな星形の花が集まって咲いている。子どもが見よう見まねでつくったものだった。カサカサにひからびて、茶色く
変色している。もとは青い花だったらしい。
その青色には、見覚えがあった。
森の奥の、ぽっかり明るい陽だまり。いつも青いワンピースを着て、岩の上に座っていた、髪の長い女の子。
子どもの頃、わたしは数ヶ月ほど、田舎に預けられていたことがある。
問題のある家庭だった。両親は毎晩ケンカをしていて、飛んでくる怒鳴り声や灰皿や拳から逃げるため、わたしは自分の部屋に閉じこもっていた。学校にも行かなくなった。もともと神経質な上にストレスで過剰に攻撃的になっていたわたしと、上手くつきあえる小学生はいなかったから。
田舎の親戚の家でも、わたしは孤立していた。
人間不信をこじらせて、部屋に閉じこもって本を読むか、こっそり家を抜け出して人のいない森の奥で泣いているか、毎日、そんなことをしていた。その女の子に出会ったのも、独りぼっちで森を歩いている時だった。
もの静かな、おっとりした子だった。
彼女の声も、二人でなにを話したかも、思い出せない。それくらい大人しい子だった。わたしとは、妙に波長があった。会話がなくても、別々のことをしていても、彼女のそばに座っているだけで、穏やかな気持ちになれた。花かんむりを編むのが得意で、わたしにもやり方を教えてくれた。わたしが編んだ不器用な輪っかを見て、上手だと笑ってくれた。彼女の笑顔が好きだった。はじめてできた、友だちだった。
それから色々あって、わたしは母に連れられて都会へ引っ越した。
新しい街、新しい学校での生活が忙しすぎて、手紙を書くと約束したのに、結局一度も出さなかった。そのまま、今の今まで忘れていた。信じられないくらい薄情者だ。
十数年ぶりに、親戚の家を訪ねた。
可愛げのない子どもだったはずなのに、大きくなったね、と迎えてくれた。
彼女のことを聞いてみた。わたしと同じ年頃で、当時この辺りに住んでいた女の子。手紙を出すはずだった連絡先は紛失していたが、住人の少ない地域だから、すぐわかるだろうと踏んでいた。
笑顔でもてなしてくれていた親戚夫婦が、困ったように顔を見合わせた。
あのね、と奥さんの方が、慰めるように教えて
くれた。
「この辺りにいた子どもはね、うちの子たちと、お向かいの兄弟だけなのよ。みんな男の子。会ったことあるでしょう」
信じられなかった。
あの女の子と遊ぶようになって、わたしは少しだけ、口数が増えた。森で会った子に教わったんだと、花かんむりを見せたこともあった。わたしが話す彼女のことを、親戚夫婦は笑顔で聞いていた。実際は、わたしが頭の中の見えない友だちと遊んでいるのだと同情して、指摘しないでいたらしい。
あの森へ行ってみた。
いま思うと、おかしな所は色々あった。
彼女の声を、聞いた覚えがない。いつもおなじ青いワンピースを着ていた。森の外で見かけたことが、一度もない。
森は、どこにもなかった。
消えてしまったわけではない。子どものわたしが森と呼んでいたのは、ただの雑木林だった、それだけだ。神秘的に見えていた秘密の原っぱも、倒木によってできた、ちっぽけな空き地でしかなかった。わたしが腰かけていた切り株は見つかったものの、彼女が座っていた岩は、どこにもない。
呆然としているわたしの視界の端に、なにか青いものが映った。
花が群生しているのだった。
あの押し花の、花だった。ここへ来る新幹線のなかで検索した。勿忘草と言うらしい。野原の隅に、取り残されたように咲いている。
その青色のちいさな花の絨毯が、ワンピースをひろげて座っている、あの女の子の姿に見えた。
#ブランコ
ロボットが一体、目を覚ましました。
彼は、執事ロボットです。
人間のお世話をするのが仕事です。彼のご主人さまは、このお屋敷に住んでいる、ちいさな女の子
です。
女の子の部屋へ向かうとちゅう、ロボットは温室に寄りました。
ピンク色の花を摘みました。女の子の好きな色です。この温室も、ロボットが世話をしています。以前は庭師ロボットがいたのですが、いつのまにか、姿を見なくなりました。でも、彼は執事ロボットです。お屋敷の仕事なら、ひと通りインストールされています。専門職のロボットほど上手くはできませんが、土いじりは好きです。丁寧に世話をしてやれば、花壇の花はきちんと応えて、咲いてくれます。
女の子の部屋につくと、ロボットは厚いカーテン
をあけました。
大きな窓から朝の光が差しこんで、部屋の中央のベッドを照らします。ベッドは空っぽです。
執事ロボットは、ベッドサイドの花瓶に咲いている昨日の花を、摘んできた花と取り替えました。
ベッドをととのえて、掃除をして、それから、庭へ向かいました。
お屋敷の庭は、女の子のお気に入りの遊び場
です。
彼のご主人さまは、体が弱くて、お屋敷の外に出られません。そんな彼女のために、お屋敷の庭には世界中のめずらしい草花が、一年中とりどりに咲い
ています。
庭の中央にどっしり立っている巨大なオークの古木が、女の子のお気に入りです。オークの太い枝からは、ブランコがひとつ、さがっています。女の子にねだられて、執事ロボットがつくったのです。女の子を座らせて、ロボットが背中を押してあげるのです。空を飛んでいるみたいだと、女の子は嬉しそうに笑います。彼女の笑顔が、ロボットは好きです。
ブランコのそばまでやって来ました。
ブランコは、空っぽです。
チェーンがかすかに揺れていますが、女の子の姿は見当たりません。
チェーンは錆びついてボロボロです。片方が
だらんと垂れ下がって、傾いています。座板はすっ
かり朽ちています。
ブランコの足元の芝生に、なにか、落ちているの
を見つけました。
ちいさな、金色の輪っかです。
女の子が左腕にはめていた腕輪と、データが一致しました。腕輪の裏に、日付が刻まれています。
女の子の生まれた日です。ちょうど三日後の日付
ですが、今から200年前をさしています。200年が
人間にとっては長すぎることを、ロボットは知って
います。
けれど、彼は執事ロボットです。
人間のお世話をするのが、仕事です。ご主人が
いなくなった後の行動もプログラムされていたはずですが、壊れた彼を修理してくれる人間は、この
お屋敷には、もういません。
風で、ブランコが揺れています。
金色の腕輪をブランコの足元にもどして、ロボットは屋内へもどっていきます。ちいさなご主人さまのために、朝の紅茶を用意しにいくのです。