『遠い日の記憶』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
産声を上げることなく死んでしまった妹の墓は無く。
父も母も逝った今では、覚えているのは私だけとなった。
名もない顔も知らない私の妹、その柔い小骨は炉内で燃え尽き灰の一粒すらも残すことができなかった、哀れな妹。
光り輝く美しい世界を見ることなく、家族の温かさを知ることもなく、暗い腹の中で命を止めた妹へ。
今年もまた、花を一つ手向ける。
テーマ「遠い日の記憶」
短編 -遠い日のあなたを忘れることは-
※今回の内容は少しきつい言葉や表現が出てくるため、苦手な方は飛ばしてください‥ 余白より
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「どうして言った通りにできないんだよ?」
怒鳴り声が響き渡る、23時半。
母に投げられたティッシュボックスがコロコロと音を立て、床に落ちていった。
妹が泣き始めた。
この地獄が、今日はあと何時間続くだろう。
家には、怪物がいる。
怪物は、普段人間のふりをするのがうまい。
だからみんなは口を揃えて言う。
「本当に優しそうなお父さんだね」
私はみんなの言う'お父さん'がどれだけ優しいのか知らない。だから頷きもせず、否定もしない。
曖昧に微笑む私の脳裏に浮かんでいるのは、
豹変したあの姿。
原因はきっと、いろいろあるのだろう。
会社であった何か、プライベートであった何か。
何かに触発され、母に子に怒りをぶつけ発散する。
泣き叫ぶ子供に情け一つかけず、破壊と暴言を繰り返す。
そして決まって翌日、声色を変えてプリンを買ってくる。それだけで許されると思っている、恐ろしい生き物。
なんて、愚かな'怪物'だ。
そういえば当時、一番仲良くしていた男の子に
「お前、父ちゃんにちゃんと優しくしてる?」
と聞かれたことがあった。
「普通、かな」
と答えた私に彼は、
「女の子ってひどいよなー。
優しくしないとかわいそうだよ?父ちゃん。」
と言われてしまった。
当時それが相当応えた。
何も返す言葉が見つからず、黙ってその場を立ち去った気がする。
そして、きっと彼の父親は素敵な人なのだろうと勝手に寂しくなった。
誰にも相談できない。
友達に言ってしまったら、噂は勝手に一人歩きをはじめイジメに発展する可能性だってある。そんなことになったら、学校に行けなくなる。
ただでさえ近所には
怪獣が豹変した後の怒鳴り声や物音を聞いて、
何回か通報した人がいるんだ。
-私の口から何かを発言してしまったら、平穏から遠ざかってしまう。-
当時の私は本気でそう思い込んでいた。
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「こんな話、わかってもらえる人がいるなんてね」
そう言った親友は。安堵と悲しみに満ちた表情をしていた。
その顔を見ながらふと、当時の私に思いを馳せる。
毎日が地獄だった、あの頃。
ずっと怯えて生きていた、あの頃。
やがて地獄の日々は終わりを迎え、
同じような経験をした親友が唯一の理解者になってくれた。こんなにも平穏な生活が送れるようになるなんて、当時は想像すらできないだろう。
そして私たち家族を苦しめてきた怪物には、それなりの報復が待っていた。
遠い日のあなたを忘れることは決してないけれど、
あの頃がなければ今の私もない。
そう思えば、その憎しみさえゆっくりと手放すことができる。
誰もが、人には言ったことのない'あの頃'を持っている。
'あの頃'の自分に伝えられる言葉があるなら私は迷わず、
「大丈夫だよ」
と言うだろう。
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「ただいま!」
今、私の全ての幸せは
この家の中から生まれている。
大好きな人たちの、泣き顔ではなく笑顔を見つめ、
生きている。
-遠い日のあなたを忘れることは-完
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あとがき
初めまして、余白です。
前回と前々回の短編を読んでいただき、またたくさんのいいねを押していただき本当にありがとうございました。
心から嬉しかったです‥
今回も恋愛を描こうかと迷いましたが、
お題を見た瞬間に浮かんできたこちらの物語にしてみました。
激しいものが苦手な方、ごめんなさい‥
誰しも、人には見せない部屋や(心理的な)
社会で生きていく上で見せないようにしてる面があるのではないかな?と。思っています。
(全員ではないと思いますが‥!)
それが、幼少期の記憶やトラウマだったり
そこで育った弱い自分だったり。
たまにその部屋を覗いて
うずくまっている小さな自分に、
「やぁ元気?」
と話しかけてあげると、なんとなくその子に喜んでもらえるきがしませんか‥?(伝わるかな‥)
自分はできるだけ、
普段見ないようにしてしまいがちな
'小さくて弱い自分'を置いてきぼりにしないで生きたい。と常、思っています。
今回はどちらかと言うと'苦しみ'をみつめるような作風でしたが、同時に'楽しさ'をみつめる作業もとても大切なことだと思っています。
楽しいを突き詰めるような作品も描きたい!
と思うのですが、、、なかなか自分の描くものは、色で例えると寒色系が多い気がしています。
今後に期待‥ですね。(笑)
こちらでの短編がまとまったら、いつかKindleで出版もしたいな‥なんて思ったりもしています。
(短編をたくさん集めないと‥)
なんだか変な奴がいるな‥
と言うくらいで見守っていただけますと幸いです。
それでは、皆様また‥!
余白
遠い日の記憶
持っている中で一番古い記憶は
幼い私がハサミで紙を切る手元を家族が少し不安そうに見守っている、そんなとりとめのないことだった
なぜ記憶に残っているのかは分からない
ただ、まっすぐに切れた紙を見た両親は私を褒めたたえた
「手先が器用だものね。上手に使えて偉いね」
なんとも誇らしい、こそばゆい気持ちになったことだけは覚えている
あの家は今どうなっているのだろうか
古びたアパート
そこにはまだ人が住んでいて、生活をして、記憶を積み上げているのだろうか
あの部屋にはどれだけの人間のどれだけの記憶が詰まっているのだろうか
全てに嫌気が差して出たあの町を毎日のように思い出す
自分の選択が正しかったのか知るすべなど無くて
いつかこの日すらも記憶になっていくどうしょうもないことに怯えている
きっと両親は、今の私が真直に紙を切れたと見せても上手だと褒めてくれるのだろう
それで私は誇らしい気持ちになれるのだろうか。
いや、きっと情けなくなってしまうのだ。
この世界は何も変わっていない、周りの人間は何も変わらない。
変わったのはただ私だけなのかもしれない。
どんなに足掻いてみても
君には届かない
どんなに耳を澄ませても
僕には届かない
それは遠い日の記憶
小学生の頃は、毎週のように祖父母の家に泊まりにいったものです。朝はプリキュアの放送時間を逃さないように祖母が起こしてくれて、姉妹と一緒に食い入るように見ていました。お昼はウインナーと炒り卵、玉ねぎににんにくが入ったケチャップライスをよく食べました。おこげの部分が美味しくて、にんにくは苦手なので姉妹の皿に逃がして。今でもあの味を鮮明に思い出します。春も夏も、秋も冬も足繁く通いました。祖父母が大好きで、一緒の布団で寝る時に、「ばーばが死んじゃったらどうしよう」と、勝手に想像して涙を流したこともあったくらいです。今では年に数回顔を見せる程度になりましたが、あの頃お世話になったことを何かの形でお返ししたいと思う日々です。
『遠い日の記憶』
一番古い記憶といわれて真っ先に思い出すのが、ひとつの風景。
大きな窓枠。薄暗い室内。
窓の外には青々とした田んぼ。
真っ青な空。眩しいほどの日光。
おそらく夏。内と外の明暗のコントラスト。
その話を親戚にすると、それは私が赤ん坊の頃住んでいた家だと言う。
田んぼの横の一軒家で、まだハイハイもできない頃、ちょっとだけ借りていた家らしい。
「そういえばおまえ、そのころ野犬に襲われたんだぞ。物音がするから様子を見に行ったら、大きな黒い犬がおまえの上に乗っかっていてな」
「そうそう、大きな犬が口を開けて噛みつこうとしてるのに、キャッキャキャッキャ笑って喜んでいて、肝を冷やしたわ」
……はて、そんな記憶はないな。
春、桜の下で君と出会って。
夏、一緒に海やお祭りに行ったっけ。
秋、修学旅行でバカみたいに大騒ぎをして。
冬、クリスマスを二人きりで過ごした。
たった一年、けれどとても濃い一年で。
楽しくて楽しくて仕方がなかった。
今思い返すと、全部が全部、
遠い日の記憶みたいだけれど。
いつまでも忘れられない、
大切な思い出になっている。
ひも、と呼んでいたそれを
片時も離さなかったらしい
あれがないと泣くんだって
それでは見た目が悪いから
困り果てた大きな人は私に
着物の切れ端で丁寧に作り
持たせたけど違うんだって
あれがないと泣くんだって
どうにかこうにかなだめて
持たせたんだ大変だったと
聞いた時にも側にはあった
中学生になる頃に母が言う
もう子供じゃないんだよと
部活から帰宅した日のこと
ひも、は捨てたと母が言う
その日からひとりになった
寂しい気持ちはあったけど
もう子供じゃないのだから
何年も過ぎてから母が言う
実は捨ててはいなかったと
駄目なら渡すつもりだった
お母さんの作戦成功したわ
嬉しそうに笑っていたから
風鈴が涼やかな音で鳴った
吹く風は花の香りがしてる
『遠い日の記憶』
後ろには父がいて
ものすごく真剣な顔で
自転車に乗る練習
いま当たり前にできていることは
支えられながら得てきたものだと
遠い日の記憶が教えてくれる
1番古い記憶はおじいちゃんのお葬式だ。
まだ、2歳の時の出来事。
覚えているのは日常とは違う雰囲気のせいだと思う。
次に覚えているのは田舎のおばあちゃんの家で見た星空。
普段の家からでは見られない綺麗な星空だった。
次はひいおばあちゃんの言葉。
「私は死んだ後にお金をくれる人でもいいから覚えておいて欲しいんだ。だからあげるんだ。」
小学生の時だったが印象に残った。
そんなひいおばあちゃんも数年前に102歳で亡くなった。
コロナの時期だったが普通に亡くなった。
このご時世では珍しくボケずに数分前には施設のスタッフと話していたらしい。
その次は小学校の修学旅行。
広島だった。
周りの学校は東京に行っていたのに。
遠い記憶をあげていったが実際は24年程しか生きていない人間だ。
テレビを見て昔の映像とかが流れて親と会話すると本当に遠い記憶っと言うのは親の年齢になってから思い出す記憶のことなんだと思う。
でも、きっと生きた分だけ今の記憶も遠い記憶になる。
今、思い出す遠い記憶はどんなに生きてもいつになっても遠い日の思い出で記憶のままだ。
絶対に。
「おめでとう!」
飛び交う祝福の声に、ヒラヒラ宙と舞う白い花弁。
たくさんの人に囲まれて幸せそうに笑う彼女は、お世辞抜きで、今この世で一番美しいと思う。
20年前「大きくなったら世界一のお嫁さんにしてね?」と彼女は言った。
俺も乗り気で、お小遣いでおもちゃの指輪を買って、結婚式ごっこまでして。
小学校、中学校、高校、大学。
就職してから定期的に連絡を取り合うほど、俺たちは仲が良かった。
ある日、彼女から届いた一枚の葉書には、彼女に似つかわしくない、丁寧な文面で結婚式の案内が書かれていた。
彼女の名前の隣には、知らない男の名前。
別に、子どもの頃の約束を本気にしていたわけではなかったけれど「取られた」という気持ちが脳を駆け巡った。
とはいえ、欠席することもできなくて、彼女の結婚式で友人席に座ることになった。
「綺麗でしょ?」
披露宴の時、そういたずらっぽく笑って、俺にウエディングドレスを自慢しに来た彼女は、きっとあの時の約束なんて覚えていないのだろう。
幸せそうに前を向いて歩む新郎新婦に反して、いつまでも遠い日の記憶に縋っている自分が、なんだか子どもみたいで嫌だった。
お題『遠い日の記憶』
梅雨が明け、蝉の鳴き声がけたたましく響き渡る。
もう夏か。
思えば、私は幼い頃からずっと夏が好きだった。
夏独特の懐かしさや切なさが、何故だか、とても心地良いんだ。
だけども、夏を懐かしむ記憶は持っていない。
懐かしさの正体は何なのか。
未だに分からない。
が、一つ結論を立てるとするなら
私の前世は夏が凄く好きな人だったんじゃないかな?
と思ってたりする。
(遠い日の記憶)
遠い日の記憶
記憶力悪いから昔の記憶とかさっぱりですわ。でも一つだけ明確に覚えている記憶がある。いや、今思い出そうとしたら結構あやふやだったわ。
でも起きた出来事自体ははっきりと覚えている。あれはそう、私が小学生の頃の話です。ところでこの、あれはそう、で始める語り口ってなにが元ネタなんだろう。
まぁそれはどうでもいいや。小学生の頃の帰り道で走馬灯を見たって話でね。なんでかは忘れたけどちょっと高い場所に登った時のことだ。
あれは石垣っていうのかな。呼び方がちょっとわからないけど石の壁みたいのを登ってたんだけど途中で落ちちゃって。そこで走馬灯を見た。
はっきりと時間の流れが遅くなったのを覚えている。幸い怪我はなかったけどあれは今までの人生で一度しか経験してない出来事だった。
あの頃は昭和で俺は子どもだったからな。危ないことや法的にだめだろってことも平気でやっていた時代だった。
しかしこうして文字に起こしてみると大したことのない出来事だな。俺にとっては一生忘れられない事件だったのだけど。
でも他人の体験談なんてそんなものだよな。大抵はふーんで終わってしまうことだ。
走馬灯を見た。それが俺の遠い日の記憶。それだけの話。
『遠い日の記憶』
いっそ記憶がなくなれば
こんなに苦しまなくていいのかな
事あるごとに
トラウマが私を
引きずり出す
他者からの理不尽を
やりすごし
今 存在してるのに
苦しみは今日のように鮮明
だからわたしには
自分を愛する事が必要なの
幼き日の私は、今の私を笑うだろうか?
思い出せない。こうなる前の己がまともだったと言えるほど、もう正しさが分からない。
お題:遠い日の記憶
【遠い日の記憶】
街なかで君の香りがしたよ
思わず振り返ったけど、べつのひとだった
とあなたが笑ったのを思い出しながら香水を振る
四十年以上前、小学二年生の時、私の前に現れた一人の転校生。
それは中学の同窓会の二次会だった。
小さな町なので小中高一緒なんてのも多くいる。
数人の前で、彼女はふと話した。
◯◯はね優しかったんだよ。
何のことだろう?
彼女は続けた
「私が転校してきた時、一番最初に声をかけてくれたの」
「不安だったから嬉しかったんだぁ」と
???自分が???
???そんな事を???
お前はそんな事をぬけぬけと言うやつだったのか
残念ながら私の記憶にはなかった。
が、その子が私の側によく来ていたのは覚えている。
私は、幼稚園、保育園にも行っておらず一年生の時は周りが知らない子ばかり不安でいつも泣いてばかりいた。
そんな自分自身を重ね合わせたから声をかけたのかもしれない。
覚えていて貰えた事が嬉しくもあり恥ずかしくもあり
遠い日の記憶として
そっと胸にしまっておこう。
一番古い記憶を思い出してみると
保育園でトイレを我慢できず、隠れてテーブルの下で用を足してしまい、先生や親に怒られるかと思ったけど
なぜだか怒られなかった40年前の遠い日の記憶。
当時は、40年前の事を振り返ることは出来なかったけど
今なら、40年前を振り返る事は出来る。
当時は、40年後を見通す事は出来なかったけど
今なら、40年後を見通す事が少しだけ出来るようになっているかも。
今回のお題で、未来を見ると言うことは、同じだけ過去を振り返るのではないかと感じる事が出来たので
保育園の時より少しは成長してるんかなー
遠い日の記憶について
それは
それらは
誰の記憶だったろう
何の
記憶だったろう
ノスタルジーが嫌いだ。
幼き日の記憶、酸味の多い青春、故郷の何もない優しい空気、それら全てはとっくに通り過ぎてしまった話なのだ。もう二度と手に入れることのない物語なのだ。
ああ、思い出すだけでこんなにも胸を締め付ける。戻りたくて、戻りたくて、涙が出てくる。
だから私はノスタルジーが嫌いなのだ。
完
お題:遠い日の記憶