『遠い日の記憶』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「あ、宇宙人が逃げた!」
夏の日差しの中、一つの裏路地へ走る。
からかうように奥へ奥へ入る猫を追う私。
細い目に細い体、自由気ままに動く猫が幼い私にはどこか宇宙人を彷彿とさせた。宇宙人が大好きだった。
翌日、梅雨が明けているはずなのに大雨。
窓に水が打ち付ける音がよく響く。
野良猫の宇宙人は雨を凌げているのかと、傘を差し外に出た。
少し歩いた道路脇に生き物のようななにかが横たわっていた。宇宙人だ。まるで雑巾のように濡れ汚れていた。血は出ていないものの節々が折れ曲がっていた。
突然のお別れ。想像もしていなかった。
宇宙人が宇宙人じゃないみたい。気づかないところで消えた命。目から涙が落ちた。
灰色のヴェールを纏ったような空、その中に一つキラメキがあった。あれは、飛行機だろうか。いや宇宙人の乗り物に違いない。次はもっと幸せになってね。
出会ってくれてありがとう。
夏の雨の日は、今でも空を見上げ探してしまうんだ。
君だけが火星に行って君だけは僕の上履き盗らないでいて
「佳奈美、大丈夫か?」
「今のところは」
「待ってろ、すぐ連れて行ってやるからな」
「安全運転でお願い」
「おぅ、任せろ!」
父が3ヶ月前に買い換えたワンボックスカーの後部座席。
そこに仰向けになり、私は定期的にやってくる痛みと戦っていた。
視界は四角く切り取られた空しか見えず、時折、電線と電柱がちらちらと端を掠めて行く。
実家のある町はかつての賑わいを失い、過疎化の一途を辿っている。
一企業によってもたらされていた町の繁栄は、企業の業績悪化による規模縮小で陰りをみせ、私が子供の頃に比べ人口は半減した。
そうなれば、町は寂れる一方だ。
まず、働き口がない故に、若者が町から流出する。
若者が居なければ、子供の数も減る。
そうなると、小児科、産婦人科等の病院は経営が厳しくなる。
経営が成り立たなくなれば個人病院は閉院するし、大きい病院は対象の科がなくなる。
これとは別に医師不足の問題もあり、診察日が減ったり、紹介以外は受付けないなど対応が厳しくなってくる。
この町も例外ではなく、産婦人科に関しては3年前に個人病院の医師が高齢で引退してからは、高速を使って1時間弱かかる総合病院が最も近い産院となってしまった。
初めは里帰り出産を諦めようかとも思った。
病院まで1時間弱かかるのならば、自宅のある街の方が産院が近いし良いのではないかと思っていたけれど、タイミング悪く夫の遠方への赴任が決まってしまった。
夫も何度も会社に掛け合ったのだけど、大口の取引先からの指名となれば会社としては夫を行かせない訳には行かなかった。
「仕方ないよね」
「何か言ったか?痛いのか?」
「ううん、平気、何でもない。お父さんちゃんと前向いて運転してね」
どうするか夫と何日も相談した。
夫の両親は海外で生活しているため、頼ることは難しい。
また夫の兄妹も遠方に住んでおり、同様の状況。
私の実家は病院の問題を除けばサポート体制は良かった。
母は小学校の教員のため仕事を休むのは厳しいが、妹が実家住みで仕事の時間も融通が効くので心強い。
それに父も自営業のため、時間には融通が効く。
ということで、私は病院の問題はあるものの里帰り出産を決めた。
まぁ、誤算だったのは妹が3日前に階段から落ちて足首を捻挫してしまったことだろうか。
全治10日と診断され、今現在多少不便な生活を強いられている。
「あっ⋯⋯っ」
「痛いのか!」
「ちょっとだけ。大丈夫、まだ我慢できる」
病院まであと半分くらいだろうか。
私は下腹部の鈍痛から気を紛らわすため、空を眺めた。
『お父さん、アレ、東京タワー?』
『うん?アレは違うな。アレは鉄塔だ』
『じゃぁコレ?これが東京タワー?』
子供の頃の私はとても車に酔いやすく、車に乗ると同時に後部座席に横になって寝る準備をしていた。
何故なら寝るのが一番車に酔わないで済む方法だったから。
だから私の子供の頃の車の記憶は、窓から見る空や雲が殆どだ。
そしてその日はテレビで東京タワーの話題が出ていた。
だからか私は車の窓から鉄塔が見えると、『東京タワー?』と確認していた。
今ならわかる、東京から数百km離れたこの田舎に東京タワーがあるはずがない。
そもそもここは東京では無いのだから、東京タワーは無くて当たり前だ。
それでも仰向けになって、強制的に切り取られた視界の端に鉄塔が掠める度に聞いていた。
「とう、きょ、タワー?」
「違うぞー、アレは鉄塔だ。佳奈美、後ちょっとだ、頑張れ!」
「うぅぅ、痛ぁいっ」
「もう少しだ!アレも東京タワーじゃないぞー!」
初めて自分の目で東京タワーを観た時は凄く感動した。
鉄塔なんか相手にならないくらい、大きくて立派だったから。
「そうだ佳奈美。産まれてくる子が歩けるようになったら、皆で東京タワーに行くか!」
「なん、えっ、ど、して」
「今思い出した、佳奈美との約束」
「やく、そ、くぅぅっ、?」
眉間に深く皺を刻み、一際強い痛みを堪える。
痛みの間隔が徐々に狭くなってきているのは気のせいではないはず。
『お父さん、東京タワー見たいー!東京タワーに行こう!』
『東京タワーは遠いなぁ』
『東京タワー、みーたーいーっ』
『うーん、じゃぁ、佳奈美がもう少し大きくなったら連れて行ってやる』
『本当?ヤッター!』
それは、遠い日の記憶。
遠すぎて自分の都合の良いように、改ざんされているかもしれない古い記憶。
「おと、さん。こん、ど、こそ、っぅ、やくそ、く、まもって、ね」
「おぅ、任せとけ!」
そこからの記憶は曖昧で断片的にしか残っていないけど、生まれてきた孫を抱き、ただでさえ皺だらけの顔を更に皺くちゃにして泣きながら笑っている父の姿と、母が手にしたスマホの画面の中で父と同じように泣きながら笑っている夫の姿が、最も新しい家族の記憶。
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(´-ι_-`) 東京タワー、スキです。
遠い日の記憶
ひたすらに白球を追い、汗だくで帰ってはゲームをし、ただただやりたい事を好きなだけしていた少年時代。誰に遠慮することなく、自信に満ち溢れていた。
そんな時代が自分にもあったのだ。
いつからだろう、人の意見にばかり耳を傾け自分の声を聞けなくなったのは。
いつからだろう、求められているであろう良い人を演じるようになったのは。
いつからだろう、自分に自信を失ったのは。
きっと自分を裏切ったからだ。
小学校の卒業文集に書いた夢『甲子園にでる』
でも、高校で野球をやらなかった。
女のケツを追いかけた、大学受験のためだと勝手に言い訳を考えた。なにより、夢が叶わないのが怖くて挑戦すらせずに逃げた。
きっとだから失ったんだ、自分も自信も未来の夢も。
だから今では逃げてばかりだ。
責任、期待、仕事…嫌なことから逃げてばかり。
勝手に傷付いて心が病んだフリをする。
最低だ。
そして、変わりたい。
自分の声を聞き、自信を持ち、立ち向かう少年時代の自分のように。
毎日無条件に楽しかった、あの時のように毎日を楽しむために。
まず自分にできること。
裏切ってきた自分に謝ろう。
ごめんなさい
霞人 見ゆるいつかの 昼つ方
数多を学べど 数多を語れず
#1遠い日の記憶
悲しみがいつかの夢なら
さよならは在りし日の未来か
吹き曝しの窓にかかる月は薄い
明日はきっと雨だろう
窓を閉める夢を見る
あるいはそれは過去か
#遠い日の記憶
多分、どこか似ていた。
お陰で寂しさを思い出せた。
その度に街は滲んで、空の青さを知る。
「遠い日の記憶」は、決して良いものだけではない。
人間ってうまくできていて、
忘れたい過去は全然思い出せない。
でも、ちょっとした、本当にちょっとした
ことがきっかけで、重たい記憶の蓋は簡単に外れて
もう思い出したくなかったことが
スルスルと頭の中を駆ける。
遠くに放り投げたとて、
ちょっとしたことで帰ってくるのだ。
幼い子供の頃、『将来の夢は?』と聞かれた時に
まだまだ幼すぎて答えられなかったけど
歌番組が現代よりも多かった事で
いつも家の中ではTVから流れてくる歌や
レコードの歌を聴いて育っていた環境も
年齢が高くなるとミュージカルの話題にも自然と触れて
白血病で若くして亡くなった
本田美奈子さんの“レ ミゼラブル”の話題に触れた時
ミュージカルをやりたい! と
小学生の頃の私は心の中で
純粋に彩り想い描いていたのを
今日の題名をみて 劇団に入団したかった思いも
遠い昔の記憶として ふと 思い出す
気づいたら君達は僕の傍から居なくなってたよね。
いや、僕から居なくなったのか。
僕らはこう言い合ったのにね
『僕らはこれからもずっと馬鹿みたいに笑って
過ごせる毎日を一緒に生きよう』ってさ
僕が居なくなった日から君達はどうしているんだろう。
新しい人と出会って人間関係を築いて同じことを言っているのだろうか。それとも君達だけであの頃のような毎日を過ごしているのだろうか。まぁ君達のことだ、きっとすぐに僕の代わりになるような人を見つけて仲良くできるさ。
僕はもう疲れたんだよ。夜になると思い出すんだ、
君達と馬鹿なことして笑って朝まで話して…。
そして僕は毎回思うんだ、
『あぁ、君達ともっとあの日々を過ごせたら
良かったのに。あの頃に戻りたい』ってね
でも君達から僕は離れて正解だったのかもしれない。
きっと僕は君たちを傷つける言葉を吐いてしまうから。
僕にとっては遠い日の記憶でもきっと1番の思い出であって、楽しかった思い出かもしれない。また新しい思い出を作っていこうと思う
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theme 遠い日の記憶 2024-07-17
「Sweets Memory」
幼い僕は
クッキーに
ケーキに
キャンディに
チョコレートに
ポテトチップスに
記憶の欠片をつめこんだ
大人の僕が
頬張るたび
思い出が
沁み出してくる
お題:遠い日の 記憶
〈お題:遠い日の記憶〉ー評価:良作
「もしもし、かめよ、かめさんよ」
私がこの童話を知ったのは、幼少期の頃だった。妹が歌っていた。
私は物覚えが悪いので、妹に何度もせがんで、うさぎとかめを歌ってもらった。
何度もせがむ私を、鬱陶しく思ってしまったのだろう。妹は外で遊ぶ事を提案した。
「追いかけっこしようよ」
「いやだ」
「お兄ちゃん、カメみたいだもんね」
「お前はウサギだよ、結局負ける」
足の遅かった僕は妹に追いつけないのが、つまらなかった。
でも、結局遊んだような気がする。
カメはとてもノロマで、イジメられていてる。
僕がそのカメだった。
うさぎは足が早いし、意地悪なやつを懲らしめるいいやつだ。妹には、悪口として使っていたけれど、今ならば、良い意味を含ませていたんだと…今更か。
妹とはもう疎遠になったけれど、今度、連絡でもしてみようと思う。
第一声は何にしようか。
やはり、無難に「もしもし〜」と妹に語りかけようと思う。
(合作)
遠い日の記憶
“君が好きだ”
その言葉をくれた人はもう居ない
此方の返事を聞くことなく、居なくなってしまった
もっと色んなことを話せば良かった
もっと知って貰いたかった
自身も好意を寄せていたのだと、気づいた時には
もう、遅かった
そんな後悔をもう幾年繰り返している
あの日に想いを馳せながら
「好きだよ、ずっと」
あの日言えなかった言葉を、呟いた
あなたに出会えたから、
生きてみようって思えたんだ。
_遠い日の記憶
遠い日の記憶
柔らかな風が吹いていました。
僅かに若葉の香りがしました。
青空に少しだけ雲が浮かんでいました。
それでも太陽は柔らかく輝いて、
私達を優しく照らしていました。
私が居て。隣に貴方が居て。
とても暖かくて幸せだった、
遠い日の記憶。
目を開ければ。
そこは真っ暗な部屋。
弱々しい蝋燭の明かりだけが、
この部屋を僅かに照らしていました。
私は独りきり。
貴方が私の隣にいてくれたのは、
遠い日の記憶。
どんなにあの頃に戻りたいと希っても、
叶うことはないのです。
貴方の声が聞きたい。
貴方に笑いかけて欲しい。
貴方と手を繋ぎたい。
貴方の温もりを感じたい。
叶わぬ願いが、涙と共に、
私の口から零れて、消えていきます。
あの遠い日の記憶の中の、
貴方と私は。
二人で幸せそうに笑っているのに。
今、ここにいる私は。
独りで孤独にたえているのです。
遠い日の記憶
両親は昔離婚した。
だから私に父は今いない。
だからたまにしか会わない父の顔があまり浮かばない。記憶も曖昧だ。
けれどもたくさんいろんな所に連れてってくれたとか心配してくれてたことは覚えてる。
大人になった今だからわかる父の気持ち。
今だから言える私の気持ち。
母と出会ってくれてありがとう
育ててくれてありがとう
遠い日の記憶
大きな夕日を背中に影踏み遊びの子供のはしゃぐ声が聞こえた。
明日もきっとここで遊ぼうって約束オママゴト道具は公園の隅に置きっぱなしで帰った。
それから暫く雨の日が続いて子供たちは公園に集まらなかった、それから夏休みが始まってプールや家族旅行その公園に何時ものメンバーはなかなか集まらない、公園の隅っこに忘れ去られたちょっと隠してあるように置いてあるオママゴト道具は子供たちを待っていた、来る日も来る日も、お盆が過ぎて臨海学校も親戚の集まりもキャンプも花火大会も終わり夏休みの宿題を整理し始めるころ、子供たちの声が公園に帰って来ました。
けれど、その公園は取壊しが決まり立入禁止になっていました。夕立の雨粒がぽつりぽつりと当たりだして、子供たちは公園に背を向けて家路につきました、秋の走りの雨はそれから夏休みが終わる頃まで続きました。
明日は新学期という日、ひとりの女の子が公園に貼られた立入禁止のフェンスの前に立っていました。その女の子は昨日夢を見たのでした
置きっぱなしにしたオママゴト道具が雨に濡れていてとても寂しそうで…その小さな赤いお茶碗が「サ・ヨ・ナ・ラ」って言っていました。
女の子は朝目が覚めて、とてもとても胸が痛くてラジオ体操が終わると公園に駆けつけました
ジャンプしたりフェンスの周りをウロウロしたりして、オママゴト道具を置いた辺りを覗き見ようとしました、するとオママゴト道具が置かれていた場所に大きなショベルカーがありオママゴト道具は見えませんでした。
近所のオジサンが女の子を見つけて
「危ないから、入っちゃ駄目だよ」と注意されましたが、女の子はオママゴト道具のことが言えずに、自転車に乗って帰りました、帰り道なんだかとても悲しくなって理由もわからず涙が出て泣きながら帰りました。
すると、お父さんがその顔を見て
「また、喧嘩でもしたのか?」と聞き
「泣いて帰るなんて情けない」と言いました。
女の子は、お父さんにオママゴト道具のことを話して、その日1日しょげていました。
何か特別なオママゴト道具ではなかったけれど
また直ぐ来るから明日も遊ぶからと持ち帰らなかったオママゴト道具に夢でサヨナラを言われて寂しくなって泣きました。
夕方になってお父さんが帰って来ました。
その手にはなんと、あのオママゴト道具がありました。
女の子は嬉しくなって
「あったの?」と飛び出しました。
赤いお茶碗が3つと赤い蓋のお鍋とヤカンとスコップも3本おもちゃの、お買い物籠の中に入っていました。
工事現場のオジサンたちが、忘れ物のオママゴト道具を捨てずに置いてくれていて、持ち主が取りに来ない様子なので処分しようかと話しているところへ女の子のお父さんは現れて事情を話してそのオママゴト道具を持って帰ってくれたのでした。
オママゴト道具は綺麗に洗ってあってきちんとお買い物籠のなかに入れてありました。
「ものは大事にせなあかんぞ」
お父さんは言いました。
女の子は
「ありがとう」とお父さんとオママゴト道具さんに言ってオママゴト道具をおもちゃ箱に仕舞いました。
それから新学期が始まって秋が来て寒くなって今度はお家の中で女の子たちはオママゴト道具を使って遊びました。
遠い日の記憶のお話でした。
令和6年7月17日
心幸
父との思い出はほんの数えられる程度しか覚えていない。
今も父が生きていたらどんな生活を送っていただろうか。
父は私が中学生の頃に亡くなってしまった。
大好きだった父はバイクの事故で脳を傷つけ、すぐ怒鳴るようになった。母と喧嘩の毎日が続いた。
そのせいで私は父の事が嫌いになってしまった。
父は急に入院する事になった。私はほっとしてしまった。
これで母との喧嘩を見なくてすむんだと。
三年以上父は入院していた。
私は一度もお見舞いに行かなかった。父が怖かったから。
お見舞いに行っている母に見せられた写真で私は絶望した。
体格の良かった父がガリガリになって車椅子に乗っていたのだ。
その後も私はお見舞いに行かなかった。行けなかった。
よぼよぼになってしまった父に会うのが怖かったのだ。
お医者さんから母に連絡が来た。
父はいつ亡くなってもおかしくない状態だと。
私達は父の元へ行った。
私は三、四年ぶりに父にあった。震えが止まらなかった。
あんなにうるさかった父が人間とは思えない姿になっていたのだ。私は父の手に触れた。
涙が止まらなかった。まだ生きているのに。
父は意識も全然無いなはずなのに少し微笑んでそっと手を握ってくれた。看護師さんがお父さん娘さんに会えて喜んでますよ。と。
私はここから離れるのが怖かった。
家に帰ったらもう二度と生きてる父には会えなくなるから。
…………数日後父が亡くなったと連絡がきた。
長くなってしまったが、初めてちゃんと思い出した。
※少しホラーが入っていますそれと少しグロテスクな内容のため見たい方だけ見てください
もうあの時の遠いの記憶は、思い出したくない
本当は僕が悪いんだ僕が…全てを壊した、めちゃくちゃにしたんだ
皆僕を蔑んだ目で見てくる
もう嫌なんだ皆が僕を蔑んだ目で見てくるのは
僕はただ昔の優しいあの時の目で僕を見てほしかったその目を僕だけ向けてほしかったただ…それだけなんだ
でも、僕には家族はいない
なんでか分かる?
だってこの僕が、皆を殺したから
僕は4人家族だった。父、母、僕、弟
弟が生まれてから皆僕を透明人のように扱って、僕がわがままを言うと「お兄ちゃんなんだから」とか理由をつけて僕を見てくれない
僕は弟なんて欲しくなかった、弟なんていらない!
そんな理由だけで人を殺して良いのかって?
しょうがないじゃん、僕だけを!僕だけを見てくれないなんてそんなの僕は何のために生まれてきたのか分からないじゃん
殺したことに後悔はしていない
でも最後に弟を殺そうとしたのは間違いだったなぁそのせいで、僕は弟を殺せなかった!
と彼は僕に話してくれた。彼は今年13歳を迎えたばかりで、まだあどけなさがあるが彼の家族は、彼によって殺され、彼自身も罪を認めている
どうして、僕は彼に話を聞きに来たかと言うと、大学の授業で彼の事を教授がはなしていたからだ。
それで僕は少し興味が湧き彼のいる少年院に向かった。
でも僕は話を聞いて一つ引っ掛かったことがある、それは、どうして嫌っているはずの弟を最初に殺さなかったのかだ、どうしてもそこだけが引っ掛かった
そして僕は聞いた「どうして最初に殺さなかったのか」とすると彼は「最後にした理由ねえ…最後にした方が恐怖心が増すかなぁって思ったからかなぁ(笑)」とにやにやしながら僕を見た。彼の目を見ていると背筋が凍るような寒気がする。でも僕はそんな彼を見ても彼がそんなことを考えてるようには見えなかった。そして僕は彼に毎日のように会いに行った。理由はただ一つ彼の本性を暴くためだ、彼はまだ本性を現していないと僕は直感だが思った。そしてある水曜日の事ふと僕は彼の弟に会ってみたくなり、教授に弟さんの事を聞きに学校へ向かった。
教授は僕に「あぁ弟さんね今まだ入院してるんだって確か病院は鈴峰聖禾(すずみねせいか)病院だったような待ってろ、調べてきてやるから」と先生は近くのたなの中から一冊のファイルを取り出してきて僕に見せてくれた。そしてそこには鈴峰聖禾病院と書いてあった。僕は先生にお礼を言い職員室を出た。そして病院に着くと面会カウンターに向かい「あの○○さんと今面会って出来ますか?」と訪ねると「君は家族かその知り合いですか?」と聞かれ僕はとっさに「はい、知り合いです」と嘘をついてしまった。でもそのお陰で弟さんの病院にすんなりはいることが出来た、弟さんのいる病室を聞きにナースセンターに行き看護婦さんに病室を聞いた。
そして僕はついに弟さんの居る病室を見つけなかに入ったすると弟さんが座って外を眺めていた。
「あの~○○さんの弟さんですか?」と僕は弟さんに話しかけたすると「はい、またかまた警察のかたですか?もう来ないでくださいと行ったはずですが、どうしてこうも毎日のようにアイツの事を聞きに来るんですか!」とイライラしながら言われたしかし僕はそんなつもり出来たわけではない「違うんです、僕は警察ではなく、お兄さんと仲良くさせてもらってるただの大学生です」と答えると少し驚いたような顔をした後に安堵が見えた。僕は違和感をもったがそれどころではない「良かったまた兄さんの事聞きに来たのかと……あ!」と動揺を見せた
僕は「さっきお兄さんの事をアイツと言っていたのにどうして『兄さん』と言い換えたんですか?それと僕はお兄さんの見方です。そしてあなたの見方でもある、2人の事件の真相を知りたいんです!お兄さんに何回もあっているのですが、僕にはどうしてもお兄さんが嘘をついてるようにしか見えないんです、何があったか教えていただけないでしょうか」
と僕が言うと僕の気持ちが伝わったのか、僕にあることを教えてくれた、それは衝撃的真実だった
「本当は兄さんは何も悪くないんだ!ただ僕をかばってくれた…それだけなんだ」
「それはどういう事?」と聞くと「僕は両親に暴力を受けていたんだそれを兄さんは毎日のように僕をかばってくれていた、それで僕は兄さんにこう言ったんだ(お父さんとお母さんが居なくなればいいのに)ってそしたら兄さんが(分かった、おまえのその願い叶えてやる約束な)って言ってくれたそれで僕は(うん約束)って言ってしまったただそう言ってくれるだけで僕は嬉しかった、でも兄さんはそれを現実にしたんだそしてあの日、両親を殺した日僕に(絶対にあの日の約束は誰にも言うなこれは2人だけの秘密だ分かったか)って僕をかばってくれたんだでも本当は言いたかった僕のせいなんだ!僕が兄さんのてを汚させたんだってでも兄さんが僕に約束を果たしてくれたように僕も兄さんの約束を果たさないとと思っただから僕は兄さんの言うことを聞くことにした、ねぇお願い大学生さんどうかお兄さんを助けてあげて…お願いします」と僕に頭を下げた
僕にはどうしようもできない、未来を変えることなんてましてやお兄さんを無罪にすることなんてでもその真実が確かなら使えるかもしれないと思った
僕は弟さんに「もしこれから裁判がある場合その話し証言してくれるないか」と言うと答えはすぐに決まった。
そして次の日僕は少年居に行き矯正職員に彼の事を全て話した。そして僕はその日以来彼らの事件に首を突っ込むことを辞めた
彼らがどうなったのか何も知らない、今どうしているかも。
僕は彼に会うのが怖かった最後の最後て逃げてしまった卑怯ものだと思われるでも、あの日見たあの目を僕はいつになっても忘れることはないだろ
でも、僕も人の事は言えないかもしれないなぁだって僕の両親も…あの日の遠い記憶のように…ね