『遠い日の記憶』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
風に撫でられた青い稲穂達が、心地良さそうにゆらりゆらりと揺れていた。
揺蕩う姿達は、寄せては返す波間を思い起こさせる。
白い窓枠に肘を付きながら、この壮大な景色を独り占めしている。
ふわりとふわりと、青い深緑の薫りも風と共に部屋に充満していく。
もうあそこへは戻れないけど……
『遠い日の記憶』
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違う内容を書いていたけど、片耳の耳鳴りが止まらなくて……ちょっと違う意味でヤバいかなと、内容を消して急遽書き直しました。
まだ続いてます……
こわいよ……(泣)
冷たい葬式の空に、清らかな煙がたっていた。
君はいつもと同じ、あどけない笑顔をみせていて、ときどき親戚から注意をされていたほどだ。
「すごい煙だねえ。」と、目を細める君の、
その小さな耳についていた黒真珠がきらりと光る。
はじめて、君の涙をみてしまったのだと思った。
思い出にもならない、遠い日の記憶。
64遠い日の記憶
小学五年生の時、友達と体が入れ替わったことがある。
ひどく暑い、夏休みのプールの帰り道、二人で並んで歩いていた時だった。
はっきりとしたきっかけがあったわけではない。
青いビーチサンダルを履いて歩いていたはずだったのに、気づくと白いスニーカーになっていた。
おかしいなと思って顔を上げたら、目の前に自分の顔があった。
それで入れ替わりに気づき「すげー!」と二人で声を上げて、とりあえずはいつも通りに線路わきの通学路を歩いた。
どうするどうする?とりあえずお互いの家に帰る?両親に言う?お前、俺んち帰ってもゲームのセーブデータいじんなよー、宿題はかわりにやれよー。
子供だったし夏休みだったので、特に悲壮感もなくそんな会話をして、しかし踏切で立ち止まって電車を見送り、遮断機が上がった瞬間に、ふっと元に戻ってしまった。
本当に一瞬だ。自分は元通り青いビーチサンダルを履いていて「あれ?」と不思議そうな友達の顔がそこにあった。
時間にしてわずか十分ほど。暑さが見せた幻のようなものかもしれない。二人で「内緒にしておこう」と言い合って別れ、夏休みは変わらずにプールに行った。
本当にそれだけの不思議な体験だが、今でも線路わきを歩いている二人づれの子供を見ると、ふと思い出す。
今年の夏も、誰かと誰かがほんの十分だけ、入れ替わっていたりするかもしれない。
遠い遠い昔の話、
若い絶世のビジョと薄汚い、髭の生えた男がいました。
2人はいろいろあって、恋に落ち、幸せに暮らしました。
そんな物語を読んだ時、私とあなたは目を
合わせて笑った。
昔の私たちみたいだねꉂˊᗜˋ*)と、
そう、私たちは前世の記憶がある。
この秘密は誰にもイエナイ。
でも、
立場とか関係なく、これからも一緒にいようね、
#遠い日の記憶
あれは遠い日の記憶だと思っていたけれど、全部が私の妄想だったとしても不思議はない。
それほどに私はそれを渇望していたし、そういう存在と出会うことを常に望んでいたように思う。
大分にある祖母の家は山奥に立地していて、車で行くには時間がかかる。
私は車酔いしやすいタイプなので、酔い止めの薬を飲んでいたが、うねりの激しい山道には歯が立たず、いつも最悪の気分で到着を待ち望んでいた。
祖母の家には私達3人家族と、父方の従兄弟たち4人家族で連れ立っていく。
大人たちが話している間、私はやることがない。
従兄弟2人組はゲームばかりしているし、遊ぶ相手もいないから、家のさらに上の方の山道に遊びに行くことが多かった。
今考えれば当時10歳の子供が1人で山奥に行くのを、全く気にもとめないのは無神経が過ぎると思うのだが、当時は特に気にすることもなかった。
車一台がギリギリ通れる道路を進んで、山の小路に入っていくと、そこに池がある。
親友と遊びに来た公園。
ボロボロでいて古めかしい。
でも、ここはわたしにとって宝物のような場所なのだ。
昔、好きな人と乗ってはしゃいだブランコ。
…まぁその人ブランコから落ちたけど。
沢山の、ありったけの思い出が詰め込まれている。
親友は無言でベンチに座り、
静かに語りかけてくる。
「俺…むかしは…ここで好きだったやつとブランコ乗ってさ。
調子に乗って俺ブランコから落ちちまって。はは、恥ずかしいな。
足にまだ傷残ってるんだよ。」
とふくらはぎを見せつけてきた。
わたしの脳内で、記憶の箱が溶けていく気がした。
#遠い日の記憶
私は、愛されるのに慣れてしまい、
既に愛されているのに気づかなかった。
「遠い日の記憶」
何回も遠い日の記憶が出ている。時々いい記憶だけど時々嫌なおもいで。
あなたと過ごした遠い日の記憶。
決して忘れることはできない美しいままの思い出。
たくさん笑ったり、泣いたり、喧嘩もしたよね。
だけど、最後には仲直りをして終わる。そんな風にあなたとこれからも過ごせると思ってた。
でもそんな日々が毎日続くなんて保証はない。
私が甘えてしまっていたから、終わりが来てしまった。何度後悔しても遅いのにいつだって思い出してしまう。
あなたを失った日から、私は一歩も前へ進めない。
いつまでも遠い日の記憶に逃げ込んでしまっている。
いつか前に進めるだろうか。そう思いながら私は今日も
記憶の中で淡い夢を見続ける。
『遠い日の記憶』
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遠い日の思い出
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頭が痛い
吐きそう
目眩がする
とりあえず水をがぶ飲みする
食欲がない
これ今脱水症状で
今日ぶっ倒れた話
いつか遠い日の思い出
水大事だわ
よいこは水筒持っていこう!!
チョウキツヴィ (´*ω*`)
2年前…私はあの日初めてあの人と出会った
何もかもが初めましてで、緊張して手が震えていた
そんな私の隣に座っていたのがあの人だ
お互い口下手で人見知りだったからすぐになんて話せなかった
2年たった今でも…
同じクラス、同じ部活
こんなにも一緒の空間にいる時間が長いのに、話した言葉は、「ごめんなさい」や「ありがとうございます」などだけだ…
でも、見ているとなんだか笑顔になれる、私の憧れだ!教室では勉強熱心でほんとにすごい✨部活では誰よりも一生懸命で、あきらめずに練習を繰り返してる
そのおかげで部活内でもトップを争うようになってた
同い年でもこんなに尊敬できる人とは初めて出会った
尊敬する人がいるから頑張れる
頑張る姿はかっこいい!!!
東京から電車を乗り継いで四時間、久しぶりの田舎の風景は何一つ変わっていなかった。山と田んぼばかりの緑一面。つまらない景色だ。やかましいばかりのセミの声と、都会より多少マシだが焼けるような日差しがホームに降りた私を出迎える。私以外に誰も下車しない駅を出ると今度はセミではなく人の声が私を出迎えた。
「おかえり」
「おう」
何年ぶりかの妹との会話はそれだけで終わった。狭い軽自動車に乗り込み、他に誰もいない道路を走り出しても、エアコンの利いた車内に会話は生まれなかった。
妹とは特別不仲というわけでもない。まあ仲が良いとも言いづらいが。ただ、何を話したらいいのかわからなかったのだ。普通の帰省ならば土産話や近況の一つでも語り合っただろう。しかし今回は普通ではないのだ。
親父が死んだ。
先日、ガンが進行してそのまま逝ってしまったと、すすり泣くおふくろから連絡を受けた。私は取る物も取りあえず、仕事を打ち切って実家に帰ることとなったのだ。
働き者の親父だった。仕事も家のことも熱心に取り組んでは自分でやりたがる性分の人だった。私が幼い頃は妹ばかり贔屓にされているような気がしていた。喧嘩すれば必ず私が悪いことにされ、叱られるのはいつも私であった。終いには妹が嘘泣きしても親父は妹の味方であった。だから私は親父があまり好きではなかった。高校を卒業すると同時に家を出て、東京に行ってからはほとんど帰っていない。ガンになってからの見舞いもほとんど行っていない。
あれよあれよと言う間に葬式が終わり、灰になった親父を骨壷に収めていると、ようやく実感が湧いてきたのか、私は帰ってきて初めて涙を流した。好きではなくても、やはり家族は家族なのだと改めて認識させられた。妹はそんな私を見ようともせず淡々と骨を壺に収めていた。
そして忌引き休暇の最終日の朝、シャベルを担いだ妹が私に一枚のルーズリーフを渡してくる。そこには親父の字でこう書いてあった。
俺が死んだら畑のビワの木の下を掘れ。兄妹二人でな。
「なんだこれは」
「遺言でしょ。兄、掘って」
「こんなメモ書きみたいな遺言があるか。ていうか、俺は今日東京に戻んなきゃならないんだよ」
「だからさっさとやるよ」
仕方なくビワの木の下を掘っていると、すぐに滝のように汗が吹き出てくる。真夏に死んだ親父を恨みつつ、力仕事を嫌がる妹と交代で掘り続けると、アルミでできた汚い箱がでてきた。
中には汚れたガラクタやオモチャが入っている。よく見ればそれらは妹との喧嘩の原因になったものばかりであった。喧嘩をするたびに親父にオモチャを没収されていたが、まさかこんなところに埋めていたとは思わなかった。箱の中には写真も入っていた。写真の中には幼き日の私と妹が肩を組んで笑い合っていた。
「……嘘泣きしてごめんなさい」
振り返れば妹が泣いていた。親父が死んでも泣かなかった妹が泣いて謝っている。
朝から茹だるような暑さの蝉しぐれ。私は汗で濡れた妹の頭を優しくなでてやった。
妹が泣き止んだあと、私たちは一枚の写真を撮った。その写真を親父の仏壇に添えて私は東京に戻った。私と妹が、あの日のように笑って肩を組む写真を……。
完
お題:遠い日の記憶
遠い日の記憶
子供の頃に見た
とっても驚くもの
初めて知る
新鮮な体験を
今はもう忘れている
ある程度予想できて
その結果にも
心は動かない
そんなに時は経った
今この歳になって
同じような
新しい体験を
素直に受け入れられるか
予想もつかない結末を
好奇心だけで
受け入れられるか
後ずさってしまう怖さ
どうなるかわからない不安
今の方が臆病さ
あの日のドキドキは
もう遠い日の記憶
遠い日の記憶
昔は良かった。
じいさんも親父も良く言った。
仕事の同僚、後輩に至っても同じことを言う。
昔話に友人と花を咲かせている時にも、友人は同じことを言った。
俺も友人と同じように昔に思いを馳せ語る。
夏休みに冬休み学校の部活、帰り道で友達とバカやった記憶。
様々な思いが脳を駆け回るが、どれも良い思い出だ。
しかし懐かしい思い出に浸っているときにふと、違和感を感じた。
嫌な思い出が無いのだ。正確には全く無いわけではない。
だが、どれもが何となく「思い出」という形で処理され、当時に感じた嫌な気持ちと言うものがほとんど無くなっている。
喰われているのだ。良い思い出達に。嫌な気持ちも良い気持ちも全てが混ざりあって混沌とした脳内で良い思い出に嫌だった思い出が喰われ、あまつえ当時あれほど嫌だった出来事さえ笑い物にしてしまうほどに喰われてる事に気付いた。
むしろ今ある嫌なことの方が鮮明に現実味を帯びた物としての実感が確かにあるほどである。
人は喉元過ぎれば忘れてしまうと言うが、きっと今ある嫌なことも時が過ぎれば今ある良い思い出に喰われ混沌とした「思い出」になってしまうのであろう。
それが、それこそが昔は良かったと言える物の正体では無いのか?
そんな事を考えて外を見れば、雲が流れてゆっくりとした時間がそこにはあった。
明日は晴れだなと、唐突に口から漏れた。
友人はどうしてそんなことが言えるんだ?明日は雨だよ。と、スマートフォンで天気予報を見ながら言う。
俺は小さい頃良く天気を予想してたんだよ。それがさ、なかなか当たるんだ。
これもまやかしのようなものだ。
実際は何度も外した気がするが、1度当たれば当たったと言う気持ちよさに、外れた時の悲しい感覚は喰われ思い出が美化されているだけなのだ。
翌日は友人のいう通り雨で、しかも雷を伴った豪雨であった。
だが良いのだ。所詮これも1つの思い出としていつか遠い日の記憶として美化されて残るのであろう。
そんなものなのだ。思い出なんてものは。
遠い日の記憶
なんだろ。。あんまり覚えてないけど
小さかったころ見えてた風景が今とは
匂いも目線も違うのにそれすら
忙しくて忘れていきそうで怖いな。
二階でバタバタと騒がしく娘のケイが朝の準備をしている、階段を行ったり来たりして。
あの日のきみへ
もうあの時の気持ちは
ないんですか?
あの言葉は、もう消去されて
いるのですか?
私はまだ好きでいてもいいですか。
私の好きなものを全部嫌いなあなた。
それだけ好きだと言ってくれたあなた。
じゃああなたの好きなもの全部
手離せますか?。
夢の中では、行けるのに。。
でも、何処か分からない場所。
私の夢でしか行けない場所。
探しても探しても見つからない。
それでも、私は探し続ける。
遠い日の記憶の中を
遠い日の記憶
―パチンー
公園にさしかかる舗装もされていない田舎の道。
通学路の途中、叩かれたのは左側の頬だった。
新しく来た転校生の男の子。
幼い私にはそれはきっとカッコよく見えたのだ。
いつ頃からかそれは小さな恋になっていた。
同じ方向の帰り道、別の女の子と後ろをついてうれしさやワクワクがある中で歩いていた。
同じ帰り道で姿が見えることが嬉しかった。
のだと思う。
今では、それを言葉に表してみてもその時の気持ちがはっきりしない。
その時、何を言われて叩かれたのか、なんだったのかはっきり覚えていない。
ウザいとか、そんなことだったんだと思う。
その男の子は、叩いてなにかの言葉を残してそのまま去っていったと思う。
驚いたこと、痛いこと、恥ずかしいこと、悲しいこと、そうして混ざった感情の結果、
私は一緒にいた友達に対して、涙をこらえながら笑っていたことだけは覚えている。
気にしてないというような、きっと今の自分から見たらそんな風には一切見えないだろう表情で。
イヤなことがあっても、きっとうまくはないのに「へらへら笑う」。
それが、そんな早くから身についていたのかと、振り返れば悲しくなる。
自分のことなのに、自分の気持ちの表現は簡単にはいかない。
それを、いまも感じている。
そして、それを、いま変えようとしている。
【遠い日の記憶】
鼻の奥に染みつく、いつかの煙草の煙。
懐かしいなんて思う間もなく、あの人の顔が浮かぶ。
きっとこの世で最も人生を謳歌していた。
好きなことだけしていたから、私を残していったのね。
あの人に常識は通じなかった。
まともに食べて、寝て、勉強するのが学生の本分。
昼食にお菓子を食べながらゲームをするなんておかしい。
目の下に濃い隈が居座っているのはなぜなの。
問い詰めても「深いわけがあってな」と茶化される。
あの人はいつも私を「委員長」と呼んだ。
三年間、学級委員長をしていてお似合いだって。
そう呼ぶ人は他にいないから、声だけで誰なのかわかる。
私を呼んでおきながら「やっぱなんでもない」と言う。
あなたの笑顔に弱いこと、気づかれていたのかしら。
成人式の日、あの人はまだ十九歳でふてくされていた。
酒も煙草もできないのに何が成人だよって愚痴をこぼす。
前を歩くあの人は振り向いて、歯を見せて笑った。
「お前も十九だよな。俺が二十歳なるまで待っててよ」
初めてのお酒は一緒に飲んだ。煙草は吸わなかった。
社会人になっても、あの人はまだ「委員長」と呼んだ。
同窓会の案内も〈委員長様〉宛に送られてきた。
いっそ悪戯なのではないかと思う。
母が訝しんで捨てようとするのを止めて、封を切った。
あとで知ったが、手書きの招待状は一枚だけだった。
あの人が消える日まで、想いを告げることはなかった。
学生時代から最期まで、ずっと気の合う友達だった。
それでも、あの煙草が匂うたびに思う。
告白しておけばよかったな、って。