『突然の君の訪問。』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
突然の君の訪問、ガチ恋距離にトゥンクトゥンク
君のハートがずきゅんばきゅん鼓動(はしり)だすー
突然の君の訪問。
すぐさま寝たふりをしてみる
カツカツカツカツ。
これは、もうしまいきれないツメが床に触れる音だ…
4本足で、かわいいハチワレめ
ぴょんとかるく飛び乗って、枕元に近づくけはい
クンクンと髪の毛をかいでくるのがくすぐったい
「寝ているのか、どうなんだ」というふうに
こちらの顔を覗き込んでいるんだろう
寝てますよ、店じまい、もうふには入れられませんよ
しばらくすれば、サク…サク…サク…
これは、羽毛ふとんを踏みゆく足音である…
わざわざ腹を丁寧に踏んでから
仕方なくキャットタワーを選んだようだ
『突然の君の訪問』
突然君はやってきた。
ピルポーン。
家のチャイムが鳴った。
私は両親と弟と住んでいる。しかも朝ごはんを食べていたところ。
彼が言った、「遊びにいこう!」
当時は驚きすぎて焦ったけど、
今思えば家まで来てくれたの嬉しかったんだ、
ありがとう。
でもその後も私たちの距離は縮まらず、話しやすい男友達のまま。恋愛相談とかやめてよ。思わせぶりもしないでよ。
彼女ができたら連絡も来なくなるくせに、、
突然の君の訪問。
俺はスマホゲームをしていた。すると、とある女子の昔ながらの同級生からのLINE。
"行くよ"
それだけの一通のLINE。驚くより何故か不思議に思った。何故かって、彼女はもうこの世には居ないのだ。
約2年前、彼女は部活帰りに不慮の事故で亡くなった。
その日、ちょうど旅行に行っていてその事を知ったのは彼女とのお葬式が終わった1週間後だった。
「あぁ、そろそろ俺も行かないとか」
彼女のLINEはあの世に行く順番が来たという合図。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
俺くんは旅行には行っていなかった。
彼女とのお葬式。 俺くんは彼女と一緒にお葬式を迎えた。
いわゆるまだ成仏出来なかった俺くんと彼女の物語。
突然の君の訪問
さて、わが家に来る人達は皆、全く突然現れる。
だいぶ「突然の訪問」に慣れてしまったくらいだ。
そして大抵は、のっぴきならない案件を携えている。
ときには当人自身が「のっぴきならない案件」そのものであることすらある。
物理的空間距離を無視。
次元領域の波動差も無視。
この現実での価値基準も無視。
たまに時間概念も無視。
地球の「二極性ゆえの顕れ」も無視。
「本当は何者」かも互いに無視。
ただ、皆自分の願いについては率直に述べる。
…みんな、いろいろする場所を間違ってないか?
誰かが顕れて「で、誰?」と問うのも実はかなり緊張するんだが。
そんなことが多過ぎて、「だいたいスタンダード」なものに安心するようになってしまっている。「だいたいスタンダードのアバウトな平穏」は重要だ。
艱難辛苦の人の生を歩んできたが、振り返れば苦しかったことや耐え忍んだこと以上に眩い記憶が蘇り溢れ出す。
朝から夜遅くまで保育所で過ごす毎日は、友達に囲まれて寂しさなどなくワクワクやドキドキでいっぱいだった。
保育所には一歳のころから通っており、上の兄弟四人が既に入所していたことや保母さんの中には友達の母親がいたこともあり、それはまるで家族のような環境だった。朝早くに母に連れられて保育所に着くや否や、友達とたわいないことで話を弾ませ、庭で駆け回る。春は穏やかな日差しの下、竹馬や缶蹴り、缶下駄ではしゃいだ。庭に設けられた、浮標をロープで吊るしただけのブランコで揺られ続け、飽きたらまた他の遊びを繰り返す。
夏は幼児の膝丈ほどに水が張られたビニールプールで涼み、身体が冷えるとやはり駆け回った。喉が乾いた時には給食室へ走り、美味しい麦茶を二、三杯いっきに飲み干した。蝉の合唱に、蝉の居場所を探しまわる。見つけた時には皆で木登りに挑戦して、捕まえた時には興味津々に観察をした。今ほ
ど身を焦がすほどの日差しなどなく、ただただ一年のうちで一番あたたかい季節を汗を流して満喫していた。
秋はどこかものさみしくもの悲しさを肌で感じる季節、幼い私も例外ではなく母親がそばにいないことに寂しさを感じていた。今でこそ秋という季節が曖昧だが、当時は秋という季節を肌や心で感じる事ができた。朝は寒さを感じながら母の手を握り保育所へ歩いた。
「お母さん、今日は何時にお迎えに来くるの」
と母に甘えると少し困ったような顔で
「早めに帰ってくるから、先生やお友達と遊んで待っていてね」
と頭を優しく撫でられる。この季節になると保育所では、ほかの保育所との交流会が頻繁に行われていた。幼い私たちにとって、他所の保育所を訪ねることやそこの子どもたちと顔を合わせることはいつもドキドキする一大行事だった。しかし、それらの行事や新しい出会いが胸の内を埋めつくしていく寂しさを取り除いてくれていた。それでも、夕方になれば次々と友達の方が先に帰っていく。保母さんの息子さんだった友達は、保母さんのお仕事終わりに一緒に帰っていくから私たち兄弟と一番仲が良かった。それでも、やはり私たち兄弟だけが残り所長や保母さんとお話をしたり遊んだりしながら母の迎えを待っていた。二十一時になって母が迎えに来ると、抱きついて「お母さん」と甘えては歩き難さに困る母をよそに抱きついたままきたくする。
冬は一面白く染まる庭に心が踊った。私の地元は今でこそ積雪などしないが、当時は雪だるまを作ったりソリで滑ったりできるほど雪が降っていた。冷たく悴んだ指先に息を吹きかけては手を揉み込む。手をすり合わせポッケに差し込んで温まってはまた雪で遊び、綺麗な雪玉を作っては友達どうし自慢しあった。身体が芯から冷えた頃、給食室では温かいお茶を沸かしている。私たちが集まればプラスチックのカップに温かいお茶が注がれ、モクモクと白い湯気が立ち上っていた。母があんでくれた手袋やマフラーでポカポカする身体も雪遊びで冷えてしまうけれど、温かいお茶を飲んでは身体を温めてはまた雪にはしゃぐ。
保育所生活の中で私が唯一として好きになれなかったことがある。お昼寝の時間は、賑やかだった保育所が静まり返り、どこか寂しさを覚えたのは言うまでもない。だけれど、私にとって何よりも恐ろしいのは「おねしょ』だった。毎日、寝る前の水分を控えてもトイレに行ってもおねしょをする。幸いにも叱る保母さんはおらず、泣きべそをかく私を「大丈夫」と慰めて励ましてくれていた。それでも、私の布団だけ庭に干されるとは幼い私にも羞恥心を掻き立てるには十分だった。「またおねしょしちゃったの?」と純粋無垢に訊いてくる友達の声が耳にも胸にも痛かった。それでも保育所生活が嫌いにならなかったのは、あたたかいみんながいたからだろう。意地悪もない、嫌がらせもない、悪口もない。ただただのびのびと過ごさせてくれる環境、失敗をしても叱らず慰め励ましてくれる環境が幸せだったからだろう。
こんな小さな頃の思い出話をしたのは、子供の頃から度々懐かしい夢をみるからだ。いまは無くなって更地になってしまった、幼い日々を過ごした市営住宅のこと。たくさんの思い出が詰まってはいるが、あの市営住宅は幼い頃から人には見えないもの見える私にとって恐怖そのものだった。私たちが住んでいた二号館は四階建ての四階の部屋で、いつも通るのが嫌だったのは三階から四階にかけての階段や踊り場だった。恐怖や思い出の両方がバランスよく両立しているから、共存しているからこそ強く記憶に根付いているのかもしれない。
夢の中では、今まさに小さなコンクリートの橋を渡って市営住宅の団地に入るところだ。夢の中で「あぁ、あの階段を登るのか。怖いんだよな」思いながら、一歩一歩あゆみを続ける。昼間でも薄暗く湿度を帯びている階段を四階まで駆け上がると玄関を勢いよく開け放つ。玄関から見えるのは生まれた時から小学五年生の途中まで過ごした当時のままの部屋だ。土間で靴を脱ぎ、中をまわると暖かな日差しに照らされた部屋が二つ。懐かしさと寂しさが込み上げてきて涙が止まらない。ベタンダ側の部屋は母と姉と妹が寝ていた。その部屋の台所側の部屋角に置かれたテレビ台とブラウン管テレビ。壁際には母の黒い机とデスクチェアが存在感強く佇んでいた。床を見れば、畳の上に引かれ鋲で留られところどころ破けている茣蓙。そして、三人の布団が敷かれている。
反対の部屋は、兄二人と私が寝ていた部屋。玄関側の部屋角には五段の引き出し収納の大きな箪笥と、その上に置かれた仏壇。この仏壇は私の父のものだ。玄関との間仕切りにはアコーディオンカーテンが掛けられている。反対の壁側は襖と、鴨居に掛けられたたくさんの衣類。床は、こちらは畳が見えており私が寝ている所はおねしょのせいで変色していた。私の横の布団はすぐ上の兄の布団、その隣に長男の布団。いつも喧嘩したり笑ったり泣いたり、たくさんの思い出が詰まったこの家は今は無い。
暖かい日差しに眩く照らされた家の中は、当時の自分たちが今もまだ暮らしているかのように生き生きとしている。台所には折り畳み式の円卓があるが、普段は半分しか開かない。椅子は全て円卓の真ん中にある収納の中、食事をする時だけ取り出していた。キッチン左手に大きな冷蔵庫、そして年季の入ったキッチンと給湯器。この給湯器は私が四年生の頃に壊れたんだったか、しばらくの間は母と姉がコンロで沸かしたお湯を水で適温にしてから湯船に張っていた。お風呂はと言うとコンクリートの壁のせいで湿気が逃げず、ジメジメしていた。ある時、どこから侵入したのかフタホシテントウが大量繁殖していた。部屋の中にやたらと黒地に赤ふたつの見慣れぬ虫がいるなと思って家族みんなで不思議がっていたら、お風呂に大量にいるのを姉がみつけてパニックになっていた。駆除をしたのは母だが、やはり母は強しというようにこれだけの子を育てていれば肝が据わってくるのだろうか。
遡れば凡そ三歳ころまで記憶を辿ることができるが、ここまで遠い記憶を思い出せるのは兄弟では私だけだという。他の兄弟は思い出せても保育所の年長さんころまで、つまり五歳ころまでだという。そして、いくつの頃か分からない記憶もあるが、母からスプーンで食事を与えられている記憶や、ひらがなのドリルのようなものを書いている記憶もある。そして、私が三歳のころに他界した父の記憶もある。顔こそ思い出せないがたった一度だけ肩車をしてもらった時の記憶だ。
私がここまで鮮明に当時のことを思い出せるのは、きっと夢のなかで当時の記憶を辿るからだろう。私は夢の中で、音や声、会話、匂いや触れた感触、空気など感じることがある。夢を見た時にそれらを強く感じたときは数日経って、夢に関連した何かが起きる。それは恐らく夢で見聞きしたことや感じたことを記憶していなければなんてことの無い日常の一コマに過ぎないし、なかなか覚えていることすら難しい。たから記録をとるようにしているのだけれど、大抵の事は記憶から生み出された私の幻想として無視している。
これらの夢は私にとって、意識付けには十分すぎる。だからこそ遠い日を思い出すことが兄弟よりも得意なのかもしれない。しかし、この夢はパタリと見なくなったり忘れた頃に見たりするもので、なんとも気分屋なのだ。ただし、夢が私を追憶の世界へと誘う時、忘れていた大切なものを思い出させてくれたり生きるヒントを与えてくれたりする。とても意味のある尊く貴重なものなのだ。
夢よ、突然の君の訪問が私に生きる意味と道標を与えてくれているのだ。
突然の君の訪問。
今日、窓の外に突然あなたが来た
私に会いに来たと言っていたが、突然の君の訪問に驚いたのと同時にとても嬉しかった
<突然の君の訪問。>
突然どうしたの、、?
突然引っ越したり突然また会えたり
好きだったあの頃には伝えたい事あったのに。
ドッキリ不要
驚いた顔がみたい→愛が深まると
勘違いされたら困るな
お互いに新鮮な気持ちでいたいなら
相手側の都合は最低限聞こう
喜んでいるのは仕掛ける本人だけです
・8『突然の君の訪問。』
雨の中うちのマンションを見上げていたのは中学生になったばかりの姪っこだった。
どうしたのか聞くと
「なんでもない」
という。学校がなじめないのか、
聞こうにも
そもそも自分が仕事を辞めたばかりの人間だ。
まああがってよ
といい
迷いインコの話をして
買ってきたばかりのゲージを組み立てたり
手伝ってもらった
【続く】
【私だけの部屋】
大切な人がふらっと現れることを願っている。
あの人、もう遠い過去の中にいる人物。
チャイムが鳴って、玄関を開けると貴方がいる。
そんな妄想だけが頭を覆う。
もちろん、私は一人だ。
私だけの部屋で、今日も誰かを待っている。
来るには早いと思ったが
予想に反して君は来た
今回は特に元気なのね
台風休暇で助かった
土産をどっさり持っていて
いつにも増して身に余る
あったかくして薬飲み
1週間君と闘う
深夜0時キッカリにインターホンの音。
寝ぼけ眼でモニターを見れば、ずぶ濡れの君。
急いでドアを開けて、タオルを渡すと
わんわん大声で泣き出した
しゃがみ込んでタオルに顔を埋めながら
嗚咽を堪える君の背中をそっとさする
冷たい背中だ 随分と濡れたまま歩いたのだろう
バスタオルをもう一枚用意して
頭から被せて、半ば抱えながら風呂場へと誘導する
温かいシャワーを頭からかけるのは少し躊躇したが
どうせ濡れているし風邪を引くよりは増しかと思って
流し続ける……なんだかずぶ濡れの猫みたいだ
少し落ち着いてきたのか、シャワーヘッドを奪うと
自分の顔に思い切り浴びせ始めた
何か断ち切りたいものでもあるかのように
そしてぽつりと呟いた
疲れた と。
ガチャッ。
「あれ、ボス??どうしたんですか、こんな休日に。オレが恋しいんですか?」
「昨日会ったばっかりだろ!!恋しくなんてねぇよ。ちょっと届けものでな……」
「お届け物?4ヶ月たった誕生日プレゼントですか?」
「プレゼントはあげただろ。……これなんだが」
「……カレー?レトルトですか?」
「なんでそうなるんだよ。俺が作った。なんだが、あまりに多く作りすぎちまったみたいでな。あまりをあげる相手がいなくてな……お前のところに来たって訳だ」
「ははーん、さてはオレの甘口レビューが欲しいんですね、でも、オレは料理には厳しいですよ。そう簡単に星五なんてとらせませんよ!」
「……いらないか」
「いやいや!食べます食べます!ボスが作ったものならなんでも食べます!むしろ食べないなんて選択肢はオレの中にありませんよ!」
「じゃ、食ってくれ」
津詰はカレーが蓋に着くくらいのタッパーに入ったカレーをエリオに手渡した。
「俺は帰る」
「待ってください。ボス、一緒に食べましょう。オレ、ボスがいなきゃ食べれません」
「……仕方ねぇな。一緒に食べてやるよ」
「うっし。じゃあ、行きましょう!」
「………は?どこに?」
「もちろん、ボスの家ですよ!」
「いやいや、何言ってんだ?なんで俺のい……」
エリオは津詰の言葉をさえぎって腕を奪った。
〜突然の君の訪問。〜
ガチャっと音がした
私は何が起きたから一瞬理解できなかったからだ
私は今悲しみに暮れている
1人で沢山の苦しみを背負っている
助けてくれる人なんていなくて、頼るのにすら疲れて
消えることの無い悲しみを少しでも軽くしたくて
うずくまって泣いている
そんなとこにきた君
光が差したようだった
入ってこないでそう叫んだ私の声は届かなかったのか
あなたは一目散にかけつけ私を強く優しく抱きしめた
もう1人で泣かないでひとりじゃないよって
さらに涙が出た
誰にも理解してもらえない悲しさとそんな中でも味方でいてくれたあなた
この人となら生きていけるこの人となら一緒に居たいそう思った
あなたは私の世界を変えた
きっとそれは紛れもなく真っ直ぐな愛によって
ありがとうあの時助けに来てくれて
ありがとうひとりじゃないよって言ってくれて
ありがとう味方でいてくれて
まあまあの長い年月、我々はここで暮らしてきた。
ま、間借りではあるんだが。
大家がたまに風を入れに来るくらい以外は静かで、暮らしぶりも気に入ってた。
我々にとっては快適な住まいだったわけさ。
それが、急にがたがたと窓が開け放たれて、人が入り込んできた。
どうやら久し振りにこの家の主が定まったらしい。
いつかはこんな日が来るとわかってはいたんだけどね。
仕方ないから、今夜、ひっそりと引越し作業だ。
夜逃げとか言わないでくれよ。
我々は明るいところは苦手なんだからさ。
『突然の君の訪問。』
しばらく会っていない友達がいる。
初めて会ったのは保育園の頃だった。
活発で話が面白くて、人気者だったと思う。
小学生や中学生の頃は家の方向が同じで途中まで一緒に帰ることも多かった。4時間以上立ち話をしていたこともあった。
高校から別々になって疎遠になっていった。
今はお互い大学生で、住む場所も遠く離れている。今どれくらいの髪の長さなのかも何に熱中しているのかも知らない。
少しだけ距離を空けるきっかけがあったとすれば、彼女が現役で大学へ進学して入学間もない頃に飲酒したことを知ったときだった。周りもみんな飲んでいたのだろうと思う。
しかし失望したのは確かだった。
彼女は私の知らない場所で知らない人になっていくのだと思った。
さよならを言わない別れの方がきっと多いのだと思った。
僕が好きだった人が亡くなった。
そのせいで、めったに風邪をひかない僕が風邪をひいてしまってここ最近寝込んでいる。高3の夏だというのに勉強が遅れてしまわないか心配している。あぁ、昨日は特に調子が悪いな。40℃の熱が出ていて、意識がもうろうとしてきた。そんな時に玄関のチャイムが鳴った。誰だろう。きっと友達だろうと思い、ドアを開けると、そこには亡くなった僕の好きな人がいた。どうして。きっと幻覚だ、と思ったが「久しぶり。」と声をかけられた。突然の君の訪問。いや、こんなことありえるわけない。「私が死んだからってそんなに落ち込まないで。でも、私に会えて良かったね。私とずっと一緒にいたい?」いたい。なんて言ったら君はどうするの?「そんなの無理だけど笑。ごめんね、あなたのこと好きじゃないから笑。」そんなことなら会いに来なくて良かったよ。「それじゃあ、元気でね。私が居なくても頑張ってね。もう会いに来ちゃだめだからね。」どういう意味だ。そっちが会いに来たくせに。「起きて!起きて!」目が覚めると母が泣きながらこちらを見ていた。たくさんの場所に包帯が巻かれていて、病院にいた。お医者さんが来て、「目が覚めたのは奇跡としか言いようがありません。この3日間ずっと意識がなかったんです。」どうやら交通事故に遭ったらしい。ということは彼女が会いに来たんじゃなくて、僕が彼女の元へ行っていたのか。彼女が助けてくれたんだ。事故に遭った僕を彼女の方へ来させないために。その瞬間涙が溢れた。彼女を好きで良かった。来世は彼女のそばにずっと居たい。
「お久しぶりです」
そう言って君は事業所の玄関のドアを開けた。
声を聞いた僕たちは、みんな手を止めて振り向いた。
ここは障害者が社会に出るための練習を兼ねた、
障害者が働くための作業所だ。
君はこの作業所の卒業生だ。
君がここを旅立ってからもう三年になる。
そんな君がなぜ今になって突然訪問してきたのか疑問だ。
「久しぶりだね。元気にしてたかな?」
そう言ったのはこの作業所の責任者である坂原さんだ。
「今日はお願いがあってきたんです」
「何かな?」
君の目は泳いでいる。
簡単に言える頼み事ではないらしい。
「私の働いている本屋さんで人が足りなくて、この作業所の利用者さんを誰か一人寄越してほしいんです」
坂原さんも他の職員も驚いていたが、利用者の僕たちが一番驚いていた。
なぜなら、障害者は特にパートでも
働き口を見つけるのは、かなり困難だから。
われ先に他の利用者が立候補して君に向かう。
しかし、君の求めている人材と立候補者は合わないらしい。
君は一人の女の子に近づいた。
ほとんど誰とも話さない、うつ病の子だ。
「あなたに来て欲しいの。あなたにポップを作ってもらって宣伝してくれないかな?」
「ま、まさかその子には無理だよ」
誰もがそう思った。
でも、坂原さんは止めずに賛同した。
「彼女には人を惹きつける文章が書ける。みんな知らないけど、一度だけキャッチコピーの公募で入賞したことがあるんだよ」
僕たちは驚きを隠せない。
彼女の可能性を僕たちは奪おうとしていた。
それが障害者に対する偏見だった。
「障害者だから、これは出来ない」と。
選ばれたその女の子は笑顔で承諾した。
もちろん、君のサポート付きでの契約だが、
その子のセンス溢れるポップで売り上げは上昇したと
坂原さん宛にメールで報告してきた。
君のあの訪問を機に僕は社会で働くことの恐怖を少しずつ払拭し、勇気を持てた。
突然の君の訪問。私は、驚きながらも家の中に入れ、座らせ、お茶をいれる。