『私の日記帳』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『私の日記帳』
家に誰もいない夏休み。家に誰もいなくて退屈だから、家族の部屋に少しぐらい立ち入って、少しぐらい秘密がないか調べるのも許されるだろう。
そうして親の部屋から見つけた一冊のくたびれたノートは文房具屋や百均でも見るような昔からどこにでもあるようなものだった。家計簿や何かの使い差しのものだろうとなんの気なしに開いてみたところ、それはどうやら日記帳だった。
小さな頃、兄におやつを勝手に食べられて泣かされたことが文字の読み書きも知らないはずの私の文字で書き記してある。小学生の頃、初恋かもしれないときめきの様子が小学生には知りえない言い回しを使って詩的に書き記してある。書いた覚えのない日記に記されていることは私の頭にすべて記憶されていることだった。読んだページすべてがそうだったから、この先に続くページもそうなのだろう。恐ろしくなった私は震える手で日記帳を閉じて元の場所に戻し、そして今日のことを誰にも話さずに忘れることにした。
→短編・往復書簡
夏の終わりを前に秋雨前線が長雨をもたらし始めた頃、友人が亡くなったとの知らせを受けた。
その訃報は彼女の娘さんからいただいた。長い闘病生活の末のことだったらしい。
そんなこと、彼女は露も匂わせなかった。
やけに雨音が響く部屋の中、私は文箱の蓋を開けた。彼女からの手紙の束。もはや彼女の新しい手紙は来ないのだ。切なさや悲しみに胸が詰まった。
友人と私は、女学生時代の友人だった。長いおさげの髪を揺らして、青春を駆け抜けた。ときに笑い転げ、ときにケンカをした。唯一無二の親友だった。学校で毎日顔を合わせるというのに、交換日記まで交わしていた。学校での些末な出来事、親兄妹の話、恋の話、雑事……、その中でもとりわけ多く語り書き綴られたのは、将来の夢のことだ。
彼女は医者、私はお嫁さん。今のご時世の女性たちには、私の夢は夢ではないと言われるかもしれないが、当時はまだそんな女性が多くいたのである。
女学校を卒業して、彼女は進学に合わせて東京へと上京し、私は地元に残った。
そうして、交換日記は文通へと形を変えた。
彼女は夢を叶え、東京で小児科医になった。私は地元で見合いをし家庭に入った。どちらも夢を叶えたことになる。
時代は進み、色々な連絡方法ができても、私たちは文通を続けた。
私たちはお互いの近況を手紙で報告しあった。あんな事があったのよ、こんな話はあなたにしかできないわ……。
今、目を通しているのは、遥か昔に彼女が結婚した頃にしたためれたものだ。緊張した花嫁と花婿が睨むようにこちらを見つめる写真が添えられている。裏を見ると「失敗の一枚、笑ってちょうだい」と書かれている。
働いている病院の話、近所のお惣菜屋さんとの会話、初めての出産、その痛みの恐怖と極上の幸福。「喉元過ぎれば何とやら」との一文に強く頷いたものだ。彼女の離婚。その手紙は短く、その失意は痛いほどだった。
しかし、手紙には大方明るい近況が綴られ、彼女の生活が楽しいものであることが行間からも伝わってきていた。
1年ほど前の手紙に「この文通、まるで私の日記帖ね」と書いてあったことを思い出す。そこにはこうも記されていた。
「もし私に何かあったら、ぜぇんぶ燃やしてくださいね」
妙な一文だと思い、記憶に残っていたのだが、そうか……。彼女は覚悟を決めていたのだ。私が、思い至らなかったのか……。
便箋の輪郭が歪んだ。彼女の繊細な筆跡に、涙が雨粒のように落ちた。
長雨が止んだら、寺でお焚き上げをしてもらおう。そして天国の彼女に「日記帖」を渡すのだ。余計なことを、と怒られるかしら?
涙を拭いて、私は手紙を丁寧に文箱に戻した。
テーマ; 私の日記帳
『私の日記帳』
役場に行った帰り道、あまりの暑さにアイスを買い、適当な木陰で一休みしていた。
目の前にはゆるく続く坂道。
その手すりにもたれ掛かって、熱心に何か書きつけている人がいた。
小さな青い手帳に鉛筆で。
興味を惹かれたが話しかけることもなく、アイスを食べ終えた私は歩き出した。
するとバサリと音がして、振り返ると先程の人が地面に両手をついていた。
慌てて駆け寄り大丈夫かと声を掛けた。どうやら目眩を起こしたらしい。
木陰に誘導し、熱中症予防の飴とペットボトルの水を渡してしばらくすると、その人が「何かお礼を」とポケットやカバンを探り出した。
礼には及ばないと立ち去るところだが、ふとあの手帳のことが気になった。
何を熱心に書いていたのか尋ねると、「私の日記帳です」と言う。
お礼の代わりに読んでもいい、とまで。
さすがにそれは遠慮したかったのだが、半ば強引に手渡された。
日付は、明日以降のものだった。
これから先に起こるであろう災禍の予定。
私が言葉を失う横で、その人は穏やかに微笑んでいた。
私の日記帳
私は日記を書いている。
ただの日記じゃない。
なんと4冊も書いているのだ。
総称を喜怒哀楽日記と呼んでいる。
名前の通りで嬉しいことがあったら喜の日記、
悲しいことがあった時は哀の日記とその時によって
書く場所を変えている。
めんどくさいこともあったけど、
日記の書き方はこれが一番落ち着く気がする。
次に見返した時にひとつの感情でもこんなに違うんだって
知れるのがなんだか面白くてクセになる。
ちなみに今月は哀の日記が1番多く書いたようだ。
夏は嫌いだからね。
語り部シルヴァ
私の日記帳。
学生時代には、日記帳を含むノート類は手に馴染みがあった。
一教科につき一ノートを買うレベル。
これって実際おかしな話だ。十教科あれば、十冊ものノートを用意しているわけだろう?
ノートを忘れることに関して怒られるなんて、ちょっと理不尽。子どもにそこまでノートを何冊も持たせたら、忘れたり無くしたりするのは仕方がないと思える。
どうせ、ノートの最後のページまで使わないだろうと目論んで、既存のノートの反対側から書き始める、ということを僕もやった気がする。
あれは、ノートを忘れた後ろめたさもある。
忘れたとき用の単なるメモ書きで、家であとで写せばいいかと思っていたが、子供の脳みそなんて鉛筆の色で塗りつぶされたがのごとく忘れがちだから、数日の授業の末に忘れて、同じようなことをして「あ」と気づく。
しかし、その後は反省なんかせず「まあいいか」で済ませて。
それでノート提出のときに慌てて、夜な夜な呻吟するのである。
小学校あたりまで記憶を遡ると、日記帳というものは、たしか上に絵を描き、下に文章を書く構造だったと記憶している。
どこの学年からだろう。たしか美術と呼ばれるよくわからない絵画鑑賞が現れる頃には、日記帳=文章のみになっていた。
他の人達の投稿を見るに、日記帳というのは、メモ帳の類似品のように、そのときの文章を書き留めておくためのもの、という認識が強くあるらしい。
別に絵は描かなくとも良い、ということになっている。
これは、思考を主として、抽象度が高くなって、文章からその時の場面が立ち上がるようになったからだろうか。
そんな事はない、ような気がする。
いつしか日記帳は、メモ帳のように軽く書き留める代物になった気がした。
だから、自分の生み出した文章を軽んじて、書き殴ったり紙を破り捨てたりすることが軽くできるようになった、と思った。
同様に、そんなことをする人たちは、自分の心もそうしているのだろう、と陰ながら心配もする。
じゃあ、文章の上に絵を描けば日記帳に戻るのかといえば、僕はもう汚い絵を描くに値しないプライドを持ってしまったから、もう絵はかけない。
仕方がないからネットのフリー素材を探し出して、それを貼り付けたとしても、やはり捨ててしまう。
所詮他人が描いた絵の、量産品だと思ってしまうから。
日記帳って、こうしてみると、自分の画力の無さを棚上げしてまで、あそこに汚い絵を描く理由があったのだろうな。
だから、――ってあの頃に伝えたくなる。
私の日記には、たくさんの思い出が綴られている。
最近は描くのが面倒になっちゃったから実質スクラップブックなんだけど、それでも一度開くと思い出が甦ってくるんだ。
ああ、この時一人で旅行にいったな。
この映画は友達と見に行ったな。
そんな取り止めのない日々の軌跡が、この本の中にある。
私の日記帳
私の日記帳は進化している
小学生では交換日記
中学生ではブログ
間が空いてSNS
日記帳は進化しても
書くことは
あまり進化してないかも
技術の進化はめざましいけど
人間の進化はどうだろうね
私の日記帳
毎日、書いていたのがいつからか書かなくなり、やり始めても続かないという事に正直嫌になっている。
多分、感じたままに書けないからだろう。
醜い感情をぶつけるように書いていた日はまだまっすぐだったのか。白紙のページは眩しくて書き進める事ができない。刺激的な事も求めてないし。
反省と愚痴だけか。妄想と空想の世界もな。記録は堅苦しいから感想文?がいいかな?。やっぱり偏った自己分析になりそう。考えすぎだ。
会社では目的があるから週報や月報がだせるんだから、
同じ事ではないか。
はたと思う。何のために生きている?
だから、空白のページしかないのかな。
誰かが見るとかじゃなくて、認めたくないんだ。
空虚な自分を。夢なんか追えない。やりたい事って何?
いい歳してこれか。神界から降りて来た人も俗世で見失うって聞いた時ドキリとした。そんな高貴じゃないが。
I'll write it later.
お題「私の日記帳」
「呟きックスしかり、このアプリしかり、定期的に『その日その時』を保存するって意味では、ネット媒体だのアプリだのも日記帳になり得るんかな」
俺の日記帳っつーかスケジュール帳はここのアプリのお題記録帳になっちまってるけどな。某所在住物書きはプチプライスショップで購入したスケジュール帳を開き、ページをめくった。
去年の8月27日は雨関連のお題であった。28日は昨年通りなら難題であろう。
「実際去年、呟きックスを日記帳に見立てて『他人の日記帳見ちゃった』ってネタ書いたわ」
物書きが言った。
「さすがに今年は別のハナシ書きてぇのよな……」
ところで最近の日記帳には、読書日記やら家計簿日記やら、プラスアルファ系が存在するという。
――――――
台風近づく都内某所、某職場某支店の昼休憩。
かつて物書き乙女であったところの現社会人が、スマホに指を置きスワイプしてタップして、ボタンを押して、ともかく忙しそうにしている。
「今日の15時でサ終なの」
なにしてんの、乙女の同僚たる付烏月、ツウキが尋ねると、彼女は作業の理由をサ終と答えた。
「神サイトのスクショとWebノベルリーダーへの保存と、感謝コメントの送信は全部終わったんだけど、昔々の自分のサイトだけ保存してなかった」
どゆこと? 付烏月は他者に説明を求める。
支店長は知らぬ存ぜぬの演技で肩をすくめた。
真面目な新卒は視線をそらし頬を掻いた。
ほほん。新卒ちゃんは意味が分かると。
「カイシャクガー爆撃と相互様間トラブルで、何年も昔に辞めちゃったんだけどね」
スワイプスワイプ、タップ。元物書きが言った。
「昔々、個人サイトで二次創作やってたの。駄作だったけど、毎月何か投稿してた」
数年間放ったらかしてたけど、今日の15時で、その黒歴史が全部消えちゃうの。
ぽつりぽつり言う昔々の物書き乙女は、ただ淡々と、事務的に、一切の感傷無く作業を進めた。
君も書いてたの? 付烏月は新卒を見遣った。
書いても描いてもないですね。彼女は首を振った。
「尊敬してた方の相互様がね」
「うん」
「昔々、『有れば戻ってこれる』って言ってたの」
「うん」
「残しておけば戻せる、置いておけば帰ってこれる。そこに有れば、そこからまた繋ぎ直せるって」
「ふーん」
「だから私、ツー様の没ネタもルー部長の書き損じも、非公開の方の日記に残しておいて、たまにそこから持ってきてリメイクしたりしてたの」
「ごめんそのツーサマとルーブチョー知らない」
「知らなくていいの。いいの」
スワイプスワイプ、タップ。かつての物書き乙女は淡々々。過去と向き合い、作業を続ける。
「残ってれば、そこにあれば、戻ってこれるの」
完全に独り言の抑揚で、彼女は言った。
「この頃やってたサイトは黒歴史だけど、きっと、昔の私の大事な日記帳だったんだと思う」
ごめんやっぱ分かんない。
付烏月は目を点にして、こっくり、首をかしげる。
その間もかつての物書き乙女は、過去の創作物を、電子的な日記帳を淡々とサルベージし続け、
その顔には、特段ポジティブもネガティブも無い。
ただ微量若干の懐かしさが、見え隠れするばかり。
どゆこと? 付烏月は再度、新卒を見遣った。
目が合った彼女は今回も小さく首を振る。
しまいには少しだけ元物書き乙女の先輩に視線を置いて、静かに外して、昼休憩ゆえに己のランチであるところのサンドイッチを食べ始めてしまった。
【お題:私の日記帳 20240826】
「新しいノート買わないと」
手元のノートの残りが2ページとなった今日、日記を書き始めて20年が経った。
始まりは小学校一年生の時の、7歳の誕生日。
祖父から貰った1冊の洋書風ハードカバーのノートと万年筆。
7歳に贈るものじゃないわよね、と、母が呟いていたのを今でも覚えている。
けれどそれから毎年誕生日に、祖父が亡くなるまでの8年間、ノートと万年筆が送られてきた。
7歳の時に貰った手紙には、短く達筆で『毎日でなくてもいいから日記を書きなさい。いずれそれが貴女の宝物になるから』と書かれていた。
まぁ、当時の私が読めるはずもなく、母が教えてくれたのだけれども。
祖父は私の性格をよくわかっていたようで、日記を毎日書くことは、ズボラな私には難しいことだった。
けれど、ふと時間が空いた時や、気分がいい時、楽しい事があった時、辛いことがあった時、書く量を決めずにただ、日付を書いて、その日あったことや、思ったことなどを好きなだけ書く、そんな形式にすれば、日記を続けることが出来た。
本当に自由に書いていた。
一言だけの時もあれば、3ページに渡って読んだ本の感想を書いたり、下手な絵だけを描いたりもした。
祖父が亡くなってからは、ノートは自分で買うようになった。
その時書いているノートが残り少なくなったら、近所の雑貨屋や文具店に足を運び、気に入ったものがあれば購入する、と言った風に年に2回程度はノートを買っていた。
ここ数年はノートを買う頻度が上がった。
と言うのも、ほぼ毎日書いているし、書く量も増えたからだ。
「宝物かぁ⋯⋯」
インターネットの通販サイトを覗くと色々なノートがあって、本当に迷ってしまう。
けれど、不思議と初めて祖父に貰ったノートと似たようなものばかりに目がいってしまう。
普段は使うことの無い、少し立派な、勉強で使うのとは違う感じが良いのかも知れない。
「よし、これにしよう」
栞付きで、少しファンタジーチックな感じの、魔導書風とか書いてあるノート。
次のノートが届くのを心待ちにして、今日の日記に1行付け足す。
『次のノートをポチッた。早く届きますように』
ノートを閉じて、机の抽斗に仕舞う。
書き終えたノートは50冊を超え、段ボールに詰められて納戸で眠っている。
部屋を出て、リビングに向かうとそこでは旦那様が1人寂しく晩酌をしていた。
「お帰り。声かけてくれれば良かったのに」
「ただいま。仕事の邪魔しちゃ悪いかと思って」
「気を使ってくれてありがとう。私も貰って⋯⋯あ、やっぱいいや」
「ん?そう?」
「うん、お茶にしとく」
旦那が飲んでいるのは梅酒の炭酸割り。
さっぱりしてこの時期に飲むのには丁度良いのだけれど。
キッチンでグラスに氷を入れて、ペットボトルのお茶を注ぐ。
澄んだ高い音を立てながら、グラスの中で氷が崩れる。
「つまむもの、何か作ろうか?」
「いや、大丈夫。コレがある」
そう言って、旦那が見せたのはパックに詰められたチーズやジャーキー、ナッツなど。
「後輩がくれてさ。そいつ今燻製にハマってるらしくて」
「えっ、自分で作ったって事?」
「あぁ、桜チップとか言ってた。これがまぁ、美味いんだわ。食べてみな」
「⋯⋯⋯⋯わぁ、売ってるのよりも美味しいよ、これ」
「だろう?燻製やってみたくなっちゃうよな」
「うんうん。ちょっと調べてみようかな。あ、そうだ」
「うん?」
「今日、病院に行ってきたの」
「えっ?」
旦那様の動きがピタリと止まった。
心做しか、顔色も悪くなったような?
「あ、どこか悪いとかそう言うのじゃないよ。心配しないで」
「え、じゃぁなんで⋯⋯⋯⋯えっ?えっ?」
「もう少しで3ヶ月だって」
「えっ?えぇっ!」
大変、日記にまた付け足さないとダメだね。
『妊娠の報告をしたら旦那様は「えっ」しか話せなくなりました』って。
私の日記帳には、色々な事が書かれている。
今日はすごく嬉しかった事と、面白かった事、そして美味しかった事も追加しておこう。
いつか読み返した時に、今日の出来事を昨日の事のように思い出すことができるように。
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(´-ι_-`) ワタシハ三日坊主派デス
題:「私の日記帳」
私の日記帳は真っ黒だ
毎日あったことを事細かに書きすぎて、書いてる手の腹まで真っ黒になるくらいだ
人に見せろと言われたら?
……まぁ、見せられるさ、大丈夫
実名は書いていないし、なんたって小説風な書き方だから、これがまさか日記だとは思わないだろう
そう……
これは、“日記帳”という題名の、リアルな小説さ
2024年8月27日
SIVA0502
私の日記帳
ここは私の日記帳化としつつある
作り話しでも何でもなく、
私に起こった事実のみを綴っている
彼が元結婚相手と連絡を断つ日が来た
彼女はこれからも自分のタイミングで連絡をし、
彼からの心配を受ける日々が続いていくと思ってたはずだ
犬が亡くなって◯日です
正直、毎回こんな連絡私なら要らない
彼も私も傷は全く癒えていない
私達はいちいち今日で◯日だね
なんて言葉にも出さない
出さなくとも思ってる事は分かってる
犬がいなくなった事は変えようもない事実だけど、
どこかにいるんじゃないか
早く帰って来ないかなぁとどこか受け入れられずにいる
私達はそれで良いと思ってる
そんな風に少しずつ前を向いて、受け入れて行こうと思ってる
それなのにあの女と来たら、いちいち◯日過ぎた、過ぎたと連絡をして来る
彼と結婚してたなら、その都度どう思うかくらい検討もつくはずなものだ
それとも、忘れてないでしょうね⁈と言う意味なのか…
ともかく連絡が来る度、
彼は女に元気でやってるかと言葉をかけた
それ以外する会話がないからだ
あの女はおそらくだが、心配してくれていると勘違いしている
会った時に、女は彼を所有物と思っているようだなと感じた
だから、彼がまだ自分を特別扱いするのは当たり前で、そうではなくてはならないと思っているようだった
そもそも人間と動物では供養の仕方が違うと私は思っている
人間と生きる年数も違うのだから、
人間と同じ初七日だ四十九日だも違う気がする
動物軸で考えてやれと思う
まぁそれはさておき、仏教の世界では四十九日で成仏されるとされる
あの女は仏教徒なのか何なのか知らんが、それっぽい事を言ってる気がするのでそれに合わせてやろうと私たちは思っていた
それ(仏教の考え)が当たり前かのような態度だったが、私がキリスト教だったらどうするんだろう?
四十九日は残された、生きてる人たちが日常に戻っていく時だとも言われる
なのでこの期間内は連絡を取り合う事は仕方ないと思っていた
私なりの気遣いだ
四十九日の日
やはり女は連絡して来た
彼は、
もう連絡は取りません
彼女(私)の事も傷つけているし
と言う内容のメッセージを送った
恐らくあの女なら憤慨したに違いない
何の返事もなかった
自分のタイミングで全てを決めたい女は、彼の言う事に腹を立てたに違いない
ましてや彼女がいながら私の心配をしてるなんて!
と私に対して優越感にでも浸ってたと思う
それが生意気にもお前から連絡断つなんて言って来るなんて!とでも思っただろう
所有物かのあの態度、
離婚してもまだ自分は家族みたいなもんだ
と言うあの女は何度思い出しても気分が悪い
あの女はただの他人だ
私が彼の妻で家族だ
未だに自分が妻気取りなのが意味が分からない
自分から離婚を切り出したのなら、
いい加減他人である事を自覚して欲しい
いつまでも関わろうとしないで欲しい
彼の人生から、生活から消えて欲しい
私ならあの女より、彼を幸せにできる
ちなみに気分を変えて、女が連絡して来てるかも知れないが
もうブロックしているので内容は知る術もない
私の日記帳なるテーマ。
以前、誇れることをテーマにした際日記帳の話をした覚えがある。
あの黒歴史ノート、捨てたはいいが捨てたせいで余計にその内容が記憶にこびりついてしまったような気がする。
あのクソバカエッセイ集もどきのなり損ないみたいなのを思い出すだけで虫唾が走るな。
みんなは日記帳を書く時は変に若気の至りを発揮せず、その日起きたこととかをできるだけ淡々と書こうな。
間違っても読み返すなよ、しんどいから。
もちろん自分は読み返した。
死んだ。
「私の日記帳」
私の日記帳は三日坊主。紙の手触りや書きやすさ。
選び抜いて準備をしたのに、いざ始めれば呆気ない。
もやもやが頭ので暴れてる
私は気づいてなかった
友達が大切だと思っていたけど
今になると一人の時間が欲しくなる
静かに音楽で包まれたかった。でも、回には常に
家族、友達がいる
誰にも言えない、ずっと抱え込んでる
頼れない、頼らない
みんなは我慢しないでね
【私の日記帳】
私の裏日記帳
たくさん書いたなぁ
本当にたくさん書いた
自分のこと余すことなく何もかも
表も裏も全部全部
見失いたくなかったよ
ちゃんとわかっていたかった
私は私に生きててほしい
どんな形でもいいから
「心の天気模様を記しておくのはどうでしょう?」
と医師に提案された
日々の心の有り様を日記に記録しておけ、ということらしかった
自分の心の有り様を具さに記しておけるくらいなら、私はここへは来ていないだろうと心の中で呟きながら視線を一度も上げることなく頷いた
心からの笑いが出たら、微笑むことが出来たら◯をつけていこう…
まずはそこから始めた
来る日も来る日も日記は日付のみが淋しく記されたのみ
めくってもめくっても続くその空白が、更に私の心から笑みを奪っていく気配だけがそこにあった
日記帳が最後のページに辿り着いた時、日付を書き改めてその日記帳を再び使い続ける方法もあったけれど、それはそれで残しておくことに私には意味がある気がした
そこには何も書かなかった、何も書けなかったというその時の私の心模様を空白が物語ってくれている気がしたからだ
私がその時間を確かに生きていたという証でもある
日記帳が5冊目を迎える頃、初めての◯がひとつ付いた
翌日もまたひとつ付いた
その頃には自分の気持を言葉におきかえることの恐怖は薄れていたけれど、あえて言葉は書き沿えず、◯だけを残した
その頃から少しずつ、忘れていた心が感情を取り戻し始めた
◯の数は日毎に増えた
5冊のノート最後の日、ノートをパラパラ捲ると◯が嬉しそうに踊っていた
毎日書いていた◯が無意識に少しずつずれていたのだろう
私の心が描いたパラパラ漫画だった
そんな苦しい時間があったこと
まったく何も書かれていない4冊の日記帳
この存在が私の孤独の闘いを雄弁に語ってくれている気がする
『私の日記帳』
紙の上に隙間もないほど埋め尽くされた文字
何故か水浸しなその日記
ページは残ってはいない
ぐちゃぐちゃで解読できそうもない
はずなのに
気味の悪い程に、確かめる事などできないのに
これが貴女の本音だと決して疑うことはないのだ
ページを1枚ちぎってそれを火に燃やす
きっと良く燃えるだろう
愛だって思えるし
貴女もよく燃えたから
《私の日記帳》
窓の外は太陽が雲で覆われて、薄暗くなり始めてきた。
私は手持ち無沙汰になった状態で、ぼんやりと外を眺めていた。
あっちに置いてきた物は、どうなってるんだろう。
いつも読んでいた本。毎日起動させていたゲーム機。
ああ、こういう時の定番って、日記帳だなぁ。
行方不明になる直前の内容が、事件の核心に触れている。
事件に繋がる描写だったり、人外に変貌していく様子が記されてたり。
まあ、私の日記は大抵三日坊主で終わってたんですけどね。
何回かチャレンジはしてたけれど。
…だからこそ、見られると恥ずかしいんだよね。
『こいつ続かないのに何冊も日記帳買って、懲りない奴だな。』
とか絶対思われてる。
それに日常の事はネットで呟いてたから、むしろそっちの方が見られたら恥ずかしいかも。
本名を使わずHNで登録してた分、本音がダダ漏れだったり。
うん。そっちの方が羞恥心で死ねる。
空は本格的に雲に覆われて、窓からはパタパタと夏の名残の雨の音。
今こうして彼の傍にいることに、後悔は全くない。
けれど、置いてきたものに心残りはほんの少しだけある。