→短編・往復書簡
夏の終わりを前に秋雨前線が長雨をもたらし始めた頃、友人が亡くなったとの知らせを受けた。
その訃報は彼女の娘さんからいただいた。長い闘病生活の末のことだったらしい。
そんなこと、彼女は露も匂わせなかった。
やけに雨音が響く部屋の中、私は文箱の蓋を開けた。彼女からの手紙の束。もはや彼女の新しい手紙は来ないのだ。切なさや悲しみに胸が詰まった。
友人と私は、女学生時代の友人だった。長いおさげの髪を揺らして、青春を駆け抜けた。ときに笑い転げ、ときにケンカをした。唯一無二の親友だった。学校で毎日顔を合わせるというのに、交換日記まで交わしていた。学校での些末な出来事、親兄妹の話、恋の話、雑事……、その中でもとりわけ多く語り書き綴られたのは、将来の夢のことだ。
彼女は医者、私はお嫁さん。今のご時世の女性たちには、私の夢は夢ではないと言われるかもしれないが、当時はまだそんな女性が多くいたのである。
女学校を卒業して、彼女は進学に合わせて東京へと上京し、私は地元に残った。
そうして、交換日記は文通へと形を変えた。
彼女は夢を叶え、東京で小児科医になった。私は地元で見合いをし家庭に入った。どちらも夢を叶えたことになる。
時代は進み、色々な連絡方法ができても、私たちは文通を続けた。
私たちはお互いの近況を手紙で報告しあった。あんな事があったのよ、こんな話はあなたにしかできないわ……。
今、目を通しているのは、遥か昔に彼女が結婚した頃にしたためれたものだ。緊張した花嫁と花婿が睨むようにこちらを見つめる写真が添えられている。裏を見ると「失敗の一枚、笑ってちょうだい」と書かれている。
働いている病院の話、近所のお惣菜屋さんとの会話、初めての出産、その痛みの恐怖と極上の幸福。「喉元過ぎれば何とやら」との一文に強く頷いたものだ。彼女の離婚。その手紙は短く、その失意は痛いほどだった。
しかし、手紙には大方明るい近況が綴られ、彼女の生活が楽しいものであることが行間からも伝わってきていた。
1年ほど前の手紙に「この文通、まるで私の日記帖ね」と書いてあったことを思い出す。そこにはこうも記されていた。
「もし私に何かあったら、ぜぇんぶ燃やしてくださいね」
妙な一文だと思い、記憶に残っていたのだが、そうか……。彼女は覚悟を決めていたのだ。私が、思い至らなかったのか……。
便箋の輪郭が歪んだ。彼女の繊細な筆跡に、涙が雨粒のように落ちた。
長雨が止んだら、寺でお焚き上げをしてもらおう。そして天国の彼女に「日記帖」を渡すのだ。余計なことを、と怒られるかしら?
涙を拭いて、私は手紙を丁寧に文箱に戻した。
テーマ; 私の日記帳
8/27/2024, 4:14:18 AM