『病室』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
病室は、白い。
アルコール消毒の匂いも、カーテンの揺れる音も、
僕を包み込む全てが白い。
だから、真っ黒い服の彼だけが
僕の世界を染めるただ一つの色だ。
毎晩消灯時刻になると枕元に現れて、
僕が眠気に誘われるまで話をしてくれる彼。
おやすみ、また明日。
そう言っていつものように目を閉じる。
けれど今日は返事がない。
不思議に思って開けようとした目に、
真っ黒な彼のマントが被せられた。
少しの間の後、ああ、また明日。と、
素っ気ない声が返ってきた。
そしてそのまま、彼の気配は夜の闇に溶けていった。
翌日、僕の部屋には新しい色が加わった。
いつも君がいた場所には、色とりどりの千羽鶴。
ふと、昨晩の会話が頭に浮かぶ。
「知ってるか?虹色を混ぜると黒になるんだぜ。」
どうやら僕の死神は、随分と優しい人のようだ。
病室
あれ私落ちた帽子を取りに行ってそれからどうしたの?
目の前が真っ暗あっでも少しずつ真っ白になっている
何も感じないふわふわしてとても気持ち
どうしたんだろう?
もしかして死んだなんで?
意識が無くなっていくのかな?
まだやるたいことあったけどでもなんか気持ちいいから
そのままでも良いかなぁ
あぁ..眠い….おやすみ….家族…の..み..んな…
目が開いた規則正しくぴっぴっぴっと音がする
「あぁ….生きて…る?」とポロポロと涙が出てくる
隣りには母が目を覚ました私に話し掛ける
父は主治医を呼びに行き
新聞に足場が落ちて3人が軽症1人重体の
見出しが載っていた
事故の2週間後に奇跡的の意識が戻り
私は目が覚めた日に20歳の誕生日をむかえ
「良かった本当に」
家族と再会の涙を流し笑った
幸いにも、僕は今まで病気らしい病気になった事がない
どうやら遺伝子の関係らしく、母曰く生まれつき僕らは免疫力が強いらしい
なので、今日のテーマである『病室』の記憶は
自分自身が入院して…という視点では書けなかった
改めて僕の中の病室の最初の記憶はどこだろうと考えてみる
祖父が脳梗塞で倒れ、入院した時のお見舞いが最初かもしれない
祖父はお見舞いに行くたびに、幼い僕に病院食を食べさせてくれた
今考えると祖父の身体の為には良くなかったのかもしれないが、僕は祖父がお裾分けしてくれる優しさが嬉しく、同時に病院食と病室の香りに非日常という名の特別感を感じていたように思う
そして病院食がこれまたすごく美味しかった
少し前に祖父は亡くなってしまったが、あの時の記憶はずっと僕の中に大切な祖父との繋がりとして在り続けるだろう
「早く家に帰りたいよぉ」
母がかすれた声で言った。
「こればっかりは、自分じゃ決められないでねぇ」
療養型病院に入院して、1年が過ぎた。
白いだけの病室で、生命が少しづつ蒸発して行くように、母は小さくなって行った。
それでも、週に1回の面会では、休み休み1時間程、たわいもない会話をした。
我慢強く気丈な母だ。
最後には、いつも同じことを言った。
私も、同じことを答えた。
死なせてあげられなくてごめん。
心の中で謝った。
【病室】
そこは 沢山の人が苦痛から 逃れる場所
沢山の人が 助かって
でも 助からない人もいて
そこでは 患者といって お医者さんに
なおしてもらう場所
助けてもらう場所
『永遠』を生きるためのなくなってはならない
大事な場所
【病室】
━━そこは、何も無い場所だった。━━
白い天井、
白い壁、
ベージュ色のカーテン。
耳に届く音は、ピッ、ピッ、という機械音のみ
中心のベッドに1人、横たわる1人の少女。
点滴が繋がれており、
その子の表情はなんとも言い難い苦しみを表していた。
そして数10分後、
少女が目を開け━━━
私は目覚めた。
実際に体験したかのような風景で、
つい、独り言をこぼした。
「なーんか、リアルな夢、、、」
この後、遅刻に気付いて急いで支度して家を飛び出して行ったのだが、
その数時間後、
テレビにて、人身事故の放送が流れていたらしい。。。
~病室~
私にはまだ見えませんが
あの方がいるのでしょう
やっとそばにいけるのだから
そんな顔しないでください
56文字の黒の史書
【病室】
病室の窓から、見える公園がある。
結構広い公園で、サッカーゴールや砂場、ベンチがいくつかあり、日中は幼い子どもたちとそのママたち、夕方は学校帰りの小学生で割りとにぎやかだ。遊具は去年撤去されてしまったらしく、不自然な空間が空いている。
いつもその公園で遊ぶ子どもたちを眺めることが、サキの毎日の習慣になっていた。
眺めていると、だんだんとそこで繰り広げられる人間模様が、ぼんやりとではあるが分かるようになってくる。
小学校低学年くらいの男の子たちのグループは、たいていいつもサッカーをしている。きちんとチームに分かれて、それぞれ勝つために汗を流していて、なんだか眩しい。不思議と、キーパーを任される子は大柄でぽっちゃり君と相場が決まっている。足の速い子がリーダー的存在になりがちだ。身体の小さい、ちょっと鈍くさい子がミスをすると喧嘩が始まったりするが、それもほんのしばらく経てばまた元通り、一緒に遊んでいる。サキがいる病室まで彼らの大きな声は届くものの、「ごめん」という言葉が聞こえたことはない。たぶん、必要ないのだろう。
少し離れた所にある砂場では、もう少し小さい子どもたちが砂遊びをしている。「そろそろ帰るわよ」と、立ち話をしていたママたちのグループから声が聞こえた。子どもたちは「やだー!」「もう少しー!」と言い返し、ママの方は「ご飯なしになっちゃうよ」と応戦している。ベビーカーを揺らしているママもいるし、大変そうだな、とサキは思った。ママ友の世界はドロドロしていて大変だ、と聞くが、ここから眺めている分にはそうは見えない。そこそこ楽しくやってるんじゃないかと、サキは思う。
ある日、ちょっとした事件が起こった。サッカーをしている少年たちの一人が、熱中症で倒れてしまったのだ。あいにくそのときに限ってママたちの姿はなく、付近に大人の姿は見当たらない。一緒に遊んでいた男の子たちや、近くで遊んでいた同じ年くらいの女の子たちが周りに集まって、心配そうにのぞき込んでるだけだ。これにはさすがにサキも心配になって、ベッドから少し身を乗り出すようにして見ていた。
公園の前の道を見ても、人気がない。時刻はまだ16時前という微妙な時間で、仕事帰りのサラリーマンなども通らないのだ。周りに集まっていた女の子の一人は泣き出す始末だ。どうしよう、と少し逡巡したのち、サキはナースコールを押した。
「藤本さーん、どうされました?」
少しすると、茶色に染めた髪を後ろで縛った看護師さんが、元気よく病室に入ってきた。
「すみません。私じゃなくて…公園で子どもが倒れてしまったみたいで。」
サキは細くて白い指で窓の外を指差す。
「あら。大変!」
看護師さんはそれだけ言うと慌てたように病室を出て行く。
しばらくすると、窓から見える公園の方に、数人の看護師さんが走っていくのが見えた。
(良かった。もう大丈夫そう。)
安心してため息をついたサキは、公園に残った数人の子どもたちと、さっき病室に来た看護師さんが、揃ってこちらを見ていることに気づいた。看護師さんが大きく手を降ると、子どもたちも手を降ってくれた。きっと、「あのお姉さんが教えてくれたんだよ」とか話してくれたんだろう。小さい頃から身体が弱く、あまり外で友達と遊んだことのないサキは少し顔を赤らめて、そっと手を振り返した。
あの日からもずっと、サキは病室の窓から公園を眺めるのを習慣にしている。季節は秋になっていて、子どもたちが熱中症になる心配はなさそうだ。一つ変わったことは、時々、あの日の子どもたちが手を降ってくれることだ。もう14歳になるけれど、初めて「公園のお友達」ができた気分だ。
病室
私の知り合いが病室で横たわっている。
事故で巻き込まれそうになったけど、
わたしは無事だった。
しろい時。
わたしをかくすように垂れる布。
狭い世界で制限された視界を眺める日々。
生白い2本の肢はただ白い世界に揺蕩う。
自ら望んで、この世界に沈んだのではないのに。
今日もわたしはここに1人。
ただ、解かれるときを待って。
また、まぶたの裏のくろに背中を預ける。
病室
白く明るい部屋に
閉じ込められた子どもが8人
みんなで励ましあって
一日も早く外に出たいねと願った
叶わずに遠く旅立った子もいたけれど
さいごまでみんな笑顔を忘れずにいた
限りある命だから
泣くよりも少しでも多い時間
笑っていたかった
今でもつらいことがある時は
あのとき繋いだ小さな手が
しっかり生きて、と励ましてくれる気がする
『コロン』
君と私は、看護師と患者でした。
コロナ渦なので、見舞いもダメと、言った。ジョイトリックのような環境で君と出会った。
私は、皮膚ガンの為に入院することになった。私は、一人ぼっちの入院がすご〜く心細くて、なんか、他に回避出来る方法は、ないかずっと考えていた。
でも、その方法は、なかった。親しい医師に相談をしたら、『頑張るしかない!!』と、強い語気で叱られた。私は、プツんと、糸が切れたように声を上げて、泣いた。不安不安でしかたなかったから・・・・・。付き添いの友達は、冷たい視線で私を軽蔑した。『大人なのにしっかりして』と、言われるいるようでした。声に出して泣いた、おかげで私は、入院をして頑張る決意が出来た。先生は、私の為を思ってわざとキツイ言葉で、私を叱ってくれたのでしょう。今でも、その先生には、感謝しています。先生のエールちゃんと私に、届いたよ〜(´;ω;`)メソメソして、ごめんなさい。(´;ω;`)でも、ありがとうございました。心、想います。入院までに、諸々と、準備することはいっぱいあった。母が、モコモコのカワイイピンクのパジャマを買ってくれた。飲むお薬や色々と、お薬手帳やは歯ブラシや歯磨き粉や色々と、用意をした。不安定な私は、毎日、動画で、遠隔参拝をした。何処か、毎日がフワフワした日々だった。大好きなお姉さんと京都の嵐山のトロッコにも、乗りに行ったが、窓際で黄昏ていた、楽しかったのは、楽しかった。お姉さんが、『このトンネル、ジブリの世界に繋がっいるみたいだねと、言った。カメラマンさんが『今だけ、マスクを外して』と、言って写真を撮ってくれた。レールの振動が身体に諸だった。でも、エメラルドグリーンに、染まる渓谷と、保津川くだりの船とすれ違い様に船長さんとお客さんが手を振ってくれた。何だか、嬉しくなった。
入院の日も、心は、フワフワしていた。担当の看護師さんは、イケメンだった。不謹慎だけれども、ときめいた。私が脚に障害を持っているためだろう。(男性の看護師さん。)
誠実に、私らしく、病気と向き合おうと頑張った。はじめての、一人ぼっちの入院。個室だった。看護師さんとのAさんは、誠実な方でした。私の病室に入る時に、マスクをちゃんとして、私ときちんと向き合ってくれた。やさしい、誠実な方でした。『今日は、夜勤ですか〜?』なんても聞けたりした。Bさんの看護師さんは、the、イケメンでした。でも、プロの看護師として頑張ってはりました。昨日、お風呂に入ったから、堪忍して〜と、お願いしてもきっちりとダメと、言われた。明るくて、気さくで、素敵な看護師さんでした。でも、何処か、私は、一人だし、頑張らなくちゃと、思いは、変わらなかった。B看護師さんは、香水を着けてはりました。
ーー手術を終り、自分のBPMと、向き合っていました。無機質な白い病室と酸素マスクをしていました。夕方、B看護師さんが、『あんずちゃん、今日は、僕は、夜勤だよ〜。』と、音符付きの声で言った。甘いマスクの香水が強めで、ドキリとした。『あんずちゃん、よく、手術を頑張りました〜。』と、B看護師さんは、褒めてくれた。大人ななっても褒めてもらうのは、嬉しかったです。もう、点滴だけだった。顔は、アンパンマンのように腫れていた。不思議と痛さは、入院中は、全くなかった、退院日に、それまでの痛くないのが嘘のように、激痛でした。
母が迎えに来てくれた。上手くいかない時は、クソッと、言いながら私は、頑張っていた。お世話になったA看護師さんに、B看護師さんに宜しくお伝え下さい🙇♀と、伝えて帰ろうと、思った。
A看護師さんが『B看護師さんなら、そこにいるヨ〜』と、言われた。『行っていいんですか??』と、言ったらOKIだったので、私は、B看護師さんと、元気な声で呼んだ。母には、病院やからと、しかられた。(^_^;)兎に角、私は、B看護師さんに、挨拶がしたがった。B看護師さんらしく、『あんずちゃん、もう退院ですか〜?!』と、驚いていた。そして、踵を返した。
B看護師さんらしく明るく見送ってくれた。『お大事に〜♫』と、また、音符付きの声でした。外は、みぞれ鍋混じりの雪がチラチラ降っていた。終り。
心のバランスを崩し、日々の生活が送れなくなり、
しばらく入院をした。
古めかしいというのは、きれいに掃除がされていても、何となくパッとしないものがあり、例えば、共同のステンレスの洗面台は、時代遅れの風情があり
あまり長居はしたくない場所だった。
そういう年月の経った病院の個室に入った。状態が
あまり良いとはいえなかったからだ。
シャワーとトイレがついていて、古びたソファーと丸いテーブルがあった。このテーブルで毎日食事を
し、日記をつけた。
その病室は、しばらく私の「家」になった。
実は去年、病院が移転し、真新しい姿になって登場した。
とてもきれいで、待合室も診察室も清々しい感じがする。
受付の向こうに扉があり、その先は入院病棟になっている。来院した患者は入れないシステムだ。
新しくなった病室はどんな感じなのだろうか。ちょっと見てみたい気持ちになったものだった。
「病室」
私はもうすぐで死ぬ。現代の医療では治せない難病に 子供の頃からかかり、学校にも行けなかった。
私にとっての世界はこの無機質で白しかない病室。
窓から見える青空だけが私の心を癒やしてくれた。
でも、もうそれも終わる。意識が朦朧として少しずつ死が近づいているのが分かりひどく安心した。
だって一人はもう嫌だった。誰とも会えない、静かで私しかいない病室はうんざりだ。
巡回していた看護師の声が聞こえる。
次に生まれてくる時は健康体だったらいいな。
ああでも、最後に。
「────空、見たかったな。」
『病室』
『病室』
病室の窓から眺める景色が好きだった。
二十年と少しの人生の大半をこの無機質な白い部屋で過ごしてきた私にとって、その小さなフレームから見える景色だけが、色の付いた世界だった。
この部屋は広くて狭い。私は籠の中の鳥で、水槽の中の魚だった。外に出たいと願うくせに、外では少しと生きてはいられない。私の体をこの部屋に繋ぐ細い管は、同時に私の生命線だった。文字通りの、生命線。
もし私が人並みに健康だったらと、ありもしない人生を何度想像しただろう。自由に野を駆け回る子どもに、何度醜い嫉妬を抱いただろう。健全な精神は健全な肉体に宿るように、不健康な私の身体には捻じ曲がって歪んだ思いが棲みついている。このままいけば終の住処となってしまいそうなこの部屋は、私の暗い性根を際立たせるように白く清潔だ。
窓から覗く美しい世界の片鱗を眺めて、普通の生活すらままならない脆弱な器を嘆く。そんなことばかりしているからこの身体も一向に治りはしないのだと、そう言われればそうかもしれない。病は気からというが、しかし、気だって病に侵されるのだ。
はたからみれば、鬱屈とした人生に違いない。あるいは可哀想だと憐れまれるのがよく似合う、悲劇の少女なのかもしれなかった。もう少女という年でもないが、少女だった頃からこの部屋に縛られていたことは事実だ。
いっそのこと___と、何度か考えた。お金のかかるこの身体を維持するために、必死になって働いてくれている人たちの顔が思い浮かぶ。私がいなくなれば、彼らだって少しは余裕のある生活を送れるはずなのだ。何度か考えた末に、やはりこんな人生でも生への執着を捨てきれないのだから、人間とはなんと愚かな生き物なのだろう。あるいは私だけかもしれないが。
今日も窓の外を眺める。澄み切った青空の高さには、この折れそうなほど痩せた手をいくら伸ばしても届かない。遠く遠くに見える雲の、その先へ行くのはきっとそう遠くない未来だ。
父が入院した時に、病院内をフラフラ散歩してると
なんと自分と同姓同名の病室を見付けた。
何だろう?何だか妙な気持ち、ソワソワする。
どんな人だろう。同姓同名さんの病室の前を通り過ぎる為に
その階を3、4周まわっては横目で見るものの、戸は閉まったまま。
後ろ髪引かれながらも今日のところは撤退した。
そして次に父の見舞いに行った時には、もう名前はなかった。
私の名前は決してメジャーではない。
これは一生に一度のチャンスかもしれなかった。
会いたかったな、同姓同名さん。はぁ。
しおれた私を見る父は怪訝な面持ちだった。
もう何度目かわからないこの病室
彼が体調を崩したときは
必ずと言ってもいいほどこの病室だった
周りは建物ばかりで殺風景だけど
時々目覚める彼と
病室から見る夕日がとても綺麗な病室
〈病室〉
とても不謹慎だけど、
病室で寝たきりの10代を過ごしてみたかった
毎日つまらない登校をし
義務的な授業を黙って座って受け
関わりたくもない奴らの声を耳に入れ
面倒の臭い先生に絡まれ
テストがあれば勉強をし
課題は必ず提出
本気にしてもない部活動をして帰宅する
これの何が楽しいというのか
私には理解し難いよ
この先病室に行くことがあるなら
私自身のために行きたい
誰かを見舞うためになんて
本当に嫌だから。
_ ₁₀₁
ある病院での一コマ
ビビらずに…
よく狙って(✧д✧)
ウニナゲチャロ₍₍✸◟( ˘•ω•˘)ว ⁾⁾≡✸≡✸
しかし
(;•`ω•´)ツカンダ…ダト!?
この後 看護師に怒られたとさ…。
テ
∣
マ
▅
病
室
▅
『やあ、二日ぶりだね』
病室のドアを開けて、ベッドの上の彼女に話し掛ける。
少し青白い顔の彼女は僕を見て微笑む。
『…今日はあまり体調良くなさそうだね』
目を逸らしてゆっくりと頷く。
その様子を見て僕は話題を変えようとする。
『そうそう、今日はね…』
看護師1:「…あの男の子、また来てますね」
看護師2:「ああ、貴方は見慣れてないのね」
看護師1:「見慣れるわけないですよ。だって…」
「あの病室、誰も入院してないのに」