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『コロン』
君と私は、看護師と患者でした。
コロナ渦なので、見舞いもダメと、言った。ジョイトリックのような環境で君と出会った。
 私は、皮膚ガンの為に入院することになった。私は、一人ぼっちの入院がすご〜く心細くて、なんか、他に回避出来る方法は、ないかずっと考えていた。
でも、その方法は、なかった。親しい医師に相談をしたら、『頑張るしかない!!』と、強い語気で叱られた。私は、プツんと、糸が切れたように声を上げて、泣いた。不安不安でしかたなかったから・・・・・。付き添いの友達は、冷たい視線で私を軽蔑した。『大人なのにしっかりして』と、言われるいるようでした。声に出して泣いた、おかげで私は、入院をして頑張る決意が出来た。先生は、私の為を思ってわざとキツイ言葉で、私を叱ってくれたのでしょう。今でも、その先生には、感謝しています。先生のエールちゃんと私に、届いたよ〜(´;ω;`)メソメソして、ごめんなさい。(´;ω;`)でも、ありがとうございました。心、想います。入院までに、諸々と、準備することはいっぱいあった。母が、モコモコのカワイイピンクのパジャマを買ってくれた。飲むお薬や色々と、お薬手帳やは歯ブラシや歯磨き粉や色々と、用意をした。不安定な私は、毎日、動画で、遠隔参拝をした。何処か、毎日がフワフワした日々だった。大好きなお姉さんと京都の嵐山のトロッコにも、乗りに行ったが、窓際で黄昏ていた、楽しかったのは、楽しかった。お姉さんが、『このトンネル、ジブリの世界に繋がっいるみたいだねと、言った。カメラマンさんが『今だけ、マスクを外して』と、言って写真を撮ってくれた。レールの振動が身体に諸だった。でも、エメラルドグリーンに、染まる渓谷と、保津川くだりの船とすれ違い様に船長さんとお客さんが手を振ってくれた。何だか、嬉しくなった。
 入院の日も、心は、フワフワしていた。担当の看護師さんは、イケメンだった。不謹慎だけれども、ときめいた。私が脚に障害を持っているためだろう。(男性の看護師さん。)
誠実に、私らしく、病気と向き合おうと頑張った。はじめての、一人ぼっちの入院。個室だった。看護師さんとのAさんは、誠実な方でした。私の病室に入る時に、マスクをちゃんとして、私ときちんと向き合ってくれた。やさしい、誠実な方でした。『今日は、夜勤ですか〜?』なんても聞けたりした。Bさんの看護師さんは、the、イケメンでした。でも、プロの看護師として頑張ってはりました。昨日、お風呂に入ったから、堪忍して〜と、お願いしてもきっちりとダメと、言われた。明るくて、気さくで、素敵な看護師さんでした。でも、何処か、私は、一人だし、頑張らなくちゃと、思いは、変わらなかった。B看護師さんは、香水を着けてはりました。
 ーー手術を終り、自分のBPMと、向き合っていました。無機質な白い病室と酸素マスクをしていました。夕方、B看護師さんが、『あんずちゃん、今日は、僕は、夜勤だよ〜。』と、音符付きの声で言った。甘いマスクの香水が強めで、ドキリとした。『あんずちゃん、よく、手術を頑張りました〜。』と、B看護師さんは、褒めてくれた。大人ななっても褒めてもらうのは、嬉しかったです。もう、点滴だけだった。顔は、アンパンマンのように腫れていた。不思議と痛さは、入院中は、全くなかった、退院日に、それまでの痛くないのが嘘のように、激痛でした。
 母が迎えに来てくれた。上手くいかない時は、クソッと、言いながら私は、頑張っていた。お世話になったA看護師さんに、B看護師さんに宜しくお伝え下さい🙇‍♀と、伝えて帰ろうと、思った。
A看護師さんが『B看護師さんなら、そこにいるヨ〜』と、言われた。『行っていいんですか??』と、言ったらOKIだったので、私は、B看護師さんと、元気な声で呼んだ。母には、病院やからと、しかられた。(^_^;)兎に角、私は、B看護師さんに、挨拶がしたがった。B看護師さんらしく、『あんずちゃん、もう退院ですか〜?!』と、驚いていた。そして、踵を返した。
B看護師さんらしく明るく見送ってくれた。『お大事に〜♫』と、また、音符付きの声でした。外は、みぞれ鍋混じりの雪がチラチラ降っていた。終り。

8/3/2023, 7:05:51 AM