『病室』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【病室】
白いお部屋から帰ってきた子供がね、
夜眠る時
僕の腕をギュッと抱きしめて寝るんだ。
親友は、俺にそう語ってみせた。
子供の彼が入院したのは、一才の頃。
一才の記憶なんて、誰が覚えているだろうか。
生まれつきの持病がわかり、やっと衰弱した理由を知るには、少し遅いくらいだった。
でも、知らなければ死んでいた。
子も、親もだ。
病気により日に日に弱る君。
それはお前のせいだと、親を罵る周囲。
難病だから小さな病院では見つけられず、専門医に出会うまでは「大した病気ではないのに」と医者から嘘をつかれていたことなど、入院するまで誰が気づいただろうか。
入院初日、病室で泣きあう親子の気持ちは、きっと他にはわからない切なさを帯びていた。
子供はやつれていたが、親もひどいクマを作っていた。きっと子供が死ぬのが怖かったのだろう。
治療すれば治る。
けれど珍しい奇病の為、施術は困難。
だから入院は長引いた。その間に、子供は5才にになった。
その間に色々なことがあって、多くは病との闘いで、子供は逞しく成長した。
来年には学校にも通うのだという。
それでも。
やっぱり、寂しいんだね。
今でも親の手を、ギュッと握って寝る。
「行かないで」
と言うより。
「消えないで」
と願うかのように。他のことは、少し違う握り方らしい。
俺は彼らに、これからは良いことがたくさんあると良いと思う。病気が治ったことだけじゃなくて、他にも、色々なことが。
俺には叶わなかったから。
病室を卒業した君へ、幸せがありますように。
空になった病室を冷たい風が通り抜けていく。今はもう誰も眠っていないベッドが少し寂しそうに見えた。
この部屋で眠っていた人間は、あの木の葉っぱが全て散った頃に、ここからいなくなってしまった。
いろいろあったことを思い出して、少し涙が浮かぶ。
きっとこの部屋に来ることももうないだろう。
「帰るわよー」
「うん」
部屋の外にいる母から声を掛けられ、私は元気よく病室を去った。
退院おめでとう私。二度と入院なんかしないぞ!
『病室』
病室
20歳の頃、盲腸で入院した。初めての入院で、痛みや普段出来ることが出来ない事等、不自由や馴れない環境に気分的に疲れた。一方、日を追うごとに痛みは治まり、退屈な時間を持て余していた…白い無表情なあの一角は、不図した時に、今でも蘇る…もし、大病して、果てるまであの空間で生きるとしたら…
閉鎖病棟の窓から見える景色はいつも殺風景だ。
唯一下界と繋がっていると言えるベランダも、洗濯物の物干しスペースと僅かな植物が見えるだけで、行っても全く気分転換にならない。まさに籠の中の鳥…その言葉がしっくりくる。閉鎖病棟といえど、任意入院の患者には解放措置を取っているらしい。私はここ最近、医療保護入院ばかりで約1ヶ月間外に出られないこともあったから、自由で時間の融通が利く患者を羨ましく思った。
医療保護入院になるということは、「頼むから入院させてくれ」と家族が先生に泣き付いたということである。私の場合は躁転、解離し、母を殺すと騒ぎ立てたため、警察車両で病院まで行ったのだ。普通警察沙汰になれば措置入院になるのだが、何故かそれは免れた。措置入院になれば最低3ヶ月は入院していなければならないし、確実に急性期病棟から慢性期病棟行きである。慢性期病棟は医療費が安いだけあって、看護師の数も少ないし、急性期病棟のような手厚い看護が受けられない。何十年と入院している患者もいて、患者同士の絆というか連携が強い気がした。私も慢性期病棟に約4ヶ月居たが、環境に適応出来ず、ストレスにより入院当初から6kgも痩せた。ダイエットという点においては成功したと言ってもよいが、決して健康的な痩せ方ではなく「摂食障害」のそれであった。退院した今も摂食障害に悩まされており、体重はほぼ元に戻ったものの、嘔吐と下剤乱用が辞められずにいる。
摂食障害も解離性障害も、一生治らない病気であると、看護師と主治医に言われた。規則正しい生活を心掛け、服薬し、決してキャパオーバーになるようなことをしない…それが主治医から課せられた課題だ。それでも駄目なときはある、そんな時は病院に頼ってもよいのだ。また急性期病棟に入り(退院してから3ヶ月経たないと入れない)、心身共に休養すればよいのだ。病院を上手く利用しながら、これからも生きていく。
「病室」
こんにちは。
返事はしてくれないですね。
えぇ、恐くはありませんよ。
見えないからではありません。
なんとなく察しているからと言ったほうがいいでしょうか。
私は、いつ頃連れて行かれるのでしょうか。
いえ、連れて行ってもらえるのでしょうか。
最期に家族と連絡がとりたいなぁ。
それくらいは待ってやる?。案外人がいいんですね。
リラックス
休んで行きなよ
保健室みたいなもんだ
違うのはほんの少し
紙一重
生と死の重さ
※病室
「病室」
何も分からないくせに
あたかも理解したかのように
人の悩みにぺらぺらと
必要のないコメントを残して、
コメントと悩み、噛み合っているかは
僕が1番理解している
何一 つ合っていない
分からないなら最初から話しかけるな
差別は好きではないが
こういうやつだけは病気持ちだと思ってる
これ以上僕がイライラする前に
病室で一生寝てればいい
病室
ここから見る夏は固くてくすんでいる。
早く連れ出してほしい。どこに?わからない。
足に血液の循環を促す機械を着けられたまま漠然と思う。
あなたのせいではないのに、あなたは申し訳なさそうにいつも謝る。
あなたと宿した奇跡。次こそは産声を上げるかしら。
いつからか期待は抱けなくなった。
窓から見える花壇の向日葵は、俯いたきり動かない。
8月1日
数ヶ月前に余命宣告をされた私。
そんな私の元に、笑顔で健康体そのものな貴女が病室にやってくる。
毎日駆け込んできては嬉しかったことをずっと話す。
そんな笑顔に、憂鬱だった心も晴れる。
私が一時的に危なかった時も
真っ青な顔をしながら病室に来てくれて、
たくさん私のことで泣いてたね
うれしかった、まだ貴女と生きていたかった。
でも無理だ。
わたしの命が近いうちに枯れ果てて、貴女と生きれない。
そう考えるだけで涙は止まらない。
8月3日
母たちが駆け足で私の病室に入ってきた。
なにかの知らせだろうか。
「**ちゃんが…交通事故で亡くなったって……」
「は?」
意味がわからない、私よりも先に死ぬなんて。
そんな事考えもしていなかった。
どこの誰なの、彼女を轢いた奴は。
許せやしない。謝られたって絶対ゆるさない。
憎しみ、悔しみ、寂しさ。
感情が雪のように重なって、崩れてった。
なんか、もう、こわれちゃった。
8月5日
病室に貴女は来なかった。
当たり前だ、彼女は死んだのだから。
死んだんだ。私の初恋の人は。
自分が寂しさで壊れそう。もうこれって依存だよね。
天国で貴女に会えるといいな。
『病室』
~病室~
何かの物音がした気がして
ゆっくりとベッドから起き上がった
ドアを開け、廊下を見たが
無機質な白さが目立つばかりで
静まり返っている
気のせいだったのかと安心して
室内に戻ると
そこには…
そんな映画を観たせいか
どうも寝つけない
だいたい見舞いの品に病院がテーマの
ホラー映画を選ぶなんてアホな友人を
持ったものだ
まぁ、一緒に観て大騒ぎしたのだが
もう3時か、さすがにもう寝ようと
目をつぶった
「昨日、某病院で男性が殺害されました。容疑者は同室の男で、動機は騒がしかったためと言っており…」
幼い頃から
流行病や大怪我には縁がなく
案外丈夫でしたもので
通院はあってもこの歳になるまで
入院することはありませんでした
両親には感謝しております
唯一…いや2回ですか
出産時に入院しましたそういえば
三食昼寝付きなことが
かなり楽しかった思い出
恐らくですが
次に入院することが有るならば
きっと其の時は『其の時』なのかも知れません
でも『其の時』はやはり病室ではなく
自宅のあなたの傍がいいんです
【病室】
私は先天性の障害があったので乳児の時にも入院していたらしいが記憶がないので、私にとっての初めての入院は切迫早産の時だった。初めてのお産、初めての入院…安静を言い渡され24時間の点滴生活は私の心を蝕んだ。
ベッドで天井を見ていると天井の模様というかシミというか、それらが虫に見えてきて形を変えて動いてるようにさえ見えた。心細くて不安だったのだろう。
それだけではなく肌掛け布団のカバーに小さな虫がいる、と実家の母が来たとき私は訴えた。私としては本当に見えたので「ほら、ここにいるでしょ!」と言ったが、母には見えなかったらしく、困った顔で私を見た。本当にいたと思うのだが、見えたのは私だけだったのかもしれない。
入院生活は3ヶ月を越えた。産婦人科でこんなに長く入院する人は少なかったので病棟の主になっていた。出産後もすぐには退院できなかった。他の赤ちゃんは1週間で退院していくのに私が発熱したため子どもと2週間いたため、新生児室では頭ひとつ大きくなった我が子がいた。
病室は独特なところだ。重苦しい空気、いろんな病状の人がいるので話す言葉も選ばなくてはならない。そしてなんとも言えない孤独感。頭は暇だから悪いことしか浮かばない。病室でポジティブにいられる人がいたら尊敬に値する。毎日、見舞いに来る家族もあれば1週間に1度も来ない家族もいる。
元気でいるときは、寝ていられるなら入院したい、と思ったりしたが、やはり健康が一番だと教えてくれるのは病室だ。
その後は2度ほど1泊2日の検査入院した。検査を終えて結果を聞くまでは生きた心地はしない。今度こそは痩せて体には気をつけようと自分に言い聞かせるが、異状なし、と言われたとたん暴飲暴食をしてしまう。自分の意思の弱さを思い知る。
そう思うと、たまには病室で反省する時間を過ごすべきなのかもしれない。
祖母が亡くなってから、もうすぐ一周忌になる
祖母はよく入院を繰り返していた
病室で一人は寂しいだろうと
毎日のようにお見舞いに行っていた
すごく喜んでくれていたのを 今も覚えている
祖母は病室で一人の時 どんなことを考えていたのだろうか
それは祖母にしか知らないのだから 私が考えても
曖昧な答えにしかならない
おばあちゃん。
私は今、将来の不安や人間関係で悩んでいます。
たまにおばあちゃんの匂いがするのは、私の気のせいなのかな?
それとも、近くで私を見守ってくれてるの?
おばあちゃんが亡くなってから、相談する相手がいなくなりました。
それでも私は1人で頑張ってるよ。
おばあちゃんが亡くなる前から薄々気づいてたんだけど、私パニック障害だったんだ。
いつか話すつもりだったんだけど、もう話せる人いないよ。
前より症状が治って、もう少しで完治しそう。
今まで1人で頑張って来たんだよ。
褒めてよ。
おばあちゃんが亡くなる前は、毎日現実逃避していたけど、もうそれもやめて、真剣に将来のことを考えるようになりました。
やりたいこと、見つけたよ。
だから今はその夢に向かって、必死に生きてるよ。
過去の後悔はあるけど、また会いたいって思うけど、私がそっちに行った時は、また名前呼んで抱きしめてよね。
その日まで人生楽しんでやるからな!
夜は怖いけど、ままがいてくれて安心したな
同じ部屋だったおばあちゃん2人も優しかった
“病室”
🍀病室
聴こえてくるはずだった、
その声は永遠に聴くことは出来なかった。
多床室の病室で、私は泣けなかった。あの子も泣けなかった。泣くことができなかった。どの感情も出せなかった。
唖然とした。
ただ淡々と医師が告げる、
「8月2日午後22時57分、ご臨終です。」
あの子はこの世界にたった数分しか生きられなかった。
共に生きたかった。
共に過ごしたかった。
共に笑いあって泣きあって喜びあって
共に色んな感情を共有したかった。
私はこれからもあの子の数分の生きた証を守って生きていく。
白いこの部屋に無機質な電子音と呼吸器の音だけが響いている。規則正しい呼吸が、やまない電子音があなたが生きていることを証明していた。
ただそれだけが。
もうどれだけの時間が経ったのだろう。もういつからあなたの声を聞けていないのだろう。
早く起きてほしいと願うばかりで、何も進まない日常に慣れてしまっていたことがとても悲しくて。
夏になったら風鈴を買おうと話していたのが、その何気ない会話自体が、あなたの遺言になるかもしれないなんてそんなこと思いたくもない。それなのに。
手元にあるのは、『尊厳死への同意書』という極楽浄土の蜘蛛すら見捨てた地獄との契約書。
あなたが何をしたというのか。ただ生きていただけのあなたが、困った人に悩むことなく手を差し伸べられていたあなたこそが仏のような人だったじゃないか。
ねぇ起きて。こんな紙書きたくないんだよ。まだまだ行きたい場所だって、話したいことだってある。
風鈴、選んでないよ。青が好きなあなただからきれいな風鈴買いたいって思っていろいろ調べたのにさ。
涙が一つ、あなたの手に落ちた。
その瞬間、あなたに強く手を握られた気がして顔を上げれば。
今更「おはよう」なんて笑いやがって。
19.『病室』
目覚めたら病室にいた。白いシーツに白い掛け布団、白い枕、白い壁。色といえば自分の体に通された薄水色の病衣だけ。当たりを見回してわかったが、何故かこの部屋には窓がなかった。ドアがあるので閉鎖している訳では無いが、何故かとても息苦しかった。自分の体には機械が繋がれていた。その機械は大層なもので自分へと続く管がとても太く、これがどのような意味をなしているのか、またこれから成すのか、全く検討もつかなかった。自分はなにかの事故にあったのだろうか。記憶を振り返ろうとはするが何も思い出せない。思い出そうとすると頭に靄がかかり思考が著しく鈍くなる。それでも、ゆっくり、無理をしてでも思い出そうと努力する。すると靄が黒ずみ初めて、意識を覆ってきた。驚いて思い出すのをやめた。今記憶を振り返るのはよくないのかもしれない。大きく深呼吸し、体を伸ばしてみた。特に異変は感じられない。骨や内臓をおかしくしたわけでは無さそうだ。頭に何か障害が?それともウイルス感染?様々なことに頭をめぐらせていると鍵が開く音がなりドアが空いた。女性の看護士が入ってきた。その看護士はとても背が高く、髪を一つにまとめていた。顔は無表情で、背が高い以外に特徴がなく機械のように見えた。
「こんばんは」 看護士が言った
こんばんは、と返した。夜だったのか。
「突然の事でとても混乱していると思われます。あなたの病気について説明させていただきます。」
頷き、話の続きを待った。
「申し遅れました。私は絵柄志(えがらし)といいます。これから病気の説明を行いますが、罹病への経緯そして病気そのものへの説明、その他の質問について全てをお答えすることは出来ません」
なんだそれは。思考が一瞬停止した。
「その理由を聞くことはできますか」僕は尋ねた。
「はい。それはあなたの患った病そのものが原因です。あなたが患った病は記憶に関するもので、『あること』が頭に思い上がると症状が現れます。その症状はとても深刻なもので普通の生活を送ることが出来なくなる損害をあなたに与えます。発症を避けるため、あなたの質問に答えることができないことがあります。あなたは情報を遮断されている状況にあります」
様々な違和感に納得がいった。窓がなかったりする理由はそこにあるのだろう。その『あること』思い出したらどうなるのだろう。その症状について質問しようとしたが具体的な説明がされない以上答えられない質問だと察した。
「既にお気づきだと思いますが、あなたの記憶は消されています。それは『あること』を思い起こさないためになされた処置で、御家族の同意の元行われました。」
覚えていない家族に憤りを感じたが、彼らの立場になりやるせなくなった。
「以上で説明は終了です。なにか質問ございますか。答えられる範囲でお答えします」
自分は恐る恐る聞いた。
「治る見込みはありますか」
「今のところ不明です。」
黙るしかなかった。しばらく黙っていた。
「何かございましたらこちらから伺います。それでは失礼します」
無機質に絵柄志さんは病室を去っていった。
1人になって様々な考えが頭を交差した。
発症したら自分は死ぬのだろうか?『あること』ってなに?自分自身でその『あること』にたどり着いてしまったら?じゃあ考えるということ自体がタブー?
これからどうすればいい?
自分は自分の置かれた状況に絶望した。
自由とは、いまよりも大きな
「不自由の檻」に入ることだと思う。
今まで出来なかったことが
出来るようになった。
でも、それが増えすぎたり、
庭が広すぎると、
何をしていいかわからなくなる。
或いは、出来てたことがやりづらくなる。
病室
手術が終わり、入院1日目の夜。
気分が悪くなり、目が覚めてしまった。暗い病室の天井。
病院の夜は少し怖い。段々天井の模様が、得体の知れないモノに見えてきた気がする。
何も考えないようにしていると、手術痕に痛みが走る。
どうすることもできないので、強く目を瞑って寝ようとした時だ――
誰かに足を引っ張られた。下に向かって引っ張られるかのように。
怖くて目が開けられなかったし、確認をしたくもなかった。
ずりずりと下に引っ張られる感覚。でも、ベットから落ちる感じはない。
だが、ずっと引っ張られている。ずりずり、ずりずり、ずりずりと。
薄目を開けようと思ったが、やっぱり怖い。見たくないものを見る羽目になるのは嫌だ。
助けを呼ぼうと思っても、体が言うこと聞かない。――金縛りだ。
このまま、朝を来るのを待とうと思っていたが、ふとあることに気がついた。
「あ、ここの病院、初めて入院するから案内してほしいかも。お願いできますか……?」
小声でそう言った。すると、足が軽くなり、体も軽くなった。
少し周囲に警戒しながら、ゆっくりと上半身を起こした。
「……案内するのは嫌なのね」
思わず苦笑してしまった。あんだけ、アピールがあったのに。
「しばらく、入院が続くと思うけど、よろしくお願いします」
また小声で言った。次の日以降、金縛りも足を引っ張られることもなかった――
認めてくれたのだろうか?それとも――
病室
はぁ、とついたため息が静かすぎる空間に響く。
汚れなんて知らないような白さに囲まれて、少しだけ消毒の匂いがした。
ホームシックのような寂しさと取り残されたような恐怖感。
もう何年もいるような気がするのに、まるで昨日来たかのように頭の中が霞がかっていて。
あれ、待って。なんでここにいるんだっけ。