『時を告げる』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
時を告げる
いなくなるときを
それは嫌だ
今を最高にしたい
「時を告げる」とかけまして
「ビャンビャンメンのビャン」と解きます。
その心は「何時だ/難字だ」。
時を告げる
時を告げる
鐘が
鳴る
もう少し
このままで
いさせて
きっと
会える
信じてる
なな🐶
2024年9月6日2077
時
告白
恋
透明な君に
「好き」
と
伝えられなくて
今日もまた
自分と密会。
-開演5分前-
舞台は完成した。後は役者が各々持ち場に向かうだけ。
私は開演から舞台に立つから、定位置であるカウンターの椅子に座る。
設定は、とある喫茶店。主役である店主やその常連客の日常を中心とした、笑いあり涙ありの物語だ。常連客は学生やおじいさん、サラリーマンやカップル等いる。一見、変わり映えのない役柄だが、それぞれ不満や悩みを抱えており、それを店主達と解決させるという内容だ。
私の役は、近くの大学に通う二年生。将来のことに漠然と不安を感じながらも、遊びに夢中になり始めた普通の大学生。喫茶店には開店から夕方まで入り浸るくらい、雰囲気が性に合う...という設定だ。
-開演直前-
開演のベルと共にアナウンスが流れる。いよいよだ。舞台が暗くなる中、頭をカウンターに伏せた。視線の先には袖で待機している役者や裏方が見える。と、店主役の先輩と目が合い、何か口パクで伝えた。暗くてはっきりと分からなかったが、あの先輩のことだろう。「結衣ちゃん、ガチで寝るんじゃないぞ(笑)」と言ったに違いない。『結衣』は私の役名だ。私は、その言葉に返事するように微笑みながら目を瞑った。
再度、ベルが鳴る。幕が上がり、舞台が灯りを灯す。
開演だ。
硝子の靴
鏡よ、鏡。
今の私は、醜いですか??
無料くりに、笑顔を作ってみた。ゾンビのメークのたまの私だ。
想先生が、私のことをカワイイと、言ってくれた。
でも、想先生が隣に座られた時に、身体は、小さく震えていた。『怖い〜😱』と。
ドラキュラの想先生の瞳は、朱く開いていた。
夏音ちゃんや木田君やひなたちゃんや、高橋君が、が私のことを庇ってくれた。
想先生は、あの時、何を考えていたのですか??
あんずは、想先生のことを大切に想っていました……。
白いワンピースに、青白メークして私なりに、やり過ぎぐらいを楽しんだ。
鏡の私と、何時もの私じゃない私を、笑いながらメークひたり、ゾンビ風が話しするとこんな感じかな〜wwwなんて、
レッスンもした。
ゾンビの私はあくまでも、ゾンビなのだ。
想先生、何を考えていたのですか??自問自答の繰り返しだ。
佐々木苺さんと想先生の写真も、ちゃんと飾ってあったのに……。
シクシク、なんだか、悲しいくて、涙が溢れてきた。
今は、無理くりに、笑顔なんて作らないから……。
私は、洗顔フォームでの泡で、頑張ってゾンビメークをしたけれども、このまま腐る理由にはいかにいから。
メークを洗顔で、落とすことにしたの。
左眼の涙袋の傷が、鈍く疼いた。
ーー、忘れたら、ダメなことを。
ゾンビメークして、みんなと楽しく、Summerhalloweenを楽しめたのも、あの時、私は、大変だったけれども、頑張ったからなんだ。
ゾンビメークが半分落ちた、泡の洗顔のまま、私はもう一度、鏡を見た。
痛手のある、左眼の方が洗顔フォームが沁みる。
これが、現実なんだ。
私、しっかりしなくちゃ。
洗顔を落として、ゾンビじゃない私は、もう一度上手く笑えていりか理解らないけれども、笑ってみたの。
ゾン100の主人公じゃないけれども、私もせっかく、生きているのだから目標を作ってみよう♫♫♫
出来るだけ、いっぱいいっぱいに〜⭐⭐⭐⭐⭐!!
硝子の靴なんていらないからネ(#^.^#)♫✨終わり
「時を告げる」
日が暮れた。夜、10時。
広い空を見上げる。周りには人工物である建物が永遠と並んでいて。
何もない空には澄まし顔で鳥が飛んでいて。
月が見えた。ただひたすら空を明るく照らしている。
この空には、何があるのだろうな。
そんなことを、思った。
「時」とはなんだろうか。
好きなことはすぐ過ぎているような気がして。嫌なことはゆっくりと過ぎる気がする。
けれど、本当は一つひとつ的確に、同じ配分で過ぎているもので。
いつも変わらない存在だ。
僕とは違って。
君がいなくなった頃から、僕の時間は止まってしまった。
なにも楽しくなくて。いつも時間の過ぎかたはゆっくりで。
歩く速度すら変わった気がする。
それは、どこかに行ったところで変わらなくて。
遊園地に行ったって、テーマに行ったって、そのとなりに君がいない。
どれだけ楽しくたって、それに気づいた瞬間、落胆する。
そう思っているときにも、時間は過ぎていって。
今日は月食だそうだ。今年最大範囲の、月食。
それを、少し見てみたかった。本当は、君と一緒に。
風が吹く。秋初めの空は涼しくて。
ゆっくりと、しかし意図も簡単に時間は過ぎていく。
緩い太陽の起動のなか、影が伸びていった。
地平線が見えない町中で、静かな空を眺めていた。
太陽は誰を見ることもなく、遥か彼方に消えていく。誰かに何かを残すことなく。まるで、君のように。
でも。それは、明日また見えるよという合図で。示しで。
僕もそれがほしい。そう思う。
僕は、また、会いたいんだな。と今さらのように気付く。
でも、その願いは叶わないことを知ってしまっていた。
ゆっくりと人影は伸び、建物の影に隠されていく。
誰もいない場所に、僕は呆然と立ち尽くしていた。ただ、一人で。
何も感じなかった。空はさっきと違う、赤とオレンジで入り交じっていて。
それは、もどかしいほどに、綺麗な色をしていた。
君は今どうしているのだろうか。
君の姿はもう、見ることができない。そんなことは、分かっていた。
でも。だけど。
時は止まってしまった。また、君に会いたいと、心から叫んでいる。
静かに月が沈んでいく。頭が活動を中止して、綺麗なそれを見つめてしまう。
月は肉眼で見るだけでも綺麗で。
黄色にぼやけたそれが、だんだんと赤く、染まっていく。それは月が地球の陰にはいったことを示していた。
赤くなりながら、月はゆっくりと欠けていく。時は普段よりも早まって。
それでも、頭の片隅には、隣に一つの人影が欲しいと願っていた。
微かに星が見える。月の飾りのように空をちりばめていて。
だんだんと月の赤さは薄まっていく。半月のように欠けていたそれも、元通りの大きさに戻っていく。
ボーン。そう、鐘が鳴った。12時に鳴った。
それを聞いて、ただ驚いた。
「どこから鳴っているんだろう」「なんで鳴っているんだろう」そんなことでもなく、ただ時間が経っていることに驚いた。
君がいなくなってから、こんなにも早く時間が過ぎていたことがあっただろうか。不思議な感じが心を渦巻いていた。
君を忘れたことがない。この一瞬たりとも。
でも、僕はあの瞬間だけ、君のことを思い出さず、そこに集中していた。
それは、どうしてなのだろうか。分からなかった。
時を告げたように、鳥が鳴いた。
時を告げる。
今日は街に待った卒業の日。
成績1位のあの子も
運動神経抜群なあの子も
給食たくさん食べるあの子も
モテモテなあの子も
今日でみんなお別れの日。
「また明日」ができなくなる
でもまたいつか逢えるように
私は別れ際「またね」
そう言った。
子供の頃、お盆のころになると祖父母の家に一週間ほど泊まりがけて行くのが私の家族の毎年の行事でした。母方のいとこたちもちょうどその頃遊びに来ていて、みんなでわいわいボードゲームをしたり、近くのプールへ行ったり、夜は庭で花火をしたり、とても楽しかったのですが、私には唯一怖いものがありました。
それは居間にあった鳩時計。1時、2時、とぴったりの時間になるとぽっぽーという音とともに小屋に見立てた箱から鳩が飛び出して時をつげる、あれです。あの鳩そのものは可愛らしく、怖いというわけではありません。じゃあ何が怖かったのかというと、夜中にその鳩が鳴くのが怖かったのです。
私はもともと神経質な性格で、自宅ではないところではなかなか寝付くことができませんでした。夜、いとこたち、私と姉の布団を祖母が並べて敷いてくれた10畳の広い部屋はまるで林間学校のようでした。寝静まるまでは枕投げをしたりして大騒ぎですが、そのうち年下の子たちがひとりふたりと寝落ちしてゆき、最後はいつの間にか皆が寝てしまいます。さっきまでの騒ぎが嘘のように静まりかえった空間に私はひとり取り残され、目を瞑っても一向に眠れないまま、皆が立てる寝息を聞いているのです。だんだん眠れないことに焦ってきて、涙が出そうになったころ、追い討ちをかけるように聞こえてくるのが、居間の鳩時計の音です。時が過ぎたのを音で知らせてくれるのは、時に残酷です。ああ、あれから1時間たってしまった。このまま眠れなかったらどうしよう。そう焦れば焦るほど心臓がどきどきして眠気は遠ざかっていきます。
しかしそのうち、久しぶりに祖母に会い、夜更けまで話し込んでいた母が端っこに敷かれた布団に入る気配がして、私は泣きそうな気持ちを堪えながら、そこに潜り込みます。母は私が布団に入れるように身体を寄せて、掛け布団を開けてくれます。
そうしてようやく私は安心して眠れるのです。
お盆の時期になると、あの鳩時計と、母の温もりを今も思い出します。
【40,お題:時を告げる】
朝焼け前の薄暗い空気の中、小柄な少年が塔を登っていた
まだ肌寒い季節、茶色のローブを羽織って一歩一歩と踏みしめながら
石の階段を上がっていく
塔の上に付く頃には、辺りは明るくなり
東の空から太陽が覗き始めていた
ちょうどいい時間だな
少年は、太いロープを小さな両手で握り締め、思い切り打ち鳴らした
ゴーン...ゴーン...ゴーン...ゴーン...
その音は、夜明けの森に 街に 海に 空に 高らかに鳴り響いた
その音で人々は目を覚まし、動物達は歌を歌う 風は踊り 海は波音を響かせた
澄んだ朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで深呼吸をする
ザァァッと風が頬を撫でていった
鐘を打ち鳴らして、時を告げる少年は
次の鐘の時間まで、塔の奥に消えていった。
少し前まで美味しいと思っていたものが、なんとなく違う味に感じて、あの時の私から一定の時がたったのを感じた。
それは、美味しいものをたくさん食べて、美味しい時間をたくさん過ごした中で、少しずつ"一番"が更新されて来た証拠なのだ。
嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
ずっと続くと思っていたけれど、あっさりと、次々に、その日は過ぎてしまうし、思い出も味も蓄積されてゆく。
大好きは大好きのままでいたいけれど、いつまでも思い出に閉じこもることはできなくて、味も、人も、私自身も、未来の懐かしさの中で生きているのだと思う。
それでも、やっぱり好きなものは好きでいたい。好きでいるための努力をしたい。
素敵な白髪のおばあさんになった時に、またこの味を美味しいと思えるように。
-時を告げる-
時を告げるものは沢山ある。
腹時計、スマートフォン、アナログ時計に腕時計。
それとチャイム。
チャイムが鳴り始める時刻はとうに過ぎた。
なのに俺は未だ家にいる。
体調が悪い訳では無いし、何かがある訳でもない。
ただ、行く気になれなかっただけ。
ベッドでスマホを触りながら今日一日のことを考える。
学校に行きたいとは思わない。でも、最近頑張れてないから、テストを理由に頑張りたいと思う。
なのに、上手く頑張れない。
まだ逃げ癖は治っていない。
天井を眺めた。
朝の支度をしてからもう一度考えよう。
二十分が過ぎていた。
時を告げる
ついにこの日がやってきた
平常心を装っても
きっと涙は止まってくれないだろう
ただただ君の幸せを願っている
心の中で何度も伝える
いろんなことが思い出されるが
どれも私の自慢話だ
親バカの私のもとから巣立つあなたへ
祝福の時を告げる鐘が鳴る
「少しだけ」
祈ってみても
いいだろうか
横断歩道で帽子を落とし
拾ってくれた
優しい人へ
見知らぬ私の拙いうたに
いいねをくれた
優しい人へ
朝から元気に溌剌と
笑顔をくれる
優しい人へ
祈ってみても
いいだろうか
どうか今日の一日が
素晴らしい日になりますように
ほんのひと匙その中に
ありがとうの気持ちを添えて
祈ってみても
いいだろうか
あなたの笑顔が増えますように
時を告げる
私はあの時なんか止まって欲しかった
ずっとあの時が良かった
「時を告げる」
この街には大きな時計台がある。
100年以上も前から人々に時間を教えるためにそこにある。
この時計は、多くの人々の人生や選択を見てきたのだ。
もしかしたら自分と同じような人もいたかもしれない。
その人はどんな選択をしたのだろうか。
最後は、この場所がいい。
ええ、そうね。まどろみの時間はここまで。鐘の音が聞こえたのなら私たちは朝を迎えなければならない。耳を塞ごうとも、霧に身を隠そうとも、その時は誰しも平等に訪れる。
私にとっては終わりの朝。あなたにとっては……ああ、いえ。答えなくていいのよ。日中の過ごし方は私たちの間には関係ないものね。もう一寝入りするならご自由に。私は帰らせてもらうわ……区切りをうやむやにするのは一番よくないから、ね。
ふふ。ねえ、かわいいひと。もう一度って思ってくれるなら、それは夜の鐘が鳴る頃に。始まりを告げる音が響いて、下りた帳が何もかもを隠してしまう時に。また私を買ってちょうだいね。
鐘がある時を告げた。
誰もが幸せの鐘だと迷いなく思っていた。
でも彼女だけが違った。
彼女は、膝から崩れ落ち、顔を俯かせ、泣き叫んだ。
彼女の両手は祈りを捧げるように組んでいた。
しかし、その叫びは誰にも届かない。
決して、誰にも届かなかった。
──これは地球が終わる3秒前のお話。
■テーマ:時を告げる
【時を告げる】
カチ…カチ…と忙しなく時を告げる時計は今日も動いている。
今日もアラームで起きてすぐに仕事に行く準備をする
毎日何も変わらない毎日に生きている
だけど私達は
未来へ一歩一歩歩いていく・・・
お題「私の日記帳」
世界は、優しくなった。
優しくなったから、他人の不幸に共感しすぎる人が増えた。共感しすぎて、だから自分も悲しくなって。 悲しくなると、死にたくなってしまうから。優しい世界は、たくさんの人を簡単に死なせてしまった。
けれど優しくない世界では、自分自身に悲しいことが多すぎて、やっぱり死にたくなってしまうから。
優しい世界でも、優しくない世界でも、人は簡単に死んでしまう。
だから、人を簡単に死なせてしまう“気持ち”や“感情”を表に発信しないように、自分だけの日記をつける義務が生まれた。
しっかりとした文章でなくてもいい。一行でも、一言でも。もちろん長文でも。
とにかく一日一回、自分の“想い”を日記に書くことが義務となった。
けれど、日記を書いたからといって“想い”が無くなるわけではない。
表には出なくなっただけで、“想い”はずっと、日記帳のなかにあった。ずっとそこに、仕舞い込まれていた。
人が人に優しくなった世界で。優しい人を巻き込まないようにと、優しい人たちが日記帳だけに留めた想い。
そこには嬉しいことや幸せなこともあれば、悲しいことや辛いことも書かれていた。
そうして、やっぱり人は、悲しいことや辛いことに弱いから。後悔したこと、失敗したこと、間違えたこと、悔しかったこと、嫌だったこと……。
日記をつけても、負の感情は結局、人を簡単に死なせてしまうことに変わりはなかった。
自分だけの日記帳ができ、余計に自分の“想い”を自覚しやすくなった分、尚更だ。
いつでも手元にあり、一日一回は開くことになる日記帳は、読み返して過去を回想する手段になりやすい。
今日の記録を書くついでに読み返して、そこで自分の人生のプラスとマイナスを自覚してしまう。
自分の人生で良いことはこれだけしかない。それに比べて、悪いことはこんなにあった。どれだけ努力しても無駄だった。報われてなんかいない。自分の人生は、一体何なのだろう……。
そう思い始めてしまえば、人は衝動的に、簡単に死んでしまう。
そうすると、遺された人は整理がつかない。
自分の“気持ち”や“感情”を表に発信しないための日記帳のなかだけで完結されてしまったら、もう何も分からないから。
だから、いつしか日記帳には、もう一つの役割が出来た。
――あなたの日記帳に、自分の素直な“想い”を書き記してください。人生の終幕を自分で引くとき、日記帳の最後にENDと記してください。
書く内容も書き方も自由なままで、やることは変わらない。変わったのは、今までは誰にも読まれない日記帳だったのが、誰かに読まれる可能性も生まれたこと。
それから、人生の締め括りを自分でやりなさい、ということ。
何故なら相変わらず、人は簡単に死んでしまう。
悲しいこと、辛いこと、嫌なこと。負の感情は、人を簡単に死なせてしまうことに変わりはない。
そんな風に簡単に、衝動的に、突然いなくなられては、遺された人は整理がつかない。そこで、身近な人の最期には、“想い”の遺った日記帳を開示することにした。
生前に日記で“想い”を遺し、ENDの文字で望んで幕を引いたのだと納得してもらう。
そうすれば、分からないことに思い悩んで死んでしまう、負の連鎖を断ち切れる筈だ。
断ち切れると、思っていたけれど。
結局、表に出た日記帳のなかの“想い”を優しい人が受け取って、悲しくなって、死んでしまう。
なら、どうすれば良かったのか。
誰にも見せない日記帳のままが良かったのか。そもそも日記を書く義務を作ったのが間違いだったのか。いっそ、冷たい世界の方が良かったのだろうか。
あぁ、もう、考えるのも疲れてしまった。
―END―