桜河 夜御

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お題「私の日記帳」 
 
 世界は、優しくなった。
 優しくなったから、他人の不幸に共感しすぎる人が増えた。共感しすぎて、だから自分も悲しくなって。 悲しくなると、死にたくなってしまうから。優しい世界は、たくさんの人を簡単に死なせてしまった。
 けれど優しくない世界では、自分自身に悲しいことが多すぎて、やっぱり死にたくなってしまうから。
 優しい世界でも、優しくない世界でも、人は簡単に死んでしまう。
 だから、人を簡単に死なせてしまう“気持ち”や“感情”を表に発信しないように、自分だけの日記をつける義務が生まれた。
 しっかりとした文章でなくてもいい。一行でも、一言でも。もちろん長文でも。
 とにかく一日一回、自分の“想い”を日記に書くことが義務となった。
 
 けれど、日記を書いたからといって“想い”が無くなるわけではない。
 表には出なくなっただけで、“想い”はずっと、日記帳のなかにあった。ずっとそこに、仕舞い込まれていた。
 人が人に優しくなった世界で。優しい人を巻き込まないようにと、優しい人たちが日記帳だけに留めた想い。
 そこには嬉しいことや幸せなこともあれば、悲しいことや辛いことも書かれていた。
 そうして、やっぱり人は、悲しいことや辛いことに弱いから。後悔したこと、失敗したこと、間違えたこと、悔しかったこと、嫌だったこと……。
 日記をつけても、負の感情は結局、人を簡単に死なせてしまうことに変わりはなかった。
 自分だけの日記帳ができ、余計に自分の“想い”を自覚しやすくなった分、尚更だ。
 いつでも手元にあり、一日一回は開くことになる日記帳は、読み返して過去を回想する手段になりやすい。
 今日の記録を書くついでに読み返して、そこで自分の人生のプラスとマイナスを自覚してしまう。
 自分の人生で良いことはこれだけしかない。それに比べて、悪いことはこんなにあった。どれだけ努力しても無駄だった。報われてなんかいない。自分の人生は、一体何なのだろう……。
 そう思い始めてしまえば、人は衝動的に、簡単に死んでしまう。
 そうすると、遺された人は整理がつかない。
 自分の“気持ち”や“感情”を表に発信しないための日記帳のなかだけで完結されてしまったら、もう何も分からないから。

 だから、いつしか日記帳には、もう一つの役割が出来た。
 ――あなたの日記帳に、自分の素直な“想い”を書き記してください。人生の終幕を自分で引くとき、日記帳の最後にENDと記してください。
 書く内容も書き方も自由なままで、やることは変わらない。変わったのは、今までは誰にも読まれない日記帳だったのが、誰かに読まれる可能性も生まれたこと。
 それから、人生の締め括りを自分でやりなさい、ということ。
 何故なら相変わらず、人は簡単に死んでしまう。
 悲しいこと、辛いこと、嫌なこと。負の感情は、人を簡単に死なせてしまうことに変わりはない。
 そんな風に簡単に、衝動的に、突然いなくなられては、遺された人は整理がつかない。そこで、身近な人の最期には、“想い”の遺った日記帳を開示することにした。
 生前に日記で“想い”を遺し、ENDの文字で望んで幕を引いたのだと納得してもらう。
 そうすれば、分からないことに思い悩んで死んでしまう、負の連鎖を断ち切れる筈だ。
 断ち切れると、思っていたけれど。
 結局、表に出た日記帳のなかの“想い”を優しい人が受け取って、悲しくなって、死んでしまう。
 なら、どうすれば良かったのか。
 誰にも見せない日記帳のままが良かったのか。そもそも日記を書く義務を作ったのが間違いだったのか。いっそ、冷たい世界の方が良かったのだろうか。
 あぁ、もう、考えるのも疲れてしまった。

                    ―END―

9/7/2023, 7:53:29 AM