『放課後』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「放課後」
中学時代、私は放課後が好きではなかった。
なぜなら、常に部活動の練習があったから。
バスケ部に所属していたが、練習が毎日しんどくてしんどくて…
正直、部活動に「よし!今日も練習頑張るぞ!」という気持ちで臨んだことはない。
始まってしまえば頑張れるのだが、始まる前は何時も憂鬱な気持ちだった。
そんな憂鬱な気持ちを助長させていたのが、 「帰りの会」。
1日の授業が終わり、解散する前に行われる10分ほどのホームルームだ。
先生が連絡事項を話している間、「この話が終わったら体育館に向かわなきゃいけない…」と本当に嫌な気持ちになるのだ。
そんな帰りの会の時間、私は斜め前の席の子の後ろ姿を眺めていた。
同じバスケ部に所属しているキャプテンである。
その子はいつも、帰りの会のときに髪の毛をポニーテールに結びなおしていた。
今から始まる部活動で、激しい動きをするため髪の毛が邪魔にならないように。
私が部活動に対してふつふつとマイナスな気持ちを募らせている間、その子は前向きに部活動に向けての準備をしているのだった。
キャプテンとは、仲が悪くは無いが、特段仲が良いというわけでもなかった。
クラス内でのグループも別だったし、趣味趣向も異なっていたから。
また、部活動ではいつも誰よりも声を出して、気丈に、弱音を吐かず、時には厳しく声をかけてチームを鼓舞していた。
完璧なキャプテンだ。
本当にすごいなと思うと同時に、彼女の言動は、私が感じている部活動に対するマイナスな気持ちとは正反対で、非常に眩しかった。私は、彼女のように常にストイックに前向きに頑張る、ということは出来なかった。それをとても後ろめたく感じていた。
そのため、楽しくお話をすることはあっても本音で話せたことはなかったように思う。
そんなこともあり、キャプテンとはなんとなく距離がある関係だった。
大人になった今、思うことがある。
帰りの会、放課後、部活動が始まる。
彼女はその時、どんな気持ちでポニーテールを結んでいたのだろう。
どれだけ完璧なキャプテンでも、当時の私と同じ、中学3年生、14歳だ。
ただでさえ練習は辛いのに、毎日周りを誰よりも鼓舞しなければならない、誰よりも声を出さなければならない。
どれほどのプレッシャーを抱えながら戦っていたんだろう。
きっと、私がいつも抱えていたような、いや、それ以上の憂鬱感を閉じ込めるように、強く、強くポニーテールを結んでいた日もあったのだろうか。
それを一番身近で見ていたのは、私じゃないか。
彼女が感じるしんどさを、こちらから感じ取ろうと思ったことがあっただろうか。
もっと、自分の憂鬱や後ろめたさを彼女に思い切って曝け出せばよかった。本音で話せばよかった!
「完璧なキャプテン」は、私が作り上げたのだ。
憂鬱の放課後を彼女と共有できていたら、また違った中学生活になったのかもしれない。
「ほうかご……!」
学校で、その日の授業が終わったあとのこと。
あるいは長編推理小説のタイトル。
前回の題目の「カーテン」もカーテンだったが、今回もまぁ、随分限定的なジャンルだことで。
某所在住物書きは、己の投稿スタイルと今回出題の題目との相性に苦悩した。
アレか。去年の3月から積み重ねてきた現代風ネタの連載方式、そのキャラで学園パロでも書けば良いのか。読み手も置いてけぼりだし書き手としても無茶振りではないか。すなわち悶々か。
「放課後のリアルな思い出、何かあったか……?」
昔々に過ぎ去った時間の、何をネタに書けるだろう。物書きは仕方なく、今回もネットに助言を求める。
――――――
最近最近の都内某所、某地元密着型のスーパー。
藤森という雪国出身者が、1日を締めくくるに相応しい割引き食材を求めて、店内を散歩している。
半額カット野菜は入手が失敗したので、2割引きの方で妥協。肉は値引き効果で外国産とほぼ同値状態の粗挽き豚肉が手に入った。 幸先が良い。
夏に大活躍した冷やし中華の醤油ダレが残っているので、あれを利用すれば、酢豚風を作れるだろう。
「タマネギが少し欲しい」
藤森はオニオンサラダが残ってやしないかと、惣菜コーナーに足を向けた。
放課後の時間帯であった。
あちらでは小学生の娘に魚の話をする父が、
そちらでは1人分の弁当を手に持つ高校生が。
老夫婦は乳製品コーナーで食べるヨーグルトと飲むヨーグルトの協議を続けている。
惣菜コーナーからチラリ見える酒の売り場では、
「……小学生?」
青いスクールキャップをかぶり、黒地に紺色ラインのランドセルを背負った女児が、
あどけない顔に葛藤のシワを寄せて、背伸びなり、しゃがむなり。ツマミの棚を凝視している。
放課後の時間帯である。
最近はネットにより、年齢不相応の知識を得た未成年も多いので、「酒コーナーにもお菓子、おやつがある」と学習して潜入したのかもしれない。
「時代の弊害というべきか、功績というべきか」
まぁ、美味いのは確実だろうよ。今の児童生徒は昔以上に濃い味に順応・適応しているから。
近くに小学生の親が居るだろうと推理した藤森。
きっと彼等がこの小学生を探しているだろうと、
周囲を見渡して、
そのスキに、
例の女児が、女児の声で、
「辛口には塩っ気を合わせてぇけどなァ……」
女児にあるまじき言葉を発するのを聞いた。
「チキショウ。ここのオリジナルブランドはなんでアタリとハズレが激しいんだ」
何がどうなっているのだろう。
「柿ピーはピーが美味かった。七味入りのアレンジであの味は企業努力に違いねぇ」
目が点でポカンの藤森。社会のトレンドに詳しい己の後輩に、識者としての見解をチャットで求める。
『最近の子供は、酒のツマミに詳しいのか』
秒で既読と返信が付き、後輩が言うことには、
『 ゚Д゚)ナニソレ?』
「だが塩なんだ。食いてぇのは、塩なんだよ……」
放課後タイムと思しき小学生の呑んべぇは続く。
「おっ!しめた。ササミジャーキーじゃねぇか!」
再三、明示する。放課後の時間帯である。
小学生が地元スーパーに来るのはおかしいことではなく、アルコールの商品棚を探検するのもあり得るシチュエーションである。
「へへへ。こいつぁ買い占めも、やぶさかでは」
そのシチュエーションで、この状況は一体全体、どのSNSや動画アプリから、どのような経緯で、どういう情報を吸収した結果として成立しているのか。
藤森の目の点は継続中。開いた口も塞がらない。
女児の近くを、店員が通った。
「ねぇ店員さん、店員さん!」
途端、口調が「放課後の小学生らしい」ものに変わる。表情も完全に明るい未成年そのものだ。
「ママから、シオッケオーイオツマミ、頼まれたの!おいしーの、どれですか!」
藤森は軽いめまいを感じた。
何が、どうなっているのだろう。
「ダメだ。多分、私が疲れているだけだ」
見ていない。何も、ミテイナイ。
惣菜コーナーでオニオンサラダを淡々とピックアップして、立ち去る藤森。
振り返ると小学生の隣に、いつの間にか見知った女性が、すなわち稲荷神社近くに茶っ葉屋を出している女店主が、静かに寄り添っている。
女店主と、目が合った。彼女は藤森に静かにほほえみ、唇の両端を吊り上げた。
小学生が「誰」であったのかは不明のままである。
【放課後】
学校が終わると友達と帰宅する。そして部活へ向かう。2時間後、部活が終わり第2の帰宅が来る。先輩と友達と私3人で話しながら楽しい時間を過ごす。家へ着くとスマホを持ちゲームをする。そしてご飯を食べ寝る。たまに、ゲームなのでオールをすることもある。私の"放課後"ライフはこんな感じだ。
「偉いね」
背後から頭上に通る声
何も言えないのは何でだろう
私がもっと言葉を沢山持ってたら
沢山持っていなくても
私がもっと喋れたら
何か変わってただろうか
手を止めずに
だた白い紙の上を滑らせて
何も気付かないふうを装って
この時が過ぎるのをただ願った
窓際から外を見て振り返り
こっちを少しみていたようなあなたが
教室から出ていった
「はぁ…」
何かされるわけでもないのに
期待されてると思うだけでぞっとする
放課後は部活、委員会
またそれぞれのやるべき事へと進んでいく
私はあの頃、何を楽しみにしていたんだろう
放課後、何をしていたんだろう
思い出そうとすればするほど、思い出せない
あの放課後の日々
放課後君に会いに行く片道30分かけて
君に会えた瞬間嬉しくて君を抱き寄せた
君は恥ずかしそうにして笑みを浮かべた
可愛すぎだろ 俺は思わず微笑んでしまった
俺にとって君は1番で自慢の彼女だ
→中学校時代
授業が終わって、何となく居残って友人たちとダラダラ話す。人の少なくなった教室に、大笑いをばら撒いて。
どんな話だったかな? 細かい内容は覚えていない。内輪話だったと思う。仲間だけで作り上げた世界観を共有して笑い転げ、時に憤慨して。何の衒いもなく真っ直ぐに、希望と理想に輝く視野で正義と仁義とユーモアを元手に結束していた。飽きることなく、疲れることなく、あの熱量を懐かしく感じる。
クーラーなんてなかった時代。夏場は汗に構うことなく、タオル片手に大笑い。鋭く入り込む西日や寒さなど物ともせず冬の日々。
仕方なく、そろそろ帰ろうかと暗黙の了解で立ち上がる。
あの頃の私たちにとって、放課後は無敵時間だった。
テーマ; 放課後
放課後、あまり過ごした記憶が無い
ただ、あの淡い記憶の中で、楽しいと言う記憶ははっきりしている気がする
(2024/10/13 12:24:19)お題:放課後
放課後、今が未来だった頃に海に行き星を見たあの時間は忘れられない。
学校が終わったらまっすぐ家に帰る。
当たり前だと思っていたけれど、
帰りたいと思える場所があることは
すごく幸せなことだったんだ。
「放課後」
点呼を終えトイレへ駆け込めば、同じことを考える同期たちで溢れかえっている。起床ラッパの吹鳴から二分以内に集合と整列を終えて点呼の用意が出来ていなければならず、朝はとにかく忙しない。消灯後は基本的にはトイレに行くことなどは許されず、どうしても我慢ができない時は静かにこっそりと隠れて駆け込んだ。見つかれば叱られる為、我慢をすることになるが朝は早くから班長達が動いているから身動きが取れない。そのために点呼の後にトイレへと急ぐのだが、混雑しているトイレにダムの決壊のサイレンに焦る自分と闘わなければならない。
各班事に舎前に整列して食堂へ早足行進を行うと、部隊の先輩方が挨拶をしてくれる。元気な人や眠そうな人、低血圧なのか倒れそうな人もいるが皆食堂入口から連なる列に並んで様々に会話を始める。私たちもまた、午前の稼業の話をして気持ちを高めて心の用意をしていた。
朝は食の細い私も陸上自衛隊に入隊してからは大食らいに変わっており、高校時分に野球部だった同期は私の倍以上の米を平らげる。おかわりはできないが、最初に装うときに食べたい分だけ盛り付けて席に座るが、食べ残しは禁止なのは言うまでもない。調子に乗って山盛りにした同期は苦しそうにしている。食事を終えて食器を返却すれば、ベッドメイクや課業の準備のために営内へ戻る。
平日は何も無い限りは「揚げ床」と呼ばれる状態、つまり全てを規定の畳み方と重ね方で仕上げる。そして、いま一度身なりを整えて雑嚢に必要なものを入れて班員同士、ベッドバディ同士で確認を行う。0750 ( 07時50分 ) に区隊全員で舎前に集合すれば、総数は凡そ三十名にもなるが課業によっては別区隊との合班になるので六十名程になる。引率学生(または引率班長)が号令を掛け、足を揃えて行進する。
この日、午前の課業は第二キャンブの第二教場で座学と小銃の分結 (分解結合) の予定になっているため、暫く歩くのだが途中で区隊長が声を挙げる。朝から元気に行くぞと、駆け足を行うという。担え銃(になえつつ) から控え銃 (ひかえつつ) へ体制を切り替えれば駆け足の号令が響く。「いち、いち、いちに。いち、いち、いちに。歩調数え! いちにさんしごろくしちはち」 区隊長の掛け声に応えながら食後の重い腹に苦しみながら走り続ける。
昼の食事ラッパが鳴ると少し安堵するのは皆同じなのだろうか、表情が明るくなる。しかし、この日は普段なら笑顔の同期が顔を引き攣らせている。無理もない、顔を引き攣らせているのは入隊前に野球部の活動で膝を痛めている。そして、午後の課業は全て戦闘訓練。気持ちが暗くなってしまうのも頷けるが、私は彼に励ましの声をかけて背中を叩いた。
辛い、しんどい、水が欲しい。出発点から順に第一から第五堆土(たいど) が盛られており、第一堆土までは第一匍匐(ほふく)による前進を行う。そして、堆土を追う毎に匍匐姿勢も変化する。第五堆土までたどり着くと照門を起こして、セレクターを「ア(安全装置の意)」から「タ(単発の意)」に切り替える。そして、「一班、目標前方サンマルの稜線の散兵。突撃イチ、射撃はじめ!」の号令と共に「バンッ!」と大きな声を発する。続いて、「一班、打ち方やめ。突撃二、稜線へ走り散兵を各個に刺突撃破!」と、突撃の号令で皆と一斉に全力で走り、的(てき、まと)に銃剣を突き立て、前蹴りを入れる(実際にはその振りを行う)。
本来は突撃までが一連の流れだったため、駆け足で引き返して原点(前進行動開始地点)に整列するが区隊長の思いつきで戦闘訓練場は地獄と化していた。突撃を終えた地点から原点まで第五匍匐による前進を行うことになり、八十メートル以上を腕の力だけで戻る拷問を受ける。区隊長の声掛けに返事をすれば草や土が口の中に入るのも辛いが、何よりも匍匐前進を繰り返し行えどまるで進んでいる気がしないのだ。
戦闘訓練開始から二時間、一度全員に集合がかけられた。「休憩したいものはいるか」との区隊長の声に程よく手を抜いて楽ができている者や、部活のノリでおちゃらけている者は「なし!」と答える。周りを見れば私を含めて半数は休憩をしたいと考えていた為、「なし!」の声に困惑する。もちろん、班長方や区隊付きや区隊長方もこれに気づき怒号に喉を震わせる。発する言葉は、「お前らは周りも見ず、自分らのことしか考えんのか! 周りを見てみろ、半数以上は真面目に取り組んで真剣に全身全霊で望んどるんど。抜けるところも抜かず、自衛官として必死に励んどるんぞ。恥を知れ!」といったもので、その怒気に全員が緊張に身体を固くした。結局、私を含め半数の同意の元に休憩はなしとなった。しかし、私たち半数は個別に小休止を各自の判断で行って良しとの指示を受けたため全力で行って帰ってきては一息ついてを繰り返した。
日中こそ暑さを感じ初めるも、朝晩はまだまだ冷え込んでいる。夕方になり時折吹く風に肌寒さを感じながら、早足更新で武器格納庫へ戻ったときには正に満身創痍だった。武器の格納を無事に終えた面々の目の前で、格納時(返却時)に不備のあった者がペナルティとしての腕立て伏せをしている。
全員の格納が終わると、武器格納庫の前で解散し各班事に別れてそれぞれの行動に移った。私の班は一度営内にもどり、ジャー戦(B2装、迷彩作業帽と迷彩服、下はジャージ)に着替え食堂に向かった。朝と昼はがっついて食事を摂ったが、夕食は少なめにしている。これは私だけでなく、この後に私と行動を共にする同期十六名全員だ。
ジャージとスポーツキャップ、履きなれたランニングシューズで準備運動を行い、次いでサーキットトレーニングを実施した。息を整え、二列縦隊になり1名が列外にて号令 を行い、毎日恒例の二十キロ走が始まった。この二十キロ走は、最初からこの距離では無かった。当初はとりあえず十キロほど走ろうかと志し同じくする同期二人と始めたもので、次第に参加させて欲しいと同士が増えていった結果、全員の練度も向上し、併せて走る距離も伸びていった。
二十キロまでは全員で徐々にペースを上げながら走り込む、それ以降は各自別れて好きなだけ走る。しかし、結局また合流して掛け声なしで走り抜ける。仕上げにもう一度サーキットトレーニングを行えば終わりだ。二十キロ走と、個別のランニングで日々の走行距離は二十五キロほどになる。
営内に戻り着替えを済ませ、隊員浴場で汗を流し一日の疲れを癒す。体力錬成に時間を使うため、私たちの時間は限られているが部隊の先輩や仲の良い同期と他愛のない話に浸れること時間は平日の唯一の娯楽だ。部隊の先輩には同じ連隊に、同じ小隊に来てくれとお誘いを受け、中隊事務のゴリラ一尉(私がそう呼んで慕っていた幹部、ボディビル部)は熱烈な勧誘を受ける。ときに小突き会いながら無邪気に笑い合えるこの空間が何よりも好きだった。
営内に戻ると、清掃やプレス(アイロンを強くかけてシワを取り、折り目をつけメリハリを付けること)
を行い半長靴の手入れを済ませる。夜の点呼もあるからとにかく忙しない 。夜の点呼はいろいろ事件が起こるもので、一日の中で特に緊張する。ある時はたった一人のミスで凡そ百二十名が雨降るなか筆たて伏せを延々と課された。もちろん一人のミスであれど、その一人の責任では無い。周囲が情報共有やフォローを行わなかった、つめりはそれぞれの監督不行届によって招いた結果だ。そういうことも起こり得るのが夜の点呼だから、何も起こりませんようにといつも願っていた。
点呼の後は消灯まで、思い思いにのんびりと自由な時間を満喫していた。ベッドでゴロゴロしながら漫画を読む者や、テレビを見て笑い転げる者。私は年長者の同期と一日の振り返りをするのが日課で、この日も反省すべきところ、良かったところを出し合って励ましあった。
ベッドに入り、消灯ラッパを聴くと一日の終わりを実感して眠気が襲ってきた。また明日も頑張ろう、明日の課業はほぼ全てが座学だから居眠りをしないようにしないといけない。気を引き締めよう。
一般曹候補生で自衛官の道を歩き始めた私は、前期教育隊でこのように過ごした。学校の思い出はいいものがあまりない、正確には自分に自信が無いからか思い返してみても語れる話がない。
自衛官として過ごした時間は長くはなかった、病気によって夢を、道を絶たれ絶望の縁に立たされ投げやりになったこともあった。けれど、自衛隊生活の中でも前期教育隊は思い出が詰まっていて思入れも深い。二十キロ走を毎日頑張っていたが、たまに違うことにも全力だった。
課業終了して、食事を終えて同期たちと営庭に集合。中隊事務所に声をかけて借りてきたバットやクラブ、そしてソフトボール。たまにこうして課業終了後は別々に行動する同期たちも全力で遊んでいたが、部隊の先輩方が混ざってくれることも嬉しかった。学生生活では感じられなかったもの全てが、前期教育隊に詰まっていた。課業終了後、それは学校生活でいうところの放課後といえるだろうか。私にとっての唯一の暖かく幸せな時間の記憶だ。
高校のころ。
バンド練習前にぼんやり校庭をながめていた時に、陸上部の顧問が水撒きしている風景を覚えている。夕焼けの、赤い景色だった。
熊谷市出身で、小さい男の子が二人いるパパ先生。
高校卒業して割とすぐに、病気で亡くなったって聞いた。
不思議と真っ先に思い浮かんだのは、残された幼い子どもたちのことだった。
赤い景色に立ったあの影を、彼らは一生知らないのかと思うと、巡り合わせの過酷さを痛感する。
【放課後】
放課後 (執筆途中)
私が死んで、妖怪になるとしたら、おそらく放課後女とか放課後ばばあになるだろう。
そのくらい私の「放課後」に対する執着心は凄まじい。
「放課後」とは、すべての学生が手に入れられるものではない。この3文字には、あらゆる物事が詰まっている。大人がギラギラと煩悩とよだれをむき出しに欲している「青春」とは、言い換えれば「放課後」そのものではないのかと思ったりする。
放課後には、色んなことができる。
部活やら、文化祭の準備やら、勉強もできれば恋愛もできる。放課後には無限の可能性と価値があるのだ。
私がなぜこの放課後に執着しているのか。
それは、私はこの放課後を手にすることができなかったからだ。
みんなで校庭で遊んでいると、スピーカーから音楽が流れ始めた。
~♪~~♪
聞きなれた曲。
放課後の終わりを知らせる曲だ。
みんなで荷物をとりにいき、手を振って別れる。
そこで忘れ物に気がついた。
1人で学校に戻り、階段をのぼった。
誰もいなくて、踊り場の窓から夕日が差し込んでいる。
教室に着くと、そこには誰かいた。
「誰だろ、」
と呟いてドアから覗き込む。
「、!」
それは私が片思いしている相手だった。
なぜか、私の机になにか入れている。
??
不思議に思ったが、はちあわせたくなかったので忘れ物は取らずに帰った。
翌日。
昨日私の机に何を入れていたのかが気になり、いつもより早めに学校にいく。
少しわくわくしながら机の中に手を入れると、それは封筒だった。
封筒、?
封筒をあけて中身を取り出すと、それは1枚の紙だった。可愛いキャラクターが端っこにデザインされている、子供っぽい手紙。
放課後に、ここで話したいことがあるんだ
手紙にはそう書かれていた。
放課後
(本稿を下書きとして保管)
2024.10.12 藍
オレンジ色の光が差しのべる教室でただ1人
また私の机に誰かから文字が鉛筆で薄く書かれる。
その文字は癖字で
「今日はどうだった?」
と書かれていた。
私は
「普通の1日だった。」
と、濃く、私なりに読める字で書いた。
校庭のほうで運動部が練習をしているのが見える。
となりの教室では吹奏楽部がトランペットやトロンボーンの演奏の練習をしているのが聞こえる。
私はさっき書いた文字の下に薄く
「今日はいつもよりも普通だった。」
と少し微笑みながら鉛筆で書いた。
そろそろ帰ろうとし、いつも通り重いリュックを持ち教室を出ていく。
階段を下ると、クラスメイトの男子が勢いよく汗をかいて階段を上るのを見た。
彼は不思議な顔をしている私を見て
「忘れ物しちゃって」
といい、また勢いよく彼は階段を上る。
私はその男子を見て、明日のメッセージの返答を楽しみにしながら階段を下っていった。
『放課後』
一人
街を歩く
街は
イルミネーション
人々は私の横を
通り過ぎる
目の前には
クリスマスツリー
見上げる目には
涙が浮かぶ
いつも
一緒に見上げてた
あの人は居ない
抱きしめてくれた
あの人は居ない
放課後に貴方を待ってみた。でも貴方は来なかった。好きだった、好きでたまらなかった。貴方は私との会う約束は必ず破る。呼んだのは貴方の方なのに…どうして?
【お題:放課後 20241012】
高校に入学して半年も経てば、周りにはチラホラと青春を謳歌する奴らが増えるわけで。
教室のあっちとかこっちとかで白やピンクや黄色の花を咲かせて、きゃっきゃうふふと自分の幸せをこれ見よがしに振りまいていたりする。
ここは学び舎で、勉強をする場所で、異性との不純な交際を人に自慢する場所ではないのだ!
で、結局何が言いたいかと言うと。
「リア充爆発しろ」
である。
俺は、小さく本当に小さく呟いた。
小学、中学と俺は東北の田舎で育った。
父親の仕事の関係で1、2年毎の転校を繰り返しながら。
小学4年くらいまでは、クラスに馴染もうと頑張っていたけど、直ぐに転校して疎遠になってしまうことを考えると無駄に思えて、それからは無理をしないことにした。
結果、親友なんてものは夢のまた夢で、友達はほとんどできず、ただのクラスメイトと元クラスメイトが大量生産されただけだった。
やることがないので、読書や勉強をして過ごし、気がつけば立派なぼっちの出来上がり。
せめてもの救いは、親から頂いた優秀な脳ミソのおかげで、勉強には困らなかったこと。
高校で転校は可哀想だという事で、父親からいくつかの選択肢を出された。
1、全寮制の高校への進学
2、父方祖父母宅から通う。この場合選べる高校は3校のみ(田舎のため)。
3、叔父宅から通う。この場合ある程度の家事はやる必要がある。
流石に一人暮らしは許可してくれなかった。
なので俺は【3】を選んだ。
叔父の家は都内にあり、高校への通学にも便利だ。
それに、大学へ進むことを考えれば1番いい環境だと思う。
家事に関しても、父子家庭だったので問題なくできた、というか得意である。
「あ、大根が安い」
アプリでスーパーのチラシを確認するのが俺の日課で、授業が終われば直ぐ様買い物をして家に帰る。
掃除と洗濯、夕飯の準備をして叔父さんの帰りを待つ間に勉強をする。
それが俺の日常だ。
そこに青春のせの字はない、いや、必要ない。
「ん?」
机の中に何か、入ってる?
そっと引っ張り出すと、それは封筒で⋯⋯、そう、封筒だ。
俺は周りを見渡して、もう一度手にしたそれを見る。
淡い緑の地に何かの植物と妖精が描かれていて、妖精の羽が虹色に輝いている封筒に書かれた俺の名前。
裏返してみるとそこにも植物と妖精がいて差出人のイニシャルが書かれている。
こ、これは、もしかして。
ラ、ラ、ラ、ラブレター、とかいう青春の1アイテムか!
あれか、あなたのことをずっと見ていました、的な?
いや、それとも、今日の放課後、校舎裏で待ってます、的な?
うわ、うわ、うわっ、ど、ど、ど、どうしよう、どうすればいい?
ここで読んでいいのか?それとも別の場所で読んだ方がいいのか?
あー、どうするのが正解なんだ!誰か、教えてくれ!
で、結果俺は今、校舎の外れの男子トイレの個室にいる。
そして手には例の封筒がある。
「⋯⋯⋯⋯」
高鳴る胸を抑えるように、深呼吸をしようとして思いとどまる。
ここは男子トイレだ、深く息を吸い込むのはやめた方がいいだろう。
俺は緊張で震える手で封筒の封を開けた。
中に入っていたのは1枚の便箋。
そっと、二つに折られた便箋を開く。
そこに書かれていたのは⋯⋯。
『今日は寒いと聞いたので、夕飯はおでんが食べたいな。
翔太の作るおでんは絶品だと兄さんが言っていたから、楽しみにしているよ。
追伸、今度販売するレターセットのサンプルを使ってみたよ。可愛いだろ?』
「⋯⋯⋯⋯」
崩れ落ちそうになる自分を叱咤して、俺は便箋を封筒に戻す。
泣いてなんかいない、ちょっと目から鼻水が出てるだけだ。
くそぅ。
「⋯⋯卵と竹輪、後は餅巾着とはんぺん、それにウインナーかな。煮込み時間足りないから、圧力鍋使って。今日は授業終わったらダッシュだな」
目尻に浮いた鼻水を拭って、俺は教室に戻った。
無駄にキラキラした封筒はカバンの中に突っ込んで、代わりに最近お気に入りの本を取り出す。
叔父さんはすごくいい人で、時折お茶目な事をする。
今回はそれが、ちょっと、アレな感じだっただけだ。
叔父さんが悪いわけじゃない、うん、そうだ。
叔父さんを見ていると時々未来の自分を見ているような気分になるけど、きっと気のせいだ。
そこそこいい所の会社に勤めて、それなりの役職について、都内の広めのファミリーマンションを購入して、車も持っている独身貴族。
叔父さんにそれとなく聞いたら、別に居なくても不自由してないから、とあっさりしていた。
確かにそうかもしれないけれど⋯⋯。
「叔父さん、それでも俺は結婚したいよ」
その日のおでんは、叔父さんには大好評だったが、俺にはちょっぴり悲しい青春の味がした。
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(´-ι_-`) レターセット、集めてたなぁ
テーマ 放課後
「また..」
引っ越しでかけ離れた友達を想う。勉強してるかとか、どんな部活に入っているのかなど。
「通知来た」
気になって見てみると、
「仲良い子が増えた!」
僕はその一文を見て目の前が真っ暗になった。下の方の文章を見る気にはなれなかった。僕の世界から灯火が消えた。
どうしてどうしてどうしてどうして、僕にはあの子しかいないのに、なんでなんでなんでなんで君は僕を置いていくの?。
自分でも狂っているのは分かっている、分かっているけど吐き出したいほど苦しいんだ。
「おい、大丈夫か」
はっとすると引っ越し先で仲良くなったあいつが僕に声をかけた。
「..大丈夫大丈夫〜」
「...大丈夫じゃなかったら言えよな〜」
そう言い、あいつは部活があるからと教室から去っていった。これで教室に一人、僕だけがいた。
「へんなやつ」
こんな僕に構うなんて、
「面白いやつ」
僕の裏を知っても話しかけてくるやつ。
「さて、帰りますか」
外をみたら秋に近くなっているからなのか空が暗くなっていた。時間は6時、最終下校時になっていた。
今日も僕は狂気に飲まれ、重い感情を持ったまま生きる。
また、
「今日文化祭があってね〜あの部の子めっちゃ仲良くなれた!」
積もってく。この感情が消えることはないだろう。
おわり