点呼を終えトイレへ駆け込めば、同じことを考える同期たちで溢れかえっている。起床ラッパの吹鳴から二分以内に集合と整列を終えて点呼の用意が出来ていなければならず、朝はとにかく忙しない。消灯後は基本的にはトイレに行くことなどは許されず、どうしても我慢ができない時は静かにこっそりと隠れて駆け込んだ。見つかれば叱られる為、我慢をすることになるが朝は早くから班長達が動いているから身動きが取れない。そのために点呼の後にトイレへと急ぐのだが、混雑しているトイレにダムの決壊のサイレンに焦る自分と闘わなければならない。
各班事に舎前に整列して食堂へ早足行進を行うと、部隊の先輩方が挨拶をしてくれる。元気な人や眠そうな人、低血圧なのか倒れそうな人もいるが皆食堂入口から連なる列に並んで様々に会話を始める。私たちもまた、午前の稼業の話をして気持ちを高めて心の用意をしていた。
朝は食の細い私も陸上自衛隊に入隊してからは大食らいに変わっており、高校時分に野球部だった同期は私の倍以上の米を平らげる。おかわりはできないが、最初に装うときに食べたい分だけ盛り付けて席に座るが、食べ残しは禁止なのは言うまでもない。調子に乗って山盛りにした同期は苦しそうにしている。食事を終えて食器を返却すれば、ベッドメイクや課業の準備のために営内へ戻る。
平日は何も無い限りは「揚げ床」と呼ばれる状態、つまり全てを規定の畳み方と重ね方で仕上げる。そして、いま一度身なりを整えて雑嚢に必要なものを入れて班員同士、ベッドバディ同士で確認を行う。0750 ( 07時50分 ) に区隊全員で舎前に集合すれば、総数は凡そ三十名にもなるが課業によっては別区隊との合班になるので六十名程になる。引率学生(または引率班長)が号令を掛け、足を揃えて行進する。
この日、午前の課業は第二キャンブの第二教場で座学と小銃の分結 (分解結合) の予定になっているため、暫く歩くのだが途中で区隊長が声を挙げる。朝から元気に行くぞと、駆け足を行うという。担え銃(になえつつ) から控え銃 (ひかえつつ) へ体制を切り替えれば駆け足の号令が響く。「いち、いち、いちに。いち、いち、いちに。歩調数え! いちにさんしごろくしちはち」 区隊長の掛け声に応えながら食後の重い腹に苦しみながら走り続ける。
昼の食事ラッパが鳴ると少し安堵するのは皆同じなのだろうか、表情が明るくなる。しかし、この日は普段なら笑顔の同期が顔を引き攣らせている。無理もない、顔を引き攣らせているのは入隊前に野球部の活動で膝を痛めている。そして、午後の課業は全て戦闘訓練。気持ちが暗くなってしまうのも頷けるが、私は彼に励ましの声をかけて背中を叩いた。
辛い、しんどい、水が欲しい。出発点から順に第一から第五堆土(たいど) が盛られており、第一堆土までは第一匍匐(ほふく)による前進を行う。そして、堆土を追う毎に匍匐姿勢も変化する。第五堆土までたどり着くと照門を起こして、セレクターを「ア(安全装置の意)」から「タ(単発の意)」に切り替える。そして、「一班、目標前方サンマルの稜線の散兵。突撃イチ、射撃はじめ!」の号令と共に「バンッ!」と大きな声を発する。続いて、「一班、打ち方やめ。突撃二、稜線へ走り散兵を各個に刺突撃破!」と、突撃の号令で皆と一斉に全力で走り、的(てき、まと)に銃剣を突き立て、前蹴りを入れる(実際にはその振りを行う)。
本来は突撃までが一連の流れだったため、駆け足で引き返して原点(前進行動開始地点)に整列するが区隊長の思いつきで戦闘訓練場は地獄と化していた。突撃を終えた地点から原点まで第五匍匐による前進を行うことになり、八十メートル以上を腕の力だけで戻る拷問を受ける。区隊長の声掛けに返事をすれば草や土が口の中に入るのも辛いが、何よりも匍匐前進を繰り返し行えどまるで進んでいる気がしないのだ。
戦闘訓練開始から二時間、一度全員に集合がかけられた。「休憩したいものはいるか」との区隊長の声に程よく手を抜いて楽ができている者や、部活のノリでおちゃらけている者は「なし!」と答える。周りを見れば私を含めて半数は休憩をしたいと考えていた為、「なし!」の声に困惑する。もちろん、班長方や区隊付きや区隊長方もこれに気づき怒号に喉を震わせる。発する言葉は、「お前らは周りも見ず、自分らのことしか考えんのか! 周りを見てみろ、半数以上は真面目に取り組んで真剣に全身全霊で望んどるんど。抜けるところも抜かず、自衛官として必死に励んどるんぞ。恥を知れ!」といったもので、その怒気に全員が緊張に身体を固くした。結局、私を含め半数の同意の元に休憩はなしとなった。しかし、私たち半数は個別に小休止を各自の判断で行って良しとの指示を受けたため全力で行って帰ってきては一息ついてを繰り返した。
日中こそ暑さを感じ初めるも、朝晩はまだまだ冷え込んでいる。夕方になり時折吹く風に肌寒さを感じながら、早足更新で武器格納庫へ戻ったときには正に満身創痍だった。武器の格納を無事に終えた面々の目の前で、格納時(返却時)に不備のあった者がペナルティとしての腕立て伏せをしている。
全員の格納が終わると、武器格納庫の前で解散し各班事に別れてそれぞれの行動に移った。私の班は一度営内にもどり、ジャー戦(B2装、迷彩作業帽と迷彩服、下はジャージ)に着替え食堂に向かった。朝と昼はがっついて食事を摂ったが、夕食は少なめにしている。これは私だけでなく、この後に私と行動を共にする同期十六名全員だ。
ジャージとスポーツキャップ、履きなれたランニングシューズで準備運動を行い、次いでサーキットトレーニングを実施した。息を整え、二列縦隊になり1名が列外にて号令 を行い、毎日恒例の二十キロ走が始まった。この二十キロ走は、最初からこの距離では無かった。当初はとりあえず十キロほど走ろうかと志し同じくする同期二人と始めたもので、次第に参加させて欲しいと同士が増えていった結果、全員の練度も向上し、併せて走る距離も伸びていった。
二十キロまでは全員で徐々にペースを上げながら走り込む、それ以降は各自別れて好きなだけ走る。しかし、結局また合流して掛け声なしで走り抜ける。仕上げにもう一度サーキットトレーニングを行えば終わりだ。二十キロ走と、個別のランニングで日々の走行距離は二十五キロほどになる。
営内に戻り着替えを済ませ、隊員浴場で汗を流し一日の疲れを癒す。体力錬成に時間を使うため、私たちの時間は限られているが部隊の先輩や仲の良い同期と他愛のない話に浸れること時間は平日の唯一の娯楽だ。部隊の先輩には同じ連隊に、同じ小隊に来てくれとお誘いを受け、中隊事務のゴリラ一尉(私がそう呼んで慕っていた幹部、ボディビル部)は熱烈な勧誘を受ける。ときに小突き会いながら無邪気に笑い合えるこの空間が何よりも好きだった。
営内に戻ると、清掃やプレス(アイロンを強くかけてシワを取り、折り目をつけメリハリを付けること)
を行い半長靴の手入れを済ませる。夜の点呼もあるからとにかく忙しない 。夜の点呼はいろいろ事件が起こるもので、一日の中で特に緊張する。ある時はたった一人のミスで凡そ百二十名が雨降るなか筆たて伏せを延々と課された。もちろん一人のミスであれど、その一人の責任では無い。周囲が情報共有やフォローを行わなかった、つめりはそれぞれの監督不行届によって招いた結果だ。そういうことも起こり得るのが夜の点呼だから、何も起こりませんようにといつも願っていた。
点呼の後は消灯まで、思い思いにのんびりと自由な時間を満喫していた。ベッドでゴロゴロしながら漫画を読む者や、テレビを見て笑い転げる者。私は年長者の同期と一日の振り返りをするのが日課で、この日も反省すべきところ、良かったところを出し合って励ましあった。
ベッドに入り、消灯ラッパを聴くと一日の終わりを実感して眠気が襲ってきた。また明日も頑張ろう、明日の課業はほぼ全てが座学だから居眠りをしないようにしないといけない。気を引き締めよう。
一般曹候補生で自衛官の道を歩き始めた私は、前期教育隊でこのように過ごした。学校の思い出はいいものがあまりない、正確には自分に自信が無いからか思い返してみても語れる話がない。
自衛官として過ごした時間は長くはなかった、病気によって夢を、道を絶たれ絶望の縁に立たされ投げやりになったこともあった。けれど、自衛隊生活の中でも前期教育隊は思い出が詰まっていて思入れも深い。二十キロ走を毎日頑張っていたが、たまに違うことにも全力だった。
課業終了して、食事を終えて同期たちと営庭に集合。中隊事務所に声をかけて借りてきたバットやクラブ、そしてソフトボール。たまにこうして課業終了後は別々に行動する同期たちも全力で遊んでいたが、部隊の先輩方が混ざってくれることも嬉しかった。学生生活では感じられなかったもの全てが、前期教育隊に詰まっていた。課業終了後、それは学校生活でいうところの放課後といえるだろうか。私にとっての唯一の暖かく幸せな時間の記憶だ。
10/13/2024, 3:09:44 AM