🌿みなさん、こんばんは🌿
本日の詩をお届けいたします🍊
『幸の微熱』
まぶたの裏に
やわらかな灯がともり
静かな水面に
ひと翳の笑みがほどける
指先から滲む
あたたかい余韻
言葉にならない声が
胸の奥で
白く息をつき
光は
なにも語らず
ただ
やさしく
満ちている
🌿みなさん、こんにちは🌿
ー柑橘とスパイスー です🍊
少し日が空いてしまいましたが、本日も詩をお届けいたします🍀
『息吹の記 ―光の往還に寄せて―』
日の昇らぬ空に 息吹が舞うと
張り詰めた冷ややかな空気が
深緑 赤や黄色の葉を揺らす
鼻を啜り 身震いひとつ
悴む指を擦り合わせ
僅かな熱を帯びた吐息を
静かに吹きかける
山の向こうから強く
されど優しく暖かな光の波紋が
見渡す限りを黄金に染めて
柔らかく 包み込む
抱きしめられて 火照る身体に
小鳥の歌声が心地よく
胸の奥まで 降り注ぐ
小さな歩幅が大きく弾み
心に日が昇る
見上げた蒼に浮かぶ綿雲が
時折ひかりを遮れば
冷たい吐息に草木の合唱
風に乗り 鼓膜を震わす烏の会話
踏切の音が耳を撫でた
落ちる橙の太陽が
遠くどこまでも 黄昏色に染めれば
空高く 円を描く一羽の鳶が
笛の音をひとつ奏でて 木々へ溶ける
行き交う人波の靴音が
家路へ続く細道に 重く鳴る
駆け回る 疲れを知らぬ子供の声に
背中を押されて 踵が跳ねる
星月が淡く染める黒い宙に
花草や木々も虫も 眠りに沈む
気まぐれに 冷たい北の風が吹き荒み
葉擦れとともに彼方の空へ散る
湯気立つ器の温もりに
白い窓がふわりとひかる
優しく抱きしめる綿布に 身を沈め
梢の寝息を枕に 自分の温もりを抱いて
微睡みの底へ 音のない羽が舞った
静かに眠る山や町、
淡い月明かりが、
子守唄を口遊む。
🌿皆さん、こんばんは🌿
どっと冷え込み、厚着にシルエットが一際大きくなりました今日この頃でございますが、皆様がお住まいの地域ではいかがでしょうか🍊
これからは、温かい鍋物や辛いものが恋しくなりますが、先日、おでんを二日続いて食べたので次はお鍋かポトフか悩んでいるー柑橘とスパイスーですが、筋肉飯(バルク飯)に材料を使うか否か悩みどころでもあります✨
さて、本日は普段から詠んでおります部類の詩ではなく、すこしだけ違うスタイルの詩をお届けいたします。
想像しながら読んでいただけたら、とても嬉しく思います🍀
ーーではどうぞ。
『電車、山陰にて』
窓に映る
知らない街の屋根
カタン、コトン
振動のリズムが
詩を運ぶ
線路という名の五線譜をなぞりながら
古びた駅の名標に
耳慣れない地名が並ぶ
けれどそれが
旅というものだ
少年が持つ駅弁
隣席の老婆のうたた寝
遠くの海が
一瞬だけ姿を現して消える
ページは開かれていない
でも心のノートは
すでに書き始めている
「いつかまた来るよ」
そう心の中で
見知らぬ町に言葉を置く
*
ひとり、旅路をゆくものがたり。
🌿皆さんこんにちは🌿
本日、お届けいたしますのはいつもとは違う分類に属する詩でございます🍊
レモン彗星の正接近から久しいきょうこの日に、なぜ今頃になってこのような詩を投稿するのかお気になされる方もおられると思います。
それはーー忘れていただけでございます✨
あまり長いと話をしますと、飽きられてしまいますからさっそく読んでいただきましょう。読んでください。それでは、どうぞ🍀
『光の記憶』
茹だる暑さに肌を焼かれ、汗にシャツを重くした頃も遠に過去。
鮮やかな青の空に揺れる深緑の葉が、いまは橙を滲ませる。
低く走る陽の温もりも、時計の短針が下を向くにつれて山野に隠れる。
せっかちに冷たい空気が肌を撫でる。
薄ら黄金に、ひとつ、ふたつ、無数の煌めきが、瞬いては、雲を纏う。
白んだ月がふわりと浮かぶ。その淡さにーー風の音が、溶けた。
黄昏色に染まる空が、赤みを増して、静かに解ける。見上げた黒いパレットに微光が揺れる。
西に尾を引く薄緑色の強い瞬き。その美しさは、色とりどりの鱗を散らしているかのよう。
千四百年。眠っていた光が、いま、夜を脱い始める。
その姿に、心を激しく震わせ、言葉を失くした。
それは、幻を結んでいた。
北の風が、時折ふき荒む。両腕で自らを抱きしめると、彼方の輝きにため息がひとつ。
こぼれて、弾け、夜が応えた。
※
レモン彗星。次に相見えるのはーー千年後。
🌿みなさん、こんばんは🌿
ゆずぽんずこと
ー柑橘とスパイスー
でございます🍊
この頃は、投稿するものといえば詩が主だったものでございますが、本日はすこし箸休めとして、私の過去の出来事を振り返って見ようと思います。
私はパラコードクラフやお料理が趣味でして、その趣味を楽しむ中には苦い思い出というものも、また多くあります。
今日はそんな苦い思い出を綴った、随筆(エッセイ)をお届けしたいと思います。過去に既に投稿している可能性がありますが、もはや何を投稿して、などれを投稿していないのか分からなくなった為、初めましての方へ向けてお届け致します🌿
※ここから先は、4千字弱の文字数でございます。お手隙の際にごゆっくりお楽しみくださいませ😊
「美味しい」と「痛い」
初めてレシピを参考にしながら料理に挑戦をしたのは、小学3年生の夏休みの真っ只中。ホットプレートで炒め物か何かを作ったと記憶している。広島県の生まれだもんで、モダン焼き(広島のお好み焼き、私の地元の呼称)なども作ったりした。年の離れた、父代わりのような姉のアドバイスを聞きながら、慣れないヘラの扱いに苦戦した。
完成したものは輝く宝石のように輝いて見えた。家族が口々に美味しいと感想を口にするもんだから、それはそれは、とても嬉しかった、そして嬉しさと誇らしさから、頬張るお好み焼きに飛び切り美味しさが増すのを感じた。
料理の楽しさ、食べたいものを自分で作ることの面白さ。作ったものを美味しいと喜んで、笑顔で食べてくれる喜びを知った私は、夏休みのあいだ毎日のように新しい料理を作っていた。失敗をして、形が崩れ、味が整わず悔し涙を流したことも、嗚咽して姉の腕に抱かれたこともあった。。けれど、その失敗で挫けることなく姉と二人、時には妹と私の二人だけで挑戦し続けた。甘味作りもしたりして、さらに料理にのめり込んでいった。
小学6年生のいつだったか、母の夕飯作りを手伝っていた時のこと。白菜を刻んでいた時に親指を包丁で深く切ってしまった。
事故などは慣れぬうち、そして慣れ始めと慣れてしばらくすると発生する可能性が高くなる。ハインリッヒの法則を見れば直感的にわかる事だが、当時の私は怪我こそしないものの、危うい場面が幾度とあった。爪の先に刃があったり、切った野菜を包丁で掬うとき。思えば、至る所に小さなヒヤリハットが潜んでいた。
指を切ったのは、そのヒヤリハット、つまりは危険を察知できなかった故のことだろう。慣れ初め、小さな危険因子に気が付かず、気づいても気にも留めず注意を払わなかった。きっと、遅かれ早かれ怪我はしていたことだろう。
切った瞬間は何も感じなかった。ドクドクと脈打っては溢れ出る血を見た時、置かれた状況を理解して痛みを自覚した。左手親指の先は表皮も真皮も超えて深く切り落としており、落ちたものは白菜と共に赤一色のまな板の上にあった。
泣き叫ぶ私をみて、その状態を理解した兄が私の親指の根元を強く握って止血を試みて、母が張った氷水に私の手を無理やり押し込んだ。激痛に泣き叫び、喚き、大粒の涙を流し続ける私に兄が優しく励ましながら頭を撫でてくれた。
どれほどの時間が経ったのだろう、実際には数分だったのかもしれないと思うが、私には何時間もそうしていたように思えるほど、激痛はいつまでも引いてはくれなかった。
兄や母の処置が良かったのだろう、傷口は塞がり血が滲むことはもう無くなっていた。ズキズキと、それでいてしっかりと鼓動に併せて強く痛む指先に涙は枯れ果てても、私はいつもでもべそをかいていた。兄の膝の上で指から目を背ける私に、兄弟が慰めの声をかけ、兄と母は消毒や傷の保護と処置を続けてくれていた。ガーゼが指先に触れる時、包帯がガーゼに触れる時、テープを貼る時、何をする時にも激痛を伴う度に枯れたはずの涙が再び流れた。数日後に傷の状態を見ようと、ひとり包帯を解いてみたときには只々、途方に暮れてどうしたものかとあぐねいていた。滲出液とともにびっちりと一体化して固まってしまったガーゼや絆創膏は、私の傷口から離れそうにはなかった。
バケツにぬるま湯を張り、傷にしみないか不安な気持ちを抱えながらそっと指先をふやかしてみることにした。無理に剥がしたりしなかったことが幸いして、傷を悪化させることも、沁みることも、少しの痛みを感じることもなく綺麗になっていく指先に心を撫で下ろした。乾かして改めて消毒と傷の保護をして数日様子をみてみれば、傷は癒えて綺麗な指に戻っていた。失った部分は歪な形になっていたが、強く刺激しない限りは痛みを感じることは無くなっていた。
包丁が、料理が怖くなった私は随分と長いあいだ料理が出来ないでいた。21歳の冬、ルームシェアをしていた会社代表や同僚にご飯や弁当を作ることになった私は、昔の痛い記憶、そしてトラウマを振り払ってレシピサイトを眺めていた。代表が大量の加熱用のまぐろブロックを買ってきたものだから、その処理をどうしたものかと頭を抱えていた。
加熱用のまぐろは血合いの臭みが強いため、酒や生姜などで臭み抜きをして竜田揚げや煮物にしていった。冷凍庫や冷蔵庫に無秩序に、そして無作為に放り込まれている食材は全て料理をしてご馳走に変えていけば、再び料理の楽しさ面白さを感じることが出来ていた。私の作る料理を美味しいと言って喜んでくれる代表や同僚に、私は料理が、食事がもたらす幸せを実感した。それからは皆と現場で汗を流し、帰宅すれば全員の夕飯と翌日の朝食やお弁当の用意をするようになった。月に一万円の手当も貰えるようになった、食費などの経費の管理も任せて貰えるようになった。毎日の食事の用意は大変だったが、感謝されることが嬉しく、必要とされていると感じるとやる気も湧いた。事務作業も頼られるようになり、使い方も知らぬパソコンを独学で学び、オフィスソフトに悩まされた。負担は大いに感じていたが、大好きな料理と事務の手伝いで月々の手当は増えていき、喜ぶ姿もまた増えたことで活力に変わっていた。
代表たちのもとを離れ、ひとりアパートを借りて新しい職場と出会いと仕事に不安を抱えながらも料理をしている時だけは自分らしく、そして楽しく過ごすことができた。自分だけの空間で、自分の食べたいものだけを作ることのできる暮らしに料理好きは加速していった。フライパン、鍋、ターナー、菜箸にお玉など思い思いに好きなデザインやメーカーのものを揃えていけば新しいレシピも創作料理も増えた。
和食しか作って来なかったが、気がつけば中華料理にも興味を持ち始めていたころ、月々の支出はさらに増えていた。日本中華も好き、四川料理も好きと来ればさらに沼に嵌っていくのは必至だった。恋人にも料理を振舞っては二人で幸せを噛み締め、料理が人生にとって重要なものであるという実感と果てない高揚感や幸福感が私を包み込んだ。
いま私は恋人もいなければ、職場でのパワハラや病気の母のことなど不安や懸念、心痛で精神的に追い込まれている。けれど、料理のことを考えている時、YouTubeで料理系クリエイターの動画を観ているとき、そして料理している時には他では決して味わうことの出来ない満足感を噛み締めている。
ストレスのせいだろうか、さらに料理への意欲と関心が高くなった。だから料理に関連するものも増えた。例えば中華なら、北京鍋と広東鍋があるし、ジャーレンと中華お玉は鉄とステンレス。その他に鉄フライパンが一つと、パンケーキ用の鉄フライパンが一つ。南部鉄器の玉板も増えて、私の家はこの子達で大所帯になっている。
南部鉄器の玉板は良い、フッ素加工のものでは味わえない美味しい卵焼きが焼けるし、程よい大きさから餃子や目玉焼きにも重宝する。活躍の幅は広く、適切な手入れさえしていれば真っ直ぐ育ってくれる。そして卵焼きを焼きあげる時間が早くなったことも、私の生活をさらに豊かにしてくれた。というのも、私は大量に作り置きをして冷凍するのだけれど卵焼きもその限りだ。何枚も焼いて、切り分けて包んで冷凍すればお弁当や朝ごはん、夕飯にだって頂けるのだ。
中華鍋は北京鍋と広東鍋で使い分けをするが、炒め物も揚げ物も、煮物も、料理なら大抵のものはあっという間に大量に、美味しく作り上げることができる。中華の調理道具たちというのは本当に万能で和食を作りたい時にも、その秘めた力を余すことなく発揮してくれる。そして、調理器具や道具ではないが中華は調味料も豊富であることから、これらの新顔も増えて、キッチンに収まりきらなくなってしまった。中華との出会いは、初めて料理をした時の感動を鮮明に思い出させてくれるほどに素敵なものだ。
いつまでも長ったらしく、そして私にしては珍しく言葉が乱れながらも書き連ねた今日の私は、いつになく素直に語ることが出来たのではないだろうか。私の投稿はいつも無駄に長い、いやいや長く書いている節もあるのだけれど付き合って読んでくださる方々への感謝は尽きない。昔から作文など自分の思いの丈を文字にして、文章に起こすことが好きで堪らない。文章を書くこと、活字を読むことは語彙力の向上に良いなんてことをたびたび耳目する。そんなことはどうでもいいし、私には語彙力など微塵もない。ただただ、好きなことを好きなだけ書き連ねている。それこそ無秩序である。
それでも、読んでくださる方々。応援してくださる方々の存在は私の活力と、継続力と幸せの大きな支えになっている。だからこそ、こうしてアプリを続けていられる。好きな文章を書いて、誰かが背中を押してくれる、それだけが私の生きていく糧になっている。
いま、精神的に弱っていることや不安定なこともあっていつに増して話がまとまらず、綺麗に締められない。けれど、ただ語りたかった。いま、これを読むあなたに甘えたかったのだ。
きっとこの先、このアプリでの活動とあなた達と紡いだ時間は忘れたくても忘れられない、尊い記憶として私の胸に光り続けるのだろう。