-ゆずぽんず-

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5/12/2025, 11:17:27 AM

皆さんは、「依存」という言葉にどのような印象を受けるでしょうか。文字や言葉だけでは、ポジティブなイメージはあまり無いかもしれません。スマホ依存症などの言葉も、生まれて久しく、やはり良い状態を表すものではありません。しかし、依存という言葉は前向きな面もあります。

また「リスキリング(学び直し、資格の取得)」については、どのようなイメージを持たれているでしょうか。この言葉を頻繁に耳にするようになったのは、2020年です。まさに、新型コロナウイルス感染症が感染拡大していた頃です。企業がリモートワークを推奨、或いは義務化したりと世の中が大きく変わりました。
そして、自宅待機やリモートワークなどで手隙の時間が生まれたことによって、趣味に没頭したり、新しいことを始める人が増えました。通勤時間が無くなり、人によっては数時間が自由に、有意義に使うことができるようになったのです。
そこで、これまではただ消費されるだけの時間を、ワークスキルやジョブスキルの向上に、役立てることができるように。さらに、新しい分野の知識や資格を得る機会もふえました。

人は生活をする上で、ほとんどの方が生活の基礎として「ルーティン」、つまりは決まった行動の繰り返しを行っています。
このルーティンは個人だけでなく、企業も活用することで能率の改善や、安全衛生管理に役立てています。

今回は、そんな〈依存〉や〈リスキリング〉〈ルーティン〉について話をしてみます。3つのワードについて、それぞれ触れながら、どれひとつとして無縁ではないことをお話しいたします。



【依存】


人は誰でも、何かに執着や依存をして生きています。これは、自分自身では意識していないところで起きていることが多く、客観的に観察してみなければ、なかなか気がつかないものです。
例えば、身近なところだとスマートフォンへの依存。タバコやお酒への依存。そして、人に対する依存が挙げられます。人に対する依存とは、恋人関係や友人関だけでなく家族、特に親に対する依存です。

ニコチン中毒(ニコチン依存性)や、アルコール中毒(アルコール依存症)など、依存を指す言葉は広く知られており、様々な場面でこの言葉を口にする人もいます。人を卑下するためであったり、自虐するためと様々です。依存の形や原因もまた、人によって多様です。
ニコチン中毒は、喫煙者がタバコを一定期間、吸うことによってタバコに含まれるニコチンに依存することを指します。そして、タバコを吸うことでドーパミンという快楽物質が大量に放出されることにより、一時的に快感やリラックスを得ることができます。そして、その状態を求めて喫煙を繰り返し重ねていくことで、依存していくのです。
しかし、中毒という言葉が表しているように、喫煙には多くの問題が挙げられます。まず、煙を吸うことにより、一酸化炭素の取り込みが行われます。そして、葉に含まれるニコチンを煙と共に吸引することで、肺細胞から血中にニコチンが吸収されていきます。
この時の煙やニコチンが、血管や肺の運動機能の低下させ、組織の弱体化を進めていきます。これによって、心臓病や発癌リスクが非喫煙者に対して3倍ほど高くなります。このほか、脳卒中などの危険性も併せて高くなることが分かっています。
ところが、一度でもいってあ期間の喫煙を繰り返してしまうと、喫煙することで快感を得る、リラックスをするという目的は薄れていきます。喫煙行為その物が、生活の一部となるのです。
起床してタバコを吸い、歯を磨きスキンケアをする。朝食を摂ってタバコを吸い、仕事の合間にタバコを吸う。このように、朝から寝るまでの行動の節々に喫煙が入り込んで来ることによって、強く依存していきます。

これはアルコール依存症なども同様に、生活の一部に加わることで、飲酒行為そのものに依存していくのですが、タバコより難しい問題があります。お酒は、人により状態や程度は様々ですが、浮遊感や酩酊感などの症状が現れます。また、お酒を飲むことで理性の働きが鈍くなることで普段とは違う自分を出すことができるのです。その状態や、自分自身の解放が依存につよく起因しています。
また、お酒を飲むことでしか入眠ができない人や、心が落ち着かないなど、心因性の不安を取り除こうとするために、飲酒が続いてしまう人も多いのです。よく、「タバコは百害あって一利なし、お酒は百害あって一利あり」と言います。別の言葉として「百薬の長」などともいいますが、これは古代中国の漢書のなかに書かれている言葉です。これは、お酒が人々の生活を助けとなると思われていた為に生まれた言葉で、他に「酒は天の美禄」という言葉も書かれています。数ある薬の中で、お酒は最も良いものとされていました。
古代ギリシャでは、「ワイン」が有益な薬とされており、やはり当時の人々にとってお酒というものが、どれだけ身近で大切なものだったか分かります。
ところが、この「酒は百薬の長」という言葉は日本古典文学の三大随筆のひとつである「徒然草」にも登場します。「酒は百薬の長といへど、よろずの病は酒よりこそ起これ」というものですが、この言葉は酒は人を楽しませ、豊かにするが、同じく飲み過ぎれば害となるとしています。

お酒は、少量であれば楽しい時間を過ごすことができるほか、辛いことや悲しいことを、一時でも癒してくれます。しかし、飲み過ぎれば理性が効かなくなり、周囲にたいして暴言や暴力などを働いてしまうこともあります。また、飲酒は、喫煙同様に依存しやすいだけでなく、心臓や血管の病気のリスクも非常に高くなります。
このように、身体的なリスクだけでなく、場合によっては社会上のリスクになることもあります。しかし、人はこれを理解していても続けてしまいます。それは、冒頭で
説明した「ルーティン」にも深く関わっているからなのです。

次に、人と人との繋がりのなかでの潜在的な依存についてです。親子関係や友人関係、恋人関係には、人によって強く共依存している場合があります。
親子関係だと、一般的に挙げられる状態として子が親に執着している(または、その逆。あるいは両者とも)場合や、親や子が独立できていない状態です。ここで言う独立は、実家を離れてひとり暮らしをするということではありません。心の自立と自制が、人としての独立です。
親の愛情の大きさや、その形によって一概にはいえませんが、多くの場合は親の子離れ、または子の親離れができていないことが見られます。この親離れ子離れは、ひとつにこれというものではありませんが、問題として挙げられるものとして、経済的な執着が多いでしょう。
子がアルバイトを始めたとき、または社会に出たときには収入を得るようになります。実家に住んでいるのであれば、家賃や水道光熱費など生活費の支出はあります。これは、ひとり暮らしで自己負担をしていることと状況は大して変わりません。
問題は、この収入に対して必要以上の金額を要求したり、欲しいものを強請るなどの行動です。子の大学入学のために、親が諸費用を負担しているのであれば、家庭によってはその部分も子に負担なく、返済をしてもらうこともあるでしょう。しかし、そうではなく単純に金銭が欲しいために金銭を要求している場合が問題です。このような状況は、子に金銭的な負担や不安がかかる事になります。また、これが様々な問題の要因となるのです。
子が親に向ける感情や気持ちの変化、感謝や尊敬、愛情や信頼の喪失による関係の悪化。そして、家族の崩壊や、その他の最悪な展開に至るケース。幾度となく、悲しい報道を耳目してきましたが、このような家族間問題は、再発の防止や対策というものを行政や関係省庁が行うには難しいのです。寧ろ、不可能といえます。

子が親に執着、または依存する場合はまた違った角度の話になります。しかし、関係の亀裂や、そこから派生して起こる問題はいずれも悲しいものであったり、心苦しいものです。
親が愛情を注いで育てることは、生き物として当然ですし自然のことです。しかし、愛情のかけかたや、程度によっては子の自立と独立を妨げてしまいます。ともすれば、教育と躾を行っても、子は幼稚園(または保育所など)から、少しずつ世界を大きくして歩いていきます。その先で、対人関係などの外的要因から、人格や思想思考に変化が現れます。
この人格形成には、【家族】【愛情】【環境】が大きく、そしてダイレクトに作用します。家族構成や、親兄弟の接し方などは子の発育の基盤になります。そして、愛情です。生き物は愛情をうけなければ、最悪の場合は命を落としてしまいます。これは、自ら命を手放すということだけでなく、発育の問題があるのです。これまで、そういった分野についても研究や実験が行われましたが、発育不順や命を落とすという悲しい結果も残りました。しかし、この実験によって愛情が不確定要素ではなく、科学的に必要で重要なものと分かっています。
環境は、ここまで触れてきた家族と愛情も大きくかんけいしますが、家庭外での接触です。幼稚園や保育園などでの友人関係であったり、保育士や教諭との関係性。小学校や中学校など、思春期の時期には友人関係だけではなく、「先輩」「後輩」の関係も生まれます。進級や進学の度に目まぐるしく変化していく、周囲の状況や立場が心に根深く残ることになります。それこそが、人格の基盤に太い柱が経つときなのです。
このように、成長期にあって濁流のように流れる時間と環境の変化は、後の子の生き方や、思考思想の在り方に大きな影響与えます。そして、これを親がどのように支えていくか、フォローしてあげられるか。導いていて、背中を見せるのかで子の舵を切る先が決まります。

あらゆる要因や事情から、子が親や家に執着し、依存する状況になった場合は心的な依存から始まります。例えば、反発していたとしても、親だから見捨てることは無い。暴れて暴言を吐いても理解をしてくれる、わかってくれると考え始めます。
この状況が改善されなければ、心から物への執着が起こり、その先に部屋や家などの空間環境への執着へと進みます。次に、この時に抱えている心の重りによって、そこから逃げようとするために、身の回りのものへの意識が高くなるのです。最終的には、全ての問題の解決のために金銭問題へと進むのですが、この時から本当の意味で親と子の関係が瓦解します。
ここまで話してきた、親と子のそれぞれの執着や依存の根底は心にあります。今回は、極端な例を挙げて話をしました。とはいえ、ここまではいかなくとも「親ガチャ」や「子ガチャ」などの悲しくも、現代日本において苦しい実情を表した言葉があります。そのなかには、子が働いて得た収入を全て奪われるものであったり、子に暴力で支配された親が悲しい結末を辿ふというものも。
人は心を持ち、ほかの生き物より少し賢いが故に、ほかのいかものよりも不器用なのです。それが、依存というものを形作っているのですが、依存には「共依存」と「相互依存」というものに別れます。先程まで説明してきたものは、前者になります。では、次はもう一度、共依存に触れつつ相互依存について話してみます。

ここまで話してきた状態が共依存でした。共依存は、自分と特定の人との間柄や、関係性に対して、過度に依存している状態です。また、自分と特定の相手がその関係性に、過剰に依存していたり、囚われている状態です。
自己肯定感や顕示欲、承認欲求などが原因とされています。これを、誰か特定の相手に依存、または特定の相手と依存し合うことで調和をとっているとされています。

次は「相互依存」についてですが、共依存とはまるで違うものとなります。
相互依存は、お互いを認め合い、助け合っている状態。企業や国においても、この状態はごく自然に見られます。経済などでは、互いの国が相互貿易に頼りあっている状態です。また、これは自然と生き物との間にも関係しています。例えば、花は蜂などの昆虫に蜜を吸わせ、この時に昆虫の体に花粉を付着させます。そうして、蜜を吸うためにたくさんの花を巡る昆虫が、花粉を運び、受粉へと至ります。
自然環境を観察すると、様々な関係性を知ることが出来ます。人と人、国と国だけでなく、企業と企業や、自然と生き物。そして、自然と自然(植物と植物など)が互いに支え合っているのです。

この相互依存は、恋人関係では先に説明したように互いの魅力に惹かれ、互いの良さも至らなさも理解し合って、手を取り合う状態を表すこともできます。そして、家庭内の経済状況について。共働きであれば、双方の収入で家計を管理するなども、そのひとつです。
夫婦やパートナーのいずれかが、収入を得る。そして、いずれかは家事などを行う。これも、互いに認めあってバランスよく成立していて、頼りあって助け合いになっているなら、相互に依存していると言えます。

ここまで、相互依存について触れましたが、心理学分野において、この相互依存が問題となる場合もおります。苦しい、辛いなどという、心のサインが出ている状態において、相互依存は「助け合っている」という面ではなく、自分と相手との区別がはっりきしない。または、境界線を見失っており、アイデンティティが分からなくなっている状態でもあります。
これを、簡単に言い表すと、自分のことも相手のことも見失ってしまっている状態ということになります。問題なのは、こうなってしまったときに心が均衡を保とう、現状を変えようという動きに傾くことです。洗脳や支配など、自分を見いだして、相手に自分を認識させ、自分を受け入れさせる。こうなれば、その行く末は家庭内暴力に発展したり、第三者に意識が向かうことで、人間関係の崩壊などに繋がります。
また、このときの心理状態は非常に不安定で危険な状況にあり、自制が働かなくなることで、不良の行いなど望まない結果を招く危険性があります。
もしも、恋人感や夫婦、パートナー間で、不安や不満などが生まれたときは、一方的なものでは無く相互理解が必要であることを意識して、解決に取り組んでみると良いでしょう。

依存は、良い面と後ろ向きな面があります。大切なのは、自分を見失う事なく、必要に応じて必要なだけ身を預けるという、自分自身の取捨選択と、それに伴う自発的行動が重要な要素であることがわかります。
そして、この依存という心の動きは、次に話す「ルーティン」にも深く関わっています。



【ルーティン】



ルーティンは人々の営みの中にある、無意識、あるいは意識的に行っている決まった所作です。験を担ぐため、モチベーションを維持するため。或いは、自分のペースが乱れないようにするためなど目的は様々です。
スポーツ選手や、格闘家など様々な分野においても、ポテンシャルやパフォーマンスなどの維持や向上のために重要な要素となっています。例えば、米国のメジャーリーグチームに「シアトル・マリナーズ」で、その力を存分に奮った「イチロー」さん。彼は、打席に経つと決まってお馴染みの動作をしていました。これには、姿勢を安定させたり、ペースを保ったりと様々な理由があるようです。
彼は、打席だけでなく、その前や試合中。果ては試合後にも、決まって同じことを意識的に取り組んでいました。また、休日であっても、いつも決まったメニュー、決まっ順序、決まった数や時間を管理、徹底していました。
もちろん、ルーティンを意図的に取り入れているのはイチローさんだけではありません。決まった順序、動作、角度など、スポーツ、音楽、ジャンルに問わず真剣に向き合う人たちにとって重要な鍵となります。

プロであればなおのこと、は綿密に計算したり、コーチングを元に取り入れています。しかし、これはプロの世界、アマチュアの世界に限らず一般人にも言えます。恐らくは殆どの方(特に几帳面な方やマメな性格の方など)も、一つや二つは決まった時間や場所に決まった行動をとっているとおもいます。
私は、洋室にタイルカーペットを敷いて、そこに布団を敷いています。そして、私のルーティンを簡単に話してみます。まず起床直後に布団を畳み、その後に着替えを済ませます。続いて、1度トイレを済ませた後に洗顔と歯磨きを行います。次に朝食を摂って、もう一度だけトイレを済ませて家を出るという流れです。
仕事の中でも基本的には、節々の時間で、しておかなければならないことや、やっておきたいことなどをするという決まりを作り、時間を設けています。私の場合は、朝のルーティン、一連のの動きが一日のパフォーマンスに繋がるので、崩さないように徹底しなければなりません。
何度か、違うことをしてみたのですが、どこか心が落ち着かなかったので、すぐに戻しました。身支度などの順番や時間などを変えると、なにか忘れ物をしているような、不安なきもちになります。しかし、全てを丸々変えてみた時には、むしろ新しい発見や新鮮な感覚に包まれて幸福度に変化を感じました。数ある中の何か一つを変えようとすると抵抗がありますが、ルーティンをパターン分けして、いくつか用意しておくことで、体調や気分に合わせて行動ができるようになったのです。また、これは出張などのイレギュラーな場面で強くプラスに働きました。
ルーティンは心のバランスを保つだけでなく、自分の体調や気分などを知るための重要な要素です。もちろん、全くもってルーティンのない人もいます。例えば、私の兄は決まった時間に起きることもありません。起床後はいつもバラバラな行動をしますし、眠りにつくまで一貫していません。しかし、兄にとってはそれがベストな状態だと言います。気分屋な彼にとっては、自分の行動をスケジューリングするよりは、その時の状況に合わせて気ままに過ごすことが最善で最適解なのだといいます。

先ほど、私がルーティンを心のバランスを保つためと言い、体調などを知るためと加えました。そして、このうちの何か一つでも欠けた時は、増えた時に比べて不安を強く感じます。何かしらの動きや予定が増えた時は、その都度調整をすることで、寧ろポテンシャルを向上させています。しかし、逆になると何か違和感や焦燥感といったネガティブな気持ちに支配されます。
これは、私が私の行動一つ一つに私自身が依存している状態とも考えられます。安心して背を預けていた壁が、突然に無くなった時、体を支えるものを失って、勢いのままに倒れてしまいます。これが、心の状態にも当てはまっていると考えています。拠り所や支えとなっていたものが欠けた時や変化した時は、そのまま気持ちの揺らに直結し、不安を生み出します。
私にとって、決まりきった行動、時間というのは心の平穏に他なりません。これを守るために、執着しているのですが、パターンを使い分けることで更に心の安寧に繋げているのです。

私の場合、ルーティンをパターン化したことで、平日や休日、出張などで臨機応変に切り替えることでパフォーマンスの維持や気持ちの整理を行って行くことができています。
「依存」で触れた、タバコ依存についてですが、喫煙もある種のルーティンとなっています。食事前後の喫煙や、休憩時間や就寝前など、一日を通して幾つも喫煙のタイミングがあります。故に禁煙という壁が高くなります。ルーティンを崩したりすることで、心が落ち着かなくなると言いした。喫煙者にとって、一日の中にいくつもある決まった行動が無くなることになります。タバコを加えながらスマートフォンを操作したり、ゲームや動画を楽しんだりしていた、その手元や口元にあるはずの物が無くなることでストレスを強く受けます。
もちろん、ニコチンによる影響への依存というのは大いに有りますが、同じく喫煙者にとって苦しいのは、これまでの時間の使い方やストレスの解消、或いは発散方法が無くなることです。
アルコールやゲームやスマートフォンにも共通していることですが、人はそれぞれに生活のスタイルやスピード、ペースやベースがあります。これを下から支えているのが、心の均衡と平穏です。
そして、それを維持したり、守るためにルーティンを故意、若しくは無意識に生み出しているのです。そうして、慣れ親しんだルーティンそのものや、そこから得られるものに依存することで健康的に過ごしているということになります。喫煙や飲酒はそのものに依存する危険性がありますが、行動そのものにも依存しているからこそ、辞めるにやめられないのです。

リスキリングは感染症が猛威を振るう中で、浮いた時間を以下に有効活用するかとして、取り組む人が増えました
。 しかし、日頃から時間があっても、自身のステップアップなどに行動を移せないという人は少なくありません。「三日坊主」という言葉は、とても馴染みの深いものです。この言葉のように、まさしく三日でやめてしまう、継続できなくなってしまう。
これは、新しいことに取り組むことへの気概と併せてストレスも発生するからこそ起こり得ることです。好きなことは取っ付きやすく、継続し易いですが、それはストレスをほとんど受けず、幸福度や満足度が高く維持されるからです。
不得手、苦手、不慣れなことには強い抵抗や、苦手意識が同時に生まれます。そうして、習慣化をすることが難しくなっているのです。
しかし、この苦手なことや不慣れなこと。或いは不得手なことや、なかなか気が進まないことを生活の中に組み込むことはさほど難しくはありません。例えば、リスキリングでは必要な、若しくは目的とする分野についての学習などが必要になります。
学習にはいくつかあります。動画や参考書、教材や過去問題集など何れかの、またはその全てを用意しなければなりません。用意するまでは意欲に燃えている方も、いざ
取り掛かるとなると腰が引けたり、そのボリュームに少し億劫になってしまうことがあると思います。

この億劫な気持ちや、初めて触れて実感するボリュームへの抵抗。そして、勉強法での躓きが学習から心を遠ざけてしまうのです。
学生の頃は毎日のように勉強をしていたので、自分の学習スタイルがあったと思います。しかし、この環境からしばらく離れていると、何から始めていいのか、どのように進めていいのか分からなくなります。それに比べて得意なひと、賢さに自信のあるひと、学習スタイルを覚えている人はスタートのハードルがさほど高くはありません。
どのような勉強をして良いのか、合っているのか。それは目標とするレベルや期間、或いは期などの時間の制約ざあるなしで変わってきます。
時間がある、基本から応用などの範囲で知識を確実に習得する必要があれば参考書やテキストブックに目を通すことから始めます。検定などの試験対策が主な目的であれば、過去問対策から始めます。この時、ひとつの知識も持ち合わせていない状態であっても問題はありません。

このように、目的や制約など、その人に必要な状況によって取り組み方が変わります。また、どのようにノートをとるのか、マーキングをしていくのか。これも人によって様々です。私は、基本的にノートをとることはありません。過去問をクリアしていくなかで、設問に繰り登場する専門用語などは、メモ用紙や紙切れに残しておいて、後でまとめて調べて覚えていきます。
ノートに取らないのは、単純に効率が悪く、時間の無駄になってしまうからです。しかし、計算などが必要な問題などは同様にメモ程度にその辺の紙に書いてしまいます。公式や計算が必須の分野であれば、ノートは必要になってくると思います。ですが、重要なのはインプットすることと、それを自分なりに噛み砕いてアウトプットして理解を深めることです。
学習、勉強は闇雲にノートに文字を書くだけでは効率が悪く、時間もかかり、疲労も溜まるだけです。自分に合った勉強法の確率が重要な要素ですが、これも少し調べてみると、色々な情報から自分に適したものが見つかります。

では、これをどのように生活の一部として組み込むか。とても簡単な方法ですが、学習時間は、隙間に埋め込むことから初めることです。無理に何時間も学習時間として設けてしむうと、息苦しくなったり、身動きが取れなくなることがあります。「あー、今日も勉強しないといけないのか」と後ろ向きな姿勢になってしまうことは珍しくありません。
ですので、勉強はスキマ時間の、それこそ5分程度から着手することが習慣化へのきっかけになります。どのタイミングで時間をとるなど決めず、ほんの少し手が空いた時などにたった5分だけ、テキストを見てみるとか、過去問を何問か解いてみる。そこから、少しずつやる気を燃やしていくことで、負担を抱えず、ストレスも少なく継続していけるようになります。
上手く習慣化できれば、次はこれをルーティンの一部に組み込んでいくことで、リスキリングへの自身のポテンシャルやパフォーマンスを向上させていくことができます。
ここまで「依存」や「ルーティン」について話してきましたが、このテーマが「リスキリング」と一緒になっているのは、まさにルーティンという生活の習慣化、そして、そこに依存する精神状態が強く関わっているからなんです。

一つ一つの物事が、心のバランスに大きく関わってきます。そして、それはポテンシャルやパフォーマンス、モチベーションや健康など自身を構成する全てに直結します。
依存について触れたのは、人の営みの中には必ず依存という心の支えがあり、そこに絡むように行動のパターンが身に付いていきます。
慣れ親しんだ生活様式を、いくつかのパターンに分けても、新しい物事に取り組む時にはたしょあのストレスが生まれます。好きなことや得意とすることは、幸福度が高いために相殺される傾向にあります。苦手なことや不慣れなことなどを、如何に生活に組み込み順応させるか。そこに依存とルーティンが深く絡み合っていたのです。

つまりは、いきなり濃度100パーセントに身を置くのではなく、少しずつゆっくりと慣れていくことがとても重要なプロセスであるといえます。


今回、皆様にお話した内容、そしてその目的。それは、皆様が暮らしの中で感じるストレスや不安などに対して、別角度からフォーカスすることで、少しでもその改善や解決のお手伝いができればいいなと考えたからです。
人の暮らしと心の状態というのは、強く繋がりあっています。そして、生活の中の一つ一つの行動もまた、精神健康面へ大きな影響を与えています。

長いお話となりましたが、これを読んでストレスの緩和やポテンシャルやパフォーマンスの変化などにお役立て頂けたら嬉しく思います。

5/10/2025, 11:19:12 AM

皆さん、こんばんは。

明日か明後日に、考察や評論的要素も含んだ随筆を投稿するつもりでいます。

章を3つに分けて、各章でそれぞれの考察や経験に基づいた話をしています。

文字数が一万字を超えるものになるので、投稿すべきか否か。分割して投稿すべきか否か、迷っています。

私を評価してくださる方、もう一度読みたいと応援して下さる皆様は、変わり者だと思っていますので、長文にも目を通して頂けると思っております。


さて、なぜ故にそのように長い作品を作ろうと思ったのかについて説明いたします。

これには、私の年末までの目標が大きく関係しています。これまで、恐らく2年ほど執筆をしてまいりました。

とはいえ、作品数は多くはありません。ひとつの投稿が大体3千字程から5千字程度です。


そして、現在はより様々な分野の執筆ができるようブラッシュアップを始めました。それに伴い、本年中に10万〜20万字、あるいはそれ以上の執筆したいと考えています。

つまるところ、非常にわがままな自己満足です。

もちろん、今後は「詩」も投稿しますし、その他の分野でも作品を投稿いたしますので、どうか飽きずに見てやってください。

5/8/2025, 1:18:19 PM



身を焼くように、それでいて包み込んで蒸されるように苦しめる夏の盛り。あちらこちらで、数え切れないほどの営みが続いている。ここ、海の見える山手の現場もチクタクと時を紡いでいる。


重機が砂埃をふわりと巻き上げ、大型ダンプトラックの荷台に土砂を積み込んでいる。重機のバケットが地面を掬えば、穴は更に大きく、深く、口を広げていく。旋回すれば、すくい上げた土砂がパラパラと落ちて辺りに積もっている。オペレータはエアコンの風を受けて、服がさざ波のように揺れている。ダンプトラックの運転手が涼を得ようとか、車外の音を聞こうとしたのか窓を開けた。束の間、積み込み作業で立ち上がる砂埃に慌てて窓を閉める様子に私は堪えきれずに笑う。気づかれないように手で顔を隠した。ふと、二人に目を戻すと閉じられた車内で何かを口にしていた。きっと、夏の嫌な風に愚痴をこぼしている。

少し離れたところでは、型枠大工の親方が部下たちと共に手すり壁の型枠を組み立てている。まるで、ドラムで演奏を奏でるように、リズミカルにハンマーを振って釘を打ち込んでいる。時折、親方と部下の二人で大きな型枠を持ち上げては眉間にシワを寄せる。額や頬に汗の筋が光る。不意に吹き付ける砂混じりの風に、堪らず背を向けて腕で顔を隠している。何も無かったかのように黙々と釘を打つ親方に、イタズラな笑みを浮かべた部下が脇腹を小突いてちょっかいをかける。笑いながらも諌めるように部下のヘルメットを軽く叩く親方の目は、太陽のようにギラギラしていた。



距離を置いてそれぞれの作業の様子を見ている私の元に、遠くで立ち上る砂埃が風に運ばれてきた。少し強い夏の風に身体を熱せられ、風とともに空を舞う小さな砂粒が肌を打つとチリチリと痛む。今すぐどこかへ身を隠したいものだが、現場監督として、施行の状況を写真に納めなければならない。暑さと砂風に、挫けそうになる心に、仕事の責任だけが涼しい顔をして乗っかってくる。
風が止む。重機作業に目を向けると、低く唸るような音を立てて、ダンプトラックへの積み込み作業をしていた。その度に、土砂がバケットから落ちる音が鉄の箱を叩く。
重機オペレータとダンプトラックの運転手は、ドアも、窓も閉めて砂埃から身を守っている。オペレータは、ガムのボトルから二粒のガムを口に放り込む。そうして、スマートホンの画面を一瞬だけ睨むと、表情を曇らせた。ダンプトラック運転手は、無線を片手に何やら楽しそうに談笑している。他の運転手と、今日の天気に文句合戦でもしているのだろうか。

型枠大工の職人たちが「タン、タン」と心地の良い木材を叩く音を響かせ、たまに親方と部下の掛け声や笑い声が現場の雰囲気を明るくしている。夏の昼下がり、焼けるような日差し、まとわりつく湿度。そこに、吹き付けてきた砂埃と混じって、肌に残る汗が嫌に気持ち悪い。現場をぐるりと巡回すると、敷鉄板が敷かれた場所は一段と暑く、BBQができるのではないかと思うほど鉄板が熱せられていた。焼けた鉄板に足を乗せた瞬間、笑うしかなくなる。空は容赦なく、ただ真っ青だった。呑気に浮かぶ雲に、私は皮肉を投げる。苦虫を、嚙み潰すように。



蝉の合唱がけたたましく鳴り響く。どこまでも青い空に、分厚く、重たい積乱雲が遠くで流れて、それに合わせて温められた風が現場全体を吹き抜けていく。
ギラギラと照りつける日差し。建物や立木から伸びる影もいよいよ短くなり、日が真上に上がった頃、水を得た魚のように、いや、油膜に一滴の洗剤を落としたように、職人たちが影へと散っていく。その様子とは裏腹に、遅れて休憩にと歩く職人が数人。きっと、土工の職人だろう。ワイワイと笑い合いながら自販機へ足を弾ませている。よく観察してみるとジャンケンをしているから、ジュースジャンケンで誰がジュースを買うことになるのか勝負をして遊んでいるのだろう。サウナのように暑い陽の下で、彼らはきっと、「今日は早めに上がって、さっさと飲みにいこーぜ」と語り合っているのだ。私は、今まさに、彼らが汗に濡れるキンキンに冷えたビールジョッキを、手に持っている姿を連想したのだ。
そして、自販機で買った冷たい缶ジュースやスポーツ飲料を手に、影や屋根下、車や休憩室へ歩く職人たちもまた、首元にかかるタオルで目元や口元を拭いながら歩いている。中には買ったばかりの冷たい缶飲料を額に当てる姿、水道から勢い置く流れる水に頭を突っ込んでいる姿もある。「あぁ、気持ちいい! プールか海にダイブしてぇ」という心の声が聞こえてきそうだ。
この現場、この状況を子供の頃に見た景色で表すなら、水面に撒かれた餌へ、わらわらと群がる鯉たち。その姿がふと、職人たちに重なった。暑さに負けず笑い合う彼らを見て、私は頭をかいて、黙って事務所へと戻った。


汗で沈んだシャツを背に、職人たちは今日も、陽炎をかき分けていく。どこかにある、オアシスを信じて。

午後も、明日も、明後日も。

5/7/2025, 1:42:51 PM

『自省の言の葉』



言葉は、ときに届かず、
ときに自分を突き刺す。

この詩たちは、
届かない声を抱えて歩く日々の中で
ふとこぼれた “小さな息” です。

音にするのが怖かった想い、
形にできなかった感情、
それらが、言の葉になりました。

ひとつでも、
あなたの静かな夜の片隅に
柔らかく残るものがあれば幸いです。




遠く見る
街に輝く灯りと目尻に涙

微かに聞こえる音は
営みの変わらぬ姿の向こうに星を見た

届かない黒空に弱く呟いた
自省の言の葉





最初の一行を書くのに、
どれだけの沈黙を過ごしただろう。

詩を書くというのは、
声にならない想いを
言葉にするための「覚悟」だった。

誰にも気づかれない一言、
でも誰かの胸の奥にだけ届く言の葉。

そんな詩を、これからも書き続けたいと思う。

最後まで読んでくれて、ありがとう。
どこかでまた、あなたと詩の中で会えますように。





私は基本的には、詩を綴ることはありません。様々なライティングのうち、私が得意とするのは別のところにあります。
しかし、心の変化がありました。より一層のライティング技術と力をつけたいと思い、ブラッシュアップに力を注ぐようになりました。
ライティングは、ジャンルや目的によって、ルールが大きく変わります。文語における基本構成、括弧や句読点は基本的には同じです。しかし、ダッシュなどの記号、段落や改行、そして行間などの使い方には大きな差があります。

これまで、たくさんのお話を執筆してきました。今後は、より磨きをかけて、読み易く、没入感や読後感に浸れるもの、或いは読み手にとって何か一つでも心を動かせるものを執筆していけたらと考えています。
そして、物語や詩についても少しずつ、気ままに執筆できたらと考えています。この先、少しずつ変わっていく私の姿もまた、ここに投稿する作品と併せて届けていきます。あたたかく見守って頂けますと幸いです。

今後、詩の執筆にあっては、ある程度の作品をまとめた「詩集」をつくります。物語や、エッセイのようなものも引き続いて執筆いたします。しかし、いずれの作品も納得ができなければ、投稿に至らないかもしれません。
ですが、少しずつ皆様とお会いできる時間を作っていきたいと思っておりますので、見届けてくださいませ。

では、風邪をひかれませんよう暖をとってお休み下さいませ。

5/6/2025, 11:00:01 AM

白けた世界に青が覗く。遙か彼方まで、広く高い空、ちっぽけな自分にーー小さくため息をつく。
遠くで、微かに自転車の軋む音。ブレーキの叫びと、元気な子供の笑い声。

ーー小さな公園で、風に揺れるブランコ。静寂に錆びた音。丸めた背中。よれた背広に、幾つもシワの波が立っていた。

思えばいつからだろう。やる気に満ちて、溌剌としていたあの頃。上へ上へ、のし上がってやるぞと気概に滾り、突っ走っていた。

それなのにーー

気がつけば、同期も後輩も自分を置き去りにしていた。追いかけようにも、距離はどんどん開く。やがていつしか、会社の誰からも見向きもされなくなっていた。

ーーいつからだろう、自分を見失っていたのは。

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