8年前、仕事で街中のお宅を訪問して調査やヒアリングを行い、それらの情報をもとに指示書や図面を作成する仕事をしておりました。震災に関連した業務であったことから、現地の方より不満の声や罵声を受けることは日常茶飯事でした。私もまだまだ未熟ですし、二十代も半ばと若いこともありましたから浴びせられる言葉に憤慨する日も、悔しさに涙する日もありました。
そんな中にあっても、この仕事を続けることは私にとってとても重要な事だったと思っています。
過去に自衛官として過ごしたことや、志を持って職務にあたっていたこともありますから、いち民間人として過ごす日々の中でも何かお役に立ちたいという思いはいつも心にありました。誰かの為に何かひとつ微力でもお力になれることはないかと考えているときに、このような仕事と縁を持ちました。
一日の達成目標などもございまして、日々精進してより多く のお宅を回り、より多くの声を聞くために同僚と勉強会などをして効率や作業の質の向上に邁進していました。
この仕事は、一種のサンプリングとしての一面も持ち合わせておりましたし、ご近所様同士で情報共をされているお宅では殊更に注意を払って仕事を進めなければ、あらぬところからトラブルなどに発展することもありました。時には行政の担当者様と共に訪問をして、住民様の意向を可能な限り反映できるようにと調整をすることもあり、とてもやり甲斐のあることでした。
毎日変わり映えのない単調な仕事ではあるものの、決して簡単なものではなく、時には難題に直面したりトラブルに見舞われたりすることもありました。
私たち調査員の中には、現場での調査活動についての基本的な考え方や、作業方法など、大きな隔たりのある者もおりました。そうした面々と衝突することは多々ありましたが、互いに意見を交換することはありませんでした。私や、ともに勉強会などをして向上をと奮闘する同僚は、彼らにしてみればいい迷惑でしかなかったのです。私たちが余計な盛り上がりを見せれば、彼らは周囲に仕事の程度も具合も比較されて、要らぬ誤解を招きかねない。彼らにとってすれば、私たちはさぞ滑稽で迷惑な者として見えていたのではないでしょうか。
私たちの仕事というのは、調査書類を手に住民様を尋ねて簡単な測量や聞き取りを行い、その場で簡単なポンチ絵を書いて写真撮影をする。住民様の希望や要望などを控えて持ち帰り、ポンチ絵を清書して提出。これをもとに行政やJV(共同企業体)が今後の流れや施工方法を決定します。
聞き取りの際、私はできる限り世間話をして住人様の人となりや抱える悩みや問題を聞くようにしておりました。震災後に抱えるストレスも、こうして話を聞いていけば少しは発散できるのではないかと考えていたからこそのことですが、住民様より謝辞を頂くと意味のあることなのだと実感して胸が熱くなりました。
世間話のなかで、ただただ吐き出したい想いや悩み、不満や不安を聞いて寄り添っていくことで今後の暮らしやすさに繋がるのではないかと信じておりました。やはり、訪問時こそ罵詈雑言を受けても静かに話を聞いてみると、怒りを顕にしていた住民様も落ち着いてきます。最後まで親身になって聞き役に徹することで、私たちの仕事はより意義深いものになっていました。なかには本当に危険な場面も御座いましたから、その際には後日改めて行政の担当者と共に伺うことで解決を図るなど、時に困難な場面に直面することもありました。
訪問時に玄関先で訪問理由と以後の作業について説明をすれば、その後は世間話をするのが私の仕事の姿勢でもあり楽しみでもありました。作業中に声をかけて頂くこともあり、そうした時は椅子に掛けて住民様より頂いたお茶菓子や果物に一息つきながら他愛のない話に盛り上がることも御座いました。作業時間の内、長い時には六割が世間話ということも御座いましたが、この頃には図面の仕上げなども含めて余裕のある勤務状況でしたので問題になることはありませんでした。寧ろ、そうした住民様がご近所様にお話をしてくださっていることが多く、別のお宅を訪問すると歓迎してくださるので、とてもスムーズにお仕事を続けられました。
こうして訪問を繰り返しておりますと、住民様の思い出話などを聞く機会に恵まれました。この地に越して来た時のこと、若しくは生まれ育った幼い日々のことや、青春時代のこと。結婚をして子宝に恵まれ、家族と沢山の時間を過ごしたこと。
家を買い、或いは建てたときのこと。振り返れば懐かしくあたたかい思い出や、甘酸っばく、ときにほろ苦い思い出。訪問をすれば、その数だけ話を聞きく。そのどれもが、私がこうした姿勢でいなければ耳にすることもなかったもので、住民様の思い出にあたたかくなる心に触れることもなかったでしょう。そうして沢山の方々のセピア色の記憶を辿る話に胸が高鳴れば、一緒に涙を流すこともなかったのではないでしょうか。
ご高齢の方のお宅を訪問すると、色々なお話を聞かせていただくことがよくありました。孫子の話はとりわけ嬉しそうに話すもので、聞き手に徹する私も自分事のように嬉しく、そしてとても幸せな気持ちになりました。気心知れた知己の話や、ご近所さんの話など同じことを何度も繰り返し話され、くしゃくしゃの笑顔を作るのを見ては、私は自分の祖母や亡くなっている祖父のことなどを重ねていました。
輝かしい記憶やほろ苦い思い出など、これまで本当にたくさん聞いて触れてきました。そして、その中でも戦争や抑留の話は私の産まれる前のことで、壮絶な人生を余儀なくされた方、大切な人を失った方々が体験した話は今でもよく覚えています。
そして、これはあるお宅を訪問した際に涙ながらにお話を聞かせてくださった高齢の旦那様の壮絶で悲しい、そして強く生きて歩いてきた険しい道のりについての話です。
訪問時の私よりもずっと若い、寧ろ幼ささえ残る年頃の頃のこと。
ーー朝起きて身支度を済ませると弟の肩を揺すって起こす。 畑に水をやってから朝食を作る母を手伝う弟の頭を撫でて、眠気に駄々をこねる幼い妹を抱き起こして着替えを済ませる。学校に通い、友と駆け回る、そんな何気ない日常が戦争によって大きく変わってしまった。
友や家族と笑いあって過ごした地元を、故国と家族と大切な人を守るため、故郷を後にした。遠く遠く、戦争でなければ来ることもなかったところで命を削りながら、一日一日を生き延びていた。
激しい戦闘で仲間が減っていくなかでも、僅かばかりの希望にすがり、ただただ帰ることだけを心に踏ん張った。上官の話で、日本が大変だと聞いて居ても立っても居られなくなり焦燥感や悲哀に胸が握り潰されるように苦しくなった。国を、故郷を、みんなをの暮らしを守るためにこんなに遠い所まできた。
泥にまみれ、擦り傷や痣に身体は重く、それでも守って、生きて帰るんだと思っていたのに。意味のあることだと、そう信じていたのに、なぜ日本がそんな状況なんだと悔しさと、やり切れない思いに強く握った拳何度も土を叩いた。
生きて無事に帰還した故郷で目にしたのは、空襲によって変わり果て町並み。家族は、母や弟や妹は無事かと締め付けられる思いに胸が強く早い鐘を打つ。震える足で家へ向か道すがら、よくぞ帰って来てくれたと方方から声をかけられた。おじちゃん、おばちゃん、何も出来なかった。みんなのことを守ってあげられなかったと頭を地面に擦り付けた。
「何を言うか。 建物は崩れたけど生きとるだろう。お前も帰ってきてくれた。ずっと神社参りして待っていたんだ」と涙に瞼を腫らして抱き合った。
家族のことを聞いてみるが、何せ空襲以降はどこも自分たちのことで手一杯で、他の地区のことはまだ分からないと言う。落ち着いたらまた会おうと、手を振って別れ、まずは知人が無事であったことに安堵した。
焼夷弾に焼かれ崩れ落ちた家屋の残骸や、爆弾でも落とされたのか吹き飛ばされたものが瓦礫となって行先を阻む。それを片付ける人、焼け落ちた家の前で肩を落とす人、生きていたんだからと励まし合う人。築き上げてきた暮らしも、積み上げてきたものも、全てなくなった。けれど、すれ違う人はみな、また歩み始めているようだった。
やっとの思いで帰りついた家には誰もいなかった。家だったものは住みになって佇んでいるだけで、なにも言わない。
愛して育ててくれた母。
まだまだ甘え盛の妹も、父や私の代わりに家を頼むぞと託した弟も、いなかった。
来た道を慌てて戻り、空襲の時のことを聞くと、逃げ遅れた人や直撃を受けた人たちがいたこと、その中に、近所に声をかけて回った母たち家族がいたことを聞かされた。母も、弟も妹も、手分けをして皆に避難を呼びかけていたのだという。町角の足の悪いおばあさんを助けたあと、避難をしようとしたときに炎と砂煙、爆音に姿を消したのだという。
抑えきれぬ戦争への憎しみと、やり切れない悔しさが込み上げてきて、握りしめた拳のなか爪が深く刺さって強く痛んだ。
お国のために頑張って参りましたと勇んで玄関戸を開けば「よく頑張ったね。よく買ってきてくれたよ」と、涙を流し喜び労う母の姿があると思っていた。兄は帰って来ましたと笑顔をに皺を刻めば「おにぃ、おっかあの言うこと、ちゃんと聞いて、お手伝いもいっぱいしたんだよ」と、抱きついて甘える妹を褒めて慰めて、頭を撫でてやるはずだった。
「にいちゃん、家族と家をちゃんと守ったんだ」と自慢げな弟に、不在の間、良くぞ母と妹、家を支えて守ってくれたと褒めて抱きしめてやるはずだった。
ただいまと、買ってきたらならば六畳間の畳に大の字に寝転んでい草の匂いに包まれて、だらしなく昼寝をするつもりだった。
誰一人の声も聞くことは叶わない、温もりを感じることも出来ない。他愛ない話をすることも、喧嘩をすることも、笑顔を見ることもできなくなってしまった。「ごはん、美味しいね」とはしゃぐ妹、がっついて喉を詰まらせて胸を叩く弟、困り顔をしながらも笑顔で見守る母の姿。
戦争が始まる前は、私が出征する前はそこにあった日常が
炭と成れ果てた。、
幼馴染にして気心知って、将来を誓った愛する人に、必ず生きて帰ってくると手を振って別れたあの日。名残惜しそうに、寂しそうに手を振る彼女の姿は未だない。
「おかえりなさい」と抱きしめてくれただろう「これから幸せになろう」と笑いあっただろう。彼女の所在を知る人はいない。
いつも大きな声で溌剌としていた近所のおじさんもいない。校庭や畦道を虫を追って走り回った友も、近所の手のかかる幼子もいない。「しっかりやってこい」と日の丸を振って見送ってくれた人のどれだけが残っただろう。
国も、町も、家族も大切な人たちの何一つ、誰ひとり守れなかった。勇んで戦地へ行った人、できることならどこにも行かず、愛する人のもとで平穏に過ごしていたいと唇を噛み締めた人も、行かないでと涙を流した人も、日の丸を振って見送った人たちも。
守れなかった。
残ったのは、惨劇の残る残骸だらけの故郷と、悲しみと前を向かなければ、また始めていかなければという気持ちのなかで藻掻くひとたちだけだった。
暫くして復興が進み、元通りとはいかずとも賑わいが戻り、灰色だった世界が活気に色と光を取り戻しはじめた頃、遠く離れた病院に運ばれた人がいると報せを受けた。聞けば若い女性だというから、根掘り葉掘り必死になって聞いて回った。
駆けつけたそこに見たものは、復興が進む世界で時間が止まったように、ぽつんと取り残された戦場の様相だった。ばくばくと強く打つ心臓が苦しい。まるでボロ布のように横たわる負傷者と、献身的に手当をしてまわる看護師の姿。血の匂いや、すえた臭いのなか、小さくうめぐ声に混じって聞こえる喉笛。どれだけの人が巻き込まれたのだろう、どれだけの町が戦火に見舞われたのだろう。いったい、どれだけの人が命を奪われたのだろう。
ここにいる負傷者のうち、何人ほどが助かるのだろう。
救護所のなか、探し歩いて目にしたのは赤が滲む包帯を所々に巻かれ、すこし痛々しそうにして微笑みをこちらに向ける幼馴染の姿だった、
よく無事であった、よく生き残ってくれたと声をかけ、傍に寄れば「あなたが帰ってくるのを待っていたのよ」と彼女が優しく抱きしめて労いの言葉をかけてくれた。
駆り出された戦地で壮絶に戦い、生き抜いた先で孤独と絶望に身を焼かれた私に、神様は大切な宝物をひとつ守ったのだと褒めてくれているような気がした。子供のようにみっともなく涙を流し嗚咽する私に「しゃんとしなさい」と涙を流しながら笑顔を見せる彼女の姿に、私の心の中で燻っていた戦争の火種が静かに消えた。
家族を失い、友と恩師を失い、戦地では多くの仲間を失った。国同士の愚かな争いに巻き込まれた私たちに与えられたのは、試練と困難だった。そうして、その果てに残ったのは不幸と絶望だけだった。
もう二度と母に抱きしめてもらうことも、母の手作り料理を食べることもできない。素直で真っ直ぐでとてもいい子だった妹と遊ぶことも、一緒に昼寝をすることもできない。すこし我儘だけと、我慢をしていうことを聞いてよく働く弟の成長を見ることもできない。戦争は故郷の日常も、家も、財産も、家族も人の命も奪い尽くして終わった。
誰ひとり、何ひとつとして守れなかったと悔しに震え、無力感に押しつぶされそうな私に、たった一つの宝もの、たった一人の家族が残った。神様などいるものかと恨んだこともあったけれど、神様はたくさんの命を救う中で私の愛する人をしっかりと拾ってくれた。きっと「お前はよくやった、たくさんの誰かの命を救っただろう」と褒美として力を貸してくれたのだろう。
彼女が退院をする時分には、仕事を見つけ必死に働いていた。こうしていると戦争があったこと、戦地に赴いて震える指で引き金を絞ったことも、銃後を想い必死に生きて帰ったことも無かったかのように世界が動いるような気がしていた。仕事をする皆の中に、明るい話題や笑い声が響いて、誰もが今を生きている。現実を受け入れた先に、悲しみを乗り越えて笑顔で第二の人生を始めたようだった。
汗をかき、疲労に身体を重く家に帰れば、あたたかく迎えてくれる最愛の家族がある。あの時、今生の別れになっていたかもしれない恋人が、あたたかいご飯を作って出迎えてくれる。
もしも戦争がなければ、特別なこともない当たり前のことと思っていたことだろう幸せが、いまここにある。
暮らしが落ち着き、私は幼馴染と誓いを交わした。どんなときも支え合って、敬い愛し合って力の限り強く生きていこう。いつまでも隣で笑って、手を取り合っていこうと誓って夫婦となり、互いにたったひとつの家族になった。
壮絶な人生と、歩んできた険しい道のりを話して聞かせてくださった旦那様。震える指で目元に光る涙を拭うと、そっと優しく隣に座る奥様の手を握る。私がたった一人守った愛する人なんだと照れる姿に、私はまた一粒の涙を流しながら幸せを感じました。
涙を流しながら旦那様が話をしてくださるなか、私も同様に涙が止まりませんでした。私の曽祖父や親戚もまた、戦争によって人生を大きく変えられたからということもあり、旦那様の話が重なってしまったのです。
親戚から戦争について話を聞くことはありませんでしたが、祖母や祖父から聞いた話は私の心に強く焼き付いていたのです。
親類のなかには大切な何かひとつでも、誰かの大切な人ひとりでも助けたいと思い、自衛官になった人が多いことは知っていました。そして、幹部自衛官として、部隊指揮をとっている人もいるのだと聞いておりました。
だから私も兄も自衛官になり、事ある時はと備えていました。必死に勉強をして飛び込んだ自衛隊の道は、病気がきっかけで退職することになって志を貫き尽くすことの出来ないままに、半ばにして遂にお役に立つこともできなくなったのです。
せめて何か一つ、誰かのために僅かながらでもこの身を使えないかと考えて復興事業、この仕事に就いたのです。
話を聞いてくれてありがとうと、涙を流しながら手を握る住民様。罵倒しながらも、最後には申し訳ないと頭を下げ、どうか元気に頑張ってくださいと真剣な面持ちで肩を叩く住民様。こうして沢山のお声を頂いて、私は私に出来ることをしっかりとやれているのだなと実感していました。そして、この胸の中にあった想いが旦那様の大義された話で打たれ涙を流したのです。
何の役にもたたず、自暴自棄になったり自己嫌悪で不貞腐れていた私は、話を聞いて情けなく格好悪いと自分を恥じました。
人間が存在する限り、例えどんなに小さな争いも尽きることは無く幾度も悲劇を繰り返していきます。人間は少し賢いが故に、覚えることも忘れることもできます。賢いが故に、選ぶ道の先に悲劇が待っていると知っても、最後には必ず足を踏み込むのです。
だけど、戦争なんて間違った選択をしないで欲しいと全ての国の、国民の上に立つ方に願ってやみません。
皆さんこんばんは。ゆずぽんずでございます。
本日、生まれて初めて「ナポリの窯」でピザを購入いたしました。私は寝ても覚めてもシーフード大好き人間でして、ナポリの窯でも海の幸の誘惑に負けて、同じようなものを頼んでしまいました。
ーー美味しかったんですよ。
生地もそうですが、他社のものに比べてすこし軽い印象を受けました。だからでしょうか、胸焼けも胃もたれもなく純粋に美味しさを楽しむことができております。
さてさて、今日お届けする言の葉はこれから訪れる地獄のような暑さを想像し、昨年のことを思い出しながら読んだものになります。
のどを鳴らして水を飲み干したくなるような、嫌な暑さを想像し易いように、丁寧に言葉を紡ぎました。
これから先、いえ、既に暑さも本格的になって参りましたのでくれぐれも水分補給をしっかりとしていただいて、お身体を悪くされないようにお気をつけてお過ごしくださいませ。
では、
どうぞ!
『焦熱の空』
朦朧と 霞み揺れ踊る道の果て
行き交う車と 人の川
忙し過ぎ行く 暮らしの音が
時吹く風の手を取って
その足軽く 舞い上がり
上向く気流に誘われ
絵の具が溶けたように 隣の街まで
青い空へと 溶けて消える
喧騒に再び前を向けば 汗が滲む
一粒の汗が筋を残して
陽射しが撫でると 光が溢れる
拭う袖は 更に色を落として染みを増やす
街角の タバコ屋の庇の陰にオアシスを見て
つむじから注ぐ熱に たまらず身を隠す
溢れる汗に為す術もなく 影に沈んだ
折れ癖と糸が解れに
年季がよい鞄からボトルを手に取り
キュッと音を響かせ 蓋をとる
喉を鳴らして 身体を潤すと
見上げる青に トンビが二つ
羽ばたく孤影が円を描いた
暑さを感じぬほど涼しげに
ゆるりと回って 登ってゆく
手首で蒸れる時計の時針が天を衝く
オアシスを後に 歩きだす
「あと少しで昼休みだ」
吐息多く呟いて 涼と飯を求めて歩き出す
再び靴が灼熱の地面を鳴らした
ふわりと上向く風に 視界が広がり
さらに高さを増してゆく
獲物を探す 視線の中に
くたびれた 人の背を見つける
張り付いたシャツは 汗に重く垂れている
重い足を引きずるように
街の中へ 溶けていった
さらに高く登れば
遠い山の向こうまで
空は雲をどこまでも
蹴散らしていた
皆様こんばんは!
昨夜の詩はいかがでしたでしょうか。楽しんでいただけましたでしょうか。言の葉を大切に紡いだ一言一言から生まれる詩は皆さんの想像力を刺激で来ているでしょうか。心に届いているでしょうか。
さてして、今日は
大切なお知らせがあります。
この度「note」への作品投稿を開始いたしました。
なぜ「note」への投稿を始めたのか。それは、こことは違う場所で未だ関わりのない方へ、私の心を届けたかったからでございます。
もちろん、心無いコメントなどを頂くこともあるかもしれません。
ですが、たとえば
「こんな詩を詠んでほしい」
「こんな作品を投稿してほしい」
「どんなことを考えて、思って文章を書くの?」
などの言葉をいただけた時、私一人ではなく皆さんと共に素敵な作品を生み出していけるのでなないかと考えました。
私は、様々なジャンルの文章を書きますが、これまでは拙いものであったと島隠しております。ですが、詩を読むことは私にとってとても良い刺激となりました。これまで意識できていなかったことに、目がむくように、意識ができるようななりました。
他のジャンルの文章を書くにあたり、とても有意義なものだと感じております。
そして、今後はこちら「書く習慣」と「note」の両方に作品を投稿して活動していきたいと考えております。
もし、ご興味のある方やお話してみたい方がおられましたら、ぜひ訪問してみて下さいませ。とても嬉しく思いますし、大歓迎いたします。
「ーゆずとレモンとスパイスー」
という名前で活動を始めましたので、気が向いたら逢いに来てくださいませ。
それではーーー
今日の詩をあなたに届けます。
『片隅で』
風に踊る木の葉の葉擦れが
閑静な通りに漂えば
虫や鳥が鳴らす音と手を取り
穏やかなメロディへと姿を変える
足元の木の葉が舞踏会に足を揃えた
傍らの小高い山の木々の根元から
縦横無尽に繁茂する葛のツルが
道に沿うフェンスに絡みついている
行く先々まで若葉の壁が
疲れを癒してくれているようで
心地よい
ぐるりと見渡せば
白や黄色 橙や桃色の若い花が
質素な辺りを パステルに彩っている
低く重く垂れる空色に
幾分か過ごしやすさと不安を感じて
僅かに歩調が速む
ただひとり
芽吹くいのちの声を聞きながら
ため息をひとつ打っては
深く吸い込む
大きな街の片隅で
木陰が伸びる坂の道へ
遠ざかる背が
ゆるり小さくなっていく
柔らかな風に誘われて
舞踏会を始めると
静かな木陰に
ころころと表情を変える影
僅かに疲れを見せる背に
優しく息を吹きかけて
やや重い歩みを
そっと支えた見送った
深緑の中で
小鳥が小さく
囁くようにひと鳴きして
その声は山に吸われて
泡のように弾けて消えた
お久しぶりでございます。
散々、投稿をするといいながらも検定対策ですとか、筋トレですとか、お料理ですとか、家庭菜園(と言ってもプランター三つ)など趣味にあけくれておりました。その他にもボールペン習字をしたり、自家製キムチを漬けたり、コンフィを大量に作ったりと慌ただしくしておりました。
そんなことをしていましたら、すっかり忘れておりました。ご心配をおかけいたしました。
さてさて、六月もまもなく終わりますが、6月はまさに梅雨の時期ということで梅雨にちなんだ詩を読みました。
情景をなるべく自然な形で言の葉に乗せましたので、ぜひ想像を膨らませながら読んでみてくださいませ。皆さんの、詩を詠むお顔やお心が読み取れないのが残念ではありますが、きっと「へぇ、まぁまぁやるでねぇの」と喜んでいただけると自負しております。
いえいえ、ものすごく自信がございます。
ーーでは、音と匂い。
そして、情景をイメージして
お楽しみくださいーー
『濡れた裾と 六月の匂い』
雨打つ音に 梅雨の最中と思ひ出す
冷えた風が 黒い路面の香りに 鼻を擽る
晴れ間の日差しが 溶け込む日向の頃に
窓の向こうは いつの間にやら
雨に白く揺れ 気分をひとつ落とせば
開けっ放しの窓を そっと閉じる
家路を急ぐ人の背は
傘を忘れて 重く貼り付いている
へこみ 癖のついた鞄を頭に 傘代わり
よれた革靴が 流れる水を蹴っては
濡れた裾が 足を重く引いていた
皆さんは、「依存」という言葉にどのような印象を受けるでしょうか。文字や言葉だけでは、ポジティブなイメージはあまり無いかもしれません。スマホ依存症などの言葉も、生まれて久しく、やはり良い状態を表すものではありません。しかし、依存という言葉は前向きな面もあります。
また「リスキリング(学び直し、資格の取得)」については、どのようなイメージを持たれているでしょうか。この言葉を頻繁に耳にするようになったのは、2020年です。まさに、新型コロナウイルス感染症が感染拡大していた頃です。企業がリモートワークを推奨、或いは義務化したりと世の中が大きく変わりました。
そして、自宅待機やリモートワークなどで手隙の時間が生まれたことによって、趣味に没頭したり、新しいことを始める人が増えました。通勤時間が無くなり、人によっては数時間が自由に、有意義に使うことができるようになったのです。
そこで、これまではただ消費されるだけの時間を、ワークスキルやジョブスキルの向上に、役立てることができるように。さらに、新しい分野の知識や資格を得る機会もふえました。
人は生活をする上で、ほとんどの方が生活の基礎として「ルーティン」、つまりは決まった行動の繰り返しを行っています。
このルーティンは個人だけでなく、企業も活用することで能率の改善や、安全衛生管理に役立てています。
今回は、そんな〈依存〉や〈リスキリング〉〈ルーティン〉について話をしてみます。3つのワードについて、それぞれ触れながら、どれひとつとして無縁ではないことをお話しいたします。
【依存】
人は誰でも、何かに執着や依存をして生きています。これは、自分自身では意識していないところで起きていることが多く、客観的に観察してみなければ、なかなか気がつかないものです。
例えば、身近なところだとスマートフォンへの依存。タバコやお酒への依存。そして、人に対する依存が挙げられます。人に対する依存とは、恋人関係や友人関だけでなく家族、特に親に対する依存です。
ニコチン中毒(ニコチン依存性)や、アルコール中毒(アルコール依存症)など、依存を指す言葉は広く知られており、様々な場面でこの言葉を口にする人もいます。人を卑下するためであったり、自虐するためと様々です。依存の形や原因もまた、人によって多様です。
ニコチン中毒は、喫煙者がタバコを一定期間、吸うことによってタバコに含まれるニコチンに依存することを指します。そして、タバコを吸うことでドーパミンという快楽物質が大量に放出されることにより、一時的に快感やリラックスを得ることができます。そして、その状態を求めて喫煙を繰り返し重ねていくことで、依存していくのです。
しかし、中毒という言葉が表しているように、喫煙には多くの問題が挙げられます。まず、煙を吸うことにより、一酸化炭素の取り込みが行われます。そして、葉に含まれるニコチンを煙と共に吸引することで、肺細胞から血中にニコチンが吸収されていきます。
この時の煙やニコチンが、血管や肺の運動機能の低下させ、組織の弱体化を進めていきます。これによって、心臓病や発癌リスクが非喫煙者に対して3倍ほど高くなります。このほか、脳卒中などの危険性も併せて高くなることが分かっています。
ところが、一度でもいってあ期間の喫煙を繰り返してしまうと、喫煙することで快感を得る、リラックスをするという目的は薄れていきます。喫煙行為その物が、生活の一部となるのです。
起床してタバコを吸い、歯を磨きスキンケアをする。朝食を摂ってタバコを吸い、仕事の合間にタバコを吸う。このように、朝から寝るまでの行動の節々に喫煙が入り込んで来ることによって、強く依存していきます。
これはアルコール依存症なども同様に、生活の一部に加わることで、飲酒行為そのものに依存していくのですが、タバコより難しい問題があります。お酒は、人により状態や程度は様々ですが、浮遊感や酩酊感などの症状が現れます。また、お酒を飲むことで理性の働きが鈍くなることで普段とは違う自分を出すことができるのです。その状態や、自分自身の解放が依存につよく起因しています。
また、お酒を飲むことでしか入眠ができない人や、心が落ち着かないなど、心因性の不安を取り除こうとするために、飲酒が続いてしまう人も多いのです。よく、「タバコは百害あって一利なし、お酒は百害あって一利あり」と言います。別の言葉として「百薬の長」などともいいますが、これは古代中国の漢書のなかに書かれている言葉です。これは、お酒が人々の生活を助けとなると思われていた為に生まれた言葉で、他に「酒は天の美禄」という言葉も書かれています。数ある薬の中で、お酒は最も良いものとされていました。
古代ギリシャでは、「ワイン」が有益な薬とされており、やはり当時の人々にとってお酒というものが、どれだけ身近で大切なものだったか分かります。
ところが、この「酒は百薬の長」という言葉は日本古典文学の三大随筆のひとつである「徒然草」にも登場します。「酒は百薬の長といへど、よろずの病は酒よりこそ起これ」というものですが、この言葉は酒は人を楽しませ、豊かにするが、同じく飲み過ぎれば害となるとしています。
お酒は、少量であれば楽しい時間を過ごすことができるほか、辛いことや悲しいことを、一時でも癒してくれます。しかし、飲み過ぎれば理性が効かなくなり、周囲にたいして暴言や暴力などを働いてしまうこともあります。また、飲酒は、喫煙同様に依存しやすいだけでなく、心臓や血管の病気のリスクも非常に高くなります。
このように、身体的なリスクだけでなく、場合によっては社会上のリスクになることもあります。しかし、人はこれを理解していても続けてしまいます。それは、冒頭で
説明した「ルーティン」にも深く関わっているからなのです。
次に、人と人との繋がりのなかでの潜在的な依存についてです。親子関係や友人関係、恋人関係には、人によって強く共依存している場合があります。
親子関係だと、一般的に挙げられる状態として子が親に執着している(または、その逆。あるいは両者とも)場合や、親や子が独立できていない状態です。ここで言う独立は、実家を離れてひとり暮らしをするということではありません。心の自立と自制が、人としての独立です。
親の愛情の大きさや、その形によって一概にはいえませんが、多くの場合は親の子離れ、または子の親離れができていないことが見られます。この親離れ子離れは、ひとつにこれというものではありませんが、問題として挙げられるものとして、経済的な執着が多いでしょう。
子がアルバイトを始めたとき、または社会に出たときには収入を得るようになります。実家に住んでいるのであれば、家賃や水道光熱費など生活費の支出はあります。これは、ひとり暮らしで自己負担をしていることと状況は大して変わりません。
問題は、この収入に対して必要以上の金額を要求したり、欲しいものを強請るなどの行動です。子の大学入学のために、親が諸費用を負担しているのであれば、家庭によってはその部分も子に負担なく、返済をしてもらうこともあるでしょう。しかし、そうではなく単純に金銭が欲しいために金銭を要求している場合が問題です。このような状況は、子に金銭的な負担や不安がかかる事になります。また、これが様々な問題の要因となるのです。
子が親に向ける感情や気持ちの変化、感謝や尊敬、愛情や信頼の喪失による関係の悪化。そして、家族の崩壊や、その他の最悪な展開に至るケース。幾度となく、悲しい報道を耳目してきましたが、このような家族間問題は、再発の防止や対策というものを行政や関係省庁が行うには難しいのです。寧ろ、不可能といえます。
子が親に執着、または依存する場合はまた違った角度の話になります。しかし、関係の亀裂や、そこから派生して起こる問題はいずれも悲しいものであったり、心苦しいものです。
親が愛情を注いで育てることは、生き物として当然ですし自然のことです。しかし、愛情のかけかたや、程度によっては子の自立と独立を妨げてしまいます。ともすれば、教育と躾を行っても、子は幼稚園(または保育所など)から、少しずつ世界を大きくして歩いていきます。その先で、対人関係などの外的要因から、人格や思想思考に変化が現れます。
この人格形成には、【家族】【愛情】【環境】が大きく、そしてダイレクトに作用します。家族構成や、親兄弟の接し方などは子の発育の基盤になります。そして、愛情です。生き物は愛情をうけなければ、最悪の場合は命を落としてしまいます。これは、自ら命を手放すということだけでなく、発育の問題があるのです。これまで、そういった分野についても研究や実験が行われましたが、発育不順や命を落とすという悲しい結果も残りました。しかし、この実験によって愛情が不確定要素ではなく、科学的に必要で重要なものと分かっています。
環境は、ここまで触れてきた家族と愛情も大きくかんけいしますが、家庭外での接触です。幼稚園や保育園などでの友人関係であったり、保育士や教諭との関係性。小学校や中学校など、思春期の時期には友人関係だけではなく、「先輩」「後輩」の関係も生まれます。進級や進学の度に目まぐるしく変化していく、周囲の状況や立場が心に根深く残ることになります。それこそが、人格の基盤に太い柱が経つときなのです。
このように、成長期にあって濁流のように流れる時間と環境の変化は、後の子の生き方や、思考思想の在り方に大きな影響与えます。そして、これを親がどのように支えていくか、フォローしてあげられるか。導いていて、背中を見せるのかで子の舵を切る先が決まります。
あらゆる要因や事情から、子が親や家に執着し、依存する状況になった場合は心的な依存から始まります。例えば、反発していたとしても、親だから見捨てることは無い。暴れて暴言を吐いても理解をしてくれる、わかってくれると考え始めます。
この状況が改善されなければ、心から物への執着が起こり、その先に部屋や家などの空間環境への執着へと進みます。次に、この時に抱えている心の重りによって、そこから逃げようとするために、身の回りのものへの意識が高くなるのです。最終的には、全ての問題の解決のために金銭問題へと進むのですが、この時から本当の意味で親と子の関係が瓦解します。
ここまで話してきた、親と子のそれぞれの執着や依存の根底は心にあります。今回は、極端な例を挙げて話をしました。とはいえ、ここまではいかなくとも「親ガチャ」や「子ガチャ」などの悲しくも、現代日本において苦しい実情を表した言葉があります。そのなかには、子が働いて得た収入を全て奪われるものであったり、子に暴力で支配された親が悲しい結末を辿ふというものも。
人は心を持ち、ほかの生き物より少し賢いが故に、ほかのいかものよりも不器用なのです。それが、依存というものを形作っているのですが、依存には「共依存」と「相互依存」というものに別れます。先程まで説明してきたものは、前者になります。では、次はもう一度、共依存に触れつつ相互依存について話してみます。
ここまで話してきた状態が共依存でした。共依存は、自分と特定の人との間柄や、関係性に対して、過度に依存している状態です。また、自分と特定の相手がその関係性に、過剰に依存していたり、囚われている状態です。
自己肯定感や顕示欲、承認欲求などが原因とされています。これを、誰か特定の相手に依存、または特定の相手と依存し合うことで調和をとっているとされています。
次は「相互依存」についてですが、共依存とはまるで違うものとなります。
相互依存は、お互いを認め合い、助け合っている状態。企業や国においても、この状態はごく自然に見られます。経済などでは、互いの国が相互貿易に頼りあっている状態です。また、これは自然と生き物との間にも関係しています。例えば、花は蜂などの昆虫に蜜を吸わせ、この時に昆虫の体に花粉を付着させます。そうして、蜜を吸うためにたくさんの花を巡る昆虫が、花粉を運び、受粉へと至ります。
自然環境を観察すると、様々な関係性を知ることが出来ます。人と人、国と国だけでなく、企業と企業や、自然と生き物。そして、自然と自然(植物と植物など)が互いに支え合っているのです。
この相互依存は、恋人関係では先に説明したように互いの魅力に惹かれ、互いの良さも至らなさも理解し合って、手を取り合う状態を表すこともできます。そして、家庭内の経済状況について。共働きであれば、双方の収入で家計を管理するなども、そのひとつです。
夫婦やパートナーのいずれかが、収入を得る。そして、いずれかは家事などを行う。これも、互いに認めあってバランスよく成立していて、頼りあって助け合いになっているなら、相互に依存していると言えます。
ここまで、相互依存について触れましたが、心理学分野において、この相互依存が問題となる場合もおります。苦しい、辛いなどという、心のサインが出ている状態において、相互依存は「助け合っている」という面ではなく、自分と相手との区別がはっりきしない。または、境界線を見失っており、アイデンティティが分からなくなっている状態でもあります。
これを、簡単に言い表すと、自分のことも相手のことも見失ってしまっている状態ということになります。問題なのは、こうなってしまったときに心が均衡を保とう、現状を変えようという動きに傾くことです。洗脳や支配など、自分を見いだして、相手に自分を認識させ、自分を受け入れさせる。こうなれば、その行く末は家庭内暴力に発展したり、第三者に意識が向かうことで、人間関係の崩壊などに繋がります。
また、このときの心理状態は非常に不安定で危険な状況にあり、自制が働かなくなることで、不良の行いなど望まない結果を招く危険性があります。
もしも、恋人感や夫婦、パートナー間で、不安や不満などが生まれたときは、一方的なものでは無く相互理解が必要であることを意識して、解決に取り組んでみると良いでしょう。
依存は、良い面と後ろ向きな面があります。大切なのは、自分を見失う事なく、必要に応じて必要なだけ身を預けるという、自分自身の取捨選択と、それに伴う自発的行動が重要な要素であることがわかります。
そして、この依存という心の動きは、次に話す「ルーティン」にも深く関わっています。
【ルーティン】
ルーティンは人々の営みの中にある、無意識、あるいは意識的に行っている決まった所作です。験を担ぐため、モチベーションを維持するため。或いは、自分のペースが乱れないようにするためなど目的は様々です。
スポーツ選手や、格闘家など様々な分野においても、ポテンシャルやパフォーマンスなどの維持や向上のために重要な要素となっています。例えば、米国のメジャーリーグチームに「シアトル・マリナーズ」で、その力を存分に奮った「イチロー」さん。彼は、打席に経つと決まってお馴染みの動作をしていました。これには、姿勢を安定させたり、ペースを保ったりと様々な理由があるようです。
彼は、打席だけでなく、その前や試合中。果ては試合後にも、決まって同じことを意識的に取り組んでいました。また、休日であっても、いつも決まったメニュー、決まっ順序、決まった数や時間を管理、徹底していました。
もちろん、ルーティンを意図的に取り入れているのはイチローさんだけではありません。決まった順序、動作、角度など、スポーツ、音楽、ジャンルに問わず真剣に向き合う人たちにとって重要な鍵となります。
プロであればなおのこと、は綿密に計算したり、コーチングを元に取り入れています。しかし、これはプロの世界、アマチュアの世界に限らず一般人にも言えます。恐らくは殆どの方(特に几帳面な方やマメな性格の方など)も、一つや二つは決まった時間や場所に決まった行動をとっているとおもいます。
私は、洋室にタイルカーペットを敷いて、そこに布団を敷いています。そして、私のルーティンを簡単に話してみます。まず起床直後に布団を畳み、その後に着替えを済ませます。続いて、1度トイレを済ませた後に洗顔と歯磨きを行います。次に朝食を摂って、もう一度だけトイレを済ませて家を出るという流れです。
仕事の中でも基本的には、節々の時間で、しておかなければならないことや、やっておきたいことなどをするという決まりを作り、時間を設けています。私の場合は、朝のルーティン、一連のの動きが一日のパフォーマンスに繋がるので、崩さないように徹底しなければなりません。
何度か、違うことをしてみたのですが、どこか心が落ち着かなかったので、すぐに戻しました。身支度などの順番や時間などを変えると、なにか忘れ物をしているような、不安なきもちになります。しかし、全てを丸々変えてみた時には、むしろ新しい発見や新鮮な感覚に包まれて幸福度に変化を感じました。数ある中の何か一つを変えようとすると抵抗がありますが、ルーティンをパターン分けして、いくつか用意しておくことで、体調や気分に合わせて行動ができるようになったのです。また、これは出張などのイレギュラーな場面で強くプラスに働きました。
ルーティンは心のバランスを保つだけでなく、自分の体調や気分などを知るための重要な要素です。もちろん、全くもってルーティンのない人もいます。例えば、私の兄は決まった時間に起きることもありません。起床後はいつもバラバラな行動をしますし、眠りにつくまで一貫していません。しかし、兄にとってはそれがベストな状態だと言います。気分屋な彼にとっては、自分の行動をスケジューリングするよりは、その時の状況に合わせて気ままに過ごすことが最善で最適解なのだといいます。
先ほど、私がルーティンを心のバランスを保つためと言い、体調などを知るためと加えました。そして、このうちの何か一つでも欠けた時は、増えた時に比べて不安を強く感じます。何かしらの動きや予定が増えた時は、その都度調整をすることで、寧ろポテンシャルを向上させています。しかし、逆になると何か違和感や焦燥感といったネガティブな気持ちに支配されます。
これは、私が私の行動一つ一つに私自身が依存している状態とも考えられます。安心して背を預けていた壁が、突然に無くなった時、体を支えるものを失って、勢いのままに倒れてしまいます。これが、心の状態にも当てはまっていると考えています。拠り所や支えとなっていたものが欠けた時や変化した時は、そのまま気持ちの揺らに直結し、不安を生み出します。
私にとって、決まりきった行動、時間というのは心の平穏に他なりません。これを守るために、執着しているのですが、パターンを使い分けることで更に心の安寧に繋げているのです。
私の場合、ルーティンをパターン化したことで、平日や休日、出張などで臨機応変に切り替えることでパフォーマンスの維持や気持ちの整理を行って行くことができています。
「依存」で触れた、タバコ依存についてですが、喫煙もある種のルーティンとなっています。食事前後の喫煙や、休憩時間や就寝前など、一日を通して幾つも喫煙のタイミングがあります。故に禁煙という壁が高くなります。ルーティンを崩したりすることで、心が落ち着かなくなると言いした。喫煙者にとって、一日の中にいくつもある決まった行動が無くなることになります。タバコを加えながらスマートフォンを操作したり、ゲームや動画を楽しんだりしていた、その手元や口元にあるはずの物が無くなることでストレスを強く受けます。
もちろん、ニコチンによる影響への依存というのは大いに有りますが、同じく喫煙者にとって苦しいのは、これまでの時間の使い方やストレスの解消、或いは発散方法が無くなることです。
アルコールやゲームやスマートフォンにも共通していることですが、人はそれぞれに生活のスタイルやスピード、ペースやベースがあります。これを下から支えているのが、心の均衡と平穏です。
そして、それを維持したり、守るためにルーティンを故意、若しくは無意識に生み出しているのです。そうして、慣れ親しんだルーティンそのものや、そこから得られるものに依存することで健康的に過ごしているということになります。喫煙や飲酒はそのものに依存する危険性がありますが、行動そのものにも依存しているからこそ、辞めるにやめられないのです。
リスキリングは感染症が猛威を振るう中で、浮いた時間を以下に有効活用するかとして、取り組む人が増えました
。 しかし、日頃から時間があっても、自身のステップアップなどに行動を移せないという人は少なくありません。「三日坊主」という言葉は、とても馴染みの深いものです。この言葉のように、まさしく三日でやめてしまう、継続できなくなってしまう。
これは、新しいことに取り組むことへの気概と併せてストレスも発生するからこそ起こり得ることです。好きなことは取っ付きやすく、継続し易いですが、それはストレスをほとんど受けず、幸福度や満足度が高く維持されるからです。
不得手、苦手、不慣れなことには強い抵抗や、苦手意識が同時に生まれます。そうして、習慣化をすることが難しくなっているのです。
しかし、この苦手なことや不慣れなこと。或いは不得手なことや、なかなか気が進まないことを生活の中に組み込むことはさほど難しくはありません。例えば、リスキリングでは必要な、若しくは目的とする分野についての学習などが必要になります。
学習にはいくつかあります。動画や参考書、教材や過去問題集など何れかの、またはその全てを用意しなければなりません。用意するまでは意欲に燃えている方も、いざ
取り掛かるとなると腰が引けたり、そのボリュームに少し億劫になってしまうことがあると思います。
この億劫な気持ちや、初めて触れて実感するボリュームへの抵抗。そして、勉強法での躓きが学習から心を遠ざけてしまうのです。
学生の頃は毎日のように勉強をしていたので、自分の学習スタイルがあったと思います。しかし、この環境からしばらく離れていると、何から始めていいのか、どのように進めていいのか分からなくなります。それに比べて得意なひと、賢さに自信のあるひと、学習スタイルを覚えている人はスタートのハードルがさほど高くはありません。
どのような勉強をして良いのか、合っているのか。それは目標とするレベルや期間、或いは期などの時間の制約ざあるなしで変わってきます。
時間がある、基本から応用などの範囲で知識を確実に習得する必要があれば参考書やテキストブックに目を通すことから始めます。検定などの試験対策が主な目的であれば、過去問対策から始めます。この時、ひとつの知識も持ち合わせていない状態であっても問題はありません。
このように、目的や制約など、その人に必要な状況によって取り組み方が変わります。また、どのようにノートをとるのか、マーキングをしていくのか。これも人によって様々です。私は、基本的にノートをとることはありません。過去問をクリアしていくなかで、設問に繰り登場する専門用語などは、メモ用紙や紙切れに残しておいて、後でまとめて調べて覚えていきます。
ノートに取らないのは、単純に効率が悪く、時間の無駄になってしまうからです。しかし、計算などが必要な問題などは同様にメモ程度にその辺の紙に書いてしまいます。公式や計算が必須の分野であれば、ノートは必要になってくると思います。ですが、重要なのはインプットすることと、それを自分なりに噛み砕いてアウトプットして理解を深めることです。
学習、勉強は闇雲にノートに文字を書くだけでは効率が悪く、時間もかかり、疲労も溜まるだけです。自分に合った勉強法の確率が重要な要素ですが、これも少し調べてみると、色々な情報から自分に適したものが見つかります。
では、これをどのように生活の一部として組み込むか。とても簡単な方法ですが、学習時間は、隙間に埋め込むことから初めることです。無理に何時間も学習時間として設けてしむうと、息苦しくなったり、身動きが取れなくなることがあります。「あー、今日も勉強しないといけないのか」と後ろ向きな姿勢になってしまうことは珍しくありません。
ですので、勉強はスキマ時間の、それこそ5分程度から着手することが習慣化へのきっかけになります。どのタイミングで時間をとるなど決めず、ほんの少し手が空いた時などにたった5分だけ、テキストを見てみるとか、過去問を何問か解いてみる。そこから、少しずつやる気を燃やしていくことで、負担を抱えず、ストレスも少なく継続していけるようになります。
上手く習慣化できれば、次はこれをルーティンの一部に組み込んでいくことで、リスキリングへの自身のポテンシャルやパフォーマンスを向上させていくことができます。
ここまで「依存」や「ルーティン」について話してきましたが、このテーマが「リスキリング」と一緒になっているのは、まさにルーティンという生活の習慣化、そして、そこに依存する精神状態が強く関わっているからなんです。
一つ一つの物事が、心のバランスに大きく関わってきます。そして、それはポテンシャルやパフォーマンス、モチベーションや健康など自身を構成する全てに直結します。
依存について触れたのは、人の営みの中には必ず依存という心の支えがあり、そこに絡むように行動のパターンが身に付いていきます。
慣れ親しんだ生活様式を、いくつかのパターンに分けても、新しい物事に取り組む時にはたしょあのストレスが生まれます。好きなことや得意とすることは、幸福度が高いために相殺される傾向にあります。苦手なことや不慣れなことなどを、如何に生活に組み込み順応させるか。そこに依存とルーティンが深く絡み合っていたのです。
つまりは、いきなり濃度100パーセントに身を置くのではなく、少しずつゆっくりと慣れていくことがとても重要なプロセスであるといえます。
今回、皆様にお話した内容、そしてその目的。それは、皆様が暮らしの中で感じるストレスや不安などに対して、別角度からフォーカスすることで、少しでもその改善や解決のお手伝いができればいいなと考えたからです。
人の暮らしと心の状態というのは、強く繋がりあっています。そして、生活の中の一つ一つの行動もまた、精神健康面へ大きな影響を与えています。
長いお話となりましたが、これを読んでストレスの緩和やポテンシャルやパフォーマンスの変化などにお役立て頂けたら嬉しく思います。