『手を繋いで』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
世界でいちばん優しい鎖
もう離さないでね
もう一人にならないように
もう離さないね
もう一人にさせないように
手を繋いで
手を繋いでまた君と歩きたい。
夏の向日葵、海、セミの声が君を呼んでいる。
もう手の届かないあの日を…
いつになったら切り離せるのだろう?
私には憧れの人が居る。常時クラスの隅に居る私とは程遠い、皆中心にいて誰にでも優しくて人気者の――
まるで少女漫画の王子様の様な人。
私の様な者が恋をするのも失礼な位釣り合っていない人だ。
♢
「あんた、ロクに運動出来ないんだから体操着捨てといてあげたよ〜!」
「やだも〜可哀想じゃん〜!」
「親切でやってるんだよ〜?感謝してね?」
あぁ、またこれか。鬱陶しいから、と誰かが私を虐める。
呼び出されたから何事かと思い教室で待っていたらこれだ。
馬鹿馬鹿しい。踵を返して家に帰ろうとした時頭が揺れた。
「ちょ、手出したらまずいっしょ…」
「ごっめ〜ん!手が滑っちゃった!」
「っいた、」
殴られたのか。手を出すなんて…
本当に馬鹿馬鹿しい。早く帰りたいのに身体が思うように動かない。
―――「お前ら、何してんだよ!」
「え?━━━?こんな時間に、どうして?」
いつもの優しい彼からは想像もつかない程、地を這うような低く冷たい声色だった。
「忘れ物思い出して、。━━━さん。大丈夫?」
「ぅん、。」
「私たち遊んでただけなの〜!そうでしょう?」
反論しようとした、その時ふわりと体が浮いた。
理解する間もなく彼は私を保健室まで連れていってくれた。
「大丈夫?少し休んだ方が良いよ」
「ごめんね。━━━━くん。もう帰っていいよ」
「ずっとあんなことされてたの…?」
そういい彼は手を握ってくれた。
あぁいつもの彼だ。こんなに誰かに優しさを向けられたことはあっただろうか。
何か温かいものが頬を伝った。
「うわっごめん!急に手なんか握って気持ち悪いよな、
でも、なんかこうしたくなって…」
手を離そうとした彼の手を掴んだ。
「全然嫌じゃないよ。ありがとう」
彼をを握る手を強くすると握っていた手が応えて強くなった。
「ふふっ痛いよ」
「━━━━さんからだよ。
…そういえば笑ったとこ、初めて見た、可愛い」
優しくてみんなの輪の中心に居る彼と少し距離が縮まった。
2025/03/20 手を繋いで
僕は、そっと少しの間でいいから、
あなたの手を握っていたい。
繋いだ手の感触が好きだから。
不安なときは、いつも、
さりげなく繋ぐ。
そうすると安心する。
あなたの手が僕と同化して、
なんだかずっとそばにいたくなるから。
いつか、貴女のおばあさまが、結婚というのは、おてて繋いで仲良しこよしとは行かないものよ、と静かに仰ったことがありましたね。
当時の貴女は、そうなんだと言い、すぐに興味を失ってしまいましたが、今になってその言葉を思い出すようになりました。
今の私は、まさにその通りの生活をしている。こんな生活は、ただのままごとじゃないか、と、不安に思っているのですね。
そんな風に考えなくて良いのです。
貴女には、そうやって生きる権利が与えられています。
実はそれは誰にでも与えられていて、貴女はそれをしっかり行使しているだけなのですよ。
貴女の今の幸福をよく噛みしめて、楽しく生きていってくださいね。
学校終わりに君と一緒に商店街でコロッケとメンチカツを一つずつ買った。近くの公園のベンチに座って、コロッケとメンチカツをお互いに分け合いながら食べた。「見た目同じなのに全然違うね」「そりゃそうだよ。ジャガイモとお肉だもん」「私たちも同じ人間なのに、脳みそ違うだけで全然違う人間だもんね」「なにそれ、深っ」なんてことを駄弁りながら食べた。
食べ終わった後、今度はコンビニに寄って、期間限定のアイスを買った。SNSでものすごく好評だったけど、私的にはイマイチだった。でも、君がものすごく美味しそうに食べているところを見ているとだんだんと美味しく感じた。外でアイスを食べるには、まだ早くて手は悴んでしまった。腕を組みながらそれぞれコートのポケットへ手を突っ込んで引っ付きながら帰り道を歩いた。
「また明日ね」
いつもの分かれ道で、いつものように君から手を振られる。
家がすぐ隣だったらいいのに。
それならまだ一緒にいられるのに。
私はいつもここで同じことを思う。
そして、いつものように私は手を振ってくれる君の手を捕まえる。まだ君の手は冷たかった。
「あったか〜い」
「カイロ持ってたからね」
「え〜、いいな〜……私も持ってたんだけどなあ……」
「体育の時に一生懸命振ってたら破けちゃってたもんね」
「ねえ〜、言わないでよー! チョー恥ずかしかったんだから! あ〜あ、体操服が真っ黒になっちゃったからママに怒られちゃうかなあ……」
ため息をついて空を見上げる君に笑いが込み上げてくる。
「明日、教えてね」
また花が咲いてしまいそうになる会話をぐっとこらえた。
手を繋いで別れを告げると、君も少し寂しそうに笑ってくれるのが嬉しい。
「なんなら電話するよ」
名残惜しそうに緩く握り返してくれる君が愛おしくて、弾みで胸の内を明かしそうになった。
――手を繋いで
〚手を繋いで〛
気軽に手をつなげない。
恋人だともいえないの。
しょうがない仕方ないと言われるしかない。
僕だって、恋人がいるといいたいよ。
でも世の中は、"女には彼氏、男には彼女"と
まるで決めつけられているようだ。
一方に紹介もできないよ。
もしも紹介したら、"別れろ"と強引に引き離れる
かもしれないでしょう。
それで、彼が自殺してしまったら、僕は
どうしたらいいの。
僕はどう行動したらいいの。
決めつけられている世の中。
同性で恋してもいいですか。
明日もすてきな日になりますように。
「手を繋いで」
あなたと手を繋いで
この世を歩いて生きたい。
※一部センシティブな話題を含みます
※人により不快感を感じる可能性があります
運動会で、手を繋いでゴールするようになった、と話す人がいる
これにはずっと違和感があった
自分たちの頃にそんな文化はなかったし
年の離れた兄弟の頃にももちろんなかった
これ、どこを向いて話してるんだろう?
ちょっと調べてみた限りでは
そもそも実際に確認せずに使われていた論調だったり
確認された事例も限定的だったという
つまり、そもそも話のスタート地点を極めて例外的なものに置き
あたかも一般的なものとして進めている
この前提は、ある種幻想である
その先にいくら説得力があっても
大前提が不確かなのだから
ナンセンスなものに成り果ててしまう
ぼくは、誰かをカテゴリーに当て嵌めて話すことが苦手だ
いわゆる、健常者とそうでない人がいるとして
一定の特性を持つ人とそうでない人がいるとして
そこをABの2つに区別して捉えることはあまりしない
Aのように見えるけれど、限りなくBに近い人がいる
Bのように見えるけれど、限りなくAに近い人がいる
すべてがグラデーションの世界に感じている
健常者の思考が必ずしも健常とは限らない
自分以外が上手くやっているように見えるとき
自分も上手くやっているように見られているかもしれない
とすれば、目の前の人はなんらカテゴライズせず
ただただその人として向き合うべきではないか
自分も、なんらカテゴライズせず
自分として向き合うべきではないか
果たしてその人にはそのカテゴリーが適しているのかを考え続けて
ありもしない常識や異常を非難するんじゃなくて
ただ目の前の人が誰なのかを追い求めたい
歩く。あなたと手を繋いで。
いつ、この手を離してしまったのだろう。
あの頃は、ただ夢中だった。
自分のことで精一杯で、あなたの痛みに気付けなかった。
気付いた時には、もう遅くて。
伸ばした手は空を切り、呼ぶ声は届かなかった。
でも今、こうして隣にいる。
温もりが、確かにここにある。
大切なものは、いつだってすぐそばにあったのに。
気付けなかったのは、自分の方だった。
もう二度と、この手を離さない。
何があっても、離しはしない。
きみと手を繋いで歩く。
私から伸ばした腕、袖口を軽く掴んだら、少し不機嫌にきみから握ってくれた。それが嬉しくて、心臓をおおきな腕に掴まれたような感覚になる。幸せというものは、生まれた瞬間に終わりに向かっている。関係はいつか終わる、感覚はいつか変わる。それはこのたった23年の人生で私が痛いほど知ったことだ。好意なんてものはただの呪いでしかなくて、つまりはただ呪うか呪われるかでしかない。呪いが解けて仕舞えば終わってしまうのだ。そんなこと、わかっているはずなのに。また私はこうやって、誰かに唯一の気持ちを抱いて、手を伸ばしている。
きみの柔らかな手のひらから、細い指から、あまりにも心地よい温かさが伝わる。同時にいつかこの瞬間を後悔する日がやってきてしまう準備をしている自分がいて、そんなことでは愛される資格なんてないと静かに思う。きみは私のそういうところがすきだって言ってくれたから、つまりはそういうところに呪われてくれたけれど、明日には、3時間後にはなんの前触れもなく解けてしまうかもしれないでしょう?
きみに呪いをかけるのに成功したのはきっと偶然だけど、私がきみに呪いをかけられたのは絶対に必然。きっと何度やりなおしても変わるのことない結末だ。
私はたった3秒の間にそんなことを思いながら掌に力を込めた。強いよ、と呆れたように笑うきみの横顔はきっとこの世の何よりも綺麗で。この呪いが1日でも長く続きますようにと願った。
たまには手を繋いで歩くのもいいんじゃない
いつも見る景色も変わるかもね
と、そんな時も昔はあったね
今は、そんな人と出会いがあれば、それが最後の恋
そう思ってる
な〜んてね
手を繋いで
独りじゃないってことか。
いいなぁ。
'25年3月20日 手を繋いで
高校生の頃、体育祭が終わると3年生だけが運動場に残りフォークダンスを踊る、というイベントがあったの。
3年生になって体育祭が近づいてくると、体育の授業中にフォークダンスの練習をする日が一回だけあるんだよね。
普段の体育は2クラス合同で男子と女子に分かれて授業を受けるんだけど、その時だけは男女合同で。
運動場に大きな輪を作って内側が女子、外側が男子になったら先生が「人数確認するから男女ペアで手を繋いで。」
ちょっとみんなドキドキするよね。
先生が「はい、ここから!」って無理矢理手を繋がせると徐々にペアができてゆく。
でも女子が少しずつ後ろにずれてきて、結局女子の方が多いから何人か男子役にならないといけなくなっちゃってね。
背の高さとキャラクターを見て男子役になった中に私もいたよね。
さっきのドキドキを返して!と心の中で思いながら、それなりに楽しく練習できたけど。
体育祭当日は先生方が男子役になってくれて、私も無事に女子として踊りました。
記憶の奥から久しぶりに出てきた青春の1ページ。
手を繋いで
「百合華、危ないよ」
そう言って祖母は私に手を差し出す。私も
「はあい」
と答えて手を握る。
こんなことがあったのは一体何年前のことだろうか。
私的には数年前のように感じるが、数えてみるとおそらく十数年、いやもっとかもしれない。
あの時私に手を差し出した祖母は、私の目の前で少し苦しそうに寝込んでいる。祖母が寝たきりになってもう1年以上になる。
苦しい姿を見ていると早く楽にしてあげたい、神様もう良いではありませんかなどと思う。
しかし同時にまだ一緒にいたい、話したい、旅行に行きたいなどと未練がましいことを思う。
私の矛盾している感情を祖母が知ったらなんて言うだろうか。もう話せないから答えは聞けないけれど自分の中で予想を立ててみたりする。
そんなこんな考えているうちに心電図モニターの数字は減っていく。
いざその時が来てしまうと、どう自分の感情を処理して良いか分からなくなるなあと毎度のこと思う。
こんな複雑な感情は祖父の時も私の中に姿を現した。
こんな時、そばにいる者たちはなにをするのが正解なのだろうか。
逝かないでと泣くことか。
それとも無理矢理にでも笑うことか。
人によって正解は様々あるだろう。
私の正解は相手がしてくれたことを出来る範囲で返すことだ。
祖父は会うたびに嬉しそうに私の名前を呼んでくれた。
だから祖父が危篤状態になった時、「じいじ」と呼び返した。
目の前で苦しんでいる祖母は私に手を差し出してくれた。
だから私は布団からあの時とは少し色が悪くなってしまった祖母の手を取り出して精一杯繋ぐのである。
手を繋いで
手を繋ぐって心が通い合う感覚があります
だから好きな人とは手を繋ぎたい
嫌いな人とはできるだけ繋ぎたくない‥
手を繋げる距離に大好きな人達が居てくれたら
私はいつも大好きな人達を応援したい
そう思うのです
いつまで手を繋いで歩ける?
と、聞いたら
いつまでかなぁ?と答えになってない返答
今は?
今は大丈夫
そんなやりとりをずっとしている
いつまで手を繋いで歩けるのだろうと思いながら
今日も手を繋いで歩く
手を繋いで
手袋をしないでほしい。
それがたった一つの約束だった。
毎年冬になると、
君の手は氷のように冷たくなる。
たとえ冷たくても、手を繋いで温め合えばいい。
手を繋ぎたいという俺のエゴでもあった。
今年は
そんな手を握ることなく終わった。
暖かくなってきても、
俺の心は、君のことを繋ぎ止め、
君の体温を忘れることを知らない。
長き残暑を終えて、ようやく秋になって落ち着いた頃だ。
図書館の中で、高齢の女性が楓の落ち葉を持っていた。近所に住む子どもたちが、よく小さな花や青い柿の実、落ち葉に枯れ枝などを持ってやってくる。子どもたちの無垢な笑い声と共に四季折々の風が吹く。長年たまった貴き埃の重みに耐えている書物も軽やかに頁を開く。その風を幼心がある老婆もそよそよと優しく流しているのだ。
植物と手を繋ぐ姿は神々しく見える。植物にも宿る八百万の神の手を引いて共に歩むから自然と輝くのだろう。
土だの塵だの足跡があるだのと言い訳をして、自然の落とし物を拾わない私の心には鬼が棲みついている。石も一緒に手を繋ぎたいと誘っているではないか。
私は、数億年の空気と生死と記憶の重みに耐えた石を拾い上げて握りしめる。肌に食い込むその硬さをもって、心の鬼を斬る心の刀になっておくれ。一生手を繋ぎましょう。
(250320 手を繋いで)
いつだって共にいた
君が隣で歌っていた
笑顔で隣で歌っていた
元気でいたはずだった
でも、帰らぬ人になった
いつだって共にいたかった
歩んでいたかった…
手を繋いで一緒にいたかった…
〜君と手を繋いでいたかった〜