ゆらぎ

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※一部センシティブな話題を含みます
※人により不快感を感じる可能性があります



運動会で、手を繋いでゴールするようになった、と話す人がいる
これにはずっと違和感があった
自分たちの頃にそんな文化はなかったし
年の離れた兄弟の頃にももちろんなかった
これ、どこを向いて話してるんだろう?

ちょっと調べてみた限りでは
そもそも実際に確認せずに使われていた論調だったり
確認された事例も限定的だったという
つまり、そもそも話のスタート地点を極めて例外的なものに置き
あたかも一般的なものとして進めている
この前提は、ある種幻想である
その先にいくら説得力があっても
大前提が不確かなのだから
ナンセンスなものに成り果ててしまう

ぼくは、誰かをカテゴリーに当て嵌めて話すことが苦手だ
いわゆる、健常者とそうでない人がいるとして
一定の特性を持つ人とそうでない人がいるとして
そこをABの2つに区別して捉えることはあまりしない
Aのように見えるけれど、限りなくBに近い人がいる
Bのように見えるけれど、限りなくAに近い人がいる
すべてがグラデーションの世界に感じている

健常者の思考が必ずしも健常とは限らない
自分以外が上手くやっているように見えるとき
自分も上手くやっているように見られているかもしれない

とすれば、目の前の人はなんらカテゴライズせず
ただただその人として向き合うべきではないか
自分も、なんらカテゴライズせず
自分として向き合うべきではないか
果たしてその人にはそのカテゴリーが適しているのかを考え続けて
ありもしない常識や異常を非難するんじゃなくて
ただ目の前の人が誰なのかを追い求めたい

3/20/2025, 1:13:15 PM