手を繋いで
「百合華、危ないよ」
そう言って祖母は私に手を差し出す。私も
「はあい」
と答えて手を握る。
こんなことがあったのは一体何年前のことだろうか。
私的には数年前のように感じるが、数えてみるとおそらく十数年、いやもっとかもしれない。
あの時私に手を差し出した祖母は、私の目の前で少し苦しそうに寝込んでいる。祖母が寝たきりになってもう1年以上になる。
苦しい姿を見ていると早く楽にしてあげたい、神様もう良いではありませんかなどと思う。
しかし同時にまだ一緒にいたい、話したい、旅行に行きたいなどと未練がましいことを思う。
私の矛盾している感情を祖母が知ったらなんて言うだろうか。もう話せないから答えは聞けないけれど自分の中で予想を立ててみたりする。
そんなこんな考えているうちに心電図モニターの数字は減っていく。
いざその時が来てしまうと、どう自分の感情を処理して良いか分からなくなるなあと毎度のこと思う。
こんな複雑な感情は祖父の時も私の中に姿を現した。
こんな時、そばにいる者たちはなにをするのが正解なのだろうか。
逝かないでと泣くことか。
それとも無理矢理にでも笑うことか。
人によって正解は様々あるだろう。
私の正解は相手がしてくれたことを出来る範囲で返すことだ。
祖父は会うたびに嬉しそうに私の名前を呼んでくれた。
だから祖父が危篤状態になった時、「じいじ」と呼び返した。
目の前で苦しんでいる祖母は私に手を差し出してくれた。
だから私は布団からあの時とは少し色が悪くなってしまった祖母の手を取り出して精一杯繋ぐのである。
3/20/2025, 1:08:12 PM