7時のアラームを止める
起きて、顔を洗って、朝ごはんを食べる。
洗顔と化粧、着替えをして走って駅へ向かう。
20時まで仕事をして買い物をして帰る。
夕ご飯を作って、食べてお風呂に入る。
明日の予定を確認してから電気を消して寝る。
これがずっと変わらない私のルーティン
でもひとつだけ変わったことといえば、お酒をやめたということ。
1年前。飲酒運転の車に轢かれて亡くなったあの人を見たときから、私は好きだったお酒を、彼と飲んだお酒を見ることさえもできなくなった。
ものすごく仲が良かったわけでも、悪かったわけでもなかった。
でもいざいなくなると喪失感というものが現れてくるし、どこかで彼を探してしまう。
朝から彼のことを思い出す日は決まって調子が良くない。
電車に乗り遅れるし、小さなミスをするし、欲しかった食材がなくなってがっかりする。
今日もそんな調子の良くない日だった。
なんとか家に帰ってきてカップ麺でもいいかとお湯を沸かし始めるとインターホンが鳴った。
9時前だったからこんな時間に?と思いつつも、はーいと玄関を開ける。
すると宅急便のお兄さんが立っていた。何か頼んだっけ?と思いながらサインをし荷物を受け取る。
お湯が沸いたから入れに行こうと思ったが、宛名にふと目がいった。そこには私の名前ではなく彼の名前が書かれていた。
彼の名前を見た私は我を忘れてダンボールを無理矢理開けた。
中身は見覚えのあるものだった。
人気すぎて1年待ちのお酒。彼と一緒に選んだお酒。
今私が1番見たくないお酒だった。
送られてきたこのお酒に悲しむことも怒ることもできず、ただやるせない気持ちでいっぱいだった。
捨てようかとも思ったが、なんとなくもったいない気もして、でも取っておくのも違う気がした。
とりあえずカップ麺にお湯を入れ待っている間に、奥にしまい込んであったグラスを引っ張り出してきた。
お揃いで買ったものだからなんとなく2つ出してみる。
そして2つのグラスにお酒を注いでみた。
口元にグラスを持ってきたとき、お酒の匂いでぶわっと何か感じるものが来て目に涙が溜まった。
その涙をこぼさないようにグラスを一気に傾けた。
おかしいな、上向いたはずなのにそう思いながら、涙が流れていくのを静かに感じた。
目をそっと開け、もう1つのグラスを見たとき彼の手が見えたような気がした。そしててだけじゃなくて、体、顔、声。彼の全てが隣にあるような気がした。
「あぁ…ここにいたのね」
私は久々に笑ってみせた。
それからまたお酒がルーティンの中に組み込まれた。
私の人生を狂わせたお酒をもう一度好きになるには時間がかかるかもしれない。
でも飲んでいる時だけは彼がいるような気がする
そう思って私は2つのグラスにお酒を注ぐ
星明かり
3年前から散歩に行くのが習慣になった。
朝はめっぽう弱いので、夜ご飯を食べ終わって気持ちよくお風呂に入るために9時ごろ携帯と鍵だけを持って行く
親からは危ないからと止められたり、友人からは1人で散歩って楽しいのなどと言われたりした
自分でもどうして1人で散歩をしようと決意したのか覚えていない
ただ、1人で歩くと何も考えずに済むし、夜はじぶんを飾らないで歩くことができる
危ないけれどできれば暗めがいい。自分の姿がバレてしまうから月明かりさえもいらないと思えてくる。
星明かりだけを頼りにして私は今日も外に出る
春恋
春は出会いが増える
高校生の時はクラス替えがあっても大体が知っている人だったから大して出会いもなかった。
でも大学生になるとクラスという概念がないから授業が変わる度に出会いが増える。
新しい出会いだからといって浮かれると碌な恋愛にならない。
そのことは先輩からも自分の経験からもよくわかっている。
それでもビビッときたら動いてしまうのが人間の性である。
まだ大学生。まだ二十代前半。
今後の経験のために碌でもない恋愛を始めてみようか
ひとひら
桜が散る季節になってきた。
風が吹くと一斉に散っていくから、死に急いでいるように見える。
桜に隠れて咲いていた椿も花を落とす季節になってきた。
ポトリと落ちていくから、昔縁起が悪いとされていたのも納得する。
そう思うと外に咲く花は綺麗に一枚だけ落ちることがない。
でも豪快に散っていく花はなんとなく風情を感じさせる。
そんなことを考えながらテーブルの上に飾られた花を見た。夜にしか会えない彼が誕生日にくれた花。
私たちの関係を通して見るこの花は桜や椿のように風情なんてものは感じられない。むしろ汚くさえ見える。
…あぁ、また落ちた。
なんの罪もないひとひらが。
風景
画家を目指している彼は今日も浜辺に向かう。
私は気まぐれについて行ったり、行かなかったりする。
まあ、どうせ付いていっても完成画を見せてくれるわけでも、話してくれるわけでもないので一人で波と追いかけっこするだけなのだが…。
ある日彼の作業場に猫が入り込んでしまった。
立ち入り禁止と言われているが、そのままにしておく方が怖いのでこっそり入ってこっそり猫を捕まえることにした。
「失礼します…」
と一応言っておく。
キィと開けた扉の隙間から猫を探す。
予想以上に絵の具やら紙やらペンやらが散乱していてなかなか猫は見つからない。
すると奥の方に作品が立てかけてあるような場所を見つけた。そしてその下にいる猫も見つけた。
「…いた!」
慌てて口を手で塞ぐ。私の声に反応して猫の警戒を強くしてしまった。
いけない、いけない。
彼を怒らせたくないから急いで捕まえよう。
とゆっくり中に入る。
意外にも猫は人間慣れしているようで、すぐ腕の中に入ってきた。
「よし、戻ろうね」
と猫に話しかけた時、ずらりと並ぶ彼の作品が見えた。
いつも書いている海の絵だ。
私が見ている海をそのままうつしたような作品だ。
「…写真みたい」
そうつぶやいた後に、端のほうに隠れている絵を見つけた。
まあ、少しだけ…とその絵に近づいて、絵を持ち上げた。
「え…」
と自然と声が出て、抱いている猫が私の顔を不思議そうにのぞく。
隠れていた絵に描かれていたのはいつも描く海と、楽しそうに波と追いかけっこをする私だった。
いつのまにこんな絵を…と驚く一方で、こんな場面を描かなくても…と恥ずかしくなる。
そしてもう一度、感情を抑えて彼の絵を眺めてみる。
すると他の絵と何かが違う気がした。
私がいるのはもちろん異なる点なのだが、何か、何かが違う…
ふと床を見ると絵の具が散らばっていた。こんなとこに置いとくと邪魔になっちゃうよと思い、片手で拾い上げる。全てを拾い上げた時、その絵の具が黄色や赤といった明るい色ばかりであることに気づいた。
もちろん他の絵でも使ってるのだろうけど、この絵は段違いに色鮮やかだ。
そんなことを考えていると後ろから
「何してるの?」
と彼に声をかけられた。
勝手に入られただけでなく、絵を見られているのも相まってなかなかに機嫌が悪そうだった。
「あ…ごめん。猫が入り込んじゃったから捕まえたらすぐ出るつもりだったんだけど…絵が素敵だったから見惚れてて…」
と私は気まずそうにもごもご答えるしかなかった。
「はあ…」
と彼のため息に驚いて腕の力が緩んだ時、猫はスタスタ〜と外へ出ていってしまった。
「あっ…」
君のせいでそうなったのに!てか私を置いてかないで気まずいじゃん…と私はそんなことを考えながら俯くしかなかった。
すると彼は私の横に来て、
「この絵。見ちゃったの?」
と聞いてきた。
「うん…。ごめん」
さっきと同じことしか言えずにさらに俯いてしまう
怒られるよ…彼怒ると意外に怖いんだから。そう思っていると彼の口から
「どうだった?」
という言葉が出てきた。
「…へ?」
予想外の言葉に思わず彼の顔をじっと見つめてしまった
「だから、この絵どうだった?」
聞き間違いじゃなかったと思いつつ早く答えなきゃと懸命に言葉を紡ぐ
「えっと…なんか、あの…他の絵より、わかんないけど、鮮やかな気がした…。なんかキラキラしてる?みたいな…?」
より気まずくなって、へへ…と付け足してみたけど答えが合ってるのかもわからないからまた俯く。
すると彼は私を見つめて、
「やっぱり、そうだよね。なんか君を描くと色が多くなるんだ」
と静かに言った。
彼の言葉に戸惑ったが、それよりも引き込まれそうな彼の瞳から目を逸らすことができなかった。
5秒くらいお互いに見つめ合っていた時、彼のスマホが鳴った。
助かった…と気まずさから解放された私は
「ご飯の準備してくるね」
と早口で伝えて、彼の部屋を出ていった。
階段を降りているとき、通知が来て良かったと思うとともに何故か残念な気持ちがした。
「なんか君を描くと色が多くなるんだ」
という言葉が、彼にとって最大の愛の告白であることを知るのはまた別のお話…