『愛情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
彼は昔から愛情を言葉で伝えるのが
得意なほうではなかった
わたしもそこまで得意なほうではなかったと思う
それでも、わたしたちの関係が続いているのは
愛を伝えるのは言葉だけではないと知っているから
彼から"愛"の言葉がなくたって、、
彼の行動で"愛"は伝わってくる
特に伝わってきたのは
わたしが迷子になっちゃったときのとこ
あなたは一生懸命探し回ってくれた
まるで小さい子がいなくなってしまったかのような
慌てっぷりだった
わたしだってもう大人なのにって
少し呆れちゃった
けど、それがたまらなく嬉しかったの
私のために一生懸命になってくれる
それがどれだけ嬉しかったか
どれだけの"愛"を感じか
だけど…、ね、
たまに思うの
ちゃんと言葉でも"愛"を伝えてほしい
言葉でちゃんと聞かないと、不安になるときがある
そして
そんなわたしの心をよんだみたいに
ホントにたまに言ってくれる言葉は、特別があって
それはそれで好きなんだけどね…、、、
「大好きだよ…」
わたしだって大好き…
いいんだよね、愛情の伝え方は人それぞれで
母が毎日、昼ごはん用におにぎりを握ってくれる。しらすと梅干しと赤しそと白ごまをご飯に混ぜて、握ってくれる。毎日一緒。他の具材はなく、毎日同じ。だが不思議と飽きない。
たまにコンビニのおにぎりも食べるけど、やっぱ母のおにぎりが美味しい。具の組み合わせが良いのと、やっぱ愛情がこもっているからかな。なんて。
親への愛情を貰ったことの無い私は、愛情というものを知らなかった。学校で習ったこともないし、友達もいないので聞いたこともなかった。
街で親子が楽しそうにしているのを見ると腹が立つ。私だって愛情を貰って育ちたかった。親ガチャ失敗、とダメなことを考える。でもやっぱり諦めきれなくて、愛情を貰って育ってきた人たちには何かしらの不幸が起きて欲しいと願うばかりだ。
私は今世界で1番不幸かもしれない、だから次生まれ変わる時には愛情を注いでくれる家族がいい。これまでに無いくらい大量の愛を。
「愛情」
お題『愛情』
私のゴミみたいな処世術。
今付き合っているべつに好きでもない恋人に対して、「好き」「愛してる」と言ってわざと気持ちを高める。本当にこれだけ。
べつに好きではないんだけど、かといって別れる気はない。タイプではないけど周囲から「イケメン」って言われてるし、学歴は高いし、年収も高い。彼は私を愛してくれているらしい。
だけど、私は愛というものを知らないで育った。
もう絶縁してる支配的な親から自分の思い通りに私が育たないと暴力をふるうか泣いて騒がれたりしたし、いじめられてきたから友達の作り方なんてわからない。
大学になって、一人にようやくなれて、そんな中で私はあるサイトで見た「行動から感情がわきあがるもの」というものを実践して、どうにか人間関係をうまくやり過ごすことが出来るようになった。好意的な言葉を他人に言い続けたり、優しくしたりすれば嫌に思う人はいないらしいということを知った。
今の恋愛も言霊に乗せて自分の気持ちを高めることで実践している。
自分でもクズだと思う。だけど仕方ないじゃん、私はこんなことでしか人を愛する方法を知らないんだから。
愛情
愛情があれば、なんでも良いというわけではない。愛してくれているのは分かるが、束縛がキツく、自分の思い通りにしたくて騒ぐし、聞かないとヒステリーを起こす。そういう愛情の表現もあるのだろうけど、ほとほと疲れた。
いつか、2人で街を歩いていて、知り合いと会った。よっ、元気?程度の挨拶を交わしてすれ違ったのに、妻はキ〜ッとなって、
「あの人誰?」「私に分からないようになんか合図したでしょう?」「あんな笑顔をむけるのね!」「今度会うつもり?浮気?」
いくらただの知り合いであって、友達ですら
ないよ、と言っても聞かない。
俺の携帯は見るし、位置情報も共有していて、どこにいたの?何をしたの?と聞かれても、やましいことは何もない。
君のことを愛していて、こうして一緒に歩いているじゃないか。他の誰とも、手を繋いだりしないよ。
そう言うと、うん、それは分かってるんだけど、と可愛い唇を尖らせる。今はまだ、愛情からの嫉妬だからと許せるけど、俺もだんだん窮屈になってきた。
もしも別れるって言ったら、もっと、死ぬの生きるの殺すの殺されるのという騒ぎになるだろうな。
愛情
私は親から愛情たっぷり育てて貰った
なかなかに手のかかる子で大変な思いもお互い沢山したと思う
不登校になった時や一人暮らし放ったらかしにした方が楽な
はずなのに心配して叱ってくれり、外に連れて行ってくれたり部活がやりたいと言ったら頑張って!と応援してくれて
試合も見に来てくれる
本当にありがたいし恵まれてると思う
いい機会だし何か感謝の気持ちにプレゼントでも
送ってみようかな
「愛情」
わたしにも惜しみなく与えられたのでしょうね。
けれどもそれは知覚されていない。
であればどこかに消えたのでしょうか?
質量保存の法則なんて言いますが、これも同じなのでしょうか?
わたしが振り撒いたつもりのものだって、認識されずにどこかへ散ってしまった。
散乱したそれがめぐりめぐってどこか知らない場所の知らない人の元へ届くことはあるのでしょうか。
そうなったとしても、わたしはそのことを知り得ないのですけれど。
「愛情1本、愛情サイズ、愛は食卓にある、今日を愛する。……愛情と愛の違いって何だろな?」
アイ ラブ マニー、その神引きがアイラビュー。某所在住物書きは「愛」に関するキャッチコピーを検索しながら、もしゃもしゃ、むしゃむしゃ。
サンドイッチなど食い、コーヒーをすすっている。
「書く習慣」のアプリに恋愛のお題は多い。今年の3月からのカウントで、「愛」の字を明確に含むお題だけでも、これで5回目である。
「『恋』も含めればもっと増える」
で、俺が去年の10月31日に投稿したハナシに出した低糖質キューブチョコのモデル、来月値上げだって?――物書きは呟き、ため息をひとつ。
愛情とは何だろう。味は?価格は?
――――――
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしており、
そのうち末っ子の子狐は、最近、お父さん狐の隠し部屋にある黒い穴から、「ここ」ではないどこかの職場に忍び込むのがトレンド。
そこは非常に、厨二設定はなはだしい職場です。
「世界線管理局」といって、あっちの世界からこっちの世界への渡航の申請を受理したり、
そっちの世界が別の世界に悪さをするのを監視したり、もしくは止めさせたり、
あるいは、滅びそうな世界を保全したり、
既に滅んだ世界の欠片が、どこかの世界に流れ着いて、良くない影響を及ぼす前に回収したり。
要するに、とってもフィクションでファンタジーなことを、ガチで仕事にしている職場なのです。
で、そのフィクションファンタジーな職場の受付職員、癒やしにバチクソ飢えてるらしく、
子狐が来ると、やれジャーキー、それモフモフと、完全にお祭り状態。子狐それが楽しいのです。
なお、偉い法務部さんにバレると叱られます。
コンコン子狐、ジャーキースニーキングなのです。
さて。そんなこんなの子狐です。
今回のお題が「愛情」ということもありまして、
愛情たっぷりな高級ジャーキー、あるいは愛情どっぷりな頭ナデナデ、おなかスリスリが欲しくて、
その日もその日とて、お父さん狐の秘密の部屋から、世界線管理局に堂々潜入、
できたのは、まぁまぁ、良かったとして、
どうやら子狐が忍び込んだのがバレたらしく、もう既に、子狐の知らない法務部職員がスタンバイ。子狐を追い返すべく、目を光らせています。
「きょうは、ほかのところをタンケンしよう!」
みすみす、おとなしく捕獲されて、黙って強制送還されてやる子狐ではないのです。
受付の窓口を抜けて、子狐の背丈が小ちゃいのを良いことに、するり、するり、コンコンこやん。
稲荷の狐の不思議なチカラも上手に使います。
そしてコンコン子狐は、「経理部」と書かれた、陽光よく当たるポカポカブースに、やって来ました。
ところでこのフィクションファンタジーな管理局、ビジネスネーム制を採用しておりまして、
経理の職員は全員、猫に関係した名前で統一されているんだとか。にゃーにゃー。
「なんか、みんな、ごーいんぐまいうぇい」
コンコン子狐、経理の職員を見て、気付きました。
経理部の職員は、みんな、自分の思い思いの場所で仕事をして、自分の思い思いのタイミングで休憩しているようなのでした。
ほら、目の前に、大きめのコタツがあります。
そこには、ぐーぐー爆睡しているコタツムリなお姉さんと、ちまちま編み物をしている優しそうなおばあちゃんがいます。
「あら。かわいい子狐ちゃん」
優しそうなおばあちゃんは、「ノラ」、「野良」と名乗りました。そして愛情に満ちた笑顔を子狐に向けて、子狐を腕の中に迎え入れました。
「あなたのことは、知っているわ。最近しょっちゅう、管理局に忍び込んで、法務部を困らせている、『稲荷神社の末っ子子狐』ちゃんでしょう。
悪い子ね。あなたのおばあちゃんに、そっくり」
子狐を抱き寄せるノラばあちゃんは、とっても温かくて、とってもいい匂い。子狐はすぐ、ノラばあちゃんを好きになりました。
「おばーばのこと、しってるの?」
「よーく知ってるわ。昔一緒に働いていたのよ。そして若い頃、一緒にね、やんちゃしてたの」
「ヤンチャ?」
「そう。やんちゃ」
さぁさぁ、今日はどこの部署にもイタズラしないで、おばあちゃんのところでおネンネなさい。
ノラばあちゃん、子狐をモフモフとフカフカで包んで、ゆっくりゆっくり、背中をなでます。
それは正しく愛情で、それは正しく優しさでした。
愛情と優しさに包まれて、こっくり、こっくり。
コンコン子狐はものの数秒で寝落ち寸前。
その日はなんにも迷惑かけず、どこからも叱られず、幸福にお昼寝して過ごしましたとさ。
愛情
愛情が何か分からない、と書くと虐待されていた過去があるように思う。あながち間違いでもないのかもしれない。幼少期、一番母親に振り向いてほしかった時期に振り向いてもらえなかった。他の子のことは大袈裟に褒めちぎるのに、自分にその称賛が向けられた覚えはない。
小学校2年生の時、図工の時間に読書感想画を描いたら何かの賞を貰って市民ホールに飾られることになった。祖父と祖母も観に来てくれて、母親と4人で市民ホールへ訪れた。他の子の作品や、書道、美術の作品等いろいろな展示がある中に自分の絵もあった。祖父母はすぐに足を止めて「あったぞ、すごいな」「上手だね」と頭を撫でて褒めてくれた。「元気いっぱいでいい」とか「色塗りがキレイ」とか。数分間は何かしらを褒めてくれた。自分は嬉しくて得意気で、きっと母親もこれなら褒めてくれると思って視線を送ったが、母親は一言「そうだね」と何に対する同意なのかも分からない言葉を放って他の子の作品を観に行ってしまった。その時初めて心の中で(この人は自分に興味が無いのだ)とハッキリ言葉にしてしまった。母親のことを"この人"とまるで赤の他人のように感じ始めたのもこの出来事からだった。
その後も母親が何か行動を起こすと自分の存在感は薄まるばかりで、この人にとって自分は要らない存在なのだと自覚させられることが多々あった。一人っ子なのも良くなかったのかもしれない。自分の思いを共感してくれる存在はいなかった。
肯定してくれることは一切無い一方で、母親は過干渉であった。話のテンポが遅めな自分が話し始める前に、先に全部喋ってしまう。何も要らないと言っているのに「あんたはこういうのが好きだから」とよく分からない玩具を買い与えられて「ありがとう」と言うしかなかった。「これが欲しい」と言ってみても「こっちの方が良くない?」と同意されることはなかった。
しかし母親の逆鱗に触れた時は全くの逆なのだ。今度は一切合切の干渉を止めてしまう。ご飯も服も何も用意はなく、目が合えば舌打ちをされ挙げ句「出ていけ」と言われる始末。何が悪いのかも理解出来ないまま自主的に家の外に出るしかなかった。まぁ一日も経てば「お母さんが悪かったね、ごめんね」と泣きながら抱き締めてくるのだから、気持ち悪いと思いこそすれ、愛情を感じ取ることはなかった。
今になって、過去の経験が自分の首を締める。君からの干渉を母親のソレと重ねてしまって、君を悪く思ってしまう。何かを決める時に君の顔色を伺いすぎて不快にさせてしまう。自分の考えを口するのがどうにも苦手で、君は待ってくれるけれど、どうにも待たせすぎて罪悪感に苛まれる。君からの優しさを素直に受け取ることが出来ない。
私からは小出しにして
あなたからは少しずつ受け取ろう
って思ってても、そうはいかない
むずかしいんだ
#愛情
→短編・拳とキャッチボール
僕はリビングのソファーから立ち上がった。
「オヤスミ」
「……」
いつもなら明るく応えてくれる彼女は、背中を向けて黙ったままだ。
寝る前のちょっとした言い合いが、ケンカになって尾を引いている。
頑なに意見を押し付ける彼女と、正誤関係なく反論を繰り返す僕。アグレッシブな言い争いに疲れて、僕たちはなし崩しに言葉の拳を下ろした。
寝室に入るとシングルのベッドが2つ並んでいる。ダブルベッドにするかを2人で悩んた末、お互いの寝相の悪さからシングルにした。こういう日にも役に立つとはね、と僕はベッドに潜り込んだ。隣の彼女はまだ来ない。
初冬の寒さ。毛布にくるまって僕は何度も寝返りを打った。上掛け布団がズレてきた。少し寒い。掛け直さなきゃなぁ、でもメンドクサイなぁ……、今日、眠れるかな?
朝、スマートフォンの目覚ましに起こされる。眠れるか心配していたが、ぐっすり眠っていたようだ。何なら、彼女と温泉に行く夢を見た。
「あっ……」
上掛け布団がキチンと掛かっている。
経験上、ソレが自分でないことを知っている。つまり、彼女だ。
ベッドにその姿はない。部屋の何処にも気配を感じない。朝イチで出勤するって言ってたっけ。
僕はスマートフォンで彼女にメッセージを送信した。
「布団、ありがとう。2人で温泉に行く夢を見たんだ。これ、正夢にしない?」
即レス。
「あなたの奢りなら!」
猫がハートを浮かべて手を合わせたイラスト付き。
「じゃあ、食べ歩きの分はよろしく!」と僕。
「ok」……
拳ではないキャッチボールなやりとりは、もうしばらく続いた。
テーマ; 愛情
愛情
私はずっと愛されていたのに、気付こうとしていなかった。
父も母も、愛を言葉にするのがとても下手だった。
母は、学校に行ったり行かなかったりする私に、毎日お弁当を作ってくれていた。
父は働き詰めで、何かを買い与えることで愛を伝えようとしていた。
私が求めていたのは、「君はこのままで素晴らしい」とか、「いつまでも愛してるよ」といった言葉だった。
でも、それは両親からもらえなかった。
だけど、成長してから気付いたことがある。
愛情の表現方法は人それぞれだと。
だから、自分が欲しい愛だけを求めるのではなく、相手がどんな形で愛を向けてくれるかを見極めることが大切なんだ。
それは、忙しい中でも会いに来てくれることかもしれないし、
何かを買ってあげたいと思ってくれる姿かもしれない。
あるいは、毎日の何気ない言葉や、挨拶すらも愛情の一部かもしれない。
顔を見て微笑む、それも愛の証しだと思う。
今まで、誰かが不器用なりに伝えてくれたことや渡してくれたものには、
きっと愛情が詰まっているんだと思う。
時間差でも、今、その愛をきちんと受け取ってみよう。
そして、今、私たちが暮らす社会も、他の誰かが作り上げたもので溢れている。
物質的なものすら、誰かの愛情の塊だと気付くことができる。
そのことに気付くことで、もっともっと多くの愛を感じ取ることができる。
愛情を感じることで、心が満たされていく。
そして、私は今、もらった愛情をしっかり抱きしめながら、一歩一歩前に進んでいきたいと思う。
心に蓄えた愛を周りに届けることで、少しでもその愛を広げていけたら、きっと世界はもっと愛で溢れるから。
自分の事がどうなっても
あなたが幸せでいてくれれば
それで良い
【愛情】
わたくしの夫は、ろうそくの灯りのような人だった。
自然の草木を愛で、動物と語らい、楽器を奏でる。
平和と豊かさを心から愛している人だった。
太陽のような輝かしさ、宝石のような華やかさは無くとも、
暗闇を柔らかく照らし、多くの人々を安心させる、ろうそくの灯り。
皆の日々を支え続ける、温かい心遣いのできる人。
本当に非の打ち所の無い、自慢の夫だった。
愛情
月明かりだけが静かに揺れる、
暗く、冷たい部屋。
硬い床に横たわる貴方。
その胸に広がる赤。
私の手に染まった、愛の証。
鼓動は弱く、呼吸は儚く。
貴方の温もりが、
少しずつ冷たさへと、
変わっていきます。
私はこの口唇で、
貴方の最期の一息さえ、
貴方から奪い取ります。
これも…私の愛情なのですから。
貴方を、愛しています。
静かに閉じた瞳に、
そっと囁きかけます。
もう、貴方を苦しませるものは、
何もないのです。
この汚れた世界から、
貴方を解き放つ為に、
私はこの手で、
貴方に永遠を捧げたのですから。
貴方の心も、記憶も、
全て私だけのもの。
他の誰かなんて、必要ありません。
貴方の嘗ての恋人なんて、
私達の物語には、
初めから、存在しないのです。
直ぐに、貴方の隣へ行きます。
だから、二人きりの世界で、
また微笑み合いましょう。
こんな私を…。
人は狂っていると言うでしょうか?
これは愛情ではないと言うでしょうか?
けれど、私は知っています。
これは…真実の愛情なのだと。
ですが、もう。
何も恐れることはないのです。
貴方の全ては、
私だけのもの、なのですから。
…永遠に。
「愛情」
…愛情…?
愛情があれば育むとは限らないよ?
折りたたみ傘を差した日、傘を玄関に干しておく。
朝また玄関に来ると、その傘が綺麗に纏められて袋に入っていた。
朝起きると、洗濯物が綺麗に畳んで置かれていた。
体育祭の日、お弁当箱を開いたら、ハロウィン間近だからとハロウィン要素の詰まったキャラクター弁当だった。
どうでもいいような、私にだけちょっと嬉しいような出来事を聞いて欲しくて、「ねえねえ」と声をかけたら、こっちにちゃんと顔を向けてくれた。
そんな愛情を、当然かのように受け取っていました。
そんな愛情が、心に沁みるようになりました。
いつもありがとうの一言が、とても気恥ずかしいことに、気づきました。
与え 与えられ
奪い 奪い合うもの
憧れ 愛こがれ
気づかない 気付けない
水に「ありがとう」と言うと
綺麗な結晶ができるという。
水に「ばかやろう」と言うと
形の悪い結晶ができるという。
物質は全て細かい粒子でできていて
常に運動をしているという。
粒子も言葉をかけられたら
嬉しいのだろう。
だから私は物に対して丁寧さを
心がける。
もちろん私の身体にも愛情をかけて。
私の臓器達よ。 ありがとう。
頑張っているね。
朝一番
目覚めた。生きている。
「ありがとう」
「愛情(創作)」
幼い頃、連れ子同士の再婚で新しい家族ができた。私は母の子だからなのか、父親からの愛情を感じることなく過ごしてきた。
多分それは、私が拒否していたからだろう。父親は必死に父になろうとしていたのかもしれない。今なら少しは、分かるような…分からないような曖昧な気持ちだ。
尚更、幼い私にはそれを感じる力もなかった。
やっぱり心から満たされなかった。
どうしても。
私が好きになるのは、年上の人ばかり。私を愛してくれ、包み込んでくれ、とても安心感があったからだ。同年代の人では物足りなかった。
「愛してるよ」
この言葉を聞いてしまうと、気持ちがさめてしまい、別れ話に発展してしまう…
もうこれは、トラウマなのかもしれない…言葉ではなく、態度や気持ちで自然に感じさせて欲しいと願ってしまう。
いくらでも相手を試すチャンスはあったけど、自分から行動するのも何か違う気がして…心が不貞腐れていたのかなと、ふと思う時もあった。
ある時わかったことは、幼かったから愛情を感じる力が無かったからではなく、自然に感じさせて欲しかったという思いが未だに根強く残っているという事だった。
帰る場所はここにあるという、無条件の愛に包まれたかった。心満たされるように。